【緋彩の瞳】 彼女の歌声

緋彩の瞳

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彼女の歌声

「久しぶりね、せつな」
学校帰りの高校生たちが賑やかな喫茶店だけど、いつものように制服姿の仲間たちの姿はなくて、いるのはヴァイオリニストの海王みちるだけ。いつもとは違う、2人用の席で優雅に足を組んでいる姿。せつなは座ったことのない少し窮屈さを感じる1人用のソファーに腰を下ろした。
「そうね。みちるは、元気にしているみたいね」
「えぇ、お陰様で」
ヴァイオリニストとして、秋はイベントやコンサートが多いから、みちるとは1か月ほど会えていなかった。わずかな暇を出来る限りレイと過ごしたいだろうし、せつなも研究などで地方の施設へ泊まりに行くことも多いし、お互い、便りがないことはあらゆる面で順調だと言うことで、この距離感がとても心地いい。
「レイは?」
「レイも元気よ。今日は勉強会なのよ。あなたのところの子、相当危ないって言っていたわ」
喫煙席を選んで座ってくれていたみちるの優しさに心の中で感謝しながら、朝買ったマイルドセブンに火をつけた。お嬢様に匂いが付いてしまわないように、なるべく横を向いて吐き出す。白く濁った空気はすぐに透明になったとしても、結局は目の前のお嬢様の髪に香りを移してしまうことは、間違いないのだけれど。
「一度くらい、落第して痛い目に合わせてもいいと思うわよ」
「せつなが面倒を見てあげたらいいのに」
「レイの貴重な時間を、勉強会で奪われているから?」
「それもあるけれど、恋人なのでしょう?」
恋人という単語の先に美奈子が結ばれていることを意識していないから、あぁ、そうだったわね、って呟いた。呆れたと言わんばかりの溜息は、せつなが吐いている白く濁ったものよりも、もっと重たい何かを顔に吹き付けて来ようとする。注文したホットコーヒーに口を付けて、カップで視線から逃れた。火野レイを愛してやまない海王みちるは、こうやってせつなと美奈子が上手くやっているのかを心配してくれる、優しい仲間だ。そして年頃の恋する女の子として、自分たち以外の恋愛事情にも興味があるのだろう。
「まぁ、あの馬鹿のテストの点数なんて聞いたりしないもの。知りたくもないわ」
「理数くらい、あなたが見たらいいのに」
「はいはい、そうね。で?みちるは小言を言いたくて、私とお茶をしているの?」
みちると2人きりで会っている間くらい、小言ではなくて、むしろみちるの惚気話を聞かせて欲しいと思う。幸せそうにレイの名前を声にするみちるの表情は、とても可愛らしいのだ。この世界を生きて、誰かを愛している仲間の表情が、せつなの心に潤いを与えてくれる。
「違うわ。せつなにプレゼントを差し上げようと思って」
小言を遮られたみちるは、拗ねた様子も見せずにすぐに表情を切り替えて鞄から大き目の封筒を出してきた。受け取ったその感触で、中身がわかる。
「CD?」
「仕上がったのよ。来週発売になるわ」
「あら、ありがとう」
封筒から取り出したCDのジャケットには、綺麗なドレスに身を纏った海王みちるというヴァイオリニスト。血なまぐさい戦いの渦に揉まれ、溺れ、抜け出してきた過去をすべて、音楽で洗い流した美しい姿だ。
「美奈子にはきっと、睡眠導入剤のようなものでしょうけど、よければ2人で聴いてね」
「そうね」
人気アイドルの歌でもない限り、美奈子は仲間がCDを出したところで積極的に聴く子ではない。よく口ずさんでいるのは、いつもアイドルの歌ばかりだ。せつなはみちるから貰うCD以外を持っていないから、正直、美奈子が聴いているアイドルソング以外、流行りも知らないし、興味を持ったことがない。
「ちゃんと聴いてくれるの?」
「みちるのCDだけは聴くわよ」
「そう?まぁ、それならいいわ。レイもね、私以外の音楽に積極的に触れない子だから」
それでも、レイはピアノ経験者だったはず。小さい頃から音楽に慣れ親しんで、音楽を真摯に学んできたから、みちるの生み出す音色の素晴らしさに引き込まれたのだろう。何の知識もなく、あるいは興味も抱かずに生きているせつなとは違う。海王みちるというヴァイオリニストの魅力を、だから、せつなはわかってあげられていないのだと思っている。それでも、彼女のことは愛しく思う。

