【緋彩の瞳】 我儘と愛と ④

緋彩の瞳

みちる×レイ小説

我儘と愛と ④

黙々と食事を済ませ、レイはさっさと食器を洗浄器に入れると、リビングの床暖房を付けて寝そべり、本を読み始めた。みちるはそれをちらりと確認した後、レッスン室に籠ることにした。
夜明けの出来事のことを、少し拗ねてみせるくらいで終わらせるつもりだったけれど、記憶にないような態度のうえ、口で悪かったと言うほど、レイ自身は悪いなんて思っていないようだ。熟睡しているレイに対して、求めたみちるの方が悪いと、レイの中では決めてしまっているだろう。クラウンに行ったことも、クラウンに誘おうとしたことも、みちるがちゃんと言わない方が悪いと言いたげだった。つまらないことで腹を立てて、レイが美味しく夕食を味わうことを邪魔したことも、怒っているだろう。
そもそも、レイのことを愛しく思っているから。みちるだって我儘を言いたいことがあると、たまには我儘を受け入れてくれたらうれしいと、その程度の気持ちだけだ。結局はレイを不機嫌にさせたあげく、気持ちの半分も伝わっていない。
一日中散々練習しても、結局それで心が休まることなんてなかった。さっさと気持ちを切り替えておくべきだった。忘れたことにすればよかったのだろうか。それとも、かわいらしく拗ねて見せたりするべきだったのだろうか。その方が伝わったのだろうか。
楽譜に書かれてある音を奏でれば間違うことのない音楽は、だけどそれが100点満点ではない。愛することはそもそも、楽譜のように最低限の指南書すらない。だけど聴く人がいて成り立つ音楽と同じ。もちろん、1人で演奏をして1人で酔いしれることだってあるけれど、音楽の大前提は誰かを想う気持ちを言葉ではないもので表現したものだ。

明日の演奏はちゃんとできるだろうか。
レイを愛していないわけではないから、愛するという想いが減るわけではない。
だけど、レイがみちるのことをどう思っているのか。
面倒くさい相手だと思っているはずだから、そっけなくされてしまわないだろうか。
ムキになるんじゃなかった。ムキにさせるような言葉を使うべきではなかった。



時計は11時を指している。そろそろお風呂に入って、明日の準備をしておかなければ。冷える夜だから、早めにベッドに入ってしまいたい。
「レイ?」
レッスン室から出ると、バスルームで物音が聞こえてきた。お風呂の準備はすでに終わっているらしく、レイが洗面台で歯を磨きながら、ちらりとこちらを見てくる。今から入るつもりらしい。
口をゆすぎ、服を脱ぎ始めながら、何?と視線を投げかける。
「みちるさん、レッスンはもういいの?」
「……えぇ」
小さく身体を震わせながら、レイはバスルームに入っていった。一緒に入るつもりがないのかも。いつも当然のように入っていて、イチイチ一緒に入ろうなんて声を掛け合わないから、いつもと同じと言えば同じ。入ってもいいのか迷った。入りたくないと思って一瞥したのかもしれない。悩みながらも、着替えを取りに行き、シャワーの音がするバスルームに入った。レイはみちるに視線を投げることもしないで、丁寧に髪を洗っている。みちるはガラスで四方を囲まれた、独立しているシャワールームの方に入り直し、急いで髪や身体を洗って、レイの元に戻った。レイはまだ、身体の泡をすべて流し切っておらず、先にバスタブに腰を落ち着け、レイを迎えることになった。
対面して腰を下ろしても、うつむいて目を閉じられてしまう。
「…………はるかたち、みんな元気だった?」
「うん」
「……そう」
いつも、レイはみちるの膝の上にまたがって、甘えてくる。乳房をなぞってきたり鎖骨を甘噛みしてきて、お風呂の中で欲を高められて、ベッドの中で求め合うことがみちるは好き。レイの少し頬を赤くした、それでいて湯気で照れ隠しをする誘い方が可愛い。身体をくすぐってくることもあれば、いきなり指が足の間に入ってきたりすることもある。
こんな風に離れて向かい合うなんていうことは、今まで一度もない。
「……レイ……」
「ん?」
「………何でもない」
レイは一度も視線を合わせようとせず、こんなことなら一緒に入らなければよかったと、後悔しているみちるをよそに、先に上がると出て行った。服を着替え、ドライヤーの音が聞こえてくる。鉢合わせても会話なんて成立しないだろうし、何を言えばいいのかもわからない。言い過ぎた、ごめんねと言えばいいだけなのに。思いながらも、レイの気配が完全に消えてから、ゆっくりとバスルームを出た。
みちるがベッドルームに入ったころには、レイはすでに芋虫になっていた。




1度目のベルが鳴った瞬間、すぐに止めることができたのは、ほとんど眠れなかったからだ。どうせ眠れないだろうと思っていたら、本当にちゃんと眠れることはなく朝を迎えた。いつもより少し早目に設定した時計。隣のみちるさんはまだ、眠っているようだ。


