【緋彩の瞳】 傷跡 23

緋彩の瞳

ポイ捨て小説

傷跡 23

復帰の仕事は演奏会だった。150人程が入る会場で、クラシックの誰もが知るところのものばかりを集めてセットリストを作り、まずは無難なところからということだ。2月も中旬に差し掛かった。レイとは一切連絡を取らないでいる。レイからも何もない。美奈子たちも会わないでいるようだ。おじいちゃんからは、レイは2月20日に新幹線に乗って、親戚の家に行くという連絡をもらっている。次の日に形だけの転入試験を受けて、そのままお世話になるだろう、と。1,2度東京に帰ってくる可能性はあるかもしれないけれど、荷物はほとんど纏め終えていて、未練があるようには見えないという。
会えばいいようもない苦しさに負けて、みちるはレイの手首を掴んで、本当に何か泣きわめきそうな気がしてならない。
だから、はるかやせつなの言う、愛しても愛しても、どうにもならないということを、受け入れるしかないのだ。
2度目の苦しみは、1度目の痛みに比べれば諦めという感情を受け入れやすい。
そう思いたかった。

愛の礫をどれほどレイに投げたとしても、届くことなく地面に叩きつけられては粉々に砕け散るだけ。

そっと想うのも愛だと、それくらいは頭ではわかっている。
ただ、身体が追い付かない。
会わないでいて少しずつ、少しずつ、その日々に慣れて行くしかない。

誰かに恋をするなんていうことも、きっとない。
レイに似た人を探すくらいのことはするかもしれない。
そして、レイではないと相手を責めるに違いない。


もう、二度と誰も愛せない。
せつなは、まだ10代の女の子がそんなことを言い切るのは、大きな間違いだって言う。
人生をかけて愛すると決めたレイから、愛し合った過去を消されたみちるは、そのすべてを覚えていなければならないのだ。

他の誰かを愛して、過去を少しずつ上書きしていくようなことをしたくはない。



レッスンに明け暮れる日々、神社の前をタクシーで通ってもそこで降りることなくマンションへと向かう。それでも視線は鳥居の奥を追いかける。明日、最終のリハーサルがあって、本番は19日。レイがいなくなってしまう前日。仲間はみんな、来てくれることになっている。久しぶりの緊張感を味わいながら、それでも本番直前にせつなたちに囲まれて、大丈夫だって言ってもらいたかった。レイとの本来の約束は、どんなことがあっても果たすべきだと全員が強く願っているし、みちるもそれは理解しているつもりだ。
ただ、舞台の上に立ってみなければ、自分がどうなるのかわからない。だから、思い入れの深い曲をすべて外して、固いクラシック曲ばかりにした。
一つ一つ、仕事をこなしていけば、誰も愛さなくてもヴァイオリンはみちるの想いに応えてくれるだろう。レイさえいれば、ヴァイオリンなんて趣味でいいって思っていたけれど、ヴァイオリンさえあれば、今は生きている小さな理由にもなる。
部屋に戻り暗闇の明かりをともしても、人の温もりはない。それでも、前のマンションだとレイが出迎えてくれる残像があったから、ここにはそれがない分楽でいられた。ベッドサイドにずっと置かれたままの、レイの部屋から持ってきたカード。
東京からいなくなるのなら、自分の分身として彼女に返してしまおうかなんて、今更ながら未練がましいことを考えてしまう。
でも、みちるが持って出たということを疑っているレイとは会うことができないし、何かを聞かれたら、ギリギリのところで何とか平常心を保てているものが崩れるだろう。

