【緋彩の瞳】 傷跡 ⑰

緋彩の瞳

ポイ捨て小説

傷跡 ⑰

「みちる、入るわよ?」
せつなは返事を聞くつもりはなく、ノックしてすぐに扉を開けた。
「………何?」
流石にベッドの中にうずくまっていると言うことはなかったけれど、少し意識をどこか過去の幸せな時間に奪われていたようだった。
「何って。部屋を探しに行くから、ついてきてって言ったのは、みちるでしょう?」
「あぁ……、そうだったわね」
「しっかりしなさい。仕事を再開させるって、自分から言い出したのよ。そのための一歩でしょう?」
せつなのマンションは、防音設備のある部屋がない。ヴァイオリンを再び手にするようになれば、嫌でもみちるは出ていくだろうと思っていた。レイを保護してしばらく東京にはいなかったが、帰ってきてから、みちるは仕事を再開させる決断をした。しかしそれは、仕事を好きで再開させるというような雰囲気ではなく、おそらく、じっとしていることの方が怖いというか、何か、必死な様子だった。
ともあれ、それでも、レイが愛したヴァイオリンを、みちるはまた手にするのだ。何もかも忘れてしまったレイだけど、これで、あの事故の前にようやく戻った。今のレイも、みちるの演奏をとても気に入っていて、是非お仕事を再開させてとお願いをされているらしい。

あの頃と同じように。

せつなは、もうレイは二度とまともに口をきけないのではないか、と考えていた。衝動的に首を括ったのは、思い詰めるあの変えようもない性格が故であろうけれど、それでもレイは、とてもこれからの未来を楽しく生きたいなどと、願うことはないだろうと思っていた。みちるがレイを連れて東京を離れる時も、みちるは責任を強く感じているようだったし、あの別れを忘れたままのレイと、もう一度最初から、ただ、傍にいると言う関係でも構わないから、やり直そうとしていることも、気持ちはわからないではなかった。
過去をなくして、どうやって生きればいいのかわからないレイも、そんなレイをそれでも愛しているみちるも、どちらもせつなにとっては、平等に愛しい。
はるかは、あんまり長い間みちるにレイを任せない方がいいと、心配していた。
記憶を失ったままのレイが誰かに恋をしたり、レイの好きなことを自由にさせる権利を、きっとみちるが奪ってしまうだろう、と。
別れた二人は、少し離れた距離で、互いの幸せを願う関係だったはずだ。
せっかく2人とも、その距離で生きて行こうとした矢先だった。

みちるには、2度目の別れ……いや、3度と数えるべきだろうか。

レイは東京からなるべく遠く離れた場所に行きたいと願っていて、そして、帰ってくるつもりもないだろう。もしかしたら、いつか帰ってくるかもしれない。けれど、その時に誰かと結婚していたり、あるいは恋人がいるということもあるかもしれない。
それでも、みちるとレイは恋人同士ではない。

あのレイなら、おそらく誰かほかの人と付き合うなんて言うこともなかったはずだ。
それでも、1人で生きてくよりは、誰かを愛して愛されていた方がいいに決まっている。

だからみちるも、レイが傍にいない人生が幸せであるように、生きなければならない。
まだ若い2人が、将来を悲観してばかりいるのはもったいないことだ。

「……服を着替えるわ」
「10分しか待たないわよ」
15分待って、部屋を出てきたみちるに文句を言わず、手を引いてマンションを出た。みちるが希望する防音設備のあるマンションなんて、それほど沢山はない。
知り合いの不動産業者と、いくつか選んでもらっていた場所を一緒に見るアポイントを取っている。
「ここ、火川神社の近くね」
「……あぁ、本当だわ」
「どうする?やめておく?」
せつなは、3部屋のうち、麻布十番にある高級マンションの部屋の間取りをみちるに見せた。
「部屋の条件は悪くないから、見ておくわ」
「そう?じゃぁ、ここから見て回りましょう」
おそらく、みちるはここにするだろう。これからも、美奈子たちは定期的に神社に集まるし、仲間たちと離れた街にいたくないはずだ。
案の定、みちるは部屋に入って防音室を確かめたら、すぐに契約の準備に入ると業者に伝えていた。1人では広すぎる3LDKのマンションを借りて、ちゃんと優雅に生活してくれるだろうか。
「帰りに、レイの様子を見に行く?」
「そうね……1週間顔を見ていないものね」
電話は1日に1度、みちるから掛けている。元気そうな様子ではあるけれど、みちるが差し入れを持っていくとか、身の回りの世話をしに行くと言うことを断られている。
レイはレイなりに、別れの準備を進めているのかも知れない。
「私は待っているから、あなただけでも顔を見てきたら?嫌がられることはないでしょうし」
「……そうね」
神社の駐車場に車を止めて、せつなはおじいちゃんを探し、みちるはレイの部屋に向かった。