遠い遠い、音楽が存在しないあの頃からずっと。
生きる意味を見つけ出したこの世界で、守り抜いた人々の前に立ち、愛を奏でるそのすべてが

ただ、愛しいと。

「私には、音楽の良さがあまりわからないの。でも、あなたの音楽だけが好きよ」
「他の音楽は嫌い?」
「苦手かしら。静かな空間の方がずっとずっと、落ち着くの。音のない世界に長くいたせいね、きっと」
街を歩けば、無数の曲が歩みを進めるたびに次々と歌声を変え、リズムを変えて耳に入ってくる。じっと聞き入るほど心を掴まれる何かなどあるはずもなく、せつなには邪魔なノイズでしかない。メッセージ性などを感じたこともないし、可能ならば耳栓したいって思うほどに。今も、喫茶店には高校生にターゲットを絞ったような曲を選んでいるような、軽快な音楽がずっと流れている。せめて歌ではない、静かなBGM程度にしてくれたらいいのに、と、思わずにいられないのだ。
「孤独な世界より、音に溢れた世界の方が楽しいって思わない?音楽のない世界の方が、耳は敏感になると思うわ。辛く苦しいと言うことを耳が感じてしまうもの」
「そう言う必要性に駆られていたのよ」
吐き出した最後の煙が消えるのを確認して、短くなった煙草をもみ消した。
ジュっと小さく悲鳴を上げて潰された煙草。みちるの視線はそれに注がれている。
その瞳はせつなを憐れんでいて、でもそれを誤魔化そうとして顔を上げられないのだ。
「………美奈子はアイドルになりたいんじゃないの?」
「知らないわ」
「言っていたわ」
ぬるいコーヒーも飲み干した。口の中に広がる苦味は、美味しいタイミングを少しだけ逃したようだ。みちるが何を言いたいかわかっていて、みちるだってせつなの言いそうなことを分かっていて、それでもそのやりとりをせずにいられないのだろう。
「聞いたことないわ」
「美奈子が歌を出すって言ったら、聴いてあげるの?」
「あの子は、イチイチ私に聴かせたりしないわよ」
「それが2人の関係なの?」
大切な人の奏でる音楽。みちるが奏でるヴァイオリンは聴こうと思えるけれど、美奈子が歌っているものを聴きたいかと言われたら、想像しただけでため息しか出せなかった。美奈子もまた、せつなに聴かせようなど、露ほどにも思わないに違いない。
「さぁね。残念ながら、興味がないわ」
「………相変わらずね、せつなと美奈子は」
せつなはもらったCDを大事に鞄にしまった。いつものようにみちるがレイのことを惚気てくれるように、最近のレイの様子をあえて話題に出してみる。それに乗ることがいいと判断したみちるの声色は、せつなを憐れむ低めの声から、恋色に変っていった。




「……あら、お勉強してきたの?」
「殺されるわ、あれ。亜美ちゃんもレイちゃんも容赦しなさすぎ」
みちるのCDをパソコンで聴きながら英字新聞を読み終わる頃、美奈子が部屋にやってきた。夜も22時を過ぎている。おそらくご飯は食べてきているだろう。不満を爆発させながら、教えてもらっていることに感謝をする気配もない。本当に一度、痛い思いをさせたらいいのに。亜美もレイも仲間想いだ。
「みちるさんの曲?」
「えぇ。来週発売するものをもらったの」
「ふーん。眠たくなりそうな感じね」
「新聞読むのには、ちょうどいいわ」
そう言っている間に曲が終わり、CDは全曲を無事に聴き終えたことを知らせるように停止した。いつもの静寂が戻り、いつもの秒針の音だけが2人の間に流れるリズム。美奈子は電源を落とそうとせずに、なにか自分の鞄から取り出して、パソコンに繋げた。軽薄なポップスの曲がいきなり流れ始める。喫茶店で聴いた曲と同じかもしれない。
「……うるさいわ」
「もう、新聞読み終わるんでしょ」
「えぇ」
「お風呂沸かしてるんでしょ」
「えぇ」
「入ってきたら?いつもイヤフォンで聴いているから、こうやって聞きたいの」
せつなからしてみれば、やっぱりノイズだとしか言いようがない。それでも美奈子がその声に合わせて体を揺らして、歌詞を口ずさんで気持ちよさそうにしているのなら、放っておけばいい。新聞を丸めて立ち上がり、その頭を軽くパシッと叩いた。その程度で許しておこう。


