【緋彩の瞳】 傷跡 ⑨

緋彩の瞳

ポイ捨て小説

傷跡 ⑨

18時半を回ったころ、美奈子から電話がかかってきた。
『大変な…ことに……なった……』
レイとの待ち合わせは18時だった。5分過ぎたころに一度、せつなが電話をしてくれたけれど、音は鳴っているが出てくれない。こっちに向かって走っているかもしれないからと、15分くらいまで待ちましょうと言った。レイは遅刻をしたりしない。二の足を踏んだのかも知れない。
「大変?何?」
『……バスにはねられた』
「え?」
20分を過ぎて、もう一度せつなが電話をする。電源は落とされていた。会いたくないと言う意思表示かも知れないと、いたたまれない想いがした。もう二度と会ってくれない。その覚悟をしなければならないと。頭を抱え込み、溜息しか吐けなかった。
『レイちゃんが……バスに』
「……レイ……レイが?」
『神社の前で。麻布十番総合病院に運ばれた。急いで来て』
携帯電話を持つ手が震え始める。持っていられずに足元に落ちて行った。
「みちる?レイがどうしたの?」
「バスに……はね、られ、たって……」
「えっ」
せつなは立ち上がったけれど、みちるは身体が動かなかった。引きずられて店を出て、タクシーに乗り込んでも、唇が震えて病院名が言えない。せつなはみちるの携帯を取り上げて、美奈子に電話を掛けなおしている。行先を告げた後、美奈子との会話を続けていた。
「レイ……レイ……レイ……」
「頭から血を流しているらしいわ。今、CTを撮っているって。死んでないわ。大丈夫よ」
「レイ、レイ……レイ……」
せつなに支えてもらい病院に入ると、見知った顔が全員揃っていた。
「みちる。脳に損傷はない。足と腰、腕や肩そういったところに怪我を負っているらしいけれど、それも大丈夫だって。今、頭の怪我の縫合してもらうところだ。腕はヒビと、手の甲が骨折だって」
美奈子と亜美が医者を捕まえて、髪の毛を剃らないでと叫んでいる声が耳に届く。
「レイ……命に別条はないのね?」
「大丈夫。安心して」
みちるはその場にへたり込んだ。動けなかった。
「どうして……どうしてはねられたの?」
まさか、自ら飛び込むなんてこと。待ち合わせをしておきながら、そんなことをするだろうか。
「目撃者がいる。気分悪そうにフラフラしていて、気を失ったように倒れたらしい。それが道路側で、バスの目の前に倒れこんだらしいんだ。幸い、バスは停車しようと減速していたから、命拾いをしたらしい。身体をフロントにぶつけて飛ばされたから、生きている。タイヤの下敷きになっていたら、死んでた」
まことやうさぎも一緒になって、髪を切らないでと叫ぶ声がフロアに響く。みちるは頭を振って立ち上がった。
「……よかった……」
「あぁ。今、レイに死なれたら困るんだ。僕らは君まで失うことになるから」
「………レイ……痛い思いをさせてしまって……私のせいだわ」
みちるのせいだ。みちるを心配して会おうとしてくれた。そんな予定を入れなければ、こんなことにならずに済んだのに。
「そんなことはいい。もう、起こったことだ。元気な顔を見せてあげて。そうしたら、レイも安心できるから」
ベンチに仲間と並んだ。久しぶりに会うみんなは、1人1人みちるの身体を抱きしめて、大丈夫だと囁いてくれる。この子たちがレイの傍にいてくれてよかった。レイとみちるをずっと見守っていてくれた。泣くのはよくないと、どれだけ言い聞かせても、勝手に涙は溢れては頬を伝う。7月に毎日泣き続けながら仕事をこなしていた時のように、無意識にこぼれる涙。
待合室以外の明かりがすべて消されたころ、レイを乗せたストレッチャーが出てきた。すぐにでも傍に寄りたかったけれど、できなかった。
レイのおじいちゃんと政治家の父親が、医者に呼ばれてレイを囲んでいる。

