【緋彩の瞳】 Believe ⑤

緋彩の瞳

ポイ捨て小説

Believe ⑤

聖歌隊に入ったら、なんて誘われてそれだけは無理ですと必死になって断る。歌なんて学校の音楽の授業以外では口ずさむことさえしない、レイはもっぱら耳だけしか使わないのだ。
乾いた笑い声でごまかしていると、視界の端に柔らかな弧を描いた長い髪が入って来た。
「………みちるさん?」
みちるさんの背中だった。見間違うものでもない、その背中はレイの愛している全てなのだから。
「みちるさん?」
レイは聞こえなかったのかと、少し声を大きくして名前を呼んだ。みちるさんは立ち止まってくれた。

だけど、振りかえることなく出て行った。

「先輩、ちょっと失礼します」
レイは頭を下げて、みちるさんの後を追いかけた。中庭まで出て、やっと捕まえられる距離にたどり着いた。
「みちるさん」
見慣れた後ろ姿。あまり見慣れていないコート姿。肩を捕まえて呼びとめる。
「……レイ」
「みちるさん、どうしたの?もしかして、探してくれていたの?」
なぜ、教会に来たのかわからなかった。ミサにみちるさんはいなかった。
だからあの時にみちるさんは入って来たんだと思う。
「みちるさん?」
久しぶりに会えたみちるさんは、ぎこちなく無理やり笑顔を作っていて。
レイはできる限り嬉しいという笑顔を見せようと思った。少しの後ろめたさがあると、その時、気がついた。さっきの先輩との会話を聞かれていたのかもしれない。聞かれて困る内容ではないけれど、話をしていると言うことそのものが気まずいような気がした。
「……おじいちゃん、元気になってよかったわね」
「あ…。おじいちゃんがここだって教えてくれたのね。今日、オフだったの?昨日、連絡がなかったから、仕事だと思ってたわ」
「午後からの仕事なの。どうしても……レイに一目会いたいと思って」
携帯電話は切ってある。どうせ誰からの連絡も入らいないし、みちるさんからの連絡がこの時間に来るなんて、想定していなかった。
でも、みちるさんはここまで来てくれた。
嬉しかった。
日曜日の朝に会いたいって思ってくれたなんて。
仕事の合間を縫って探してくれたなんて。
「レインツリーに行く?」
久しぶりにみちるさんとレインツリーでゆっくりしたい。
本当は先輩を誘おうとしていたところだけれど、みちるさんとゆっくりしたいに決まっている。
「いえ……ごめんなさい。レイは今日、予定を入れているのでしょう?」
「ミサも終わったから、特にないわ」
みちるさんの声は明らかに沈んでいた。こんなにも会えてうれしいと思っていることが、正しく伝わっていないようだ。会いに来てくれたと言っているのに、どうしてなのか。
やっぱり誤解しているんじゃないだろうか。
「ゆっくりする時間は取れないの。また、今度にしましょう」
「え?でも……」
誤解していない?って言えばいいのに言えなかった。誤解と言うよりか、レイがついさっきまで先輩の歌を聴いて感動して。そして先輩と楽しく話をしていたことは事実なのだ。
「戻って準備をしたいから」
「そう。……寒いし、インフルエンザも流行っているし。本当、身体に気をつけてね」
昨日、電話は鳴らなかった。日曜日にどこで何をするのか、教えてくれなかった。きっと夜遅くに帰ってきて、連絡を取ることができなかったのだろう。不安とか不満というよりも、その気持ちを先輩の歌で鎮めようという考えしか頭になかった。最初から会えないと決めつけていた。
「レイのあんな笑顔、久しぶりに見たわ」
「あんな?」
「……なんでもないわ」
「弓道部の先輩なの。聖歌を歌っているから聴きに来たのよ」
これは言い訳なのだろうか。事実を言っただけなのに、自分の中に言い訳っていう単語が浮かんだ。みちるさんの機嫌を伺うような気がして、それも嫌だという気持ちはある。
「……そう」
でも、ここに来る理由があるとしたら、愛し合えない物足りなさを先輩の歌声で満たしたいという想いがあるからで、そうさせているのは、今の2人のすれ違いに他ならない。
「じゃぁ、気をつけて帰ってね。お仕事、がんばって。コンサートも」
レイがこんな想いを抱きながらも、みちるさんのことを深く愛してやまないことが、なぜ伝わらないのだろう。憂鬱そうな、悲しそうな瞳を見て、ちょっと腹を立てているこの気持を、そのままどうしてぶつけないのだろう。
「………コンサートのチケット、郵送するから。もうすぐだし、明日からはリハーサルと本番で、まったく都合がつかないの」
あの朝から、2週間以上まともに会えないということになる。それが終わったら、また地方にでも行くのだろうか。
「うん。みんなと行くから」
どんな気持ちで演奏を聴けばいいんだろう。不安と不満を抱えながら、その抱えているという想いに苛立ちながら。
「レイ」
みちるさんは名前を呼んでくれたのに、見つめてはくれなかった。足元に落とされた視線。その辛そうな瞳に息苦しくなる。