 ゆっくりとバスタブに腰を下ろすと、脱衣所に美奈子が入ってきた。きっともう、何度も聴いているだろうにもかかわらず、うろ覚えのような鼻歌交じりの歌は、せつなが静かな空間でお湯に浸かっているのを邪魔してくる。湯気の白い空気に包まれて、愛と美の女神はご機嫌よろしくシャワーを浴び始めた。うるさいと、美奈子の機嫌のよさを邪魔したいわけじゃないが、静かな空間でゆっくりと体を温めることを邪魔されたくもない。
「ご機嫌ね、美奈子」
「いい曲よね、本当」
質問に対して、答えをよこさない。その一言で諦めが付く。これが孤独ではないと言う、今を生きているということかしら、なんてみちるのあの言葉を思い出してみる。
美奈子は同じ曲の、メロディ部分と呼ばれるものがお気に入りなのだろう。しつこく繰り返されるフレーズが、せつなの身体にじわりと沁み込むように感じた。

シャワーの水が流れる音に紛れる、美奈子の機嫌よさそうな歌声
自分以外の誰かが奏でる音
じわりと沁み込む音

「………苦手なはずなんだけど」
「ん?何が?」
「美奈子、さっきから同じところばかり歌っているけれど、2番はないの?」
「覚えてないのよね」
そう言ういい加減なところが、テストの点数と比例しているんだろう。
忘れてしまいたいこと、覚えておきたいこと、身体に刻まれたもの、記憶すると言うことを意識しないでもできるせつなとは真逆の場所にいる美奈子を、少しうらやましいと思えるから不思議だ。

のんびりとゆっくりとお湯に浸かり、美奈子の歌声に耳を傾ける。程よく温まった身体。彼女がバスタブに入るのを待たずに立ち上がった。きっとみちるとレイなら一緒にお湯に浸かるのだろう、なんて思いながら。
「ごゆっくり」
「やっぱ、足を伸ばせるっていいよね。ここのお風呂は大きくて好き」
「よかったわね」
曇り硝子の向こう側から、また同じフレーズが聞こえてくる。身体を拭きながら、せつなはその美奈子の歌声に耳を傾けた。

この耳が美奈子の歌声を覚えてしまうことに、安らぎを感じてもいいのだろうか。疑問に思ってもみたが、安らぐことが普通のことなのだとすぐに思いなおした。みちるの奏でるヴァイオリンのような、しっかりとしたものではない、鼻歌交じりの本当にメロディが正しいのかどうかも怪しいものなのに。繰り返し自己満足のように歌う、美奈子だけが楽しいだけのものなのに。
「……不思議なものね」
みちるにそれを話せば、きっとランランと瞳を輝かせながら、嬉しそうに恋について語りだすに違いないだろう。みちるが火野レイに恋するように、せつなが愛野美奈子に恋しているわけではない。
「2番を覚えてもらわなければ、私が変な覚え方をしてしまいそうだわ」

いつまでも、2番がやって来ない、繰り返される愛野美奈子の独唱。彼女がお風呂に入っている間に、ちゃんと曲を覚えてしまおうかしら。そんないじわるを企みながら、曇り硝子の向こう側と同じメロディを口ずさんでいた。




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Date:2015/11/16
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