【緋彩の瞳】 傷跡 ⑳

緋彩の瞳

ポイ捨て小説

傷跡 ⑳

「……猫、置いて帰っちゃった」
みちるさんは俯いて、何かを我慢しているような感じだった。レイに言いたいことがあったのだろう。過去のことで、言いたいことがきっとたくさんあるのだろう。それでも、みちるさんは何も語らずに、逃げるように帰っていった。
聞きたいと言う気持ちもあるけれど、楽しい過去ではないような気がした。あの表情は苦しそうにしか見えなかった。
それは過去が苦しいのか、それともレイが忘れてしまっていることが苦しいのか。
「どうしよう……猫……君たちのおうちはどこなの?」
そう言えば、飼い主はみちるさんじゃないはずだ。確か、美奈子さんと何とかさん。動物の名前。確か、うさぎさん。
充電して、結局電源を落としたままだった携帯電話。これの先には、間違いなく愛野美奈子という名前はあるに違いないだろう。彼女に伝えて、猫を引き取りに来てもらうべきだろうか。それとも、みちるさんに猫を忘れていると電話をした方がいいのだろうか。
「にゃー」
白猫がレイの膝の上で甘えるように鳴いた。
「……迎えに来るかしら。せっかくのパーティ、邪魔しちゃ悪いものね」
レイに懐いてくる猫たちは、みちるがいなくなっても、この部屋に慣れた様子で落ち着いている。レイは寝転がって、目を閉じた。
カードの差出人は、あの様子だとみちるさんに違いない。そして持ち去ったのもみちるさんなのだろう。カードという単語にわずかに身体を震わせていた。ネックレスも、何かうろたえていて、説明に無理があるように思えた。いくら仲良しでも、お揃いを常につけているだろうか。かといって、決定的なものというのがない。

携帯電話の中には、それがある可能性は高い。


だから、手を出せないのだ。

もし、もしレイが想像しているような関係なのだとしたら、どうしてみちるさんは、それをレイに告げないのだろう。
気持ち悪いと思われることを、怯えているのだろうか。
そして、自分自身がそういう人間だと、他人に言われるレイの気持ちを考えたのだろうか。
そうだとしたら、どこまでも人が優しすぎだ。
それとも、周りが止めたのだろうか。
でも、仲間たちは、何もかもを知っていたのではないだろうか。知っていて、言わない理由は何だろう。

そう言えば、美奈子さんは入院中に何度も聞いてきた。海王みちるというヴァイオリニストのこと、何も思い出さないの?一番仲が良くて、いつも一緒だったでしょ、と。
みちるさん自身から同じような言葉を言われたことはなかったけれど、美奈子さんもほかの人も、最初の頃はずっと、やけにみちるさんのことを思い出せないの?と聞いてきていた。

たとえばそうだったとしても、今のレイに何ができると言うのだろう。
みちるさん本人からそう告げられたとしたら、それは申し訳ないという気持ちにはなるだろう。それでも、レイはみちるさんという女性のことを、そういう風に考えることはできない。
みちるさんは、記憶を失くしたレイにそう言われてしまうことを考えて、何も告げないでいるのだろう。
記憶を失くしたレイに、あなたは同性の恋人がいると告げられる衝撃と、軽蔑される可能性のある自分自身の心を守ったのだろう。

だから、それならレイは、みちるさんをそっとしておくしかない。

きっとあんな風に苦しそうな顔をしていたのだから、過去の火野レイをとても愛してくれていたに違いない。きっと火野レイもみちるさんのことをとても愛していたのだろう。お互いに愛し合っていることを、きっと周りの人たちも応援していて、認めていたに違いない。そうでなければ、堂々とお揃いのネックレスをつけたりもしないだろう。

