【緋彩の瞳】 ため息ひとつ ①

緋彩の瞳

みちる×レイ小説

ため息ひとつ ①

12月。
毎年この月になると思う。
1年ってなんて早いのかしら、と。
1年の初めに計画したやりたいことを、どれだけこなせたのかを振り返るより、残り1ヶ月をとにかく充実させて1年を終えてしまいたい。
悔いが残るか残らないかは、この12月にかかっていると言ってもいい。


3度目のため息だった。
いや、本当のところ何度ため息を漏らしたのか数えていない。
3度と数えてみたのは、少なくしておけば大した悩みではないと思える気がしたから。
「………はぁ」
また吐いてしまった。
これは時計を見たせい。なんて言い訳してみる。
あまりに何もアイディアが生まれないことに嫌気がさして、気分転換でもと1人なのに手の込んだランチを作ってゆっくり食べて、そんな事をしてから2時間が経っている。
そんなにも経過して、何も出来上がっていなかった。
この2時間、何をしていたのか自分でもわからない。
ため息を数えつつフレーズを口ずさんでみたものの、閃きとはほど遠い。

スランプ

そんな言葉が頭の後ろの方から誰かがささやいている。


そんなはずはない。

「…………はぁ…」
数えたところでアイディアがわき出ることもなさそう。防音室からひとまず出ることにした。
コーヒーを淹れて、少し頭を切り替えよう。そういう言い訳を自分にしながら。


曲のアレンジというものを、全くしたことがないわけではない。ステージの上では、即興でいろんな曲をアレンジして演奏をしたこともある。クラシックの名曲をジャズっぽくしてみたり、若い人が多いイベントなんかだと、重たい曲を少しポップにしてみたり。自分で言うのもなんだけれど、割と苦もなくやってきたはずなのに。
でも思えば、あれは周りのバンドやオケの人たちのリードのうまさだった。
今回、即興ではなくスコアをきちんと作って、クラシックの名曲をみちるがアレンジをして何曲かCDのボーナストラックに入れるだなんて、なんともやっかいな企画が持ち上がり、頭を抱えている。
それほど難しいことではないだろうと思っていたけれど、大間違いだった。
案外、自分に才能がないということと、こんなにも向き合わなければならないなんて。
「………はぁ」
そう言うわけでここ数日の間、みちるはほとんど防音室に籠ったまま。
ピアノの前に座って普通に演奏してみたり、ヴァイオリンを弾いてみたり、真白い五線譜を睨みつけたり。思いつくことはほとんどしたけれど、閃光が走った!なんてことは全然なかった。

コーヒー豆を挽いて丁寧にゆっくりと。ポタポタと褐色のおいしそうな匂いを漂わせるそれをぼんやりと眺める。眺める間くらい、頭の中から曲をストップさせたいのに、グルグルと原曲となるものが流れて止まらない。これが頭の中で勝手にアレンジされてしまえばどれほど楽かしら、なんて、投げやりな気持ちにさえなってしまう。


“みちるさん”


グルグルともう頭の中に白いペンキをぶちまけたいと思うくらい、しつこく曲がリピートしている間を割って、新鮮な天使のような声が降ってきた。

あぁ、これは幻聴かもしれない。

“みちるさん”

頑張れば愛する人の声が聞こえるようになるのなら、もっと頑張ればアレンジもうまくいくのではないかしら。そんな事を思った。ただ、頑張ると言っても何をすればいいのかというアイディアが浮かばないのだけれど。

「みちるさんってば」


……
………


「…………レイ」

久しぶりに、ため息以外の自分の声を聞いた。
そしてどうやら幻聴ではなくて、電話でもなくて、本物のレイの声も。

「チャイム鳴らして、出ないからどうしようかなと思って。まぁ、防音室にいるだろうってわかっていたし、仕事の邪魔をするのも迷惑かも知れないって思ったけれど……」
失態かもしれない。
チャイムも玄関のドアが開いたことも、全く知らずにため息と戦っているくらいなら、愛する人の声を聞いて抱き締めていた方が、心にも体にもいいに決まっている。
「ごめんなさい、レイ。気が付かなかったわ」
「そうみたいね。目の前にいるのに、存在ないように1人分のコーヒーを作っているのを見ていて、よくわかった」
あぁ、久しぶりに会ったのに笑顔ではなく冷めた顔。
コーヒーの匂いに包まれたリビングのソファーに座ったままのレイに近づいて、もう飽きるほど溢れたため息をまた、吐いた。

