【緋彩の瞳】

緋彩の瞳

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愛と呼ぶもの

世界が私のものになればいいのに。

そして、みちるさんだけがいる世界であればいいのに。


「レイ、どうしたの?何か、嫌なことでもあったの?」


そして、ただ、2人しかしない世界で、互いの心臓の音だけを頼りに生きるの。


「随分と我儘なことを言うのね?それはとても寂しいことだと思わない?」


思わない。


「あなたが愛する世界は、あなたを愛してくれる世界だわ」


この世界は、みちるさんを傷つける。
この世界は、みちるさんを悲しませる。
この世界は、嘆きの雨を降らせ、罪を呼びよせ、苦しみの叫び声をあげる。


「だから、守らなければいけないのよ」


だから、何もかもがもう、消えてなくなればいいのにと願うの。


「レイ。あなたはとても頑張っているわ。こんなに血だらけになって、それでも、戦うことを、この世界を諦められないのでしょう?」

消えてなくなればいいと、願っているわ。

「………そうね、えぇ。少し目を閉じて、ゆっくり息をして」


私が守ろうとしているものは、何だと思う?


「レイが守ろうとしているのは、この、優しい世界でしょう?」


みちるさんだけを守りたいと希っても。
それが叶わぬ世界なら、いっそ滅んでしまえばいいのに。


「だったら、私と死んでみる?」


そんなの嫌。
死んだら海に還るみちるさんと一緒には行けないわ。
だって、溺れてしまうもの。




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緋彩の瞳

お知らせ


今後、ガルパン小説につきましては、全てPIXIVのみで公開をさせていただきます。

色々、考えましたが、ここはセラムンが一番多くある小説サイトであるべきだと思ったので、ガルパンばかり増えていくと、比率がおかしくなりそうで。ガルパンは長編も多いことから、すべて読みやすいPIXIVにのみ置くことにしております。

今あるものは消すことはありませんが、今後はここで公開はしていきませんので、ガルパン小説を楽しみにされているかたは、是非

https://www.pixiv.net/member.php?id=10491398

ダッサム で検索をしていただければ、私の小説が出てくると思います。

セラムンは、長期スランプ絶好調です。

LOVE YOU

始まりの朝

 ほんの少し、掬われた髪
 それなのに、背中に流れる恋の痛み

 首筋を伝い
 心に沁みる
 恋の痛み

「なぁに、美奈?」
「………お帰り、レイちゃん」

 この世界が
 愛と言う星が
 マーズを、火野レイを導いて
 再び、巡り合えた
 
 奇跡と呼ぶことも
 運命と呼ぶことも違うような気がした

 この魂がヴィーナスを求め、幾度命を落としても
 それでも、また、あなたのいる星に生まれ変わるのだと

 強く求めた

 この胸にある恋の痛みは
 チリリと痛む想いは
 何度命を繰り返しても
 忘れたりはしない


「ただいま、美奈」
「私たち、また巡り合えた」
「残念ながら」
「残念?」
「そうよ……銀河には、美奈よりもずっといい人がきっと何億人もいるだろうに」

 その愛しい小指がなぞる髪
 感じる恋の痛み

 指の甲が頬に触れ
 ひんやりとした爪先に押し当てる唇

「何度生まれ変わっても、やっぱり、レイちゃんはレイちゃんだよね」
「……悪い」
「ううん……良い感じ?」
「何よ、それ」

 真っ白な世界
 始まりの世界
 いつか、見た景色

 繰り返される終わりと始まりの狭間

 それでも、何一つ恐れるものはないと信じられる

 必ず、眩しい光を求めて、差し伸べた手を握りしめてくれる
 必ず、ヴィーナスは傍にいる


「世界の終わりを見るときも一緒、始まりの朝も一緒」
「そうよ。あの王国で誓った、たった一つの約束だわ」


 必ず、あなたの傍にいる
 絶対に、離れない
 

「何度繰り返しても、絶対守るって言ったでしょ?」
「当たりまえでしょ」

 互いに誓った、大切な人のために捧げる命でも

 必ず、あなたの傍にいて
 必ず、あなたの星の元に辿り着くと

「レイちゃんの星の輝きは、私にだけ特別に光り輝くの。幾千万の星から、レイちゃんだけを見つけられる。必ず傍に、ずっと一緒に寄り添うことができるんだから」



 私もよ。



 その言葉は声に出さなくても、触れる唇の熱でじわりと伝わってしまうから


「お帰り、美奈」
「ただいま、レイちゃん」
「また、仕方がないから美奈といるわ」
「うん」

 きつく抱きしめて
 もっと抱きしめて

 言葉にしない代わりに、その眩しい光を強く強く抱きしめる

 愛と言う名の星
 何度でも、また、巡り合うのね
 




セラミュ 千穐楽記念

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緋彩の瞳

祈り

壊れ行くものがあるとすれば
それは、未来だとあなたは言った


嘆きを叫ぶことなどしない
あなたに見せるこの水鏡には

未来など映えなくても


あなたはただ、微笑みもせず
頷きもせず



祈ることが許されるのならば
あなたの死が安らかであるように、と


幾千の星の運命を背負うあなたに
再びの命が与えられるのなら


その傍にいてもいいと
赦しが得られるのなら

誰に祈れば
何に祈れば

月ほど憎いものはない
月ほど美しいものはない

だけど
あなたほど愛しいものはない

届けばいいのにと
私は

あなたに祈るのでしょう



幾千の日々、はるか遠く
水鏡に映るあなたに想いを馳せて








「おはよう、みちるさん」
「………レイ」
「珍しい。いつも私より早起きなのに。どうしたの?ずっと険しい顔して寝てたわ」


紫がかった長い髪
シャラシャラと音を立てて、みちるの頬をくすぐる
緩やかに重い頭をほんの少し振って、眠っていたのだ、と思い出す

鏡に映っていた、マーズ様の顔
強く眩しい焔の瞳
星を焼き尽す魔術を唱える唇
指先から放たれる赦し


遠く、はるか遠く
永遠よりはるか遠く

あの頃、鏡越しにただ
愛していた

ただ、祈り続けた
彼女に、祈りをささげ続けた


「ごめんなさい。何だか変な夢を見て」
「変な夢?」
「………えぇ、そう、夢」

口に出して説明をしても、火野レイにはわからないだろう

あなたは
私の神だったのよ、と


「夢見心地が悪い朝なのね。一日が始まると言うのに」
「レイがキスをしてくれたら、今から幸せな一日が始まるわ」


 
遠く、あなたに捧げた祈り

 
二度目の命など望まなかったのに
あなたをこの世界に引きずり込んだのは、きっと私の祈りのせい

全身に血を浴びても、神であり続けたあなたを
その全てを崇拝していた
そして叶うものなら
その御心に寄り添いたいと祈った


「みちるさん、夢で誰と会っていたの?」
「わからないわ……人じゃないかもしれないわね」
「神様とでも?」
「そうかもしれない」

唇に落とされた赦し
戦神の冷たい唇
焦がれた唇

「みちるさん……夢でマーズに会わないで」
「……えぇ」
「神は罪を犯して下界へ落とされたの」
「私が引きずり落としたのよ」
「…………そうなの?」
「えぇ」


生まれ変わることなど、望まなかったのに


言いたげな瞳から逃れるように、その長い髪を引っ張り抱き寄せ、腕の力を込める

愛していると告げるたびに襲う眩暈
海を漂うようにふわふわと舞う

傍にいてと神に祈った
これからも祈り続けるの

腕の中にいる私の神
私だけの神でいて欲しいと


「じゃぁ、責任を取って」
「急いで朝ごはんを作るわ」
「お弁当もね」
「喜んで」

無邪気を装うレイの瞳
焔の瞳がみちるを捉え

また一つ、罪が増える






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緋彩の瞳

肩を組んで笑お END

「アッサムは、私のことを馬鹿にする人が目の前にいたら逃げるのね」
 3人が隊長室から出て行くのを見届けると、ダージリンは膝の上を両手でポンポンと叩いた。隊長椅子に腰を下ろしているその膝の上にアッサムを座らせ、そっと髪にキスをする。
「ペコはよくやったと思いますわ」
「そう?」
「えぇ。バニラたちからの話を聞く限り、ペコが腹を立てても、致し方ない状況だったと思います」
「そう」
 睡眠時間を削って、OG会への報告書を作成したアッサムの疲れを労うように、そっと頬を撫でる。メールや電話で抗議をしてくるOGの方はいらしたが、今回の騒動は殴った原因もセットで広まっており、少ないものの、ペコたちを擁護する声もあった。いずれにしても、お怒りの愛菜さまには謝りに行かなければならない。会う口実になった、と思わないでもない。
「ダージリンは?」
「私?」
「えぇ。私や後輩たちのことを悪く言う人が目の前にいたら、どうしますの?」
「さぁ?わざわざ水を掛けることや、殴りかかるなんてことはしないわね」

 ダージリンの肩に頭を置き、ふて腐れたような視線を投げかけるアッサム。キスして欲しいのかしら、と思いながら、両手を腰に回してぐっと体を密着させた。

「では、笑ってその場から立ち去りますの?」
「どうかしら?」

 密着するセーターから伝わる心臓の音。とても穏やかで、とても心地がいい。

「ペコ達がした行為であんなに嘆願書が集まったと言うことは、多くの生徒はペコたちのしたことを良しとしています」
「そうね」
「表向きは認められないことですが、でも………どうでしょう。その場にいたら、私は止めなかったかもしれません」
 次から次に、在校生徒たちがみんなペコ達の肩を持つものだから、ダージリンとしても処分が難しかった。暴力を振るったきっかけにダージリン自身が関係していることもあり、それほどに想ってくれている1年生たちが、可愛くてどうしようもないお馬鹿な子たちで。こういうのを目に入れても痛くないと表現するのだろう。きっと、OG会のお姉さま方も理解してくださるに違いない。
「私も、あなたのことを悪く言う人間がいれば、笑顔でその場を離れるわね」
「そうですか」
「うっかり手元が狂って、淹れたての熱い紅茶が相手のお顔にかかってしまうかもしれないけれど」
「………それは、随分とうっかりしていますわね」
「うっかりなのよ」
「そうですね」
 今頃、笑われながらルクリリたちは動画や写真を撮られているに違いない。一番上手く撮影できた生徒には、アッサムから直々にご褒美がもらえる。なんて言う情報をグリーンが流しているらしいから。その動画と写真を報告書と一緒に、OG会のお姉さまにお渡しするつもりだ。

「シナモン様」

 2週間が過ぎた。もうそろそろ生徒は皆、ルクリリたちのプラカード行進を見飽きたものだ。調子に乗って、ついつい向けられる携帯電話に向かって、ローズヒップとピースサインやポーズを取ってしまったものだから、アッサム様に思いっきりお尻を叩かれた。そんなこんなで、周りが飽きてしまったこともあり、今日でさらし者の刑も終わり。清掃の罰はもうしばらく続く。

 クリーニングに出していたシナモン様のセーターを手に、お部屋を訪ねた。ダージリン様とアッサム様は連絡船で東京に出向き、OG会に事情説明と謝罪をしておられるそうだ。一緒に行って謝りたいと申し出たが、あのお2人は謝罪という名目で、OGのお姉さまたちに会いたいだけだってシナモン様に言われた。お2人とも、謝罪に行くわりには楽しそうに出て行かれたらしい。

「よかったわね。隊長と副隊長が寛大で」
「シナモン様たちが嘆願書を提出されたからです」
「あってもなくても、お2人は重い罰を与える気はなかったと思うわよ」
 お部屋に飾られている中学時代の写真には、三つ編み姿のダージリン様と仲良く肩を並べているものや、アッサム様のお部屋にもあった東日本チームの写真。
「そうですか」
 ルクリリも中学時代には美咲ちゃんと肩を並べ、沢山の写真を撮った。同じ夢を持ち、同じ道を歩もうと、互いに努力し合っていた。強すぎる憧れが2人の間にヒビを入れたのか、それとも、ルクリリがティーネームを授かっていなければ、もう少しは仲良くいてくれたのだろうか。
 ルクリリに嫌味を言って、羨ましいと声に出せない想いをペコにぶつけて、ダージリン様にもアッサム様にも、悪い意味で顔と名前を憶えられてしまった。今更、可愛そうとは思わないが、そう思えない自分が寂しいとは思う。思い出を語り合う友達がいなくなってしまうことよりも、大事な聖グロの仲間を守りたいと思った。それがルクリリの中の答えなのだ。

 想い出よりも未来が大事。
 ほんの少し、寂しいとは思う。

 シナモン様みたいに、ずっと大事にしたい想い出がすぐ傍にあれば。


「なぁに、ルクリリ?ダージリン様のお写真が気になるの?」
「あぁ……いえ。ダージリン様と同じ中学なんですよね?」
「そうよ」
「ダージリン様は昔から、あんな感じの人なんですか?」
 どんな感じ?と聞き返したい表情は、言わんとすることを理解してくださっている様子。整備科のお姉さま方の中にも、ダージリン様と同じ中学だった人はいて、髙森穂菜美がいるから聖グロを受験したと言うお姉さまもいらっしゃる。
「どうかしらね?もっと孤高の人だったわ」
「そうなんですか」
「中学時代は、その人気と同じくらい陰で嫌われていたわよ」
「えっ」
 意外って言おうと思ったけれど、美咲ちゃんみたいな人もいるのだから、東日本チームの隊長になりたいと思っていた人から嫌われることだって、あっただろう。どれだけ完璧な人でも、完璧である人を嫌う人はいるから。
「ダージリン様は容姿もそうだけど、頭もいいから。あちこちの高校から特待生のオファーもあったし、戦車道の選手としてもいい成績を残していたもの。努力してもその地位に立てない人たちはみんな、彼女のことを悪く言うくらいしか、やることがなかったのね」
「…………そのことを、ダージリン様は知っていらしたんですか?」
「さぁ?きっと、気にする時間がもったいないと思われていたんじゃないかしら」
「ですよね」
 ダージリン様のことだから、きっと笑って華麗にスルーされていただろう。あるいは孤高の人だったのなら、それすら糧にしておられたのかも知れない。
「ルクリリはどうするの?」
 アイスティを淹れてもらい、甘いガムシロップを淹れてかき混ぜた。グラスはうっすらと冷たい汗をかいていて、握りしめるとひんやりと心地いい。
 写真の中の楽しそうなダージリン様とシナモン様の微笑みが見つめてくる。ルクリリも、ペコたちに中学時代の楽しかった想い出を話して聞かせてあげたかった。だけど、そんな日はこれからも訪れることはないだろう。中学3年間、いろんな楽しいことを積み重ねてきたことが、一発殴って消えたのだ。
「私は今の仲間が大事です。私に必要なのはペコたちと築く未来なので」
「そうね。だったら、ペコに手を出させる前に、もっとうまく立ち回るべきだったわね」
「……はい」
「仲間を守るだけでは、隊長になるには足りないと思うわ。仲間が大切にしているものを守る強さを身に付けなさい」
「はい、シナモン様」
 退学届けまで準備をしてくださっていたシナモン様は、優しく、それでも静かに怒ってくださった。

 仲間が大切にしているものを守るには、まだまだルクリリは弱すぎるのだ。


 さらし者の刑からようやく解放されて、ペコはプラカードを首から外し、大事に机の引き出しにしまった。怒りに任せて起こした暴力。ダージリン様とアッサム様を心配させたり、悲しませたり、怒らせたりすることの方が辛かった。あの腹立たしさよりもずっと、ペコの方がお2人を傷つけたのだ。
 それでも、呆れられたり、放り出したりされない優しいお2人。

 ずっとその優しさに甘えて、支えることもできないでいる。

 こんなはずじゃなかった。
 まだまだ思うようには行かないものなのだと、気づかされてばかり。

「おーい、2人とも。ご飯食べに行こうよ。シナモン様が外に食べに出てもいいって許可を下さったよ」
 シナモン様の部屋にセーターを返しに行っていたルクリリが、上機嫌で返ってきた。騒動を起こしてから、ずっと幹部席で食事を取っていないし、学校の食堂以外に出歩いていない。放課後もずっと、掃除やら練習場の整備をし続けていて、学校の敷地から1歩も外に出なかった。出るなと声に出して言われたわけではなかったが、1年生たちみんな、出ようとはしなかったのだ。けじめの一つだった。
「やったーですわ!ノエル!ノエルがいいですわ」
「やだよ。ざるそばがいい。天ぷらがいい。でっかいエビの天ぷらがセットになったやつ」
 サンドイッチに飽き飽きしていたのに、洋食を欲しがるローズヒップにすぐさま腕で大きく×を書くルクリリ。
「私は中華がいいです」
「ペコ、こういう時は第3案を出すんじゃない」
「そうですわ。こういう時は、最初に手をあげた人に従うべきですわ」
右からルクリリが肩を組んで、仲間に引き込もうとして来た。慌てて左からローズヒップが真似するように、ペコの肩に腕を回してくる。

 2人分の腕は、ずしりと重い。

「いや、こういう時は第3案が一番いいのではないですか?」
「中華?北京ダックより、私は天ぷらと冷たいざるそばがいいんだよ」
「私はアボカドバーガーがいいですわ」

 重たくて、暖かくて、たぶんこの学校を卒業してからも、なんだかんだとずっとこうやって肩を組んでいるような気がする。そうであればいいのに、って思った。

 ペコが守りたかったものを守ってくれたのは、結局はルクリリで。
 ペコを庇ってくれたのは、ローズヒップで。
 必死になって一緒に謝ってくれたのは、クラスメイト。

「では、今日はおそばを食べて、明日の夜にアボカドバーガーにしましょう」
「ということは、明後日に北京ダックということか」
「はい、そうですね」
「仕方有りませんわね。天ぷらを挟んだバーガーはありませんし」

 今日も明日も明後日も、ペコと肩を組んでくれる仲間がいるのは心強いだろう。
 自分への苛立ちは、いろんな人から指をさして笑われることで、巧く処理していったような気がする。笑われるようなことをしたのだ。大切な人を守る方法を間違えたペコが悪いのだ。
 ペコがもっと早くに、ルクリリを守ってあげるべきだった。


「やっぱ、持つべきものは仲間だよねぇ」
「そんなにおそばを食べたかったんですか?」
「ん~?まぁ、色々あるんだよね」

 財布と携帯を手にしてすぐに寮を出ると、丁度、東京に出ておられたダージリン様とアッサム様が車で戻って来られるところに出くわした。

「アッサム様!ダージリン様!」

 確か、OG会のお姉さま方にお詫びに行っておられたはず。どれくらい怒られたのかはわからない。きっと学校を辞めさせろとか、ティーネームをはく奪だとか、OG会のお姉さま方はきつくおっしゃったに違いないだろう。聖グロの生徒として、ティーネームを授かったものが他校と喧嘩なんて前代未聞のトラブル。庇ってくださるお2人の立場も悪くされてしまう。

 それでも、お2人は全力で庇ってくださっていることを知っている。

「あら、3人とも。プラカードを持って外に食べに行かないの?」
 助手席の窓を開けたダージリン様は、とても綺麗な笑み。怒られてきたようには見えない。
「いや、あれで外に出るのは流石に」
「そう?カッコよかったのに」
「………勘弁してください」
 聖グロの学生艦に住んでいる人にも、当然今回の事件のことは筒抜けで、何だかんだと学校の外にまで清掃作業をしに行った過去もあるから、あぁ、また戦車道1年生ねって笑われていることは、潮風に乗って伝わってきている。

 それでも、受け入れてくれているのは、ルクリリが次の隊長だってみんなが知っているからだと思う。何となく、そう思えるのだ。ダージリン様が選んだのならば、間違いはないだろうっていう空気もある。
 守ろうとして傷つける結果になったペコよりも、ずっと、本当の意味で聖グロを守ることができるのは、たぶん、1年生ではルクリリしかいないんだと思う。

「ダージリン様、アッサム様。OGのお姉さま方たちはどうでしたか?」
「相変わらず3人とも仲良くしていらしたわよ。ルクリリお姉さまもいろんな意味で相変わらずだったわ」
「……いえ、えっと、そうではなくて。あの、私たちの処分は?」
 なんだかとても楽しくお茶してきたと言ったような笑みで、ダージリン様はとても余裕でいらっしゃる。どんなやり取りをされたのか、さっぱりわからない。
「処分?あぁ、あなたたちがプラカードを首からさげて校内をうろついていた動画も写真もすべて、お姉さまたちに見せたわ。ルクリリお姉さまは、手を叩いて喜んでいらしたわ」
「………はぁ、そうですか」
 ダージリン様とアッサム様が厳しくお叱りを受けずに済んだのなら、笑われるくらいは大したことではないけれど、あまりにも楽しそうに微笑むから、何だかもやっとしてしまう。

「ところで、あなたたちは何を食べに行くの?」
「おそばを食べに行きます」
「あらそう。私はアッサムがどうしても中華と譲らないから、今日は中華にするわ」


「「「私たちも中華を食べます!!!!」」」


 ノエルがいいとか、天ぷらとざるそばがいいと言っていたのはどこの誰だったのだろうか。ペコの声に重ねてきた両再度の2人が、肩を組んでポーズを決めている。
「あらそうなの。じゃぁ、どうぞ、ご自由に食べたらいいんじゃないかしら?」
「え~~!ダージリン様とアッサム様と一緒がいいです!」
「そうですわ!もう、ずっとずっと一緒にご飯もお茶もしていませんわ!」
 勝手に後ろの座席に乗り込む2人に、遅れを取らないようにペコも乗り込んでドアを閉めた。

「あなたたち、本当に反省しないのね」
 運転席のアッサム様は、バックミラー越しにため息を反射させて、それでもゆっくりとサイドブレーキを外して校門へとUターンを始める。
「あら、アッサム。アールグレイお姉さまに甘えた声を出して、3人を庇っていたのはどこの誰かしら?」
「オレンジペコお姉さまの腕にしがみ付いて、ふて腐れていた人もいましたわね」
「“あらやだ”、バニラお姉さまのことかしら?」
「“あらやだ”、ダージリンことですわ」

 何だかよくわからないけれど、お2人がOGのお姉さまに甘えたり拗ねたりして見せて、ペコたちを庇ってくださったと言うことは伝わってくる。

「ダージリン様」
「なぁに、ペコ」
「ごめんなさい。もう、悪いことはしません」
 後部座席からダージリン様の両肩に手を伸ばして、セーターを握りしめた。優しい手のひらが甲を撫でてくださる。
「ペコ」
「はい」
「私たちのためではなく、仲間のために強くなりなさい」
「はい」
「仲間を守る方法をルクリリ達と一緒に考えていくことね」
「はい」

 必死になって、考えなければならないのだ。
 守る方法を。これからもずっと、肩を組んで笑っていられるために。

「大丈夫ですわ、ダージリン様!このローズヒップがペコとルクリリをしっかり守って見せますわ!」
「あら。期待しているわね、ローズヒップ」
 
 クスクス笑うダージリン様の声と、呆れて何も言えないアッサム様の横顔。

「ルクリリ」
「ん?」
「ありがとうございます」
「何が?」
「………色々ですよ」
「ふーん。なんだ、もう拗ねたりしないんだ」
「はい」


 ルクリリが腕を回して、ペコの首に絡めてくる。苦しさから逃れるように、イヤイヤとダージリン様に助けを求めたけれど、バックミラー越しに笑うダージリン様とアッサム様にはきっと、じゃれているようにしか見えないのだろう。


 次は、本当にちゃんと仲間を守れるように。

 強くなれたらいい。







肩を組んで笑お ⑤

 膨らんでいたスカートのポケットから退学届けを取り出したルクリリは、ダージリン様の机の上に置いた。

「私も責任を取ります」
「私もですわ!」
「私たちも責任を取ります」

 慌ててペコも取り出して、ルクリリの封筒のすぐ傍に並べた。何にも打ち合わせをしていなかったのに、バニラたちも退学届けを書いてきていた。騒動に巻き込まれただけなのに、バニラたちが辞める理由なんてない。

「いえ。私だけが責任を取りますので、ペコ達には聖グロの戦車道を続けさせてあげてください」

 ルクリリは自分以外の退学届けをまとめて、勝手に手に取って一歩下がった。
 本当に腹が立つ。
 こういうことをサラッとしてみせるところが、ペコにはない強さなのだ。
 ペコがクラス委員をやりながらも、次期隊長にはなれないのは、何かが足りないから。
 ルクリリのような強さとか、ルクリリのようなカッコよさとか、ルクリリのような潔さとか。

 悪役になりきる心とか。

「ルクリリ!私も辞めるって言いましたわ!」
「聖グロにいろ、ローズヒップ。クルセイダーに乗りたくて聖グロに入ったんだから」
「嫌ですわ!」
 ペコたちの退学届けを束ねて捻り、ゴミみたいにしたルクリリは、胸倉を掴むローズヒップを睨み付けている。
「ローズヒップ、ここで声を荒げるな」
「ルクリリが1人で辞めるなんて、絶対にダメですわ!」
 退学届けなんて、何度でも書き直して提出すればいい。もし、本当にルクリリを退学させるのなら、すぐにでもペコは直接ダージリン様に辞めることを告げる覚悟だ。

「2人とも、周りを見なさい」

 涙目でルクリリの胸倉を掴む背中に、アッサム様が声を荒げた。ここは隊長室で、1年生は全員、ダージリン様の前に並んでいる。

「ごめんなさいです、アッサム様………」
 
 胸元が寄れたセーターをピンと直して、ルクリリがもう一度ダージリン様に向きを戻した。

「申し訳ございません。どうか、今回の他校の生徒との喧嘩は、私だけに処分を下してください」

 お願いします、とルクリリが頭を下げるから、ペコはそのズルさに腹が立って、何だか泣きたくなった。ローズヒップみたいに声を荒げて今すぐに抗議できないことも、自分だけを処分して欲しいと、ダージリン様に詰め寄ることも、ペコにはできない。一歩が重く、一言が出せず喉が痛む。

「オレンジペコ」
「………はい」
「あなたはどうするの?」
「私もルクリリと同じ処分を望みます」
「そう」
「私が最初に水を掛けなければ、騒動にはなりませんでした」
「そうね」

 ダージリン様はルクリリの退学届けを手にして、さっきルクリリがしたことを真似て、捻じってしまった。

「ルクリリ」
「はい」
「あなたの手元にあるゴミと一緒に処分しておいて」
「………はい」

 捻じれた退学届けがルクリリの手元に戻ってくる。ダージリン様は退学届けを受け取るつもりはないご様子だ。

「オレンジペコ」
「はい」
「聖グロの戦車道はあくまで優雅。自らの手で自らの未来を汚すことはあってはならないことよ」
「はい」
「光の中を一人で歩むよりも、闇の中を友人と共に歩むほうが良いこともある。でも、あなたが選んだ方法がその時の最善であったのなら、それは聖グロの総意とされるの」
「………はい」
「ティーネームを授かっていることを、あなたがノーブルシスターズと巷で呼ばれ、注目を集めているという身分であることを、今一度深く考えなさい」
「はい、ダージリン様」

 もう一度、1年生をじっくりと眺めている瞳。
 どっしりと椅子の背もたれに身体を預けて、とても優雅でいらっしゃる。

「1年生が起こした問題については、教育担当のアッサムが報告書を作成し、OG会に説明に行きます。戦車道1年生は全員、連帯責任として早朝より校内清掃、訓練場の清掃をすること。当然、それ以外にも、暴力を振るった生徒、暴言を吐いた生徒にはそれなりの罰を受けてもらいますので、心の準備をしておきなさい」

 アッサム様が手元のファイルから、いくつかの封筒を出して、ルクリリに見せてくださった。
「寛大な処分を求めて、多くの生徒が署名しています。戦車道2,3年生、整備科全生徒、情報処理部。どれだけの人があなたたちのことを想っているか、どれだけの人の信頼を背負っているか、きちんと考えなさい。お願いだからこれ以上、私たちをがっかりさせないで」

 退学届けというゴミをきちんと処分するようにと念を押され、1年生は全員寮に戻るようにと言われた。これから、謝罪行脚のため、先輩方の寮室を訪問しなければならない。


「ルクリリ、どうして1人だけで学校を辞めようとしたんですか?」
「当たり前だろ。私に売られていた喧嘩なんだ」
「水を掛けたのは私です」
「そうさせたのは、私だろ」
「そう言う無駄にカッコつけるの、どうかと思います」
「別にカッコつけのためじゃない」
 隊長室の扉を開け、早足で歩きながら、ペコはルクリリの腕をきつく引っ張っていた。ちっぽけな力では何の効果もないけれど、怒っているということは伝えたい。腹が立つのだ。でも多分、自分に腹が立っている。ルクリリのようなことができない自分に。どこまでも、悪者になりきれなかった自分に。

「ルクリリはズルいですよ。そう言う所の全部がズルいです!」
「はぁ?何がどうズルいって言うの。私が売られた喧嘩なんだ。みんなを巻き込んだのは私のせいなんだから、責任を負うのは当たり前なんだよ」
 腕や背中を叩いても、何ともないと言わんばかりのルクリリ。精一杯力を入れて叩いても、全部受け止められて、そして消えて行ってしまう。
「ペコ、もうやめましょうよ。誰も退学にならないのだから」
「そうですわ。また揉め事を起こすと、アッサム様にお尻を叩かれますわ」
 バニラにたしなめられてローズヒップに無理やりに引き離されても、帰る方向だってずっと同じで過ごす部屋も同じで。目頭が熱くなって悔しいって思うのは、ダージリン様に怒られたからでもなくて、反省しているわけでもなくて。

 本当に、悔しい。
 ダージリン様のためにぐっと我慢することも。仲間を想い、嫌われてでも守ろうとすることも。どちらもペコには出来なかった。


 集まってくれていた1年生全員に、退学は免れたと告げて、改めて頭を下げた。みんなホッとして嬉しそうだけれど、連帯責任の罰が待っているのだ。もう慣れっこになった、なんてニルギリたちは言ってくれる。何の悪さもしていないクラスメイト達を巻き込むことが心苦しかった。でも、ダージリン様の指示なのだ。自分の行動が誰かを傷つけ、迷惑を掛けるということを、身をもって学べと言うことなのだろう。整備科や情報処理部の1年生たちも集まっていて、みんなで罰を受けようって、何だかやる気がみなぎっているように見える。
「ペコが水を掛けたんでしょう?」
「………はい」
 整備科のチャーチル担当の1年生が、目を赤くしているペコの肩を優しく叩いてきた。さっきまでルクリリに食って掛かっていた声。バニラたちに引き離されて唇を尖らせたままだ。
「よくやったわ。きっと、後でアッサム様から褒められるに違いないわ」
「いえ……流石にそれはないと思います。こんな騒動になってしまったわけですし」
「でも、ペコが我慢できない程だったのでしょう?聖グロの生徒として、ダージリン様への侮辱を笑って聞き流すなんてしてはいけないのよ。やるときはやらないと」
 周りの皆も、ペコが手を出したということは、よほどの暴言だったと捉えているようだ。だからこそ、ほんの数時間で嘆願書を集めてくれたのだろう。これが最初に手を出したのがルクリリなら、今頃、批難轟々だったに違いない。普段の風格の違いと言うものだ。

「みんな、ごめんなさい。何かといつも、一緒に罰を受けさせてばかりで」
「いいのよ、ペコ。聖グロの戦車道は全員で戦っているの。整備科も情報処理部も、他の学部もみんな、ペコたちと同じ想いだから。同じ道を歩んでいる仲間のためなら、どんな罰でも一緒に受けるわ」
 集まってくれた多くの仲間たちの心配の目が、なぜかペコにばかり集まって。役得だよなって思わずにいられない。ルクリリはそれも当然だろう、と思いながら眺めていた。手を取り合って微笑み合う少女たちの美しい光景。ルクリリだけが手を出していたのなら、きっと今頃、連帯責任の文句や嫌味を言われていたはずだ。



