【緋彩の瞳】 傷跡 ⑮

緋彩の瞳

ポイ捨て小説

傷跡 ⑮

落ち葉もほとんどない火川神社。長く住んでいたと言われても、やっぱりどこに何があるのかは、思い出さなかった。みちるさんに連れられて、レイはおじいちゃんの元に帰ってきた。
「レイ。おー、元気そうだ。なんだ、ちょっと太ったな。うん、それでもまだ、もっと食べた方がいいなぁ」
「こんにちは、おじいちゃん」
とてもにこやかに、おじいちゃんはレイを迎えてくれた。レイは丁寧に頭を下げる。
「なんじゃい、そんな形式ばったことをせんでいい。楽しく過ごしてきたか?」
「はい。みちるさんには、とてもお世話になりました」
「そうかそうか。まぁ、寒いから家に入んなさい。みちるさんも」
付いてきてくれたみちるさんは、小さく首を振った。
「おじいちゃん、私はこれで。レイがおじいちゃんに大切なお話があるって言っているから、聞いてあげて欲しいの。レイ、この家に泊まりたくなかったら、迎えに来るわ」
「わかった。ありがとう、みちるさん」
みちるさんは乗ってきたタクシーで、神社から離れていった。
もう、あんまり会わない方がいいかも知れない。そんな気持ちになった。
会えば会うほど、みちるさんはきっと、悲しいとか辛いとか寂しいとか、そういう気持ちを我慢して、今のレイを応援する言葉を口にしてくれるだろう。



おじいちゃんを一人にさせるのは、きっと悪いことだけど、レイの希望をちゃんと聞き入れてくれた。レイの父親に話をつけて、どこか寮があるような学校に転校するか、海外留学ができないか、探してくれると言う。
どうせなら、遠い場所がいい。少なくとも関東じゃないところがいい。
「好きにしなさい。だけどレイ、お前はわしの孫じゃ。その事実は変えられないよ。そしてレイが今生きているということは、お前には間違いなく今日まで生きてきたという轍があるということじゃ。記憶にないことだろうが、レイは多くの人に愛されて、必要とされ、また、多くの人に助けられてきたから、生きてこられたんじゃ。何もかもを忘れてしまったことは苦しいじゃろう。だけどな、レイ。たとえ記憶からなくなったとしても、その人たちにちゃんと感謝をしなさい。人は愛がなくては生きていけない。レイが受けた愛はとてもとても深い。そのことに感謝をせずに逃げ出すと言うことは、それが一番あの子たちを悲しませることじゃ」
「………はい、おじいちゃん」
「お前は真っ直ぐじゃ。いつも真っ直ぐに生きてきた。その根が変えられんから、そうやって、自分から茨の道だというのに、突き進むしかできん。それも人生じゃ、進みたいのなら進めばよい」
皺がたくさん入ったおじいちゃんの手。ぽんぽんと頭を叩かれた。
「ありがとうございます、おじいちゃん」
手をついて深く頭を下げた。転校するとか、留学をするにしても、すぐと言うわけにはいかないだろう。
「行先が決まるまでは、またあの子の世話になるか?ここにいるか?」
「……いえ。ホテルかどこか…」
「それはダメだ。高校生が1人でそんな場所に泊まるなど」
「でもこの家は、あの子たちが来ます」
ここにレイがいたら、きっと幸せそうな顔をして取り囲むだろう。そしていろんなことを聞かれるに違いない。
「安心しなさい。あの子たちにはわしが連絡するまで来ないようにと言ってある。せいぜい、お前の顔を知る近所の人たちが境内をウロウロするくらいじゃ」
「……そうですか」
「レイがいない間、レイの部屋を掃除して、神社の仕事を手伝って、毎日わしが寂しくないようにと、みんな会いに来てくれておった。これから、一生をかけても、あれほど素晴らしい仲間にはもう、出会えないはずじゃ。だから、新しくあの子たちとちゃんと友達になっておきなさい。あの子たちは命を擲ってでも、お前のことを愛してくれる人たちじゃ」
「でもそれは……あの子たちが愛している火野レイは、それは……私ではありません」
「馬鹿者。お前がレイじゃなければ、お前は誰じゃ?」

それは、レイが知りたい。
“レイ”とみんなが呼ぶこの魂は、一体なんだと言うのだろうか。

「………それが、わからないから……」
「お前は火野レイじゃ。何も失っておらん。思い出せないだけじゃ。そんなのは大したことじゃない。思い出せんと言ってゲラゲラ笑っておればよいものを。真っ直ぐで生真面目なところはどうも、お前の父親にそっくりじゃ。まぁ、好きにすればいい。お前が遠くへ行ったところで、あの子たちは少しもレイを忘れたりはしない」
そんな風に考えられたらどれほど楽か。
笑って、覚えていないって、それだけで済ませるほど、火野レイという人生は軽いものだったのだろうか。
キラキラと眩しい瞳に囲まれて、愛しているという言葉をもらって、大事に想われていた火野レイの人生を忘れることは、それは火野レイを殺してしまったことと何が違うと言うのだろうか。
「おじいちゃんは……私がお母さんという人やお父さんという人や、おじいちゃんと過ごした日々を何も覚えていないことは平気ですか?」
「平気じゃ。何も痛くもない。わしを勝手にかわいそうなおじいちゃんにせんでくれ。お前は勝手に不幸になって、勝手に周りが不幸だと決めつけておる」
おじいちゃんは仕事に戻ると言って、部屋を出て行った。レイはそのまましばらく立てなくて、ぼんやりと時計の針の音を聞いていた。