「……私のこと、好き?」

みちるさんだけが好き
過去のすべての記憶を塗り替えて、未来のすべても全部みちるさんだけであればいい

「どうして……そんなことを聞くの?わかっているくせに」
好きだと声に出せずに、教会の中に戻って行った。




「レイちゃん、遅い!」
「ごめん。卒業式の練習があってね。うち、全員参加だから」
火曜日、クラウンに行くとみんな揃っていた。月曜日に速達で届けられていたみちるさんのコンサートチケット。味気ない郵送、メッセージも何も書いていないものだった。いつもなら、直接渡してくれていた。
「これ、みちるさんから。みんなに渡してって預かっているわ」
みちるさんからは電話もメールも来ていない。忙しくなると言われているし、今日から東京のコンサートが始まる。3日連続の最終日のチケットをもらっていて、それまではみちるさんの声すら聞けないだろう。
「ありがとう。明後日なのね」
亜美ちゃんは大事そうに受け取って、枚数を数えて全員に配ってくれる。
「うん。遅くなってごめんね」
昨日の弓道の練習は散々だった。初めて弓を構える素人のようなもので、弛んでいるなんていうレベルですらなかった。途中で練習を止められて、先生に特大のため息と共に、集中できないのなら、練習に来るなと叱られた。先輩がいない月曜日なのだからと思いながらも、先輩がいないからではなく、みちるさんとの関係がそうさせていたのだとすぐに考えを改めた。みちるさんの時間が取れるようになったら、調子も上がるだろう。先輩も週末に卒業式を迎えて、いなくなってしまう。
「レイちゃん、大丈夫?」
「……ん?」
「元気ない、って顔に書いてあるわよ」
向かいに座っている美奈が、腕を伸ばして眉間を押さえてくる。レイはそれから怪訝そうな顔をして逃げた。逃げた視線の先には、亜美ちゃんの心配した顔。
「何かあった?」
「……みんなして、どうしたの?」
「いやいや、レイちゃん。鏡見たら?レイちゃんってクールビューティだけど、みちるさんのことに関しては、思いきり顔に出るから」
美奈にしては珍しく真面目な顔をしている。美奈がこういう顔をするときは、冗談のかけらもない時だと言うことはわかっている。
「さぁ。何かあると言えばあるかもしれないわね。まぁ、大したことじゃないわ」
みんなの怪訝そうな顔がこちらを向いている。レイは誰の目も見ることができないで、どこに逃がせばいいのかと、キョロキョロ動かしながら結局うつむいた。
「オロオロしちゃってさ。らしくないよね」
「……何よ」
「みちるさんと喧嘩でもしたの?コンサート真最中なんだから、いじめちゃだめでしょ?」
「いじめてなんていないわよ」
「もしかして、この前話していていた、歌の上手な先輩と浮気でもしてるわけ?」
美奈は例えを出しただけで、そこには多少の冗談も含まれていたのに、先輩の名前を出されて少しだけ揺らいだ。
「…………するわけないでしょ」
浮気というものの定義がよくわからない。レイは先輩の歌は好きで、そのわずかの間は心が洗われる気持ちになっているのは確かだ。だけど、そんなことは浮気と呼ばないはずだ。
「そんな困った顔でそういうコメントをしないでよね」
日曜日、みちるさんが帰ってしまった後も、レイは前と同じように先輩とお茶をした。
明日が先輩の出るミサの最後の日だから、絶対に早く行って一番前に座るつもりだ。
「先輩は関係ないでしょ」
もしかしたら、先輩がいなければもっと関係は悪化していたような気もする。救われたという想いが、みちるさんを想っているという気持ちを強く感じさせてくれていたのだから。
「……ま、もうすぐみちるさんの誕生日だしさ、うまくやってよ」
「余計なお世話よ」
「うんうん、そう思いたい。当日は2人でいちゃいちゃするのを許すから、また改めてみんなでお祝いしようね」
みちるさんの誕生日、プレゼントはまだ決めていない。もうすぐだというのに。みちるさんが欲しいと思っているものが、思いつかなかった。
「んじゃ、ケーキでも焼こうかな」
話題が明るくなるのを待っていたように、まこちゃんが明るい声を出してくれる。レイはその声を聞きながら、プレゼントを心の中で思い描いた。仲間で唯一料理のできるまこちゃんを振り回すことになるから、亜美ちゃんにお詫びをしないといけない。