 3人でとにかく先輩お一人お一人に頭を下げに行き、夕食の時間も、食堂に集まった生徒全員に頭を下げて回った。こういう謝罪行脚に馴れている身体というのも、どうなんだろうって思いながら、ずっとずっと頭を下げ続けた。ほとんどの生徒は、ペコが水を掛けたことに対してとても寛大でいて、よくやったと言ってくださるコメントも多かった。複雑な表情を見せるペコは、笑うことも開き直ることもできなくて、ずっとずっとㇵの字に眉をひそめたまま。

 夕食にダージリン様もアッサム様もシナモン様やグリーン様も現れず、幹部の先輩方とお外に食事に出て行かれたそうだ。夕食を取りながらみんなで話し合いを持ち、ルクリリたちへの処分を決めるのだろう。
 食事中もいろんな人に応援みたいな言葉を掛けてもらい、特にペコにはみんな優しかった。そのことに苛立ちを覚えているのだろう。おかげでルクリリに対しては拗ねた態度を見せたまま。ずっとずっと、ルクリリに唇を尖らせた顔を見せ続け、その顔のまま夜は終わった。

「3人にレオタードを着せて、白鳥の湖を躍らせるという案もあったのだけれど……。今回はキャンディ達からのお願いもあって、とてもとても寛大な処分を下すことになったわ」
 月曜日。校内の清掃をして、朝食後に隊長室に呼ばれたペコたちは、ダージリン様の手から30センチ四方のラミネート加工された紙を受け取った。

「あの、これは?」
「いいと言うまで、授業以外の時間は首にぶら下げて過ごしなさい。食事中は椅子にでも掛けて、目立つようにしておくこと」
 首からぶら下げられるように紐が通されている。


『私は罪を犯しました』


 しっかりと太くて大きな字でプリントされているそれを受け取ったルクリリは、もう散々笑われ者は馴れっ子なのに、と心の中で思った。
「踊りを見たかったのに、キャンディたちの涙の訴えに負けたわ」
 ダージリン様のことだから、何かと笑わせようとされるだろうと思っていたけれど、今回は投票で罰を決めたそうだ。きっとシナモン様も反対してくださったに違いない。
「私は戦隊もののコスプレを着せたショーを見たかったのですが」
 アッサム様はペコの首に、プラカードを掛けながらため息を吐いていらっしゃる。たぶん、本当にそれを提案されたのだろう。誰の何に影響を受けて、そんな提案をされたのか。
「休み時間のたびに、その姿で他学部の教室を訪問して謝ってきなさい」
 アッサム様は携帯電話を構えて、ペコの写真を何枚か撮影された。罰を与える側がとても楽しそうなのは、どうなのだろう。とはいえ、寛大すぎるほど寛大なのだ。戦車に乗るな、とも言われなかった。ティーネームもはく奪されずに済んだ。
「罰はこれだけですか?」
 ペコはアッサム様を見上げて、本当にいいのかと確認している。いろんな人に励まされることに、かえって居心地が悪い様子だったから、目に見えた罰がこの程度なのは、優等生のペコには物足りないのだろうか。これはこれで十分、普通に考えたらキツイはずだけど。聖グロの生徒として、毎回毎回、お仕置きは恥の上書きしかない。
「白鳥の湖を踊りたいの、ペコは?」
「いえ、そうじゃありません。でも、ティーネームはく奪とか戦車道から他学部への転籍とか」
「あなたはもう、オレンジペコなのよ。身体に沁みている名前を奪ったところで、あなたが聖グロでなすべきことは変わらないわ」
 ペコの頭を撫でるアッサム様の声も表情もいつもと変わらない。過ぎたことであり、ルクリリたちがしでかしたことに対して、ここまで寛大な処分で済ませてくださるのは、ルクリリ達のことを守ってくださっているからだ。決して、殴ったり水を掛けたことを仕方がないと思っておられるわけじゃない。そう思っているのは、他の生徒たちだけだ。お2人は上手くやり過ごせない未熟さを憐れんでくださっている。もう、次はない。

「………もし、アッサム様なら。……アッサム様なら、ダージリン様のことを馬鹿にする人が目の前にいた場合、どうされますか?」
 悪いことをして、殴られるくらい怒られた方が楽なことはある。いろんな人から罵倒されて、憔悴しきるほどの罰を与えられた方が、ずっといいことだってある。ペコはたぶん、ダージリン様とアッサム様が美咲ちゃんに頭を下げたことや、謝罪のために多方面に尽力されたことが辛いのだろう。そうさせてしまったことの責任を感じながらも、周りからの励ましを受け、やるせないのだ。
「私なら、笑ってその場から離れるわね」
「………はい」
「そんな人と飲む紅茶は、とてもマズいでしょう?」
「はい」
「我慢して聞き流すことも立派なことだわ。でも、本当に守るべきものがあるのなら、耳を塞ぎ、離れてしまうことが最善策と考えると思うわ。結果的にダージリン様に迷惑を掛けてしまうもの。それに、知らない人とはいえ、そういう人間が身近にいるということを、ダージリン様に知られたくもないわ」

 あの時、傷ついたのはあの罵倒を聞いたその場にいた聖グロの生徒であって、ダージリン様でもアッサム様でもない。ルクリリが上手く交わしていれば、ダージリン様やアッサム様の耳に深いな想いが届くこともなかった。

「………もっと、うまく立ち回るべきでした」
「そうね」
 プラカードを首に掛けて、お2人に頭を下げると、その姿のまま3年生の教室へと真っ直ぐ向かった。お姉さま方は皆、携帯電話を構えて待っておられて、大真面目に謝罪しているルクリリたちを、アッサム様と同じようにドンドン撮り、保存されているようだ。どこの教室に入っても、皆動画に写真に、保存しておられてばかり。廊下を歩いても、どこかの誰かが撮影をしているから。なるほど流石にアッサム様。下を向いて歩くことも許されなくて、普通にきついお仕置きのようだ。

肩を組んで笑お ④

「ペコ」
「………ルクリリ」
「ごめん」
「私が……最初に手を出したんです」
「手を出させたのは私だから。そんなことは気にするな。ダージリン様が、あとは引き受けてくださるそうだ。シナモン様と一緒に、先に船に戻ろう」

 店内は静まり返っていて、面白半分で店を出ずに見ていた他のお客様が様子を伺っている。聖グロの青い制服の生徒たちは、黙ってお店を出た。お店の外では、騒ぎを聞きつけたのか、1年生の戦車道や整備科の生徒たちが心配そうな眉を並べている。キャンディ様もグリーン様も駆けつけてくださった様子。


「直ちに学生艦に戻りなさい。聖グロの生徒は実家に戻った生徒も含めて、全員に帰艦命令が出されました。明日も外出は禁止です」

 いつも柔らかく微笑んでくださるシナモン様は、険しい顔。ご自分が着ておられるセーターを脱ぐと、ルクリリに押し当てた。
「コーヒーのシミを付けて、みすぼらしいわ。聖グロの生徒でしょう?次期隊長がそんな姿で人前に出るんじゃありません」
「………ありがとうございます」
 受け取ったルクリリは、セーターを脱いでコーヒーの匂いのする湿った髪を軽く握った。白いシャツも、薄く汚れていた。

「帰ろう、ペコ。私たちはまだ、聖グロの生徒だ」
「はい」
「帰って、部屋の整理でもするか」
「そうですね」

 いつでも出て行けるように、身軽にしてしまわないといけない。沢山ある戦車道の本も、手あたり次第集めた資料の山も、仲間と一緒に撮ってコルクボードに張り付けている写真も、全部、段ボールに放り込まないと。

 退学かも知れない。それは何かあれば毎回思ったものだ。そのたびにローズヒップだけがアッサム様に頬を叩かれるだけで済んだり、始末書だけで済んだり、清掃活動や、戦車道訓練施設10周ランニング、そういう罰を受けて、それで免れてきた。だけど、人に暴力を振るったことでの罰は一度もない。聖グロに来てから、殴りたくなるほど悔しいと思うことなんてなかった。みんな、穏やかで優しくて、仲間想い。お嬢様と呼べる人間じゃないことはちゃんと自覚していたけれど、それでもこの聖グロと言う世界では、そうでありたいと願い、過ごしてきた。

 思うようには、行かないものなのだ。
 ルクリリがこのティーネームに似合う人物でいようと思っても、どうにもこうにも、おとなしくしていられない。

 部屋で待機を命じられている間、3人で徹底的に部屋を掃除して、ついでに寮の廊下や窓の拭き掃除もして、退学処分にされるくらいなら、自主退学の方がダージリン様に迷惑もかけないだろうと、机に向かって退学願を書いた。ペコとローズヒップには、その罰を受けさせたくはないけれど、2人は何があってもルクリリと同じ罰を受けると言い張って、折れようとしない。聖グロの校章の入った封筒にそれぞれが書いた退学願。流石に、ダージリン様であろうとも、他校との揉め事を起こした生徒を傍に置いてなどくださらないだろう。何とか、2人だけは見逃してもらいたい。床に頭をこすりつけてでもお願いをしなければ。

 殴られた他校の1年生がダージリンのファンだと言うことは、すぐにわかった。殴られた頬を気にしながらも、嬉しそうな瞳は隠せていない様子。
 ペコがいきなり水を掛け、そのことについて謝ってほしいと言ったら、今度はルクリリが殴ってきた、とまくし立ててくる。2人がそう言う暴力的なことをした理由を問うと、ルクリリが大学選抜チームの試合の時に、品のない言葉を吐いたことを注意しただけ、だと。ダージリンの傍にいるのだから、もっと上品にふるまうべきだと、小学生の頃からの友達として、言って“あげた”らしい。そのことで、ペコが腹を立てて水を掛けるというのも不思議なことだ。やはり、ペコたちから説明を受けなければ、本当のことがわからない。隠したいことがありそうな他校の生徒たちの様子を見ている限りでは、水を掛けられるようなことをしたからだと言うのはありありと読み取れる。

「ルクリリに苦言を?彼女はわが校の戦車道の生徒ですので、責任は私にあります。あなたがルクリリの態度について苦言を呈する必要はございませんわ」
「いえ、あの、私は小学生時代からずっと彼女とは友達で。友達として、言動の注意をしたまでです」
「そうですか。あの子にはOG会からもクレームが来ましたし、こちらではもう、その件での指導は済ませてありますの。ですので、他校の方から何かを言われる筋合いはございません。何か文句があるようでしたら、すべて広報担当におっしゃってください」
 広報担当って誰のことかしら。アッサムは隣で話を聞きながら、きっとグリーンだろう、と心の中で決めておいた。殴られて痛そうな頬の色は、ダージリンと話ができて嬉しそうな、それでいて、ルクリリたちを庇うことが気に食わないような、悔しさの色のようにも見える。

「ダージリン様は、暴言や暴力を振るうような人を庇うおつもりですか?」
「えぇ、もちろん。後輩の失態を庇えないようでは、戦車道の隊長を務めることができませんわ」
「ノーブルシスターズの人は水を掛けてきたんですよ?」
「指導が行き届いておりませんでしたわ。どれほど腹が立つことを言われても、我慢をするようにと、後でいい聞かせておきます」
 ダージリンは謝罪しながらも、ルクリリ達のことを最後まで庇う姿勢を変えようとしない。冗談じゃなく、人を殺したとしても、ダージリンがルクリリたちを学校から追い出すことはしないだろう。アッサムが好きな人は、後輩を愛し、守り抜く人だから。
「聖グロの戦車道に、あんな人たちはふさわしくありません!」
「それもすべて、私たちの指導が行き届いていない結果ですので、重ねてお詫び申し上げます」
 ちくりと嫌味を言いながらも、それでもダージリンは頭を下げる。流石に暴力に打って出た以上、偉そうにふんぞり返ることもしたくないのだろう。アッサムも何度も頭を下げて、最後は目を赤くして悔しそうに逃げ去って行った“自称ルクリリの友達”の後姿を見送った。

「帰ったら、各責任者を適当に見繕って隊長室に呼んで頂戴。1年生はいいわ。大体の事情はわかったから」
「わかりました」
「まったく……あの子たちは。アッサムの指導の賜物ね」

 全員の帰艦が終了したと、グリーンから報告メールが届き、アッサムはタクシーを捕まえて聖グロ学生艦へと告げた。食事会を楽しみにしていた両親には申し訳ないが、全員帰艦は仕方がないことだ。聖グロの生徒が横浜で問題を起こしてしまったのだから、すぐ、あちこちにその噂が広がるだろう。間もなくOG会にも伝わり、いろんな人からの電話攻撃が始まる。反省の態度をわかりやすく見せるためには、生徒の外出を禁止して、浮かれて遊んでいる姿を見せないことだ。

「ダージリン、電話が鳴っていますわ」
「………こっちの暴力の方がよっぽど酷いわ」
 ダージリンが中学時代から使っている、使い慣れた携帯電話の小さな着信画面には、オレンジペコ様と書かれている。名前の変更の仕方がわからないから、ずっとそのまま。
「アッサム、あなたが出て」
「ダージリンにかかってきています」
「私は反省に涙して声も出ないと、そう言ってちょうだい」
「怒られたいんですの?」

 携帯電話を押し付け合う間も、鳴り響く呼び出し音。アッサムは通話ボタンを押した後、ダージリンの耳元に押し付けた。

『ダージリン。3コール以内に出るようにと、何度も言ったはずよ』
「申し訳ございませんわ。反省に涙しておりましたの」
『私は、あなたを嘘吐きに育てた覚えはないわ』
「あら、私たちは愛菜さまに育てていただいたはずですが」
『その態度を改めさせるために、水を掛けてぶん殴らないとダメかしら?』
「えぇ、是非ともそうしてくださいませ。アッサムが受けて立ちますわ」
 聞き耳を立てながら、都合よくしれっとアッサムに責任を押し付けるあたり、まだまだダージリンも余裕らしい。
『OG会の幹事は、面白いって笑っているわよ。前代未聞の新記録樹立、おめでとうって』
「そうですか。オレンジペコとルクリリが問題を起こしましたの。どなたかのティーネームと同じですわね」
『…………最低だわ』
「素晴らしいティーネームですわ。あの子たちにこのティーネームを授けたことが、私たちの誇りです」
『……あぁ、そう。マチルダ会からは、2人のティーネームはく奪を勧告させてもらうわ』
 そう言えば、マチルダ会の副幹事は愛菜さま。幹事はもう少し上のお姉さま。
「ご冗談を」
『OG会の幹事からは、すべてダージリンに一任すると』
「流石、ルクリリお姉さまですわ。今度、うちの1年生たちを1日お貸しいたしますと、お伝えくださいませ」
『ご冗談を。涙を流して反省をしていたわりにはとても元気な声ね、ダージリン』
 愛菜さまは、さほどお怒りではいらっしゃらない様子。何を言っても無駄だってわかっておられるのだろう。ダージリンが全力で1年生たちを守ることは、よくご存じの方だから。
「また、お会いした時に、きちんとお詫びいたしますわ。この件に関して、該当生徒に対するいかなる処分勧告もお受けできませんので、ルクリリお姉さまにそうお伝えください」
『育て方を間違えたわ。私の責任ね』
「そうですわね」
『いいわ。勝手にしなさい』

 プツンと音声が途切れたようだ。アッサムは押し当てていたダージリンの携帯電話を閉じて、その手に返した。ふて腐れたようにアッサムを睨んでくる。大好きな愛菜さまに怒られたことで、ちょっと機嫌を損ねたのだろう。
「そんな顔をして、私を見ないでください」
「アッサムが電話に出ないからよ」
「私が出た方が、かえって怒りを買いますわよ?」
 窓の外に視線を逃がして、ふて腐れていることをアピールしたところで、甘やかせるまでにはまだまだ、やらなければならないことが沢山ある。きっと、戦車道の生徒たちは気が気ではないだろうから。

「折角のお休みのところ、ご迷惑をおかけしまして申し訳ございませんでした」
 アッサムが呼び出したのは、マチルダⅡ部隊長のシナモン、2年生のキャンディ、リゼ、カモミール、整備科長と情報処理部のグリーン。
 隊長椅子に腰を掛けてため息を吐いてから数分。まだ、お湯も沸いていないのに、ぞろぞろと入ってきたメンバーは、ずらりとダージリンの前に並んで一斉に頭を下げた。
「シナモン、あの子たちは?」
「全員、寮にいます」
「そう。グリーン、あなたの元に情報は集まったかしら?」
「はい。バニラ、クランベリー、偶然同じお店にいたニルギリとルフナからの聞き取りは終わっています」
 短時間の内にトラブルの概要をまとめてくれたグリーンから書類を受け取り、パラパラと捲って文字を読む。先に手を出したのがペコと言うのは間違いないようだ。そして、ペコを馬鹿にした発言をした相手に、ルクリリが殴りかかった。ニルギリたちからは、殴られた他校の生徒とルクリリの関係が細かく書かれてある。聖グロへの受験に落ちて、ルクリリに嫉妬していたらしい、と。
「ペコもルクリリもまだまだね」
 読み終わった書類を机に置き、アッサムが淹れてくれた紅茶を手にした。今度はアッサムが書類を手にして、傍で読み始める。
「あの子たちがしてしまったことは、どんな言い訳も通用しません。私の指導不足でもあります」
「それで、シナモンはあの子たちにどんな処分を下せと?」
「もし、聞いてくださるのであれば」
 シナモンは嘆願書と書かれたものをダージリンの机の上に置いた。
「これは?」
「戦車道3年生、ダージリン様とアッサム様以外の生徒全員からのお願いです。寛大な処分を、と。それが叶わぬ場合は全員、連帯責任として退学届けを提出する覚悟です」
 封筒の中には、ダージリンが毎日を共に過ごしている3年生の仲間の署名がある。ルクリリたちに寛大な処分を、つまりは何も処分するなというお願い事だ。
「ダージリン様、私たち2年生からもお願いいたします!」
 キャンディも嘆願書と書いてある封筒を、机に置く。
「こちらは整備科1,2,3年生、全員の署名を集めましたので、お納めください」
「えっと、情報処理部は1年生が全員、何も言っていないのに私に押し付けてきましたので、おまけとしてお納めください」

 ダージリンとアッサムが頭を下げている間、シナモンたちは学校中を走り回ったに違いない。受け取り、全員の名前が本当に書かれてあることを確認して、やれやれ、と背中を椅子に預けた。

「……あなたたちの気持ちはわかりました」
「この様子だと、1年生もあの子たちを助けようと走り回っているでしょうね」

 報告書を読み終わったアッサムが、今度はその嘆願書の束をまとめて机から奪っていく。大切にファイルの中にしまった。アッサムが裏で何かしらの操作をしたとは思わないが、情報処理部や整備科まで動かすと言うのは、アッサムがルクリリたちに目を掛けている影響もあるはずだ。

「3人は部屋で待機をさせていますが、他の1年生は嘆願書と退学届けをセットで用意しているみたいです」
「何だか、私が悪代官みたいだわ」
 この件に関しての処分は、あの場にいた生徒たちの反省の態度を見てから考えると伝えた。OG会の対応もすべて、ダージリンが責任を持つと。不安そうなキャンディたちは、祈るようにダージリンを見つめてくる。

「うちの1年生は、随分愛されているわね」
「私の指導の賜物ですね」
「あら。他校の生徒を殴ってもいいとあなたが教えたの、アッサム?」
「ダージリンや聖グロの生徒に対して、暴言を吐いたのでしょう?致し方ありません」

 
 …
 ……
 ………

「……うちの副隊長がこう言っているので、あとはこちらに任せてもらうわ」

 人に暴力を振るうことを、大前提として認めてはならないというのに。
 そもそも、アッサムは指導として悪さをしたローズヒップの頬を叩くことや、お尻を叩くなんて日常なのだ。ルクリリもアッサムから言葉遣いのことで、両頬を思い切り抓られていた。アッサムがこれだから、あの子たちに暴力について文句を言えない気がしないでもない。


「流石、アッサム様。裏番長ですね」
 

 グリーンが呟いた言葉は、あながち嘘じゃないだろう。


『1年生のティーネームを持つものは、全員、隊長室に来なさい』

 膝を抱えてじっと待っていると、アッサム様の声が寮に響いた。携帯電話ではなく、寮内放送で呼び出すということは、相当お怒りでいらっしゃるのかも知れない。ペコは立ち上がり、皺の付いたスカートをパンパンと払った。シャワーを浴びて服を着替えていたルクリリは手に退学届けを持っている。ペコも忘れずに持って、ローズヒップとうなずき合う。

 寮の玄関には整備科と戦車道の1年生が全員、放送を聞きつけて集まっていた。

「ルクリリ」
「ごめんね、ルフナ。関係ないのに巻き込んで」
「いいの。殴られた方にだって、絶対原因はあるわ。私たちから、ダージリン様にもちゃんと説明をするわ」
「いや、どんな事情でも先に手を出した方が悪いんだ」
「そうです。最初に手を出したのは私です。私が一番悪いんです」

 言い訳なんてしないで、頭を下げるだけ。みんな、心配そうに見送ってくれたので、手を振って寮を出て隊長室に向かった。


「失礼します」
 
扉を開けて入ると、シナモン様たちが部屋の隅っこに並んで立っておられた。先に呼び出しを受けて事情を聞かれていたのだろう。ペコたちは深く一礼をしたあと、隊長席に座っておられるダージリン様の前に並んだ。

「オレンジペコ、ルクリリ。他校の生徒に暴力を振るったのは、あなた方2人で間違いありませんね?」
「間違いありません」
 ダージリン様の傍に立っているアッサム様が、とても厳しい目でペコを見つめて尋ねてくる。ルクリリがはっきりと答えて、ペコもうなずいてみせた。
「それ以外の人は手を出していないの?」
「出していません」
「ローズヒップは暴言を吐いてない?」
 確認するように、瞳がじっとローズヒップを捉える。お仕置きされることに馴れているローズヒップは、少しひるむように一歩下がった。
「………お相手の方と同じくらいの暴言を…言い返しましたわ」
「そう」

 こんな時でも、ダージリン様は優雅にお茶を飲んでおられる。こんな素晴らしい方に、頭を下げさせたのだ。ペコはもう、ダージリン様のお傍にはいられないだろう。いる資格がない。
 

「オレンジペコ」
「はい、ダージリン様」
「他校の生徒に水を掛けたの?」
「はい」
「どうして?」
「それは………私が未熟だから…です」

 今更ながら、ダージリン様のことを侮辱する見ず知らずの人よりも、ダージリン様に頭を下げさせるペコの方がずっと悪人ではないか、と気が付いた。ずっとずっと、ペコの方がダージリン様にとって嫌な存在になってしまったのだ。

「ペコは他校の生徒がダージリン様を侮辱したことに、カッとなっただけです。ですが、そもそもの原因は私にあります。私の代わりに腹を立ててくれました。すべての責任は、私にあります」

 ルクリリが一歩前に出る。そう言うところでカッコつけて仲間を庇おうとするから、腹が立つのだ。あの時もそうやってカッコつけて、ぐっと我慢してくれていたのに。ペコが先に手を出してしまった。だから、ルクリリも手を出さずにはいられなくなった。ペコだけを悪者にできないって、気を使う馬鹿だから。

「オレンジペコが先に手を出したのよ。彼女には責任を負う義務があるわ」
「いえ。相手は私の知り合いです。全てにおいて私が責任を負います」

 ダージリン様はティーカップをソーサーに戻し、肘を立てた手の甲に顎を乗せた。1年生の端から端まで1人1人の顔をじっくりと眺めておられる。

「ルクリリの言う責任とは、どのようなことかしら?」
「学校を辞めます」

 膨らんでいたスカートのポケットから退学届けを取り出したルクリリは、ダージリン様の机の上に置いた。




肩を組んで笑お ③

「女の子たちがテラスで喧嘩してるわ!」




 アイスティを飲みながら、良く見えないテラスの席でルクリリたちはステーキを食べているのかしら、なんて思っていると、ニルギリの耳にわずかにガラスが割れる音が届いた。
 店員が慌ててフロアを駆け抜けて、テラスに向かって行く。他のお客さんたちがざわざわして、みんな同じ方向を眺めている。

「喧嘩?まさか、ローズヒップとルクリリはこんなところでやりあってるの?」
「まさか。馬鹿丸出しもいいところよ」
 ニルギリの問いかけに、ルフナもそんなまさかって小さく笑う。とはいえ、あの2人は、そんなまさかを現実にする人だから、ちょっと嫌な予感でもある。

「見に行ってくるわ」
 女の子たちと言うのが、聖グロの生徒とは限らないけれど、ルクリリたちが食事している相手は美咲ちゃんだ。
 ルクリリがほとんど満点に近い点数、成績2位で聖グロに合格した時、落ちるべき人が受かるなんて、と、ルクリリのことを陰でずっと罵倒していた。小学生の頃から、高校は聖グロに入りたいと言い続けていた美咲ちゃんが、男子生徒相手に喧嘩をするお嬢様とは程遠いルクリリに負けて、プライドを傷つけられ抉られ、あまりにも落ち込み過ぎて、戦車道を辞めたことは知っている。
 ルクリリと違って、確実に聖グロに入れるだろうと言われていたニルギリとルフナは、中学3年生になった頃から、彼女に敵視されて、あまり会話をしなくなった。
すっかりもう、過去のものとして、久しぶりに会ったルクリリと仲良くランチをしているのかと思っていたけれど。何か、言い争いでもしてしまったのだろうか。

「バニラ、クランベリー」
「ニルギリ!」
「え?やだ、やっぱりルクリリたちが喧嘩しているの?!」

 周りのお客さんたちが迷惑そうに立って、距離を開けている。店員があわあわしているその先に、美咲ちゃんの胸倉を掴んでいる青い制服の生徒。ルクリリだ。

「止めなさいよ、2人とも」
「止められなかったの。止めたくもなかったし……でも、ダージリン様を呼べって」
「えぇ?!」
 おっとりしている2人には、確かに喧嘩は似合わないけれど、羽交い絞めして止めるくらいはするべきだ。でもなぜだろうか。ローズヒップとペコが全く止める様子もない。

「私はダージリン様に電話するから」
「では、私はアッサム様に。ニルギリはシナモン様と、キャンディ様に連絡をして」
「いや、だから、先に止めてってば」
「ルクリリは、殴らないと気が済まないのよ」

 何か、取りあえず殴りたい理由ができたらしい。ざわざわしているテラスでは、他校の生徒にメンチ切っているローズヒップとペコの姿。声を張り上げて、仲間を侮辱するなと叫んでいるルクリリ。

 何となく、ルクリリが手を出した理由がわかったような気がして、ニルギリは携帯電話を取りに席に戻った。


 ダージリンとランチを取った後、別行動をしてそれぞれ実家に帰ることになっていた。ダージリンを迎えに来たハイヤーを見送り、アッサムは携帯電話のショップに入った。秋の新作がどんなものなのか、この目で確かめたい。実家からの迎えはもう少し時間がかかるから、その間の時間つぶしに、と。
ショップに入るとすぐにクランベリーから電話がかかって来て、日差しの中に飛び出した。問題が起きたので、大至急来てもらいたい、と。カフェの名前を告げられて、頭の中に浮かんだ地図は、アッサムがいる場所から少し離れていて、隣の駅だ。

「問題というのは、何?ローズヒップがまた迷子になったの?」
『いえ。似たような…と言うより、もっと悪いことです』
「もっと悪いの?」
『はい』
「ダージリン様には?」
『バニラが電話をしています。シナモン様、キャンディ様にも連絡を取りました』
「そんなに?」
『はい。とにかく、来ていただけませんか?』

 こういう助けてください、みたいな電話をクランベリーが掛けてくると言うのはどういうことだろう。ちょうど、アッサムを迎えに来たハイヤーに乗って、実家に帰れないかもしれないと親に電話をして行き先変更を伝えた。アッサムの携帯電話が鳴る。

「ダージリン」
『バニラから電話が来たわ』
「私もクランベリーから」
『状況を電話で上手く説明できないって言っているわ』
「そのようですわね。迷子よりも悪い状況、らしいです」
『あれ以上?まったく、アッサムの指導の賜物ね』

 どこの誰が問題を起こしたのか、具体的な名前を聞いていないけれど、おおよそあの3人の、とりわけ2人のどちらかだろう。あるいはどちらも、なのか。公衆の面前で喧嘩でも始めたのかも知れないが、そんなことで、シナモンやキャンディまで呼ぶだろうか。もしそうなら、むしろアッサムとダージリンには隠したいと思うはずだろう。責任者を呼ぶと言うことは、第3者に迷惑を掛けている、と言うことだ。あるいは、OGが絡んでいるか。

「どうしたの、グリーン?」
『アッサム様、そっちにも情報は行きましたか?』
「何の情報かしら?」
『ルクリリがカフェで他校の生徒を殴ったようです。うちの学部の1年生が街中で噂を聞いたらしくて、私に電話してきました』
「……………あの馬鹿」

 クランベリーの言う迷子よりも悪い状況というのは、確かなようだ。


ルクリリが美咲さんの胸倉を掴んで振り回し、一発頬を殴ったのを見て、何だかすっきりしている自分がいた。本当は、ペコがそれをするべきだったのだ。ダージリン様を、ルクリリを、聖グロのすべてを馬鹿にする言動を、じっと耐えるなんて出来なかった。水を掛けてしまったのだから、悪いのはペコだけだというのに、悪役をルクリリに押し付けてしまった。ルクリリが友達を殴るのを、止めたりなんてしてあげなかった。これで退学になるのならば、ペコも喜んで退学して、一緒に別の学校で戦車道を続ければいい。たとえこの揉め事を起こしたことで、ダージリン様に嫌われてしまったとしても、それでも、許せないものは許せなかった。

 ダージリン様もアッサム様も、血相を変えてルクリリを、ペコを、ローズヒップを怒るに違いない。お2人から殴られるかもしれない。


「ご迷惑をおかけしました。おそうじをしますので、道具を貸していただけますか?」

 外野だった美咲さんを囲んでいる生徒たちが、次々にルクリリを大声で罵倒しているけれど、宣言通り一発殴ったルクリリは、それ以上何も言わず、言われても無視を決め込んだように店員さんに頭を下げて、割れたグラスを拾い始めた。ペコもローズヒップも、引っ張られて歪んだテーブルクロスの上で倒れているグラスや、零れているコーヒーを黙って片づけ始める。

「何か言いなさいよ、こんなことして!あんたたち、絶対に退学してやるわ!」
「聖グロのOG会にいいつけてやるんだから。聖グロはOGの言いなりなんでしょ?!」

 バニラとクランベリー。そして店内でランチを取っていたニルギリとルフナが、借りたモップや布巾を手に来てくれた。
「ルクリリ、お姉さま方を呼んでいます」
「ありがとう、バニラ。ここの清掃をお願い。私はお店の責任者の人に謝ってくる」
「わかったわ」
 ルクリリは傍にいた店員さんに、店長さんに直接謝罪をしますと申し出て、一度テラスから姿を消した。きっと色々と覚悟の上で殴ったのだ。衝動に駆られて水を掛けたペコよりも、ずっと状況をわかっている。


「………退学になっても、私は構いませんわ」
「ローズヒップ」
「ルクリリが退学なら、私も辞めますわ」
「私もお供します」
 ガチャガチャと割れたガラスを集めて、塵取りで拾う。それを何度か繰り返し、テーブルの上を綺麗に片づけて、無事な食器類は全て下げてもらい、新しいテーブルクロスを広げ、何事もなかったようにセッティングする。その間も、殴られた美咲さんはペコやローズヒップに食って掛かって来ていたし、他の人たちも下品な言葉でののしって来ていたが、バニラたちも徹底的に無視をして、4人テーブルを2つくっつけていた場所は、元通りになった。


