【緋彩の瞳】 霧のように ④

緋彩の瞳

ポイ捨て小説

霧のように ④

開場30分前、レイはチケットの半分を切り取った係員に自分の名前を告げて、楽屋にお祝いの花を渡した。カサブランカの花束の中に入れたメッセージカードには、レイの名前ではなくかつての自分の名前を書いた。そして受け取り主を海王みちるではなく、彼女の前世の名前を書いた。
裏から回して手に入れたチケットのため、席はそれなりにいい席だった。著名な人ばかりに囲まれても、レイはただ舞台の幕が上がる瞬間だけをじっと待ちわびる。
幾千億、どれほどの朝を迎えたのか数えられないほどだというのに。
今この瞬間が、その長い年月よりも遥かに長く感じてならない。
苛立ちと、高まる胸の鼓動。
もうすぐ、写真ではない彼女に会える。
彼女の全てが視界に入る。
五感の中のいくつもの感覚が刺激を与える瞬間が来る。
あなたに会える。



『ネプチューンへ』
開演20分前に届けられた多くの花の中で、カサブランカの花束だけがなぜかみちるの目に留まった。花束の中に埋もれてある赤いカードを開き、一行読むだけで花束を抱く腕に力が篭る。
「…マーズ。マーズ」
丁寧すぎるほど綺麗な文字。
今でもはっきりと覚えている、少し体温の低い彼女の体。
あぁ、会いたいと想って生きていたんだわと、カサブランカの花束を抱きしめた。
おぼろげに夢に出てきた少女を、今ならはっきりと想い描くことが出来る。
会場のどこかにいる彼女を、彼女だけを見つめることが、きっとできる。
探すことは、必ずできる。


「レイちゃん」
「え?」
開演10分前。席が埋まり始める頃、レイの前を青い髪の少女が通り立ち止まった。
「亜美ちゃん、何しに来たの?
いるはずのない亜美が目の前に現れ、レイは一瞬美奈子のことを疑った。
「何しにって、演奏を聴きによ。母の患者さんだった人がチケットを譲ってくれて。母の代わりに。うさぎちゃんと衛さんも来ているみたいね」
「へぇ」
レイちゃんは?と尋ねられる。
「父親の知り合いなの」
そんな話聞いたことなどないけれど。とっさにでっち上げる。
「そうなの。この前衛さんとお話していた人が海王みちるさんだったでしょう?レイちゃんの知り合いだったの?」
「そんなところ」

本当のことを言えない。
レイとみちるの関係を怪しんで、母親からチケットを譲り受けたことなんて。
本当のことを早く言わなければ。
本当の愛を求めにきたことを。

亜美との席は少し離れていた。幸いだとレイはほっとする。
開演5分前のブザーが鳴る。
心臓が止まるかと想った。

幕が上がる。
体温を分け与えてくれる彼女の姿が現れる。

瞬きさえ忘れるほどに、10数メートル離れた先にある舞台に立つその人に魅せられてしまう。触れたい、触れなければならない。
ここにいるのよ、ネプチューン。
視線が重なり合う。
あぁ、ここにいるとわかっているのね。
微笑を投げかける彼女の瞳に吸い込まれてゆく。
心に放たれた矢がたとえ体中の血を流しきったとしても、私はあなたの元にたどり着くのね。

ネプチューン


待てない。
第1部が終わり、20分の休憩が入るとレイはすぐに立ち上がった。
行かなきゃ。
「レイちゃん」
「…何、亜美ちゃん?」
「どこへ行くの?」
そう遠くない場所に座っていた亜美は、レイが出て行こうとする道を塞ぐように立ち上がる。
「ちょっとね」
「誰かにご挨拶?」
「えぇ、ま」
「私も付いて行くわ。みちるさんにご挨拶に行くのでしょう?」
気付いている。
確信を持った瞳は、そのクセに遠まわしな言葉でレイを柔らかに攻め立ててくる。
「亜美ちゃん、悪いけれど今日は個人的にコンサートを楽しみに来ているの。デートじゃないわ」
「恋人なら、一緒に行動することはごく自然なことよ」
やっぱり。
哀しい瞳が、あるはずのなかった罪悪感を生み出そうとしてくる。
「急いでいるの。話はあとで」
レイは一番近い出口を諦め、回れ右をしてやや駆け足で別の出口を探した。
彼女は追いかけてこなかった。

