【緋彩の瞳】 傷跡 ⑱

緋彩の瞳

ポイ捨て小説

傷跡 ⑱

夏休みの間は、麻布を離れてうさぎたちとペンションで過ごした。そんなことをしたいなんて望んでいなかったけれど、食事を取らず、ろくに眠れない日々が続き、たぶんそれらのせいで外見に影響が出てきたらしく、美奈が腕を掴んで引きずるようにして、山奥に連れ出してくれた。5人で自炊をして、川で遊んで、花火をして、宿題をして、枕を並べて眠る。うさぎは夏休みに衛さんが帰ってくるはずなのに、麻布に戻ろうともしないし、話題にも出していなかった。亜美ちゃんは通っている予備校の夏期講習にも行きそうにない。美奈もまこちゃんも、いつもずっと、レイの傍を離れようとはしない。
その愛にあふれる優しさがとても痛くて、とても苦しくて、だけどやっぱり縋るしかなかった。愛している自信に満ち溢れて幸せだったころのように、笑い合えたら楽になれるのに。だけど、大丈夫って笑って返せない日々ばかりが続く。それでも、美奈たちの愛は深くて、強くて。泣いて、別れたくないと言ってくれたみちるさんの願いを、自分の都合で切り捨てた人間など、軽蔑してもいいはずなのに。みちるさんだって大切な仲間なのだから。レイを責めることもなく、むしろ励まそうと一生懸命になってくれる。
みちるさんには、せつなさんとはるかさんが傍にいてくれている。
これだけ周りに迷惑をかけるだなんて、思ってもみなかった。
放っておいてくれないのは、それだけレイと、そしてみちるさんも普通じゃなくなっていると言うことだ。

毎日、寝たふりをする日々。毎日、大丈夫だって声に出してアピールする日々。別れを切り出したのはレイの方で、みんなが心配するべきなのはみちるさんなのに。
みちるさんを苦しめたレイに、みんなはとても優しくしてくれる。


本当は、みちるさんと別れたあの日で、レイの未来は終わった。
膝を抱えてうずくまり、みちるさんの何もかもを信じてあげられなくなって、こんな自分の何もかもが嫌で、じっと終わった世界を生きて行こうって思っていた。
みちるさんに、レイはふさわしくなかった。音楽家として生きているみちるさんには、レイみたいに、何もかもを欲しがり、独占したい気持ちを持っている人間が傍にいない方がいいに決まっている。我儘なくせに、大人ぶって理解をしてあげるフリをしたところで、そうやって我慢をしているということを、無意識に周りにアピールしてしまう愚かさが惨めだった。
みちるさんは、仕事の何もかもをレイに言う必要はないと思っていて、レイがそんなの嫌だと言ってしまえば、過剰に気を遣わせることは目に見えている。実際、別れ話をしたときに、みちるさんは仕事を辞めると口にしていた。そういう風な考えを持たせたくなかった。
レイが離れるしかなかった。
未来を捨ててしまった方が、お互いに楽になれる気がしてならなかった。
いや、レイが楽になりたかった。



実際、別れてからはみちるさんの噂や仕事のことを気にすることも、自分自身の子供じみた感情に辟易することはもくなった。
だけど、みちるさんの声や温もりを二度と感じることができない世界は、数年前とはがらりと景色を変えていて、息をすることさえ困難だった。夢の中でみちるさんの名前を叫び、求め、さまよい。朝になれば、涙を流すみちるさんの最後の姿がレイのベッドの上にあるように見えてしまう。
愛してくれていたのに。
我儘をすべてぶつけて、無理難題を押し付けて嫌われて、顔も見たくないって振られてしまった方が良かったのではないか。
どうしてそういう風にしなかったのだろうか。
幻に、ごめんなさいって言い続けても仕方がないことなのに。
仲間は、レイがしたことを誰一人責めたりしてくれない。
みちるさんを傷つけたことを、ののしったりしない。
悪者にされた方が楽になれると、思いたいくらいに。