「美咲さん、これ以上大声を出すのは、他のお客様にご迷惑ですのでお店を出ましょう。そちらのお代は、こちらでお支払いさせていただきます」

 テラスに座っていたお客さんは、何組かお店を出て行った。その人たちのお会計は、たぶん、店長に謝りに行ったルクリリが支払うことを申し出ているだろう。
 
「良い子ぶって。殴ったくせに掃除?殴った方が悪いに決まっているでしょう?」
「はい。ですので、こちらが支払いをいたします。二度とルクリリの前に、私たちの大切な仲間の前に姿を見せないでくださいませ」

 視界の隅っこに、綺麗なブロンドの髪が見えた。聖グロの制服姿の人がテラスに近づいてくる。

「あんたが先に水を掛けた癖に!あんた、まだ謝ってないでしょう?!」

 殴られて頬を赤くしている美咲さんは、同じ目に合わせたいのか、ペコの肩をぐっと掴んで勢いをつけ倒そうとしてきた。

「あら。うちのオレンジペコがあなたにお水を掛けましたの?それは大変失礼いたしました」

 床に倒れ込まなかったのは、真後ろにアッサム様がおられたから。ダージリン様がすぐ隣で、満面の笑みを浮かべておられる。とても綺麗な笑み。限界まで怒りを抑えていると言うことがわかる。それは店内にいた全員にも、痛いくらい伝わっているだろう。

「ダージリン様」
「ペコ、こちらの方にお水を掛けたの?」
「………はい」
「余程、腹を立てたのね?」
「………はい」
「わかったわ。全員、すぐにお店を出なさい」

 身体を支えてくださっていたアッサム様は、まったく笑っておられない。それでもペコの頭をそっと撫でてくださって、その掌からは優しさを感じられた。

「わが校の生徒がご迷惑をおかけいたしまして、誠に申し訳ございません。聖グロリアーナ女学院の責任者である私が、騒動を起こした1年生に代わりまして、謝罪をさせていただきます」

 ダージリン様とアッサム様が頬を腫らしている美咲さんに向かって、90度以上頭を下げている。

 こんなことをさせてしまったことが悔しくて、申し訳なくて、いたたまれなくて。


肩を組んで笑お ②

「ねぇ、こういうお店の紅茶って美味しいの?」
「出されたものは、何でも美味しくいただくよ」

 別に忘れたい過去でも消したい過去でも何でもないことだから、ルクリリがどんな悪ガキだったのかをペコ達に暴露されたって、痛くもかゆくもない。聖グロに入学する生徒は確かにお嬢様ばかり。有名な会社の社長の孫だとか、医者や弁護士の娘だとか。とにかくそう言う人たちの集まりだ。だけど、聖グロは決して御家柄で生徒を区別してなどいない。試験の点数の順番以外は何も見られてなどいないのだ。ただ、卒業後もOG会に入り、後輩たちへの寄付をしていくことが暗黙の了解で、金額もお年玉で何とかなるようなものでもない。
 戦車道は乙女のたしなみと言われて、聖グロは昔から戦車道の名門校。大事な一人娘に戦車道をさせたい世の金持ち父さんが、こぞって娘を聖グロに送り込み続けてきたのだ。いつの間にかそれが、お嬢様しか通えない、と言われるようになってしまったのだ。たぶん、だけど。あとは結婚相手として喜ばれる、とか。今のところ、本当にそうなのかはわからない。


「へぇ、そうなんだ。ほら、聖グロの生徒って、イチイチ紅茶の味に文句言いそうでしょう?」
 そう言われて、アッサム様が思い浮かんでしまった。たぶん、みんな、アッサム様の顔が浮かんだに決まっている。あのお方に美味しいと言わせて、初めて聖グロの戦車道生徒として認められると、シナモン様から教わった。もう9月だと言うのに、まだ、落第点なのはローズヒップだけ。
「私の周りには、そう言う生徒はいないかな。自分で淹れたものがマズいと思うことはあるよ」
「ルクリリは、おしゃべりに夢中で時間を計っていないことがありますね」
 クスクス笑っているペコの笑い声は偽物だ。あまりにもルクリリのことを下げようとしている美咲ちゃんの、その手にあえて乗ったのだろう。そうしておいた方が、美咲ちゃんの機嫌は良くなるのかも知れない、と。

「へぇ。っていうか、ルクリリっていうのはティーネームなんでしょ?」
「そうだよ」
 席に着いたときに、全員を紹介した。偶然、ここにいるのはみんなティーネームを授かっている。もう一つ偶然で言えば、成績上位5人だ。
「聖グロの戦車道って、全員がティーネームで呼び合っているわけじゃないでしょ?」
「いや、そんなに茶葉の種類もないよ。2,3年だっているし、同じ名前は使えないし」
「勝手に名乗るとか?」
「そんなまさか。ダージリン様とアッサム様に選ばれた人だけ、かな」

 ダージリン様とアッサム様。この名前を口にしたとたん、美咲ちゃんの両隣にいる2人の子が笑い出した。
「ダメよ、笑っちゃ。そりゃまぁ、変なニックネームだけど」
「ごめんなさい。流石に知っているお茶の名前に“様”を付けるなんて、無理!」
 その“無理”は、真面目な顔で聞くに堪えられない、と言う意味の無理なんだろう。戦車道経験者にとっては、聖グロのティーネームなんて普通のことで、ルクリリは小学生の頃から当たり前のように受け入れていた。美咲ちゃんも、聖グロのティーネームに憧れていたはず。でも、関係のない人には笑いのネタになる物なのだ。それは、致し方のないこと。

「な、何がおかしいんですの?!」
「ローズヒップ、声を荒げるな」
 小さな拳を作って抗議するローズヒップのその腕を押さえつけて、ルクリリは笑って見せた。これは、そんなに馬鹿にしたことじゃないかもしれない。自分たちがただ、馴れきっているだけなのだ。

 世間は、戦車道と無縁の世界の人の間では、確かにおかしなことだって。そうやって受け入れるほうがいい。

「ねぇ、そのローズヒップっていうのもティーネームなのよね?」
「そうですわ。アッサム様が付けてくださった、クルセイダー部隊の名誉あるティーネームですわ」
 自分に話題を振られて、慌てて胸を張って誇り高きティーネームを披露する姿。ローズヒップは夏の大会以降、クルセイダー部隊の部隊長をしている。
「あなた、北海道の大学選抜の試合に出ていたわね」
「はい!あら、よくご存じで!!」
「壁に突撃していたクルセイダーの人」
「そうですわ!チャーフィーを撃破しましたわ!」
「試合終了の時に大股開いて座っていたのがモニターに映って、横浜中のみんなが大笑いしていたわよ」

 それは、試合が終わった後に学生艦あてに、OG会のお姉さまがじゃんじゃん電話を鳴らしたから知っている。ダージリン様もアッサム様も、映した方が悪いのだ、なんて言い訳をして電話で言い返しておられた。当然ローズヒップもルクリリも正座させられたのだけど。なんせ、ルクリリが呟いた下品な言葉も、ちゃっかり音声で拾われていたらしいから。無線も放送されるなんて、聞かされていなかったのだ。放送する方が悪い。

「………でも、大学生相手に頑張ったわけだし。結構、みんなに喜んでもらえたかな。聖グロは3両で大学選抜を2両も撃破できたし、大洗女子も廃校撤回になったから」
 拳を作ったままの、そのローズヒップの腕を押さえつけ、何も言うなと足を蹴った。何だかんだ、あの戦いの影響は大きくて、カールと分厚い装甲のT28を撃破した高校の戦車道チームの学校は、きっと来年の受験倍率が跳ね上がるだろうと言われている。裏ですべて手を回したのはダージリン様だし、情報集めに走り回ったのはアッサム様だ。お2人が大洗女子学園を救ったといっても、決して過言ではない。
「彩華ちゃん、じゃなかった“ルクリリ様”も試合に出たのでしょう?」
「出たよ」
「聖グロは3両しか出なかったのに、どうして1年生を連れて行ったのかしら?」
 紅茶ではなく、アイスコーヒーをストローでかき混ぜながら、美咲ちゃんは鼻で笑っている。たぶん、言いたいことは次の質問に取っているのだろう。
「それは、ルクリリとローズヒップが、とても優秀な選手だからですわ」
「えぇ、そうね。それに、ダージリン様とアッサム様が凄く可愛がっていますし」
 どうして、と言う質問にどう答えようかと悩む仕草を見せるよりも早く、柔らかい声が両サイドからふわふわと舞った。両サイドの端っこに座っているバニラもクランベリーも、きっといつも通りに天使のような微笑みをしているに違いない。無垢で嫌味の一つも言えない、本当に聖グロに通うべくして通っている、みたいな子。聖グロの制服がとてもよく似合っている2人。

 美咲ちゃんが目指して、叶わなかった夢のような、そういう感じなんだろうな。

「え?彩華ちゃんみたいな野蛮な子が、3年生から可愛がられているの?」
「いやぁ………ははは。ほら、免疫がないんじゃないかな、こう、私みたいな野蛮なタイプ」
「試合に出ても、1両も撃破できなかったのに?野蛮が取り柄なんて、聖グロにとってマイナスのイメージしかない気がするわ。実際、下品な言葉が全国に放送されていたもの」

 大学選抜との試合で、マチルダⅡが撃破出来る車両なんてあるわけない。ダージリン様はわかったうえでルクリリを選んでくださったのだ。チャーチルの盾となり、大洗女子学園の隊長車の盾となり、守り抜き、役に立てと。

「でも、撃破するだけが戦いじゃないからね」
 どちらかと言うと、美咲ちゃんがそんなところまでちゃんと試合を観ていたことの方が意外だった。戦車道のない学生艦で生活をしていると言うことは、もう、戦車には乗っていないのだ。それでも、試合を観るほどに、そしてルクリリが出場して、さらに1両も撃破出来なかったことを覚えているほどに、夏休みの1日を費やして、試合を観ていたなんて。


「聖グロは、ここ最近弱くなったわね。今年の夏も、決勝には出られなかった」
「準決勝で黒森峰と当たったからね。あと一歩っていう所まで行ったんだけど」
 アッサム様の砲撃は、ティーガーⅠに当たった。だけど、跳ね返されたのだ。勝負は時の運。もっと近づいていれば。もっと、ルクリリたちマチルダⅡ部隊が残っていられたら。他校のように見るも無残な負け方ではなかった。勝てるかもしれない。毎年、黒森峰とはそんな戦いを続けてきた。
 泣きじゃくる隊員たちの嗚咽する声と、清々しい笑顔のダージリン様と、すべて割り切って、力いっぱい抱きしめてくださったアッサム様。ずっと忘れずに、鮮明に覚えている。当たり前だ、つい、1か月前のことなのだ。
 聖グロは2年連続で準決勝敗退だが、2年連続で黒森峰に負けたのだ。逆に、ここ数年は公式試合で黒森峰以外に負けてなどいない。四強の中でもっとも貧弱な戦車ばかりを揃えている聖グロであっても、戦術と練度で、ずっとその地位を維持してきた。重戦車を揃えても、1回戦で敗退している学校だってあるのだ。


「“ルクリリ様”が車長をやっているせいかしら?」
「ははは、うん、それはそうかもね」
「夏の試合にも出ていたの?」
「うん、全試合に出ていた。私は入学してから、他校との試合には全部出てるよ」
 1年生で全試合出場している生徒は、数人だけしかいない。2,3年生をサポートに回してでも、ダージリン様はずっと練習試合もすべて、ルクリリを育てるために、出場させてくださっている。

「あぁ……だから」

 だから?
 ルクリリがいてもいなくても、試合結果は同じだって、イチイチ言わなかった。彼女の聖グロへの憧れは、確かにルクリリ以上に強かった。聖グロに入れずに戦車道を辞めるほど、きっと辛いことだったのだろう。入学の可能性はC判定だって嘘を吐いて、美咲ちゃんに気を使っていたルクリリだけが受かってしまったのだ。合格発表の日以降、彼女の方から距離を取られていった。ルクリリもまた、どうすればいいのかわからないまま、中学を卒業して、それぞれの生活が始まった。連絡先は消していなかったはずだが、毎日の様にやり取りしていた頃が嘘のように、2人は赤の他人のようになった。
 ルクリリが悪いことをしたのだろう。彼女の夢を壊したつもりはないけれど、ルクリリがいなければ、もしかしたら、彼女は聖グロに入れたのかも知れない。そう思われているに違いない。

 だから、これくらい、言われても腹を立ててはいけない。
 聖グロの戦車道は、多くの人の夢であり、希望でもある。
 ティーネームを授かるには覚悟がいる。好かれるのと同じくらい、こうやって妬みをぶつけられることもある。特に、お嬢様らしくないルクリリならなおのこと。

 だけど、何を言われても受け入れられる。
 ルクリリの両サイドには仲間が、今のルクリリにとっての大切な仲間が座っているから。


 ローズヒップがルクリリの指を痛いくらい握りしめてきた。反論するとか、怒るとか、そう言うことをしろって言いたいのだろう。ムッとした表情で口を閉じているのは、ローズヒップが言い返すべきじゃないと、彼女なりにもわかっているから。でも、言わせておけばいい。少しでも、途切れた夢に苦しまされることが減るのなら。ルクリリの悪口なんて、言いたいように言わせておけばいいのだ。


「うーん。秋の大会では、もうちょっと良い成績を取れると思うよ」
 次の試合は、ルクリリがマチルダⅡ部隊長の指揮を執る。訓練ではチャーチルに乗ることもある。次期隊長になれと、夏の戦いの前から言われているのだ。厳しく、それでも本当に可愛がってもらっている。負けることも含めて、すべてが勉強なのだ。
「彩華ちゃんが試合に出るようでは、四強から零れ落ちるんじゃないの?大洗女子が優勝で、黒森峰にプラウダにサンダース。聖グロは準優勝しか経験がないし、サンダースみたいな物量もないし」
「うーん、四強も公式発表と言うわけでもないし、そういうのは別に気にしていないよ」
「重戦車を1両も持っていないのに?ダージリン様はOG会に嫌われているんじゃないの?」
 OG会の許可なく、戦車の購入ができないことを知っているあたり、流石だって思う。でも、重戦車がないから負けたなんて、言い訳をしたくないのだ。そんなのは逃げているだけ。
「今持っている戦車だけでも、戦う術はちゃんとあるよ」
「マチルダⅡばかりで何ができるのよ?鈍足のチャーチルの火力も大したことないし、当たっても跳ね返されてばかり」
「でも、ダージリン様もアッサム様も、本当に黒森峰との戦いでは素晴らしかったよ。私たちは、順位なんてどうだっていい。あのお2人と戦えたことが誇り。私が試合に出ていても出ていなくても、きっと変わらなかった」
 ダージリン様の判断力、統率力、アッサム様の情報収集能力は、素晴らしい。他校の隊長たちもそれを認めている。傍にいて、その凄さはよくわかる。
「準優勝すらできなかったのに?ダージリン様も大したことないのよ。結局は最も名誉あるティーネームを与えられたわりには、歴代で最も貧弱な結果しか残せなかったんだから。それもすべて彩……きゃっ!」

 彩華ちゃんのせいで、と続けるつもりだろうと奥歯をきつく噛んで耐えていた。

 でも、その言葉がルクリリに降って来なかった。
 代わりに、小さな悲鳴が聞こえてきた。

 静かに立ったペコ。
 手に持っていたグラスから弧を描いた水が、真っ直ぐに美咲ちゃんの顔に投げつけられたのだ。

「ダージリン様を侮辱することは、私が許しません」


 違う。


 美咲ちゃんが本当に侮辱したいのは、ルクリリだけだ。彼女はダージリン様のことが好きで、憧れていて、だから傍にいて可愛がられているルクリリが羨ましくて、妬ましいだけだ。
 羨ましいって、声に出せないだけなんだ。本当はルクリリの場所に自分がいたかったのにと、言えないだけだ。


「ペコ…………馬鹿。なんてことを」


 氷の混じった水を顔に掛けられた美咲ちゃんは、ペコを睨み付けている。ローズヒップの腕を抑えていたけれど、選択を誤ったようだ。まさか、じっとしていたペコがこんなことをするなんて、欠片も思っていなかった。

「ルクリリを侮辱することだって許しませんわ!!」
「やめろ、ローズヒップ!」
「どうしてですの?!どうしてじっと聞いているだけですの?!どうしてヘラヘラ笑っているんですの?!ダージリン様のことを馬鹿にするなんて、ルクリリの大事な人を馬鹿にするなんて!そんなのルクリリの友達でも何でもないですわ!」

 椅子を倒し立ち上がって抗議するローズヒップを、止められなかった。
 ペコもローズヒップも、聖グロを、ダージリン様を、大事な人たちの名誉をただ、守りたいだけなのだ。
 黙って聞き流せばいいだけなのに。彼女が許せないのは、“友達だった”ルクリリだけなのに。

「落ち着け、ローズヒップ。こんなところで揉め事を起こしたら、アッサム様に怒られる!」
「アッサム様だって、ダージリン様を馬鹿にした人と喧嘩したら、褒めてくださいますわ!」

 ここに来ることを、断ればよかった。
 後悔って言う無駄なことを想っても、もうどうすることもできない。

「聖グロって野蛮人ばかりなのね。だから彩華ちゃんでも合格できるのね」

 
 空のグラスを持ったまま、じっと美咲ちゃんを睨んでいるペコの横顔。こんなに怒りをあらわにしている顔なんて、みたことがない。いつも、喧嘩し合うルクリリ達を止める立場のペコが、こんなにも腹を立てている。

 何を、どうすればいいのだろう。

「1年生の分際でノーブルシスターズなんて呼ばれて、調子に乗って偉そうに」
 滴る水をハンカチで拭きながら、鼻で笑うルクリリのかつて友達だった人。一緒に聖グロを目指し、一緒のチームで戦い、仲がいいと思っていたけれど、それはきっとすべて、勘違いだったのだ。否、もうすべてが終わったことなのだ。

 ルクリリのことを妬ましいと思う。それだけじゃ飽き足らず、聖グロに入った生徒は、校章の入った青いセーターを着ている少女たちは、戦車道の生徒は、美咲ちゃんにとって妬みの対象なのだろうか。

「………私の友達を馬鹿にしないでよ」
 ルクリリが今友達と呼べる人は、大切な仲間は、ペコたちだ。
「はぁ?そんなことより、謝りなさいよ」
「謝れば、前言を撤回してくれるの?ダージリン様やペコを馬鹿にしたことを、謝ってくれるの?」

 一発殴りたい気持ちを殺して、我慢を自分に言い聞かせた。ここで声を荒げたら、退学処分になるに決まってる。
 ペコだって、最初に手を出したのだから、処分されるに違いない。

「頭を下げてから物を言えば?」

 見下したもののいい方でも、別に構わない。ルクリリは立って、90度頭を下げて見せた。左側の視界に入るおさげ。
 頭を下げても、きっと謝罪されることなんてないと分かっていても、それでも、下げるしか術がなかった。

 守らなければいけないのだ。仲間を。仲間の大事にしている人を。仲間の未来を。

「私、ずっと前からあなたのことが嫌いだったのよね、“ルクリリ様”」

 あんまり好きではないコーヒーの匂いが鼻についたのは、下げた頭にまるでシャワーを浴びたみたいに、冷たいコーヒーを掛けられたからだった。

「そう。別に好かれていたいなんて思ってなかったから、いいよ」
「そう言うことを嘘でも言う所が嫌い」
「私はダージリン様にもアッサム様にも凄く可愛がってもらっているし、ペコたちという大事な仲間がいる。聖グロの皆が私のことを好きでいてくれるから、私にはそれで十分だよ。美咲ちゃんとはお互いにもう関わり合うこともないし、嫌っていてくれてもいい。それに嫌いだからって何?嫌いなら、一緒にランチなんて取らなければよかったのに」

 コーヒーはルクリリの髪とセーターを濡らして、ポタポタと真っ白いテーブルクロスにシミを作っていく。

「ルクリリ!」

 ローズヒップが慌てて聖グロの校章の入ったハンカチで、ルクリリの髪や顔を拭いてくれた。お店の人に謝罪をして、クリーニング代を支払わないといけない。聖グロの生徒はここのお店を出禁になるだろう。横浜ではあっという間に噂も広がるに違いない。他学部の生徒になんて言われるか。整備科の仲良し仲間や、家政科の友達なんかが、怒鳴り込んでくるかもしれない。


「何てことしますの?!頭を下げている人に対してコーヒーをかけるなんて!」
「最初に水をぶっかけたのは、ノーブルシスターズの人でしょう?」
「だから、ルクリリが謝りましたわ!」
「かけた本人は謝る気配もないわよ」


 バニラがオロオロしながらローズヒップの袖を引っ張っている。ペコは立って、ずっと美咲ちゃんを睨み付けたままだ。嘘でも謝ったりしないだろう。それくらい、ダージリン様のことや、聖グロのことが大好きで、大切だから。

 同じように聖グロが大好きで、ダージリン様に憧れていた美咲ちゃんと、仲良くなれたかもしれないのに。


「水を掛けて悪かった。彼女の過ちは私の責任だから、私が謝ったのだから、許してあげて」
「はぁ?何なのそれ?謝るのなら、ノーブルシスターズさんでしょ?1年生の分際で、ダージリン様の傍をちょろちょろして。こんな野蛮な子がダージリン様の傍にいるなんて。なんでこんな人たちが聖グロにいるのかしらね!」

 まだまだ、我慢が足りないなって思うよりも早く、ルクリリの右手は動いていた。
 手元にあった、冷め始めた紅茶。
 持ち上げて、勢いよく腹立たしいその顔にかけてやった。
 良くて停学処分。最悪は退学だ。

 別に、何だかもう、どうでもよくなった。身体が動いてしまったのだ。仕方がない。
 同情はする。ルクリリのことを嫌いならそれでもいい。好きなだけ馬鹿にすればいい。


 でも、ペコもダージリン様も、ローズヒップも馬鹿にされる謂れは何もない。


「………バニラ、クランベリー。私は今から他校の生徒を殴るから、2人はダージリン様を呼び出しておいて」

 ローズヒップよりも勢いよく椅子を倒してテーブルを回りこむと、美咲ちゃんの胸ぐらを掴んで、無理やりに立たせた。

「何すんのよ?!」
「私が男子生徒と取っ組み合いのけんかをしているのを、ずっと見ていただろう?」
「聖グロの生徒が外で喧嘩?!」
「売られたものを買っただけだ」

 謝るとか謝らないとか、そんなことよりも、一発殴りたかった。

 テーブルも椅子も盛大に音を立てるし、驚いた子たちが慌てて立ち上がると、テーブルの上のグラスが音を立てて床に落ち、アイスコーヒーとガラスが散らばった。




肩を組んで笑お ①

「やっぱり、難しかったね」
「うん、脳みそに詰め込んだもの全部使い切った感じ」

 憧れの聖グロリアーナ女学院。
 
 学校説明会のために来て以来の聖グロ学生艦。あの時は、いろんな中学の戦車道の人たちが、紅茶の園を背景に写真を撮ったり、ティーネームを持つお姉さまの姿を探しては、イソイソしていた。解放されてある戦車倉庫を眺めて、絶対にこの学校に入らないといけないんだと、そう思ったものだ。

「模擬試験はいつもC判定だったものね」
「もう、記念試験みたいなもんだよ」
「B判定の私でも、倍率のことを考えると厳しいって言われてるのに、よく想い出づくりのために来たわね」
「まぁ、一応はプラウダの2次試験も残ってるし。いざとなればあっちに行く」
「あそこだって難しいのに」

 受験のために必死に勉強をした冬。戦車には全く乗らなかった。学校から帰ったら、6時間くらいはみっちり勉強をして今日を迎えていた。どんなことがあっても、聖グロに入りたいと思っていた。

 隊長であるダージリン様こと高森穂菜美様は、中学東日本チームをまとめたことがある。1年生の時、彩華(あやか)もメンバーに選ばれたのに、名前も顔も覚えてもらえなかった。その他大勢の1人、さらには補欠。近づくことさえできず。あまりにも後光眩しくて、ファンが多すぎて。いろんな学校から無試験での引き抜きの話があったらしいけれど、すべてを蹴って、正規ルートで聖グロに入学されたそうだ。だから、追いかけなければならなかったのだ。追いかけて、傍で多くを学びたいと。自分に足りないものを、ダージリン様はたくさん持っておられるはずだから。


「あっ!見て、あそこにアッサム様とダージリン様がおられるわ!」
「え?どこ?」

 ずっと同じチームにいた友達は、小学校の頃から聖グロに憧れて、ティーネームを授かり、チャーチルに乗るのが夢だといつも言っていた。聖グロのお姉さまたちのファンで、よくわからない何代も前のお姉さまたちのことも詳しくて、夏の大会や練習試合などがあれば、遠征をしてでも見に行っていた。

「あーぁ、行ってしまわれたわ。残念」
「………姿、見えなかった」
「アッサム様は黒のリボンよりも、前の赤いリボンの方が絶対にいいわ。お近づきになれたら、プレゼントして差し上げたい」
「………へぇ。はぁ、まぁ、いいんじゃない?」
 そう言えば、確かに赤いリボンだったような。学校も違ったし、何度か見たことある程度の薄い記憶だけど。フランス人形みたいな人と言うことは覚えている。

 憧れのダージリン様に近づきたい。聖グロのタンクジャケットを着てみたい。彼女はいつも、キラキラした瞳で熱く語っていた。

 同じ憧れでも何かが違う気はするけれど、それでもお互いに聖グロに入りたいという想いは同じ。共に励まし合い、共に目指していた場所だった。


「あら?……彩華ちゃん?」


 大洗女子学園を助けるために、急遽北海道に向かった学生艦。いつのまにか夏休みも終わっていて、休みらしい休みを過ごした記憶もなかった。なんて思いながらも、大学選抜と戦うなんていう面白い経験をさせてもらって、いい自慢になったものだ。
北海道のお土産を何も買えないことが残念だったけれど、そこは流石の聖グロ情報処理部と栄養学部。試合と無関係の学部の生徒は、空いた時間にじゃんじゃんと名産品を買い漁り、船に乗せたらしい。

 ということで、今のところ、聖グロの学生食堂は連日、海の幸で満ちている。満ち溢れすぎるほど。

徹夜付けで9月初めの学年テストを乗り切った後の、土曜日。
聖グロの学生艦は横浜に戻っていた。



「あぁ、久しぶり」


 親と電話をするときくらいしか自分の名前を言わないし、言われない。すっかりティーネームが身体に染みわたっていて、他校への自己紹介もずっと“ルクリリ”で通している。それでも、長く染みついた自分の本名なのだから、呼ばれたら立ち止まるし、その人の顔を見てしまうものだ。


「久しぶり。聖グロの制服ってことは、本当に生徒になっていたのね」
「うん、まぁね」


 中学時代まで同じ学校で、戦車道チームでも一緒だった子。満面の笑みで手を振って近づいてくる。いつのまにか疎遠になり、いつのまにか顔も声も忘れてしまった子。ルクリリは片手をあげて手を振って見せた。流石に、じゃぁね、と手を振って別れる訳にもいかない。半年ぶりに会うのだから。


「聖グロの制服、やっぱり彩華ちゃんには似合わないね」
「え~?そうかな?」
「全然、似合わない。ちゃんと上品な言葉を使えているの?」
「ははは、……さぁ、どうだろうね」


 海鮮ものに飽きた胃袋を満たすためにお肉を食べに行こうって、戦車道の仲間たちと鼻息荒くして歩いていたものだから、ルクリリのすぐ後ろからクスクス笑う声が漏れたのは仕方がない。
「ルクリリに上品なんて、おへそで紅茶がなんとか…ですわ!」
「ローズヒップ、似たり寄ったりのあなたが言わないで」
「仲間を馬鹿にしないの」
 指をさしてゲラゲラ笑うのは、少なくとも上品のレベルではルクリリよりも低いに違いないはずのローズヒップだ。まぁ、言われるだろうと思っていたけれど、空気って言うものを読めないのだ。バニラとクランベリーはたしなめてくれるけれど、どうせたしなめるなら、似たり寄ったりなんて、言わなくてもいいのに。


「彩華ちゃん、良ければどこかカフェにでも行かない?」
「あ、いや。今からはちょっと」

 彼女の名前は美咲ちゃん。小学校、中学校、ずっと一緒だった。高校受験が終わってからは、連絡を取っていなかったのだ。積もる話があるような、ないような。

「ルクリリのお友達ですか?」
 ペコが袖を少し引っ張って、とてもよそ行きの笑顔で聞いてきた。外ではダージリン様と行動することも多いから、なんて言うか、ペコの笑顔のオンオフはわかりやすいのだ。仲間といる時と違うのは、それなりに、顔を知られていることがあるからだろう。
「うん、中学時代の」
「折角ですから、私たちを気にせず行ったらどうですか?」

 カフェのランチなんかよりも、お肉が食べたいのに。何と迷惑な申し出なのだろうか。ペコは普通のことを言っているのだろうけれど、ルクリリにはお肉の方が大事なのだ。今更、久しぶりに会う『過去に仲の良かった友達』と、語り合いたいことなんてないのに。

「あなたはもしかして、オレンジペコ様?」
「……あ、はい。そうです」
「ノーブルシスターズの1人でしょう?」
「はい」
「有名よね、オレンジペコ様って言う名前」
「いえいえ、そんな。私なんてまだまだ」

 顔の前で両手を振って謙遜を見せているペコは、わかりやすく照れている。横浜港を母校としている学生艦の中でも、聖グロはやっぱり特別。戦車道の全国大会出場校の中でも四強と言われて、大会が始まれば、横浜の住民は巨大スクリーンに釘づけだ。隊長を始め、ティーネームを持つ生徒は顔も名前も有名人。ルクリリも小さい頃から青い制服、赤いタンクスーツに憧れ、小学校も中学校も、関東で一番と言われている戦車道チームに所属して、受験のための猛勉強をしていた。もちろん、ペコだって努力をしてきたから、こんな風に有名になったのだ。

「よかったら、みんなでカフェに行きませんか?」
 美咲ちゃんの後ろには、戦車道をしていなかった同じ中学の人たち。今更ながらに気づいたのだけれど、横浜港を母校としている学校の制服。でも、そこに戦車道はない。

 ……
 ………

 今、どうしているのかと聞いても、無駄なことなのだと思う。だったらなおさら、話すことなんてないような気がして、ルクリリは小さくつばを飲み込んだ。予定通り、美味しいものを食べに行った方がいいって。

「私たちは構いませんよ」
「他校との交流はとてもいいことですし」

 数秒の沈黙は、ペコとバニラを少し誤解させてしまった。気を使っているのは仲間にではない。“仲間だった友達”に対してだ。

 断りたい事情をペコ達に丁寧にする余裕もなく、満面の笑みの他校の生徒たちを拒絶することもできず、流れに身を任せてぞろぞろとカフェに向かった。こういう時こそ、ローズヒップがお肉お肉と騒ぎ立ててくれたらいいものの、ニコニコしながら付いてくるんだから。役に立たない奴だ。


「……ニルギリたちどうしたんです?」
「どうしたって、ランチを食べているだけよ。ペコたちこそ……合コンでもするの?」

 店員があちらへと手のひらを向けているのは、テラス席だった。何度か来たことのあるカフェ。ランチは美味しいけれど、まだまだ暑い時期にテラスはちょっとキツイ。店内を抜けるべくゾロゾロと歩いていると、見知った制服の子たちが、クーラーで涼みながら手を振っている。ペコは手を振り返した。

「ううん。ルクリリの中学時代のお友達だそうで。ばったり会ったから、せっかくだしカフェに入ろうということになりました」
「………あれ?美咲ちゃん?」
「え?あ、そっか。ニルギリはルクリリと同じ中学出身でしたね」
 ニルギリと一緒にランチを取っているルフナも、同じ学校の出身だ。席数は決まっているから、ニルギリたちと替わってあげた方がいいのだろうか。とはいっても、もうランチを食べ始めている2人と替わるのもおかしい。
「えぇ。私たちのことは気にしないで」
「挨拶しなくてもいいんですか?」
「うん、いいわ。…………色々あるから」
「そうですか?」
 ニルギリはちょっとだけ、困った顔で笑っている。ルフナも眉をひそめていた。あの美咲さんと言う人と、何かあったのだろうか。


