【緋彩の瞳】 傷跡 ⑭

緋彩の瞳

ポイ捨て小説

傷跡 ⑭

散歩から帰って、30分ほど最後に練習をして、みちるはレイの前に立った。レイは背筋を伸ばして、楽しそうにみちるを見つめてくれる。
1か月前、誰も何も見つめようとしなかった。
その瞳が未来を見つめ、光り輝こうとしている。
「じゃぁ、レイのために。プレゼントのお返しね」
拍手ができない代わりに、レイは右手で膝を叩いてくれた。
誰もが知っているクリスマスソング、クリスマスによく聞く定番の曲を連続して演奏した。
ツリーや飾りつけはしていないけれど、それでも、テーブルにはブッシュ・ド・ノエルと紅茶があって、雰囲気は恋人同士のクリスマスみたいだわ、とみちるは思った。
そう、思っていたかった。
1曲1曲レイはあの頃と同じような瞳で、みちるを見つめてきてくれた。
レイはみちるを愛していないのに。
「あの曲、演奏してもらえるの?」
「………えぇ。はるかにお願いして、伴奏だけのCDを送ってもらっていたから」
リモコンで再生ボタンを押すと、ゆっくりと波の音が遠くから聞こえてくる。
弦を抑えている指先が震え始めた。弓を持つ右手が、ヴァイオリンへと向かってくれない。
「……ごめんなさい、やり直し」
伴奏のCDを一度止めた。
「みちるさん?」
「少し待って」
「……うん」
一度レイに背中を向けた。深く息を吸って、ここは舞台の上だと自分に言い聞かせて空気を吐き出す。
今のレイには、みちるの感情なんて何の関係もない。


ただ、曲を聴きたい。
それだけだから。



「大丈夫?」
「え?えぇ、大丈夫よ」
みちるさんは、何度も深呼吸を繰り返していた。楽しそうにクリスマスの曲を演奏していたのに、どうしてしまったのだろう。
「何か、思い入れとかがあるの?それとも、実は難しいとか?」
レイがCDで聴いていた限りでは、すごく難しそうには感じなかった。むしろとてもシンプルで、何度も繰り返し聞きたくなるような、とても柔らかい曲。
「そうね……この曲は、私が初めて自分で作った曲なの」
「そうなの?」
「えぇ。去年の今頃だったかしら」
振り返ったみちるさんは、改めて深呼吸意をした。かすかに指先が震えている。ずっとヴァイオリンを休んでいるのはそれが理由なのかしら、なんて考えてみたけれど、勝手に決めつけてもいけない気がした。
テーブルの向こう、みちるさんは俯いて震えが収まるのを待っている。
「私、みちるさんのヴァイオリン好きよ」
励ますべきなのかどうかはわからないけれど、とても好きだと言うことは伝えておかないといけないと思えた。
「……ありがとう。私は一度、プロ失格の烙印を自分で腕に刻んだの。ちょっと、それを思い出してしまっただけ。でも、大丈夫」
どうしてそんなことになったのか、それは聞けない。きっと、過去の火野レイは知っていることだろう。周りがとても仲が良かったと言っていたから、励ましたりしていたことかもしれない。
「嫌なら、無理しないで」
「大丈夫」
みちるさんは力なく笑って見せて、それから肩を上下に動かした後、もう一度再生ボタンを押した。


柔らかくて優しい音色
CDで聴いたものよりも、はるかに心に響く音
弓を動かすその立ち振る舞いは、とても綺麗
真っ白いキャンパスに、色を付けてくれるような
どんな思いでこの曲を作ったのか、とても知りたいって思いたくなるようなメロディ
誰かを想っていたのかも知れない
そんな感情が確かに乗せられている

3分半の曲が終わり、みちるさんは最後の音が消えたあと、ゆっくりとレイに頭を下げた。
「……すごい。みちるさんは、とても素敵なヴァイオリニストね」
「ありがとう」
「私、手が痛くなければいっぱい拍手するのに」
「その想いだけで十分よ」
少しだけ、泣いているように見えた。この曲にだけ、特別な思いを込めているのは間違いない。それを分かってあげられないし、レイが過去を忘れたりしなければ、とても仲が良かったのならば、その想いのすべてを分かってあげられただろう。
だから、何もそれについては聞かない方がいい。
「ありがとう、聴かせてくれて」
「こちらこそ」
それから、みちるさんとケーキを食べて、夕食は豪華な料理を作ってもらって、いつも通りにお風呂に入り、いつも通りに、みちるさんはマッサージをして、ストレッチを手伝ってくれた。