「大丈夫?」
「なんか……みんなに心配かけてるみたいね。そんな顔なのかしら、私」
帰り途、亜美ちゃんと2人きりになると、とりあえず明日の放課後のまこちゃんを借りるからとお願いをした。みちるさんのために料理の勉強をしたいから、と言えばあっさりと了解を得られた。本人に確認をしていないけれどね、なんて笑いながら。
「みちるさん、本当に忙しいみたいね」
「えぇ。ねぇ、亜美ちゃんの思う浮気ってどんなこと?」
「え?浮気?」
「私は別に、先輩に浮ついた気持ちを持っていると思っていないの。ただ、あの人の歌を聴いていると心が落ち着くし……満たされた気持ちになるの」
レイは亜美ちゃんに、日曜日にミサに行ったこと、そこにみちるさんが探しに来たこと。悲しそうな顔をしていたこと、レイが先輩の歌に救われている気持ちを話した。先輩とレインツリーで話をしたことは楽しかったけれど、本当はみちるさんとそういうたわいのないことをしたいのに、できないでいることも。
「レイちゃん、みちるさんのことが本当に好きなのね。みちるさんのことを想っているから、寂しい気持ちを満たすものを、求めていたのでしょう?それがたまたま先輩だっただけで」
「私たち付き合うようになってから、まともに外でデートしたことないのよね。一日ずっと一緒とか、2人でのんびりすることとか、本当にないの。長くても半日一緒にいられたらいい方だし、ここ最近は夜中とか朝早くに会って……。身体だけで繋がっているっていう感じなの」
そして、抱かせてはもらえない。演奏がある前日は会うことすらままならない。会えたとしても、身体の関係は絶対にない。みちるさんの中で、ルールがあるんじゃないかと思っている。
それを確認したくないし、振り回されているようで寂しくなる。
天気予報みたいだ。会って求められたら明日は演奏がない。会ってくれない日や、身体の関係がない時は、次の日の仕事は人前での演奏があるんだな、なんて。
「そう。みちるさんへの想いが上手く消化できないのね」
「それが部活に支障をきたすレベルなんだから、私も単純だなって笑っちゃうわよ」
レイがため息交じりに笑うと、亜美ちゃんも少し笑ってくれた。やっぱり、どれだけ先輩の歌声がレイの心を洗ってくれても、みちるさんが会ってくれなくても、心から好きな人は1人しかいない。
「レイちゃんの気持ちは浮気というより、寂しいっていう想いを紛らわせているだけなんじゃないのかしら?でも、それを浮気っていう人もいるかもしれないわね。みちるさんがそう思ったとしても、仕方のないことかも」
逆にみちるさんが楽しそうに他の誰かと話をしていたら、レイも多分悲しい想いをしただろう。後でどんな言い訳をされても、最近、そんな風に楽しく2人で過ごせていないのに、どうして、って思うだろう。
「………私、何に迷いがあるのかしらね。本当、神様に助けて欲しいくらいだわ」
神様なんていないけど。いないものに縋る気持ちが、今は凄く良くわかる。そんなことを先輩に言えば怒られるに違いない。
「みちるさんのことが好きなのでしょう?」
「好きよ。好きだから……」
だから、何もかもが思い通りにいかないことに苛立ちを覚えてしまう。
まだまだ自分が未熟で、ゆとりがなくて、心を広く持てない。それを想い知らされてしまう。
「みちるさんだって、それはわかっていると思うわ」
「そうだといいわね。信じるしかないもの」
信じるしかない。それしかない。
「とりあえず、まこちゃんにお料理教わって、ふるまってあげたらきっと喜んでくれるわよ」
「そうね。誤解も解かないといけないし、そう思わせたことは謝らなきゃ」
自分だけに都合のいい愛が欲しいのなら、誰も愛することなどできないだろう。
でも、みちるさんもレイに対して、自分の都合で振り回していたことは多分間違いなくて、そのことをちゃんとみちるさんに辛いと声に出すべきだった。お互いにとって欲しがるばかりの愛が、今は辛いだけだと言うことを、伝えるべきだった。
「楽しみね、コンサート」
「うん。今日も無事に成功するように、祈るばかりよ」
「神様に?」
亜美ちゃんが意地悪く言うから、レイは眉をひそめて悩んだ。
「……弁財天様、かしら」
わりと真面目に答えたつもりなのに、亜美ちゃんはおかしそうに笑った。レイもつられて笑ってしまった。
神様なんていない。そこに存在するのは、何かを信じようとする心の清らかさだけだ。
先輩の熱心な信仰と歌は確かに、レイの心を満たしてくれた。
でも、レイが寂しいと感じていなければ、ミサに出るなんてことはなかっただろう。先輩との距離も、いつも通り少し離れたところを保っていただろう。
欲しいものなんて、永遠に途切れることなんてない。
心が満タンになるという現象なんて、本来はないのだろう。
だから、人は絶えず何かを求めている。与えもせずに、与えられることを望んでばかり。
恋人としてのみちるさんのCDを聴いてもコンサートに行っても、何もかもが手に入らないことの痛みを覚えたことはただの我儘だし、先輩の歌声で満たされる気持ちになったのも、感情をすり替えて都合よくしていただけなのだ。



関連記事

*    *    *

Information

Date:2014/04/06
Trackback:0
Comment:0

Comment

コメントの投稿








 ブログ管理者以外には秘密にする

Trackback

TrackbackUrl:http://fireredfantasia.blog.fc2.com/tb.php/110-e6bdfd75
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)