関係者立ち入り禁止の立て札の前に立つ係員を捕まえ、連絡係を頼む。マーズと言う名前ではあまりにも怪しすぎるので、素直に本名を名乗った。彼女の感が働いてくれるのならきっとわかってくれる。
「どうぞ」
ロープの向こう側に通されて、レイは高いヒールであろうとも駆け足で楽屋の前まで走り、それから小さくノックをした。
体中の血が逆流し始める。
「マーズ」
「…終わるまで、待てなかったのよ。ネプチューン」
開かれた扉。
目の前に立つ美しい魂を持つ彼女。

あぁ、死んでもいい。


「マーズ、会いたかった」
柔らかな髪。微笑み。魔法のように囁かれる言葉に頷く前に体は前へと押し出される。
パタンと小さく音を立てて扉が閉まると同時に、どちらからともなく両腕がお互いを求めた。
温かい。優しい温度。彼女の温度は、身体にまた新たな血を生み出してくれるような心ぬくもる温度。
無言で抱き合い、ごく自然に重なる唇。磁石が重なるように吸い寄せられる。
官能が体を殺すのではないかと想うほど刺激が強くて。
こんな風に感じたことなど生まれて一度もなかった。この世に生まれる前の恋だというのに。
「マーズ。・・・いえ、レイ。また、めぐり会えたわ」
「探していたのよ、あなたを。あなたの魂を」
胸元の少し開いたドレス。彼女の胸の皮膚に頬で触れる。
温かい。
愛しい温もり。
これが愛というのね。
「終わったら、ここへいらっしゃい。このまましばらくは放したくないけれど、すぐにまた幕が上がってしまうわ」
「えぇ」
少し濃い目の化粧。舞台映えするようにしているのだろう。レイは頬に唇を寄せた。
「ずっと、あなたを見ているわ」
このまま溶けてしまいたいけれど。舞台の上に立つ美しい姿も見ていたい。
「レイ。見ていて頂戴」
あぁ、溶けてしまいそう。
微笑みに触れることができる距離。
頷いて、一度強く抱きしめあう。
「また、すぐにここに来るわ」
「えぇ」


2部が始まる直前に席にたどり着く。少し離れた亜美が振り返ってレイを見つめてきた。レイはその視線に気が付いていたけれど、知らない素振りでごまかす。みちるに抱きしめられた体の微熱は、少しの火照りを残していて気だるさを伴っている。
再び拍手と共に現れた彼女の姿を見た瞬間、よりいっそうの熱が体を襲った。

彼女の体からあふれ出る旋律は、まるで愛を囁くように心に溶け込む。
周りに人なんて誰もいない。見えない。
この広い空間に存在する、通じ合うものはあなたと私だけ。


アンコールが終わり、振り向くとレイがさっと出口へ向かって行くのが見えた。声を掛ければ、十分足を止めることは出来る。けれどそれも惨めな気にさえなる。
彼女は間違いなく海王みちるに惹かれている。いつも冷めているその瞳が緋色に輝き、熱を放っている。まだ、ちゃんと出会っていないはずなのに。まるで魂と魂が磁石のようにくっ付くかのように・・・
惹かれている。
なぜ。
前世のことをおぼろげにしか覚えていない亜美は、苛立ちと嫉妬で気が狂いそうだ。
例え前世の恋人が海王みちるであったとしても、今は現世であって、あの頃の延長ではないはずなのに。
なぜ。
自分に何が足りないのだろう。
今までだって、彼女はいつでも求めてきてくれた。傍にいたはず。誰よりも想いあったはずなのに。


関係者がごった返す中、レイはどさくさに紛れて黙って楽屋前まで来ていた。みちるより先についてしまい、ヴァイオリンを抱えてスタッフに囲まれて出てくるみちるを待ちわびる。近付いてくる人だかりにみちるを見つけ、レイは手を上げた。彼女も微笑を返してくれる。これから毎日彼女の傍にいられるんだと思うと、それを考えただけで無邪気にはしゃぎたい気分だった。

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Date:2014/07/12
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