レイ

名前を呼んでいる身内の声に、レイはちゃんと応えてあげているのだろうか。

2人の肉親に付き添われて、レイは個室部屋へと向かう。みちるは立ち上がって、おじいちゃんに声をかけた。
「おじいちゃん」
「やぁ…すまんね、心配かけて」
「レイは大丈夫?」
「眠っておるらしい。大丈夫じゃ」
傍に近づいて顔を見た。真っ青な唇。最後に会った日に比べて、ずいぶんと細くなってしまっている。
「……レイ」
冷たい頬に手を添えた。呼吸する胸の上下。生きている。
愛しい人。みちるに愛というものを与えてくれた人。
みちるのすべてだった。
「また、見舞いに来てやってくれ。こいつの着替えなんて、わしはどこにあるかなんて知らんのでな」
「お任せください」
エレベーターに乗り込むレイを見送った。おじいちゃんと政治家が軽く頭を下げる。みちるは深く頭を下げた。




「全身の打撲と、左腕のヒビと手の甲の骨折。足も切っていて少し縫ったみたい。あと、やっぱり過労というか……血圧が凄く低いみたいなの。だから体を休めるには少し長く入院した方がいいかもしれないって」
亜美ちゃんの話を聞きながら、みちるさんはレイちゃんの部屋で、とても慣れている手つきで迷うことなく箪笥から寝巻や下着を出していた。おじいちゃんにはできないだろう。
「みんながお願いしていた髪は?大丈夫だったのよね?」
せつなさんが確認するから、美奈子が力強く頷いて見せる。
「えぇ。頭の怪我は深くないみたい。ただ、数か所にわたっていたから、あちこち点々と剃っちゃったみたいだけど。それは仕方がないわ」
全部剃られたら、レイちゃんは誰にも会ってくれなくなるだろう。いつだったか、レイちゃんが髪を伸ばしている理由を聞いたことがある。レイちゃんのママは病気がちで、外で遊んだりしてくれなかったけど、いつも、髪を丁寧に梳いてくれて優しく撫でてくれていた。その時間がとても好きで、短くすると、その思い出がなくなりそうだって。確か、そんなことを言っていた。だから、レイちゃんの髪を剃るなんてこと、させてはならなかった。
レイちゃんのママとの思い出。鏡を見て、髪を梳くたびにきっと、レイちゃんはママを想っているはずだから。
「あの子……レイ、髪を伸ばしているのは、死んだお母様との大切な思い出を忘れないためなの。剃られてしまえば、きっと悲しんだはずだわ」
「うん、そうだね」
やっぱりみちるさんも知っていたみたいだ。レイちゃんがよく使っていた旅行鞄に着替えやタオルを詰め込むと、美奈子の前にどんと置いた。
「取りあえず明日、持っていてあげて」
「みちるさんは?」
「会いたいけれど……レイの状況を見て、レイが私に会いたいという意思を示してくれたのなら、会いに行くわ。顔を見たくないって思うかもしれないもの」
美奈子にはどうすることが正解なのかがわからない。
「せつなさん、どうする?」
「みちるの意見を尊重しましょう。レイが元気になるために、みちるもヴァイオリンを再開させてくれるでしょう?」
「………えぇ」
せつなさんの言葉に、頷かない選択肢なんてない。みちるさんは、レイちゃんのために一日でも早く仕事を再開させなければならない。
「みちるさんに会いたいってレイちゃんが言ったら、すぐに連絡する。飛んできてよね」
「もちろんよ」
怪我で弱っているからって、2人が元のさやに納まると言うことはないだろうけれど、それでも前を向いて生きなければならないと思ってくれたら。