だけどこれは、愛を吹きかけるような吐息。

苛立ちを吐き出すためではなくて、愛しさの募った吐息。

「忙しくしてるなら、構わないでもいいわよ?」
「いいの……今、スランプだから」
勢いよく抱きしめたい気持ちをこらえて、そっとレイの頭を撫でて縋りつくように、そのしなやかな身体に疲れた身体を預けた。みちるの重みを受け止めながら、レイの身体は流れに沿ってソファーに沈んでいく。
どれくらい久しぶりか。それこそ少し数えなければならないくらい、レイを抱きしめていなかったことに気がついた。
「スランプ?縁のなさそうな言葉じゃない」
「そうでもないわ」
真白い五線譜への苛立ちや、何の閃きも訪れない自分自身への鬱憤が、レイの少し冷たい頬に触れただけで、身体から消えていくような錯覚。
いや、錯覚ではない。
本当に消えていくのを感じている。
「珍しい。いつも防音室に籠っているときは、もっと殺気立っているのに」
「何よ、それ」
「みちるさんは自覚ないものね。こんなことしてくるなんて」
コンサートやCD制作などの時期になると、レイはあまりみちると会わなくなる。気を使ってくれているのは分かっているし、構ってあげられなくてほとんどほったらかしになるから、仕方がないかもしれない。幸いレイは合鍵を持っていて、気まぐれに勝手に入って来てベッドで寝ていたり、いない間に来たような痕跡があったりする。求められることも求めることもしないで、そのシーズンは存在だけで支えられているようなもの。悪いと思わないわけではないが、レイからそれについて寂しいとか辛いなどと言われたこともない。もちろん態度でも。
「私、そんなに殺気立っているの?」
「まぁね。私以外の人だったら、怖くて逃げだしているかも」
そんなに?どんなふうに映っているのだろうと考えていると、頬にひんやりとしたレイの手が添えられた。
「レイ」
「あと、今日みたいに、私の存在に気が付かないなんてことは頻繁だわ」
「……そう?」
「特に大きなコンサートのリハが始まりだしたら、本当に怖いくらい殺気立っている。名前を呼んでもまともな返事が来ないし、あんまりちゃんと食べないし、セックスもしないし、キスさえしない。カリカリしているとおもえば暗い顔をしている時もあるし、なんて声をかけたらいいのかわからないような顔なのよ」
もしかしてこれは、怒っているのかもしれない。
レイとはただ“恋人”というありきたりな表現では済まないくらい、魂を分けあう関係だと思っている。言葉ではなく、態度ではなく、精神を求め合い、認め合い、許しあえる。
そう言う関係だと。
「でもレイは……必ずその仕事が終わった夜は、私とセックスをするわ」
大きなコンサートが終わると、その興奮を抱いたままレイの待つマンションへ帰る。だから必ずツアーの千秋楽は東京ですると決めている。
「みちるさんが決めているルールなんじゃない?」
さっきから、レイは言葉を発してばかりで唇に触れさせてはくれない。いつもは積極的に会話を楽しむような方ではないのに、こんなに身体を密着させても、キスをする間を与えようとはしてくれない。

