【緋彩の瞳】

緋彩の瞳

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これにて、任務終了 END

午後の訓練は、1年生がいないので比較的穏やかに、そしてスムーズに行われた。アッサム様が戻られているだろう時間でも、無線から聞こえてくるダージリン様の声の様子に変化はない。大真面目に取り組んだ訓練が終わったのが17時。
 30分後に行われる報告会。ミーティングルームには資料を整えて、アッサム様たちが待っておられるはずだ。草むしりを終えて泥だらけの1年生たちが大急ぎでシャワーを浴びている間、戦車に乗らなかったダージリン様が一足先にミーティングルームへと向かわれる背中を見送った。誰も見ていないと思っておられるのだろう、盛大に靴音を立てて走っている。


「シナモン、お疲れ様」
「お疲れ様です、アッサム様」




 報告会が終わると、アッサム様が肩を叩いてきた。その背中には、べったりくっついて離れないローズヒップ。髪に顔を埋めたまま、離れる気配もなさそうだ。


「“全員”、良い子にしてくれていたかしら?」
「えぇ、まぁ。今年は割と良い子でしたよ」


 全員というか、アッサム様のそれは明らかに1人だけを指していて、シナモンはチラリとすぐ傍にいる一番の問題児へと視線を流した。

「そう。あなたがいてくれて助かるわ、シナモン」
「面白いから、放っておいて、見物しておきたい気持ちもあるんですけれど」
「冗談じゃなくて、学生艦が動かなくなるわ」
「そうでしょうね、本当に」


 クスクス2人で笑い合っていると、それが気に食わないと顔に張り付けたダージリン様が、近づいてこられた。

「ローズヒップ、いつまでも背中にくっついていないで、夕食に行きなさい」
「アッサム様と行きますわ!」

 脚まで絡ませて身体にまとわりついたローズヒップを、シナモンはまぁまぁ、と言いながら引き剥がしてあげる。たぶん、ローズヒップだけが気に食わないわけじゃない。カッコつきでシナモンも邪魔と言いたいのだろう。その空気は目で見るより明らか。


「ローズヒップ。草むしりをちゃんとこなしたご褒美に、私が美味しいハンバーガーを奢ってあげるわ。アッサム様はお疲れなんだから、今日はもう、解放してあげなさい」
「マジですの?!ノエルのハンバーガーですの?!」

 この子は、アッサム様よりハンバーガーらしい。ぱっと身体から離れたら、今度はシナモンに向かって両手を広げてきた。お腹が空いていることを満たす方が大事なのだろう。


「1年生たちをお願いね、シナモン」
「承知しました、ダージリン様」
「本当、面倒かけて悪いわね、シナモン」
「慣れていますよ、アッサム様」


 ローズヒップに乱された髪を、ダージリン様が丁寧に指で梳いていらっしゃる。このまま、お2人はそっと姿を消して、どこかにお食事に出かけるのだろう。仲睦まじく、久しぶりに2人が見つめ合い微笑む姿を見ると、やっとホッとため息を吐くことができる。

 ホッとしてしまうのだ。
 いつの間にか、そうなってしまっている自分がおかしいのかも知れない。

「お疲れ様、シナモン」
「グリーン。そっちはどうだった?」
「普通よ。アッサム様はダージリン様のために、ほとんど寝ずに情報収集をされていたわ」
「………相変わらずよね、あの2人」
 靴音を揃えてミーティングルームを出ていかれると、にぎやかなだけの1年生たちが、バタバタと片づけを始める。アッサム様が戻って来られただけで、みんな本当に嬉しそうだ。
「えぇ、本当に。1年生のお守り、手伝いましょうか?」
「あなたもノエルのハンバーガーを食べたいのでしょう?」

 お互いを労いながら、それでもまだあと数時間は、疲れる後輩たちを相手にしなければならないけれど、それなりに聞き分けのいい子たちが束になったくらいでは、ダージリン様には敵わない。


「試合に勝ちたいけれど、勝ち進めば、アッサム様の偵察日数がドンドン増えるから、困ったものだわ」
「まぁまぁ、シナモン。あなたが命綱なんだから」

 ダージリン様の命綱はアッサム様。



 だけど、1年のうち何日間かは、シナモンがこの聖グロ学生艦の運命を握ることがある。
 そのことを知っているのは、3年生たちだけだ。

 

これにて、任務終了 ①

「アッサ…………シナモン」
「何でしょうか、ダージリン様」


 あぁ、相変わらず。



 もう、何度も経験しているから、慣れたものだと身体は認識しているはずなのに、その様子を見た瞬間に、シナモンはため息を吐かずにいられない。

 アッサム様が、情報処理部のメンバーと共に学生艦を離れてから、2日目の午後。

「えっと、今日の射撃訓練の編成って、4部隊だったかしら?」
「午前中にもミーティングでお話した通り、2部隊です。ダージリン様がチーム分けをされたと、記憶していますが」
「………そうだったかしら?」

 1年生の時はソワソワしてイライラして、落ち着きがなくて、まるで、初めて幼稚園に預けられた3歳児の様だった。洗濯機も1人で使えないし、アールグレイお姉さまに言われた資料も揃えられないし、食事も喉を通らないし。今までどうやって生活していたのか、不思議な程のダメっぷりを発揮されて、バニラ様に玩具にされていた。オレンジペコ様と共に偵察から戻って来られたアッサム様は、憔悴しきったダージリン様にかなり呆れていらした。その時、まぁまぁと宥めたのはシナモンだ。


ダージリン様は、嵩森穂菜美は、中学時代は東日本のエースで、誰もが憧れ、誰もが目指した気高い人。今だって、多くの人の憧れを一進に受けている。
同じ中学だったシナモンは、いつも近くで彼女を観てきた。ダージリン様がアッサム様と出会って、蝶々が蜜を求めるようにひらひらと舞って、浮かれて踊るような姿を間近で見ていた。シナモンの知っているお高く留まった嵩森穂菜美は、まるで最初から存在していないかの様に。ご自分のために戦車道を突き進んでいるような人だったけれど、すっかり、アッサム様に魅了されて、傍にいるために戦車道をしていると、冗談じゃなくそんな風に見える。

 彼女たちは、クラスメイト達の目があろうとなかろうと、お構いなしの恋をしている。瞳が恋しいと鳴き、当たり前のように吸い付くように手を繋いで歩く姿は、1年生の頃、何度か見たことがある。もう、いちいち「付き合っているの?」なんてくだらない質問をする必要もないくらい。ただ、周りはいろんな想いの混じったため息を吐くだけだった。

 あの頃に比べたら、流石に3年生として重い責任を背負う立場になったわけだから、ずいぶんと落ち着きを持つようになったものだけれど、それでも、アッサム様が傍にいないダージリン様は、なかなか、巧く機能してくださらない。
旅立つ前日の夜、アッサム様から、ダージリン様をよろしくと頼まれて、クラスの皆もしっかりとサポートしていく約束を交わした。1,2年生たちに不安を与えないように、アッサム様がいなくても、きちんと計画した訓練をこなすようにするのが、シナモンに与えられた使命。


「計画書がここに。今一度、ご確認を」
「あぁ、そうね。そうだったわね。えっと、……そう。そうよね」

 パラパラと計画書を見直しておられるが、作る指示をされたのもダージリン様。とても頭のいいお方だから、一度見聞きしたことを忘れるなどありえない。ただし、例外として、アッサム様がお傍にいないと、残念なことにダージリン様はこうなってしまう。

「では、私はマチルダⅡ部隊に戻ります。ペコと司令塔に上がって、指示をお願いいたします」
「そうね、アッサムがいないものね」
「そうですよ。しっかりなさってください。くれぐれも後輩に不安を与えぬよう」

 ムッとされ睨みつけられても、アッサム様が傍にいないダージリン様は、ただのクラスメイトとそう変わらない。シナモンは中学の頃から、6年近く同じチームで戦車道を続けていたのだ。尊敬しているが、雲の上の人ではない。今は後輩の手前、ダージリン様とお呼びする立場でも、穂菜美ちゃんって呼んでいた頃だってある。

「えぇ、わかっていますわよ。アッサムがいないから、私はチャーチルに乗れないのでしょう?」
「ダージリン様が乗りたくないとおっしゃるから、チャーチルが動かせないんです」
「誰も砲塔を回す人間がいないのだから、乗る理由もないわ」
「……拗ねている場合ですか?」

 音を立てて隊長椅子から立ち上がったダージリン様は、シナモンに向かって唇を尖らせて見せてくる。取りあえず、なすべきことを思い出してくださったよう。

「きちんと働いてくださらないのなら、アッサム様とグリーン様に告げ口しますからね」

 扉を開けて、出て行こうとする背中。振り返り、ジロリとにらまれても、戦車に乗っていないダージリン様は、特に今のダージリン様はまったく恐怖を感じない。

「大丈夫よ、シナモン。私を誰だと思っているの?」

 だったら、計画書を読み直すことも、ぼんやりも、しないでもらいたい。

「ダージリン様です」

 なんて、口に出すことなく、肩をすくめてみせた。




「シナモン、今日の訓練の各車の撃破率をデータにして見たいわ」
「作成するように、キャンディに指示を出しています。情報処理部から上がってくるまで時間をください」
「アッサムなら5分よ」
「アッサム様でもグリーンでも、キャンディでも、かかる時間は同じです」


 ティータイムは、ルクリリたち1年生に囲まれて、いつもと変わらない様子をしっかりと演じておられた。むしろ、アッサム様がおられないことで、ローズヒップ達の方がソワソワして、ダージリン様に落ち着けと怒られるほど。それを見ていたシナモンたち3年生は、みんな背中を向けて笑うことを我慢している。それでも去年のように、苛立ってお茶会も開かずに隊長室で1人、籠って出てこなくなるということは、もうなさそうだ。にぎやかな1年生に囲まれてしまえば、それどころではないのだろう。


「ダージリン様~、アッサム様はお元気ですか?お手紙来ましたか?」
「ローズヒップ、アッサムは遠い国に行ったわけじゃないのよ。明日帰ってくるのだから」
「でも、捕虜にされてしまっているかもしれませんですわ~」
「そんなことあるわけないでしょう?それよりも、アッサムがいない間にカップをいくつ割るつもりかしら?まったく、たるんでいるわね。たかがアッサムがいないくらいで」


 3年生の誰かが、吹き出さないように口を両手でふさいでいる仕草が視界に入った。いつもはアッサム様が座る席に座らされているシナモンは、笑わないように、そっと自分の膝を抓って耐えて見せる。ここで笑ったら、めんどくさい感じで機嫌を悪くしてしまうだろう。

「早くアッサム様にお会いしたいですわ~。戻って来られたら、いっぱい頭を撫でてもらいますわ」
「ローズヒップは怒られるだろうな、カップ割ったし」
「ルクリリも割りましたわ!」
「ローズヒップが味方撃ちしてきたからだろう?!」
「目の前に飛び出すからですわ!」
「私は指示通りに動いただけ!」
「………2人とも、指示と逆方向でしたけれどね」
 アッサム様がいない間、ダージリン様と共に戦車に乗らないペコは、司令塔から戦車同士で喧嘩をしている仲間を見て、さぞハラハラしたに違いない。
でもお陰様というか。ローズヒップが、誰かさんよりも激しくアッサム様がいないことで慌てふためくものだから、何だかんだと言いながらも、1年生漫才トリオの前では、いつもの通りに背筋を伸ばしておられる。食欲も減退されてはいないようだ。夕食中も、1年生に振り回されて、ローズヒップとルクリリが訓練中にティーカップを割った報告書を読みながら、クドクドお説教しているお姿を見ることができた。アッサム様がお帰りになってから、面白い報告ができそうだ。





 3日目。早朝から始まる行進間射撃の訓練、隊列訓練、紅白戦と続き、さほど悪い動きでもなかったにもかかわらず、1年生にクドクドとお説教をして気を紛らわせているダージリン様の携帯電話が鳴った。

「あら、アッサムだわ」
「アッサム様からですの?!!!!!!」

 おそらく、予定通りの時間に学生艦に戻ると言う報告だろう。携帯電話を耳に押し当てて、いつも以上にくどい説教をされていた頬が、一瞬で緩んだ。

「アッサム様~~~!!!ご無事ですか??!!」
「こら、ローズヒップ!」
「馬鹿!今、怒られている真っ最中なのに!」

 久しぶりといっても、3日振り程度のアッサム様の声に喜んだのも一瞬、隊長机を挟んだ向こう側から携帯電話を取り上げたのはローズヒップだ。バニラもペコもとんでもない行動に出たローズヒップを捕まえようとするけれど、隊長室を走り回っている。


「寂しいっていう態度を出すのは、可愛いものですね」
「…………シナモン、笑っていないで捕まえなさい。大事な報告の電話よ」


 折角、頬が緩んだと言うのにダージリン様は。青筋を立てた笑顔はとても迫力がおありだ。
グリーンがいれば、上手に盗撮をしてくれたに違いない。心の中でシャッターを押して、4人に取り押さえられたローズヒップの頭を叩いて、使い古された携帯電話を取り戻した。

「アッサム様」
『あら、シナモン。ローズヒップが騒がしいのだけれど、大丈夫?』
「はい、大丈夫です。予定通りにお戻りで?」
『えぇ、そうね。15時半までには帰るわ。報告会の準備は私とグリーンで進めておくから』
「わかりました」
『ごめんね、面倒を任せて。ダージリンのお守り、あと少しお願いね』
「お任せを」
『じゃぁね』

 ダージリン様へお渡しするよりも先に、言うべきことは言ったと言う感じでアッサム様は電話を切ってしまわれた。話を聞いて電源を切った後、殺意の篭った視線が隊長机の向こうから矢のごとく飛んできたような、そんな気もしないわけでもない。

「予定通りだそうです」
「………そう。アッサムは、あなたに電話をしてきたわけではないはずだけれど」

 なぜ、替わってくれないのか。1年生たちがいる手前、シナモンに対しての不満を遠まわしというか、ダイレクトに聞いてきても、アッサム様は本当に、ただの報告をしたかっただけなのだろう。ダージリン様のお声が聞きたい、という感じでもなかった。あちらは限られた時間で走り回っていて、恋しいだの寂しいだのと感じているお暇はないはずだ。

「よろしく伝えておくようにと言われて、切られました」
「…………そう」

 恨めしい想いが、ローズヒップとシナモンを何度も往復して、手元に戻ってきた携帯電話の着信履歴を追いかけようかと、葛藤されている様子。


「ズルいですわ、シナモン様!アッサム様のお声、聞けませんでしたわ~!」
「ローズヒップ、あなた、自分が置かれている状況を分かっているの?これ以上、ダージリン様を怒らせると、夏の大会に出場させてもらえなくなるわよ?」
 
 ローズヒップたちを説教している真最中だったことを、すっかり忘れておられるダージリン様。携帯電話を握りしめて、誰を想われているのだか。

「ローズヒップ、バニラ、クランベリー、ペコもルクリリも。午後はずっと、草むしりをしてなさい」


“え~~!!!”