それでも、それはそう簡単に行かないということを、次の日に思い知らされたのだった。





「え?検査ですか?」
学校が終わってからすぐに、レイちゃんの服を持って病院に行くと、部屋には誰もいなかった。ナースに確認をしに行くと、検査中だと言われた。部屋でじっと待っていると、ストレッチャーに乗せられたままのレイちゃんが戻ってくる。
「レイちゃん」
美奈子はうさぎと一緒に傍に近づいたけれど、レイちゃんは何も反応なんてしてくれないで、ずっと天井を見つめたままだ。
「お友達ですか?」
「はい。レイちゃんの着替えを持ってきました。おじいちゃんにお願いをされて」
「そうですか。ご家族の方は、夜に来られると言っていたけれど?」
ナースに聞かれても、美奈子もうさぎもおじいちゃんから何も聞いていない。行くとか行かないとか。そういうことは何も。
「来るかもしれないけれど、私たちは何も」
「そう。火野さん、疲れているみたいだから、少し寝かせておいてあげてね」
「顔を見ているだけでも、ダメですか?」
「できれば、そっとしておいてあげて」
そういわれてしまうと、ただ手を握っていたいと言う想いも簡単にかなえられそうにない。
「レイちゃん、痛いんだね。すぐに良くなるといいね」
うさぎは包帯の巻かれてある頭を、優しく柔らかく撫でる。
「………誰?」
「レイちゃん?」
「誰?」
瞳はちゃんとうさぎを捉えている。うさぎはレイちゃんの顔に自分の顔を近づけて、子供に言い聞かせるように
「うさぎだよ」
と笑った。
「………何が?」
「は?」
「うさぎって、何が?あなたは?」
「………えっと…美奈P、何か、レイちゃん……様子がおかしいよ」
傍で見ていて、おかしいなんて言うことは言われなくてもわかる。
「すみません、看護師さん。レイちゃんの頭の怪我は、問題なかったんですよね?」
「詳しいことは、先生からご家族にお話しをされますから、お友達は、火野さんのご家族から教えてもらってください。」
疲れているので、休ませてあげてとさらに念を押されてしまった。つまりは出ていけっていうこと。美奈子はレイちゃんの右手を握りしめて、甲にキスを落とした。冷たい、とても冷たい手だった。



「真之が海堂君を連れて、様子を見に行くと言っておった。あとから連絡が来るはずじゃ」
神社に行っておじいちゃんを捕まえると、やっぱりレイちゃんのパパじゃないと話を聞けないみたいだった。
「レイちゃん、私たちが誰なのかわかっていないみたいな感じだった。頭打ったからかな?」
「そんな風になってたのか?疲れて愛想悪いだけじゃないのか?」
「ううん……うさぎの名前がわからなかった」
「そうか。真之に聞いておくよ。また、明日になったらケロッとしておるわい」
おじいちゃんは豪快に笑ったけれど、本当にそうならば安心できる。
明日は土曜日。美奈子は朝におじいちゃんを訪ねるから、ちゃんと話を聞いておいてと伝えておいた。みちるさんには、まだ、このことは伝えないでおこう。少し気が動転しているだけなんだって、思いたい。




「自分の名前がわからない?」
「あぁ。真之を見ても、知らないって。記憶の混乱というのは、まれにあるそうじゃ。昨日、念のために再検査をしたが、脳に異常はない。でも、安心していいらしい。ほとんどが数日で回復するんだと。案外、今日になったら戻っているかもしれんな」
おじいちゃんは深刻そうな顔をしていない。美奈子はみんなと顔を見合わせて、眉をひそめた。
「取りあえず、お見舞いに行こうか。その、今日になって本当に様子が変わっているかもしれないし」
美奈子の言葉にも、誰?と言われたうさぎは辛そうにうなずくだけ。
「私たちが希望を持たないでどうすんのよ!」
美奈子はうさぎのお尻を叩いて、大声を出した。気合いを入れなければ。






ノックの音で目を開けた。どうぞと言う言葉を待たずにゾロゾロと入ってくる女の子たち。
「レイちゃん!」
また、そう呼ばれる。看護師さんたちは“火野さん”と呼んできて、昨日来た人は“レイ”と呼んでいた。医者から“火野レイ”という名前だと言われたけれど、自分がそんな名前を付けられていると言うことが、理解できなかった。自分の名前がわからない。目の前に立っている人が誰なのかわからない。ここがどこなのかもわからない。どうして身体中が痛くて、寝かされているのかもわからない。