一体、何に耐えているのだろう。


「おじいちゃん」
本番当日、朝少し早目に部屋を出て、タクシーに乗り込んだ。いつもの様に神社の前を通る。路駐している車をゆっくりとしたスピードで追い越そうとしている途中、おじいちゃんが歩道を歩いているのに出くわした。あっと思った同時に視線が合って、みちるは思わずタクシーを止めて、一度外に出た。
「やぁ、みちるさん。おはよう。朝早くから、こんなところで。レイに会いに来たのかな?」
「……いえ」
「そうか。あの馬鹿、相変わらず部屋に籠っておる。なんじゃ、毎日音楽を聞いてコタツでじっとしておるわ。美奈子ちゃんたちに、ちゃんと会って挨拶しろって言うんじゃが、向うが会いたくないと思ってるって言うんじゃ。まったく、どうせならもっと素直になってくれればよかったものを」
レイは何も変わってなくて、記憶だけを失くしただけだとおじいちゃんはため息をついている。頑固者だ、と。
「ごめんなさい、私も全然会えていないし、電話もしていないのよ」
「そうか、そりゃ申し訳ない。ずいぶんと世話をかけてしまっているのに、不義理なことをして」
おじいちゃんは深々と頭を下げて、みちるはレイが悪いわけじゃないと首を振った。みちるから連絡しなくなったのだし、みちるが会いに行けばいいのにそうしなかったのだから。
「気にしないでください。私も、ちょっとお仕事がバタバタしていたせいで、レイに会えなくて……」
「おぉ。でっかいところでコンサートをするのかい?」
「いえ、小さな小さな会場で。実は今日のお昼から本番なのよ」
おじいちゃんは、一度だけ観に来てくれたことがある。あんまりにもレイが頻繁にみちるのコンサートに出かけるものだから、何事も興味なさげな孫が、イソイソと出ていく理由を知りたくて付いてきたことがあった。あれはどれくらい前だろう。
「そうか。場所はどこじゃ?言ってくれればお花を送っておいたのに」
「お花なんて、そんな大した演奏会じゃないから。気持ちだけ受け取っておくわ」
「もう、チケットは完売か?」
「自由席だから、どうかしら?一応売れたとは聞いているけれど、当日券は少しだけあるわ」
「わし、観に行こうかのぅ。どうせ、あいつは出て行かんだろうしな」
あいにく、今のみちるには、手持ちで渡してあげられるチケットがない。レイが来てしまうなんてことはないだろうかって考えてみるけれど、かといって、おじいちゃんに来ないでくださいとか、レイは連れてこないで、なんて、そういうことを言えることでもない。
みちるだって、おじいちゃんには相当お世話になってきた。何度もレイの家に泊まったし、日ごろ仲間がお世話になっている。
「受付に言っておくわ。当日券を用意させておくから、お時間があれば是非」
みちるはホールの名前と開演時間を、ノートに書いてちぎって渡した。
そこにサインを入れて、日付を入れ、これを受付に見せるようにと伝える。
「いい演奏になるといいね」
「ありがとう、おじいちゃん」
行ってきますと告げて、待たせていたタクシーに乗り込む。おじいちゃんはタクシーが角を曲がるまで見送ってくれた。
レイが遠くに行っても、たぶんみちるは、おじいちゃんの様子を見に、足しげく通ってしまうだろう。



「………これは何?」
「散歩しておったらな、みちるさんと出くわして。13:45開演だそうだ」
レイを居間に呼びつけたおじいちゃんは、一枚のメモをテーブルに置いた。
「えっと、開演?」
「プロのヴァイオリニストだからな」
「あぁ……お仕事、再開させたのね」
そう言えば、夏から休んでいると言っていた。別荘で演奏を聴かせてくれたことは、今のレイの記憶としてちゃんと残っている。毎日、あの演奏を聴くことが楽しいって思っていた。今も毎日CDを聴いているけれど、舞台の上でどんな姿で演奏をするのだろうか。
「行ってくるといい。レイ、お前は一番大事な人に、きちんと挨拶をしたのか?あれだけ世話になっておきながら、何も言わずに出ていくなど、ワシは認めんからな」
「………みちるさんは、会いたがらないと思います」
「また、勝手に決めつけおって。会いたくないと言われたのか?あの子は心からレイを大切にしてくれている子じゃ。会いたくないと思われているのなら、お前はその原因を考えて、なぜ詫びに行かんのじゃ」

それは、レイとみちるさんがただの友達以上の関係だったから。

レイが振られた方だから。

だから、何もかもを忘れたいって思っていたのだろう。

みちるさんだって、振った人相手に色々お世話をしていたのは、罪悪感からであって、過去の火野レイを愛していたからであって、今も愛しているわけじゃない。
むしろ、離れたいって思っているに違いない。


