【緋彩の瞳】 傷跡 26

緋彩の瞳

ポイ捨て小説

傷跡 26

朝、レイはおじいちゃんと朝食を食べた後、居間に呼び出された。
「なんじゃ、その真っ赤な目は。出ていくことに怖気づいたのか?」
「……おじいちゃん、昨日、記憶を取り戻しました」
「おや、それでか?じゃぁ、転入手続きを止めんと。なんじゃ、お前、だったら起きてすぐに言うべきことじゃろ?」
おじいちゃんはあきれ返った声だ。相変わらず、おじいちゃんは淡々としているし、レイが何をしようとも、何を願おうとも、好き勝手にさせる人だ。そのせいだろうか、特段喜んでいる様子もない。記憶を失うことはたいしたことじゃないって言っていた通りだ。
「ううん、おばさまのところには、予定通りに行くつもりなの」
「なんでまた?お前、TAが嫌いか?」
「好きです」
「あと1年行けば高校卒業だろうに」
「………でも、東京にいたくないの。私が記憶を取り戻したことも、絶対に誰にも言わないで欲しい」
この通りです。レイは手をついて、頭を深く下げた。今、おじいちゃんがみんなに言ってしまえば、レイは流石に出ていけなくなってしまう。引き止められたら、泣かずに堪える自信なんてない。
「それは、お前のためか?」
「…………違う。大切な人のため。それだけです。あの人をこれ以上、悲しませたくない」
顔をあげて、レイはじっとおじいちゃんと瞳を見つめた。腕を組んだままやるせないため息を漏らす。
「いつまで、黙っておればいい?」
「私が自分で言える日が来るまで」
「お前は、あの子たちの気持ちを何だと思ってる?あれだけ愛されておきながら」

わかってる、そんなこと
どれだけ愛してくれているか
同じくらい、レイだって美奈たちを愛してる
みちるさんを愛してる

「でも、今は、これしか方法がないの。やっと、仕事を再開してくれたの……私は傍にいない方がいいわ」
美奈たちをだましてでも、みちるさんを優先させたい。
美奈たちにはやっぱり言えない。あの子たちはきっと、黙っていてくれたりしないだろう。たとえ、出来たとしても、黙っているという心苦しさを背負わせたくもない。
「………お前は、そのどうしようもない性格を何とかせんと、いつまででも同じことを繰り返すだけじゃ」
「東京を離れて、反省してきます」
「そんなもん、屁理屈並べて逃げるだけじゃい、馬鹿者め」
「みちるさんのためよ」
「人のためだと言えば、きれいごとになると思うのか?お前が逃げたいだけじゃ。きちんとあの子たちに言わないのなら、出ていくことは認めん。恩を仇で返すような奴など、葉月の娘ではないわ」
おじいちゃんは、レイの頭をこつんと叩いて部屋を出て行った。
逃げたいだけだと言うのは、おじいちゃんの言う通りだ。

だけど、逃げなければどうしようもないことだってある。
今、逃げておかなければ。






「にゃ~」
おじいちゃんに、必ず自分から説明をするので、今は時間を下さいと置手紙を書いた。結局、逃げるという道しか選べない。
玄関を出ると、ルナとアルテミスがいた。荷物は数日以内にすべて、おばさまの家に届く手配をしている。
「…………」
どうして、と思った。でもたぶん、今日出ていくことを知っている美奈たちが、せめてルナたちだけでもって、送り込んだのかも知れない。
気を遣って顔を見せずに、そっと見送る方法をあの子たちは選んだのだ。
それでよかった。何か話しかけて余計なことを言ってしまわないように、足首に尻尾を巻いてすり寄ってきた二匹の頭を撫でる。
「にゃ~」
ルナの猫らしい鳴き声なんて、ほとんど聞いたことがなかったけれど、こうやってしゃべることもせずに、すり寄ってくるのは、主たちのためだろう。
「……おじいちゃんをよろしくね」
立ち上がって、なおも足にまとわりつくルナとアルテミスを視界に入れないように、鳥居を目指して歩いた。


まとわりつく猫2匹の重みがふと消えた。レイの視界の先を走っていく。その先には赤い鳥居があって、2匹はそこに立っている人の足元に近寄って、そしてそのまま神社を出て行ってしまった。


