【緋彩の瞳】 傷跡 ⑥

緋彩の瞳

ポイ捨て小説

傷跡 ⑥

「おいしいです」
「そか、よかった」
はるかさんと言うみちるさんのお友達は、子供のような笑顔を見せた。ハンバーガーにかぶりついて、みちるさんの料理じゃないものを堪能して、揚げたてのポテトを口に入れる。
「お料理、上手ですね」
「そんな風に見えないって?」
「いえ。はるかさんは学生ですか?」
「ううん。モータースポーツ関係のプロ。モトクロスバイクとかオートバイとか」
「そうなんですね」
「でも、一応料理はするよ。かわいい女の子を家に連れてきて、おもてなしするんだ」
「あぁ、なるほど」
「おい、すごく納得した顔だな。冗談でしょ?って聞いてくれたらいいのに」
冗談だなんて思わなかった。ものすごくしっくりした内容だったけれど。レイは首を傾げて、それから頷くだけしかしない。
「はるかのそれは、半分はそのつもりでしょう?」
「おいおい、君まで?」
もしかしたら、みちるさんが付き合っていた人はこの人だったのだろうか。でも、みちるさんも料理でもてなしていたらしいから、違うような気もする。
「何?レイ。何か質問があるならどうぞ」
「いえ……。はるかさんの恋人って……」
ちらりとみちるさんを見てみた。その行動で、2人はレイが何を言いたいのかが分かったみたいだ。
「ないない。みちるはずっと1人だけしか興味がないんだ。だから、手を繋いだことさえないよ。興味の対象外」
「そうですか。いえ、別に知りたいとかそういうんじゃないです」
「そう?じゃぁ、僕に興味を持ってくれる?」
冗談のウインクを飛ばす、その頭をみちるさんはパシッと叩いた。
「はるか、追い出すわよ?」
「君は冗談も通じないんだなぁ」
いつも会話なんてほとんどしない食事だったから、笑う声が傍にあることが不思議な気持ちだ。嫌だと言うわけでもない。
「レイ、はるかなんて無視していいわ」
「いえ。あの……みちるさんと、仲がいいのね」
いつも心配そうな顔ばかりを見ていたので、テンポよくはるかさんと会話をするみちるさんが少し、新鮮に思えた。なんていうか、初めて、人にちゃんと興味を持ったような気がする。
「そう?まぁ、色々と付き合いが長いんだ。悪友ってやつ」
「そうですか」
「そう。レイも僕と悪友になる?」
「………考えておきます」
美味しい料理を作ってくれる人だから、悪い人でもないだろう。レイの過去を知っているはずだけど、この人は思い出させようとはしてこない。
「うん、じゃぁ、また遊びに来てもいいかな?」
「みちるさんが許可を出しているのなら」
「だってさ、みちる」
「………お好きになさい」
はるかさんは、アメリカで食べた本場のハンバーガーについて語り始めて、そのいろんな味を舌で覚えて一番おいしかったものを再現したんだと、自慢げだった。レイは頷いて聞いているだけだったけど、嫌な気持ちはなかった。
たぶん、楽しいって思っていた。


「また、何か作りに来てください」
「約束するよ。何かあったら、これ。みちるに内緒で電話頂戴」
はるかさんは、みちるさんが見ている目の前で紙切れをレイに渡してくれた。携帯電話の番号が書かれている。
「えっと、どうもありがとうございます」
玄関でウインク一つ飛ばすと、はるかさんは帰っていった。
「これ、どうしたらいい?」
「レイが要らないって思うなら捨てたらいいわ。持っておきたいのなら、役に立つ日が来るかもしれないわ」
「…………わかった」
レイが怪我をしていることを知っていて、帽子を買ってきてくれた人。
過去のレイを、今のレイが知らない火野レイを知っている人。
想い出させるような言動はなかった。何も望まれていないようだった。みちるさんに言われたのかもしれない。
「レイ、いい顔をしていたわ。少し外に出て、私以外の人と話をして、何か気持ちが変わった?」
みちるさんは髪を撫でて、小指で掬い取って絡めた。
「いい顔、してた?」
「えぇ」
「…………みちるさんがそういうなら、きっとそうだと思う。でも、前にいたところに帰りたいなんて、まったく思わない」
あの人が何者なのか、レイとどういう関係だったのかなんて、今のレイには無意味な情報も欲しくない。
「過去のために今のレイが傷つくことなんてないわ」
それでも、過去のレイを知っているみちるさんが今のレイを生かしている。
「誰も私を知らない、どこか遠いところでそっと生きていたい」
「そう。レイが望むのなら、そうしたらいいわ。生きたいと思ってくれるだけで、それでいいの」
東京じゃない、レイが行ったことのないどこかでなら、生きていけるかもしれない。そう思える。生きる目的だとか理由だとかそういうものを必要とせずに、ただ、淡々と。






