【緋彩の瞳】 BLUE ①

緋彩の瞳

ポイ捨て小説

BLUE ①

胸騒ぎというのは、いつも、ある日突然だ。みちるは水色のセーラーに掛からないように、アクアマリンの髪を、1つに束ねた。
「いってらっしゃいませ」
黒塗りの国産車を降りて、執事に頭を下げてもらうと、まるでその場所だけが切り取られたような、とても豪華な校門をくぐった。都内でも、また日本でも有名な女子校は、みちるには特に刺激もないものだった。ずっと変わらない顔ぶれ。自分の能力を過大に評価してくれて、融通が利くことくらいだけしか、感謝していない。バイオリンケースとスケッチブック。これさえあれば、コネクションを求める同級生や下級生から身を守れた。
「おはようございます、みちるさま」
中学3年生の3学期も始まったばかり。正月は海外へ行った子たちがほとんどだが、生憎みちるは、年末年始コンサートばかりだった。こちらは親のコネクションのためと言ったほうがいいのかも知れない。
「おはようございます」
下級生からの挨拶に作り笑顔で答え、これ以上声をかけられないように俯いたまま歩き始めた。

放課後、いつものように誰もいない裏庭で迎えの車を待つ間、少しだけ愛器を撫でていた。旋律はなぞる程度であってはいけない。心地のいい別の世界へと行ってしまおうとしたとき、電話の音が現実へと連れ戻しに来た。
「はい」
いつも通りの時間にかけてきたのは、事故があって道が封鎖されているという執事の声だった。
「いいわ。公園まで歩くから、そこへ来てください」
どうしてだろう。胸騒ぎとはこのことだろうか。近頃見る、世界が終わってしまう夢と何か繋がるような胸騒ぎがした。愛器をケースにしまい、学校から少し離れた大きな公園へ向かって歩き始めた。1月の風がコートの裾を少しだけ揺らす。
 
公園は夕方の犬の散歩が通り過ぎるだけだ。冬のその場所は遊具がほとんどないため、子供もいない。みちるは春を待つ桜木の通りをゆっくりと歩いていた。一人が好きだという自覚はある。バイオリンや絵にのめり込んでしまうのはそのせいだと思う。
数十メートルごとに並んだ木のベンチのひとつに、少女がぽつりと座っていた。彼女も一人が好きなのだろう。誰もいない公園で少女が一人、小さな本のようなものを持って俯いている。
みちるはちらりと見るだけで横を通り過ぎようとした。けれど、また何か胸騒ぎがした。
自分のことなのに、まるでその少女が胸騒ぎを与えているように感じたみちるは、速度を落として顔を覗きこむようにしながら歩いた。

震えている

その少女は小刻みに震えている。手にしているのは本ではなく手帳。胸騒ぎがちくりと胸を刺す痛みに変わったような気がして、自分でもありえない行動に出た。
「あなた……」
見ず知らずの人には絶対に声を掛けてはいけない。それは海王家の人間として生まれて身につけたものだった。それ以上に他人に興味はない。けれど声を掛けても大丈夫だと思ったのは、その子が自分の学校と同様に、いや、それ以上に有名な学校の制服を着ていたせいかもしれない。
「大丈夫?」
俯いたままの少女は声に反応して顔をはっとあげた。
「顔色、悪くってよ」
身体を小刻みに震わして、びっくりしたのか震えた手から手帳が小さな音を立てて落ちる。
ずいぶんと美しくて整った顔。それよりもその艶のある黒髪に目を奪われた。
「大丈夫?」
同じ言葉を繰り返し、落ちた手帳を拾って少女に差し出す。少女は紫色の唇を動かしていたが、声にはなっていないようだ。
「……体調が優れないのなら、病院へ行ったほうがよろしいのでは?」
だんだん震えが増して唇がまともに動かせないほどなのだろう。みちるは鞄とバイオリンをベンチに置いて、とっさに背中を擦った。