寒い。


お風呂の栓をしてお湯を張り、何か朝食でもと思って冷蔵庫を開けた。
「……あ、ケーキ」
忘れていた。すっかり存在を消していたケーキの箱が主張してくる。ケーキと紅茶だけでもレイは構わないけれど、バランスとしては大丈夫なのだろうか。かといって、サラダとケーキってどうなんだろう。スープにケーキもおかしい気がする。とりあえず、ポットに紅茶の葉を入れて、お湯を沸かしている間に、野菜室の中にあった洋梨を取り出して、皮を剥いてお皿に並べた。
「レイ」
「あ……おはよう、みちるさん」
「どうしたの?」
「どうしたって……朝ごはん」
昨日のあの機嫌の悪さでは、今日の朝も昼も作ってくれたりしないだろうし、お願いできる立場でもない。お願いしたいとも思わない。かといって、何となく、コンビニ朝食もお気に召さない様子だったから、仕方なく自分で用意しようと思ったのだ。
「私が作るわ。お風呂に入ってきたら?」
「もう、用意できた。先に食べて、それからお風呂に入る。みちるさんも食べる?」
やかんが笛を鳴らすから、レイはお湯をティポットに注いだ。蒸らしている間に冷蔵庫からケーキの箱を取り出して、お皿に乗せる。
「どうしたの、これ」
「昨日買ったの。美味しそうだったから」
ミルクをレンジで温めて、2つのカップの中に入れ、紅茶を注ぐ。食べるかどうか返事を聞かなかったが、レイはイチゴタルトをみちるさんの前に置き、自分はマンゴータルトを取った。みちるさんはイチゴとかラズベリーとか、ベリー系のものが好きだっていうことは知っている。
「……ありがとう」
髪を一つに束ねながら、みちるさんは小さくつぶやいた。まだ、眠たいのだろうか。本当はこんなに早くに起きる必要がなかったのかもしれないが、起こしていないし、取りあえず食べ始めたからいいだろう。
「ミセス・ジュンコのタルトね」
「そうよ」
それでも、みちるさんが作ってくれるタルトの方が数倍美味しい。口に出そうとして、何だか機嫌を取っているみたいだし、催促しているようにも思えてやめておいた。今日は大切な演奏があるから、あまり刺激しない方がいい。夜も遅いようだし、たまには神社に帰って眠るのも悪くない。
こんなんじゃ、どこにいても熟睡できやしないだろう。
みちるさんの横で熟睡できない方がつらいことは確かだ。
「お弁当、ご飯の方がいいわね。サンドウィッチにしようかしらって思っていたんだけど」
気を遣ってくれなくてもいいのに。
レイは別に、作ってもらわなくても大丈夫なのに。
「要らないわ」
「要らないの?」
「食堂で食べるから、気にしないで」
フェアってどういうものだろう。レイが朝早く起きて、みちるさんのために何かしてあげることができれば、と思う。でもここはみちるさんのマンションで、居候みたいにしている時点で、すでにそこからフェアではない。せめて仕事がある日くらいは、みちるさんの自由に時間を遣ってくれたらいい。邪魔はしない。レイが欲しいのなら求めてくれていい。眠くても応える努力はしなければいけない。学校で眠ればいいこと……たぶん。でも、やっぱりちゃんとした記憶がなくて、相当よく寝ていたのだろうなということしか、結論が出せなかった。まぁ、でも、レイが悪いのだろう。普段、熟睡しているみちるさんを求めていたから、同じことをしたみちるさんだけが悪いとは、やはり主張しきれない。
気まぐれに求めることは、我慢すればいい。みちるさんの都合をもっと繊細に感じ取らなければ、不機嫌にさせてしまう。
愛って難しいわね、なんて心の中で思ってみる。
多少はレイだって、みちるさんに我儘を言っているという自覚もあるけれど、許されていたのは、みちるさんの寛大な心のおかげだったわけで、ついにその心が満タンになって零れ落ちてしまったらしい。
「……私がお弁当を作るのは、嫌なの?」
「嫌じゃないわ。でも、気を遣っているのなら、気にしないで。今日は本番なのでしょう?」
「好きで作っているのよ」
いつも、そう言われてきた。本当にそう思ってくれていたと知っている。だけど、昨日のあれを聞いてしまえば、これから毎日機嫌を伺いつつ朝昼夜について、作ってくれるのかくれないのか、確認しなければいけないと思うと、それは正直、レイの性格からして、もう、つらい作業なのだ。
感謝をしているし、今までだってずっとありがたいと思っていた。
「いいわ、大丈夫。夜は神社に帰るから」
「レイ?」
「だから今日の演奏、頑張ってね」
レイは結局、小学生並みに我儘なのだろう。欲しい愛のすべてをみちるさんからもらって、それだけで満足している。愛したいときに愛して、欲しい時に求めて、暖かい蒲団で寝て、起きたら朝食が並んでいる。
今更ながら、レイはみちるさんに何をしてあげられるのだろう。ケーキで機嫌を取ってみたところで、みちるさんがレイにしてくれることの半分も返せていない。
フェアなんて、自分から言い出しておいて、大丈夫だろうか。