…………みちるさん



足が動かない。
身体が動かない。

どうしよう。
きっと、ただ、お別れを言いに来てくれただけだ。

普通にさようならって言えばいいだけ
演技をすればいいだけ

せっかくヴァイオリニストとして、仕事を再開させたみちるさんのために

みちるさんのために





「レイ」
「……おはよう、みちるさん。えっと、最近連絡していなくて、その、ごめんね」
心のある場所が、嘘を嫌うようにレイを責めるようにドクドクと音を鳴らしている。
「昨日、聴きに来てくれたの?」
「え?あぁ、うん。おじいちゃんに言われて、聴きに行ったわ」
「どうだった?はるかからは70点って言われたの」
レイは眉をひそめて、それからうつむいた。

何もかもを思い出した。

そう言ってしまいたい衝動に駆られた。


「私には、その、点数はよくわからない。みちるさん以外の演奏って聴いたことないから。とても良かったって思ったわ」
「そう」
クリスマスに渡したストールを肩にかけている。白いため息を繰り返し吐いては、レイから瞳を逸らそうとしない
真っ直ぐにレイを見つめてくる瞳
何かを決意している瞳


「…………ここを離れるのね」
「えぇ。色々、本当にお世話になりました。あの、全然お礼ができなくて」
「いいの、好きでやっていたから」
「本当に………ありがとう、みちるさん」
これ以上、言葉を交わしていられない
ごめんなさいって、叫びたくなる
許して欲しいと願わないから
愛されなくてもいいから
遠くから愛させてくれたらそれでいいから

「元気でね、みちるさん」
触れることのできない2人の距離を、さらに広げようと一歩踏み出そうとするより早く、みちるさんがレイに近づいた。

懐かしい香水の匂い。ずっと、この匂いが好きだった。

「……美奈子たちのこと、どうしても思い出せそうにない?」
懇願するような瞳で、みちるさんは美奈たちの名前を出してきた。
誰かに何かを言われて、みちるさんはここに来たのだろうか。
「えっと………何……何のこと?」
「私のことは、忘れたままでもいいの。忘れられても仕方ないって思ってる。でも、美奈子たちには罪はないわ」
レイ以外の誰にも罪なんてないのに、どうしてみちるさんはそんな言い方をするの。
レイは一歩踏み出した足を下げた。

美奈たちの名前を言われたら、どうしようもなく涙が出て来そうで怖い。
「………言いたくなかったの。レイは過去の恋愛を知りたくなんてないだろうって。それに、伝えても思い出せなかったら、それはそれで、私も……。だけど、美奈子たちからレイを奪ってしまうのは。いえ、私のエゴで、レイから美奈子たちを奪うことなんて、するべきではないと思うの」
みちるさんは、レイに一度として2人の関係について伝えようとしてこなかった。みんなからも、恋人だったとはっきりと言われたことはなかった。そのことを全員が口にすることなく、別の方法で思い出せないかって、願ってくれていた。
そして、みちるさんとの関係を洗いざらい話してしまえば、思い出すはずなのにって、心の中で考えていたに違いない。

でも、それで思い出せなかった時、みちるさんはどう思うのだろう。
美奈やうさぎはそこまで考えたはず。すべてをみちるさんに委ねて、あの子たちは姿を見せなくなっていた。
毎日毎日毎日、いつも誰かと一緒だった。当たり前のように誰かがレイの傍にいて、笑顔を見せてくれて、声をかけてくれて。
記憶を失ったレイにも、変わらずに愛していると言ってくれたのに、それを拒絶し、恐怖し、逃げ出した。

なぜ、死のうとしたのか、今になって不思議だと思う。だけどあの時、何も思い出せない苦しさは痛み以外の何物でもなくて、輝く眩しい瞳たちがどうしようもなく怖かった。

今は
今、あの瞳から逃げるのは、怖いからではない。

思い出そうとしないレイに向かって、愛してると言ってくれた美奈は、ボロボロと涙をこぼしていた。

「ある人から言われたわ。美奈子たちのことを思い出してもらうために、私とレイがかつて恋人だったという真実を話してみるべきだって。私がずっと、そのことを避けているのは、仲間のことを全然考えていないことと同じ」


目の前の愛する人は
レイが深く愛している人は
一粒の涙を流した

「かつて、私はレイと手を繋ぎ、キスを交わして……抱き合った。ずっと傍にいるって誓ったの。あなたを愛してた。生きている限り、ずっと愛し合えるって思っていたわ」

嘆きを声に出してしまいそうになる。
忘れたままでいたかったわけじゃない。
だけど、もうみちるさんと愛し合う関係ではいられない。その道を選んだのはレイ。


「それを……それを、今日、ここから出ていく私に言って…何をしたいの?」
ちゃんと、言葉を紡げているかわからないけれど、レイは呟いた。

一粒の涙は何を伝えようとして、零れ落ちたの

「わからないわ。だって、これしかもう、方法がないんだもの。美奈子たちだけは……あの子たちに罪は一つもないわ」


そんなこと、わかってる


「…………よくわからないけど、私は今日から東京を離れて生活をするの。美奈……子さんたちのことは、その……凄く仲がよかったのは、写真で見たから知ってるし、お礼は、ちゃんと、いつか、するわ。でも、私には思い出すことなんて………何も、ないわ」