「お肉、お肉、お肉……」
 念仏を唱えるようにメニューを眺めているローズヒップは、一番高いランチセットを指さして、これだ!と目をキラキラさせた。みんなでお肉を食べようって決めていたから、最初からそれなりにちょっと高めを想定していた。お肉専門店ではないけれど、サーロインのステーキセットがメニューに書かれてあって、当然、聖グロの生徒は皆、それを注文する。

「意外。聖グロの生徒って、サンドイッチと紅茶を頼むんじゃないの?」
「いや、ちょっと学校の食堂が毎日海鮮物続きで、お肉を食べようっていう目的で横浜に出てきていたからね」
 ルクリリは美咲さんにそう伝えて、ステーキを待ちわびる仲間たちの愁いを説明してくれた。聖グロはそこまで毎日、サンドイッチとスコーンにまみれてはいないのだ。紅茶は毎日飲むけれど。
「で、一番高いサーロインを頼むんだ。流石、お嬢様学校ね」
「仕方ないよ、だってお肉はこれしかないんだし」

 細くてチクリと刺す棘みたいなものを感じたのは気のせいかな、と思う。ローズヒップはルンルンと膝にナプキンを掛けて、ステーキへの想いを厨房に飛ばしている感じ。子供みたいに。他校の生徒と一緒なんて、きっと大したことと思っていないのだろう。まぁ、正式な交流会ということでもないから、別に問題もない。幸いなことに同じ歳なのだから、そのあたりの気遣いだってしなくてもいい。何というか、普通でいいのだ。ルクリリの友達として、恥をかかなければ。


「お肉ですわ~!」
 両手をあげて喜ぶローズヒップの前に並んだ、サーロインステーキ。聖グロの生徒の前に荒々しい匂いが充満して、向こう側は女子高生らしい、パスタやオムライスなどのセットが並ぶ。敬虔なクリスチャンのクランベリーが手を合わせて、心の中でお祈りを始めたので、ペコも、もちろんローズヒップ達も皆、同じように手を合わせて、神様に感謝の言葉を伝えた。御座なりにする生徒もいるし、キチンとする生徒もいるし、外ではしない生徒もいるし。聖グロの生徒の多くはクリスチャンだけど、信仰の自由は認められている。だけど、必須科目に宗教の授業はある。当たり前のように聖歌は空で歌える。

「うわ、マジでそう言うことをするんだ」
「何だかこっちが罪深い人間みたいね」

 一言、お祈りをさせて欲しいと告げればよかったなと思ったのは、目を開けて嫌そうな表情の美咲さんの顔が見えた後だった。

「ごめん、もう身体に沁みついちゃっていて」
 普段、お祈りなんてしないルクリリがさらっと嘘を吐く。それは、大切な仲間を想う嘘だ。
「へぇ。聖グロの生徒になった自慢?」
「ははは。まぁ、そんな感じ」
 一番端っこに座っているクランベリーが眉をひそめてペコを見つめてくるけれど、何だかこう、何と言うか………ちくりと刺されたような棘はたぶん、ルクリリにだけ向けられている。気にする必要はない。

「そっか、すっかりお嬢様ぶってるんだね」
「今のところ、頑張っているって感じかな。上級生にいつも怒られてばかりだよ」

 徹底的にフォークとナイフの使い方を、アッサム様にしごかれていたローズヒップ。今日みたいな日のための訓練だったに違いない。それでも、本当に美味しそうにパクパクと食べる息遣いが、ルクリリの隣から聞こえてくる。前に並んでいる女の子たちは、各々がパスタやオムライスを美味しそうに食べていた。パスタなんて、聖グロの学食には出ない。欲しいという要望は意外と少なかったりする。パン食に飽きたからと言って、同じような原材料のものを増やしたくはないからだ。

 食事中に、ルクリリのことを“彩華ちゃん”と呼ぶ美咲さんと、そのお友達は、思い出話に花を咲かせていて、中学時代の先生のこととか、別の学校に行った子の話をしていた。ルクリリは相槌を打つばかりだったけれど、周りは意味がわからないし付いていけない。とはいえ、彼女はそう言う話をしたくてルクリリに声を掛けたのだろうから、話題を変える必要も見当たらなかった。幸い、ローズヒップはお肉に夢中で、バニラもクランベリーも物わかりの良い子。何より無意味に話題を振るタイプじゃない。美咲さんと言う人が、やたらルクリリのやんちゃな中学時代をペコたちに暴露したがっているような気がしたけれど、何と言うか、まぁ、男子生徒と殴り合いのけんかをしたとか、食事の最中に牛乳を吹いたとか、その程度なんてルクリリらしいな、としか思えなかった。だから、バニラたちもニコニコしてその、残念な武勇伝を聞いているだけだ。

 ダージリン様だったら、むしろ手を叩いてお喜びになるだろう。あのお方もアッサム様も、ルクリリのそう言うやんちゃな部分も含めて、溺愛をされているから。

だって、恋人でしょ? END

「え?ここで食べますの?」
「当然よ。2人きりのタイミングを待っていたの。夕食の後だとお腹がいっぱいだもの。今がいいわ」
 放課後、書類仕事を片付けた後、隊長室でお茶をしましょうと用意をしていると、ダージリンがイソイソとアッサムのケーキを冷蔵庫から出してきた。子供が大事なものを隠している宝箱を取り出しているみたいだ。とても嬉しそうだし、無邪気だから、それはそれで、アッサムもゆっくり見ていたかった。アッサムは一口も食べていないけれど。ダージリンが美味しいと言うのならば、きっと本当に美味しいのだろう。

「紅茶はどうされます?」
「ミルクティーがいいわ」
「では、アッサムで」
「そうね」

 箱からお皿に乗せて、フォークを添えて。キラキラした目。アッサムのものを奪ったケーキ。紅茶を蒸らす時間も今か今かと言わんばかり。
「どうぞ」
「ありがとう、アッサム」
 早速フォークを手にして、アッサムが食べるはずだったケーキを一口。
「やっぱり美味しいわ、アッサム」
「そうですか」
「とても美味しいわ」
「それはよかったです」



 …
 ……
 ………


「あの、ダージリン」
「何?」
「……それで?」
「それで?」

 まぁ、わかってはいたけれど。アッサムの手元には紅茶しかない。半分くださいとまでは思わないが、今日はヴァレンタインなのだ。ダージリンはまさか、本当にアッサムには何一つ用意をされていないのだろうか。

 いえ、もう、この様子だと絶対に用意されていない感じだ。
 クリスマスの時は、交換をしましょうと最初から約束をしていたが、今回は何も言っていなかった。でも、アッサムは昨日、ダージリンにケーキを作って渡すと言うことは伝えていたはず。それを聞いてダージリンは……。

 まぁ、ダージリンがそんな気を利かせる人ではないと、わかっていたけれど。


「どうしたの、アッサム」
「………何でもありませんわ」
「不服な顔ね。美味しいわよ?」
「えぇ、とても美味しそうに食べていただいているので」
「美味しいもの」
「よかったですわね」

 アッサムが何かに不服と言うことは、ダージリンにも伝わったようだけれど、どうにもその理由はわからないらしい。美味しそうに食べている顔は見ておきたいので、取りあえず紅茶を飲みながら、ダージリンが食べ終わるのをじっと待った。アッサムの手元にはお茶受けがないことなんて、当然、ダージリンは気づく素振りもないようだ。



「ダージリン」
「……なぁに、アッサム」
「美味しかったみたいで、よかったです」
「そうね。とても美味しかったわ。オレンジペコ様のレシピ?」
「レシピだけはそうですが、あのお方、バニラ様に付きっ切りでしたわ」
「そう。アッサムがとても時間をかけたことが、伝わってきたわ」
「えぇ」

 流石にダージリンは、アッサムが何かに対して怒っている、と言うことには気づいている感じ。瞳を左右にさせ始めたが、それを誤魔化すようにティーカップで顔を覆っている。 

 もう空っぽのくせに。


「ダージリン」
「……なぁに、アッサム」
「ダージリンからは、何ももらえませんの?」


 …
 ……
 ………




「…………あっ」


 長い沈黙の後、合点がいったらしい。カタカタとカップを鳴らしてソーサーに置く姿は、さっきの美味しそうに食べていたダージリンと同一人物ではない。


「そうですか。何もないんですね」
「だって、アッサムが作ってくれると言うものだから、嬉しくてそのことばかりで頭がいっぱいだったのよ」
「………そうですね。いえ、別に期待なんてしていませんわ」

 ソワソワ楽しみにしていて、もらうことだけに頭がいっぱいと言うのは、本当にダージリンらしいといえば、らしい。この人は、イソイソと買いにでかける人ではないのだ。誕生日の時も、欲しいものを先に教えてと言うし、食べたいものもリクエストをされるし。たぶん、色々と上手ではない。そこのところ、ちょっとお姉さまに似ている。お姉さまもそう言う部分が凄く疎いのだ。乙女心、みたいなのが欠けている。ついでに、乙女心をわかろうとしないところも。ダージリンもお姉さまも、同じ性別なのだけれど。


「では、そうね……お礼にどこかに食べに行きましょう。アッサムの好きなものを」
「結構ですわ。今日は3食とも食堂に来るようにとオレンジペコ様に言われています」

 プレゼントを持ってくる生徒がいるため、手渡し禁止でも、幹部席に座っているようにと言うのが、オレンジペコ様からの命令だ。朝も昼も、ダージリンへのプレゼントは箱に入っていた。きっと、夕食の時にも持ってくる生徒はいるだろう。

「では、明日にでも」
「明日はもうヴァレンタインじゃありません」
「じゃぁ、今から何か、あなたの欲しいものを買いに行きましょう」
「もう、そろそろ暗くなるし、欲しいものなんてありませんわ」

 多大な期待をしない方が、これからのためだ。ダージリンは媚を売るように隣に座りなおして、アッサムに抱き付いて機嫌を取ろうとしてくる。

「アッサム、機嫌を治してちょうだい」
「考えておきますわ」
「それはいつまでなの?あと5分?それとも10分はかかるの?」

 どちらかと言うと、身体にしがみ付いてきていることの方が、鬱陶しくて苛立つ気もしないではない。こういう人なのだ。惚れたのはアッサム。でも、ダージリンだってアッサムのことを好き好きって言うのなら、チョコ1粒でも用意すればいいのに。アッサムは作ると言っていたのだから、どうしてもらうだけしか気を回せないのだろうか。


 どうしてもこうしても、ダージリンとはそう言う人なのだ。
 
 

「離れてください、ダージリン」
「機嫌を治してちょうだい」
「わかりましたので、離れてください」
「嫌よ、機嫌が治っていないもの」
「………はいはい、もういいですから」


 まとめあげている三つ編みを撫でて差し上げると、やっと腕の力が抜けた。

「許してくれるの、アッサム?」
「………まぁ、せっかくケーキを作って渡したのに、嫌な気分で一日を終えたくありませんもの」
「そうね。そうよね、流石アッサムだわ。そう言う所が好きよ」

 隊長室なのに、キスしてくるものだから。

「調子に乗らないでください!」


 “ごめんなさい”を言わないダージリンの頬を、思い切り叩いておいた。


「…………何があったの?」

 食堂に行くと、いつもと空気が違った。アッサムとバニラがぴったりと椅子をくっつけて座り、おいしそうに食事をしていて、意図的にアールグレイとダージリンが隔離されている。明らかに何かをしでかしたのは、アールグレイとダージリンだろう。ムスッとした表情のダージリンの左頬には、張り手の痕。気のせいか、アールグレイの左頬にも、似たような腫れがある。

「別に」
「何でもありませんわ」

 オレンジペコは和食を選んでいたので、アッサムに日本茶をリクエストして、いつもはアールグレイが座る場所、つまり二分されているセンターに座った。

「どうぞ、オレンジペコ様」
「ありがとう、アッサム」

 陶器のお茶椀を受け取り、頂きます、と手を合わせる。2組のカップルに挟まれているけれど、片や犯罪者のような顔。そして、制裁を加えた方はなんだかとても清々しく、妙な団結があるようだ。

「アッサム、明日はフレンチに連れて行ってあげる」
「本当ですか、バニラ様」
「えぇ。予約を入れておくわ。この学生艦の中で一番高いお店よ」
「嬉しいですわ、バニラ様」

 聞き耳を立てているダージリンとアールグレイは、互いに1秒だけ見つめ合ったけれど、2人に対抗して何かの約束事をするなんて、互いに避けたい相手だと思い当たったらしく、背中を見せ合うように、そっぽ向いた。そしてダージリンがオレンジペコを見つけたと言わんばかりに、満面の笑顔を振りまいてくる。

「オレンジペコ様」
「嫌よ」
「何もまだ、言っておりませんわ」
「明日は忙しいの」
「アッサムにだけ時間を割いてばかりです。私とも遊んでくださいませんこと?」
「あなた、コーヒーは嫌いでしょう?ケーキだって作れないし」
「善処しますわ」
「絶対に無理よ」


 ふくれっ面のダージリンは、同じように不服を顔に付けたままのアールグレイを睨み付けている。昨日、恋人のためにと一生懸命ケーキを作っていたあちら側は、肝心のヴァレンタインの夜に、一体どうしてしまったのだろう。と言うか、多分、ダージリンとアールグレイは怒られている理由もわかっていないに違いない。

 この理不尽を張り付けている顔が、余計に腹立たしいのだろう。


 きっと、くらだないことで喧嘩をしたんだろうなと思う。
 たぶん、バニラとアッサムが一方的に鈍感な相手に腹を立てて、頬を叩いたのだろう。


 何があったのかは知らないけれど、せっかく美味しいケーキを作っていたのだから、一日機嫌よく過ごせばいいものを。


「もう、ヴァレンタインなんてなくなればいいのに」

 オレンジペコが呟くと、同感と言わんばかりに大きく頷いたダージリンとアールグレイ。

 その余計な動作を、殺意ある目で睨んでいるアッサムとバニラ。


 鈍いにも程があるでしょう。


 食事の後、アッサムとバニラが部屋に突撃して来て、ずっとずっと愚痴を聞かされ続けた。もう、正直、ただの惚気にしか聞こえない。ゆっくり本を読もうと思ったのに、本当にうるさい2人だ。何だったら、リリーから送り付けてきたチョコに埋もれてポーズを取っている写真を見せて、これよりずっとマシだと説教してやりたいくらい。最低だの配慮がないだの、気持ちをわかろうとしない、だの。

 2人の隊長のもう1つ上の元隊長の方が、ずっと酷いのだ。………言えないけれど。

 散々、鬱憤を晴らした2人が手を繋いでオレンジペコの部屋を後にしたのは、日付が変わる少し前。

「…………バニラとアッサムがフレンチを食べている間、あの2人の相手は誰がするのよ」

 こっちは仲良く手を繋げる関係でも、あっちはだからと言ってタッグを組んだりしない2人だ。いい加減、卒業を控えたこの時期なのだから、ダージリンもアッサムも3年生に甘えないで自分たちで何とかすればいいのに。


 とはいえ、携帯電話にある着信履歴を眺めながら、仕方なくダージリンの頼みを聞き入れてあげることにした。これが最後なんだから、と。


 たぶん、これが最後なんだからって、あと何度かは使う気がする。



だって、恋人でしょ? ④

 朝、食堂ではいつもと違う景色が広がっていた。幹部席の後ろには長机が用意されていて、『手作りの食べ物は禁止。幹部へのプレゼントはこの中に入れること。差出人の名前がないものは破棄』と書かれたプラカードと、5つの箱が用意されていた。アールグレイ様、オレンジペコ様、バニラ様には1人1つの箱があって、2年生のトップ3人のお姉さまたちは1つ、そしてなぜか、1年生の箱、つまりダージリンやアッサムたちのものまである。

「おはようございます、お姉さま方」
「おはよう、アッサム」
「あれ、なんですの?」

「以前、とんでもない数のチョコレートをもらったお姉さまがいらして、ファン同士が小競り合いみたいになったの。それ以来、平等と秩序を守るために、あぁいうことをしているのよ」

 ヴァレンタインにプレゼントという行為そのものを、禁止にしてしまえばいいのに。なんて言えば、自分が作ったものを否定してしまうことになるから、アッサムはつばを飲み込んだ。早朝にオレンジペコ様のお部屋に取りに行った箱。「手作り禁止」に違反しているのだけれど、大丈夫だろうか。まぁ、渡す本人の許可をもらっているわけだし、幹部が幹部に渡すことまで、ルールに従うことなんてないだろう。


「バニラ様」
「おはよう、アッサム。よく眠れた?」
「はい。昨日、ありがとうございます」
「子供みたいに寝ちゃって。可愛い顔していたわよ」

 ダージリンもお姉さまもバニラ様もオレンジペコ様も、朝の定食のトレイを手になんてしていないから、アッサムのケーキを楽しみにしてくれていることはわかっている。あと、バニラ様の分も。バニラ様なんて、勝手に1人2つのケーキ皿を用意していて、とても周到でいらっしゃる。


「どうぞ、ダージリン」
「ありがとう、アッサム」

 ビターチョコが好きだと宣言したからか、オレンジペコの茶葉をチョイスしたダージリンは、お姉さま方にも紅茶を配ると、アッサムが渡したケーキの箱をとてもうれしそうに両手で受け取った。

「ダージリンは、このケーキはいらないでしょう?」
「別にいりませんわね」
「あらやだ、じゃぁ、本当に食べさせてあげないわ」
「私には、アッサムのケーキだけで十分ですわ」

 バニラ様が、よもや手作りでケーキを作っていたなんて思ってもみなかったのか、お姉さまは顔を引きつっておられる。

「……まさか、バニラが作ったの?」
「昨日、3人で仲良く作ったのよ。ね、ペコ?」
「大丈夫よ、アールグレイ。こっちのケーキ、半分以上は私が作ったから」

 ダージリンは3年生たちの話なんて一切聞こうともせず、木苺のたっぷり乗ったケーキをキラキラした瞳で眺めている。とても嬉しそうで何よりだ。

「お姉さま、どうぞ」
「ありがとう、アッサム」

 バニラ様がホールケーキを切って、お皿に乗せている間、アッサムはお姉さまにもケーキの箱をお渡した。オレンジペコ様にもお渡して、バニラ様の目の前にもそっと置いた。


「アールグレイ」
「どうしたの、バニラ?」
「どうして、先にアッサムのものから手に取るの?」
「だって、おいしそうだもの」

 空気を読むなんてできないお姉さまは、先に渡した方から手にしただけなのだろうけれど、こういう時くらい、恋人の作った方から食べるべきなのだ。


「アッサム、とても美味しいわ」
「そうですか。時間をかけた甲斐がありました」
「木苺がいっぱいね」
「はい」

 3年生を完全に無視して、ダージリンはアッサムに嬉しそうにアピールしている。

「アッサム、私のケーキには木苺が1つしかないわ」
「1つあればいいじゃないですか」
「ダージリンには5つ。アールグレイたちは2つだわ」
「昨日、つまみ食いされていたからですわね」

 バニラ様と睨み合っている間、ダージリンもお姉さまもパクパクとアッサムが作ったケーキを食べている。オレンジペコ様もバニラ様のケーキより先に、アッサムの作ったケーキを美味しそうに食べていらした。

「………アールグレイ、あっという間にアッサムのケーキを食べたわね」
「美味しかったわ」
「………あらやだ、お腹いっぱいだなんて言わせないわよ」
「こっちは、ゆっくり食べるわよ」

 まぁ、お姉さまは子供の頃から、大事なものほど後に取っておく性格でいらっしゃるから、アッサムのものを先に食べたことが、凄く悪いことでもないけれど。


「美味しいですわ、バニラ様」
「本当?初めてエプロンを汚さずに作ったわ」


 アッサムだけは、何だか可愛そうだから、バニラ様のチョコレートシフォンを先に食べることにした。ダージリンの幸せそうな顔を眺めながら、やれやれとため息を吐かれておられるオレンジペコ様の表情も視界に入ってくる。


「………お察ししますわ、オレンジペコ様」
「ありがとう、ダージリン」

 いろんな人たちの視線をたくさん浴びながら、手作りのケーキを食べている隊長たちの姿。一般の生徒たちは何を想うのだろう。きっと羨ましいって思われているのだと思う。バニラ様の手作りケーキを食べるなんて、と。整備科あたりから、何か文句を言われそうだ。


「ねぇ、アールグレイ。どっちのケーキが美味しかった?」
「どっちも美味しかったわ」
「そう言う答えはいらないわよ」
「順位を付けるものでもないわ」

 気を使っているから順位を付けられないお姉さまに、バニラ様は不服と言わんばかり。片やダージリンは、最初からアッサムのだけが美味しいと言って、アッサムの自分の分のケーキも欲しいとねだるものだから、結果的にアッサムはバニラ様のケーキを2つ食べることになってしまった。ダージリンはアッサムのケーキを大事に持って帰るそうだ。そうやって喜びを表現してくれることはとてもうれしい。きっと取っておいて、後のお茶の時間に食べるつもりなのだろう。


「アッサム、バニラの愛が重いわね」
「えぇ……まったくですわ」

 美味しいシフォンケーキ。2つ分の重たい愛を、胃の中へと流し込む。
 今度は、アッサムが胃もたれで寝込んでしまわないだろうか。


「はい、お茶受け」
「………朝、全部切って配ったんじゃなかったの?」
「あらやだ、見ていなかったの?ホールの半分は手を付けずに箱に戻したのよ」
「………半分?」
「そうよ、半分」


 ランチの後、暇を持て余してセックスをして少し眠った後、バニラがお茶を淹れてと言うので、バニラティーを淹れた。

 差し出されたお皿の上には、見たことのあるシフォンケーキが乗っている。

「その半分はどこにあるの?」
「何を寝ぼけているの?この部屋にあるから、こうやって出してきたのよ」
「バニラの分は?」
「いらないわ。整備科に貰った、『ホワイトローズ』のヴァレンタイン限定チョコがあるから」
 
 そっちがいい、なんて言えるはずもない。間違いなく、アールグレイ1人でシフォンケーキの残った半分を食べさせられるに違いない。このケーキ分があと、少なくとも4つはあることになる。

「何、嫌な顔して」
「………嫌じゃないわよ」
「あらやだ、嬉しいの?」
「いえ、私も後輩から貰ったチョコを食べないと」
「あなたの分は、手を付けずに、そのまま横浜の教会へ直行でしょう?」
「………そうね」
 2つ3つならともかく、数えるのが面倒な程のプレゼントをもらうので、送り主のリストを作ってもらい、現物は教会を通して児童施設などに届けられることになっている。手作り禁止はそのためだ。賞味期限の短いものは、ひっそりと情報処理部が始末するそうだ。みんな、そのことはわかっていて、それでもリストに名前が挙がるのなら、と、せっせとプレゼントをくれる。アールグレイは送り主に手書きの礼状を書いて、それをコピーして、サインだけは1枚1枚書き入れて、送るのだ。バニラもオレンジペコも、そうやってきた。ルクリリお姉さまの時は、1人で大きな箱を5つ分程集めてしまい、礼状が面倒になったと言う理由を作って握手会なるものを開催して、学内の小さな礼拝堂に行列ができてしまった。


「あーん、ってして欲しい?」
「いえ、いらないわ」
 朝に食べたから、味は覚えている。美味しいと思ったが、一日にケーキを3つも食べたいかと言われたら、3日に1度くらいでも多いと感じるくらいだ。

「バニラ」
「何?」
「あなた去年、私に何か、ヴァレンタインに作ってくれたかしら?」
「作ってないわ」
「どうして、今年は作ろうと思ったの?」

 1年生の時も2年生の時も、ファンから沢山のプレゼントをもらって困っていた記憶はあるが、バニラからはチョコもケーキももらったことなどなかった。

「………アールグレイ、本気で聞いてる?」

 にっこりほほ笑むバニラの眉間が怒りを表現しているのは、何となくわかる。
 聞いてはいけないことだったに違いない。

「ごめんなさい。そうね、アッサムに対抗心を燃やしていたんだったわね」

 アッサムのあのケーキは、とても美味しかった。きっと、ケーキを作るアッサムをからかって遊びたいだけだったに違いない。包丁を触るのも嫌なバニラが、積極的にケーキを作るとは思えないのだ。


「アールグレイって、どこまでも馬鹿ね」
 

 満面の笑みに薄っすら見える青筋のようなもの。勢いをよくふり落とされた右手が頬にぶつけられて、どうやらそうではないらしい、と言うことだけはわかった。

 でもたぶん、正解も教えてもらえないだろう。

だって、恋人でしょ? ③

バニラ様のケーキが焼き上がり、それからしばらくした後、やっと生地が出来上がったアッサムは、小さなカップにちょっとずつ生地を流し込んでいった。1つ1つ計量をして平等にしようとしたら、オレンジペコ様に不要なことだと止められた。何となく同じでいいと言われて、そう言ういい加減なことが嫌なのだと伝えても、だったら、一番少なさそうなものをバニラ様に渡せばいいことだと言われてしまう。均一に火を通すことが大事だと言えば、そもそも部屋にあるオーブンは、計ったように均一に火を通すことが難しいと言われた。生焼けじゃなければいいでしょうって。

 最後は時計を見なさいと言われ、諦めが付いた。ここまでにすでに、2時間半。本当なら、もう焼き終わっているはず。なんだったら、夕食に向かっている時間。

「バニラ様は?」
「さっさと夕食に行ったわ」
「そうですか」

 お茶を飲んで静かにしておられると思っていたが、いつの間にかいなくなっていたなんて。しかも、ご自分のケーキを放置したまま。お姉さまとの夕食がそんなに大事なのだろうか。

 オーブンに入れて、オレンジペコ様が温度と時間をセットしてくださったので、その間、じっとしゃがみ込んで睨んでいようと思ったら、頭を叩かれた。
「そんなところで見守っていても、どうしようもないわよ」
「………はい」
「片づけてしまいましょう。焼きあがったら、熱を冷ましている間に食事をしましょう」
「はい」

 そう言えばこんな時間なのだから、ダージリンが怒っているかもしれない。夕食は別で食べてと言ってないのだ。ムッとして待っているだろうか。携帯電話を開くと、気が付かなかった着信がいくつも入っていた。掛けてみても、今度は出てくれる様子がない。

 メールが1通入っている。

「先に食べておきます」

 シナモンとそのまま、ご飯を食べに行ったのだろうか。アッサムは出来れば、疲れ果ててしまって食べずに寝てもいいくらいだけれど、まだ、生クリームを表面に塗ったり、木苺を上に乗せたりと、やらないといけないことがあるのだ。

 あんまり、オレンジペコ様からアドヴァイスをもらった覚えがないし、多分、一応は全部自分で作った。ダージリンにも胸を張ってそのことを言える。

「アッサム、遅いわね」
「…………そうですわね」
「電話、したの?」
「出ませんわ」

 アッサムの携帯電話を何度も鳴らしたけれど、一向に出る様子がなかったから、メールだけを残して食堂に向かった。きっとまだ、オレンジペコ様とのケーキ作りが終わっていないのだろう。もうこんな時間だと言うのに。まさか、いろんな人に配るために大量に作っているわけでもないでしょうから、きっとまた、計量に情熱を燃やしているのだろう。とはいえ、そのことを笑いでもしたら最後、明日のヴァレンタインには、手作りのケーキをもらえないことになる。

「バニラ様はどうされましたの?」
「さぁ?どこかに行ってるんじゃないの?」
「そうですか」
「昨日、バニラと遊んだのでしょう?」
「えぇ、ノエルでごちそうになりましたわ」
「バニラは夜遅くまで寝込んでいたわ」
「そうですか。おいしそうに召し上がっておられたのに」

 幹部席に行くと、アールグレイ様がお1人でいらした。ここにダージリンと2人で座ったところで、笑顔を交わして食事をすると言う相手ではないけれど、目が合ったのに別の席に移動なんて出来る訳もなく、する理由も見当たらず、隣同士に座ったまま。


 それにしてもバニラ様、満面の笑みで勝ち誇っていらしたのに、同じように胃もたれで寝込んでいらしたとは。大体、あんな量を食べて無事なわけがないのだ。ご自分ができないことを後輩にやらせようとするなんて、なんて酷い先輩なのだろう。


「あらやだ、2人が仲良く食べているなんて」


 噂をすれば。バニラ様がお1人でやって来られた。ダージリンはお茶を淹れるために一度席を立つ。

「バニラ。オレンジペコはどうしたの?」
「アッサムとデート中よ。あれでは、夕食には間に合わないと思うわ」

 バニラ様、2人がケーキを作っているのを知っておられるご様子。勝手に参加されてきたのだろうか。あまり深く聞くと、また遊ばれてしまいそうなので、知らない振りをしたまま、お茶を出した。

「昨日、2人で映画を観たと言っていたわね」
 アールグレイ様は、どうでもいいと言った感じだ。流石に過保護とはいえ、アッサムがオレンジペコ様と2人でいることまで嫌だなんて思うほどじゃないだろう。アッサムのことだから、イチイチ、アールグレイ様に何をしたのかを話していそうだけれど。と言うか、話しているから、部屋で映画を観たことをご存じでいらっしゃるのだ。
「あらやだ。浮気だわ」
「私もバニラ様と昨日、デートしましたわ。ノエルで仲睦まじく、バーガーを食べたじゃありませんか」
「そうそう、そうだったわね。美味しかったわね」
「えぇ」


 携帯電話が鳴った。きっとアッサムからだろう。夕食をどうするつもりか電話をしていたが、もう先に食べてしまっている。そのことはメールを入れておいた。あの子はあの子で、自分で考えて済ませてくれるだろう。そう言うことでの喧嘩はしないから、特に問題はない。


「明日、ヴァレンタインね」
「そうですわね」
「ダージリンは私に何かくれるの?」
「整備科の1,2年たちが、バニラ様のために色々と用意しているみたいなので。戦車道1年生は、協議の結果、お姉さま方には一切何もしないということになりましたの」
「あらやだ。個人的に何かをしてくれてもいいのよ?」
「遠慮しますわ」

 出来る限り時間を掛けて食事をしても、アッサムもオレンジペコ様も姿を見せる気配はなかった。バニラ様とアールグレイ様も、思い出したときに腕時計を眺めているけれど、20時を回る頃に諦めて、3人で席を立った。

「たぶん、ペコが何か作って食べさせているんじゃない?」
「そうでしょうね、きっと」
「ちょっと、ペコの部屋を見てくる」
「放っておいたら?」
「いいの。ちょっと、用事を残しているから」

 バニラ様はアールグレイ様を置いて、スキップする勢いで先に寮に戻って行かれた。バニラ様はたぶん、アッサムがケーキを作っていることをご存じなのだろう。ダージリンが知らないと思っていて、隠してくださっているのかも知れない。ともあれ、何時間かけて作ったケーキなのだか。オレンジペコ様もお可哀相に。面倒看のいい方だから、最後まで付き合ってくださっているのでしょうけれど、1gの誤差も許せないアッサムに、キレたりされていなければいいのだけれど。


アッサムのケーキが焼き終わり、冷ましている間に夕食を作って食べて、それから丁寧に生クリームを乗せ、木苺を乗せ、1つ1つ箱に入れて。
 真剣な目で几帳面に均一に仕上げるそれを眺めながら、やれやれと何度ため息を吐いただろう。仕上げだけで1時間を費やした。5つの小さめなケーキが並び、ダージリンのものだけが木苺が沢山乗ってある。愛情の差だろう。朝まで冷蔵庫で預かってあげることにして、これでやっとヴァレンタインのケーキは作り終わった。