わざとだわ。

「でも、レイは嫌だと言わないわ」
「……そうだけど」
唇を寄せることを嫌がるように、横を向かれてしまう。華奢な首筋を見せてくるから、唇をそこへ這わせた。
「…んっ…ちょっと……」
ぐっと髪を引っ張られて、みちるはそれに抵抗をすることもできずに拒否を受け入れるしかない。
愛を感じたはずなのに。
「レイ?」
防音室に立てこもっているだろうということを知っていても来てくれたのに、存在を気にも留めずに1人分のコーヒーを淹れていたからだろうか。匂いが罪を強調するように鼻についた。
「たまには……」
「レイ?」
「………なんでもない」
今度はレイから漏れたため息。
人のため息を耳元で聞くと、胸がきゅっと握られたような感覚を持つ。
吐息にはない、口に出せない想いがあるという意図の込められた、ため息。
レイの気持ちを推し量ってあげられない方が、仕事のスランプより致命的かもしれない。
レイにこんなため息を吐かせるなんて。
レイにこんなに気を遣わせていたなんて。
まるで気が付かなかった。いや、そうされていたことに対して、当たり前のように思っていたところがある。
「みちるさんは、仕事が何よりも大事でしょう?」
「そんなわけないわ」
「仕事で感じたストレスを、私で晴らしている?」
「まさか」
「少なくとも、私の都合はあまり考慮されていない。でしょ?」
艶のある漆黒の髪に顔をうずめて否定を繰り返していたけれど、その質問に即座に返事をすることができなかった。その質問に対して答えを持っているのはみちるではなくレイ。
「……そうね。仕事を理由にレイの時間を私に合わせてもらっているものね」
社会人のみちるよりも、高校生のレイの方が何かと都合がつくことは分かっている。だからそれに乗りかかって、あるいは利用していると思われてもその通りだから否定しない。
「仕事の邪魔をする気はさらさらないけれど、……スランプの解消のためなの?」
そんな風に思われていたなんて。
そんな風に想わせたのはみちるのせいだ。
いいわけがうまく見当たらない。どこにも転がっていない。レイを安心させるための言葉も、違うという根拠も何も示すものがなかった。
今だって、スランプだからレイを抱き締めて触れたいという、心の隙があったのかもしれない。これがいつものようなコンサート前の追い込みの時期だったら、それこそレイが来ていてもずっと存在を忘れていた可能性が高い。
離れて欲しいと言いたそうに、身体を押してくる。
受け入れられていたはずなのに、愛しているという理由以外をはねつけるそれは、ちゃんとした現実だった。
「ごめんなさいね、レイ」
髪にキスを落として、沈んだ気分をレイから引き離す。見上げてくるその瞳は、まだまだ言い足りない気持ちを押し殺している。
「……スランプ、抜け出せるの?」
「大丈夫よ、……たぶん」
この少しの間、あれだけしつこかった曲が頭の中から消えていたようだ。
そもそも、何の仕事の途中だったかも飛んでいた。
それは要するに、レイの方が大切だとみちるの精神のすべてが答えを出している。
でも、それをちゃんと説明できそうにない。コンサートだとやることはひたすら練習と決まっているけれど、今回の仕事は創造なのだから、気持ちの持ち方が違う。
過去と現状の事実は仕事優先で、レイはその波間であると思われても仕方がないようなことばか
りなのだ。
「なら、いいけれど。あまり長引かせないで欲しいし」
喧嘩なんてしたことがないけれど、レイは今きっとものすごく文句を言いたい気持ちを押し殺しているのだろう。仲間には言いたいことをスパッという子なのに、みちるにはあんなに気持ちいいくらい、スパッと言ったりしてこない。
それが優しさであることは分かっている。そして、言いたいことを言わせてあげられないのはみちるのせいでもある。
「努力するわ」
「じゃぁ、……コーヒーを飲んで早く防音室に行かないとね」
そんな挑発的なことを言うなんて。行っても行かなくてもレイを不機嫌にさせるに違いない。
困らせることで責めるなんて、なかなか賢い頭を持っている。褒められたものではないけれど。
「今ね、曲のアレンジのお仕事で困っているのよ」
「そう」
起き上がったレイは、はらりと髪に指を通して鬱陶しそうに揺らした。乱れた制服のタイをピンと伸ばすしぐさは、まさか帰るつもりなのだろうか。
「あまりに調子が上がらないから、嫌になっていたんだけれど。レイに触れた瞬間、落ち込んだ気分が飛んでしまったの。やっぱり、私はレイがいないとダメね」