 初夏の日差しが厳しい午後。たまった鬱憤は、1年生たちにグラウンドの草を引っこ抜かせたところで、消えたりしないと言うのに。それでも、何か小さな復讐をせずにはいられなかったのだろう。

おとめごころ

チャーチルに乗る日は、念入りに髪を梳き、一本の後れ毛もないように、丁寧に髪をまとめる。150cmしかない小さな体には、必要以上に大きい三面鏡。目が痛くなるほど見上げて、腕が疲れるほど、何度も何度も髪を梳く。
 国産の高いブラシ。朝のシャワーの後、ブロー用から仕上げ用までいくつもとっかえひっかえ。部屋を出なければ遅刻ギリギリに鳴る携帯のタイマーに驚かされるまで、朝、割と多くの体力と気力を出し尽くして、アッサムは髪をセットする。

 仕上げに、ほんの僅かに香る程度のコロンを毛先に付けた。


「ごきげんよう、ダージリン」
「ごきげんよう、アッサム」


 いつも通りの朝のミーティングが終わり、タンクジャケットに着替える。
 ペコやルフナが先にそれぞれの席に着き、そのあと、アッサムが砲手席に座る。


 髪を手櫛で軽く整え、呼吸をひとつ置く。
 ダージリンが、アッサムの背後にある車長席に腰を下ろした。



「ペコ、美味しい紅茶を淹れてちょうだい」
「はい」

 隊列訓練が順調に始まると、周りのマチルダⅡの動きを確認しながら、ダージリンは落ち着いて紅茶を飲む。アッサムはその穏やかな空気を背中に感じながら、どんな指示がいつ来てもいいように、ティカップを受け取ったりはしない。
 喉が鳴る音に耳を澄ませ、呼吸する胸の上下を背中で感じ、同じ狭い空間にいることを、じっと味わっている。


「あら、アッサム。いい匂い」


 ダージリンは、アッサムの髪を指に絡め、戯れて時間を潰すことがある。訓練中や、試合の途中でも、じっとしていることに飽きた空気が彼女を包みだしたら、目の前の玩具を握りしめるのだ。

「新しく買ったコロンを少し」
「そうなの?」

 握りしめられた髪はきっと、ダージリンの鼻のすぐ傍まで引っ張られている。
 それくらい近づけないと、香りはわからないのだ。
 アッサムは振り返ったりしない。指の狭間を流れる髪。
 朝から、丁寧に丁寧に梳いて、ふわふわと流れやすくしておいた髪。
 触りたいと、思ってもらえるように。


 ダージリンが唯一、触れてくれるアッサムの身体の一部。


「この匂いも好きよ」
「そう、ですか」
「前のものも、とてもいい匂いだったわ」
「前も、いい匂いだとおっしゃっていましたものね」
「えぇ。相変わらず、髪も気持ちがいいわ」


 所定の位置への移動のわずかな間。
 それですら、暇を持て余したら、ダージリンは髪に触れてくる。


 わずかに小指が右の耳に触れて、息が止まったとしても。


 この大きなチャーチルが動き続ける限り、そんな些細なことに気づかれることはないだろう。
 

「アッサムの髪、好きよ」
「何度も聞いておりますわ」
「そうね」


 振り返ったりしない。
 どんな顔でその言葉を口にしているのか、想像もしない。
 軽く引っ張られた髪が、今、ダージリンのどこに触れているのか。


 どこに触れてもいいように、その手に取ってもらえるように。
 また、明日も、丁寧に髪を梳き、ほんの少しのコロンを毛先に付けるのだ。





あなたのままで END

「キャンディ様~~!!」
「リゼ様~~~!!」
「カモミール様~~~!!お腹がぺっこぺこですわ~~!!」




 1年生の3人が、遠くから手を振って走ってきた。確か戦車道の1年生たちは、1フロアを使って迷路を作っていたはずだ。しかも、お化け屋敷と合体している。


「ど~~ん!!」
「……こらっ!!」
 
 ルクリリに体当たりのように抱き付かれて、身体が数センチ浮いた。そのうち骨が折れるのではないかと思うけれど、ローズヒップに抱き付かれて折れそうなアッサム様が、今日までご無事でおられるのだ。こんなことでめげている場合ではない。

「お腹空きました!もう、ずっとお化けを釣り竿で吊るして動かしてばっかり。誰も驚かないし、笑われるし。ペコは迷路の中で迷子になるし」
「なっていませんよ!監修したのは私なんですから」
 キャンディよりも少し背の高いルクリリに、持ち上げられそうになる。隣のリゼはローズヒップを背中に張り付けている。この子たちは誰にでもくっついて、本当に人懐っこい。高校生と言うより、小学生のようにも見えることがある。戦車に乗っているときとは大違いだ。
「後で遊びに行くわ。あなたたちのお弁当、用意してあるわよ」
「やった~~!お弁当~!!お弁当~~~!」
 カモミールが高級な瓶入りのお茶とお弁当を3つ、ペコに手渡した。飛び跳ねて喜ぶルクリリとローズヒップ。同じリズムで、キャンディの身体も跳ね上がった。
「秋桜が咲いている花壇の傍で食べますか?」
 ペコはまるで、宝物のように大切にお弁当を両手で抱きしめてくれている。ほんの些細なことだけど、その姿が愛らしくて、嬉しい。
「お花見ですわ」
「ローズヒップは花よりお弁当だろう?」
「……お弁当を食べてから、秋桜を眺めますわ!腹が減ってはお花見できぬ、ですわ!」
 リゼがローズヒップの頭を軽く叩いても、それでもヘラヘラと笑っている。


 3人並んで仲良く、本当に美味しそうにおにぎりを頬張る姿を眺めながら、よくわからないけれど、キャンディは、“私らしい”という言葉を、とても心地よく噛みしめていた。
 キャンディには、キャンディのなすべきことがあって、たぶん、ちゃんと誇りを持って胸を張ってもいいのだろう。あのOGのお姉さまたちのように、黄色い声援を浴びるカリスマ性もないし、ダージリン様たちのような個性や統率力もない、ルクリリのように人を惹きつける才能もない。

 でも、キャンディが持っていなくても、リゼやカモミールが持っていなくても、それはそれでいい。持っていないことに目を向けて、ため息を吐いても、空から降ってくるものではないのだ。


「あ~美味しかった~~。やっぱり、戦車道にはキャンディ様たちがいないと」
「それは、主に書類作成の手助けが欲しいという意味ね」
「違います。ちょっとは正解ですけれど、キャンディ様たちが支えて、みんなを癒してくださらないと、私たちだけじゃ、聖グロ学生艦は難破船ですよ」
「………胸を張って言わないで、隊長さん」
 重大な書類のミスがあれば、冗談でもなく学生艦は動かない。そのことで誰かの命を落とすなどと言うことはないが、誰かが困り、誰かが怒り、誰かが悲しむのは確かだ。ルクリリ達にその全てを委ねたいなどと、キャンディたち2年生は誰ひとり思っていない。

 2年生たちは、1年生の隊長と副隊長を本気でサポートしていく。その結束力は確かだ。
 本当は、そのことはもっと誇らしく思ってもいいことなのだろう。

「キャンディ様たちの言うことを、しっかり聞くようにって、ダージリン様たちから言われていますもん」

 開き直り、ルクリリはずっと胸を張ったまま。
リゼとカモミールからは、笑い交じりのため息が漏れた。


「じゃぁ、私たちを決勝戦まで導きなさい。その約束を守れるのなら、私たちは全力であなたたちを支えるわ」



 ダージリン様もアッサム様も、ルクリリなら優勝を狙えると信じて隊長にされた。ルクリリなら、決勝の地へ連れて行ってくれる。信じて、2年生たちは支えながら、共に歩むのだ。


「もっちろんでございますわ!!!来年の夏はぶっちぎりで優勝ですわ~~!」
「……ローズヒップ、競争じゃありませんけど」
「私がかっこよくセリフを言おうとしていたのに、邪魔するな~!!」


 言い合いながらも笑う3人は、アッサム様たちが咲かせた秋桜になんて目もくれず。そしてキャンディたちもまた、そんな3人を笑いながら見守っていた。



その数時間後、写真同好会の展示室で、グリーン様とアッサム様が共同で「戦車道、1年間の活動内容」ということで、かなり沢山の写真を発表されていた。1年生が初めて戦車に乗った日の様子や、夏の大会、親善試合の一コマ。3年生たちが満面の笑みでピースサインしているものもあって、仲睦まじい様子がうかがえる。
その中に『ご主人様と忠犬』という10枚ほどの写真があった。何週間か前に隊長室の近くで見かけてしまった、あの犬の恰好がこれだったのか、と正体がわかって腰が砕けた。
 リードを振り回して戯れているご様子のダージリン様と、お手を強要されている様子のルクリリ。四つん這いのローズヒップに、写真を撮られまいとお尻を向けているペコ。何というか、よくまぁ、これだけ綺麗に撮れたものだ。きっとアッサム様とグリーン様は、喜々としてカメラを向けておられたに違いない。
直筆の反省文まで展示されていた。どうやら、アールグレイお姉さまが使っていたティーカップをルクリリが割ったらしい。それは、ノックをせずに勢いよく扉を開けたローズヒップに驚いたから、だそうだ。そんな重大なことは、聞かされていなかった。2年生は誰ひとり、知らないはずだ。まったくもって、初耳のこと。今更、ダージリン様たちにどう謝ればいいのだろう。
リゼとカモミールと3人で頭を抱えていると、憐れみのような慰めの声が、周りから聞こえてくる。戦車道とは無関係の生徒や聖グロの住民たちに、この、愚かな失態をさらすとは、アッサム様たちもやはり、普通を飛び越えた場所に居られるお方だ。


「………心が折れそうよ」
 カモミールはがっくりとうなだれてしまっている。完全に犬にしか見えないローズヒップの写真は可愛いけれど、誰もルクリリたちのしでかしたことを、教えてくれなかったのだ。教えない代わりに彼女たちへの制裁がこの写真の掲載、と言うことなのだろう。2年生はこの件について、ルクリリたちをかばうな、ということだ。
「大丈夫よ、カモミール。心はとても柔らかいから。折れるようなものではないわ」
「握りつぶされるかもしれないけれどね」
 すかさず、リゼが突っ込みを入れる。ゴムのような心臓でもない限り、ルクリリなら片手で握りつぶすかもしれない。



「………この写真を観て、笑えるくらいにならないとね」


 キャンディは、そんな日が1日でも早く来ればいいのに、と思いながら、でもそれは気持ちの持ち方なんだって、強く自分に言い聞かせた。
たぶん、アッサム様は“次の隊長たちは面白い”ということを多くの人に知ってもらうために、この写真を掲載されたのだ。まさか、アールグレイお姉さまたちが突撃されるなんて予想もせずに。


 …
 ……
 ………

 もう、ご覧になられてしまったのだろうか。

「ねぇ、キャンディ。嫌な予感がするのだけれど」
 ぞろぞろと、数えきれない人数の集団が、この展示室に近づいてきている。黄色い声のする集団。その先にきっと、あのお3人が歩いている。そんな予感がしてならない。
「リゼ、カモミール。逃げましょう」
「そうね、展示したアッサム様とグリーン様が悪いわけですし」
 リゼとカモミールと共に、地味で目立たないのが売りの3人は、そっとそっと足音を殺して、OGのお姉さま方が展示室の入り口に入るのを遠目で確認しながら、こっそり出口を目指すのだった。




あなたのままで ③

「みんな!ダージリン様とアッサム様とシナモン様が、メイド服で歩き回っているらしいわよ!」
 文化祭当日。朝5時に起きておにぎり班や、温かいおかずなどを作る班、盛り付け班などにわかれて、ひたすら黙々と作業に取り掛かった。2年生は唯一、決断力には乏しいが団結力はある。たぶん、目立つ生徒がいない分、流れ作業的なことをさせると、すさまじい力を発揮するのだ。
「そう。悪いんだけど、全部の作業が終わらなければ、私たちはここから出られないわ」
 家庭科室に籠っている戦車道2年生。飛び込んできたのは、同じ学年の整備科のクルセイダー担当長だ。カモミールと仲がいい。
「わぁ、おいしそう」
「おいしそう、じゃなくておいしいのよ。何度も試作を繰り返したし、食材だってかなりいいものなのよ。ダージリン様たちのお写真は、情報処理部に頼んであるわ」
 キャンディはテキパキと、お3人のために特別なお弁当を作っている。今は10:30。お弁当第1段の30個を乗せた台車が、販売テントへと向かって行った。
「キャンディたちはいつ、フリータイムになるの?」
「お弁当だから、13時半を過ぎたくらいでお店は閉めようって。整備科の1年がケーキのお店をやるのが14時頃からと聞いているから、入れ替わりのつもりよ」
「そう。3年生たちは、気まぐれにお店を閉めるかもしれないっておっしゃっていたわ。ダージリン様たちも、いつまでメイド服でいてくださるかは」
 みんな、心の中では見たいって思っているだろうけれど、顔に出さずに必死でだし巻き卵をクルクル返している。
「私たちは、私たちの決めたスケジュールで動くわ。ありがとう」
「いえ。何か手伝いが必要なら声を掛けて」
「えぇ」
 クルセイダー担当長はだし巻き卵の切れ端をつまんでいくと、またこの情報を流しに、別の教室へと向かったようだ。きっと、グリーン様に命令されてしまったのだろう。生写真をあげるからって言われたに違いない。