服を着て、みちるさんが夕食を作ると立ち上がったので、その腕を引っ張った。
「みちるさん、私、夕食はいいわ」
「お腹、空いてない?」
「………うん。話があるの」
みちるさんはベッドに腰を下ろして、レイのワンピースの襟をそっと撫でた。
「嫌な思いばかりさせていて、ごめんなさいね」
「みちるさんが悪いわけじゃないわ。私が、勝手に悩んで勝手に不安になって、勝手に落ち込んだりしているだけだったのよ」
「でも、きちんとレイに誰と会うかまでは、告げていなかったものね。そのことで、ずいぶん不安にさせたみたいね」
クラウンで美奈にでも聞いたのだろう。美奈ならきっとみちるさんと2人きりになったら黙ってなどいないはずだ。別に言うな、なんていう気持ちはもうない。
「………私はみちるさんの恋人になんて、ふさわしくないわ」
「辛い思いをさせて、ごめんなさい」
「違うの。私……我儘だから。いろんなことがあって、そのたびに理解しているフリをして、信じているフリをして、でも本当はもっとちゃんと話して欲しいって思っていて。学校ではみちるさんはあのダンサーと付き合っているみたいに言われているし、自分が愛している人が、そうやって勝手に噂されている中で、何でもないフリをして……なんていうか…こんな感情を持ったままでいる自分自身がもう、嫌なのよ」
細くしなやかなその腕は、レイをきつく抱きしめてくれる。

この人を愛してる。
この人を愛していたい。

「悪かったわ。もう、辛い想いはさせないから」
「………みちるさんが悪いんじゃないの。私が悪いの」
「不安にさせたのは私よ」
「違う。私が勝手にそう思ったの。信じていればいいって思ってたけど、そんな風に大人になりきれない。みちるさんは、もっと落ち着いた、懐の深い人に支えてもらうべきだわ。私みたいに、みちるさんのすべてを欲しいなんて思わない、ちゃんと理解してくれる人がいいと思う」
「私は、レイしか愛していないわ」
「………私も、みちるさんのことが好き。ずっと愛していたいの。愛しいって想ったままでいたい。だから………恋人関係でいることは、もう終わらせたいの」
「嫌よ!」
左の耳に、みちるさんの悲鳴が響いた。震える腕はレイの腰をがっちりと掴んでいる。
このままこの人を殺して、自分も死のうかと思えるくらい。
愛しいと言う感情が心を犯してゆく。
「………私が悪いの。仕事はもうやめるわ。レイの傍にずっといるから」
「私は、ヴァイオリニストの海王みちるが大切なの。みちるさんから大切なものを奪いたい気持ちなんて持っていたくないし、私のせいでみちるさんがそんなことを想ったりすることも望んでいないの」
「でも……嫌、嫌よ。ヴァイオリンなんて、お金を稼ぐ手段じゃなくてもいいもの。レイが傍にいてくれたら、何もいらないの。レイだって、私がどれほどレイを愛しているか、知っているでしょう?」
深く愛してくれていることはわかっている。
それだけでいいって、自分に何度も言い聞かせたのに。
今度はきっと、みちるさんの何もかもを縛ってしまうことになる。
そして、みちるさんに嫌われてしまうだろう。
みちるさんはレイのものではないのだ。愛し合っていても、みちるさんの時間はレイのものじゃない。
「私、みちるさんにはヴァイオリニストであり続けてほしいし、ちゃんと支えてくれる人が傍にいてあげて、世界で活躍する人になって欲しい。私が傍にいると、みちるさんはこんな私のために気を遣って、辟易してしまうわ。何も語らなくても信じ続けてくれる素敵な人は、きっといるわ」
「レイじゃなきゃ嫌よ」
頬を伝う滴がレイの首筋を伝い、流れ落ちてゆく。
「…………私、やっと決めたの。みちるさんのことを愛している。嫌いになりたくないの。これしか、……これしか今の私にはできない」
みちるさんに関する情報は、噂にいろんな尾びれ背びれをつけて泳ぎ回るだろう。また、レイの知らない間に、勝手に週刊誌に何かが出るかもしれない。忘れたころにクラスメイトが話をしているのを聞いてしまうかもしれない。
それを笑って聞き逃せる自信がレイにはない。みちるさんには、大したことのない仕事の一部だとしても、そうやって言われれば、余計にもっとレイはみちるさんの何もかもを知っていたくて、縛りつけてしまいたくて、そんな気持ちを持っている自分が嫌でたまらなくなる。
そんなことを考えている恋人が、みちるさんにふさわしいはずもない。心から心配して、信じて、愛を貫く大人の対応ができる人でなければ。
「レイ、仕事はもうすぐ落ち着くから。それまで、会いたくないならそれでいいから。私、あなたを傷つけるようなことは二度としないわ。ちゃんと、レイに仕事の内容もすべて伝えるから。安心できるように気を付けるから……別れるなんて、言わないで」
みちるさんの慟哭のような嗚咽は、レイの身体を剣で切り刻むように痛めつけていく。この痛みを抱いて生きていかなければならない。だけど、この痛みがあれば、これからも生きていける気がする。