「ごめんください」
玄関を開けて、声を上げた。静まり返っている。遠くから、パタパタとスリッパの音が近づいてきた。
「あら、いらっしゃいませ」
「ごきげんよう。レイは?」
お手伝いさんが笑顔で近づいてきて、来客用スリッパを出してくれた。
「お出かけになりましたよ。近所の地図を手にして」
「そうですか」
みちるはレイのいない部屋に入った。何も変わらない部屋。枕元に置かれてあったはずのCDデッキがコタツ机の上に置かれて、みちるのCDが無造作に置かれている。


嬉しくて
苦しくて
そして、とても悲しかった


みちるは、一体何をしているのだろう
みちるは、レイとどうしたいのだろう
今、みちるが愛しているレイは、みちるを愛した過去すらないのに


何事もなかったように、レイと愛し合う日々がずっと続いていたならば、と
その未練の中に閉じこもっていて、その希望の幻を抱いているだけ


付き合う前、仕事帰りに顔を出したら、みんなが机に向かって勉強をしていた。お勉強を教えてあげるなんていう口実で、よくレイの部屋を訪れていた。
片想いのあの頃、片想いだと信じていたあの頃に戻れたら。
ずっとずっと、安心して好きでいられたあの頃に戻れたら。
無条件で傍にいられる仲間に戻れたら。
それでも、レイと愛し合ったあの夢のような日々は、身体中に忘れられないように刻まれている。
夢に溺れ
夢に侵され
夢に落ちて
夢が散って
愛し合う日々はみちるの記憶にだけ残ってしまった
もうあの幸せは二度と、みちるの身体を包み込んだりはしない


だけど、生きなければならない

生きると言う目的は、何のためにあるのだろうか。
みちるにとっては、あの頃のみちるにとっては、レイという人のために人生があった。
ただ、レイと生きて行く。レイと生きる未来だけしか、考えていなかった。

「……世の中には、どうしようもないことがあるものね」

主のいない部屋。静かで寒い部屋。
未練がましくも、レイがいなくなっても、きっとここに来てしまうだろう。
仲間たちと一緒になって、レイは元気でやっているかしら、って話しをしに来てしまうだろう。

いつか、帰ってくるかもなんて、少しだけの期待を胸に。



無造作に置かれているCDの下に、ピンクの封筒が挟まっていた。
みちるがレイにあげた、誕生日プレゼントに添えたカード。開いてみると、愛してると一言書かれていた。あの頃のレイが、これを大切に持っていたのだろう。
そしてレイは、このカードの送り主が誰なのか、知ってしまったのだろうか。
みちるの名前を書いていないそのカード。みちるだと分からなかったのならば、たとえばその送り主を探したいなんていう気持ちを持ったりしたのだろうか。
今のレイには、何も覚えのない2人の関係。

知られてしまえば、もぅ二度と会ってくれなくなるかもしれない。
気持ち悪いと思われる可能性は高い。
女性同士の恋愛を、今のレイがどう考えているかはわからない。
みちるがレイを愛していると言う気持ちに気づかれてしまえば、レイはみちるを軽蔑し、嫌悪しかねない。

忘れられると言うことは、そういうことなのだ。

愛してほしいという1ミリの願いを叶えたいと言う淡い想いは瞬間に消え、嫌いにならないでという願いが急激に増していく。

とっさに、みちるはそのカードをコートのポケットにしまった。
携帯電話。レイの携帯電話の中に、どんなメールが入っているのだろうか。引出しを開けても見当たらず、充電器にも立てかけられていない。充電をしていたと言うことは、持って出て行っている。
「……今更、嫌われたところで……同じなのに」
それでも、愛さなくてもいいから、あの2か月一緒に過ごした日々さえ、嫌悪感に変えられることは避けたい。
過去を知りたいとレイが携帯電話の履歴を調べたりしないように、祈るしかない。