みちるさんは夏の間、仕事をしていないらしかった。ペンションにいる間は、みちるさんの仕事についてはあんまり聞かないようにしていたけれど、9月になり、忙しくなり始めるシーズンに入っても、美奈の話では、長期休暇になっているようだ。それはレイと別れたせいだと言うことは、みんなの気遣いだけでよくわかる。一つも悪くないみちるさんが、レイのせいで仕事ができないなんて、そんなことを望んでいない。望んでいないことだけれど、レイが浅はかだったのだろう。
傷つけるだけ傷つけて、自分が楽になることしか頭になくて、自分が好きでいるために離れて、みちるさんの想いや辛さなんて、こんな風になるだなんて、思い至らなかった。
別れてしまえば、レイに気を遣うことなく、重荷を背負うことなく、愛の鎖で身体を縛ることなく、みちるさんは、自由になれるはずだと思っていた。

あれだけ海王みちるというヴァイオリニストの話題で盛り上がっていた学校も、みちるさんという名前やダンサーとの熱愛だなんて、なかったかのように、落ち着きを取り戻していた。世間もみんな、そんな熱愛報道があったことなんて、覚えてさえいないかのようだ。これから先に、どんな熱愛報道や噂が待ち受けているのかと悩み、振り回され、みちるさんを信じられなくなるかもしれないと、そう思っていた未来は、レイの想像する世界ではなかった。
それはみちるさんが仕事を休んでしまっているせいかもしれないし、世間のふわふわした噂の風は、気まぐれに吹くのをやめてしまっただけなのかもしれない。
それでも、肝心のみちるさんが仕事を再開させたということを、美奈からも誰からも情報として入ってこないまま、10月になった。

『レイ。元気?』
1週間に一度、せつなさんが電話をくれる。今、みちるさんと一緒に住んでいる。
「大丈夫。みちるさんは?お仕事……まだ休みなの?」
『どうかしらね?レイが心配しているって言うことを伝えてはいるし、あの子もそれはわかっているはずよ』
「…………ごめん。私が……でも、こんなに長い間仕事を休んでしまったら……」
『そうね。レイは恋人の海王みちるじゃなくて、ヴァイオリニストの海王みちるを選んだものね』
「そうなのかしら……いえ、そうなんだろうけれど」
それは、そういえば綺麗に聞こえるけれど、ヴァイオリニストの海王みちるは、レイの恋人じゃない方がいいと思っただけで、結局それは選んだのではなくて、恋人を捨てたのだ。
『みちるが心配?』
「うん」
『みちるも、レイのことを心配しているわ』
「私は大丈夫」
『そう?レイ、よければみちると会ってあげることはできない?少しお互いに冷却期間を置いたわけだし、改めて、今の想いを伝えてあげたらどうかしら?レイにとって、みちるが休業し続けることが辛いことなら、そう伝えてあげて欲しいのよ。レイの言葉なら、みちるもちゃんと聞いてくれるはずよ』
でも、会ってしまえば、その手を取って世界の果てまで連れて逃げてしまいたくなるのではないか。みちるさんが小さいころから大好きで、ずっとずっとレイよりも長い時間を費やしたヴァイオリンを演奏する気持ちを奪ったのがレイであるとすれば、どんな顔をして会えばいいと言うのだろうか。
「みちるさんは……みちるさんは、私と会って、話をして、それでまた、お仕事を再開させてくれるのかしら?」
『あなたが笑顔で、ヴァイオリンを聴きたいってお願いをすれば、応えようとするかもしれないわね』
「………会って、直接」
『そうよ。感情的にならずに、ちゃんと未来のために、お互いのために、幸せになるように』

レイの未来はもう終わったと言うのに。
でも、みちるさんの未来はずっと続いている。

「わかった。会って、みちるさんにお仕事してほしいって、お願いをするわ」
『じゃぁ、レインツリーで会いましょう。安心して来なさい。笑顔で会いましょう』

もし、泣きだされたりしたら、きっと心が折れてしまうだろう。嗚咽をあげて泣くみちるさんから逃げた。もう、あの痛くて苦しい涙を二度も味わいたくはない。
それもまた自分勝手なことだ。