今更、思い出せないのって笑えるわけがないじゃない。


記憶にない時に知り合った人たちと、どんな口調で話をしていたのか、どんな共通の話題があるのか、些細なことのすべてがわからないと言うのに、それでも笑ってだなんて。

それができたら……
「……何も失っていない……か」
怪我をして入院していた頃、ずっと過去を思い出そうと試みて、結局何一つ思い出せなくて、最初の1週間で思い出すという努力を放棄した。いろんな人が写真や思い出話をしてくれた。母親が赤ちゃんの自分を抱いている写真も、仲間たちと撮ったたくさんの写真も、夏休みにみんなで遊んだと言う思い出も。どれも何も、心に残っていなかった。
思い出したいという気持ちも、その時に失った。
知れば知るほど、その過去のすべては知らないことでしかない。
それが苦痛になっていった。


家中を歩き回って、自分の部屋に辿り着いた。きれいに整理整頓された部屋。机の上も塵が溜まっておらず、掃除をしてくれているというのは本当だった。見覚えのない本棚には、歴史小説や古典文学が並んでいて、雑誌のようなものも端の方に毎月号が揃っている。それらの中から1冊を抜き取った。音楽雑誌だ。ドックイヤーがつけられていて、そこを捲ってみた。
「……みちるさんの記事」
他の雑誌もいくつかドッグイヤーが折られていて、そこには写真付きのインタビューだけじゃなくて、些細なリサイタル情報の数行だけ、アルバムのレビュー、そういうものでも、きちんと火野レイが情報を把握していることがうかがえた。雑誌の一番古いものは2年ほど前のものだ。部屋を見渡して、押し入れを開けてみる。季節ものの洋服らしいケースが並んでいる。反対側を開けると、鞄やスーツケースなどが置かれていた。あまりたくさんのものを持っている様子はない。勉強机に向かい、椅子に腰を下ろしてみた。初めて見る景色だった。机の上には、学校の鞄が置かれている。それを開けて中を見た。ペンケースに教科書。ノート。開いてみても、自分が書いた記憶がない字がたくさん並んでいる。鞄を足元にどけて、引出しを開けてみた。そこには携帯電話と腕時計、財布、定期入れ、そして封筒が入っていた。
携帯電話を取り出して、電源を入れても動かない。完全に電池切れになっている。あたりを見回しても、充電するものが見当たらない。レイなら充電器をどこに置くだろうか。考えてコンセント付近や、他の引き出しを開いてみた。だけどすぐに目に入るようなところにはなかった。腕時計は時を刻んでいて、財布の中には現金が4万円と小銭。定期入れにはバスの定期が入っていて、期限は切れていた。
そして、ピンクの封筒。中は誕生日カードだった。去年の日付で4月17日という文字、そして『愛してる』と手書きで書かれている。
送り主の名前はない。封筒にも書かれていない。
これは誰がくれたものだろうか。父親なのか、あるいは、もしかしたらレイは、その時に誰かと付き合っていたなんていうことがあるのだろうか。
火野レイの恋人だという人物は、入院しているときに現れたりしなかった。と言うことは、これをもらった後に別れてしまったのを、未練がましく持っていたのか、それとも、恋人ではない別の誰かがくれたものだろうか。
相手を特定できる情報は何もなさそうだ。でも、わかったところで、今のレイに何ができるのだろうか。勝手に知識として、そうだった、って思うくらいのことだと言うのに。
もし、事故に遭ったときに付き合っていたのなら、一番に飛んでくるだろう。だから、仮に恋人から貰ったものだとしても、終わっている人だと考えてもいい。だけど火野レイと言う人は、誰かから愛していると言われる人だったのだ。自分のことなのに、うらやましくもあった。そして、少しほっとした。誰からも嫌われているような人物ではない。ほかの引き出しを開けると、アルバムが出てきた。開くと、あの仲間と言っていた子たちがピースサインをしている。その中に火野レイも交じっていた。めくるたびにあの子たちと火野レイ。めくるたびに、春夏秋冬と景色が違っても、あの子たち。2冊目から、みちるさんたちが加わった。はるかさんと、もう一人の女性。名前は思い出せない。恋人らしい男の人と撮ったようなものが1枚も出てこなかった。ほとんどの写真では、隣にみちるさんがいる。仲間に囲まれて、とても幸せそうな笑顔。かつてレイは、こうやって笑って生きてきた。彼女たち以外の人物が写っている写真が出てこない。それほどに、きっと彼女たちを必要として生きてきたのだろう。大切にしていたに違いない。
「…………同じ……ものだわ」
何度もめくって、レイとみちるさんが隣同士ばかりの写真が続き、ふと、途中から2人の胸元のアクセサリーがお揃いであることに気が付いた。同じデザインだ。それぞれがアップで写し出されているものを見比べてみると、上下に並んでいる宝石2つの順番は違うけれど、それ以外はすべて同じだった。ほかの仲間たちの胸元には、特にそういうものは見当たらない。最初の方の写真ではレイは付けていなかった。
どちらかが同じものを送ったというよりは、同じ時期に着け始めたということなのだろうか。もちろん、今のレイはつけていないし、みちるさんも付けていなかったと思う。
「どういう……」