「気が付いた?大丈夫?」
少女が薄っすらと目を開けた。みちるは身を乗り出して額を指先でなぞった。公園でぐったり身体を預けてきてかなりあせった。執事に少女を抱かせると、家に親がいないことを確認して、迷わず家へと連れて帰った。理由などわからない。ただ放っておけない胸騒ぎと、信頼できる主治医に見せてあげたいと思ったから。コートの中のTA女学院の制服。学生鞄を勝手に開けて、何者であるのか調べた。執事も納得してくれたようだ。彼女は政治家の娘だった。
「貧血と、心労でしょうって」
まったく状況を理解していない虚ろな瞳のままの少女に語りかけた。客室に寝かした少女は、見知らぬ天井を見てもあまり驚いていない。
「……助けてくださったのですか?」
消え入るような声で、天井を向いたままの少女は確認を取る言葉を口にする。
「えぇ、酷い顔色だったの。私の主治医に見せたけれど、必要ならばあなたの主治医に連絡いたしましょうか?」
生徒手帳で学年がひとつ下ということを確認しているので、少し気が楽だった。本当はクラスメイトでさえ家になど入れない
「…大丈夫です。あの……」
ゆっくりまぶたを閉じて、もう一度開いた彼女は何とか状況を理解しようとしていた。
「ここは、私の家よ」
「どちらさま?」
至極当然の事を聞いてくる彼女は警戒心などないように見える。それほどに疲れているのだろうか。
「私は海王みちる。たまたまあの公園を歩いていたの」
「どこかで、聞いたことあります」
「そう?まぁ、いいわ。ゆっくり休みなさい。起き上がらないほうがいいわ。体調がよくなったら、お送りして差し上げるから」
少女は布団の中から右手を出して額に置いた。状況を飲み込んでいないせいで、パニックになっているようにも見える。
「大丈夫?」
「はい。ご迷惑、おかけしました」
呟く程度のその言葉。何か考え事をしているようで、みちるは席を外した。