 バニラとアッサムがそれぞれ用意したのだから、今更オレンジペコが何かを作って渡す必要もなさそうだ。教えた側の人間まで渡したら、2人から睨まれるだろうし。

 アッサムは神経を使い果たしたせいなのか、箱に入れて冷蔵庫に入れたあと、ソファーに座った瞬間眠ってしまった。


「ペコ、ただいま」
「………シー」
「シー?あらやだ………寝てる?」

 バニラが放置したままのケーキは、放っておいたらそのまま乾いてしまうので、オレンジペコが勝手に仕上げのチョコソースをコーティングして、ホールごと箱に入れて冷蔵庫に入れてしまった。結局、半分以上はオレンジペコが作った気がする。バニラは、暇を埋めるためにケーキを作った感じだから、そこまで執着もないだろう。そう言うことで愛情を確認し合うほど、アールグレイとは初々しいものじゃない。

 ……たぶん。

「ケーキは出来上がったの?」
「誰かと違って、全部アッサムの手で作ったわ」
「疲れ果てるくらい、本気だったわけね」
 起きる気配がないので、ブランケットを掛けてそのまま寝かせておいた。バニラとお茶をしながら起きるのを待ってみたけれど、30分経ってもぐっすり眠っている。

「ダージリンに迎えに来させる?」
「いいわ、私が送ってあげる」

 自分のケーキを取りに来たはずのバニラは、部屋に持って帰るとアールグレイに早々にバレるからと、結局、バニラもここにケーキを一泊させる方法を取った。代わりに、目をこすりながらも眠たげなアッサムを背負って、1年生の寮に送ってくれた。妹の世話で馴れているから、なんて。
 バニラのふわふわした髪に顔を押し付けて、がっちり背中にくっついたままのアッサムは、アールグレイの妹分だけど、今だけはバニラの妹のようだ。

「仲がいいのか悪いのか、わからないわね」
「あらやだ、私はアッサムとは仲良しよ」
「昨日はダージリンを虐めていたでしょう?」
「ダージリンで遊んでいたの」
「………はいはい。じゃぁ、お願いね」


 2人を追い出すと、残ったチョコレートの塊がテーブルの上に置かれているのが目についた。こんなブロックのもの、どうやって処理をすればいいのだか。






 バニラ様がアッサムを背負ってダージリンの部屋に来た。一体何事かと思ったけれど、色々あって、オレンジペコ様のお部屋で眠ってしまったらしい。だったらアッサムの部屋に預けたらいいものを、有無を言わせずにダージリンのベッドに寝かせて、ウインク一つ飛ばして帰ってしまうものだから。致し方なく黒いリボンを外してあげて、そのまま寝かせておいた。20分ほどして目を覚ましたアッサムは、まだぼんやりとした顔のまま。
「起きたの?」
「………ダージリン」
「オレンジペコ様のお部屋で寝ていたのを、バニラ様が背負って連れて来て下さったのよ」
「バニラ様?」
 不思議そうに首をかしげているアッサムは、ダージリンの部屋だとわかったようだ。ケーキを作り終わって、疲れて横になったところで記憶が消えてしまったらしい。

「上手くできたの?」
「はい」
「そう。明日、楽しみにしているわね」
「えぇ」
「………もう、このまま泊まっていけばいいわ」

 別に一緒のベッドで眠ることが嫌と言うわけじゃないけれど、今のところまだ、同じベッドで一晩を過ごしたことはない。隣同士の部屋。眠たくなるまでどちらかの部屋でくつろいで、お休みと言って自分たちの部屋に戻るのがパターン化しているのだ。なんとなく、そうなっている。

「でも、お風呂に入ってしまいます」
「ここのを使いなさい。着替えを取ってくるといいわ」
「………じゃぁ、お言葉に甘えて」




だって、恋人でしょ? ②

「お姉さま」
「アッサム。ダージリンは?」
「ノエルのコーラとバーガーに胃もたれとか」
「……あぁ」

 食堂に行くと、お姉さまが1人で幹部席に座っている。珍しいこともあるものだ。そう言えばオレンジペコ様は情報処理部の人たちと外に出掛けると言っておられた。アッサムはサラダとスープをトレイに乗せて、直ぐ隣に腰を下ろした。遠巻きにお姉さまを眺めていた生徒たちのざわめきはぴたりと止まった。

「バニラ様も?」
「あの子、ベッドでうずくまって、ずっと、気持ち悪いって言っていたわ。動けないみたい」
「………ダージリンもです」
「馬鹿ね」
「はい」

 お姉さまの冷たい呟きは、ダージリンには可愛そうだけれど、あまりにもごもっとも過ぎて。バニラ様がけしかけるからですって抗議してあげたい気持ちもあるけれど、受けて立った方も悪いのだ。ただ、バニラ様もベッドに突っ伏しているのだったら、この勝負は引き分け。報告をしたら、ダージリンの落ち込みも回復するだろう。

「お姉さま、ヴァレンタインに何かリクエストは?」
「ヴァレンタイン?あぁ、そうね。そういう時期ね。別に何もしなくていいわ」
 お姉さまはまだ、学生艦の責任者であり、この聖グロの学生艦の中で一番モテる人だ。年頃の男性のいない場所なのだから、当然、生徒たちはお姉さまや、オレンジペコ様、バニラ様に恋い焦がれ、ヴァレンタインに何かしらの行動を起こすに違いない。クラスメイトは特に、何かをするなんて言っていなかった。明後日だと言うのに、それほどざわついていないのは、お姉さまが笑顔でチョコを受け取りそうにない人だと、空気を読んでいるからだろう。勝手な予想だけど、外から見えたら、ふんわり天然系のバニラ様に、チョコレートが集中してしまうかもしれない。

「お姉さま、私、チョコレートケーキを作るんです」
「アッサムが?」
「はい。オレンジペコ様に明日、教えていただくことになっていて。もし、もらってくださるのなら、お姉さまの分も」
「そうなの。じゃぁ喜んで」

 アッサムが気にしたのは、バニラ様のことなのだけど、お姉さまはそういう所に敏感なお人ではないのだ。ニッコリ嬉しそうに笑うから、まぁ、別に今までだって何かといろんなものをもらったりあげたりの関係なのだし、と同じように笑った。明日、まずは買い物に行って、材料とか、プレゼント用のケースを揃えないと。もちろん、ちゃんとダージリンの分も。






「アッサム」
「あ、バニラ様。ごきげんよう」
 次の日の放課後、ダージリンはバニラ様に捕まらないようにと、シナモンの腕を掴んで、早々に街にお茶に出かけた。逃げる顔は真剣だったが、アッサムがケーキを作ると言うことは素直にうれしいらしく、さっきも、とても楽しみにしている、なんて言い残していたから、相当な期待を受けているということはわかった。目的は、オレンジペコ様とケーキを作ることだなんて、もう言えないだろう。ダージリンにイチイチ言う必要もないことだから、楽しみにしているのなら、それはそれでいいのだけれど。

「聞いたわよ、ペコとラブラブクッキングなのでしょう?」
「普通にケーキを作ります」
「あらやだ。ケーキなの?とても面倒な日本食を作るって言っていたのに」

 それは、きっと……そう言っておいた方がいいと思われたからに違いない。
 そんな嘘を吐くようになんて指示を受けていなかったものだから、うっかり本当のことを言ってしまって、マズい、と悟ったのだけれど。

「………あ、えっと、日本食です」
「嘘でしょ。ケーキでしょ?」
「いえ、煮物とかお魚を3枚におろすとか、です」
「ケーキでしょう?」

 買い物に行こうとランドローバーの鍵を手にしていた。その腕をがっちりと掴んでくるバニラ様の瞳。背筋が痛い程、嫌な予感がする。

「どうされましたの?バニラ様」
「買い物に行くの?」
「え?えぇ」
「小麦粉とかバターとか?」
「……お魚です」
「ビターチョコレート?」
「その、……オレンジペコ様は許可されましたの?」
「大丈夫よ」

 大丈夫と言うのは、どういう意味の大丈夫ですか。そう尋ねるよりも早く、車の鍵を奪われて、ついでに解放されなかった腕は引っ張られて、助手席に押し込まれてしまう。
「バニラ様、お料理できますの?」
「ペコが先生なのでしょう?」
「あの、でも……」

 オレンジペコ様が嘘を吐いて、バニラ様の参加を拒否されたのには、それなりに理由がおありに違いない。怒られてしまう気がして、とても嫌な予感がする。


「………バニラ、どうしてあなたがいるの?」
「アッサムとばったり出くわして」
「それで?」
「ダージリンのために美味しいケーキを作ると言うから」
「……それで?」
「私もアールグレイとペコのために、美味しいケーキを作ろうと思ったの」

 オレンジペコ様は、ふわふわと微笑むバニラ様を睨み付けた後、その怖い視線でアッサムを睨み付けた。

「私は、別にダージリンのためなんて言っていません!」
「アッサム、そこじゃないわ」
「…………はい」

 真っ白で無駄に高そうなエプロン。それを見ただけで、バニラ様の料理経験の無さと言うのはわかる。アッサムは中学時代の家庭科の授業で縫ったエプロンを付けた。これは、提出に間に合わせるために、家でずっとずっと縫い続けた想い出のエプロン。
「あら、そのエプロン。とても可愛いわね」
「ありがとうございます。バニラ様のエプロンは真っ白ですね」
「そうでしょう?毎回、使うたびに再起不能にしてしまって……洗濯しても落ちないのよね。これで何着目かしらねぇ」


 ……
 ………

 
「オレンジペコ様!」
「………言っておくけれど、連れてきたのはアッサムよ」
「そんなっ!」
「ダージリンとはタイプが違う意味で、厄介な子なの」
 
 それは、何となくもう、“バニラ様”というだけでわかっている。
 ただ、どういう方向性で問題があるのか、それが大事なのだ。


バニラがアッサムと同じ種類のケーキを作るなんて、絶対に嫌だなんて言うものだから、オレンジペコは致し方なく、バニラには違う種類のものを作らせることにした。アッサムには、昨日作っておいたレシピの紙を渡して、取りあえず、書いてある通りにしなさいと指示を出した。バニラにお金を払わせたらしい、大量のチョコレートがテーブルの真ん中に置かれている。一体何人に配るつもりなのだろうと、2人を交互に見つめると、ため息しか出てこない。


「バニラ、いい?これはゲームじゃないの。速さを競うものじゃないから、飛び散るほどのスピードでハンドミキサーを使わないで」
「わかっているわよ」
「ボウルをしっかり腕で固定させないと、大変なことになるの」
「何度も経験したわ」
「1度で学ばなかったでしょう、あなた」


 そのやり取りを聞いていたアッサムが、必要な材料を抱えて、リビングのテーブルに移動していった。オレンジペコの部屋のキッチンは、寮の中で一番大きいけれど、3人並ぶと、それなりに狭い。あの子はリビングを汚す事はしないだろう。レシピさえあれば、放っておいても大丈夫そう。

「あらやだ、アッサム。どうして一緒にやらないの?」
「身の危険を感じたのよ」
「酷い子だわ」

 ボウルに割った卵の欠片。『卵黄と卵白を分けて』と1行目に書いてあるのがわかっていないのか、この馬鹿は。
「殻。あと、卵黄と卵白をどうやってこれから分けるの?」
「もう一つボウルを使えばいいんじゃない?」
「私の部屋に、何でも沢山ないわよ」

 だから、殻を全部取って。


 リビングのアッサムをチラリとみると、秤を睨み付けて、恐る恐るバターを計っている。あの様子だと、何時に終わるのかわかったものじゃない。


「ちょっとバニラ。殻を全部取ってから混ぜなさいよ」
「だって、取れそうにないもの」

 取ろうとする努力をしないからだ。
 混ぜてしまえばわからないなんて言い出して、ハンドミキサーのコンセントを入れようとするから、慌ててボウルを奪い取った。

「バニラ、追い出されたい?この部屋でやる以上、私の言うことを聞きなさい」
「だって、アッサムより早く終わらせたいじゃない?」

 そんな対抗心を燃やさなくても、あの子のあの様子じゃぁ、夕食の時間になっても終わりそうにない。

「絶対、バニラが早く終わるはずだから、丁寧にしなさい」
「………今更、殻が入っていてもわからないわよ」

 過去、何度も殻入りのケーキやクッキーを食べさせられてきたことを言っているのだろうけれど、だからバニラは家庭科の成績が酷いのだ。ハンドミキサーのモーター音が好きだとか言って、何度周りの人が悲鳴を上げたことか。


「追い出されたい?」
「………ペコ、怖い」


 殻を取るのが嫌だと言うので、一度卵白を捨てさせて、結局1からやり直し。アッサムはようやくバターの計量が終わって、薄力粉を計っているようだった。3g程度の違いなんて、気にしなくてもいいって、口に出してあげない方がいい。反論してくるだろうから。




 本当なら、アッサムとの約束であって、アッサムに付きっ切りになるはずだったけれど、キッチンを散らかしかねないバニラの行動が怖くて、監視をずっと続けていた結果、ほとんどアッサムを放置することになってしまった。とはいえ、チラチラと確認するたびに、アッサムは秤を睨んでばかりだ。バニラが生地を型に流し込んでいる頃、アッサムはまだ、薄力粉を振るいに掛けていた。しかも、更にそれを計量していて、その誤差を取り戻そうとしているものだから。

「………どっちも面倒だわ」

 どのみち、バニラとアッサムの作っているものは焼く時間が違うから、先にバニラのものを作り終わらせてしまおう。

「あの子、あれは何をしているの?」
「あなたと違って、几帳面なの」
「あらやだ、度を越しているんじゃない?」
「いいじゃない。ダージリンのために丁寧に作っているのだから。バニラみたいにいい加減な感情じゃないということよ」
 結局のところ、バニラに口うるさく注意をしてばかりで、何だかんだとオレンジペコがほとんど作った気がするのだけれど、いつも通りのことなのだ。こうやって、お節介しすぎるし、バニラはいつも人を動かしてしまう。それも才能の一つ。ふわふわと笑って穏やかそうに見えるから、みんな手を差し伸べてしまいたくなるのだろう。

「アッサム、私が手伝ってあげましょうか?」
「嫌です。絶対に何も、触らないでください」
「あらやだ、怖い」
「焼いているのを待っているようでしたら、ベッドルームかどこか、違う所に行ってくれませんこと?」

 ようやく生地を作り始めたアッサムは、ボウルを抱きしめてバニラから我が子を守ろうとしている。気持ちはわかる。ダージリンへの想いがいっぱい詰まっているのもよくわかる。

「アッサム、陽が暮れてしまうわよ?秤ばかり見て、時計を見ていないって問題じゃない?」
「いいんです」
「ペコの部屋なのよ。今、この時間でまだ、かき混ぜているなんて、夕食を食べないつもりなの?」

 バニラの言っていることはごもっともだけれど。

「バニラ様にだけは、言われたくありません」

 ほら、言い返されるのがオチ。

「あらやだ、アッサム。あなたとは一度、色々と決着を付けないといけないみたいね」
「私には、決着を付けないといけない事柄なんて、ありませんわ」

 仲がいいのか悪いのか。表面的な部分も、内面的な部分も全然違う2人は、アールグレイという人物を間に挟んで、お互い睨み合っているような、手を繋いでいるような。

 でも、全然違う癖に、好きな人に対して一途という所はそっくり。

「はいはい、2人とも。バニラ、あなたはおとなしく紅茶でも飲んでなさい。それが嫌なら、一度出て行って」
「ペコは誰の味方なの?」
「アッサムとのケーキ作りに、割り込んだのはあなたよ。一切の文句を、あなたが言う権利はないの」

 頬に空気を貯め込んで、プンプンしながらお茶を沸かすと言うから、その準備はしなくて結構だと、ソファーに座って動くなと命じた。

「アッサム、大丈夫?」
「はい」

 一生懸命、ケーキを作っている姿。やっぱり、キチンと生地の状態が問題ないか、確認くらいはしてあげないと。ティーパックのアールグレイを適当に淹れて、バニラの前に置いた。



だって、恋人でしょ? ①

「もうすぐ、ヴァレンタインですね」


 オレンジペコ様とコーヒーを飲むお茶会。今日もいつも通り、日本で一番おいしいコーヒー豆の会社はどこなのかという調査をしなければならない。
 古めかしい感じのミルで挽かれた豆。キリマンジャロ。
 アッサムは2つの会社のものを取り寄せて、オレンジペコ様もまた、2つの袋を並べていた。それぞれ、担当の会社から持ち出したコーヒー豆。4杯も連続して飲めるはずもなく、2日前に2杯、今日が残り2杯。
 アッサムは、ゆっくりとコーヒーフィルターに入れた豆にお湯を回し入れているオレンジペコ様の傍で、タブレットを持っていた。美味しい淹れ方の検索のついでに、隅っこに見えたネット広告を眺めていたのだ。

「チョコレート、欲しいの?」
「いえ、特には」
「アッサムの場合は、ダージリンからしか要らないわね」
「………さぁ、どうでしょうか」

 少しお湯を足すごとに、美味しそうな様子で香りを楽しまれているオレンジペコ様。アッサムは時々、ちらちらと様子を気にしながらも、ネットのチョコ特集をタップしてみた。人気順に並べられているブランドのチョコたち。もう、見ただけでお腹いっぱいになる。

「さて、もういいかしら?」
「えぇ、大丈夫です」

 真っ白いコーヒーカップに淹れられた、美味しそうなコーヒー。今日のお茶受けはチョコレートケーキ。
 アッサムはスマホでカップとケーキが並んでいるのを写真に撮って、満足な頷きをひとつ、オレンジペコ様に見せた。

「美味しそうですね、このケーキ。どこのお店のですか?」
「作ったのよ」
「本当ですの?」
「えぇ。暇だったから」

 お料理がお上手と言うことは、よく知っている。何度も夕食を作ってくださいと、ダージリンと2人でお部屋に突撃したものだ。
 コーヒーによく合いそうなビターチョコレートのケーキ。アッサムは一瞬だけダージリンにも食べさせてあげたいと思ったけれど、ここでコーヒーを飲もうって誘っても、ダージリンはムッとして、コーヒーは嫌いだと言って逃げた。この、何とも言えない美味しそうな香りが近くにあるだけで、機嫌を損ねられてもメンドクサイ。

「どうしたの、アッサム?」
「いえ」
「ダージリンにも食べさせたい、って言う顔?」
「いえ。秘密にしておきます」
「あの子、今頃はバニラとお茶会しているでしょ?」

 アッサムが放課後、イソイソとオレンジペコ様のお部屋に向かうのを見送ったダージリンを、がっちりとバニラ様は捕まえておられた。あのまま引きずって、学校の外に連れていかれてしまった。お姉さまは今日、部屋に籠っていらっしゃるようだ。寒いから一歩も出たくないらしい。
 ここ最近の3年生のお姉さま方は、毎日暇を持て余しておられる。後輩たちの訓練を見学されたり、ミーティングルームにティーセットを持ち込んで、車長ミーティングを妨害されたり、良くも悪くも、残り少ない学生艦での思い出を毎日作っておられるご様子。

「バニラ様、ノエルでコーラとポテトとずっしりヘビーなバーガーを食べさせるって、おっしゃっていました」
「あら、可愛そうに」
 オレンジペコ様は、言うほど可愛そうと思っておられないコメントを呟き、コーヒーカップを持ちあげた。アッサムも同じように持ち上げ、香りを確かめるように、鼻のすぐ傍まで持ってくる。

「いい香りです」
「そうね」

 舌に流れる酸味。ジワジワと苦さが広がって、ため息を吐くと鼻から抜ける香りがまた、言いようもなく、ホッとする。残念ながら、ダージリンにはわからないだろう。紅茶も好きだけど、このしっかりと味わい深い香りも、余すことなく楽しめるコーヒーと言う飲み物を、時々、身体が欲するのだ。

「美味しいです」
「そうね」

 チョコレートケーキは、コーヒーとの相性は抜群だった。思わずオレンジペコ様に抱き付いてしまいたくなるくらい。流石、と声をあげたい。パクパクと食べ進めて、ペロリと平らげてしまいそうになるのを必死で我慢して、2杯目のために残しておかなければならないのが惜しいくらい。

「アッサム、本当に美味しそうに食べるわね」
「オレンジペコ様のケーキ、美味しいです」
「そう?ダージリンに食べさせたい?」
「ダージリンの分があるのなら、私が食べますわ」
「あら、そんなに?」

 美味しいコーヒーと、ケーキ。ダージリンと2人でお茶をするのも大好きな時間だけど、こうやって、オレンジペコ様と2人でコーヒーを楽しむことができるのも、あと2か月を切ってしまった。べったりと甘えることが許される関係は、オレンジペコ様たち3年生だけだ。お姉さま方がご卒業されてしまえば、ダージリンが学生艦の舵を取り、アッサムは全力で彼女をサポートしていく。甘えも失敗も許されたりしない、そんな場所に立たされてしまうのだ。

「明日、作り方を教えてください」
「構わないけれど、アッサムは料理できるの?」
「授業でやっておりますわ」

 当然、自炊なんてできない。
 していたら、睡眠時間を失くしてしまう。
 聖グロは学生のための食堂があるのが、とてもいいところ。
 自立心を養うことは大事だが、学生なのだから食生活は誰かにコントロールしてもらってもいいのだ。実際、寮のキッチンは使い勝手の悪い電気コンロだし、狭いし。オレンジペコ様のお部屋のように広いキッチン仕様の部屋は、とても少ない。

「シナモンから、お腹を壊したと聞いているわ」
「それは、ダージリンが作ったものですわ」
「同じチームにあなたもいた、と」

 アッサムは、担当したお菓子が時間内に作れなかっただけだ。ダージリンの様にプリンを分離させてしまったあげく、シナモンに固まらなかったプリンに似た液体を飲ませたりなんてしていない。

「それはその……連帯責任を取りましたが、ダージリンは被害を与える方ですし」
「アッサムは違うのね?」
「えぇ。適当なんて、一番嫌いですもの」
「本当に両極端よね、アッサムとダージリンは」
 あの家庭科の授業の後、ずっとその日は口を利かなかった。ダージリンはお姉さまに、次期隊長として、隊員にマズいものを食べさせると言うのは問題、って冷めた感じで注意を受けていた。お姉さまを睨み付けながらも、まったくもって反論できずにふて腐れていた姿。写真に撮っておけばよかった。時間内に課題を提出できなかったアッサムの罪なんて、すっかり忘れ去られるくらい、ダージリンのプリン事件の噂は、あっという間に生徒の間に広がったのだ。

「ですが、きちんと量る方が美味しいと本に書いてあります」
「はいはい、そうね。わかったわ。じゃぁ、このケーキはそこまで難しくないものだし、あなたが作ってダージリンに食べさせてあげたらどう?」
「あ……いえ、別に誰っていうことでは」
「ダージリンだって、きっと喜ぶわ」

 別に、ダージリンに食べさせたいなどと考えてお願いしたわけじゃないけれど、オレンジペコ様に頭を撫でられたので、違う!と言い出せなかった。アッサムはただ、残り少ない時間を少しでも多く、オレンジペコ様と過ごしたいだけなのだ。結果的にはダージリンにも食べてもらうかもしれないけれど、目的ではない。


「さて、じゃぁ2杯目に行きましょうか」
「はい」
 
 
「ダージリン?」
 コーヒーを飲み、オレンジペコ様のお部屋でのんびりくつろいで、一緒に洋画のブルーレイを観た後、部屋に戻るとダージリンがベッドでうつ伏せになっていた。

「…………アッサム、遅いわ」

 声だけですぐにわかる“機嫌の悪いオーラ”。
 そっと傍に近づいて、その頭を撫でてみる。ぬぅっとあらわれた、唇を尖らせている子供みたいな顔。随分とバニラお姉さまに遊んでもらったみたい。
「どうしました、ダージリン?」
「コーラなんて嫌いだわ」
「……あぁ」
「あんなもの、学生艦に積み込む必要などないわ。来年からは禁止にしましょう」
 ダージリンにはなくても、紅茶に飽きた生徒たちは好んでいたりもするのに。なんて言わずに、ヨシヨシと頭を撫でてあげる。
「バニラ様に飲まされましたの?」
「だって、飲めないの?って馬鹿にするんだもの」
「………どうしてそう、何でも受けて立つんですか」
 最近のバニラ様は、卒業試合も終わり、毎日ご機嫌なご様子だ。ふんわりとした銀の髪、性格も穏やかでふわふわされている……と思っていたのは夏まで。
 ダージリンとアッサムの前では猫を被ることなく、実はかなりの行動力をお持ちのお方で、お姉さまもかなり振り回されているらしい。今まで、一度も2人で外に遊びに行くこともしなかったものだから、船を降りると首輪を引きずるように、あちこちデートに行かれていて、お疲れの様子。
 今日は、車長ミーティングの時に、後ろを陣取って、お姉さまとチェスを楽しまれておられた。お姉さまのあれは付き合わされているような顔だったけれど、バニラ様は完全に、ダージリンを挑発している様子だったのだ。またそれをさらっと受け流せばいいのに、ダージリンたら。靴音を鳴らしてお2人に近づいて、バニラ様のチェス駒を動かして喧嘩を売ったのだ。

 おかげで、気持ち悪い笑顔同士の喧嘩が始まった。それでも、ダージリンとバニラ様は仲がいいと思う。本当にお互いに嫌いなら、近づいたりしないだろう。

「コーラも飲めなくせに隊長を務めるつもり?なんて言うからよ」
「飲めないじゃないですか、実際」
「恐れは逃げれば倍になるわ」
「立ち向かっても、倍になっているみたいですわよ」

 放課後、ノエルに連れていかれたダージリン。そこで大嫌いなコーラとずっしりと重たいバーガーにポテトを本当に口にしたようだ。満面の笑みでやり過ごしたのだろうか。その様子を見たかったような、いなくてよかったような。

「アッサム、どうして助けに来なかったの?」
「オレンジペコ様とコーヒーを飲むのを、嫌だと言ったのはダージリンですわ」
「私を1人にさせるから、バニラ様に目を付けられるのよ」

 とはいえ、最初に売られた喧嘩を買ったのはダージリンだ。
 いえ、喧嘩を売った方が悪い。とはいえ、バニラ様なわけで。
 後でお姉様に聞いたのだけれど、毎年、3年生がこの時期に、ミーティングの邪魔をするのは悪い伝統なんだとか。良くも悪くも、耐えられずに行動に出たダージリンの負け。ダージリンの意地悪な一手が、バニラ様の負けを導いたのだ。そのチェスの勝負で、今日の放課後の過ごし方が決まったらしい。お姉さまと遊べなくなったわけだから、ダージリンがその穴を埋めるのは仕方のないことだ。

「気持ち悪いわ」
「………お夕食は、いらない感じですね」
「いらないわ。胃薬を頂戴」

 苦手なコーラ。ダージリンはバニラ様が勝手にLサイズを頼んだものを、無理やりに飲み切ったそうだ。ノエルのハンバーガーも、ダージリンはフィッシュバーガーしか好んで食べない。この様子だと、荒々しいお肉と、こってりしたマヨネーズソースを挟んだものを、食べさせられたのだろう。素直に無理と言えばいいのに。

「アッサム。あの人は鬼だわ」
「遊びに付き合うダージリンも悪いんですわ」
 グラスに水を入れて、薬箱から胃薬を取り出し、錠剤をその手の平に置く。モゾモゾと起き上ったダージリンは胃を抑えながら、薬を飲み込んだ。アッサムにしがみ付いて、悔しそうなため息ひとつ。ダージリンをこんな顔にさせるなんて、流石の3年生と言ったところ。でも、それもあと2か月もない。いなくなる寂しさを想うと、一緒にいたいと思ってしまうのは、ダージリンだって同じなのだろう。


 ……たぶん。


「アッサム、オレンジペコ様とは楽しかったの?」
「えぇ、とても」
「………私、明日はあのお方の背中に庇護されなければ」

 
 残念ながら、明日の放課後はアッサムと一緒にケーキを作るのだ。一応は、ダージリンに食べさせるためということで。ヴァレンタインだし。お姉さまたちの分も作るつもりだけど。

「オレンジペコ様、明日はお忙しいみたいですよ」
「あら、どうして?」
「さぁ、用事があるそうです」
「では、あなたと部屋に閉じこもるわ」
「私、予定を入れてしまいました」

 しがみついている指先に抗議の痛み。ヨシヨシと結った髪を撫でたところで、アッサムの身体から離れる様子なんてない。

「そんなものは断わってしまいなさい」
「約束を反故にするのは、ちょっと難しいです」
「私を放置するおつもり?」
「ですが、仕方ないんです。約束を先にした方を優先しないと」

 イヤイヤイヤと顔をこすりつけてくる。時々、2人きりになると子供のような駄々っ子になるのは知っているが、バニラ様に負けた鬱憤も重なっているから、ふて腐れ具合はいつもより多い気がする。

「アッサム、私のことは好き?」
「もちろんです」
「なら、明日の放課後は私の傍にいなさい」

 何というか、お姫様みたい。流石、ダージリン。

「傍にいると、ダージリンに渡すヴァレンタインのプレゼントがなくなりますが、よろしいですか?」


 …
 ……
 ………



 ヴァレンタインと言う響きに反応した身体。爪痕が付くくらいの力が抜けたようだ。天秤にかけているのが、手に取るように伝わってくる。バニラ様に捕まりたくないけれど、1人でいたくもないし、アッサムに張り付いていると、プレゼントをもらい損ねる。どういう行動を取ることが有効なのか。
「………ヴァレンタインね」
「はい」
「私、チョコレートは好きよ」
「あら、そうですか」
「買いに行くの?」
「秘密です。そう言うのを先に聞いても仕方ありませんわよ?」


「………それもそうね」


 あれだけふて腐れていたのに、何だか急にソワソワしだしたダージリンは、アッサムから離れて、仕方がないと言わんばかりに自分を納得させているようだ。
「バニラ様から逃れられるように、祈っておいて」
 明日は、どんな戦いになるのだろう。胃もたれで動けないダージリンの頬にキスをして、アッサムはお腹が空いたので食堂で軽く食べてくると伝えた。ダージリンはまだまだ、食べるものを見たくないらしい。


きっと、明日

明日、この世界からあなたは消える。


そして、私も消える。



「ねぇ、レイちゃん」
「何?」
「うん。私、レイちゃんのことが好きだよ」


消えた世界に訪れる平和を、この瞳で見届けることができない癖に。

私と言う世界が終わった後の世界を守るのだ。


どうして、守るのだろう。

あなたも消えてしまう世界だと言うのに。


「それがどうしたの?」
「うん、言いたいことは全部言っておこうと思って」
「明日に取っておけば?」


明日で最後だと言うのに。


「そんな余裕、きっとないよ」
「そう?美奈って、案外ビビりなのね」
「………レイちゃん、生き抜くつもりなんだ」
「当然でしょう?私は、“私の未来”を守るために戦うの。世界なんて知らないわ」


あぁ、そうだった。
強がるあなたの弱さを、とても愛したのだ。



あの、遠い世界でも。
同じような言葉で私を見送った。



腕を組んで、胸を張って。
私のことを馬鹿にして。


「じゃぁ、戦いが終わったらさ」
「何よ」
「私に言うって約束をしてよ」
「だから、何を?」


私を好きだって。
そして、ずっと、未来も一緒だって。

そんなとても臭いセリフを、真剣な声で言って。



「大した敵じゃなかったわね、ってさ」

最後を惜しむように触れたいと願った頬。
その未練を残しておいた。


明日がもし、あるのなら
明日に取っておけばいいのだ

明日が、あるのなら。


「それを言うには、かすり傷も作れないじゃない」
「そうね」


あなたは、とてもメンドクサイため息を吐く。

震える唇。
長い睫。
その瞳にはもう、明日はないと映し出されている。


それでも。


「それくらい、言ってあげるわよ」
「うん。あとついでに、美奈のことが好きって言うのも言ってね」


それでも。


「そうね、すべてが終わった後でなら、いくらでも言ってあげるわ」



私の未来を守ろうとする、あなたが好き。


好きだよ、レイちゃん。


恋より深く END

放課後、船舶科との打ち合わせがあり、ダージリンは姿を消した。アッサムは留守を預かり、隊長室で指導計画や日報などに目を通し、整備科との予算の打ち合わせなど、互いに抱えている仕事をこなした。窓の外が真っ暗になるころ、左手に資料を抱えて戻ってきたダージリンの顔は作り笑顔。