 お弁当の販売が始まると、待っていてくれた他学部の生徒たちが一斉に集まって、1時間もせずに完売した。2回目の11時半もあっという間に消えてしまったようだ。12時半には50個のお弁当を並べるつもりだけど、終了予定時間前には完売できるかもしれない。事前予約を入れられている、整備科や戦車道生徒の数も含めると、かなりの量を作り上げた。


「あらやだ、おいしそう。お弁当ですって!あらやだ、可愛い~!これはタコさん?」
「聖那、お店の前でじっとしていたら、周りの邪魔だから。買うなら買って、後ろの人に譲りなさい。2年生たちの迷惑よ」
「愛菜は食べないの?私、お腹空いたわ」

 12時半を過ぎた頃、交代で店の売り子としてテントに入ると、なんと先代のお姉さまがたが目の前にいらした。列ではなくて輪ができて、耳を切り裂くような悲鳴があちこちから聞こえてくる。みんな許可なくスマホで撮影をしている。ほとんどが戦車道じゃない生徒だけど。
「そうね。アッサムたちがこのお店の前で待っていろと言っていたから、あの子たちも買うのでしょう?いい天気だし、外で食べたいわね」
 お姉さま方は周囲に笑顔で手を振りつつ、アッサム様たちの分を合わせて買いたいと申し出てくださった。確か、前アールグレイお姉さま方は、アッサム様たちととても仲がいいと、グリーン様から聞いたことがある。
「あの、お姉さま方。その、ダージリン様、アッサム様、シナモン様には、通常のものとは違うものをご用意しておりまして……」
「あらやだ、ダージリンたちったらモテモテね」
「あなたと違って、まともに仕事をして好かれていると言うことね」
 特別仕様のものを、オレンジペコお姉さまにお渡ししようとしたけれど、そんな特別なものを代理で受け取るのはよくないから、と、メイド服姿でここに来られる3人を待つとおっしゃられた。その間、周りにいる生徒たちに手を振り、写真撮影に応じておられる。キャンディにはない風格だ。とてもお綺麗で、立ち振る舞いも優雅で。この学生艦を引っ張っておられたのは、誰から見ても納得できるような、そんなお姿。

「きゃ~~~!!アールグレイお姉さまよ!!」

 記憶では、過去に1度くらいしか学生艦に来られていないお3人。誰かが気絶する勢いで悲鳴を上げて、花壇傍を指さした。3年生のお3人のすぐ傍、アールグレイお姉さまのお姿だ。メイド服を着ているお3人よりも、注目を集めていらっしゃる。
「キャンディ、お待たせ」
「私たちは特別なお弁当だと聞いて、とても楽しみにしていたわよ」
「色々、気を使ってもらってありがとう」
 アッサム様もダージリン様も、シナモン様も、OGのお姉さまたちのことを気にせず、真っ直ぐに2年生のお弁当のテントに来てくださり、順調に完売に近づいているキャンディ達を労ってくださった。それにしても、ずいぶんと短いフリフリのスカート。誰の趣味なのだろうか。メイドってこんなに露出するものかしら、と思ったが、わざとそうされたのだろう。売上金は戦車道への寄付金として計上されるのだ。
「お待ちしておりました、お姉さま方」
「キャンディたち2年生は何を作っても美味しいもの。早く食べたいわ」
「そう言ってくださると、光栄です。ダージリン様たちにお喜びいただけるよう、精一杯頑張りました」
 キャンディが朝から一生懸命作ったお弁当。リゼが手縫いした包みに1つ1つ入れて、日ごろの感謝をたっぷり込めた。
「ありがとう。あなたの休憩はまだ?お姉さまたちとレジャーシートを広げようと思っているの。嫌でなければご一緒しなさいな」
「ですが、私はお姉さま方のお邪魔になりますし」
「食べた感想を、作った人にすぐに伝えるべきだわ」
 ダージリン様に腕を取られてしまい、店番がと呟く声も届くことなく、無理やりに引きずり出されてしまった。慌ててエプロンを外して、傍にいたクラスメイトに放り投げる。
「麗奈さま、この子がキャンディ。ルクリリの補佐をさせて、実質的には聖グロはこの子がコントロールします」
「つまり、愛菜みたいな役割ね?」
「そういうことになりますわね。お弁当を一緒に食べる約束をしていたので、この子も連れて行きますわ」

 何の心の準備もなく、OGのお姉さまがたに勝手に宣言されるダージリン様。約束なんて初耳。何か色々聞かされていないことが多くて、キャンディはただ固まるだけだ。
「キャンディ、そんなに怯えなくてもいいわ。お姉さまの不愛想は、誰に対してもそうだから」
 アッサム様は肩を叩いてくださるけれど、何が何だかわからないわけであって、怯えているわけではない。
「何かごめんなさいね、ダージリン様とアッサム様が色々と……」
 シナモン様がとても憐れむような溜息と共に、慰めてくださった。もう、こんなお2人には馴れきっていますと言わんばかりだ。よく、マチルダⅡ車長会議で、お互いに大変ねと慰め合ってきたシナモン様。“色々”が大変だけど、乗り越えなければならないのだ。

 それは1年生だけじゃないらしい。


「あらやだ、包みの豪華さが違いすぎるわ」
「聖那さまたちが来られるなんて、私たちは聞いておりませんでしたわ。突撃なさるんですもの。お弁当があるだけ、マシだと思ってくださいませ」
「相変わらず、アッサムは生意気ね」
「事前に連絡がないからですわ」
 OGのバニラお姉さまを睨み付けるアッサム様に、まぁまぁと空気を和ませようとするシナモン様。大きなレジャーシートを広げて、メイドが3人にOGのお姉さまが3人。
「も……申し訳ございません。その、OGのお姉さま方の分をご用意することができずにいたのは、私のミスです」
「キャンディは悪くないわ。謝るのはおやめなさい」
 ダージリン様には、何でもすぐに謝らないようにと1年生の頃に何度かお叱りを頂いたことがある。その癖を治せと言われて、気を付けるようにしているが、でも、このメンバーの中なのだ。謝るのはキャンディの役割としか思えない。
「聖那のこれは、アッサムに構って欲しいというアピールだから、無視しておいていいわ」
 オレンジペコお姉さまはバニラお姉さまの頭を拳で殴って、みんなでお弁当を広げましょうと、それぞれが包みを開き始めた。キャンディの分はダージリン様が買ってくださった。

「あら、おいしそう」
「本当だわ、おいしそう。しかも戦車よ」
「素敵!キャンディ、流石だわ」

 アッサム様は包みを広げて目を輝かせた後、スマホで撮影をし始めた。ダージリン様もシナモン様もそれぞれ、スマホを取り出している。オレンジペコお姉さまは、ダージリン様がついにスマホなんて、と呟いておられる。このお弁当の写真をロック画面のルクリリと差し替えてくれと、アッサム様にねだるお姿。嘘でもそれくらい喜んでくださるのは嬉しい。いや、ダージリン様はそう言う嘘や気を使うセンスは、あまり持っておられない。

「やっぱり、2年生は何をさせても起用だわ。去年のケーキも美味しかったし、今年のお弁当も美味しいわ」
 戦車の履帯部分は、逆向きにタコさんウインナーを並べておいた。ダージリン様はおいしそうに食べてくださって、おそらくタコと言うことには気づいておられないだろう。
「恐れ入ります」
「本当に、自慢の2年生ね」
「ありがとうございます」
 OGのお姉さま方も、仲間たちが必死になって作ったおかずを口に運んで、じっくりと味わってくださっている。
「いいわね。ダージリンたちには、こんなおいしいお弁当が作れる後輩がいて」
「ご所望でしたら、いつでもお弁当を作って差し上げますわよ」
「あらやだ、ダージリンは愛菜を殺す気だわ」
 そう言えば、ダージリン様のお料理の腕前は、食べると死の淵をさまよう、と、ナモン様から聞いたことがある。分量と言を計らないそうだ。甘い方が美味しいだろうと、ドバドバとお砂糖を入れたり、香りづけのブランデーを勝手にケーキの生地に流し入れてダメにしたり、分離して固まらなかったプリンを、シナモン様に飲ませたり。伝説はいくつかお持ちだ。家庭科で唯一、かなり悪い点数を取ったことがあると言うのは、被害者のシナモン様から聞いた。連帯責任として、アッサム様もシナモン様も、点数を落とされたと。
「大丈夫ですわよ。うちのクラスメイトは、誰も死んでおりませんわ」
 プチトマトを口に入れて、ダージリン様は自信たっぷりに笑っておられるけれど、シナモン様もアッサム様も、無反応でいらっしゃる。死の淵まで連れていかれた痛みは、今も覚えておられるに違いない。


「こんなおいしいものを作れる子たちが、あの1年生を支えてくれるのなら、来年は安泰ね」

 ほとんど言葉を発することなく、美味しいと思っておられるのかもわからない、アールグレイお姉さま。アッサム様に向かって小声でそう言っておられるお言葉が、キャンディの耳に届いた。

「えぇ。キャンディ達は優秀ですもの。今の2年生は全員、本当に私の誇りですわ」
「そうね」
「来年も寄付をたっぷりしてくださいね、お姉さま」
「あなたもする立場よ?」

 どうして美味しいものを作れると、来年が安泰なのですかって。すぐにでも聞きたいと思った。でも、先代の隊長が安泰だとおっしゃるのだから、それはそれで素直に受け止めないと。きっと、キャンディにはわからない“法則”みたいなものがあるのだろう。わからないから、隊長の器じゃないのだ。

 アッサム様が誇りだと思ってくださっている。
 その期待に応えるには、何をするべきなのだろうか。


「キャンディ様!!」




 お姉さま方は少し学内を見学されると言うことで、一礼して別れた。遠くから見守っていたファンの集団がぞろぞろと移動し始める。メイド喫茶に戻る3年生とも別れた後、キャンディは2年生のお弁当のテントへと戻ることにした。
もう、14時前。撤収作業が始まっているリゼたちの姿。どうやらすべて、売り切ったようだ。

「えっと……はい?」
 
店番をしていたリゼとカモミールにお礼を言って、ダージリン様たちがとてもお喜びになり、お弁当箱や包みを気に入って、洗って使うとおっしゃっていたことを報告すると、ホッとしてくれた。スマホで写真を撮っていたことも、OGのお姉さま方が、とてもお優しかったことも伝え、学生艦を降りる前にもう一度会えたら、頭を下げに行こうと言いながら、片づけをしていると、整備科の1年生が声を掛けてきた。

「あの、お弁当、とても美味しかったです!!」

 マチルダⅡの担当をしている子だ。秋から、キャンディのマチルダⅡ担当班の正式なメンバーになった。

「そう。ありがとう、嬉しいわ。2年生みんなで作ったの。クラスに伝えておくわ」
「はい!あの、御礼を伝えておきたくて。いつも、キャンディ様にはルクリリ達がご迷惑をおかけしてばかりですし」

 こういう光景を、何度か見たことがある。
 ダージリン様やアッサム様に勇気を振り絞って声を掛ける、他学部の後輩たちの姿だ。

「えっと……こちらこそ、いつも、ルクリリたちが整備科を困らせてばかりで」
「い、いえっ!あの、と、とにかく、そのっ、お弁当、本当に美味しかったです。本当に」

 勢いよく頭を下げて、逃げるように走って行ってしまうものだから。キャンディはよければ、まだ整備科たちに差し入れでもと言うセリフを言えずに、見送るだけしかできなかった。

「キャンディ、モテモテね」
「………あれは、そう言うものなのかしら?」
「今まで、近くでよく見た風景と同じだと思うわ」
「…………アッサム様たちのような華はないのに?」
 カモミールは笑っているけれど、ただ、ティーネームを持っていると言うだけで、聖グロの中では特別視されることは、普通ではないだろうか。


 ……
 ………


 忘れていたけれど、キャンディはティーネームを授かっているのだった。
 自分に華がなくてすっかり自覚がなかった。


「私たちに華がなくても、花を咲かせるための手入れは得意じゃない?」
「………アッサム様直伝の、偽収支報告書も手慣れたものだし?」
 リゼの問いかけに、キャンディは改めて、テント傍の生徒たちを見渡した。
OGのお姉さま方を追いかけずにいた、知らない顔ぶれの後輩たちが、キャンディたち3人を遠くから眺めている。


 OGのお姉さま方みたいに、いるだけで悲鳴が上がるほどのカリスマ性はない。
 でも、ティーネームを授かっている。
それだけで、聖グロの生徒は特別な視線をくれる。
 期待と憧れを真っ直ぐに。
 裏切ることの許されないもの。