写真では納まりきれないくらい、みんなと過ごした時間はたくさんある。優しい時間しかないのに、みんなの愛を拒否した態度のまま、レイはここから逃げる。

何から逃げるの。
優しさから逃げても、誰もが諦めずに待っていることなんて、わかりきっているのに。
みんなの愛は少しも減ることなんてないって。


「レイ……どうしたら、思い出してくれる?」
耐えきれなくて、ブーツのつま先へと視線を逃がした。
「ごめんなさい、その、みちるさんと、どういう関係かなんて言われても……何も思い出せないわ」
思い出が、日ごとに薄れていくものであれば、どれほどいいだろう。
愛したのは過去のことだと、割り切ってしまえれば、これほど息が苦しくなったりしないのに。

「レイ」

みちるさんの声で、名前を呼ばれることが好きだった。
付き合う前、みちるさんに名前を呼んでもらうたびに心が躍った。その瞬間だけでも、レイのことを考えていてくれる。その程度のことでさえ、幸せだなんて思っていた。
身体に初めて触れたとき、このまま死ねたらと願った。明日、世界が滅んでもいいとさえ思った。

ずっと愛してる

その気持ちは変化しない、唯一の感情だと思っていた

愛するだけでよかったのに

欲しい愛だなんて、なぜ、そんなものを求めてしまったのだろう

傷つけるだけ傷つけて

みちるさんはちゃんとレイを愛してくれていたのに
それを分かっていたと言うのに

信じられなくなる未来に怯えた結果
愛し合う未来がレイの元から逃げた



しゃがみ込んだ覚えはないのに、いつの間にかつま先はすぐ眼先まで来ていた。動けなくて、身体の力が抜け落ちてしまっている。
「………忘れたままでいて欲しいって……思ってるのでしょう?」
「………………レイ」
綺麗な黒いコートの裾が、石畳に触れる。愛する人が跪いて、レイの冷たい頬をそれより冷たい両手で包み込んだ。
「……本当は、昨日……思い出していたの。だけど、ここには……いるべきじゃない」
「レイ」
縋ることが許されない人なのに、それでも震える身体が本能的に、その愛に包まれたいと乞うてしまう。その声で名前を呼んで、その瞳にこの罪を映しだされても。
ずっと、傍にいたかった。
「……みちるさん。ごめんなさい……」
「思い出したの?思い出していたのね?」
確認するように、その瞳にしっかりとレイを映して、眩しい愛が見つめてくる。レイは小さく頷いた。
「美奈子たちのことも?」
「思い出してる」
「………よかった」
優しいウェーヴに縋るように顔をうずめたい気持ちを殺した。立ち上がって、行かなければいけないのに。


立ち上がらなきゃいけないのに。

立ち上がって、ここから出て行かなきゃ。

「レイ。ずいぶん苦しい思いをさせて、ごめんなさい」
「みちるさんは何も悪くない」
レイだけが悪い。レイだけがみちるさんを振り回し、仲間を傷つけた。誰もが愛をたくさんくれたと言うのに、レイは何一つ返してあげることができなかった。
「美奈子たちに会ってあげて」
「うん。でも、私……東京から出るつもりでいるの」
耳元に伝わる溜息は、レイがそう考えているっていうことを分かっているからなのだろう。驚いたり、怒ったりするようなものではない。
「そう」
「……泣かれたら、私、行けなくなってしまう」
「でも、あの子たちはレイのことをずっと」
「わかってる。でも、行かせて欲しいの」
もう一度、自分に問いかける
ここを出て行くのは誰のため
「……思い出したことを伝えてもいい?」
「向うに着いたら、私から電話をするわ」
「そう。レイなら、思い出しても出ていくだろうって思っていたわ。きっと、私がそうさせているのね」
「……違う。私………みちるさんのヴァイオリンが好きだから」
伝えたい想いが本当は何なのか、わからない。

愛してる
愛してた
ずっと愛してる

隠し続けることができない涙が、次々に溢れては、みちるさんの指を濡らしていく。
泣くことなんて許されないというのに、次々と止めどなく零れ落ちていく。



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Date:2015/02/22
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