考えただけで、吐きそう。


タルトを味わうことなく口の中に押し込んで、熱いミルクティーを飲み干す。
「……レイ。怒ってるの?」
「怒ってる?別に怒ってないわ」
「私が朝食を作ることも、お弁当を作ることも、もういらないの?」
「違うわ」
ただ、確認作業をしなければならないのがつらいだけ。これもレイの自分勝手なのだろうけれど。
「じゃぁ、何?」
「何って……別に」
「昨日もそうやって、はぐらかしたわ」
「説明をすることが難しいだけよ」
声に出して、どうやって伝えればいいのかがわからないし、うまく伝えられそうにない。レイの日ごろの我儘がみちるさんを不機嫌にさせたのだから、こうなったのだから仕方がない、なんていえばまた余計な火種を作るし、言いたいこととはちょっと違うような気もする。
「レイ、言いたいことがあるのでしょう?」
「ないわ」
言い放って、適切な言葉じゃないとバツの悪い気持ちになった。言いたいことはたくさんある。声に出して言えないから、セックスを求める。愛しいことも、大好きなことも、いつでもレイがみちるさんに縋り付いていることも、感謝していることも。言いたいことはたくさんある。
「………そう」
視線を逸らし続けていたから、みちるさんが怒っているのか呆れているのかはわからない。サクサクとタルトは美味しいはずなんだけど、途中から味がしなくなってしまった。


レイは食べ終わると、お風呂に入ってくるとリビングを出て行った。みちるは口の中にケーキを押し込んで、お弁当を作るかやめるかを悩んだ。レイは怒っているようにはみえない。だけど、柔らかくみちるを拒絶しているように思える。作って渡したら、嫌な顔をされてしまうだろう。要らないって言ったのに、なんて一言を必ず添えるに違いない。レイは昨日、食後にケーキを食べようと思って買っていたのだろうか。その気分を壊したことが気に食わないのかもしれない。本当は人に気を遣うことが得意ではないことはよくわかっている。過剰に繊細すぎるし優しすぎるせいでレイ自身が苦しむ思いをするから、自分から近づかないようにしているのだ。だからみちるはレイを甘やかせている。レイを我儘にさせたのはみちるだし、みちるが望んだ結果でもあるのは確かだ。
レイが言うようなフェアというほどのものが欲しいわけじゃない。
「……美味しいはずなのに」
タルトの味がよくわからなかった。好みを知っていて、迷うことなくイチゴタルトをみちるの前に置いてくれた。美味しいねって言い合って食べようとしてくれていたのなら、それを台無しにしたのはみちる1人のせいなのだろう。
重たい腰を上げて、冷蔵庫からお弁当のおかずになるようなものを取り出した。困る顔をされても、栄養バランスを考えたら学食よりはマシなのだ。夜、寝る前に夕食の作り置きもしなければと考えていたが、神社に戻ると言っていた。何を食べるのか心配。美奈子たちとジャンクフードを食べないでもらいたいし、インスタント食品なんかもやめてほしい。そんなことを考えながら、レイだって子供じゃないんだから、と自分に言い聞かせる。レイが何を食べようとそれは自由だし健康管理は自分でするべきだろう。だけど、残念ながらレイは自分の健康管理にびっくりするほど疎い。季節の変わり目になれば必ず体調を崩すのも、健康管理がまるでなっていないのが原因だと伝えても、体質だからで済ませる。付き合うようになって半同棲をしてから、少しは栄養バランスっていうものを覚えてもらえるようにはなってきている。風邪を引く回数も減った。スタイルは良かったが、少々痩せすぎて困っていたから、みちるが食べさせて、不安な細さも女性らしくなった。
昨日の夜に、朝食はご飯と思ってタイマーをかけていたからよかった。お弁当箱に急いで作ったおかず4品と朝食で手を付けていない果物、白いご飯の上に刻みのりと梅干を乗せる。スープジャーに豆腐とネギの味噌汁を入れ、ソファーの傍に置いてあるレイの鞄の横に置いた。みちるもそろそろ出ていく準備をしなければ。
レイが制服に着替え終わり出てきたのと入れ替わり、みちるも温かみの残るお風呂に浸かり、服を着替えた。マネージャーが迎えに来るのは8時前。
「みちるさん」
部屋で髪を梳き、化粧下地を肌に塗っていると、背中から声がした。
「なぁに?」
「要らないって言ったのに。気を遣わなくていいわ」
鏡越しのレイは、鞄とお弁当の入った袋を手にしている。
「気を遣ったんじゃないの。あなたの身体が心配だからよ」
「………そう。熟睡している私を起こすのは、また別なのね。……よくわかんない」
欲しい気持ちと、与えたい気持ち。
どちらも愛だって言いたい。
どちらもあるから、恋人同士なのよって。
みちるは振り返り、結局何をどういえばいいのかわからなくて、すぐに鏡に視線を戻した。
「行ってきます」
パタンと閉じた扉。鏡に映っている自分の顔が情けない。それでも見送ろうと廊下に出たら、レイは逃げるように扉の向こうへ出て行ってしまった。




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Date:2015/01/24
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