夕食の時間になって、みちるは客室をノックした。返事はなかったが一声かけてから入った。
「起き上がっても、大丈夫?」
彼女は起き上がって、傍においてあった手帳を広げている。
「あなた、火野レイって言うお名前でしょ?」
名前を呼ばれた少女は、反応して顔をあげた。
「はい」
「ごめんなさいね。勝手にあなたの生徒手帳を見させてもらったの」
「……いいえ」
彼女が見ていたのは、手帳に挟まれていただろう、数枚の写真だった。どれも笑顔の彼女と、もう一人の少女が写っている。
「公園でも、その写真を見ていたのかしら?」
胸騒ぎがもう一度襲った。どこか親近感を覚えるその少女は小さく頷く。
「記憶がないんです。私、この人を知らない……」
「え?」
すぐに聞き返した。記憶喪失なのだろうか。胸騒ぎの理由がそれなのだろうか。
「あなた、この人を知らないの?」
「知らないっていうか想い出せなくて。でも、これは私だから……」
笑顔で写っている自分を指差す彼女。
「それに、思い出せないことがほかにも」
彼女の持っている手帳は去年のものだった。1月中旬に入って古い手帳を懐かしんでめくることはあるかもしれないが、開いてから記憶がないことに気が付いたのだろうか。
「この日から前、何をしていたのかわからなくて」
12月30日を指した少女は、その指を過去の日数へとなぞっている。
「思い出せないの?」
「……というより、書かれてあることに、記憶があるものとないものがあるんです」
予定がぎっしりと書かれている手帳には、黒で統一された学校行事らしいものと、赤のプライベートなものとで几帳面に分かれている。その中で、オレンジのペンで「美奈」と書かれているのがちらほら目立った。
「これは?」
「それって、人の名前だと思うんですけど」
「さっきの写真の子?」
「わからなくって」
首を傾げる仕草が思い出そうと必死になっていると、すぐに分かる。
「ねぇ、この子の住所とか電話番号、わからないの?」
みちるの問いに、その少女は首を振った。
「……手帳に知らない人のアドレスがいくつもあるのを見つけて怖くなって捨てました」
アドレス帳は、数枚減っている。
「きっと、すぐに思い出すわ」
おそらく、ずっと悩み続けて倒れてしまったのだろう。真っ白な肌と漆黒の髪。他人のことには無関心だと自分でも想うが、どうしても、放って置けないような気がした。
「今日、両親がいないの。よかったら、夕飯食べていかない?」
広い屋敷には、執事と数人のお手伝いさん。レッスン室と自室以外、ふだんは恐ろしく静かな屋敷。
「……私、あなたとお会いしたこと、ありましたか?」
「初対面よ」
少女は申し訳ないように聞いてきた。
「そうですか」
ホッとする仕草が、可哀想だと思う。みちるは執事を呼んで、客室に自分のものも食事を運ぶように頼んだ。
「ねぇ、その“美奈”って言う子は、あなたの学校の人じゃないの?」
「・同じ学年には、そういうお名前の方はいらっしゃらないので。下級生に知り合いはいませんし、先輩方の名前だとしても、そんな書き方はしないので」
「じゃぁ、違う学校ね」
「そのような気がします」
運ばれた食事は、シンプルなリゾットだった。
「食べたほうがいいわよ。あまり、ちゃんと食事を取っている風には見えないから」
「……なんだか、お見通しですね」
少女は初めて小さく微笑んだ。
「そうね。なぜだか、あなたとは初対面じゃないような気がするわ」
一人っ子であるみちるは、ずっと兄弟姉妹に憧れていたが、学校内の下級生や上級生は苦手だった。幼い頃から注目され続けていたみちるにとって、“バイオリニストの海王みちる”というまなざしなどまったくない少女、火野レイが親しみやすいと感じたのだ。
「そういえば、あなたのお名前、たしか……」
スプーンでリゾットを一口運んだレイは、思い出したように尋ねてくる。
「みちるよ」
「みちるさん?」
「そう。聞いたことないかしら?海王みちる」
「海王慶介さんなら、何度かお会いしたことがあるんですけど」
「パパと?」
驚くみちるに、レイも驚く。
「パパって、娘さんですか?」
「まぁね。それより、パパと会ったことがあるの?」
不思議な共通点とでも言うのか。こういうのを人は運命というのか。みちるは身を乗り出した。
「あ、はい。父親の後援会をなさっているそうで、お食事を何度か・・・」
みちるは過去の紐を解いていく。
「そういうことは、記憶にあるの?」
「はい」
「それって、小さいとき?」
「だと思います。今も、時々」
みちるは親の仕事には極力かかわりたくはないので、めったにそういう食事会などには行かない。
「ちょっと待ってね」
部屋を飛び出して、自室へ行くと本棚からアルバムを取り出した。
「これ、あなた?」
「あ、はい」
そこには幼い自分と黒髪を三つ編にした女の子が、共に父親と一緒に写っていた。こういうのをやっぱり運命というのだろうか。
「不思議ね。私、小さい頃にあなたと会っているわ。初対面じゃないみたい」
「ごめんなさい。やっぱり、あなたのことも記憶にないみたいです」
写真を見せられて、俯くレイ。みちるは微笑んだ。
「私も忘れていたわ。10年位前のことだし、それほど頻繁に顔を合わせていたわけじゃないでしょうから。きっと、何かのパーティに出たときにたまたま一緒に撮ったのよ」
一人っ子のみちるが、同級生以外の人と取られた貴重な写真。おたがいに違う幼稚園の制服を着ている。
「みちるさん、見ず知らずの人をここに連れてきたのですか?」
「そうよ。私、こういうことなんて普通はしないの。っていうか、普通はしないでしょうけどなぜだかあなたを助けたくなったの。どうしてかしらね?」
アルバムを閉じて、みちるは自分に向かって問う。胸騒ぎは収まっていたのに、この子と、レイと一緒にいても嫌だとは思わなかった。一人が好きなのに。
「助けてくださってありがとうございます」
「いいえ。あなたの記憶、戻るといいわね」
「はい。とても大切な人だと思うんです。私、幼稚園から今の学校だから、違う学校の人と写真を撮っていてそれを手帳にはさんでいるってことは、私にとってきっと特別な人……」
その瞳は写真の中の少女を見ていて、みちるはなぜだか嫉妬心を覚えた。
「レイ」
「……・は?」
みちるはベッドに腰を下ろした。
「おうち、どこにあるの?」
「火川神社です。今は、お爺様のところに住んでいるので」
「そう。送って差し上げるわ」
立てる?そう言って、みちるはレイに手を差し伸べた。
「ありがとうございます」
幾分顔色がよくなったとはいえ、相変わらず青白いレイは立ち上がった瞬間ふらりとよろめく。
「大丈夫?」
「はい」
制服のジャケットとコートを羽織らせた。人にこんなことをするのはとりあえず記憶にはない。
「本当に、ご迷惑おかけしました」
みちるはレイが住んでいる場所を知りたくて、一緒に車に乗り込んだ。
「いいの。記憶が戻ったのなら、教えてね」
「はい」
それは次に会う約束ではないけれど。返事をしたレイは、神社へ続く長い階段をゆっくりと上がっていった。

関連記事

*    *    *

Information

Date:2014/07/12
Trackback:0
Comment:0

Comment

コメントの投稿








 ブログ管理者以外には秘密にする

Trackback

TrackbackUrl:http://fireredfantasia.blog.fc2.com/tb.php/204-df903537
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)