こんな矛盾を抱かなければならないなんて




「みちる?どうしたの?」
「……何でもないわ。レイはお散歩に行ってるって。部屋にいなかったの」
「そうみたいね。おじいちゃんがさっき、そう言っていたわ。毎日部屋に閉じこもっているから、追い出してやったって。この時間だったら、美奈子たちも学校でしょ?誰にも会わないから、絶対大丈夫だって言ったら、出て行ってくれたんですって」
ポケットに手を入れたまま、みちるは俯いている。その頭を撫でて、肩を叩いた。
「戻りましょう。ランチ、どこかで食べる?レインツリーに行く?」
「………相変わらずね。荒治療にもほどがあってよ?」
「そうかしら?私は普通に美味しいものを食べたいの。いい加減、過去に囚われるのはやめた方がいいわ。常に明日のことを考えなさいな」
みちるは引きつった笑みを見せて、レインツリーに行きましょうと、少し緊張した声で告げた。

みちるさんのCDを聴きながら、ぼんやりとカードの送り主について考えていたはずだった。字はみちるさんとそっくりだし、たぶん彼女なのだろうけれど、誕生日にどういう想いでこのカードをくれたのかが、わからなかった。
わからないし、知ってしまうことが怖いと思いながら、それでも捨てることも、置いてこの家を出ていくことも、どちらもできないような気がしていた。
本人に聞いてみるしかないのだろうか。
本人が否定したら、ただ字がそっくりなだけだろうし、本人なら、“そうなんだ”って思うくらい。今更、その時にどんな感情だったかって知っても、凄く仲がいい友達だったと周りの人たちが認めていたのだから、深い意味があるだなんて、レイの考え過ぎだろう。
あの美奈子さんだって、レイに向かって大好きだと言っていたくらいなのだから。
「………あれ?」
神社に無事に帰ってこられた。あんまり記憶にないはずなのに、地図を見て歩くと、すんなりと散歩できた。身体が覚えていたりするのだろうか。この部屋には慣れていないはずなのに。道の歩き方はそれほど困難ではなかった。そして、平日の昼に出たから、レイと同じ年くらいの人なんてどこにもいなかった。誰もレイの名前を呼ぶ人がいなかった。
気を付けてさえいれば、この街にいるから苦しいと言うことはないのかもしれない。
息苦しいと思っていたのは、たぶんレイが呼吸をする方法を間違えていたせいだろう。
閉じこもっていてばかりいないで、外に出なさいと、おじいちゃんが追い出した荒治療は、レイの今を苦しめるものではなかった。
「あれ?」
カードを入れた封筒を、確か机の上に置いたはずだった。CDを整理して端に寄せ、デッキを持ち上げてみる。念のために机の引き出しを開けたけれど、見当たらなかった。
「……持って出た?…」
手に持って、何度も眺めていた間に、無意識に鞄やポケットにしまったのだろうか。だけどどちらからも出てこない。まさか、持って出て落としたなんてこと……
そんなはずはない。ありえない。靴を履いた時、両手には何も持っていなかった。まだ包帯をしている片手で、気を付けながら靴を履いていた。その時は手に何も持っていなかった。
家にいるお手伝いさんは、レイの部屋には近づかない。学校がある時間帯だから、あの人たちの誰も、ここには来ない。
……確か、みちるさんは高校生ではない。はるかさんも。
どちらかが家に来て、あのカードだけを持って行ったのだろうか。部屋を見渡しても、他に何を取られたのかということは、判断が付かない。細かく調べたりもできない。

電話して、聞いた方がいいのか。
それとも、レイの元にあれがあったら嫌だと思ったのか。
それなら、気が付いていない振りをした方がいいのか。


「………結局、過去がないと、どうやって人と接したらいいのかわからないわ、おじいちゃん」


みちるさんのことは、一緒に生活をした2か月だけしか知らない。でもレイは、感謝をしているし、沢山迷惑をかけた以上、あの人にいつか、恩を返さなければならない義務がある。
みちるさんは、何もわからなくていいと言ってくれた。過去のことを思い出せなくてもいいと。そういうことを言っていた人が持ち去ったとしたならば、あのカードは強くみちるさんとレイを結び付けるものだと言うことなのだろうか。
引出しの中に入ってあるアルバムはそのまま、持ち去られていない。
みちるさんと仲良く写っている写真も、美奈子さんと頬を寄せ合っている写真も、火野レイは同じように幸せそう。


「…………知りたくない……知る必要なんてないでしょ、レイ」

知りたくなかったことから、知ってはいけないことに、いつの間にかなっているような気がする。

ここは、火野レイが使っていた部屋で、今のレイにとって思い出が詰まっているような場所じゃない。だから、一つ何かがなくなったところで、困ったりしない。







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Date:2015/02/16
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