夕方、曜日を決めて顔を見せに来る美奈に、みちるさんに会うとメールを打った。学校から家に帰って服を着替えて、久しぶりにまともに鏡を見て髪を梳いた。憂鬱そうな顔。いつもみちるさんに会える日はイソイソと浮足立っていて、鏡に向かって何度も何度も笑っている自分が気持ち悪いと思いながらも、そういう時間は好きだった。
みちるさんに会える、それだけで嬉しくて。
みちるさんを想う、それだけで幸せだった。

今でも、みちるさんを想わない日はない。傷跡にさえならなくて、毎日流し続ける血は、もう痛みではなくて、それは背負うべき十字架であって、みちるさんが流した涙だ。

あんな風に泣いて、好きだと言ってくれる人にはもう、永遠に出会えない。
そして、みちるさん以外の人を好きだと思うこともないだろう。
あるいは誰かに、みちるさんの面影を重ねてしまうかもしれない。


時計を見て、待ち合わせの5分前に着くように家を出た。
せつなさんは、笑顔で会いましょうと言っていた。
だから、どんなことがあっても、レイは笑顔でみちるさんに会って、そしてみちるさんがまたお仕事をしたくなるような気持ちを持ってもらえるように、励まさなきゃいけない。

自分が傷つけておいて、励まして……

そんなことができるだろうか。
みちるさんが泣き出したりしないだろうか。
レイはあの別れた日以外は、一度も泣かなかった。
涙を流す権利など、レイにはない。
だけど、みちるさんに泣かれてしまったりしたら、レイの傷口が拡げられて、血が溢れだしてしまわないだろうか。



「……大丈夫……大丈夫。だって、笑顔で会うって。せつなさんはそう言っていたんだから」
あれからずっと会っていない。毎日思い描き続けても、声や温度はレイの傍にはなかった。

それでも、みちるさんの声も優しい温度も、最後の涙も、嗚咽する姿も、何もかもを忘れられないでいる。

何もかも忘れてしまっていたならば、笑顔で会えるのに。
何もかも覚えてさえいなければ。


「………忘れるなんて、出来るわけないものね」
だからいっそ、みちるさんがレイのことを忘れてくれたらと願う。
罪から逃れたいだけの考えだとしても、願いたい気持ちになる。



何事もなかったように、というのは無理だけど、笑顔で、せめて笑顔で会いたい。
一度、足を止めて深く深呼吸をした。


目を閉じてみる。


足元がぐらついたように思えたのは、気のせいだろうか。
身体が会うことに怯えている気がした。
あの日を最後に二度と泣かないと決めたはずなのに、開いていない瞼をじんわりとした涙がにじんでいるような気がする。

落ち着いて。
大丈夫。
自分のためではなくて、みちるさんのためなのでしょう?
みちるさんのために、笑ってあげて。
せつなさんやはるかさん、美奈たちみんなだって、ずっと心配してくれている。
今日、みちるさんに会って、笑ってみせて、乗り越えなければ、彼女たちが一生懸命支えてきてくれたことのすべてが無駄になってしまう。

だから、レイさえ笑っていれば。

にじむ涙を押しとどめるように、身体に言い聞かせながら目を開けて、ゆっくりと歩いた。
足元がぐらついたのは、震えているせいだ。

でも、行かないと
笑って見せないと


「危ない!!!!!!!!」


誰かの叫ぶ声がした。

大きなクラクションの音が耳元で響いている。

危ないのは自分なのかなって思ったときはもう、身体に衝撃があった。
 

みちるさん、ごめんね。
今日は会えないかも知れない。



「………みち…る……さ…」


周りに人だかりができているように感じる。だけど動けない。

誰か助けて、と思わなかった。

ちょっと、放っておいて。
1人で泣かせて。
泣き止んだら、また立ち上がるから。

また、きっと、立ち上がるから。





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Date:2015/02/17
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