みちるさんがレイに想い出すことを望まずに、それでもずっと傍にいて、一生懸命お世話をしてくれた理由がそこにあったとするならば。

思い出さなくていいと言って、レイを安心させてくれて
そして、心のどこかではいつか思い出してと願っていたに違いない

可愛そうに
何一つ思い出せない

今のレイは、みちるさんの恋人になんてなれない
愛が何かさえわからないレイには
誰かの愛が欲しいとか、誰かに愛をささげたいとか

そういう感情が湧いてこないのだ










ボロボロに泣きながら、みちるさんが戻ってきた。和気藹々とパーティの準備を終えて待っていた仲間たちは、訳も分からずみちるさんを囲んで、みんなの手で頭を撫でる。
「…………あの子、アルバムを見ていたの。どうして同じネックレスをしているのって…聞いてきて」
押し殺していた、いろんな感情が堪え切れずに堰を切ってしまったみたい。
せつなさんに縋って、肩を震わせて声をあげて泣いた。
どんな会話をしたのだろう。どんな嘘をついて、その場を切り抜けただろう。
やっと乗り越えようとした別れだったのに。
今度は愛してやまないレイちゃんを、自分から切り離さなければならない立場になって、愛していることも愛していたことも伝えられない息苦しさに、耐えられなくなったのかも知れない。
「………よしてくれ、みちる。2人は別れたんだ。今更、君はどうしたいんだ。もう、レイに近づくな。自分から傷を増やしに行くな。こうなるって、わかっていたことだろう?それでもいいって、世話をしたのだろう?僕は忠告したはずだ」
みんながみちるさんを慰めるように見つめる中、今日の主役だったはずのはるかさんは、とても冷たく言い放った。
はるかさんは、あんまりみちるさんがレイちゃんのお世話をすることに賛成ではなかった。一度終わった関係なのだから、下手に近づかない方がいいって。
レイちゃんのことよりも、みちるさんのことが心配だったんだろう。いつかレイちゃんが、このまま記憶が戻らずに、誰かほかの人を好きになるかもしれない。みちるさんはそれを、黙ってみていることなんてできないだろうって。
ヴァイオリンを辞めてでも、レイちゃんの傍から離れなくなるかもしれないって。
それは、レイちゃんが望んでいた未来ではないし、今のレイちゃんの幸せとも違う。
「そんな言い方ってないよ」
うさぎは強く反発してみせたけれど、亜美ちゃんとまこちゃんがそれを止めて首を振った。
誰が正しいなんて言うことはないし、みんないろんなことを考えて、それでも口を閉ざしている。美奈子はみちるさんがレイちゃんともう一度やり直したいと願うのであれば、それは今のレイちゃん次第だろうし、好きにすればいいって思っていた。あえて過去のことを言わずに、もう一度、最初からやり直せるのなら、それでもいいって。でも、亜美ちゃんとまこちゃんは、それがうまくいったとして、ある日突然、レイちゃんの記憶が戻ったらどうするの?って言う。また、苦しみの渦に巻かれてしまう可能性は高いだろうし、レイちゃんもみちるさんも、その時にどんなダメージを受けるかわからない。
だから、レイちゃんがこの街じゃない、どこか遠い場所で生きて行こうとしていると聞かされた時は、苦しいけれど、それしかないって思えた。
みちるさんにとっても、レイちゃんにとっても、もう、それしか道はないとさえ思えた。

美奈子たちの仲間は、たとえどこにいても、断ち切れてしまう関係ではない。
レイちゃんを愛してやまない。
同じくらい、みちるさんのことを愛している。

だから、2人を守るためにはどうしても、どちらかが傍を離れなければならないのだ。


「みちる、もういいわ。あなたはよくやったわ。どんなに愛しても愛しても、どうすることもできないことだってあるの。あなたはそれを乗り越えたのだから、今更、また傷つくことなんてないわ」
「でも……まさか…あの子が、過去を……過去を知りたいなんて、…言うとは、思わなかった」
「それはみちるのエゴよ。あの子だってやっと気持ちが落ち着いて、過去を知りたいって思ったのでしょう?それを責めるのは筋違いよ」
せつなさんが言っていることは間違えていないけれど、とても厳しい言葉だと思えた。だけど、優しい言葉をかけ続けたとしても、愛し合う関係になんて戻れないのだ。
今、みちるさんの心からレイちゃんを引き離すべきだと、せつなさんは判断した。
みちるさんを守るために。

みちるさんは部屋に籠って、出て来そうにない。せつなさんは放っておきましょうと言った。誕生日ケーキにはろうそくを刺していたけれど、はるかさんは火をつけずに全部抜いた。普通の食事会になってしまっても、それでも誰も帰ろうとは思わなかった。
いつまでもいつまでも、みちるさんは苦しいに違いない。
それほど愛していたのだから。

「そういえば、あんな風にレイちゃんは泣いたりしてなかったな。一度も、涙を見なかった」
振った側と振られた側では立場が違う。レイちゃんは自分から痛みを背負って振ったのに、一度も泣いた姿を見せなかった。人知れずに泣いたかもしれないけれど、みちるさんみたいに、誰かに縋って弱さをさらけ出すって言うのも見なかった。必死になって、みんなの気持ちに応えようとしていた。
「レイらしいわね。みちるは、ずっとあんな感じだったわよ」
「もしかしたら、レイちゃんが記憶を失ったのって、そうやって1人で抱え込んでいたことを、何もかも手放したいって、心の片隅で思っていたりしたからかな」
「どうかしらね」
日付が変わる前くらいまで、みんなでみちるさんとドア一枚隔てた場所にいて、それからせつなさんだけが残って解散になった。アルテミスとルナの姿がなくて、みちるさんのあの様子じゃ、レイちゃんの家に置いて帰ってきてしまったのだろうと判断して、帰りにそっと神社を覗くことにした。静まり返った神社は、どこも明かりはついていない。
「アルテミス」
「ルナ」
小さな声で呼んでみたけれど、隙間の開いている扉もなくて、出てこられないだろう。明日、勝手に帰ってくるだろうから、結局は置いて帰ることにした。


この神社でレイちゃんに会えるのは、あと何回くらいだろう。
1度もないかもしれない。


そう思うと、今更ながらに泣きたい気持ちになった。
「………愛って何だろうね」
うさぎちゃんが呟く。
「わかんない」
「美奈Pは、愛の戦士でしょ?愛の女神だしさ」
「………違ったみたい。仲間が苦しんでいても、何もできないもん。思うんだ、私。あのまま事故が起こらなかったとしても、たぶん、レイちゃんかみちるさんのどちらかは、この街を離れただろうって。だからさ、むしろレイちゃんにとっては、記憶を失った方が良かったのかも知れないって。苦しいって思っているのは私たちだけで、それはさ、せつなさんの言うエゴなんだよ。愛しているなら、ただ、想うだけでいいんだよ。そっと、想うだけでいいんだよ」


そっと
そっと


それがこんなにも、苦しい想いをするなんて
愛って何だろう

美奈子にはもう、何もできない



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Date:2015/02/19
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