自分に一体何が起こってしまったのか、何もわからない。

少し混乱しているだけで、数日したら、少しずつ思い出すと医者に言われたけれど、次の日に目が覚めても、何も、閃いたりはしなかった。
「レイちゃん、具合どう?頭とか腕、痛いよね」
見知らぬ女の子たちが笑顔で声をかけてくる。寝かされているベッドを取り囲んでしまった。


怖い


「………あなたたちは?」
「思い出さない?えっと、私は愛野美奈子」
「月野うさぎ」
「水野亜美」
「木野まことだよ」

名前を言われたところで、何もわからない。

「それで?……何ですか?」
「えっと……思い出さない?」
「あなたたちは、私の何ですか?」
ベッドを囲んで何をしたいのだろう。思い出さなければ、この恐怖から逃れられないのだろうか。でも、何もわからない。
「えっと。私たちは、レイちゃんの大親友だよ。お見舞いに来たんだ」
「大親友?」
「そうだよ。みんなずっとずっと、いつでもレイちゃんの傍にいたんだ。思い出さない?」
さっき、最後に自己紹介をした人、名前を覚えられなかったけれど、その人が顔を覗き込んでくる。思わず、ナースコールを押しそうになった。
「わかりません……あの、何ですか?その、寄ってたかって」
「あ、ごめん」
「まだ、記憶が混乱しているのね」
「可愛そうに」
「でも、絶対思い出すよね」
同情と励ましと、期待のようなものがレイの身体に降ってくる。
「レイちゃん、みちるさんは?海王みちるというヴァイオリニストの名前、思い出さない?」
髪に赤いリボンをつけている人が、また知らない名前を聞いてくる。
「誰ですか?」
「海王みちる。レイちゃんが凄く愛……いや、えっと、凄く仲の良かった人だよ」
「………誰ですか?わからないです。誰の名前を言われても、何もわからないし、誰の顔も浮かびません」
昨日の夜、男の人が来て、確か父親だと言っていた。肉親らしいその人の顔を見ても、まったくわからなかった。肉親がわからないのに、次から次に名前を言われたって、分かるはずもない。自分の名前が火野レイと言うことだって、それが本当なのかもわからないのに。
「レイちゃん、みちるさんだよ?海王みちる。毎日毎日一緒にいた海王みちる」
「……すみませんが、何も思い出せないんです。あまり、いろんな人の名前を出さないでもらえませんか」
痛みのない右手で顔を覆った。ジンジンと痛む左腕は動かせない。
「美奈子ちゃん。数日は様子を見ましょう。あんまり色々聞くと、レイちゃんも疲れちゃうわ」
誰かの声がまた振ってくる。顔と名前と声。

すべて知らない。

「……うん。ごめん、いろいろ聞いて。あの、その、レイちゃんの着替えとか持ってきているよ。あと、何か欲しい?えっと、入院に必要って言われたもの、さっき買ってきたんだ。コップとか歯ブラシとか。ここの部屋はお風呂付いているから、あとでお風呂セットも買わないと。シャンプーはみちるさんに聞いて、レイちゃんが愛用してるやつでも、買ってくるよ」
昨日の父親だと言う人は、お世話をしてくれそうにないのだろうか。
母親はどこにいるのだろうか。
母親はどうして、ここに来ないのだろうか。
「レイちゃん。あの、また、明日来る。欲しいものとか、遠慮なく言って。私たちはずっと、ずっとどんな時も、レイちゃんの仲間で、親友だよ。きっと思い出すわ」
息の詰まる思いがする。みんながレイと呼ぶ。どうして、レイと呼ぶのかが分からない。
「レイちゃん、とにかくゆっくり休んで」
「レイちゃん」
「レイちゃん」


 
名前を言われてもわからない
自分のことも、この人たちのことも、父親も



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Date:2015/02/13
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