 ダージリン様がその背中で背負い続けたもの。
 これから、ルクリリが背負わなければならないもの。


「…………私たちは、私たちのなすべきことをしないとね」

 私たち“らしく”。


あなたのままで ②



「うーん」

 おにぎりの中の具材、おかずの種類の他、使い捨て容器の材質や、割りばしの種類など、結構決めなければいけないことが出てきた。キャンディはリゼとカモミールとTo doリストを作り、それぞれの担当を決めて、クラスメイトを適当に割り当てた。おかずもキャンディが決めてあげないと、どうしましょう?を100回くらい繰り返して当日を迎える危険がある。
「ダージリン様って昆布なんて食べられるのかしら?」
「そんなの知らないわ」
「アッサム様は梅干しをお食べになるかしら?」
「知らないわよ」
「………ねぇ、あのお2人を基準にメニューを考えると、絶対に決まらないわよ」
 メニュー1つ1つに好き嫌いの確認をしていたら、それこそ何もできないだろう。とにかく、典型的なお弁当と言うようなものを作って、全数売り切るという目標があるのだ。おにぎり、だし巻き卵、からあげ、ほうれん草のお浸し、たこさんウインナー、アスパラガス、プチトマト。そのあたりを入れたものがいい。お弁当の種類も2つくらいに絞っておかないと、作る手間のこともある。
「キャラ弁にする?」
「あぁ、これ?でも、美味しくなさそうよね」
 パラパラとお弁当の本を観ながら、リゼが眉をひそめている。
「というか、うちの生徒で、アニメのキャラを知っている生徒が何人いるの?」
 いつも通りというか、メリハリがあるような、ないような3人の話し合いは夕方まで続き、結局は典型的なメニューということで、すべてが決まった。使い捨て容器を基本にして、上等な割りばしの調達、お手拭きやら、包み紙などの手配。物事が決まったら早いのが2年生の良さ。週末にでも試作を作ろうということで、ようやくクラスが一丸になってくれそうだ。


『キャンディ様、助けてください~!!!』
 舞台などの出し物ではないため、比較的穏やかに、緩やかに文化祭の準備は進められている。週末の試作も上手く行ったし、資材発注もクラスメイトが進めてくれている。日常では、慌ただしい感じはせず、いつも通り1年生に振り回される日々。
「なぁに、ルクリリ」
『ピンチです、ピンチ!』
 ルクリリのピンチだという電話は、あの子が次期隊長として仕事をするようになってから、ほとんど毎日掛かって来て、ほとんどが自業自得。と言いながらも、知りませんと電話を切るほどの強さはない。
「今日はどんなピンチ?」
『隊長室に来てください』
「隊長室?書類の不備は全て見たわよ?」
『そんなものじゃないです。もっと、もっと………とにかくピンチです』

 まさか、ダージリン様の私物を壊したとか、ティーセットを壊したとか。
 考えてみたけれど、その程度のピンチはもうピンチでも何でもないような気がする。


「わかったわ。隊長室ね?」

 具体的な内容を電話で言ってこないということは、きっと“行かなければよかった”っていうオチが待っているに違いない。それでも、行ってしまう自分が情けない。仕方がないと呟くのは、誰に対してのいい訳なのだろうか。



「失礼します」
 ダージリン様やアッサム様がおられるかもしれないので、ノックをして丁寧に頭を下げて隊長室に入った。

「あら、キャンディ。来たわね」
「ごきげんよう、ダージリン様」
「待っていたわ。さぁ、お座りなさい」
「………はぁ」

 呼び出したのはルクリリじゃなかったのか。悲壮な声は演技だったと言うことなのだろうか。ダージリン様の満面の笑みに迎えられて、キャンディは身構える余裕もなく、座れと命じられてソファーに腰を下ろした。

「あの、ダージリン様。ルクリリが何かやらかしましたか?」
「ルクリリがとても不愛想なのよ。私の言うことを全然聞かないの」
「それは大変申し訳ございません」
 ルクリリの失態はキャンディの責任になる。ルクリリがティーカップを割るたびに、キャンディも一緒に始末書を出してきた。取りあえず、1年生の誰かが何かをしでかすたびに、ダージリン様たちの元に謝りに行く。だから、すっかり頭を下げることに身体は馴れている。
「あらやだ、どうして頭を下げるの?」
「ルクリリが何をしましたか?」

 今度は一体何をしたのだろう。言うことを全然聞かないって、命令無視でもしたのだろうか。何か重要な仕事を嫌だと駄々をこねたりしたのだろうか。

「キャンディ様!私は何もしていません!悪さをしているのは、ダージリン様です」

 キャンディの分の紅茶を淹れながら、ルクリリが大声を出す。ます、その大きな声を出すことをやめて淑女らしくして欲しいが、ダージリン様が注意をしないのだから、仕方がない。
「キャンディ、私は携帯電話をスマホにしたのよ」
「はぁ………えっ?」
 ダージリン様はルクリリにお怒りと言う様子ではなく、むしろお宝を手に入れたと言った風な顔で、キャンディの目の前に真新しいスマホを見せびらかしてきた。
「さっき、ルクリリからとても便利な機能を教えていただいたのよ」
「えっと………あの、どういう意味でしょうか?」
「ルクリリったら、被写体はもう嫌だってうるさいのよ。だから、誰か被写体を呼べと伝えたのよ」
「ひしゃたい?」
「ダージリン様、スマホのカメラ機能を気に入ってしまわれたんです」
「……………ルクリリ、嵌めたわね?」
 つまり、写真を撮られて嫌になったルクリリは、身代わりとしてキャンディを呼びつけたのだ。しかも確実に隊長室に来る方法で。
「それでは、キャンディ。可愛らしくポーズを取って」
「ま、待ってくださいダージリン様!」
 もうすでに、カシャカシャと音が聞こえているような気がする。心の準備もままならないのに、どうしてダージリン様のスマホで撮影をされなければならないのだろう。
「ルクリリ、あなたって人は」
「だって、1人は嫌じゃないですか」
「いつもの2人は?」
「アッサム様とお外です」
 こんな時に、暴走を止めてくださるアッサム様までいないなんて。
「ほら、キャンディ。もっと笑って」
「あの……もっと可愛いいバニラやクランベリーも呼んだ方が」
「あなたは可愛いわ」
「えっと、その、それは嬉しいお言葉ですわ。でも大勢で楽しく、その」
 キャンディは自分の携帯電話を取り出して、バニラに繋いだ。大至急、クランベリーを連れて隊長室まで来るように、と。
「大勢ね……なるほど。それも悪くないわね。リゼやカモミールたちも呼びましょう。あぁ、グリーンとシナモンもカメラに収めたい気分だわ」
「大至急!」
 ルクリリは合点!とすぐに非常呼集を始めた。電話をしている間も、ダージリン様は満足そうに勝手にキャンディにスマホを向けて撮影をされている。止めて欲しいとはっきり言えばいいけれど、ダージリン様に“笑いなさい”と言われて頬を引きつるのに精いっぱいだった。

「昨日は、悪かったわね」
「いえ。あの、画像は消去していただけました?」
「ほとんど消しておいたわ。ルクリリのドアップをロック画面にしておいたから、しばらくは反省してくれるでしょう」
「そうですか」
 ダージリン様のスマホ事件の次の日の放課後、リゼとカモミールと3人で花壇の様子を見ていたら、傍を通りかかったアッサム様が声を掛けてくださった。そろそろ秋桜が満開になっているから、雑草の手入れついでに近くのベンチでお茶をするつもりだった。アッサム様に自動販売機のココアをごちそうになって、4人で育てた秋桜を眺める。
「来週の文化祭の準備は順調?」
「はい。前日から作り始める予定で、すべて段取りも終わっています」
「そう」
「ダージリン様とアッサム様、シナモン様の分は一応特別仕様のお弁当にしました」
「あら、嬉しいわ」
 せめて、お3人には使い捨てじゃなくて可愛らしいお弁当箱にして、キャラ弁…ならぬ戦車道弁当にしようと言うことで、クラスの意見は一致した。一致したと言うか、キャンディの提案に全員が賛成したのだけれど。材料なども、そのためだけ別枠で準備をする。言い出しっぺのキャンディが作ることになってしまった。お口に合うものができるか、今から不安で胃が痛い。
「この花壇も、無事に受け継いでくれる人がいてよかったわ。キャンディ達なら、私よりもずっと綺麗な花を咲かせてくれるわね」
 アッサム様がアールグレイお姉さまから受け継いだ、花壇の手入れ。整備科や情報処理部のお姉さまたち数人と、キャンディ達で季節の花を育てている。アッサム様は一度も強制してきたことはない。この場所は昔から“誰かが”花を育てている場所なんだとか。だから、そう言うことが好きな人が、好きなようにすればいい。そういう緩い気持ちで十分らしい。とはいえ、キャンディは本気で夏のひまわりを咲かせきったし、秋桜エリアの満開のために、頻繁に世話をしてきた。1年生たちのように、花はキャンディを振り回したりしないのだ。花を相手にしている方が、ずっと向いている気がする。
「ご卒業される頃に、チューリップが綺麗に咲くといいですね」
「そうね。本当に楽しみだわ」

 アッサム様がいなくなってしまえば、今の1年生たちは大丈夫だろうか。さらに新しい子も入って来て、育成をしていかなければならない。花と違って想う通りにはならない子たちばかりだったら、どうすればいいのだろうか。幉を弾いても引いても、引きずられ続けてばかりだと言うのに、本当に大丈夫だろうか。

「どうしたの、キャンディ」
「いえ………アッサム様たちがご卒業されてしまうことが、その、色々と不安です」
 心の奥底から出たため息が、アッサム様の指先に届いてしまわれたようだ。甘ったるいココアの味の残る舌先に、急に後悔が苦味となってやってくる。
「色々、ね。大丈夫よ。あの豪快シスターズは、あれはあれでいいの。失敗させて経験して行けばいいのよ。自由にやらせておいたらいいと思うわ」
 色々の9割くらいが1年生のことだと、言わなくてもわかっていただけることが良いことなのか、悪いことなのか。
「ですが……」
 自由だって、限られた中の自由なのだ。あの子たちは、限られているということを忘れてしまうことが多い。
「あの子たちのあの自由も、あなたたち2年生がいるから出来ることよ。あなたたちがあの子たちを見捨ててしまえば、きっと、機能しなくなってしまう。その、“色々”は本当に大変なことでしょうけれど、その先にある優勝は、あなたたちに微笑むかもしれないわ」
 隊長職も副隊長職もこなせない個性のない2年生たちにできることは、きっと何もない。せいぜい、真面目に書類の不備を確認したり、学校外の仕事を代行したり、フォローに走るくらいしかしてあげることは出来ないのだ。年下の子たちに学生艦を預けると言うことは情けない。でも、だからと言ってその責務を担うほど、この背中は大きくない。

「………優勝、できますか?」
「それは、あなたたちに掛かっているわ。あなたたちが3年生になるのだから、その責任をルクリリだけに押し付ける訳にもいかないでしょう?」
「それも……そうですね」
「OG会に入って、あなたたちをいびるのが楽しみよ」
 アッサム様はキャンディ達の頭を撫でてくださり、紙コップを手に先に寮へ戻ると姿を消した。メイド服が仕上がったから、これから3年生たちで着てみるそうだ。

「私たちのできることを精一杯、頑張らないと」
 クルセイダー部隊をローズヒップに任せながら、幉を持ったまま引きずられているリゼはクルセイダー会への偽収支報告書作成の、首謀者でもある。
「というか、多分、アッサム様はもっと頑張れとおっしゃっているんじゃないかしら」
 マチルダⅡ車長のカモミールは先週の予算委員会で、整備科長と喧嘩になったローズヒップを止めようとして、見事にボロボロになって半泣きになっていた。
「私たちには私たちのやり方があるわ。………とても地味だけど」


 リゼとカモミールと頭を突き合わせてみても、ただ、あの子たちを支えるしかないのだ。本当に、命を削るくらいの覚悟を持って。







あなたのままで ①

「キャンディが決めたらどうかしら?」

 毎年、11月3日に行われる文化祭。戦車道2年生の出し物を決める、というホームルームだった。クラス委員長をしているキャンディは、リゼに言われて心の中で“またか”とため息を吐いた。  

『この学年の戦車道はみんな、おとなしすぎて迫力がない』

1年生の頃から言われ続けているし、自分たちでもそれなりに自覚はある。でも、ダージリン様やアッサム様がおられる3年生と、ローズヒップとルクリリがいる1年生と比べるのもいかがなものか。ただ単に、変わった個性を持っている生徒がいないと言うだけ。

「とはいっても、去年みたいな普通の喫茶店をしても……」

 手先が器用な子も多く、料理やお菓子を作るのが好きだったり、裁縫が得意な子がいたりと、お嬢様学校らしいのが特徴でもあって、去年の出し物はすんなりと手作りケーキを売りにした喫茶店で決まった。

「でも、私たちが舞台を使用して劇をしたところで、誰も見ないわよ」
「それもそうだわ。噂では戦車道3年がまた舞台をするかどうか、話合いをしているみたいだし」

 教室の前列に座っているリゼもカモミールも、前に立っているキャンディの援護をしたいのか攻撃をしたいのか。いつもふんわりした感じで、何となく意見がまとまりにくいクラス。とはいえ3年間を共に過ごす仲間。このクラスは何だかんだと言いながらも、平穏で平凡で取りあえず何でも平均的。3階の1年生たちのように問題だらけじゃないことは、悪いことではない。

「何でも、ダージリン様とアッサム様を主役にしてロミジュリにしようって話だわ」
「アッサム様は嫌がっているみたいだけど」
「ダージリン様、ロミオを演じる気なのかしら」
「あのお方、むしろ結末を書き替えてハッピーエンドにしてしまいそうよね」
「また去年みたいなことになるのかしら……」

 それなら見てみたい、なんてざわざわし始める教室。本当、自分たちのクラスが何一つ決まっていないことに危機感がないようだ。たぶん、キャンディが何とかすると思っているのだろう。実際、そうするしかないのだけれど。