昨日の夜に、寝たふりをしていたレイにかけた言葉を直接言われるようなこともなく、みちるさんは、お休みなさいと頭を撫でて、電気を消して部屋を出て行った。



別荘だから、特に大掃除などする理由もなく、また、頻繁にお手伝いさんが掃除をしに来ているから、年末まではいつも通りに過ごした。年越しにお蕎麦を食べて、それからみちるさんはおせち料理を作って、元旦を迎えた。
新年のあいさつをお互いにして、それからレイはおじいちゃんに挨拶をしなければと、思い出した。
「今は、とても忙しくしている時間かも知れないわ。自宅の電話には出られないかもしれないわね」
「……そっか」
「神社に直接かけてみる?もしかしたら、出てくれるかもしれないわ」
みちるさんは、パソコンで火川神社の代表番号を探してくれて、携帯電話で数字を押した。レイは繋がる前に電話を受け取り、機械音が呼び出すのを繰り返して心臓をドキドキさせている。
『へい、らっしゃい!火川神社です!ハッピー・ニューイヤー!』
凄く元気な女の子が、とても神社とは思えないような粋のいい声を出す。それが漏れて聞こえたのか、みちるさんが電話を取り上げてしまった。
「なんて下品なの?美奈子、品位を落とすような電話対応はおやめなさい」
みちるさんは相手が誰なのかわかったらしい。美奈子、という人。確か、あの沢山いた人の中に、そんな名前の人がいた。火野レイのことをよく知っていて、仲間だってキラキラした瞳でレイを見ていた人。
『みちるさん?!みちるさんなの?!久しぶりじゃない!元気?レイちゃんは?』
「……どうして?どうしてその人が、そこにいるの?」
どうしてレイが住んでいたところにいるのだろう。お正月だと言うのに。まさか、ずっといたのだろうか。
「美奈子、おじいちゃんは?あとでもいいから捕まえて、私の携帯電話にかけて欲しいの。おねがいね」
みちるさんは、”美奈子“という人にそう告げて、電話を切ってしまった。
元気?っていう問いかけにも答えずに。
「ごめんなさい、レイ。想定していなかったわ」
心底申し訳ないと言った様子で、レイに謝ってくる。みちるさんは何も悪くないのに。
「………ちょっとびっくりしたけれど、別に、大丈夫。でも、どうしてあの人がお正月に神社にいたの?」
「アルバイトだと思うわ。たまに、忙しい時期に手伝いをしていたから」
「そう………私がいないのに、それでも、あの人たちはあの場所に行くのね」
そして、帰ってきてくれるってきっと信じている。
火野レイが、あの場所に必ず帰ってくるって。


“仲間”だよって。


「おじいちゃんが、あの子たちを気に入っているの」
「…………私がいつか思い出してくれるって、信じているんでしょう?」
悲しませる顔は見たくはないけれど、いつまでも期待を持たせていることがとてもかわいそうで仕方がない。静かにあの場所から消えてしまっても、それでも……
それでもあの子たちは待ち続けるような気がした。
「レイ。ごめんなさい。でも、美奈子たちの心の中から、レイは消えたりしないの。あなたが思い出さなくてもいいわ。だけど…………」
紡ぐ言葉を選ぶように、みちるさんの瞳は右往左往している。みちるさんもあの人たちのことを大切に想っているだろうから、困らせるようなことを言わない方がいいに決まっている。
だから早く、みんなが会えないような場所に行ってしまいたい。
「みちるさん」
「あの子たちを………許してあげて……」
みちるさんはレイのことを引き寄せて、その腕で抱きしめた。とても温かくて、頬に当たる柔らかなウェーヴはいい匂いがする。人に抱きしめてもらうと言う記憶は、みちるさんだけしかない。

レイは、火野レイは過去にどんな人に抱きしめられてきたのだろう。
誰かを好きになったり、誰かを愛したり、誰かと手を繋いだりしていたのだろうか。

なぜ、そんなことを考えてしまうのだろ。

「許してだなんて……それは私のセリフなの。何もかもを忘れてしまった私のことを、どうか許して欲しい」
「許すも何も、あなたは何一つ悪くないわ」
頬をくすぐる柔らかい髪。背中に腕を回して、少しだけ身体を預けた。
本当はきっと、みちるさんが一番、火野レイのことを大切に想っている。



『愛してるわ、レイ。このままずっと傍にいて』



「………みちるさん、私……私、火野レイのことを誰も知らない場所で、生きていこうと思ってる。東京じゃなくて、ここでもなくて、誰も、誰1人、私の過去を、私が失くした過去を知っている人がいない場所で。これ以上、いろんな人を悲しませることも、期待をさせてしまうことも、出来ないの」
レイができることは、もうそれしかない。真っ白な過去とあの人たちの期待を背負って、いつか、きっといつかと願われながら、共有できない想い出を語り合えない場所では、生きていけない。