「お帰りなさい」
「ただいま。そちらはもう終わったの?」
「はい」
「そう。もう遅いわね。夕食はどうするの?どこかに食べに行きましょうか?」

 その顔色で、ですか。言いたくなるけれど、これはもう、挑戦状なのだ。騙し合いと呼ぶものでもなくて、馬鹿と馬鹿がお互いの感情を揺さぶり合っている。そして、最初からアッサムは負けが決まっている。攻めて、一矢報いたい。その矢は針程の細さだけど。

 
「………中華料理とかいいですね」
「そう。いいわね」
「嘘です。中華粥のお店がいいです」
「あら、北京ダックを食べたいわけじゃないの?」
「寒いので、温かいものが欲しくて」
「そう?いいわ、あなたが行きたいところに行って」


 夕食なんて取らなくてもいいのでしょう?なんて聞いて差し上げたりしない。ノートパソコンを閉じたアッサムは、空のティカップを急いで洗い、ダージリンと肩を並べて隊長室から出た。歩幅をわざとずらそうなんて思うまでもなく、彼女が先に“わざと”乱してきたから、アッサムは腹立たしさを押し殺して、ダージリンには合わせるなんてして差し上げなかった。バラバラと不穏な音。靴音の乱れ。それは心が重ならないことを意味していて、息さえどのタイミングですればいいのか、わからなくなりそうだった。


じゃぁね、アッサム。また明日」
「…………おやすみなさい、ダージリン」
「おやすみなさい」


 意地を張り合ったと言うよりは、あくまでもいつもと変わらないと言う姿勢を崩そうとしなかったダージリンに、結局、アッサムは何も言えなかった。アッサムと同じメニューを頼み、アッサムと同じスピードで食べきる、その顔はいつもと変わらないし、話す内容もいつもと同じ。本当に、重たい中華料理に行けば、どうなっていただろう。


 今日1日、心配して声を掛ける。そのことをわざとしなかったのは、心配させまいと何事もない風を装う、そのダージリンの、ダージリンという隊長としてのプライドを守りたかったからだ。その姿を、その立ち振る舞いを見守ることしかできないのは、弱さでしかないのだろう。脆さを見せて欲しいと願う反面、それでも、ダージリンはそんなことをしないだろうと言う期待もある。それは期待なのか、絶望なのか。

 誰かから心配されることなど、隊長として、学生艦の責任者として、不適切であると。
 ダージリンはそう思っておられるのだろう。

孤高の静寂の中、ダージリンはいつも、ダージリンであると言うことと向き合い、常に戦っている。そのことを知っているのは、アッサムだけだ。


 アッサムは、その姿さえ好きだと思っている。
 知っていて、止められない愚かさを隠せず、簡単に負けてしまう。

 ただ、一言。

 心配をしていると言う言葉を、差し出すこともできなかった。

 受け取ってもらえない怖さに、結局は勝てないまま。





 隣のドアが閉じられる音を壁越しに聞いた後、暖房を付けてベッドにうずくまった。胃もたれを起こす程の、重たいものを一切食べなかった身体は、苛立ちと情けなさのせいで、立ち上がる気力を奪ってしまっている。

 ただ、どうしようもなく泣きたくなる。理由などない。

 いえ、理由など一つしかない。


 どれほど想っても、ダージリンはただ、ダージリンなのだ。

 アッサムには、彼女の弱さを抱きしめる強さがないと、そう思われているのだろうか。
 それとも、見せない優しさの度が超えているだけなのだろうか。


 心配をさせてもらえない、この寂しさは。
 孤高の静寂を抱く彼女には、邪魔なのだろう。


ここまで具合が悪くなるのは、どれくらい久しぶりなのだろう。昨日の朝から何かがおかしいと言う自覚はあったが、寒波の中、打ち合わせなどであちこちに出回ったのが決定打となったのだろう。
朝、胃の不快感と頭痛で、目覚まし時計よりも随分と早く目を覚ました。あまり薬を必要とした生活を送って来なかったせいで、部屋に常備薬もなかった。制服を着替え、鏡を見てみる。たぶん、いつもとは変わらない。そう思えた。


 問題は、アッサムを騙しきれるかどうか。


 そう考えていたところだというのに、朝の挨拶を交わした直後から、何かを不審に思われていたのだ。顔色や態度など何も変えてなどいない。そう思いかえしてみて、そう言えば、自分から扉を開けてしまったのだと思い当たった。アッサムに気づかれまいとした余計な行動。それでも歩幅を合わせ、寒さに紛れて腕が振れる傍に近寄る彼女の髪を、ほんの少しだけ撫でた。いつもと同じだった。

 朝食の後、気分の悪さと頭の痛みを堪えながら、訓練の最中は、アッサムから逃げるようにずっと、砲塔から顔を出していた。冷たい風は容赦なく頬を打ち、固めている三つ編みの隙間を縫うように、芯まで冷やそうと襲い掛かってくる。それでも、ゆっくりとお茶など飲めなかったのは、そこに気を回す余裕がなかったからだ。アッサムに何を想われるのか。考えたくもなかった。あからさまな視線を感じながら、気づいていると言いたげな瞳に、決して認めたりしないという視線を送るように、笑って見せた。

 アッサムは、笑いもしなかった。

 きっと、怒らせたのだろう。

 ランチもわざと、ダージリンと同じものだけを食べ、午後の授業ではずっと、いつもと変わらない様子のままだった。放課後は、スケジュール通りに互いの仕事をこなし、胃の痛みと身体のだるさを背負ったまま、おそらくこのままで行くと、気を失うのではないだろうかと、少し不安にさえなった。それでも、アッサム以外には不審がられることがなかったのだから、何とか乗り越えたのだと、ホッとした。


 アッサムは、普段と変わらずにダージリンと接すると言うことを、やり切ろうとしているようだった。時々見え隠れする、本当に心配していると言った瞳が、ダージリンを更に弱くさせるような気がして、ダージリンはだから、アッサムが必死に、いつもと変わらないでいようとする、その気持ちに応えるべきだと思った。


 今にも吐きそうな身体。
 うずくまり、動きたくないと言いたくなる。
 
 一度乱れた歩みは、わざとお互いに外したままだった。


 息苦しそうな瞳で、おやすみと告げて、部屋に入ると、そのままバスルームに直行して、食べたものをすべて吐き出した。


しばらくそのまま動けず、冷たい空気に包まれていた。意を決して起き上がり、口をゆすいで、顔を洗う。寒いのか暑いのかわからなくなって、とにかく制服を脱ぎ、這うようにベッドに向かい、何とか布団の中に身体を埋めた。

 一晩眠ればまた、明日の朝、いつもと変わらない笑みを彼女に見せてあげることは出来るだろうか。


 アッサムは、愚かだと想っているだろう。

 愚かだと嘆き、もしかしたら、泣いているかもしれない。


 心配されたいとは思わないのに、結果的には心配させてしまっている時点で、ダージリンが悪いのだ。それでも、弱さなど見られたくはないのだ。その弱さはあっという間に、多くの目にさらされてしまうだろう。

 そんなものなど欲していないと、アッサムはわかっている。

 『アッサムなら私のことをわかっている』
 それがもう、弱さなのだ。

「ダージリン」


 布団にうずくまっていると、薄闇の中から声が聞こえた。気を失っていただろうか。もう、あっという間に朝になったと言うのだろうか。


「…………鍵、開けていたかしら」
「はい」

 瞼の奥が赤く感じ、電気がつけられたのだと知ると、致し方なく顔を蒲団から出した。アッサムの顔がすぐ傍にある。

 赤く腫れた瞳。反射的にその頬に触れ、冷たい雫を爪先で掬った。

「何か御用?」
「はい。お薬、持ってきました。きっと、お持ちではないでしょうから」


 見つめ合う瞳からじわりと滲む涙の粒は、ダージリンが犯した過ち。


「………………ありがとう」


 ごめんなさいと、声に出してしまえばどれだけ楽になれるだろうか。

 弱さを認め、縋るように甘えたくなる想いを。
 さらけ出して、荷を下ろしたくなる衝動を。


 そしてそれが怖いと言うことを。


 アッサムはどこまで知っているのだろうか。

 すべて、知られているのだ。

 本当は、とても脆いということを。

 

「…………弱いダージリンなんて…………嫌いです」
「そうね。私も、そんな私は嫌いだわ」
「弱さを見せないのなら…………最初から最後まで、演じきってください」
「そうね」


 頬に伝う、ダージリンが犯した罪。背負わなければならない罪。アッサムの痛みや苛立ちは、心臓に杭を打ち込むように伝わってくる。

 それでも、優しい声を掛けたりしないと言う意地を見せてくるのだから。

 その想いに救われて、縋りそうになる無様を何とか隠すことができるのだ。


「お薬を飲んで、しっかり休んでください」
「えぇ」

 とても自然に近づいてくる唇は、右の頬に押し当てられた。
 引き寄せたくなる両手はかろうじて、その制服を掴むだけでとどめた。

 このまま傍にいて。
 ずっと抱きしめて、一晩傍にいて。

 そんな弱さをさらけ出したくなる衝動は、数秒ですり抜けて行く。

「おやすみなさい」
「……えぇ、おやすみなさい。ありがとう、アッサム」


 拭うことが無意味な程、ハラハラと涙を流す。罪に濡れたシーツに残るアッサムの香り。好きだと零していくのなら、アッサムだって同じ罪なのに。

「好きよ、アッサム」

 アッサムが好きで。
 
「はい、私もです」

 好きでいてくれる。

「そうね」


 ベッドから離れて、扉へと向かう背中。
 遠ざかる足音が、傍にいてと希う気持ちを消していく。


「私、ダージリンのこと……………やっぱりちょっと、嫌いです」
 

 部屋の明かりを消すパチンと言う音と共に、アッサムは言いきって、音を立てて扉を閉めた。


 暖房の音が少しの間忘れていた頭痛を思い出させる。


「………奇遇ね、私もよ」


 彼女にすべてを捧げる強さのない、ダージリンなど。
 アッサムを苦しめるだけでしかないと言うのに。

 濡れたシーツを這う指先。
 温もりは、あと少しで消えてしまうだろう。




 濡れた罪に、唇を押し当てた。



恋より深く ①

「おはよう、アッサム」
「おはようございます、ダージリン」

 部屋を出て、隣の扉をノックしに行こうとする、その10歩の空間。見計らったようにダージリンが出てきた。いつもは、キチンと服を着替え終わっている様子でも、アッサムがノックするのを待っている人だ。いつもと同じ時間に出てきたつもりだけれど、数分、時計が遅れているのだろうか。


「どうかしたの?」
「いえ、なんでもありません」


 右隣を歩き始めたその歩幅。同じリズムで、同じ呼吸。毎朝、この絨毯敷きの廊下を鈍い靴音と共に2人だけで行進する。このわずか1分ほどが好きだ。心地がいいと感じるそれは、アッサムがダージリンに合わせに行っているからであり、それでもそれをわかっていて、決して音を乱そうとしないダージリンの許しがあるからでもある。

「昨日、寒かったですね」
「えぇ。もっと早くに船を南に移動させておくべきだったわ」
「そうですね」

 日本列島を包む寒気は、陸地とは無関係の船の上でも当然、冷たく痛い風をまき散らした。海の上なのだから、その寒さはもしかしたら、陸よりも厳しかっただろう。寒波到来のため、多くの学生艦は南を目指した。そのため、緊急時の停泊場所がどこもかしこも埋まってしまい、聖グロの学生艦は、結局、大寒波を極寒の場所で過ごす羽目になったのだ。幸い、日曜日だったため、生徒たちの外出もほとんどなく、ダージリンとアッサムは、風で少し揺れる学生艦の船舶科と船長と、ずっと進路会議を行っていた。外の空気があまりにも冷たすぎて、暖房も効力が薄く、何をしても皆、寒い、寒い、としか言わない日だった。

「……寒い」
「大丈夫、アッサム?」
「はい」

 学生寮から食堂へ行く徒歩2分ちょっとの距離。手袋とマフラー、ダウンコートを着ているけれど、それでもまだ、寒波の影響の中に学生艦はある。生活に支障の出ないスピードでしか進めない船なのだ。暖かい場所まではまだ時間がかかるだろう。

 乱れないリズム。
 乱さないようにしているリズム。
 アッサムはダージリンに縋るように腕を寄せた。


「おはようございます、ダージリン様、アッサム様」

 寒さに凍えながら、多くの生徒に白い吐息と共に名前を呼ばれ、そのたびに小さく笑顔を返す。立ち止まらずに流れる、おだやかな風景。

 ふと、何か小さな違和感を覚えた。

 いつもと違うのは、生徒の皆が白い息を吐いているせいだろうか。

 いえ、違和感は風景ではない。

 何かが、少し引っかかる。



「今日は、温かいスープだといいわね」
「そうですね」

 カモミールをリクエストしたダージリンの前に置かれたのは、サラダにスクランブルエッグにクルミの入ったパン。そしてスープ。冷えた手を温めるように、両の手を押し当てられたスープの器。

 また、違和感を覚えた。

「いただきましょうか」
「はい」

 
 スープを味わいながら、思い当たるものを少しだけ整理してみたけれど、些細なことと言えば些細なことだ。そのことが問題なのかと自分に問いかけてみたが、否。気のせいとは思わないが、そのことについて聞いてみたとしても、おそらくは不思議そうな顔をされるだろう。


「もう、毎週月曜日の、スクランブルエッグとベーコンには飽きたわ」
「そう言う生徒が多いので、ベーコンを厚切りにしたばかりですよ」
 海軍の風習でも何でもないが、月曜日の朝食だけ、特別行事の時以外はスクランブルエッグとベーコンが出ることになっている。生徒の中には、それを楽しみにしている人もいるし、月曜日に食堂の朝食を避ける生徒もいる。薄くカリカリのベーコンから、分厚くなったのは秋の初め。家政科たちが試験的に振舞ったものが好評で、しっかりとした歯ごたえのある厚みになった。アッサムは朝から重たくなると思ったが、ダージリンは、月曜日は戦車訓練が朝からあるのだから、と、律儀に食べていたと記憶している。

「厚みじゃなくて、内容変更を提案すればよかったわね」
「家政科に口を挟むと、試食地獄です」
「あぁ……そうね」

 隊長が食堂のメニューに口を出そうものなら、家政科の生徒たちが、毎日ダージリンとアッサムを追いかけまわし、試食、試食、試食と口にいろんなものが放り込まれる。何度も痛い目に遭い、2人で学んだのだ。自分たちからは何も言うまい、と。

「スープが美味しいわ」
「そうですね」

 ダージリンはゆっくりとスープを飲み干し、切り分けたベーコンを一口食べて、ちぎったパンを口にした。文句を言いながらも、出されたものはきちんと食べる。食が細く、規定よりも少なく盛りつけてもらっているアッサムとは違う。

「…………ダージリン?」
「なぁに?」
「まさか、薄いベーコンに戻そうなんて考えています?」
「さぁ、どうかしら?」
 小さく口角をあげてみせる、その仕草は意地悪っぽく冗談を含んでいる。アッサムは同じように口角をあげてみせた。彼女の瞳は、アッサムをまともに捉えているようではない。


訓練が始まると、ダージリンはいつも通り、的確に、落ち着いて、乱れのない指示を出しながら、隊列を双眼鏡で確かめていた。背中に感じる気配。いつも通り、と思い込ませてみる。

「マチルダⅡ、4号車。遅れているわ」
『申し訳ございません!』
「そんなに膨らんで曲がるのはダメよ。周りを見てごらんなさい」
『はい!』

 砂利を踏む履帯の音の狭間に感じる呼吸。背中で毎日感じている、ダージリンの声。
 いつもと変わらない……と思ってあげなければいけない。


「マチルダⅡ、蛇行したのは何号車かしら?」
『申し訳ございません!』
『申し訳ございません!』
「謝らなくてもいいわ。他の車両の足を止める方が問題なのよ」


 アッサムは砲塔をゆっくりと回し、射的看板に向けて砲の角度を合わせた。

「ダージリン、砲撃します」
「どうぞ」

 いつもは、ダージリンからの指示を受けて砲塔を回す。一向に来なかったので、待ちきれなかった。今日はずっと、彼女は座って紅茶を飲みはしないだろう。何となくそう感じるのは、なぜだろう。
冷たい空気が遠慮なく頭上から吹き、その痛いほどの風にさらされている。彼女の結った髪に触れたら、どれ程冷たいだろうか。ちらり、と振り返った。砲撃音と共に揺れる車体に合わせて動く背中。

「…………ダージリン、寒くないですか?」
「平気よ」

 わずかに視線がアッサムを捉え、小さく上がる口角。
 アッサムは同じようになど、しなかった。

 正午。ランチのために食堂に向かい、各々が好きなメニューを選ぶ。ダージリンはスープとサラダを選び、それだけをテーブルに並べた。アッサムも同じものだけを選び、隣に並んだ。
「やっぱり、まだ寒いですね」
「そうね」
「先ほど、ずっと顔を外に出していましたけど?」
「顔面が凍ったわ。スープで温まりたいものね」
「えぇ。そうですね」

 スープの器で両手を温めながら、そっとため息を吐く。
 その刹那に漏らす違和感。
 アッサムは確認をした後、同じ仕草をして見せた。

「アッサム様、ダージリン様。ごきげんよう」
「あら、ごきげんよう」
 スープを口に運ぶ間、ファンの子たちが声を掛けてきたり、遠巻きに眺めてきたり。ここでしか会えないというチャンスを逃すまいと、普段は交流のない他学部たちの子が、わざわざ幹部席の近くを通って移動したがるのだ。背筋を伸ばしたまま、不快な顔など1ミリも見せずに、口角をあげて応える。その仕草をアッサムも真似た。

「ダージリン様、アッサム様、ごきげんよう」
「グリーン。ごきげんよう」
「よろしいでしょうか?」
「どうぞ」
 アッサムの隣に腰を下ろしたグリーンの手元には、ローストビーフサンドとコーヒー。カリカリに焼いているトーストがおいしそうだ。
「お2人とも、控えめなランチですね」
「厚切りベーコンに胃もたれなのよ」
 ダージリンは朝、細かく切りながらも何でもないと言った様子で食べたベーコンに、責任を押し付けるように言った。アッサムは元から、普通の半分のサイズだったけれど、取りあえずグリーンに笑ってみせるだけ。
「あぁ。生徒の大多数には今のところ好評なんですよ」
「そのようね。若いっていいわね」
 自分だけ年齢が違うわけでもないのに。グリーンと顔を合わせて、相変わらずの人だからと肩をすくめた。


 アッサムが同じ内容のランチを取る。ダージリンはきっと、それがどういうことなのかと言うことをわかっているはずだ。

 わかっているけれど、お互いに言わない。


 本当のところ、そう言う関係を望んでいるのかなんてわからない。


ラブレター?!怪事件 END

「ごめんなさい、ルクリリ。私がちゃんと説明をして、渡してあげたらよかったわね」

 ルクリリたちが随分ダージリン様たちにいじられながら、ランチを取っているのを遠くで眺めていた。アッサム様もダージリン様も揃って、ルクリリの器が小さいことや、仲間が嫌がらせをしているなどと考える浅はかさを嘆いておられて、バニラは心がチクチク痛かった。たぶん、ルクリリの反応を楽しまれているだけなのだろう。それでも、バニラが一番悪いのだ。クラスメイトを不審に思ったルクリリは、別に、何も悪くない。


「本当に、まったくだよ。誰もバニラが私を好きだなんて欠片も思わないのだから、ファンレターを預かったって、堂々と言えばよかったのに」
「……そうね。本当にごめんなさい」

 噂はあっという間に学校内に広まっていて、ランチの時もみんな、ルクリリを見て笑っていた。良くも悪くもそれは、本当に愛されキャラと言うことなのだけれど、それでも、ダージリン様と並ぶと、どうにもこうにも風格が違うものだから。もしかしたら、ルクリリはそこを気にしているのかも知れない。ルクリリにはルクリリの良さがあるけれど、やっぱりダージリン様とは全然タイプが違うのだ。学校全体がダージリン様のファンみたいな空気だから、その後を受け継ぐには、それなりの重圧もあるだろう。自信があるのかないのか、ルクリリは必死になっている。それでも、やっぱり、ルクリリは代わりじゃないのだ。比較されることは辛いに違いないだろう。疑心暗鬼にさせたのならば、彼女を支えてあげられていないと言う証拠だ。バニラたちが悪い。
 

 友達は、ルクリリがルクリリらしくいたから、ファンレターを渡そうとしたのだと信じている。内容を見ていないからわからないけれど、黒森峰の試合でバニラを助けている姿は、本当にカッコよかったと、目をキラキラさせていた。

 だから、聖グロの隊長なら誰でも憧れているなんて、そこまでミーハーじゃないと思う。

 たぶん、だけど。



「もういいって。差出人の名前もないし、正直、返事もなんて書いたらいいのかわからないし。受け取ったと言うことだけは、書いた本人に伝えておいて。ありがとうって」
「………わかったわ。伝えておく」


 散々、いじられたルクリリは肩が凝ったアピールをしてグルグルと左肩を回しながら、3年生から逃げるように、一足早く食堂から出て行く。バニラはそれを見送って、疑われたペコにも謝ることにした。


「ペコ」
「………バニラ、ごめんなさい。疑ってしまって」
 食器を片付けて、キャンディ様たちと言葉を交わしていたペコを見つけると、視線が重なって駆け寄ってきたペコは、頭を90度下げてくる。
「何?何のこと?」
「私、バニラが気まずい顔をしていたから、てっきりバニラがその、ルクリリに手紙を書いたものだと思ってしまって、それでその、私だと想われたくもないけれど、犯人をさらしだすのも悪い気がして、でもその……。勝手にラブレターみたいな内容を書いたのだと思ってしまっていて。あの時、素直にバニラに聞いていれば、バニラも気まずい思いをせずに済んだのに………」


 ダージリン様たちがからかっているミーティングの最中、ずっと、チラチラと視線が合っていたのは、そう言う理由だったらしい。最初に気まずい顔を見せたのは、確かにバニラだけど、それでちょっと間違えた方向に理解を示したペコは、無実の証明の上に、バニラが“ラブレター”を書いたと思い込んでいて、色々と気を使ってしまったようだ。

「あの、流石に私がルクリリにラブレターを書くなんて、ありえないと思うわよ?」

 逆立ちしても、脅されても、残念ながら恋愛感情を持ちえない。ルクリリはバニラにとって、隊長というよりも、戦友だ。もちろん、これから隊を率いる立場に立って尊敬しているが、恋などない。

「ですよね……。いえ、ちょっと気まずい顔をしているし、ルクリリは正義感が強いから、絶対にラブレターだとは言わずにファンレターと押し切るかもしれない、みたいなことも思ってしまって」

 何はともあれ、ダージリン様とアッサム様がちゃんと、他校の生徒に間違いないと言ってくださっているし、バニラもプラウダ高校の生徒から預かったものだと、みんなに説明をして、全員がそれを信じてくれたのだ。ペコが気に病むことはない。クランベリーは、プラウダの友達のことを、名前を書き忘れるなんて、彼女らしいと笑っていた。


「ペコって、優しいわね」
「はい?」
「ううん。こっちこそ、騒ぎの発端は、私と私の友達だから」
「その、バニラのお友達は、本当にファンレターを書いたんですか?あのルクリリのことを、本気でカッコいいとか思っているのなら、バニラから目を覚ますように言っておいた方がいいと思いますけれど」


 本気の目で見上げてくるペコは、握りこぶしを両の手で作っている。バニラの友達を真剣に心配しているのか、それとも……何か別の理由でもあるのだろうか。


 まさか、嫉妬とか?
 そんな、まさか。


「私たちはきっと、とても身近過ぎて、ルクリリの良さに気が付いていないだけかもしれないわよ?」
「………見えない部分が大きいって、怖いですよね。ある意味、羨ましいような」



 嫉妬なの?なんて聞いたら、どんな顔をするのだろう。顔を真っ赤にしたら、それはルクリリのことを好きと言うことになるのだろうか、でも本気で怒っても顔を赤くするだろうし。


 ペコはダージリン様から、メンドクサイという称号を、まさか受け継いでいたりなんてこと。


「………まさかね」
「どうしました?バニラ」
「ううん、何でもない」


 何だかメンドクサイ気がして。
 もう何も考えない方がいい。

 豪快シスターズにもバニラにも、1年生たちには色恋なんて、全然似合わないのだから。



「読み返しているんですか?」
「うん。なんて言うか、テンプレート的なファンレターだけど、カッコよかったって書いてある。無様に負けた練習試合なのにね」
「そうですか」
 ローズヒップがお風呂に入っている間、先にお風呂に入って髪を乾かし終わったルクリリが、ベッドに寝そべりながらファンレターを広げているものだから、ペコはそのベッドに座って、それほど嬉しくなさそうな顔を不思議に思って眺めていた。
「カッコよかったって言われてもな」
「嬉しくないんですか?」
「………カッコ悪いことじゃん?状況が判断できずに自分で白旗をあげて試合を放棄するのは、憧れを集める行動だと思わない」
 同じチャーチルの中にいたペコは、ルクリリらしい判断で、誰にでも出来るものではないと素直に尊敬したが、隊員に向かって頭を下げていたルクリリは、そのことでカッコいいと想われたいわけではないだろう。少なくとも、カッコいいと想われたくて取った行動ではないのだから。
「書いている人は第3者の立場ですから、そこまで考えなくてもいいと思いますよ」
「………どうせなら、勝った試合を観てファンレターを書いて欲しいな」
「今のところ、負けだらけですね」
 とはいっても、ダージリン様は強い相手を選んでルクリリに勉強させているのだ。そのがむしゃらになっている姿もきっと、ファンを作ったに違いない。

「あ~ぁ。何だかな。嬉しいような、嬉しくないような。別にファンが欲しいわけじゃないしな。ダージリン様はこういうのをもらって、どうされていたんだろう?」

 ダージリン様宛に届く手紙の類は、危険物が入っていないかのチェックを受けた後、いつも隊長室に届けられていた。ペコの記憶では、ダージリン様が知り合い以外の手紙を開けたことはないはずだ。捨てたかどうかもわからない。読まずに、どこかに置いたままと言う可能性は高いだろう。

「最初で最後の1枚になるかもしれませんよ?」
「うわ~。夏の大会にすら出ていないのに?」
「がっかりしました、なんて言う抗議の手紙が届くかも」
「やめてよ、隊長をやめたくなるじゃん」

 隊長と副隊長は立場が違う。背負うもの、見える世界、何もかもが違う。アッサム様がおっしゃっていた。ペコとローズヒップができることは、隊長を守り、隊長を支え、隊長を尊敬し続けることだと。目に見える重圧よりももっと、見えないものを背負うその姿から、決して目をそらしてはならない、と。

「大丈夫ですよ、ルクリリ。私たちがいるじゃないですか」
 寝そべっているその隣に、ペコも寝転がってみた。知らない誰かがルクリリのファンでいてくれるのなら、せめて、他の学校からはカッコいいルクリリとして見えるように、ちゃんとペコたちが支えてあげないといけない。
「………そうだね。別に他校のファンとかいらないかな。まずは聖グロの生徒に、私がちゃんと隊長何だって言うことを認めてもらう所から始めないとね」
「嫌でも、そうなりますって」
「まったく、卒業間近だと言うのに、ダージリン様はあれだもんな」
「あんな風には無理だと思いますよ。入学した日から有名人だったそうですし」


「あ~~!!!なんだかな~~~!!!!!」


 ルクリリは隊長だ。でも、ルクリリを隊長として支えている土台が脆いから、ルクリリがこんな風に思ってしまうのだ。比較相手がダージリン様なのは、どうしようもないけれど、でも、アッサム様のように、隊長の傍で隊長を信じて、隊長を支え続ける存在になれているかどうか。きっと、ペコとローズヒップは全然足りていない。アッサム様のような、周りの人をうまくコントロールして、隊長が気持ち良く使命を果たせる環境を整えられていない。


「私とローズヒップがもっとしっかりしたら、きっとルクリリも隊長らしくなれますよ」
「…………そうだといいね。期待してる」
「はい」


 ファンレターを電気スタンドのすぐ傍に置いたルクリリは、腕をあげて大きく伸びをした。


「あ~ぁ………ラブレター来ないかな~~!!!」



「無理だと思いますよ」



 来たら来たで、今回以上の騒動になるような気がする。

 果たして、聖グロの戦車道隊長として、そう言う手紙の類は来ない方がいいのか、大量に来た方がいいのか、さっぱりわからない。ニヤニヤしながら、隊長室の椅子でふんぞり返ってラブレターの束を積んでいるなんて。

「何だよ、ちくしょ~!」
「下品な言葉、使わないでください」


 …………そんなルクリリは、やっぱり想像できないのだった。
 


ラブレター?!怪事件 ③

「な、何で笑うんですか、ダージリン様!」
「いえ、別に笑ってないわよ。どちらの練習試合もカッコよかったわよ、ルクリリ」
「馬鹿にして笑ってるじゃないですか!」
「そんなことないわよ、ねぇ、アッサム?」
 共犯者を増やしたいと思っているのだろうか。アッサムには微笑ましいくらいの感情しかなかったのに、そんな馬鹿にしたような笑いはちょっとかわいそうな気もする。これだから、ダージリンは。
「………ルクリリをカッコいいなんて言うのなら、そもそもうちの生徒からの手紙かどうか、検討した方がよろしいんじゃ」
「アッサム様まで!」
「酷いことを言うわね、アッサム」
「笑う方がよっぽどですけれど、ダージリン」
 シナモンにまぁまぁと止められて、アッサムはムキになる前にため息で言い合いをしそうになるのを止めた。

「と言うことで、どこのどなたなのかと言うことはさておき、応援をしてもらっているのなら、それは素直に受け取ればよろしいんじゃないかしら?」
「でも、ダージリン様みたいに、馬鹿にする意図があるかもしれませんし」

 拗ねた感じにルクリリは腕を組んで見せるけれど、ダージリンのこれは、馬鹿にしているというよりも、“溺愛している”の方が正しい。伝わりにくいのが残念なところ。

「あら、私がルクリリを馬鹿にするために、わざわざ応援していると言う手紙を書いて、下足箱の中に入れた、とでも?」
「げっ?!ダージリン様、マジですの?!!!」
 ローズヒップの驚きの声と、ややこしくなるから黙って欲しいと言わんばかりの、2年生たちのため息に上下する肩。アッサムはローズヒップに向けて、人差し指を唇に当ててアピールして見せた。


 黙りなさい、と。


「ダージリン様が、そんなまどろっこしいことするわけないじゃない」
「そうよ、第一、ダージリン様がわざわざルクリリの下足箱に手紙を入れると思う?場所だってご存じないはずだわ」
「本当は、ルクリリの自作自演じゃないの?」
 1年生たちは手も上げずに、次々に発言し出した。隊長といえどもクラスメイト。彼女たちとルクリリの関係は、ダージリンと3年生のクラスメイトとはずいぶん違うようだ。どっちがいいのか悪いのか。決して3年生の仲は不仲ではない。良くも悪くも、ダージリンは最初からリーダー気質だったし、クラスは全て、ダージリンのことを尊敬していた。戦車道に限って、だけど。
ともあれ、ルクリリの自作自演はあり得ないだろうと信じたいが、アッサムには1年生の教室内での様子はわからない。先輩に見せる態度と、クラスメイトとでは、彼女だって当然違うだろうから、クラスメイトの前でファンレターの存在をアピールして、虚勢を張りたい事情があるなんていう可能性も、ゼロではない。