「でも、卒業試合もあるし、そんなことのお稽古に時間を潰すのは無理よね」
「それも確かにそうね。でも、私たちと被ってしまう出し物だったら嫌だわ」

 こうして、リゼとカモミールの視線が再びキャンディに戻ってくる。この雑談の数分の間にすべて決めておいてくれた?と言う期待のようなものが含まれているように思う。


「えっと………じゃぁ、お、お弁当?」

 咄嗟に出て来てしまったのは、何となく戦車道の隊員たちでレジャーシートを広げて、お弁当を食べる姿。いつも、ティーセットを並べている聖グロには絶対なさそうな風景。

「えっ?」
「お弁当?」

 まるで初めて聞いた日本語、というような驚きの目。キャンディは黒板に『お弁当販売』と縦に書き込んだ。白いチョークの粉がわずかに舞って、足元に落ちて行く。

「サンドイッチじゃなくて、日本的なお弁当を作って売りましょう。それならば、どこのクラスとも被らないわ」
「でもそれ、栄養学部に喧嘩を売ることにならない?」
「あそこの学部は、英国流のものを出すのは絶対だから、私たちがお弁当を出しても大丈夫よ」

 時々、白いご飯が恋しくなって外の定食屋さんに食べに行くことがある。リゼもカモミールもそうだけど、何だかんだと言いながら心も体も日本人だから、毎日パン食なんてやっていられないのだ。学食でも、サバの味噌煮定食の日だと食券は売り切れてしまう。

 カモミールは腕を組んで数秒考えた振りをした後、賛成と手を上げた。みんなからも反対の様子は伺えない。反対って言えば代替え案を出さなければならないのだ。それはみんな、無理なのだ。

「では、お弁当のサイズやメニューなどで意見のある人は?」


 みんな、本当に積極性が足りないと言う自覚がないらしい。キャンディは静かな教室を見渡した。リゼとカモミールも後ろを向いて、なぜなのかと言わんばかりの様子。

「………リゼ、カモミール。放課後に打ち合わせをしましょう」
 こんなのだから、次期隊長も副隊長も1年生が引き継ぐ羽目になるのだ。責任転嫁をするわけじゃないけれど、きっとこのクラスを盛り上げられないから、3人ともダメなのだろう。


「キャンディ」
「ごきげんよう、アッサム様」


 いくら、聖グロの図書館は本の種類が多いからと言って、お弁当のおかずなんてレシピ本は置いているわけもなく。在庫検索をしても引っかかりそうになかったので、街の本屋さんに問い合わせをして、散歩がてら買いに行く羽目になった。


「どうしたの?街に用事でも?」
「はい。ちょっと本屋さんまで」
「図書館にないものなのね?」
「はい」

 学校の門を出たところで、後ろからアッサム様に呼び止められた。小走りに近づいてきたアッサム様も、何やらお外に出る用事があるそうだ。自然と並んで歩調を合わせてみる。

「アッサム様のクラス、文化祭の出し物は決まりました?」
「あぁ………揉めているわ」
「ロミジュリっていう噂が出ていますが」
「反対が多くてそれは却下になったわ。もう演技はこりごりよ」
「…………はぁ」

 去年、アッサム様のクラスは『白雪姫』だった。講堂に人が溢れかえり、立ち見も出て、結局、多くの人が観られずにいたはずだ。みんな、ダージリン様が白雪姫を演じると思い込んで、瞳をキラキラさせて早朝から並んでいたそうだが、白雪姫を演じたのはアッサム様で、助けに来る王子様がダージリン様だった。ちなみに、ダージリン様は鏡の中にいる女王と1人2役を演じていらして、シナモン様曰く、配役を決めるのにお2人が大喧嘩になったらしい。あれは観ていて面白かった。鏡の女王の偉そうな態度に、お妃さまを演じていらしたシナモン様が、割と本気で腹を立てていらしたし、白雪姫が可愛いに決まっているでしょ?と、おそらく台本にないアドリブで、かなり勝手にアッサム様を、否、白雪姫をほめたたえておられた。とても目立つ鏡の女王だった。
 ダージリン様やアッサム様の人気も高く、足元にも追いつかないだろうと、しみじみ思ったものだ。


「きっと、今年は喫茶店になるわ。しかもメイド喫茶」
 アッサム様は心底嫌そうなため息をついておられる。割と無難なところを攻めているのに、そんなに嫌なことと言うのは、普通のメイド服ではない、なんて言うことなのだろうか。
「………はぁ。いいと思いますが」
「いいと思うの?メイド喫茶よ?ダージリン様がメイド服を着て、お茶を淹れてくれるなんて、そのサービスを受けている方が気を使うと思わない?」
「確かに、それはそうですね」
 ダージリン様にお茶を淹れられたら、恐縮してしまうし、そんなお姿で傍に居られたら、穏やかなティータイムを過ごすことなどできないに違いない。でも、ダージリン様とアッサム様、シナモン様がおられる戦車道3年生は、どんなものをしようと、取りあえず注目を集めるし悲鳴が響くことに変わりはない。
「あなたのクラスは何をするの?」
「えっと、お弁当の販売をしようかな、と」
「お弁当?」
「はい、あの、おにぎりとかおかずの詰まった、日本らしいお弁当を」
 普通ね、って呟かれるものと思った。無難なチョイスが2年生らしいって思われるに違いないと。
「あら、とてもすてきね。私はそう言うのを食べる機会がほとんどなかったから、絶対に買いに行くわ」
「はい!」
 お嬢様育ちのアッサム様は、お弁当を持ってどこかに行くと言うよりも、行く先々で高そうなレストランに入るのが当たり前だったらしく、小さい頃の遠足などには、お抱えのシェフが作るお重のようなものを持たされて、それがまた、さほど美味しくなかったんだとか。その中におにぎりは入っていなかったそうだ。今更、コンビニに売っているものを買う気持ちにはならないし、自分で作ることもできずに、なんと人生でおにぎりというものを食すことがなかったらしい。
「アッサム様は、人が握ったものをお召しになるのは平気ですか?」
「あなたたちが作るのでしょう?」
「えぇ。ただ、嫌がる人もいるでしょうから、念のため、ちゃんとビニール手袋は使いますが」
「私は大丈夫よ。製作者の顔がわかるものならばね」
「そうですか」
 度は超えない程度には潔癖でいらっしゃるアッサム様。おにぎりなんて無理と言われないのならば、さらに買ってくださるのならば、きっとクラスメイトもやる気を出してくれるだろう。いや、彼女たちだってやる気はある。見えにくいだけで。そのあたりが、いつもダージリン様に小言を言われるのだと、わかっていてもどうしようもできないのだ。クラス委員のキャンディが悪い。
「楽しみね。ダージリン様もきっとお喜びになるわ」
「はい。がんばります」

 お花の種を買いに行くというアッサム様と別れて本を無事に購入すると、帰り道にあるファーストフード店で、1年生トリオが列に並んでいる姿が見えた。お茶の時間にハンバーガーとは。相当大きな胃袋のようだ。


「あ、キャンディ様発見ですわ!!」
「わーい、キャンディ様~~!」
「キャンディ様~~」

 顔を本で隠しつつ、そっと気づかないふりをしようとしたけれど、青い聖グロのセーターがあまりに目立つせいだろう。ローズヒップの大声で思わず足を止めて、しまった!と思ったときにはもう、ルクリリに腕を掴まれていた。


「キャンディ様、お茶しましょうよ!」
「………ルクリリ、悪いけれど私は用事がまだ済んでいなくて」
「え~!お茶しましょうよ!しましょうよ!可愛い後輩とお茶しましょうよ」

 お茶じゃなくて、この店はハンバーガーを売っているお店で、紅茶を注文したらティーバックとお湯が出てくるようなお店なのだ。嫌いではないが、今、1年生たちとハンバーガーを食べると、面倒事が待っている予感しかしないのだ。

「誰かが作った予算の書類、訂正の作業がまだ残っているのよ」
「それは明日の提出ですよ?」
「だから、今からやるのよ。誰かが完璧なものを作っていれば、私も時間を盗まれずに済むのだけれど」
「まったく、ペコのやつ」
「あなたよ、ルクリリ」
 腕を掴まれたまま、ルクリリは無関係を装ってペコに視線を投げかけてやり過ごそうとしているけれど、この子が次期隊長なのだ。ダージリン様もアッサム様も、キャンディが幉を引いて、暴走を止めるようにと言われているが、引っ張っても引きずられているような気がしてならない。
「仕方ないですよ。だって、ダージリン様ったら作り方を1度しか教えてくださらないんですよ?」
「………おかしいわね、私も1度しか教えてもらっていないわね」
「そ、それはキャンディ様の頭がいいからですよ!」

 胸を張ってふんぞり返っている場合ではないのだけれど、今、ファーストフード店の前でクドクド言い聞かせたって、ポテトの匂い漂うこの場所では、ルクリリの耳はまともに機能しないだろう。

「夕食前には見終わるから。取りに来て、明日の朝までには仕上げてちょうだい」
「はぁ~い」

 と言いながらも腕を掴んだままなので、致し方なく2000円を渡した。この子たちは一緒に食べたいのではなく、おごって欲しいのだ。

「わ~い、カンパ金」
「次、あんなひどい書類を持って来たら、お金は返してもらうわよ」
「ペコに言っておきます」
 敬礼ポーズを見せたルクリリからようやく解放された腕。まったくもって反省をしている気配もなく、一番高いハンバーガーにしよう、なんてローズヒップと肩を抱いている。

「キャンディ様、ありがとうございます」
「ごちですわ~~~」


 満面の笑みでブンブンと手を振る漫才トリオに見送られて、ようやく学校に戻ることができそうだ。そう言えば、この手に持っている本は何だろうって、思い出すまでにかなりの時間を要するのだった。


角を持つ天使の笑み END

ポキ。
 ポキ。
 ポキ。


 楽しそうな表情で食べ進める聖那さまと、睨み付けたまま動かないダージリン。
 どうしてこう、挑まれた勝負は全て受けてしまう性格でいらっしゃるんだろう。と思っても、それでこそダージリンなのだ。彼女を責めるのは違うと言うことはわかる。


 ポキ。
 ポキ。
 ポキ。


 まつ毛が触れてしまいそうな距離。もう、唇まで1センチもない。


 ……
 ………
 …………



「聖那、ダメよ」
 ダージリンの身体を引っ張ろうと一歩出るよりも早く、お姉さまが落ち着いた声でストップをかけた。一瞬で動きが止まった聖那さまはまだ、ポッキーを銜えたまま。
「ダージリンの勝ちということで」
 絨毯敷きのフロア、鈍いヒールの音を立てて、お姉さまは2人の間のポッキーを爪でポキっと折ってしまわれた。聖那さまがじっとお姉さまを見上げている。
「…………なぜ、もっと早く止めてくださいませんの?」
 アッサムはこれだからお姉さまはって呟きながら、ダージリンの腕を取って引っ張って立たせた。
「アッサム、怒った?」
 救い出されたダージリンはアッサムの身体を軽く抱き寄せてくる。やっと、ホッとしたため息が聞こえた。
「………いいえ。止めなければ、あのまま、キスするおつもりでしたでしょう?」
「アッサムが止めるだろうとは思っていたわよ」
「そうですか」
「あなたが嫌がることくらい、わかっていてよ」
 わかっていても、挑まれた勝負を受けるのがダージリンと言う人なのだ。本当にキスをしたら、どんな言い訳をされるおつもりだったのだろう。

 
「付き合わせて悪かったわね。2人とも、タクシーで帰りなさい」
 お姉さまは財布から万札を取り出してダージリンに渡した。この後、聖那さまの怒りはちゃんと受け入れるおつもりなのだろう。と言うか、本当、誰が悪いって言う所をちゃんと認識されているのだか。
「あらやだ、ダージリンとキスできるチャンスだったのに」
「お姉さまは、聖那さまの唇がダージリンに触れることが許せなかったんですわ」

 たぶん、本当はアッサムの苛立ちを察したから動いたのだろうけれど。でも、お姉さまだって聖那さまがダージリンとキスするなんて、見たくなかったに違いない。

 そう、思いたい。
 思っていなくても、この場では聖那さまのためにそう言ってあげて欲しい。


「聖那さま、ポッキー、ごちそうさまでした」
 もっとすごいものをごちそうされたはずなのに、ダージリンは満面の笑みで聖那さまにお礼を言っている。チョコの味すらないところを銜えていたとはいえ、あれはあれできっと楽しいとは思っていらしたのだろう。これだから、ダージリンは。

「食べなかったのに?まぁいいわ。また、遊んでね」
「今度は、愛菜さまと、3人で遊びにいらしてください」
「収支報告書をちゃんと見せてくれるのなら」
「考えておきますわ」
 アッサムはダージリンのコートを着せると、ひらひらと手を振る聖那さまと手を振ることなく見送るお姉さまをスイートルームに残して、ホテルを後にした。

「ダージリン、1日お疲れさまでした」
「本当よ。疲れたわ」


 校門前でタクシーを降りて、コートの中で手を繋ぎながら寮へと戻る。ほとんどの生徒が船を下りているから、どの学年の寮も灯りは少ない。
「聖那さま、機嫌よく過ごされましたの?」
「えぇ。私に誕生日ケーキのろうそくを吹き消すように命じて、写真を撮っておられたわ」
 それは、アッサムの携帯電話に送信されてきていた。だから、こっそり愛菜さまに転送しておいた。そのうち、お怒りの電話が聖那さまとお姉さまに入るだろう。こってりと怒られて欲しいものだ。

「でも、麗奈さまが止めるというのは予想外だったわ」
「そうですか?」
「アッサムが止めると思っていたもの」
「お姉さまなりに、聖那さまのことはお好きなのでしょう」
「それが、聖那さまにちゃんと伝わっていればいいわね」


