【緋彩の瞳】 暑い熱いキス ①

緋彩の瞳

みちる×レイ小説

暑い熱いキス ①

「……うぅ」
玄関の開く音と共に聞こえてきたのは、誰かのうめく声。
チャイムも鳴らさずに入ってくることができるのは、この家の住人ともう1人。
「レイ」
玄関には髪をアップにまとめて、シャツの背中を汗で濡らしているレイの後姿があった。腰をおろしてサンダルの紐をほどいているのだろうが、丸くなったその背中はぐったりとしている。
「みちるさん……暑い…」
足元に投げ出された日傘はたたまれることなく、苛立ちをぶつけられたようだ。
「シャワー浴びてらっしゃい」
昨日の夜、家にいるかという質問のメールが入っていて、ずっと家にいると答えたけれど、遊びに行くとかどこかへ行こうとかと言った返事はきていなかった。
この暑い、しかも影の少ない時間帯によく来てくれたものだ。梅雨の湿気と夏の暑さにめっぽう弱いレイは、その時期になるとさわやかな笑みをあまり見せてくれない。除湿の徹底された涼しい部屋を提供しない限り、いつものレイにはならないことを誰もが知っている。
「汗が気持ち悪い……」
細く白い首筋を伝う汗をハンカチで押え、レイはうめきながら一直線にバスルームに向かっていく。みちるは放り投げられた日傘を折りたたみ、同じく放り投げられた鞄を拾い上げてパンパンと埃をはたいた。すぐに着替えとタオルの用意をしてあげなければ。
それと、冷たいレモネードも。

「生き返った?」
「……えぇ」
冷房の26度に設定されたリビングに入ってきたレイは、清々しい表情をしている。タイミングよく目の前に置いたレモネードを、ほたるよりも年齢が低いんじゃないかと思うほど、喜んで飲む表情は見ていて飽きない。
「やっと梅雨が明けたと思ったのに」
「そう言わないの。はるかみたいに今からが本番だって思っている人もいるんだから」
「どっか行ってるの?」
「鈴鹿を観に行ってるわ。ほたるを連れてね」
だから、この時期はこの広い家は静かなのだ。せつなは天文台に籠りきり。みちるも暑い中わざわざどこかに行きたいとも思えない。
「そう言えば、そんなことを前に言ってたかしら」
特にはるかがどこで何をしているなどには、興味はないのだろう。ソファーのど真ん中に腰をおろしているレイの隣に控え目に座り、みちるも同じようにレモネードを一口飲んだ。
「この暑いのに、よくもまぁそんなところまで行く元気があるわよね」
「はるかは暑さよりも楽しさを選んでいるんでしょう。ほたるをついでに海に連れて行くみたいだし」
「みちるさんは、暑いのが嫌だからついて行かなかったんでしょ?」
「レイが来るだろうって思ったから、この家を空けたくなかったのよ」
レイが言ったことも本当だし、みちるが口にしたことも正直な気持ち。海はもちろん好きだけれども、いわゆる一般のビーチよりも、プライベートビーチのある自分の家の別荘に行けばいいと思っている。はるかの目的は、ほたるをそういう普通の子が遊ぶようなところに連れていくことだ。みちるはナンパされるから来なくてもいいとも言われている。
「しぼりたてのレモンを使ってるから、信じられるわね」
「でしょ?」
いつレイが遊びに来てもいいように、新鮮なレモンは必ず用意してある。6月から夏が終わるまで、レイとレモネードはお友達だから。ペリエで割ってみたり、天然水で割ってみたり、蜂蜜だっていろんな種類をひそかに試している。レイは全部おいしいと言って飲み干しているけれど、味の違いを分かっているはずなのに、特にそれについては言ってこない。
「そっか。じゃぁ、2人きりなのね」
味の違いについてのコメントをいちいち求めたりはしない。
ただ、おいしそうに飲む横顔を見られたら、とても幸せだと心が歌うのだから。
「静かでいいでしょ?」
「そうね」
外で短い命を燃やすように鳴く蝉の声も、締められた窓からは漏れる隙もない。
クーラーの健気なモーターの音と、氷が少しずつ崩れる音。
涼しさを演出する音だけがある。
「レイ、この夏はどこかに行く予定はあって?」
「ない。美奈がどこか行きたいって言っていたから、誘われたらついて行くかも。みちるさんも来る?」
「そうねぇ。まぁ、仕事とかぶっていなければ」
「はるかさんと美奈、何か水面下で計画していると思うんだけれど」
「そうなの?聞いてないわ」
「らしいわよ。海ではないと思うけれどね」
飲み干したグラスに冷たい汗が現れて、硝子のテーブルに置かれたソーサーに小さな輪っかを作ってゆく。
「もう、いらない?」
「大丈夫。ありがと」
レイはやっとソファーの真ん中から少し距離を開けて、みちるを手招くように傍に置いてくれた。
お互いを見つめることもなく、視線は何かを捕らえているわけでもない。
「ねぇ、レイ」
ただ、同じ空間を、同じように繰り返される2人の呼吸の音を感じている。
「ん?」
髪を掻きあげる音。サラサラと流れる音。
「2人で旅行に行こうって言ったら、レイはどうするかしら?」
「かしら?って……行くわよ」
お互いに好きだと十分に認識して、それなのにまだキスもしたことがない2人なのに。
告白のタイミングもすっかり逃して、なんだかそれでもこの空気が堪らなく幸せで、なかなか抜け出せずにいるけれど。
「2人きりよ?」
「さっき、みちるさんがそう言ったじゃない。念を押されても」
眉毛をハの字にして不思議そうに見つめてくる瞳に、みちるは思わずため息を漏らした。
これでも結構、勇気を持って言ったつもりなのに。
「レイ……。そう言うのは、一般的に“鈍感”って言うものじゃなくて?」
「鈍感?」
数秒見つめ合って、レイは何か思い当ったのか、怪訝そうだった視線がふとそらされた。
それは彼女らしい照れくささを隠す表現だから、みちるも何となく重ならない視線に文句を言えなくなる。
「わかってくれたの?」
「……なんとなく」
「そう」
なんとなくという答えは、それだけでも十分。2人でいるときの沈黙は愛しいと思うことも多いけれど、こういうときは少しだけどうしていいのかわからなくなる。
でも、それもまた喜びだったりもする。
「みちるさんは……2人でどこか行きたいって思ってる?」
「もちろん。まぁ、美奈子たちと一緒も楽しいけれど」
この夏は、いい加減少しは進展させたいとか考えてみたり。レイの誕生日に手をつないで、何となく触れることにはお互いに慣れたような気がしている。今だって、3人用のソファーに2人はとても接近して座っているのだから。