 ………まぁ、ゼロでしょう。

 アッサムの知っている限り、あの子はつまらない見栄やプライドと言うものがない。そこが良いところだ。ダージリンが溺愛しているのは、そのあたりなのだから。


「そんな自作自演をしたものを、ダージリン様たちの前で見せるわけがないだろ~!」
 顔を赤くして拳を作っても、誰も本気じゃないのだ。もう、これはただの遊び。ややこしくして楽しもうとしている、ダージリンの思うつぼだ。
「そもそも、下足箱に入れると言うことは、戦車道の1年生の誰かって言うのは間違いないんじゃないの?」
 発言したかった様子のグリーンが、ルクリリ“隊長”に向けて手をあげた。
「あら、グリーン。そんなの情報処理部にかかれば一発だわ。その理屈で言えば、ルクリリの出席番号を知りえる人間が全員対象になるわ。戦車道の全学年、情報処理部、ルクリリと交流の深い整備科だって」
「アッサム様は今更、2、3年生まで可能性を広げるおつもりで?」
「…………まぁ、それはないわね」


 本音を言えば、内容を深く知りたいところ。ルクリリの言う応援していると言ったことだけなのか、それとも、ルクリリが隠しているだけで、本当はラブレターの類なのか。


「あっ!あの!下足箱に書かれてある番号と、私たち戦車道1年生の出席番号って、グチャグチャじゃなかったですか?」
 ニルギリが重要なことを思い出したようだ。1年生たちは、確かにそうだった、とざわざわし始める。


「どういうことなの、ニルギリ?」

 面白くなってきたと言いたげに、キラキラになる瞳。ダージリンは立ちあがって、ついにミーティングルームのホワイトボード前に向かって歩いて行ってしまった。もう、とっくに引退して、隊員の前に立つ役目を終えたと言うのに。なんら試合の反省会と関係のないこんな時まで。いえ、だからこそなのだけど。

「あ、……えっと、ローズヒップが下足箱を2つ分占領しているのと、あと背の低いメンバーで上の方だった人が何人か、場所を変えてもらったり、何だかんだと結構、バラバラなんです。たぶん、ルクリリは出席番号とは違う番号を使っています」
「それは本当なの、ルクリリ?」

 だとしたらもう、それを知っていたうえでルクリリの下足箱に入れたのなら、戦車道1年生の中に“犯人”がいると確定されたようなもの。ペコと、犯人を捜したがるローズヒップ以外。この、どうでもいいようなよくないようなやり取りは、何だったのだろう。

「ほ、本当です。私はえっと、全然違う所を使っています」
「それを知っている人物は?」
「うちのクラスだけ、のはず」
「情報処理部は知っていて?」
 アッサムの隣で、グリーンは腕でバツを作ってダージリンにアピールしている。そんな内部事情をわざわざ調べるほど、情報処理部は暇じゃない。


「………と言うことは、やっぱりこれはその、私って実は嫌われているとかですか?」

 応援していると書かれてあったのに、何を今更ルクリリは落ち込んでいるのだろう。1年生はみんな、微笑ましいくらい凄く仲がいい。ダージリンだって、違う学部の同学年の人からファンレターをもらったこともあるのだから、そう言う類と思えばいいのに。

「あら、嫌われているわけじゃないでしょう?応援されているのでしょう?」
 ダージリンはルクリリの手元の手紙を勝手に奪い、その封筒をマジマジと見つめた。立ち上がってルクリリの隣に行ったのは、現物確認のためなのかもしれない。
「でも、うちのクラスの子は、私のことをルクリリ隊長なんて呼びませんし。こういうのを出して私が浮かれている姿を見て、笑いたい、……とか」
「さぁ、どうかしらね?本気でそう思っているのなら、あなたは人を見る目がないわね。クラスメイトに対して、そう言う疑心暗鬼を抱くなど、隊長の器じゃないわ」
 ルクリリの手元に返した封筒。ダージリンは日ごろ、隊員の日報を読んでいたから、文字を見て誰なのかを調べようとしたのだろうか。

 否、そもそも、1年生だと本当に思っておられるのかどうか。


「…………素直に文面通り、応援されているのだと思ってもいいのですか?」
「さぁ?自分で決めたらいいことよ。私なら、”他校の生徒からもらったファンレター“を、こんな風に晒しだす真似はしないけれど」


 最初からそう思っていたのなら、アッサムがうちの生徒かどうかを検討するべきと言ったときに、どうして賛同してくれなかったのだろう。

 楽しみたいから、でしょうけど。

「えっと、つまりは1年生の誰かが、他校の生徒にファンレターを渡すことをお願いされて、手渡しせずに下足箱に入れた、と言うことなの?」

 シナモンはグリーンに確認を取るように聞いて、グリーンは面白くないけれど、それで合っていると答えた。彼女たちは、どういう結末であれば面白いと思ったのだろう。

 たぶん、アッサムが考えている通り、誰かがラブレターを書いたと言うことであれば、面白かったのだろう。

「と言うことで、他校からファンレターをもらうほど、カッコいいルクリリ隊長。ズタボロに負けたプラウダとの練習試合の反省会を、そろそろ始めたらどうかしら?」
「…………他校の子からだって、ダージリン様は初めからわかっていたんじゃ?」
「当たり前でしょう?この私がまだ在校生としてここにいるのに、ルクリリを隊長と呼ぶ生徒がいると思っているのかしら?明らかに他校の生徒でしょう。騒ぎ立てるほどのことでもなく、すぐにわかることだわ」

 随分と偉そうに胸を張って、イラっとした表情のルクリリの頭を撫でるその手。無実をアピールしていたペコの肩を叩いて、コントは終わったと言うように、ダージリンは檀上を降りた。



「バニラ。お知り合いには、ちゃんと名前を書かないと、ルクリリからの返事はもらえないと伝えておきなさい」
「…………ご迷惑をおかけしました、ダージリン様」
「あら、とても楽しかったわ」

 どうして、バニラが置いたところまで見抜いてしまったのだろうか。アッサムは全員の背中しか見えていないから、表情まではわからない。壇上に立った時に、明らかに様子が違うということが見て取れたと言うのだろうか。だとしたら、どうしてルクリリには、それがわからなかったのだろう。

「え、バニラが置いたの?!」

 驚いているあたり、表情ではわからなかったようだ。見ていなかっただけかもしれないけれど。

「……………その、中の手紙に名前を書いたって言ってたから。それに、手渡しをして、他の人が誤解をして、変なことになったら嫌だなって思って……騒ぎになるなんて思わなかったの」

 ルクリリは、まだまだ洞察力がない。ダージリンが数分前に立っただけで見抜いたと言うのに。最初から、態度で見抜こうと言うつもりがなかったのだろう。アッサムの隣に戻ってきたダージリンは、してやったりと言わんばかりにアッサムを見つめてくる。



 顔が“褒めて”と言っていた。




「バニラは、相当気まずい顔だったのですか?」
「ここから見ていて、色々と様子がおかしかったのよ」
「バニラの背中が?」
「ペコよ」
「……ペコ?なぜですの?」
「あら、それは私がペコをいつでも良く見ていたと言う、愛のなせる技と言うことね」

 ヤキモチを焼かせたいと思って、そう言う言葉を使っているのが見え見えで、相手をしたくない。ペコに聞けばいいだけのことだ。と言うか、結局、ただのファンレターで、ルクリリが好きだとかのラブレターの類でもないのなら、どうってことのない話だ。

「あぁ、そうですか」
「あら、それだけ?」
「えぇ。ルクリリも成長しましたね。この時期にファンレターとは」
「ラブレターじゃなくてホッとしたのでしょう、アッサムは」
「……さぁ、どうでしょうか?好きだなんて書かれていたら、ちょっと嫉妬したかも知れませんね」
「まったく、放っておけばいいものを」


 積極的に介入したご自分を棚に上げて、そう言うセリフを言うのだから。
 嫌と言うほどわかっているけれど、ダージリンは本当に変な人だ。

「ヤキモチを焼かせようとしたくせに、ヤキモチを焼くって。……メンドクサイ人ですね、ダージリン様って」
 グリーンは呟きながら、微妙な空気のミーティングルームを眺めて、カメラのシャッターを押した。

 書いた本人が名前を書かなかったと言うことも、かなりのミスだけど、そもそもそう言う手紙を受け取って、大げさに反応をしたであろうルクリリが、一番悪い。バニラが知り合いから頼まれたからと、手渡しをしたところで、やっぱり騒いだのは間違いないだろう。ルクリリの落ち着きのなさが、大したことじゃないことを事件にしたのだ。

 やっぱりまだ、隊長としての器が足りない。色々と。そして、隊長を支えるべき副隊長と、サポートしていかなければならない、1年生のクラス全員も。


ラブレター?!怪事件 ②

「まさか、新手の嫌がらせか?!いや、でも、手紙の中では凄く応援されてる」
「思ってもないことを書いて、調子に乗る姿をあざ笑っているんですわ」
「んなわけないだろ?!うちのクラスにそんな性格の曲がった人はいない」
「では、何ですの?」
「………だから、その、応援してますって書いてあるんだし。でも、名前もないし。うーん、何か…裏があるのか……」
「ほら、やっぱりですわ~」

 流石にルクリリはローズヒップやペコに手紙を見せたりしなかった。そのあたりに配慮ができる人であって良かった。いや、この状況は良くないけれど。
 バニラは生唾を飲み込んで、取りあえず素直にファンレターとして受け取ってもらって終わりにしてくれないかしらと強く願いながら、もう一度、ペコを見つめてみる。

「差出人の名前がないって言うことは、書けない事情があると思いますよ」
「どういう事情で?」
「………恥ずかしい、とか?」 
 
 ペコは一度バニラと視線を合わせて、それからルクリリを見上げた。眉をひそめながら、それでも遠まわしにたしなめているようだけど、それを何か別の意味として理解したような頷き。


「ペコ。……まさか、ペコが書いたの?」

ルクリリが真剣な顔でペコの肩に両手を置いた。

「ルクリリ、大真面目に聞いているんですか?」
「………騒ぎ立てて悪かった。ごめんね、うん、気持ちは受け取ったよ。ありがとう。これからも応援してちょうだいね。あ、サイン、欲しい?」

 ルクリリはちゃんと大真面目なのだろうか。それともボケているつもりなのだろうか。
 いずれにしても、ペコの背後からダージリン様譲りの、青い炎が燃え始めているのだ。すぐに火消し作業をした方がいい。


「さすがの私も、堪忍袋の緒が切れますよ?」
「やっぱり隊長のファンは身近な存在なんだよな。水臭いなぁ、ペコったら」
 パンパンと小柄なペコの肩を叩く新隊長は、きっとたぶん、ちょっと本気。
「え~、ペコはそこまで馬鹿ではないですわ」
「そうよ、ペコがわざわざ時間をかけて、手紙をルクリリに書くなんてことをするはずないわよ」
 ローズヒップとクランベリーは全否定だ。毎日飽きるほどすぐ傍で過ごしていて、同じ寮の部屋。休日も何かと一緒なのだ。今更ペコがファンレターを書くメリットなんてないことは、誰もがわかっている。

「いやいや、だってほら、こう、普段は言えない想いのたけをそっと忍ばせた、みたいな?」
 
 芝居臭い言い回しのルクリリ。
 小柄な装填手の拳が、鳩尾に射程距離30センチで発射された。

「ぐふっ!……て、照れないでいいよ、ペコ」
「調子に乗ってないで、差出人がわからないのなら、もう騒がないでください。私ではありません。それは確かです。命かけても、絶対に違いますからね!」
 いつになく声を荒げて全否定するペコの本気は、痛いくらいクラスの皆に伝わっているし、なんだったら最初からルクリリ以外はそんなこと、信じてもいないのだ。ルクリリだってたぶん、半分以上はノリでやっている。……たぶん。

 誰が書いたかなんて、わからないものは、わからない。
 でも、どこかの誰かが、ルクリリを応援している。


 もうそれでおしまいにしてくれたらいいのに。



「でも、結局はどこのどなたからのラブレターなのか、わかりませんですわ」
 予鈴が鳴り響く教室、みんな、戦車道作戦ノートを手にミーティングルームへの移動準備を始める。椅子を引いたり押したりする音にまみれ、ローズヒップは唇を尖らせたまま。
「………どこの誰かと言う特定は無理ですけれど、私じゃないという証明を、今からやりましょうよ」
 どこの誰というのを、棚上げした方がいいと言う態度だったペコは、絶対どんなことがあっても自分ではない証明をしなければ気が済まないのだろうか。

 ………まさか、ペコはルクリリのことを好きだったりして。

 なんて言うことはない。

「うーん。純粋に応援していると言う言葉だけを受け取るのなら、ラブレターっていうか、ファンレターだったんだけど。何か裏がある可能性が捨てきれないし」
「誰かに何かの恨みを買った覚えがあるの?ルクリリ」
 クランベリーは心配の意味も含めて聞いているのだろう。そんな、みんなが眉をひそめるようなものじゃない。本当に、ただのファンレターなのだ。

 すべては名前を書かなかった友達のせい。
 あと、今更言えないバニラのせいでもあるけれど。

「モテるって罪だよね」

 たぶん、ルクリリの性格が事態を余計にややこしくしているのだと思う。


「あれ?どうしてここに?」

 ミーティングルームでお茶をして1年生たちを待っていると、キョトンとした顔でルクリリが入り口で足を止めた。


「暇だからよ」
「暇すぎて、1,2年生たちの反省会を見物しに来たのよ」
「私は、2人に捕まったの」
「同じく」


 3月に入ってからと言うもの、授業もすべて終えてしまったアッサムたちは暇を持て余している。卒業式だけを待つ身分の3年生たちは、学生艦の中をみんな、自由に遊び回っていた。戦車道の合同訓練でプラウダに向かったときは、学校に積もった雪で、3年生たちは学部をまたいで、雪だるまを作ったり、雪合戦をして遊んだり、毎日ずっと食堂に籠って大人数でお茶会を開いたり、平日の昼間からスパに行ったりと。名残惜しい学生生活の最後、学生艦の端から端まで、グリーンと共にカメラを手に歩き回ったりもした。ダージリンは、普段交流が少なかった学部の子たちに引っ張りだこ。いろんな人の携帯のカメラに収められたようだ。

 つまり、暇だからと言うよりも、プラウダとの合同訓練が終わった1,2年生たちを冷やかすついでに、ちょっと遊び疲れた身体を癒しに来たのだ。

「……あぁ、そうですか」
「あら、嬉しいでしょう?ルクリリ」
 ダージリンは温かいアッサムティーを飲み、にっこりと微笑んだ。グリーンはずっとカメラのシャッターを切れる体制のまま。シナモンはただ、笑顔を作っているだけ。
「いえ、まぁ、はい。そうですね」
「私たちのことは無視して、ミーティングしてちょうだい。何も言わないわよ」

 ダージリンの言葉に、無視できるほどの影の薄さでもないでしょうに、とアッサムは心の中で思ったが、言葉にはせずに彼女たちのために開けている席に座るように促した。3年生は4人とも、一番後ろを陣取って紅茶の匂いを漂わせたまま。とてもやり辛い感じのルクリリの表情。これは、戦車道3年生の伝統だ。去年も、その前の年も3年生は3月の暇な時に、ミーティングルームの後ろに座り、お茶をしていた。バニラお姉さまたちはトランプやチェスを楽しまれていることもあって、苛立ったダージリンがバニラお姉さまのチェスの駒を勝手に動かしたせいで、ミーティングの途中から言い合いになったこともある。



「では、今日のミーティングはまず、ルクリリに果し合いの手紙を送ったのは誰かを探し出すことから始めますわ!」

 1年生たちが前方を埋め尽くすと、前に立ったローズヒップが宣言した。

「待て、ローズヒップ。今はマズいよ。後ろにダージリン様たちがいるんだから」
「そうですよ。先に反省会を終わらせて、それは別の日に改めましょう」
「でも、何か裏があっての果し状なら、命が狙われているかもしれないですわ」


 また、何かつまらない騒動を起こしたのだろうか。眉をひそめてグリーンと目を合わせても、肩をすくめた様子が返ってくるだけだ。

「リゼ、あれは何事なの?」
 アッサムの前に座っている2年生の肩を叩き、ヒソヒソと確認を取ってみても、眉に寄せた皺が申し訳ないと言わんばかりに刻まれている。どうやら、2年生は全員、ちんぷんかんぷんな様子。
「ローズヒップたち、何の話をしているの?きちんと全員に説明をしなさい」
 キャンディが声を張り上げた。頼もしくなったものだ。ダージリンはアッサムの髪を引っ張って、それから面白いコントが始まる前のワクワクした笑顔を見せ付けてきた。きっと1年生たちが、何か面白いネタを披露してくれると、そんな期待をしているのだろう。

「ルクリリの下足箱に、果し状が入っておりましたの!!」
「ローズヒップ、個人的な妄想を含めずに、事実だけを述べなさい」
 鼻息の荒いローズヒップとは対照に、冷静なキャンディの声が飛ぶ。あんな声を出せるとは。シナモンはその様子を嬉しそうに見つめて、巣立った雛を見守っている親鳥の気分を味わっているみたい。
「えっと、朝、ルクリリの下足箱に手紙が入っておりましたわ。差出人の名前はありませんでしたの」
「それで?」
「犯人がわかりませんの」
「犯人って?何か嫌がらせのようなことが書いてあったの?」

 キャンディの質問に、ローズヒップは隣のルクリリに聞けと言わんばかりにその袖を引っ張った。内容を読んだのは、差し出された本人だけのようだ。

「いえ、応援しています、みたいな感じでした」
「それが果し状なの?」
「いえまぁ、私はファンレターじゃないかなって思いますが。誰が書いたものなのかもわからないですし。クラスでは、裏を読んで嫌がらせじゃないか、みたいなことになって」

 真ん中に立っているルクリリの左にいるペコが、真っ直ぐに手をあげた。
「神様に誓って、私はそんな手紙を書いていません」
「………いえ、誰もそんなことは聞いてないわよ、ペコ」
 いつになく、睨み付けるような顔でキャンディを真っ直ぐ見つめるペコの表情。1年生のクラスで、“容疑者の1人”とされたらしい。


「ちょっと、よろしいかしら?」


 さっきから、笑うのを堪えていたであろう、ダージリンの震える肩。視界の中に入っていたから、嫌な予感はしていたけれど、我慢ならなくなったのだろう。小学生みたいに手をあげて、ルクリリにアピールし出してしまった。こうなるともう、止められないのだ。アッサムたちは今、黙って彼女たちの反省会を聞くだけじゃなかったのだろうか。ダージリンのことだから、何か余計な事をするだろうとは思っていたが、案の定。

 とはいっても、アッサムも止めようとは思わない。とりあえず“事件”を解決するには名探偵が必要なのだから。

「は、はい。ダージリン様」
「まず、その封筒。あなたへと言う宛先、どんな風に書いていたのかを知りたいわね」
「あ、は、はい!」

 ルクリリはノートに挟まれていた手紙を出して、それから声を出して読み上げた。

「聖グロリアーナ女学院 戦車道隊長 ルクリリ様、と書いてあります」
「そう。あら、あなたは戦車道の隊長だったの?」
「………今は取りあえずそんな感じですが」
「なぁに?違うと言うの?」
「いえ、隊長……です」


 教室の前と後ろ、それなりに離れているのに、威圧感は空間なんて無視して、ダイレクトにルクリリに押し付けられていく。
 アッサムは紅茶を飲み干して、やれやれとため息を吐いた。
 グリーンはシャッターを押すことに夢中だ。

「そう。そうね、あなたが隊長じゃなければ、この学校の戦車道は隊長が不在ですものね」
「はぁ……はい、その通りです」
「それで?あなたたちはその手紙の差出人を探すつもりなのかしら?それとも、それが果し状…いえ、嫌がらせの類であるかどうかを調べたいのかしら?」

 ルクリリは唇を尖らせながら、もう一度手紙を1人で読み返している。声に出さない気遣いをするあたり、本気で悪意があるとは思っていないのだろう。まさか、好きですとか、付き合って欲しい、だなんて書いてあるのだろうか。

「私じゃないことを証明してください、ダージリン様」
 また、ペコが手をあげて主張してきた。ペコがこんなにも自分の意見を、しかも、大したことでもないことをアピールしてくるのは珍しい。皆、ペコを“容疑者”ではなく“犯人”と思っているのだろうか。
「あら、ペコではないわね。同じ聖グロの中にいるのに、わざわざ学校名や、ルクリリを隊長と付けたりなんてしないでしょうし。どうしてもペコがルクリリに手紙を差し出すのなら、もっと賢い方法を取るでしょうね」
「ほら!ほら!ダージリン様だって私じゃないと言ってます!!」
 嬉しそうにルクリリに主張する必死さは、何もそこまで全否定しなくてもいいのに、と思いたくなるほど。クラスでからかわれたりしたのかもしれない。可愛そうに。
「………いや、ペコの字じゃないから、わかっていたけど」
「だったら、教室ではっきりとそう言えばいいじゃないですか!」
「いや、だって誰もそんなこと思ってないけれど、やたらムキになるんだもん。面白くて、つい」
 当然ながら、ローズヒップでもないだろう。かといって、悪戯と言うか、何かの悪意がありつつも、応援をしていると言う内容の手紙を書くと言う心理が理解できない。というか、そう捉える方に問題がある。ルクリリは、何かやましいことでもしているのだろうか。


「ルクリリ」
「は、はい、アッサム様」
「本当に、応援していると言った内容なのね?」
「はい、そうです」
「好意を寄せている、と言う様子は?」
「さ、さぁ……黒森峰やプラウダの練習試合を観ていた、と書いてありました。カッコよかったって」





「………ぷっ」






 ダージリンが口元を抑えながらも、笑いを漏らす声。
 一斉にみんなが振り返ってしまった。

 

ラブレター?!怪事件 ①

「そうね……渡すだけなら」
「本当?!ありがとう!」


『聖グロリアーナ女学院 戦車道隊長 ルクリリ様』


 受け取った封筒に書かれた文字。そして裏には差出人は書かれていない。


「名前、書かないの?」
「あっ……中に書いていたと思う」
「わかったわ。でも、返事なんて期待しないで。今、彼女も忙しい身分だから」
「読んでもらえたら、それだけでいい」
「………わかったわ」

 受け取った手紙が折れてしまわないように、手帳に挟んだバニラは、目の前の同級生に向かって笑って見せた。あのルクリリにも、ついに……っていうかなんというか。

 聖グロの戦車道隊長という肩書きは、それだけで人を惹きつけるらしい。いや、ルクリリは勇ましいと言うか、責任感も強いし、きっと目の前の同級生にとってカッコいい隊長以外の部分は見えないのだろう。負けた試合ではあったが、黒森峰との戦いでは自ら白旗をあげてでも、バニラたちを助けに来てくれた。そう言う熱い人柄は特に、人気を得やすいのだ。

 そう。
 そう言うことにしておこう。

まさか、始末書の枚数は歴代の隊長の中でぶっちぎりだとか、カップ破壊率の高さが尋常ではない、なんて言えるわけもないし。アッサム様に罰としてお尻を叩かれたことがあるとか、「私は罪を犯しました」って書いたプラカードを首からかけて、学校内を歩き回ったことがあるって、言っても信じてもらえないだろう。

 バニラはルクリリが受け取ったファンレターを、自慢げにいろんな人に見せびらかすんじゃないだろうかと不安を覚えながら、それでも憧れに頬を染める同級生に向かって笑っておいた。

「くっそ寒い。マジで寒い」
「……ルクリリ、その言葉遣いをそろそろ直した方がいいですよ。絶対外で使っちゃいますって」
 
3月だと言うのに、海の上にポツンと漂う学生艦の上はまだまだ、真冬とそう変わらない寒さだった。でも、それは仕方がない。プラウダとの雪上合同訓練のために北上していたのだ。かじかむと言うより痛いに近い。豪雪の中の練習試合ではボコボコにされたけれど、4試合のうち1勝だけは出来た。ダージリン様曰く、1勝ならば上出来だそう。負けることで学ぶことは、まだまだ多い。負けが許されている間に、ドンドン負けることも大事なのだ。


「大丈夫だって。ローズヒップじゃないんだから」
「私は下品な言葉を使いませんですわ~」
「………聖グロを背負っていると、もう少し自覚してくださいよ」
「してるしてる、バッチリ。そこはメリハリ付けているからね」

 ローズヒップと3人、マフラーをグルグルと唇近くまで巻き、校舎に向かっていた。船はすでに横浜へとゆっくり舵を切っているが、雪に濡れた地面は生徒の足跡を無数に残していて、それがまた、なおのこと寒さを煽っている。濡れた靴で校舎内の移動をすることは禁止されており、革靴を履き替えるか、雑巾で綺麗に拭いてしまうかのどちらかだ。多くの生徒は個人の下足箱に予備の靴を置きっぱなしにしている。体育の時のスニーカーを置くためのものだが、皆、大体は3種類くらい靴を置きっぱなし。


「何だ、これは?!!!」


 ペコは下から3段目の自分の下足箱を開け、履き替え用の革靴を取り出していた。隣のローズヒップもまた、同じように履き替えている。その向こうで、上品とは言い難い大声を出す人物。ペコの知っている限り、そう言う声はもう、ルクリリしか出せない。


「どうしたんですか、ルクリリ」

 鞄を小脇に抱えたルクリリは、手袋をしている手に真っ白な封筒を持って、天に掲げるようにしていた。

「は、果し状かな………」
「ルクリリ、今度はどこの誰と喧嘩したんですの?」
「してないってば。隊長になってからは、真面目一筋だって」

 黒森峰の練習試合前も、一応は身内同士の喧嘩だったし、他校との揉め事は起こしていない。とはいえ、どんな内容かはわからないけれど、ルクリリの下足箱の場所を知っているということは、とても身近な人物であることには違いないのだ。

 今度はどこの誰に恨みを買ったのだろうか。他学部だろうか。
 ダージリン様やアッサム様のファンから、何かのクレームがついた、とか。
 

「女の人の字だ」
「……ここ、女性以外は立ち入り禁止ですよ」
「うーん。何だろうなぁ」

 透かしてみても、何も見えるはずないのに。

「開けてみたらどうですの?」
「よし、教室に行ってから開けてみよう」


 ローズヒップも興味津々な様子だけれど、ふと思った。
 万が一、本当に1万分の1の確率でラブレターだった場合、それをクラスメイトがいるところで堂々と広げるなんて、いかがなものなのか、と。




「おはようございますですわ!!みなさん、大変ですわ!ルクリリに果し状が届きましたわ!!!」


 食堂で朝食を食べた時に挨拶を交わしたと言うのに、それでも必ず教室に入るときには大声で挨拶をしてまわるローズヒップの元気な声。いつも通りのトリオの登場。大体、ニュースがあるときのローズヒップの声は、何もない日のおよそ2倍。

「果し状?今度は何をしたのかしらね、ルクリリは」
「ついに整備科から、整備ボイコット宣言を受けたとか」
「まさか。だとしたらローズヒップの方に来るはずよ」
「それもそうね」

 ルフナとニルギリは、ヒソヒソとバニラのすぐ傍でそんなことを言っているが、“果し状”であるわけがないと言う、大事なところに突っ込みを入れないのはどうしてだろう。

 どうしてもなにも、ルクリリだからだ。

「果し状って何?」
 興味津々のクランベリーが近づいていく。ルクリリの前に席がある彼女は、バニラの元をすぐに離れて、席に着いた。ワクワクした表情でルクリリを見つめているけれど、騒いだのはローズヒップだ。
「いや、果し状かどうかなんてわからないんだけど」
「え?違うの?」
「ローズヒップが騒いだだけだ」
「ルクリリが自分で果し状って言ったんですわ」
 クランベリーの隣の席のローズヒップは、マフラーを外してクルクル丸めて鞄に押し込んでいる。後ろのコートかけに一緒に掛ければいいのに。ペコは何のコメントもせず、知らないフリの様子。気づいているのかも知れない。果し状じゃないって言うことを。

「まぁ、うちの生徒なんだろうな~。私のアッサム様に近づきすぎです!みたいなクレームの手紙とか、ダージリン様に触るんじゃない、とか」
「……今更?」
 ルクリリがコートとマフラーを脱ぐと、後ろにいたミサちゃんが勝手に受け取って、ついでにローズヒップのコートも合わせて、後ろのコートかけのハンガーに通してくれた。バニラはその見慣れた風景を眺めながら、頼むから今、その手紙を広げてあげないで欲しいと心の中で強く祈ってみる。プラウダに行った中学時代の友達から受け取ったファンレターが、クラスみんなの前にさらされるなんて、あまりにも可哀相だ。っていうか、クランベリーの友達でもあるのだから、彼女だって差出人の名前を見たら、びっくりするだろうに。


「ルクリリ、それで、果し状の中身はなんて書いてありますの?体育館裏に呼び出してすの?」
「どうだろうね」
 封筒の糊の付いていないところに小指を差し込んで、ゆっくりメリメリと音を鳴らし始めた。なんてデリカシーのない人なのだろうか。何だか教室も、固唾を飲み込んで見守っている空気。バニラは眉をひそめて、どんな言葉で止めればいいのかって目が左右に泳がせたけれど、余計なことを言うと、自分があの下足箱に入れたことがばれてしまうと思って何も言えなかった。別に、バニラが書いたわけではない。でも、早とちりしそうな人が何人かいるわけだし。


「えーっと、なになに~。親愛なる、聖グロリアーナ戦車道、隊長 ルクリリ様。私は、秋のプラウダとの練習試合のときから、ずっとあなたを見ていました………ん??」


「ん??ストーカーですの?」
「………え?まさか、それって、ラブレター?」

 ローズヒップの的外れな呟きと、クランベリーのちょっと行き過ぎた解釈。

「ルクリリ、何で声に出すんですか。って言うか、そう言うのは人がいるところで読むものじゃないと思いますけれど」

 冷静なペコのコメント。わかっているのなら、どうしてもっと早くに止めてあげないのだろう。


「………え~~!やばい、これってラブレターなの?!」

 無駄に声が大きなルクリリの、その一言。教室中に響きわたった。

 違う。
 ラブレターじゃない。

ただの、本当にただのファンレターだ。本人も確かにファンレターって言っていた。憧れているんだって。隊長になって活躍することを応援している気持ちだからって、だから、付き合ってくださいみたいなものじゃないんだって。


「マジですの?!一体どこのどなたからですの?!ちょっと、頭がおかしい人ですわ、その人!」
「なんだと?!聖グロの隊長なんだぞ!モテるのが普通だろ?!」
「………は~っ!ダージリン様の足元にも及ばない、優雅の欠片もないルクリリがですの?その差出人は、ルクリリとダージリン様を間違えているんじゃありませんの?!」

 優雅の欠片もないと言う点において、似たり寄ったりのローズヒップは、“おほほほ”とふんぞり返って笑いだした。何がどうおかしいのか。バニラはストッパーのペコをじっと見つめることしかできない。この馬鹿たちを止めてあげて欲しい。

 視線がバチッと合ったペコは、小さく頷いてくれた。よかった。伝わったようだ。


「2人とも、出した人が近くにいるかもしれないんですから、あんまりネタにしちゃだめですよ」
「…………え?なんで?近くにいるってどういうこと?」
「ルクリリの下足箱の場所を知っている人物でしょう?」


 何だか騒めき始める教室は、そんな変な人がこのクラスにいる訳がないのに、と言いたげだ。あと、きっとその差出人の精神を心配しているのだろう。
 その心配はなくとも、友達はちゃんと名前を手紙の中に書いているはず。当然、どこの学校かも書いているに違いない。あわよくば返事をもらえたら、みたいなことを想っているたずだ。どこの誰かを書かないと、意味がないのだ。バニラはざわめきの中、無関係を装うために無言を貫いたまま。

「…………差出人の名前がない」
 ルクリリは封筒を確認し、それから手紙をサラリと見てから呟いた。



 …
 ………
 …………
 あの子はなんで、確認しなかったんだろう。


「じ、事件ですわ!これは大事件ですわ!!」


 事件じゃなくて、うっかりミスなんだけど。


それを今、バニラが声を大にして言える空気じゃない。みんなの視線がルクリリとローズヒップに集まってしまっているのだ。

甘い誘い END

「いかがでした、3人のお守り」
「まぁまぁ、楽しかったと言うことにしておくわ」
「そうですか」

 学生艦に戻ると、すぐにアッサムの部屋に向かった。夕食へと連れ出して、ヴェニスの仮面が綺麗だったことや、ルクリリが選んだランチが想像よりも高かったこと、お腹いっぱい食べた後だと言うのに、ローズヒップが大きなパンケーキをぺろりと平らげたことを報告した。同じようにアッサムからの報告によると、ゆっくり買い物をして、ほとんどお茶をして1か所にとどまっていたそうだ。ちょっと、嘘くさい。

「そうだわ、手作りの石鹸を買ったのよ」
「石鹸、ですか?」
「えぇ。ペコが欲しいというので一緒にお店に入ったの」
 1つだけ鞄に入れて持ってきた、甘いはちみつの香りのする石鹸。キョトンとするアッサムの手の平に置いた。
「………甘そうですね」
「えぇ、とてもいいでしょう?」
「はい。あの、ありがとうございます」
 アッサムは少し困ったように笑う。はちみつが嫌いなんて聞いたことがないけれど、もしかしたら匂いのする石鹸は嫌いなのだろうか。
「嫌だった?」
「いえ、まさか」
「そう?」
「はい。今日、早速使ってみます」


 だったら、一緒にお風呂でも入る?