そんな事を言って、レイが嬉しい顔をしてくれるとも思っていない。
「それで?アイディアは湧き出たの?」
あえて言うなら、アイディアの扉を開いたところまで来ているような気はするけれど……
「キスをしたら湧き出るかも」
拒否されたことだと言うのに、みちるは言わずにはいられなかった。言わせているのはレイなんだからと心で言い訳をして。向かい会ってお互いの瞳に愛を写しているのに、触れないでいるなんて、そんなのを許せるわけがない。
「………はぁ…」
重なり合う愛の雫がそっぽむいて、ため息ひとつ吐かれてしまう。
みちるは肩をすくめた。冗談よって笑ってあげなければ。なんだかそんな風に想えた。自分の我儘に呆れかえる。
それでもレイはみちるの髪を掌に掬って、唇を寄せてくれた。レイの匂いが肌で感じられるだけで、身体が溶けてしまいそうになる。
「……レイ」
「みちるさんは、仕事の合間にいつも私を求めてくるけれど……」
おでこに冷たい唇の感触。
「……私がみちるさんをいつだって求めていることは、まるで無視」
「………レイ」
左の頬、耳たぶ。
はらりと漆黒の髪が重みでみちるの顔を覆うようになる。
抱きつきたいけれど、腕がなぜか動かない。
「私にだって、みちるさんを好きな時に愛する権利はあってもいいのに。……違う?」
「…その、……通りね」
唇がうなじを這ってゆく。たまらず身をよじらせながら、愛溢れるため息を押し殺した。
みちるの中の欲は、身体をレイの愛で濡らしたいと歌い出す。
「ヴァイオリニストのみちるさんのことも好きだけれど、時々……嫌いになりそう」
左の耳に降ったため息、温かい舌が耳たぶをあまがみしてくる。
「…ん…ぁ…」
「本当、……嫌いになりそうだわ」
それは骨にまで突き刺さるささやきだった。皮膚が熱を持ち始めたばかりなのに、与えてくれるはずの温度が逃げてゆく。うっすらと目を開けると、彼女はみちるを無表情で眺めるように見つめてきていた。
「レイ……何かあったの?」
あふれ出す情がゆっくりと冷めてゆく。冷やされた耳たぶに残る感触のせいで芽生えた情は、レイを欲しているのに。
「さぁ?……別に」
冷まされたかと思えば、また弱いところを責めてくる。冷たい手がシャツの中に入り込んで、くすぐるように指を躍らせる。それでも唇を重ねてくれようとはせずに、首筋をなぞり、鎖骨あたりを執拗に攻め立ててくるから。
「………ぁ……ん」
逃げだしたい気持ちと、逃げられないし、嫌ではないという想い。
鬱憤を晴らすようにレイがわざとみちるの弱いところだけを狙っていることへ、せめてもの抵抗にと声を出すのを耐えてみる。
レイの愛撫はいつも優しい。丁寧で繊細で、しなやかで芸術的。
でも、今はそれが一切排除されている。だからこれは言葉の通り、みちるへの罰なのだ。
それに抗議をする資格がないと悟ったみちるは、その罰を甘んじて受けて、レイの機嫌をなだめるしかない。
「……っ…」
ブラを強引にずらして、みちるの乳房で温められたレイの左手がスカートの中へと侵入してきた。
「やっ…待って…レイ。……ねぇ、レイ」
自分の身体のことだから、愛している人に触れられてしまえばどうなっているかくらいはわかる。
不安定な体制のソファーではなく、できればベッドに行きたい。そう誘おうと思ったのに。
「わかったわ。……じゃぁ、やめましょう」
愛に敏感な部分に少し触れたその指先が、あっという間にするりと逃げた。
「ぇ?」
待っての意味が“違う”のに何も声が出せない。逃げた漆黒の髪をつかむこともできない。涼しげな顔をされてしまうと、愛されたいと思った自分を哀れんでいるのではないかとさえ思う。
「コーヒー、冷めちゃうわよ。私も行くわ」
ソファーから下りて立ち上がったレイは、怒りとか呆れとかそういうことを顔には出さずに、顔見知りの人にする愛想笑いを浮かべている。
「…………レ、イ」
行かないでと言わなければという焦りが先走りして、唇だけが震えてちゃんと声が出せない。
「今日、夕方からうちの学校の大学の方にあるクリスマスツリーの点灯式があるの。はるかさんでも誘って行くわ。お仕事がんばって」

12月に入ったとたん、そう言えばテレビでも街中でもクリスマス一色だった。
そしてそのレイの言葉に、みちるは自分の失態にようやく気がついたのだ。

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Date:2014/08/13
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