『僕ならねぇ……うーん。恋人だったらアクセサリーとかランジェリーとか身に着けるものをあげるだろうけれど、そうじゃないなら、手袋とかマフラーとか、寒い時に使うものかな』

はるかさんが、恋人にアクセサリーを送ると言っていた。
でもそれは、あのはるかさんだからだ。

経緯なんて聞かなければ何もわからない。何か理由があって、あるいはすごく仲が良くて、そういうことをしただけかもしれない。

写真をすべて見て、仲間たちと幸せそうにしている火野レイを見て、彼女たちが必死になってレイを、かつての火野レイを思い出させようと病院に通ってくれた気持ちが、今になってやっとわかった。あの時は、同じような写真を見せられても、本当に怖くて怖くて仕方がなかった。思い出してと言われても、何を忘れているのか、頭の中で整理ができず、ただただ怖かった。
毎日知らない人が順番に訪れて、思い出話を聞かせてくれて。逃れられない拷問みたいな気持だった。


「………こんなにたくさん笑っているのに、一つも記憶に残してないのね」
今、レイは見せつけられたのではなく、自発的に過去を覗いている。
それでも、何ひとつ彼女たちの声や温度を思い出せるようなことはなかった。
だけど、このアルバムはここを離れても持っていこう。
そんなこと、1時間ほど前までは、まったく考えていなかったのに。
この部屋にすら入ることもないだろうと思っていたのに。

死にたいと思い詰めた場所に、1人でいる。

ベッドに腰を下ろす。寝転がって見上げる天井にも見覚えはない。起き上がって、棚に置かれているCDデッキの電源を入れた。入れっぱなしのCDの再生ボタンを押すと、ヴァイオリンのメロディが聞こえてきた。
「……趣味は合うわけ、か」
デッキの横には、レイがあの家で聴いていたものと同じCDが並んでいて、それ以外にも真っ白いCDに手書きで日付と場所が書かれているものが沢山。コンサートとかを録音したものらしかった。その日付の数字を見て、どこかで見たと思った。みちるさんの文字なのだから、何度か見たことはあるだろうけれど、それとは違う。レイはそのCDと、机の引き出しに入っていた誕生日カードを並べた。
日付の書き方が、癖が、ほとんど同じものだ。

「………まさか………」
それはあり得ないと、レイはすぐに仮説を打ち消した。
火野レイと海王みちるは、そういう関係だった、だなんて。
もし、もし万が一そうだったのなら、みちるさんは真っ先にそれを言うだろう。思い出してって、レイに懇願するに違いない。恋人を忘れるなんて言うことがあってはならないのだ。みちるさんはレイに想い出させる権利があるし、レイは思い出さなければならない義務がある。
そもそも、レイは……女の人をそういう風に……
でも、火野レイはどうだったのだろう。
火野レイは、写真の中でお揃いのネックレスをして笑っている火野レイは。


確認を取った方がいいことなのだろうか。やっぱり、過去なんて調べなければよかった。おじいちゃんの言葉を聞いて、胸に突き刺さるその想いがレイをこの部屋に連れてきてくれた。それでも、今のレイが知らなくていいことが、やっぱりこの部屋にはあったのだ。
「………でも、すごく仲がよかったら、みちるさんは音楽家だし、愛してるって書くことくらいは普通のことなのかも」
きっと、お金持ちの人だから、海外生活とか経験があって、そういう言葉をごく普通に口にすることだってあるだろう。レイは自分にそう言い聞かせた。

行先が決まるまでは、この神社のこの部屋で暮らすことにした。みちるさんのお世話になるということが、何となくできなかった。家の中を掃除したり、部屋でみちるさんのCDを聴きながら、ぼんやりと過ごした。
“仲間”たちはおじいちゃんの言う通り、誰一人来ない。

静かな孤独を抱いて、淡々と今を生きている。夕方、みちるさんから電話が入って、一日をどんな風に過ごしたかなんていう報告をするくらい。
食事を作りに行くと言ってくれたけれど、お手伝いさんがいて、大丈夫だと断った。
みちるさんが火野レイのことを大切に想ってくれていたのに、今のレイが何も返すものを持っていないことが、今更ながら、やっぱり心苦しく思えてならない。



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Date:2015/02/15
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