 と言う一言を飲み込んで、ダージリンは微笑み返した。こんなところで彼女を怒らせてしまうと、グラスの水が飛んでくる恐れもある。一応は喜んでもらえて、楽しそうなのだ。あまり刺激しない方がいい。決して下心があって買ったわけではないが、これで身体を洗ってね、と言うアピールのように思えてくるのは気のせいだろうか。

「………明日、アッサムはとても甘い香りに包まれているのね。とても楽しみだわ」
「そう…ですね。あの、でしたら、その、ダージリンも同じ香りに包まれてみますか?」
「えっ?」


 それはつまりは、一緒にお風呂に入って同じ石鹸を使って、2人で背中を流し合うと言うお誘いと解釈してもいい、ということかしら。


「いえ、あの、私もそのお店に行って来たんです。グリーン達が行きたいというものですから。それで、その、ダージリンにお土産を買ったのですが、今、手元にあるのは、同じはちみつのもので……」
 背中にあった鞄から、同じ石鹸の箱が出てくる。その手元とアッサムを何度も往復して、それから手を差し出した。
「アッサム、私をはちみつ漬けにして、どうしたいというのかしらね?」
「………それは、私のセリフです」
「よろしいわ、交換しましょう」
 他の香りにしなくていいのかと聞かれたが、アッサムと同じ香りがいいからなんて言わずに笑って受け取った。お互いに交換した甘い香り。

「………あの、ダージリン」
「なぁに?」
「い、一緒にお風呂でもどうですか?」
「あら、アッサムが誘ってくるとは思わなかったわ」

 想定外の申し出に、思わずのけ反りそうになったけれど、あんまり過剰な反応をすると怒らせてしまいそうだ。自分が面倒な性格であることはわかっているが、アッサムは残念ながら、自分はまとも、と思っている節がある。かといって、そこを指摘するとネチネチと攻撃を受けるのだ。理不尽だわ、と思うが、それでも仕方がないのだ。それはたぶん惚れた弱みというもの。

「折角ですし。本当に、洗っていい香りが残るかどうかを確かめてみましょう」
「そうね」
「あとで、部屋に伺いますわ」
「よろしいわ」

 バスルームの掃除は行き届いているはず。それなりにバスタブも広いし、ゆっくりとアッサムとお風呂に入るのは、何の問題もない。ダージリンは頭の中でほんの少しだけ想像しながら、ほんの少しだけ赤い頬のアッサムを見つめた。

 
 本当に可愛い。


「…………で、あなたはグリーンたちとお茶をしていただけなの?」
「えぇ」
「それくらいなら、私を排除せずにいてくれてもよかったのに。あの子たちを押し付けてでも、どうしてもグリーンたちとお茶をしたかったの?しかも横浜で」
「………えぇ、そうです」
 絶対にどこで何をしたのか、頑としてでも話したくない様子。唇を尖らせる仕草を見せつけてくるのは、グリーンたちへの聴取を恐れているからなのだろう。
「映画でも行ったの?」
「行っていません」
「何を観たの?」
「映画を観ておりません」
「………そう?」

 どんな映画を観たのかを、楽しく報告したくない程くだらない内容だったのかもしれない。そう言うことにしておくしかないのだ。拗ねられたらせっかくのバスタイムを逃してしまう。

「いいわ。ゆっくりお風呂に入って疲れを癒しましょうか」
「そうですね」


「では、またあとで行きます」
「えぇ」
 着替えを取りに部屋に戻ったアッサムが、ドアの向こうに姿を消し、ダージリンも部屋に戻った。慌ててバスルームに向かって、すべて問題がないかを見て回り、お湯の蛇口をひねる。熱めがいい。アッサムが来て、服を脱いだころにはちょうどいい温度まで下がっているだろう。音楽かなにかをかけた方がいいだろうか、いや、そんなものを流すものが部屋にはない。ウロウロ、オロオロ、あちこちチェックし終わり、指差し確認をしていく。付き合いだしてから、一緒にお風呂に入るのは初めてだ。今まで、スパには何度も一緒に行った。2人で行ったこともあったけれど、残念ながら複数の人がいる公共施設なんて何の経験値にもならないのだ。誘ってOKと言うことは、12月の卒業試合を待たなくても、キスをさせてもらえると言うことかしら。それとも、多少のスキンシップをしてもいいと言う意思表示なのかしら。

 でも、アッサムはまさか、頬をちょっと赤くしていたにもかかわらず、“ただ、石鹸の香りを楽しみたいだけ”なんて言ってのけたりなんてこと……

 流石に子供じゃないんだから。


「………ダメだわ、少し落ち着かないと」


 ソワソワしながら部屋の中をウロウロしていても、アッサムが来なければ仕方がないのだ。深呼吸をして、何事もない風にしておかなければ。





 絨毯敷きの廊下を複数の人が近づいてくる。

 ドタドタ。
 バタバタ。

 その、とても不快で鈍い音がアッサムの部屋の前で止まった。


 その音は、朝、聞いたものと同じ。
 何だか嫌な予感がしてならない。
 とんでもない邪魔が入りそうな、そんな予感がする。


『アッサム様~』
『アッサム様~~!一緒にスパに行きましょう~!!』
『いい匂いの石鹸をゲットしましたわ~!!』


 アッサムの部屋の扉をドンドンと叩く音と、相変わらず元気な声。


『あら、あなたたち』
『アッサム様~』
『スパに行くの?』
『一緒に行きましょう、アッサム様』
 ペコがやたら誘っている声。きっと腕を捕まえて可愛い目で見上げているのだろう。アッサムがそれを断り切れるかどうか。

『……スパに行きたいの?』
『もう、準備バッチリ持ってきていますわ!』
『用意周到ね』
『いい匂いの石鹸を買ったので、アッサム様のお背中は私が』
『いえ、そう言うのはいいわ、ルクリリ』
『え?じゃぁ、私の背中をアッサム様が?』
『ルクリリ、そう言うのはいいです』
『だからボケなんですわ』



 聞き耳を立てていると、バスルームからお湯張りが終了する電子音が響いた。
 何だか、本当に嫌な予感がする。



『仕方がないわね』



「よくないわよ、アッサム」

 アッサムの、仕方がないと言うセリフは聞き飽きた。その割に、ダージリンがキスしたいと何度言っても、そのセリフを言ってはくれないのだ。ちょっと、性格に問題がある気がしてならない。

『じゃぁ、ダージリン様をお誘いしてきて。みんなで行きましょう』
『『『はーい』』』



 バスタブに溜まったお湯。ちょっと熱いくらいのお湯。一緒に石鹸で身体を洗って、甘い香りに包まれて、出来れば素肌に触れるくらい傍に寄り添って、バスタブに身体を沈める。

 沈んだのは、ダージリンの想像の世界だ。扉がドンドンと叩かれるのを背に受けながら、栓を抜いて、熱いお湯と夢を流した。1年生たちを断れば、どうしてどうしてと食って掛かるはずだ。アッサムのはちみつを掛けたような甘さが、あの子たちをあんな風に育てたのだ。



『ダージリン様~~!スパに行きましょう!!』



「…………にぎやかね、本当に」


 ドアを開けたら、ピョンピョン飛び跳ねているローズヒップの頭。その後ろに身支度を終えたアッサムが眉をハの字にしている。本当はその身支度の鞄を持って、ダージリンの部屋に来てくれるはずだったのだ。



「アッサム。甘いにも程があってよ」
「………そうですね。あの、また後日にしましょう」
「当然だわ。明日、絶対よ」
「はい。あの、私だって、その、それなりに……ちょっとは残念には思っています」

 先を急ぐ1年生たちの背中。1人1つ、いろんな香りの石鹸を持っているに違いない。楽しそうな様子を見て嫌だと言い切れるほど、アッサムは強くないに決まっているし、だからダージリンの部屋じゃなく、最初にアッサムの部屋を訪れたのだろう。ズルさの知能は高い子たちだ。

「ルクリリの背中を流したら、本気で怒るわよ」
「でしたら、ダージリンがあの子の背中を流してあげてください」
「あら、あなたはそれを平気で見ていられるの?」
「むしろ、ルクリリが嫌がるでしょうから」
「あら、喜び涙を流すわ」
「……そうでしょうか」

 スパの後、ソワソワしながら、アッサムを待っていた部屋に戻る侘しさを考えると、もう今から頭が痛い。きっと、換気扇の音が耳に触って苛立ってしまうだろう。


「帰りに、あなたの部屋に行ってもいい?」
「はい」
「今日は、まだ一度も頬にキスをしていないのよ」
「わかっています」
「あら、ちゃんとわかっているのね」
「えぇ」



 それでも、1年生に甘いアッサムは、ダージリンと2人でお風呂に入るチャンスを自ら放棄してしまう。


 ………私と1年生、どっちが大事なのかしら

 なんて言う言葉、一度は使ってみたいものね。そう思いながらも、アッサムの答えなんてわかり切っている。だから、こうして1年生たちを甘やかせているのだ。


「あなたたち、今日は1日ダージリン様の言うことを聞いて、良い子にしていた?」
「もちろんですわ。もう、全然面白くもない仮面を、じっと眺めましたわ」
「ランチ、美味しかったです」
「ルクリリが、凄く高いお店を予約して……」
「そう。楽しい1日だったのね」

 3人席の真ん中に座ったペコの頭を撫でて、運転席に座るローズヒップの頭も撫でる。

 本当に、この甘々で甘ったるい蜜の少しでもいいから、ダージリンに分けてくれたらいいのに。


 
 ダージリンは、目の前の助手席に座っている、ルクリリの頭を撫でまわした。


「今日は、とても楽しかったわねぇ、ルクリリ」
「怖い、怖い!怖いです、ダージリン様」
「あら、可愛がっているだけよ」
「嘘!凄く嘘くさいです!アッサム様、助けて!」
「大丈夫よ、ダージリン様はあなたのことを可愛がってるわ」
「違う意味の、可愛がりですよ!」


 このままだと、黒森峰に勝ったところで、本当にキスをさせてもらえるかどうか。
 取りあえず、今ある苛立ちは、ルクリリを可愛がって収めることにしよう。





甘い誘い ③

ルクリリに案内された1人10,000円のランチの後、ローズヒップが選んだパンケーキ専門店と、もうお腹一杯に満たされて、出来れば学生艦に戻りたいと言う気持ちはあったけれど、ペコが行きたいと言う場所に連れて行ってあげていないことに気づいた。
「ペコ、あなたはどこか行きたいところはあって?」
「えっと、あの、手作り石鹸のお店に」
「石鹸?」
「確か、この辺りにお店があったと思います。凄くいい匂いで、お肌にも優しいっていう」
 鞄からフロアガイドを取り出したペコは、携帯電話にメモを残していたお店の名前を探すように指を動かしている。きっと、最初から行くつもりでいたのだろう。
「そうなの。では、行きましょうか」
「え?いいんですか?」
「もちろんよ」
 素直に喜びを表現して、晴れやかな笑顔になるものだから。本当に愛らしくてついつい頭を撫でてしまう。この素直さと従順さは聖グロの宝だろう。ルクリリとローズヒップも素直ではあるが、何かこう、違うのだ。

「役得だよなぁ、ペコは」
「胡散臭い演技ですわ」

 ちゃっかり高いランチを予約していたルクリリと、お茶と言っているのにパンケーキのお店に引っ張り込んだローズヒップは、頬を膨らませている。ちゃっかり具合で言えば、3人とも甲乙つけがたいが、愛らしさで言えば、ペコにはかなわないだろう。そう言う贔屓目を持ってあげないと、この2人とセットにされているペコの不運も報われないのだから。


「あら、ルクリリも愛らしくニコニコしていれば、頭を撫でて差し上げるわよ」
「……いや、怖いので遠慮します」
「そう?残念だわ」
 ちらりとローズヒップに目を向けると、ペコとは違った満面の笑み。
「どうぞですわ!」
「何も言っていないわよ、ローズヒップ」
 ごめんなさい、と言ったポーズで頭を下げてくれるけれど、その頭を“馬鹿”と言ってルクリリが素晴らしく軽快な音を出して叩いた。


「あら、本当だわ。とてもいい匂い」
「思った以上にいい匂いですね」
 華やかな香りに包まれた店内には、キャンディたち2年生の姿があった。やはり噂になっていたらしく、買いに来たそうだ。アッサムはいろんな種類の石鹸のサンプルを手に取りながら、気分はもうすっかりバスタブに浸かっているようになっていた。お店の中央に実際にどんな匂いがするのか、体験できる場所があり、みんなで輪になって腕まで石鹸を付けてみた。それぞれの手を鼻に近づけて、みんなでいい匂いと何度も何度もいいあう。あの色の石鹸も、この色の石鹸も。次々に手に取って、聖グロの生徒たちがレジにずらりと列を作っていく。みんな、きっと明日は報告会になるはずだ。すべすべになった腕を摩り合ったりするのだろう。

「アッサム様、結構沢山買いましたね」
「えぇ、お土産に」
「ほぅ、なるほど」
「整備科のチャーチル担当の子たちによ?」
「誰に、なんて聞いていませんけど……」

 チャーチル担当の子よりも多い個数を紙袋に入れてもらいながら、グリーンのニヤニヤしているであろう顔に背を向けたまま。別に、ダージリンに買ってあげるのは、何の問題もないわけで、部屋は隣だし、同じチャーチルだし。

「………私、服を見て回ってくるわ」
「では、駐車場で集合と言うことにしましょう」

 1つ90グラム程の石鹸は10個を超えていて、いろんな匂いを確認して、結局どれも気に入ってしまい、1つに選べなかった。チャーチル担当の子たちに配ることも本当のことだけど、5つほどは自分のものだ。アッサムは重たい紙袋を手にしたまま、逃げるようにシナモンたちと離れた。

「あら、とってもいい匂いね」
「本当ですね。あ、これもいい匂いです」
 連れていかれた手作り石鹸のお店は、若い女の子たちでにぎわっていた。ペコは一つ一つを手に取って、ダージリンに向けてくる。あれもこれもどれも、みんな柔らかく鼻をくすぐって、香水とは違う心地のいい匂いだ。お店の中央では、ローズヒップとルクリリが手を洗っていた。
「何をしているの?」
「ダージリン様、この石鹸もいい匂いです」
「あら、実際に使えるのね」
 モコモコとした泡がダージリンの両手を包むように襲って来た。くすぐるように胸に届くいい匂い。この石鹸と同じものをアッサムに買って帰らないと。
「石鹸、楽しいですわ」
「どれほど洗っても、ローズヒップはローズヒップのままだなぁ。上品な香りを身にまとっても、中身がなぁ」
「ルクリリに言われたくありませんわ」
「安心なさい、50歩100歩よ」
 ペコが気を利かせてハンカチを渡してくれたので、それを受け取って、好きなものを買ってあげると伝えた。キラキラした瞳が見上げてきて、すでに目を付けていたらしいものがダージリンの前に差し出される。それを受け取り、ダージリンもまた、アッサムへのものと、自分のもの、別のものを追加してレジに向かう。

「50歩と100歩なら、2倍の差ですわ!」
「私が100歩と言うことじゃない?」
「何ですの?昨日、始末書の刑を食らったくせに」
「ローズヒップもだろう」
 
 いつまで、手を洗っているつもりなのかしら。張り合いながらおでこをこすり合わせるものだから、仲がいいにも程がある。幸い聖グロの制服を着てもいないのだ、少し放っておけばいい。止めるつもりはないし、止めるべき突っ込み役のペコはもう、2人をいないものとしているようだ。

「ペコ、とてもいいお買い物だったわ。あなたはもう満足できた?」
「はい」
「よろしいわ。このお馬鹿たちは放置しておきましょう。行くわよ」
「はい」

 3人とも、一応は目的を達成したみたいなので、お守りもこの辺でいいだろう。アッサム程のサービス過剰はする必要もない。アッサムへのお土産を手に、ペコと一足先にお店を後にした。



甘い誘い ②

「………あれで15歳以上って、ローズヒップたちでも観てもいいということでしょう?」
「想像したくないですが、観てもいい年齢ではありますね」
「信じられないわ」
「アッサム様、食い入るように観ていたじゃないですか」
 手で目を覆うことなく、ラブシーンもしっかり観たのはアッサムだけではないはずだ。グリーンに突っ込まれても何も言い返さず、観た後に買ったパンフレットを鞄に仕舞った。後で部屋に戻ってゆっくり読み返すことにしよう。
エンディングが終わってから、感動の涙で1分ほど動けなかったが、感動もしたが、ドキドキもしたし、ハラハラもしたし、これは観ても大丈夫なのかしら、なんて自問したりもした。とにかく、人生の中であそこまで濃厚なラブシーンを見たのは初めてだった。

「ランチ、どこに行きます?」
 シナモンとグリーン、3人で縦に並んでエスカレーターに乗ると、下りながら、いろんなお店がランチタイムの客引きをし始めているのが見えた。いろんな意味でいっぱいいっぱいだったから、お腹が空いている自覚はなかったが、もうそう言う時間だ。
「トリオたちが行動している範囲外がいいわね」
 携帯でダージリンのGPSを追いかけると、同じ建物の中にいるようだった。となれば、そこそこ高いお店を選んでくるだろう。ダージリンにおごらせるつもりのルクリリならば、コースものがあるお店を選ぶに違いない。アッサムはカフェを選んで、ランチセットでも食べようと提案し、レストランフロアから抜ける道を選んだ。あの子たちはちゃんと、ダージリンの世話をしているだろうか。


「あなたたち、買って欲しい仮面はあって?」
「………いや、ありませんけれど」
「変身できない仮面なんて、飾っても埃がたまるだけですわ」
「ローズヒップは、この羽が付いた派手な仮面を付けて、何と戦いたいんだ?」
 一通り、ヴェニスの仮面の展示を眺めた後、いかにも観光客向けっぽい仮面の売り場で3人に確認し、残念ながら拒絶をされてしまった。冗談でもいいから、買って顔に付けて歩いてくれたら、どこの生徒だろうかと話題になっただろうに。アッサムにお土産と買って帰っても、とても冷たい眼差しを浴びせられるのが目に見えてわかる。
「さてと、ランチでも行きましょうか?私に付き合わせたので、次はあなたたちのお好きなところに行くわ」
「本当ですか?じゃぁ、めっちゃ高いお店行きましょう」
 本当につまらなさそうに、それでもダージリンの傍でまるで隊列を組むように3人は付いて回って来ていた。勝手にどこかに行ってくれてもよかったけれど、おそらくそうすると美味しいランチを逃すかもしれない、とでも考えていたのだろう。じっと耐えるのは戦車道の訓練で馴れているのだ。どちらかと言えば、仮面ではなくダージリンに注目していたようだし。
「よろしいわ。好きなだけ食べなさい」
「流石です。もう、ばっちり予約済みです!」
 車の中でコソコソと携帯をいじっていたのは、お店の予約だったのだろう。アッサムがそう言うことをよくやっているのを見たことがある。急に足取りが軽くなったルクリリに案内され、エスカレーターを昇った。


 大きなショッピングモールのショップの並ぶ対面の向こう側。アッサムが見えたのは見間違いかしら。



カフェでランチを取った後、2時間くらいそのお店でずっと座っておしゃべりをしていた。ネタはもっぱら、1年生たちとダージリンのこと。そして、来年、聖グロはどんな風になるのだろうという想像。映画を観た後だと言うのに、映画についての感想を避けたのは、多分、何を言えばいいのかわからないからだろう。映画好きで、邦画洋画を問わずにいろんなジャンルの映画を観るグリーンなら、あの程度のラブシーンはきつくないのかも知れないが、感動したはずなのに、印象に残っているのは、ラブシーンばかりなので、何を語り合えばいいのか、言葉が浮かばない。特に、一緒に泡にまみれたバスタブで愛を語り合う所は良かった。

 何というか、羨ましいなと思ってしまった。

「アッサム様?」
「………え?何?」
「どうしました?ぼんやりして」
「していた?」
「していました。ダージリン様のことを考えているような顔でした」

 グリーンのこれは冗談なのだろうけれど、それに反応してしまってムッとすると図星と言うことになってしまう。でももう、ムッとした後。

「ちょっと、グリーン。思っても声に出さないで」
「シナモンはどこにいても、誰といても気を使うわね。ご苦労様」
 シナモンは苦言を呈しながらも目は笑っている。2人揃って弄ってくるなんて酷い。氷の入った水を飲んで誤魔化すものなら、ほらねって言われるのはわかる。だから、きつくグリーンを睨み付けた。

「グリーン」
「………はい、笑っていません」
「そう?」
「はい」
「じゃぁいいわ」

 自分のティポッドが空になってしまったので、残っているシナモンのものを分けてもらい、のどを潤した。ジワリと広がったのはダージリンの香り。

「………歴代、隊長より副隊長の方が怖いというのは、聖グロの伝統ですよね」
「どちらかと言えば、歴代の隊長が変わりものばかりなのよ」
「それは確かに」

 グリーンの呟きに、すぐさま反応したアッサムは、唇を尖らせる彼女に向けてニッコリと微笑む。シナモンはいつも通りに、まぁまぁと笑いながらせっかくだから買い物に行こうと、フロアガイドを広げて空気を適当にかき混ぜた。

「そう言えば、この建物の中に、手作り石鹸のお店がありませんでしたっけ?」
「あぁ、バニラたちが話していたお店ね」

 アッサムの手に収まらずにグリーンが奪ったフロアガイド。何か、行きたいお店があるらしく、目が左右を往復している。

「手作り石鹸?」

「えぇ。凄くいい匂いがして、お肌もすべすべになるらしいですよ。バニラがお姉さまから貰ったものだそうですが、おススメだって話してくれて。そのお店が東京に1店舗と、横浜にもできたそうです。記憶では、このショッピングモールだったと思います」
 グリーンはその石鹸でお肌をすべすべにして、どうしたいのだろうか。そんな疑問が湧いたけれど、それを聞いたら、質問に質問で返してきてアッサムがムッとするという事態を呼ぶ気がしたので、黙っておいた。シナモンもわりと乗り気な様子なので、興味があるのだろう。いい匂いと言うのがどういうものなのか、アッサムも気になる。

 と言うか、石鹸と言われると、どうしてもさっきの映画の……一緒にお風呂に入るあたりのシーンを思い出してしまうのは、アッサムだけだろうか。きっと、変な意識をし過ぎているのだ。

 そう言えば、あんな風にお風呂に2人で入ったことはない。
 そもそも、キスだって許していない。


「アッサム様、行ってみます?」
「そ、そうね。バニラがおススメというのなら」

 飲み干してしまったダージリンティ。一口残しておけばよかったけれど、空のカップを傾けてしまったのだ。飲んでいるフリをして喉を鳴らして見せておいた。


甘い誘い ①

「………はめられたわね」

 
 絨毯敷きの廊下を複数の人が近づいてくる。

 ドタドタ。
 バタバタ。

 その、とても不快で鈍い音がダージリンの部屋の前で止まった。


『ダージリン様』
『ダージリン様~~!!あっそびっましょ~!』
『いざ、出発ですわ!!!』


 横浜港には定刻通り入港することができ、関係学部より、すべて異常なしという報告を受けてから30分。アッサムを誘って横浜に出ようかしら、と思っていたのだけれど、あっさりと振られてしまった。今日は、シナモンとグリーンと3人で出掛ける約束をしているとか。それに合流をさせてくれてもいいのに、2人が気をつかってしまうから来ないでと言われ、頷くしかなかった。

代わりに、楽しい相手をよこしますって言われた時に、すぐに気づけばよかったのだ。


“暴走シスターズだけは、ごめん”と。


「ごきげんよう、暴走シスターズさん」


 致し方ない。横浜に降りる時は、後輩の面倒をアッサム1人に押し付けていることも多く、たまには同級生たちとのんびり過ごしたいと言うことなのだろう。後輩が傍にいると、何かといろんなことに注意を払い、気が休まらないのは確かだ。別行動をすればするで、何かしでかさないだろうか、という心配を抱かなければならない。そう言うことの全てを、たまにはダージリンがやれと。

「豪快シスターズですわ、ダージリン様」
「あの………そもそも、そういう名前を付けていることが嫌なんですけれど」
「諦めろ、ペコ。お笑いトリオとか、3馬鹿トリオとか、始末書シスターズとか、いろんな学部で勝手に呼ばれているんだから。自分たちで言うしかもう、道はない」
「いや……どうして私がその中に入っているんです?」
「それはまぁ、突っ込み役は必要だからじゃないの?」

 腕を組んだルクリリは、自分がボケだと思っているのだろうが、ふんぞり返って言うべきセリフかどうか、判断ができていないようだ。ボケ役としては適任である。


「それで、みなさんはここに何しに来られたのかしら?」

 ペコが頬を膨らませているのを見ても、何も笑えるところがない。可愛そうに、と思いながら、この2人への突っ込みをお願いする、と言う結論は変わらないのだ。


「ダージリン様。横浜に出ましょう!」
「そうですわ。それで、美味しいランチを食べて、ショッピングを楽しみますわ!」
「当然、ランチはごちそうしてくださいますよね?」

 キラキラ真っ直ぐ、眩しくて、出来ることなら遮ってしまいたい。
 それができないと知られてしまっているのが、ちょっと残念。

「…………アッサムは、いつもあなたたちにランチを奢っていたの?」
「「はいっ!」」
「あら、そう」
「2人とも………アッサム様から、ダージリン様には秘密って言われていませんでした?」


 甘やかせるなといつも言っている。それでもダージリンの目が届かない間は、甘々に甘ったるい蜜をじゃぶじゃぶかけているようだ。その優しさや甘さの半分でもいいから、ダージリンにもわけてもらいたい。


「いいわ、聞かなかったことにしておくわ。では、ランチをごちそうしてさしあげる代わりに、今日1日、私を楽しませなさい」


 …
 ……
 ………
 …………


「………だから、アッサム様の方がいいって言ったのに」
「ルクリリが、もっともっと前から約束を取りつけないからですわ」
「いまさら言うな!」


 目の前で文句を言うとは、なかなかの態度。そう言う度胸があると言うのは、評価するべきところだろう。聖グロではまれに見る変わった逸材ではあるが、この2人をリストアップしたのはアッサムだ。あの子も目を付けた以上、自分が世話を焼かなければならないと言うことは、十分にわかっている。いつもため息ばかりだ。


「で、どうするの?私を楽しませるのなら、横浜に行ってさしあげるわ」


「絶対、ランチごちそうしてくださいよ!」
「もちろん」
「3時のお茶もでございますでしょうか?」
「えぇ、当然よ」
「………私は、何事もなく平穏がいいです」
「それは、ペコにかかっているわね」


 高いお店を選ぼう、なんてローズヒップと、肩を組み歩き出す可愛らしいお馬鹿さん。
 ダージリンは財布と携帯を鞄に入れて、ペコの頭を撫で前の二人を追いかけた。


「ダージリン様にあのトリオを押し付けたんですか?」
「あの人1人でトリオの相手をすることも、あんまりなかったでしょうから。振り回されるのも、たまにはいいことだと思って」
 グリーンの運転するMINIは、横浜で一番大きなショッピングモールの駐車場の螺旋をゆっくりと回っていた。屋上に駐車させて、映画を観た後ランチをして、少しだけショッピングをする計画だ。
「どっちが振り回されるか、と言う問題にもなりますね」
 日ごろ、マチルダⅡ部隊でルクリリに振り回されているシナモンではあるけれど、ダージリンともそれなりに付き合いの長い彼女。人を振り回す才能だけで言えば、ダージリンも相当なものだということは、嫌と言うほど知っているはずだ。
「いいのよ、それも込み。ペコがいるんだから、大丈夫でしょう」
 ネットで予約しておいた映画は、ベタベタにべったりラブストーリーだ。18歳以上ではないが、15歳以上の規制がかかる程度には、ラブシーンがあるらしい。観たいが1人で観に行くには何となく恥ずかしい。でも、ダージリンと観に行くのはもっと恥ずかしい。悩んだ結果、映画好きのシナモンとグリーンを道連れにしたというわけ。ポップコーンや飲み物なんて目もくれず、真っ直ぐに劇場のシートに腰を下ろし、カップル席なんかの男女の後頭部を眺めた。




「ダージリン様、ちょっと、どちらに行くつもりです?」
「この、催し会場というところでやっている、ヴェニスの仮面の展示と言うのが素敵だわと思って」
 大きなショッピングモールに入ると、ダージリン様は案内を眺めた後、目をきらりと光らせた。真っ直ぐにエレベーターへと進まれるものだから、みんなでどこをウロウロしようか、って些細なやり取りの楽しみなんて、お嬢様には不要と言うことなのだろう。
「仮面、ですか?」
「面白そうでしょう?」
「……はぁ」
「面白い仮面があれば、買って差し上げるわ」
「いや、要らないです」
 ピンポンと鳴ったエレベーター。優雅なお嬢様は微笑んで乗られたので、ルクリリは慌てて、ローズヒップのセーターを引っ張って乗り込んだ。ペコは最初から、クレームを言うことなんて諦めているのだろう。当たり前のようにダージリン様の隣にいる。
「何ですの、ルクリリ」
「仮面だよ」
「ライダー?」
「………変身して、誰と戦うつもり?」

 子連れのファミリーと、カップルたち。1つ1つの階に止まり、人がドンドン入ってくるから、ダージリン様の前に立ちはだかり、触れさせるものかとガードした。たぶん、無駄なことなんだけど。なんとなく。
「さて、行くわよ」
「はい」
 従順なペコはスタスタとダージリン様についていく。とてもご機嫌よろしく、1つ1つを見て回って歩かれるので、仕方がないなと諦めがついた。何というか、誘ったのはこっちだし、明確に何をするということもなかった。ルクリリ達が行きたいところに連れて行ったあと、嫌味に近い文句を言われるのなら、取りあえず、お好きなようにしていただいた方がいい。
「………まさか、アッサム様は押し付けた?」
「まぁ、私は何となくそう思っていましたけれど」
「なんで言わないんだ、ペコ」
「2人とも、ダージリン様と遊べるって嬉しそうだったので」
 とはいっても、横浜に降りる時はダージリン様に付き添うことも多いペコなのだ。要領はえているのだろう。

 言われるがままに動いた方がいい、と。


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