 お姉さまを選んだのは聖那さまで、婚約破棄をしてでも聖那さまと一緒にいる道を選んだのはお姉さまなのだ。感情を露わにしないお姉さまが唯一、我儘を押し通して、いろんなものを捨てる覚悟で聖那さまを選んだのだから、想いはきちんと聖那さまには伝わっていると思う。

 本当………伝わりにくい人だけど。


「あら、1年生で船を下りていない子がいますの?」
 1年生の寮の前を通り過ぎると、1室だけ明かりがついている。1年生は全員いないはずなのに。
「あぁ………ルクリリだわ。仕事を貯め込んでいるみたいね」
「そうなんですか。ペコもローズヒップも実家に戻ると聞いていますが、ルクリリ1人だけなんですか?」
 それは可愛そうに。夜も遅いのに3人部屋でひとりぼっちもきっと寂しいだろう。
「何を考えているの、アッサム」
「いえ、ルクリリを部屋に呼んでお茶でも」
「どうしてかしら?今日1日、聖那さまに連れまわされた私を労うのが先でしょう?」
「それはそうですが」
「これ以上、私を放置するのはダメよ」
「………わかりましたわ」
 コートの中できつく握られた手。血が止まるのではないかと思うほどの圧迫。助けに来いと言うような連絡を受けてから、夜まで放置していたことを、どうやら根に持たれているようだ。仕方がない。アッサムは、ルクリリからの電話を受けていたこともあったので、ちゃんと学生艦に戻ってきたことを電話で告げて、朝、一緒に美味しいものを食べに行きましょうと約束を交わした。その電話を、隣で、ずいぶん恨めしい表情で聞きながら、ダージリンはもう、アッサムの手を青くさせるおつもりなのかと言うほど、手を握ってくる。凄まじい握力だ。


「アッサムの誕生日に麗奈さまとどこかに出かけようものなら、私は戦車道生徒総動員して、邪魔をしに行きますからね」
「………そんなことするわけありませんでしょう?お姉さまのあれは、特殊なんです」
たぶん、お姉さまはアッサムに気を使って、誕生日の日に2人でどこかへ出かけようなどと言ってこられないだろう。そう言う所は気が利く人だと思う。もう少し、好きでいてくれている人のことを考えられるようになってもらいたいものだ。ダージリンを見習って欲しいくらい。


「………麗奈は、アッサムに悪いと思って止めたの?」
 2人が手を繋いで部屋を出て行った。頭上から落ちてきたため息。聖那はソファーの後ろに立っている恋人の溜息をかき混ぜて、腹立たしい想いを部屋に巻き散らかした。
「あなたが誰かとキスをするのを、見ていられるほどの余裕はないわ」
「………あらやだ、それは今考えたセリフ?」
「そんなわけないでしょう?」
 嘘くさいと思ったけれど、それが嘘だと言う証明は出来る訳もないのだ。聖那はコートを脱いでくつろぐようにソファーに腰を下ろした麗奈の膝の上に乗って、相変わらず何を考えているのかわからない、憎たらしい頬に唇を押し当ててみた。

「私に何か言うことはある?」
「ダージリンと1日デートして、楽しかった?」
「えぇ、とっても」
「そう」
「あらやだ、それだけ?」
「黙って予定を入れたことは、朝も謝ったわ」
「………そうね、そうね。そうでしたわね」
 今度、愛菜を捕まえて愚痴を聞いてもらわないといけない。でもきっと、麗奈を選んだ聖那が悪いって言われそれで終わり。誕生日でもクリスマスでも、どんなことがあっても、麗奈はいつもこう。



「………悪びれたりしないのね、麗奈は」
「聖那が1人寂しく家で泣いていたら、もう少し反省したけれど、ダージリンと楽しそうに遊んだわけだから」
 脚の間にあたりまえのように右手が触れて、本当に悪気の欠片もなさそう。それでも、聖那の身体にしか興味がないことだけは知ってしまっているのだ。結局、アッサムとダージリンだけが振り回されて、麗奈には何の効果もないのだろう。
「………ダージリンとキスしておけばよかったわ」
「聖那は私が好きでしょう?」
「あらやだ、思い上がり」
「聖那には無理よ」


 それって、嫉妬?

 たずねようと思うよりも早く、麗奈の唇は聖那の唇と重なる。
 もう少しわかりやすく嫉妬してくれてもいいのに。
 あのアッサムみたいに、プンプン怒ってくれたらどれだけいいか。




 ホテルで一晩過ごした次の日、愛菜から電話が来た。後輩を巻き添えにするんじゃないと、凄い剣幕で怒られた。アッサムもダージリンも本当、抜かりなく余計なところに告げ口するんだから。

 お詫びの寄付金を手に3人揃って学生艦に向かったのは、その2日後の話。









角を持つ天使の笑み ③

「聖那さまは、麗奈さまのどこがお好きですの?」
「何?その、どこがいいのかちっともわからないと言う表情は」
 4月に20歳を超えている聖那さまは、ワインを飲まれてほんのりと頬を赤くしておられる。制服を着替えさせられて、強引にホテルのレストランに連れていかれた。アッサムからは迎えに行くとメールが来ている。ホテルの名前を返信した直後、聖那さまに携帯電話を没収されてしまった。どうせ、アッサムがここに来るのなら、それまでは連絡を取る必要がないでしょう、と。そのあたり、ちゃんとお分かりということは、解放してくださる意思はおありのようだ。
「いえ、まぁ…わからないものは、わかりませんもの」
「………どこかしらね。顔かしら?」
「そうですか」
「あらやだ、納得なの?」
「お綺麗ですもの」
「そう言うダージリンは、アッサムの何が好きなの?」

 何が、と言われても。一言では表せない。何もかもが好きかと言われたら、多分、何もかもが好き。

「………顔、ですわね」
「ほら、同類よ」


 違います、と言いきれずにグラスの水を飲み干した。初めて会ったときから、ずっと記憶にとどめておいたのはアッサムの顔だ。ずっと、まともに会話をしなかった中学時代から、ダージリンはアッサムに何か、特別なものを感じていた。たぶん、それはひと目で好きだと思ってしまったからだ。
「同類、ですの?」
「同類よ。そう言うものじゃないかしら?」
「………もし、同室が愛菜さまだったら、聖那さまは愛菜さまに恋をされましたの?」
「さぁ?それはわからないわね。好きになったとしても、振られるだろうし」
「そうでしょうね」
「あらやだ、それは納得なのね」
「えぇ、まぁ」

 美味しそうに、とは言わないが、聖那さまは機嫌を持ちなおして、取りあえずダージリン相手でもなんとか楽しくお食事をされているのなら、それはそれでいいことだ。夜は1人で食べようと思っていたから、結果的にダージリンも美味しい食事にありつけたということで、自分を納得させることにした。携帯電話を取り上げられてしまっているから、アッサムの声も聞けないし、現状の報告もできない。とはいえ、さほど心配されていると言うこともなさそうだ。きっと、聖那さまと楽しく食事をしているはずだ。あちらはあちらで、ろうそくの火を消している頃だろうか。


「大学、もう推薦は通ったの?」
「えぇ。私は聖那さまと同じ学部に。アッサムは愛菜さまと同じ学部ですわ」
「そう。うちの大学に入って、また一緒に戦車道をするの?」
「そうですわね」
「今年は大学チームで準優勝だったけれど、来年は優勝かもしれないわね」

 聖グロを卒業した多くが通う、有名な私立女子大。もちろん、他校からの受験もあるが、成績優秀者に限り、受験もなく推薦で入学が決まる。そのため、歴代の隊長、副隊長職を務めていたものはほとんどが、同じ大学に集うのだ。センチュリオンを多く所有しており、高校とは桁の違うレベルで、常に優勝争いをしている大学。刺激は多いだろう。アッサムと同じ戦車に乗れない可能性もかなり高いが、それも致し方がないことだ。


「また、私たちを可愛がってくださいませ」
「あらやだ、思ってもないことを言うのね」
「そんなことありませんわ。アッサムは可愛いから、聖那さまたちに守っていただかないと」
「自分の恋人くらい、自分で守りなさい。ヘタレて手を出せないようじゃ、そのうち他の人になびいてしまうかもしれないわよ?」


 聖那さまが在籍していた頃、アッサムに頬を叩かれて赤くしている姿を何度も見ていらしたのに。ダージリンのせいだと言わんばかりの笑み。潔癖の度が過ぎるアッサムの方に問題があるのは明白なのだ。

「アッサムは私が好きなので、そのあたりは大丈夫ですわ」
「あらそうなの?いつまでも初々しい香りがして、何だか腹が立つわ」
「私のアッサムは、誕生日に他の人との約束を入れるほど愚かじゃありませんもの」
「………忘れていたことを、思い出させたわね」


 少し酔いが回っておられる聖那さまは、ダージリンを解放してくれる気配を見せずに、ろうそくに火をつけたケーキを恨めしく携帯電話で撮って、なぜかアッサムに送り付けておられる。
強引に食べさせられたケーキ。ビターチョコの苦みが広がる。麗奈さまがお好きなベルギーチョコをふんだんに使った、特注のケーキだそう。キャンセルするべきだと思っていたけれど、味わうことができて、少しだけ運がいいと思ってしまった。


「聖那さま、おうちに戻られませんの?」
「私は泊まるわ。どうせ、キャンセルしたって料金を払うのは同じだもの」
「そうですか」
「ちゃんと解放してあげるから、もう少しだけ付き合って」

 腕を取られて、相当高い部屋に連れていかれた。アッサムはそろそろ、こちらに向かって車を走らせてくれているだろうか。聖那さまのことは好きだし、お一人にさせることも決していいことだとは思わないが、何も、ダージリンが面倒を見なければいけないことでもない。

 麗奈さまにバトンを渡すまで、あと少しだ。

「早く、アッサムが来ないかしらって言う顔をしないで」
「アッサムが来れば、麗奈さまも来ますわ。聖那さまにとってもいいことですわ」
「それもそうね。でも、あの人はさほど悪いとは思っていないはずよ」
「思っていれば、ディナーよりも前の時間に登場されますわね」
「そうね。何だかんだ、アッサムとのデートのことを楽しみにしていたと思うわよ」



 聖那さまはソファーに腰を下ろしているダージリンの膝に頭を乗せて、酔いを醒ますまで動くなと言って目を閉じられた。アッサムの真っ白な肌に引けを取らない程、聖那さまの肌も白くて、まつ毛が長くて、お綺麗な方だ。今は、お酒のせいで少しピンクに染まっている。こうやって見ると、クルセイダー部隊を率いて暴れていた人とは思えない。黙って立っていればモデルに見えるのにって、愛菜さまがいつもため息とともに呟いておられた。

「アッサムに八つ当たりをしないでくださいね」
「しないわよ。でも、ダージリンもふくれっ面していると思ったのに、残念だったわ」
「ご期待に沿えずに申し訳ございませんでしたわ。でも、結局、この時間までご一緒して差し上げたんですもの、文句を言われたくありませんわ」
「………あらやだ、可愛くないわね」

 酔いが回っている勢いなのか、ダージリンの胸を思い切り掴んできて、麗奈より大きいなんて。目を閉じておられて、酔いが辛いのかと思えば、全然そんなこともないご様子。


 アッサムだって、胸に触ってきたことはないのに。


「聖那さま、手をどけてくださいませんこと?」
「麗奈が来たら、どけてあげる」
「私の胸は、代行ですの?」
「麗奈の方が柔らかいわね」
「………でしたら、どけてくださいませ」
「減るものじゃないわ」
「私の胸はアッサムのものです」
「触られていないと、顔に描いてあるわ」
「聖那さまは瞼の上に目がありますの?」
「かもしれないわね」



 テーブルの上には、ダージリンの携帯電話。着信の履歴が残っているけれど、腕を伸ばすことができない。アッサムが近くまで来ているはずだ。聖那さまはホテルに麗奈さまが来られたら、スペアのキーを渡せとフロントに伝えてある。だから、この場所に絶対来てくださると、ちゃんと信じておられるのだ。


 まぁ、アッサムがいるから麗奈さまはこのホテルに来るしか道は残されていないのだけれど。

 いつまでも、胸を触る聖那さまの戯れに嫌がるそぶりをせずにいたら、反応がないことでやめていただけると思ったけれど、なかなかそうもいかないのは、やはり酔いが回っておられるせいなのかもしれない。



「お姉さま、ちゃんと聖那さまに謝るんですよ」
「………10回も言わなくてもわかっているわ」
「ダージリンにも」
「保奈美は、そっちがメインじゃないの?」
「当然です。ダージリンの休日を振り回したんですから」
 バレエ鑑賞を楽しみ、美味しい食事をして、バースデーケーキも一緒に食べて、むしろ聖那さまに責められるのはアッサムのような気もするけれど、それはお姉さまを盾にしておくしかない。とにかくダージリンを救いだして、早く学生艦に戻った方が良い。その後、お二人がどんな喧嘩をしようとも、それはお二人の問題なのだ。と言うか、お姉さまは喧嘩ができる人ではないから、聖那さまはその憂さ晴らしにダージリンを利用したのだ。これでお相子ということになる。



「ダージリン!聖那さま!」
「開けたらいいわよ」
 ホテルの部屋の扉をノックすると、お姉さまがフロントで受け取っていた鍵を差し込んだ。緑のLEDが光って、いかにもスイートルームですと言った扉が開かれる。