「レイはちゃんと、生きていける?」
「死なないわ。誰かを悲しませたくないから、もう……たとえ私には何もなくても、みんなの中に思い出がたくさんあるのなら、私が死んだら、悲しむだろうから」
「つまり、………私も傍にいられないのね?」


『愛してるわ、レイ。このままずっと傍にいて』


数十日を一緒に過ごした短いレイの記憶の中で、初めて抱きしめてくれた。
だけど、みちるさんが愛しているのは、みちるさんの記憶の中にある火野レイなのだろう。
それに、同じ気持ちを、レイはみちるさんにあげることができそうにない。
愛しているという感情が、どういうものなのかがわからない。

「とても感謝しているの。本当に感謝している。みちるさんがいてくれたおかげで、生きていてもいいって思えたから。でも、私がいたら、みちるさんのお仕事の邪魔になるわ」
「私は好きでレイの傍にいるのに。ヴァイオリンなんて、単なる趣味でいいわ」
「でも……あんなすばらしい演奏は、もっと、世界中の人に聞かせてあげるべきだわ。私は、みちるさんを応援して生きていきたいって思う。迷惑をかけられないわ」




『愛してるわ、レイ。このままずっと傍にいて』


あの言葉が心に染みてくる
だけどあの言葉は、このレイのための言葉ではない



「………やっぱり、同じことを言うのね」
みちるさんはレイをそっと放して、涙をぬぐうことなくその瞳で見つめてくれた。
その瞳はどこか懐かしい。そんな思いがする。

懐かしい?

壊されてしまった、記憶の扉の一片が少し組み立てられたのだろうか。
だからと言って、みちるさんがかつてどんな時にこんな瞳でレイを見つめてくれたのかは、わからない。


「やっぱり?」
「何でもないわ。レイの人生よ。レイが思い描く未来はレイのものだわ。どんなことがあっても、生きて、幸せになってくれるのなら、私は……私たちにとってはそれが一番よ」
レイはまだ、包帯の取れない左手でみちるさんの濡れた頬を包んだ。
ひんやりとした頬。
指先を濡らす涙。

涙。

みちるさんが悲しいって思っているのは、火野レイという人間と沢山思い出を共有しているからだ。その火野レイがその過去を壊して、遠い場所に行ってしまうからだ。
今のレイとの短い思い出よりも、もっと長く深い思い出。
記憶さえなくさなければ、ずっとこれからも傍にいるはずだったに違いない。


『愛してるわ、レイ。このままずっと傍にいて』


あの言葉は、かつての火野レイにそう告げたのだろう。

その時、火野レイはみちるさんに何て答えてあげたのだろうか。


ふと、はるかさんのことが脳裏をよぎった。
あの人は女の人を恋愛の対象と見ていると言っていた。
だけど、まさか。
はるかさんとみちるさんは違う。
みちるさんはきっと、はるかさんがそういう人だって知っているだろうけれど、知っているということと、みちるさん自身のことは無関係。

きっとみちるさんの使っていた愛しているという言葉は、とても大切な仲間だとか、親友だとか、そういう感情。

「みちるさん、本当にありがとう。私、おじいちゃんのお仕事が落ち着く頃に、ちゃんと話をして、おじいちゃんとお父さんと、これからのことを話すわ」

生きて欲しいと願ってくれたみちるさんに、レイが返してあげられる答えは、生きていくということ。

「そうね………傍にいられないって、ずいぶん前にわかっていたことだもの」
みちるさんは呟いた。
そしていつものように優しく髪を撫でてくれる。
「昨日、おせち料理を頑張って作ったの。さぁ、食べましょう。お餅も焼いて」
「うん」
零れ落ちる涙が、痛い。

とても痛い。

失ってしまった過去は、火野レイの傍にずっといたいと願ってくれるほどの過去は
どれほどみちるさんにとって大切なものだったのだろう。
本当は、みちるさんこそ、一番レイが避けなければいけない人だったのかも知れない。
それでも、過去を失ったレイを許して、抱きしめてくれた。
火野レイを愛しているから。
その思い出が身体から剥がされてしまっても、それでもみちるさんにとっては火野レイなのだから。


何もしてあげられない。
いや、してあげられることは、傍にいないことしかない。
いつか、火野レイという人が本当に、過去の思い出になってしまうまで。



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Date:2015/02/15
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