「………行けと言うことなのでしょう?」
「火野家の人間として、楽屋見舞いに菓子折り買って挨拶に行って来い」
手作りで美味しいお菓子をたくさん作ってくれるような人に、お菓子を買って持って行っても、食べないような気もする。
「………この場所に、お父さんかおじいちゃんの名前でお花を届ける方がいいと思うんだけど」
「それは、もう手配したわい」
「……そうですか」
嘘でも、顔面蒼白になって吐きそうな顔をすれば行かなくて済むかもしれないって思ったけれど、残念ながら、そういう恐怖はやってこない。

つまり、あの頃と違って、もう、レイは過去を受け入れているのだろう。


覚えていないだけで。

いつの間にか、そうだったのだと、飲み込んでいる。


開演時間の1時間前に家を出て、何か買った方がいいのかどうかと、ブラブラしてみたけれど、これと言って何も思い浮かぶものがなかった。結局手ぶらで、時間ギリギリに会場に辿り着いた。
会場の入り口には、みちるさんのポスター写真が何枚も貼られていて、その胸元には、火野レイとお揃いで着けていたネックレスがあった。最近撮られたものではないのだろう。
レイの知っている、みちるさんの表情とは少し違う。この笑みは、アルバムの中にあったものだ。
あの子たちは来ているのだろうか。来ていそうな気がしたので、受付も2分前くらいまで待って、それからおじいちゃんに渡されたメモを見せて、当日券を受け取り、そっと会場に入った。ほとんど満席だけど、後ろの列の両サイドは数席空いている。レイはコートを脱いで腰を下ろして、それから前の方でチラチラみえるお団子頭と、赤いリボンを確認した。
終わったら、すぐに出て行かなければ。そう思っていると、ドレスアップしたみちるさんが入ってきた。

とても綺麗な、エメラルド・グリーンのドレス。小さい会場だから、みちるさんとレイの距離はすぐそこで、とてもよく顔が見える。だから俯いた。視線が合ったりすると、みちるさんが動揺してしまうのではないか、そんな気持ちになった。
深く一礼をして、ピアノ伴奏に合わせて弦をつま弾く。



毎日、1曲演奏してくれていた。
あの時とは違う、本当のヴァイオリニストの音色。


知っている

それは、2か月ほど前に見ていた姿ではなくて、レイは舞台の上に立っている海王みちるというヴァイオリニストの姿をよく知っている。


知っているはずだ



誰かが頭の中を、ガンガンとハンマーで叩いているような痛みが襲った
俯いたまま、耳を塞がないように我慢しながら、この痛みの理由を考える

火野レイが思い出してはダメだと泣き叫んでいるのだろうか
それとも、レイが過去を取り戻したいと、願っているのだろうか


身体を震わせながら、ついに耐えきれなくなって耳を強く塞いだ。1曲1曲終わるたびに立ち上がろうとするけれど、狭い会場で目立つことをすれば、彼女は必ずこちらに視線を向けるだろう。うつむいている限り、平坦な場所に椅子を並べているのだから、顔を見られることもない。


流れ込むメロディと
流れ込もうとする過去と
それを押し返そうとする感情と


これは、“振られた”せいで受けた痛みのなのだろうか
思い出したくないほどの、痛みだったのだろうか



……振られた?
本当にみちるさんに振られたのだろうか




唇が震えて、小さく歯がカチカチと音を立てた
慌てて耳を押さえていた手を口に当てる


鮮明にに響く音が身体中に血液になって流れ込んでくる


レイは海王みちるをとてもよく知っている

ヴァイオリニスト 海王みちるを
誰よりも知っている


まつ毛を濡らす、これは何


痛いの?
苦しいの?
辛いの?
嫌なの?
怖いの?
悲しいの?
腹立たしいの?
せつないの?
寂しいの?



違う


『愛してるわ、レイ。このままずっと傍にいて』



愛しいの





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Date:2015/02/20
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