「ダージリン、お待たせしました」
「………遅いわ、アッサム」


 ソファーに見えた姿は、ダージリンだけだ。肝心の聖那さまのお姿が……。そう思いながら近づくと、その膝に頭を置いてお戯れのご様子だ。手が、胸を掴んでいる。



「………何をされていますの、聖那さま」
「アッサムの反応を楽しみたいそうよ」

 ダージリンは、反応するなと言わんばかりに目で制してきた。手を抓って払いどけたい気持ちを殺して、何とかして欲しいとお姉さまを睨み付ける。


「聖那」
「………ん、麗奈の声。やっと来たわね」
「その手、やめてあげなさい」

 言われて素直に手を下ろして、ダージリンの膝枕から起き上がった聖那さまは、大きく伸びをして肩を回された。ほんのり顔が赤い。
「アッサム、お久しぶりね」
「そうですわね、聖那さま。ダージリンと一日デートされたみたいで」
「えぇ。楽しかったわ。久しぶりの学生艦だったから。ところで、クルセイダー会の収支報告書、あなた、どこに隠しているの?」
「………さぁ?」
「まぁ、いいわ」
「お姉さまをお返ししますわ。ダージリンと私は学生艦に戻ります」
「まだ、ダメ」

 聖那さまは、お役御免になって立ち上がろうとするダージリンの腕を取って、簡単に返さないと言わんばかりに微笑みを投げかけてこられた。

「麗奈」
「……なぁに?」
「悪気はあるの?」
「一応、あるわ」
「あなた、本当にその性格を変える気がないのね」


 お姉さま、一応って一言が余計なのに。ムッとされている聖那さまの気持ちもわからないわけではない。でも、お姉さまを好きになってしまった方だって悪いのだ。取りあえず、ダージリンを解放して欲しい。

「聖那さま、お姉さまには私からきつく注意をしておきますから。ダージリンを返してください」
「……じゃぁ、ゲームに勝ったら、2人を学生艦に帰してあげる」

 ほんのり酔っていらっしゃる雰囲気の聖那さまは、おもむろに鞄を漁って、お菓子の箱を取り出した。安っぽいと言うか、わりとどこにでも売っているポッキー。

「……それで、何をしたらいいですの?」

 満面の笑み。相変わらずお綺麗な聖那さまだけど、嫌な予感しかしない。ダージリンの口に銜えさせて、動くなと命じられたから予感が的中した。

「先に折った方が負けよ」
「ダージリンが勝ったら返してくださいますの?」
「えぇ。私が勝ったら、今日のダージリンは私がもらうわ」


 これはただ、お姉さまへの当てつけでいらっしゃるのに。腕を組んで呆れたため息をついている場合ではないのに。お姉さまの疎い感じが本当、情けない。

「ダージリンはダメですわ。私がやります」
「ダメ」
「というか、どちらも折らなかったら大変なことになりますわ」
「大変じゃないわ、キスするだけよ」
「それを大変なことと言っているんです」


 お姉さまは腕を組んで、動く気配すらない。1人でイライラしているアッサムがまるで子供のようだ。ダージリンは挑まれた勝負に強制的に参加させられて、ただ、ポッキーを銜えている。投げ捨てればいいのにって言いたくなったけれど、ダージリンは勝負を挑まれたら、受けて立つ性分なのだ。尻尾を巻いて帰るなんて、本気で嫌なのだろう。


……
…………



「あら、アッサム。認めたわね」
「仕方有りませんわ。お姉さまが悪いことをしたんですもの」
「そうよ、すべて麗奈が悪いのよ」


 ダージリンは銜えたポッキーを食べ進めることをせず、じっとしたまま。
聖那さまはポキポキとその先を縮めていかれる。


「……お姉さまは、聖那さまがダージリンとキスをしても平気ですの?」
「聖那は、そこまで馬鹿じゃないわよ」
「馬鹿じゃないから、本気でするかもしれませんわよ」
 キスしてしまった場合、それはどっちが勝利と言うことになるのだろう。ドローということで、ダージリンを解放してくださるのだろうか。いや、でも、やっぱりキスだけはしないで欲しい。もう負けて、ダージリンを泊めてもいいからそれは勘弁してもらいたい。もし、ダージリンが泊まる羽目になったら、アッサムも駄々をこねて一緒にここに泊まればいいだけのことだ。



角を持つ天使の笑み ②

「………一体、何事ですの?」


 聖那さまから、隊長室で待っていると言われたあと、直ぐにアッサムに電話を掛けた。麗奈さまと出かけていると言うことは承知していたが、だからと言って、電話をしてはいけないなんて言うルールはない。学生艦に聖那さまが1人でいらしていることを、麗奈さまは承知しているのか聞いて欲しいと。アッサムは意味が分からないと言っていた。そして、隣の麗奈さま曰く“朝から不機嫌だった”そう。


 きっと、あの麗奈さまのことだから、アッサムと一日過ごすということを、聖那さまに告げることを忘れていらしたに違いない。


 アッサムは、色々と察して助けに来てくれるだろうか。



「ダージリン、会いたかったわ」
「どうされましたの、聖那さま」
「あなたに会いに来たのよ」



 相変わらずふわふわとした笑みで、口調はおっとりしていらっしゃるけれど、どうにもこうにも、何をお考えなのかわからない。ダージリンは立ちあがって両手を広げておられる聖那さまに近づきたいとは思わなかったが、致し方なく抱きしめられた。今は従っておかなければ、ルクリリに何を暴露されるかわからない。アッサムではなく、愛菜さまに助けを求めておくべきだっただろうか。げんこつで頭を殴ることができるのは、愛菜さまだけだ。


「ダージリン、ちょっとまた、お胸が大きくなったかしら?」
「成長期ですわ」
「そう?相変わらず、可愛い顔ね」
 サイズを確かめるように、胸に触れてくる両手から逃げて、ダージリンは対面のソファーに腰を下ろした。ルクリリが用意してくれたお茶がテーブルに置かれる。気を利かせて出て行ってくれたらよかったが、人質にされていると、本人は気が付いていないだろう。
「聖那さま、ルクリリは休みを返上して仕事をしておりますの。ここは邪魔になりますわ。そろそろランチですし、横浜に降りませんこと?」
 ルクリリの目がなければ、もう少し柔軟に相手をして差し上げることは出来る。抱き付いてきても、はいはいって相手をして差し上げることは出来るが、やはり弄ばれている姿を、簡単に後輩に見せたくはないのだ。

「食堂で食べましょう。久しぶりに食べたいわ。噂で聞いたわよ、最近、新メニューでオムライスが登場したみたいね」
「………えぇ、まぁ」
「そこのルクリリちゃんも、一緒にね?」


 ルクリリが、“嫌です”と顔に張り付けてダージリンを見つめてくる。ダージリンだって連れて行きたくはない。できれば隊長室のお茶一杯で終わらせて、学生艦から引き摺り下ろしたいくらいなのに。


「聖那さまは、私に会いにいらしたのでしょう?ご用件は何ですの?」
「あなたのアッサム、今日は一日いないのでしょう?」
「えぇ。麗奈さまとお会いしていますわ」
 麗奈さまのお名前に反応された右の眉毛。やっぱり、何かお怒りなのだろう。
「おかげで、予定していたことがすべてダメになってしまって。ダージリン、夜に私とホテルのレストランで食事するのに、付き合いなさいな。よければそのまま朝までホテルにいて、愛を語り合ってくれるかしら?」

 つまりは、アッサムのせいで空いた穴の責任をダージリンがとれ、と言うことらしい。もう一度、アッサムに電話をしたいところだけれど、あの1度で伝わるはずだ。誰が悪いと言うのは一目瞭然。すべて麗奈さまが悪いのだ。


「麗奈さま、何もお伝えしていませんでしたの?」
「朝、私がご機嫌に着替えている横で、今日は予定があるから、1日空けると言われてしまったのよ」
「それは……麗奈さまが悪いですわ」
 ダージリンにもアッサムにも何の落ち度もないことなのに、怒りをこちらにぶつけてこられても。そのフォローを別の日に麗奈さまにしていただくようにすればいいのに。とばっちりと言うものに他ならない。
「えぇ、麗奈が悪いわ。だから、あなたが責任を取って」
 “だから”の先は、何か全てが間違えているが、嫌ですと言ったら、ルクリリに色々と勝手な語りをし出すのは目に見えている。ふわふわとしていらっしゃるが、お怒りと言うことには違いなく、沈めることができるのは、今はダージリンだけ。



「麗奈さまのために用意されたバースデーケーキのろうそくを、私が吹き消しますの?」
「そうよ」
「………愛菜さまは?」
 ダージリンよりも、怒りをぶつけやすい人が同じ大学にいらっしゃるのに。
「愛菜?電話に出てくれなかったわ」


 それは、賢明な判断だったに違いない。いや、後輩のことを考えて、電話には出ていただきたかった。ダージリンは久しぶりに味わうバニラティーを飲み干して、ため息ついでにルクリリを見つめた。とても嫌そうな顔をしている。


「……ランチには付き合いますわ。ホテルのディナーのキャンセル代を麗奈さまにご請求なさってください」
「あらやだ、1か月前から予約をしていたのよ?」
「1か月前に、予定を聞きませんでしたの?」
 確か、今もずっと同棲されているはずだ。高校の時から同室で、本当に毎日一緒におられる。今更、予定なんて聞く必要なく当然、一緒に過ごすものだと思っていることが悪いとは思わない。でも、あの麗奈さまなのだ。どれだけ聖那さまのことを想われていても、アッサムとの予定であれば、悪気もなくそちらを優先させると言うのは、あの方ならやってしまいそうだ。
「………アッサムと私、どっちが大事って聞いても虚しいわ」
「そうですわね」
 それは、かなり虚しいだろう。特にあの麗奈さまは、そう言うことを深く考えないお方なのだから。
「と言うことで、傷を慰め合おうと思ってここまで来てあげたのよ」
「………いえ、私は傷も何もありませんわよ。アッサムからは聞いておりましたし」
「あらやだ、じゃぁ、どうして私に連絡してこないの?」

 こういうのを、八つ当たりと言うのだ。いい見本になる。

「それは、申し訳ございませんでしたわ。オムライスを食べて、機嫌を直してくださいませ」
「そうね。腹を立てていたせいで朝食を取っていないから、お腹空いたわ。行きましょう」
「えぇ」

 あわよくば逃げようとしていたルクリリの腕を聖那さまが掴み、ちょっと早い時間の食堂へと向かった。ほとんどが横浜に降り立っているものの、学生艦に残り、食堂で食事をしている生徒もいるため、聖那さまが登場した瞬間、悲鳴がフロアに広がってしまった。化けの皮が剥がれていない聖那さまは、“バニラお姉さま~”という黄色い声援に笑顔で手を振って応えて、まるでアイドルの様にニコニコと微笑んでいらっしゃる。食事中だと言うのに、握手や写真を求めてくる後輩たちに、気を良くしておられる。取りあえず、その横で、アッサムからの連絡を待ちわびた。メールが1件。



『もう少し、そちらで頑張ってください』

 頑張るって何を。
 返信せずに画面を閉じた。


「なぁに、アッサムから?」
「えぇ」
「好きよ、ダージリンって書いていたの?」
「麗奈さまは、聖那さまにそう言うことを送りますの?」
「送ってきませんわね」

 ルクリリが耳をしっかりとこちらに向けている。ソワソワして、教えて欲しいと言わんばかり。
1年生の頃、当たり前のようにアッサムと手を繋いで学生艦内を歩いていた。クラスメイトも当たり前のようにそれを見ていたし、何と言うか、取り立てて気を使っていなかった。だけど、隊長職を引き継ぐときに、愛菜様にかなりきつく言われたのだ。すべて慎みなさい、と。常に人に見られる立場、責任を負う立場だ。何かミスをしたときに、うつつを抜かしていたせいだと言われると、相手を傷つけてしまうことになる、と。麗奈さまと聖那さまの関係はご卒業する日まで、ダージリンとアッサム、愛菜さま以外に知られることはなかった。だから、ダージリンとアッサムも、2人で当たり前のように手を繋いで学生艦内をデートすることをやめた。無論、船の外でも手を繋ぐことはない。どんな噂が立とうとも、NOとは言わず、決してYESとも言わずというルールを決めた。ルクリリ達の自由な想像にお任せしている状態。隊長職をルクリリがついで、完全に戦車に乗らなくなるまであと少し。それまでは。


「ねぇ、ダージリン。食後の散歩にデートをしましょう」
「…………学生艦をうろつきますの?降りてくださいませんこと?」
「滅多に遊びに来てくれないって、ふて腐れていたのはダージリンだわ」
「それはそうですけれど、3人セットでいらしてくださらないと」
 聖那さまに必要なのは、麗奈さまよりも愛菜さまの方。主に、突っ込み役として。
「あらやだ、ダージリンは私より愛菜に会いたいというの?浮気ものね」
「どちらかと言えば、聖那さまよりも愛菜さまにお会いしたいですわね」
「あらやだ、虐めだわ」
「こっちのセリフですわ」
 


 ダージリン様は、バニラお姉さまととても仲良しでいらっしゃるようだ。ふわふわした空気の割には、とてもイキイキとダージリン様とお話されている。ダージリン様もまた、嫌がっていたわりには、嬉しそうに見えるのは気のせいではない。この学生艦の最高責任者であるダージリン様だって、1年生のひよっこだった頃は、やはりあるのだ。随分とバニラお姉さまに可愛がられていた様子がうかがえる。あれほど食べないと宣言されていたオムライスを、モリモリ食べていらっしゃるし。しかも、ケチャップでバニラお姉さまに「アッサムLOVE」なんて描かれているのを、文句も言わず、おいしそうに。きっと反応したら負けなのだろう。