でも、それだけ。

頬を撫でるとか、唇を寄せるとか……そういうことをするタイミングと勇気が足りない。
レイがどう思っているのかは、聞いてみなければわからない。
でも今まで、レイも同じ気持ちだと信じていた。
これだけ近づいて彼女のテリトリーに踏みこんでいても、引く態度を一つも見せない。
「……けれど?」
「レイと2人の方がいいかしら、……なんて」
目の端に見える漆黒の髪は、ほんの少しの動作でさらりと歌う。
わずかな動きなのに、そのすべてを感じていたいと本能が思っている。
「私も、そう……思うわ」
「本当?」
緋彩のその瞳が、柔らかく海に映えてくる。
吸い寄せられる魔法を掛けられてしまった。
溶け合いたい衝動に駆られる。
この海の蒼を照らす緋彩の瞳。
「本当よ。今さら嘘を吐く理由がある?」
みちるとレイの唇の間にある空気と距離が、2人を近付けるのを妨げているのだろうか。

目に見えないものがあるとすれば。
目に見えるようにすればいいだけなのに。
それは、みちるが動けばいいだけなのに。

勇気を生みだすスイッチがどこかにあればいいのに。
押したら強制的にキスをしてしまうような。
「………みちるさん、考えていることが顔に出てる」
30センチの距離で、レイの眉は困ったようにハの字になっていて、少しの不満を含んだ抗議を受けた。
「……ごめんなさい」
「謝るの?」
また、ごめんなさいと言いそうになるのを喉の奥に押しとどめて、生唾を飲み込む。
「………まぁ、いいけれど」
レイは子供っぽく拗ねたようにそっぽ向いてしまって。
「いいって、どういう意味?」
「さぁ、ね」
もしかしたら、黙ってキスをしても許してくれたかもしれない。
タイミングを逃した、ということなのかもしれない。
「答えてくれないと、キスしてしまうわよ?」
「したら?」

……
………

してもいいの?っていう言葉が浮かんだけれど
レイから渡されたキスの権利を今ここで行使しなければ、たぶん、永遠にそれは訪れない気がした。
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Date:2014/08/14
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