一度でも愛し合っていた人が、確かにいたと言うことを身体に刻めたのなら。

みちるさんは何度も嫌だと叫んで、レイの身体を離してはくれそうにない。
「……友達に戻りましょう。友達が嫌なら、それでもいい。ずっと、海王みちるというヴァイオリニストを応援する、1人のファンでいるから」
「嫌よ」
「……みちるさん」
「嫌。レイが傍にいてくれなきゃ、私、生きていけない」
「私は……これ以上みちるさんの傍にいたら……愛せなくなる」
みちるさんを愛している自分自身の気持ちでさえ、信じられなくなる。
「少し、距離を置くだけでもダメなの?」
「……私に問題があるのだから、そういうことじゃないわ」
嘆きの雨が身体に降り注ぐ。剣で刺された身体に、針のような雨を浴びる。
永遠にこの嘆きを忘れることはないだろう。
この罪を背負って、この愛だけで生きていける。
幸せになれないし、幸せを与える自信はない。そんな自分が嫌いで仕方がない。
「愛してる。ずっと、愛してる。………ごめんなさい、みちるさん。愛していたいから、別れたいの」
みちるさんは両手をだらりと落とした。レイは首に巻いていたお揃いのネックレスを外して、みちるさんの手のひらに入れた。
「…………私と別れたら、レイはもう、辛い想いから解放されるのね?」
真っ赤な瞳に見つめられると、何もかもを捨てて、この人の手を取って、どこかに逃げてしまいたくなる。そして世界の最果てに辿り着いたなら、一つの剣で互いの首を切ってしまいたい。
「我儘でごめん」
「…………いえ。レイの気持ちをちゃんとわかってあげられなかった、私のせいよ」
「違う。そんな風に想わないで。私の性格が悪いだけだから」
溢れる涙。レイは両手で頬を包み込んで、瞼にキスをした。ひんやりと冷たくて、しょっぱい。
「……………やり直せないの?」
「みちるさんを愛しいままでいさせて」
「………嫌われてしまった方が良かったわ」
「私を嫌っていいわ」
「無茶言わないで」
そっとみちるさんの髪を撫でて、ゆっくりと立ち上がった。もう、力ない腕はレイを引き留めることもしないだろう。
「週末は演奏会だったわね」
「……えぇ。来ないで。レイがどこかにいると思うと、演奏ができなくなってしまうわ」
「わかった」
「しばらく、演奏会には来ないで」
「そうするわ」


別れのキスをしようとしたけれど、
唇を重ねてしまえば、また決心が揺らぐ気がした



制服と少しの夏服を入れていた紙袋を手にすると、レイは部屋を出た。もらった鍵を靴箱の上に置き、静かに扉を閉じた。
みちるさんの前で一粒も出なかった涙が、今になって湧き、視界を奪うほど止めどなく溢れる。エレベーターの中で1人肩を震わせて涙をぬぐった。もう二度とみちるさんがほほ笑んでレイを見つめてくれることがない。
その道を選んだのは自分だ。その辛さよりも、不安でいることの苦しさの方が本当につらかったのだろうか。そう考えている時点で、自分の我儘が常にみちるさんを振り回すことに違いないのだと、思い知らされる。
縛りつけてしまうだろう。ヴァイオリニストとして生きていくみちるさんを、支える資格などない。

この命が終わるまで、みちるさんだけを愛してる
愛し続けていられる







一睡もすることなく、次の日の朝、みちるは事務所を訪れて、8月からの仕事をすべて白紙にするように懇願した。真っ赤に充血して、おそらく顔色もひどかったのだろう。事務所の人間はみちるを責めることなく、丁寧に事情を聞いてくる。
「演奏できる精神状態じゃないんです。本当は今日からのすべての仕事を白紙にしてほしいくらい。でも流石にそれは無理だと分かっています。お願いですから来月から休業をさせてください。無理ならクビにしてくださって、構いません」
何があったのか、何度も聞かれた。
口にするだけで、やっと泣き止んだと言うのに、またぼろぼろと涙が出そうになるから、言いたくはない。
「お願いです。今はとても、仕事ができる状態じゃないんです。ドタキャンするくらいなら、白紙にしてほしいんです。それを認めていただけないなら、もう、今日からのお仕事もしません。どうぞ、損害請求をなさってください」
そこまで言うと、渋々と受け入れてくれた。ずっとベッドルームで閉じこもっていたい気持ちを何とか奮い立たせて、這うようにして来たのだ。自分をだまして、今月だけでも仕事をこなさなければ。
レイを心配させたくない。




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Date:2015/02/12
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