「散歩に付き合ったら、学生艦を降りて差し上げるわ」
「本当ですの?」
「えぇ。ダージリンと一緒に」
「……なぜですの?ホテルのディナーはもう、諦めてくださいませ」
「一人の夜は嫌よ」
「こっちは困りませんわ」
「じゃぁ、その子を貸して」
「妹がいらっしゃるでしょう?」
 その子と指名されたルクリリは、スープを吹き出しそうになる直前で何とかとどまった。いつまで何の関係もないルクリリを引っ張って遊ぶおつもりなのだろうか。大至急、妹のバニラに戻ってこいと伝えなければならないような気がする。血の繋がっている方が、扱いにもなれているだろうし。
「妹とホテルでディナーなんて、何のロマンもないわ」
「私でもルクリリでも、ロマンはありませんことよ」
「あらやだ、これは連帯責任だわ。歴代の隊長の失態は、後輩がリカバリーしないと」
「そのような義務はございませんことよ」
「ダージリン、クルセイダー会の寄付金の収支報告書を見せなさい」

 ポンポンと会話のラリーを楽しそうに続けていると、伝家の宝刀をあっさりとバニラお姉さまは抜かれた。というか、いろんな弱みのようなものを握らされている感しか漂わない。ダージリン様は、最初から分が悪いのだ。そう思うと、今のところルクリリたちはダージリン様たちに弱みを握られたりしていない。ある意味、丸裸ともいうけれど。

「…………わかりました。ディナーの件は少し考えておきますわ」
「少しではだめよ。陽が落ちるまでに諦めて、そして私と楽しいデートをして頂戴。どうしても嫌だと言うのなら、その子でもいいですわ」

 絶対に嫌だ。もしもそうなったら、大至急でバニラに電話して引き取りに来てもらう。

「ルクリリは山積みの仕事がありますの。そろそろ解放させませんと」
「と言うことは、腹を括ってくれたのね、ダージリン」


 嬉しいわ。


 これでもかと言わんばかりに、とても愛らしく微笑まれるバニラ様のお姿。何というか、これはもう一撃で骨抜きになるほどの可愛らしさに麗しさ。


「聖那さまのお願いを聞きますわ。その代り、謝礼はたっぷりいただきます」
「麗奈からクルセイダー会に振り込みをさせておくわ」

 バニラお姉さまは、一体どんなホテルのディナーを予約されていらっしゃるのだろうか。きっと、ルクリリが一度も食べたことのないようなコース料理なんだろうな。安っぽいオムライスを美味しそうに食べておられるけれど、どうせなら、もっと空腹にしておいた方が良いのにもったいない。そんなことを思っていると、ダージリン様に足を蹴られた。



 これはあれだ。


 サインだ!


“早く、アッサム様に何とかさせろ”というサインに違いない。


 合っているかどうかはともかく、一応は状況報告をした方が良いのは違いないだろう。そのアッサム様は、麗奈さまと言う人とバースデー・デート中らしい。




「………今、ダージリン様は聖那さまと学生艦の街をデートに出ているということね?」
『はい。どこかでお茶でもしたあと、下船してホテルでディナーだそうです』
「ホテルの名前は?」
『そこまでは聞き出せませんでした。というか、放っておいてもいいんですか?』
「聖那さまは、後輩を取って食べる人ではないわよ」
『まぁ、わりと可愛がっているようには見えましたが』
「私は夜には戻るから」
『ですが、ホテルに一泊もダージリン様に付き合えとおっしゃっていました。着替えにセクシーランジェリーを買って差し上げる、と微笑んで』

 聖那さまのご機嫌斜めを、多少は慰めてから出てこればいいものなのに、お姉さまったら。埋め合わせはいつかまた、なんて言ってさっさとアッサムとの待ち合わせにやってきたようだ。あの聖那さまが1人で聖グロの学生艦に乗り込んで、ダージリンで憂さを晴らしているなんて。相当なお怒りのように思えるけれど、もう少しはダージリンに任せても大丈夫だろう。
「聖那はなんて?」
「ダージリンとホテルでディナーをして、お泊りするらしいですわよ」
「そう。じゃぁ、あの子に聖那を任せておけばいいわね」
「………お姉さま、ダージリンと聖那さまが2人きりでホテルですのよ?」
「何もないわよ」

 何かあっては困る。お姉さまはアッサムと機嫌よくバレエを鑑賞して、有名なレストランで食事をして、イルミネーションを観に行くデートプランを考えておられるけれど、本当はこういうことを、誕生日に聖那さまとするべきではないだろうか。まして、記念すべき20歳の誕生日なのだ。ランチに両家がそろって食事をするのは、致し方がないとしても、どうして聖那さまに何も許可を取らなかったのだろう。

「………ホテルの場所とか、わかりますの?」
「さぁ。まぁ、きっとあそこかしら、って言うのはなんとなくわかるわ」
 ディナーの後、取りあえずそのホテルにお姉さまをお返しに行かなければ。お姉さまは、流石にホテルはキャンセルしているはず、なんて言っておられるけれど、聖那さまは、意地でもホテルにお泊りになられるだろう。ダージリンのことだから、嫌そうな顔をしながらも、アッサムが助けに来る事を信じて待っているはずだ。


「ダージリンに何かあったら、お姉さまが悪いんですわ」
「私なの?」
「そうですわ」
「じゃぁ、バレエを観るのをやめる?」
「………チケット、取るのに苦労しましたのよ?」

 それはそれであって、これはこれであって。相手が見ず知らずの男だったら、すぐにでもダージリンを救出に行かなければならないところだけど、聖那さまなら、きわどい縁に立つくらいまでで何とかなるはずだろう。
 アッサムは、心の中でちょっとだけダージリンに詫びながら、お姉さまの手を引いてバレエ鑑賞へと向かった。



角を持つ天使の笑み ①

1本のポッキー。
 唇と唇が近づいていく。


 ダージリンの相手は、バニラお姉さまこと聖那さま。


 睨み合いながら、先に折った方が負けの真剣勝負だ。






 横浜に学生艦が到着する2日前から、今日は一緒にいられないと言うことは聞かされていた。前隊長のアールグレイさまこと、麗奈さまのお誕生日ということで、学生艦を降りて1日デートをしてくるんだとか。2年生の頃も、麗奈さまのお誕生日前後に、アッサムは学生艦を降りて会いに行っていた。何よりも、小さい頃から当たり前のようにそうやって過ごしていたのだ。ダージリンは寂しくない風を装って、送り出すことしかできない。そのことに文句を言う理由もないのだ。1日が終われば、ダージリンの元に帰って来て、どんな風に過ごしたのかを話して聞かせてくれるはず。その夜を待ちわびるだけ。


「ダージリン様」
「なぁに?」
「あの………横浜に出なくてもいいんですか?」

 寄港して早々、機嫌よく出て行ったアッサムを見送って、ダージリンは私服には着替えずに制服のまま、読みかけの本を手に学生艦の中のカフェに1人で出て行こうとしていた。  
 その背中に声を掛けてきたのはルクリリだ。彼女もまた、なぜか制服姿。

「えぇ、今日はね。明日は少し出るかもしれないけれど。ルクリリはどうしたの?」
「溜まった書類の片づけをしないといけなくて」
「あら、そう。がんばってね」

 事実上の隊長職の引退はまだ先だが、すでに多くの仕事はルクリリたちに引き継がせている。書類関係の整理もすべてルクリリにやらせていて、最終的な報告を後で聞くだけ。ずいぶん楽をさせてもらっているが、これも伝統。ダージリンもまた、アールグレイお姉さまから一方的に押し付けられて、この時期は慌ただしくしていたものだ。とはいえ、オレンジペコお姉さまがずっとフォローをしてくださっていた。だから、ルクリリのフォローはアッサムの仕事だ。


 ………でも今日、アッサムはいない。


「アッサム様はどこですか?」
「横浜に遊びに行っているわ」
「置いてけぼりですか」
「アッサムはご家族と過ごすのよ」
 イチイチ、その冗談に本気でムッとしていたらきりがない。そう言うルクリリはペコとローズヒップに置いてけぼりを食らったのだろう。あるいは、せっかくの横浜で過ごせる休日だからと、手伝いをお願いせずに2人を見送ったのかも知れない。書類の山を脇に抱えていて、見るからに重たげだ。
「そうなんですか。ダージリン様、寂しいですね」
「そうでもないわよ。ゆっくりと本を読んで過ごす1日も悪くないわ」
「………手伝いましょうか、ルクリリ。と言うお言葉は、ダージリン様の中には……」
「ないわね。アッサムがいないことが不運だと思いなさい」
 それは、ルクリリのためになんてならない。と言えば聞こえはいいが、ルクリリはまだ、本気で困っている段階ではない。この時点で手を差し伸べることは、ダージリンの仕事ではないのだ。それは優しさではない。
「ですよね」
「まぁ、どうしようもなくなったら、電話していらっしゃい。ランチくらいはごちそうしてさしあげるわ」
「はい」
 アッサムなら、頑張ってと言って頭を撫でてあげるくらいはするだろう。だけど、ダージリンは小さく笑って見せるだけ。恨めしく見送られて、開かれている校門を出ていつものカフェへと向かった。




「ダージリン!!」





 静かな隊長室で、山積みの書類に隠れてマグカップに注いだカフェオレを飲んでいた。確かに山になるまで書類をほったらかしていたのはルクリリが悪い。でも、聖グロのあらゆる学部のすべての書類に目を通さなければならないなんて、知らなかったのだ。そんなところまで、責任を負わせるなんて、ひどすぎる。読んでおけばいいだけだ、なんてグリーン様は言うけれど、読んでおくにしては量が多すぎるのではないだろうか。あと、さりげなく、サインを入れなければならないものも多くて、適当に読んでいたら後々痛い目に合いそうな気もしないでもなくて。


「…………えっ?!え?え?えっと………」


 ノックもなく、いきなりだった。

 バタバタバタという足音が聞こえたような気がしたが、何だろう、と考えるよりも早く開かれた扉に、持っていたペンを放り投げてルクリリは固まった。


 誰だったか。顔は知っているけれど、すぐに名前が出てこない。


「どうして、隊長席にダージリンが座っていないの?」
 なぜか、怒られてしまう。もうそれは、へっぽこ仮免隊長でごめんなさいとしか言いようがないのだけれど、誰だっただろうか、この人。

「え?ええ~~えっと、えっと、すみません、あの、引き継ぎをして、えっと、私が、その、仮免隊長として、えっとえっと」
 仮免隊長と言う呼び方は、ローズヒップが作った。ダージリン様が完全引退をされるまでの間は、仮免だからって。本当に何かがあったら、責任を取るのはダージリン様だ。だから、ルクリリは何事もなく過ごさなければならない。


 何事もなく。
 それは、もう、無理そうだ。



「あなた、迷子事件の時にいた子ね」
「は、はい。えっと、ルクリリです」

 そう言えば、あの時にローズヒップを保護してくれたお姉さま。
 えっと、そう、バニラのお姉さま。

「それで、ダージリンは?」


 突撃、とはこういうことを言うのだ。ダージリン様もアッサム様も、あんまり前隊長たちのことをお話しされないから、人柄なんかを把握してはいない。バニラのお姉さまだから、確かに顔はバニラに似ている。と言うか、バニラって今、横浜に出ているはずだ。

「えっと、ダージリン様は……ここにはいませんが」
 見てわかるだろうに。呼び出せと言うことなのはなんとなくわかるけれど。
「あの子、横浜に出たの?」
「いえ、降りていません」
 かなりお高い感じのベージュのコートの中は、ひらひらフワフワのスカート。これまた高そうなヒール。でも、柔らかそうな髪におっとしりしていそうな美人。流石、バニラのお姉さま。でも、何と言うか、柔らかく優しそうな表情なのに、怖い。なんだろう、……怖い。


「OK。5分待つわ」
「は、は、はい!」

 何か、先代のバニラ様を怒らせるようなことをされたのだろうか。ダージリン様に何の連絡もせずに乗り込んでこられたご様子だ。一体、どんな悪さをされたのだろう。その答えがこの書類たちの中に埋もれていたりするのだろうか。例えば、クルセイダー会の寄付金のこととか。考えながら、携帯電話でダージリン様を呼び出した。3コール目で繋がって、お昼はまだ早いわ、なんて返ってくる。
「ダージリン様、えっと、ダージリン様にお客様がいらしています」
『そんな予定、ありませんわよ?』
 そりゃそうだ。あったら、優雅に読書なんてされないだろう。
「えっと、バニラお姉さまがいらしています」
『………聖那さま?』

 いや、名前なんて知りません。

「えっと、バニラのお姉さまです」
『なぜ、聖那さまが?』

 それは、こっちのセリフなんですが。色々言いたいけれど、腕を組んでじっと綺麗なお姉さまに見つめられているのだ。すぐに帰ると言ってもらわないと。

「その、えっと、いらしています。ダージリン様をご指名で」
『嫌よ、あなたが相手をして』
「いや、その、ですから、ご指名なんですって」

 ダージリン様の溜息は、この目の前の綺麗なお姉さまは、とてもメンドクサイ相手だというアピールでいらっしゃるに他ならない。何となく、それはわかる気がする。


『紅茶の園にご案内をして差し上げて。あなた、しばらく相手をしておきなさい』
「帰って来ない気、満々じゃないですか」
 それに、わざわざ歩いて紅茶の園にご案内したところで、誰もいないし、結局、ルクリリが相手をして……。バニラお姉さまはきっと一直線にこの隊長室にいらしたのだ。場所の問題ではなく、ダージリン様にだけ用事があるに違いない。優雅に紅茶を飲みに来たわけでもなさそうなのは、見ていてわかる。
『あら、そんなことないわよ。アッサムが戻ってくる頃に私も行くわ』
 それは何時頃のことだろう。少なくとも、ランチ時にいないのは確定している。
「ですから、ダージリン様をご指名ですってば」
 バニラお姉さまの相手は、アッサム様の方が上手いと言いたいのだろうか。アッサム様と言うお人は、先輩から後輩、他学部も含め、本当にモテモテでいらっしゃる。人付き合いが本当にお上手だし、面倒看もいいし。ダージリン様の扱いもお上手だし。

 だから、感心している場合ではなくて。

 電話を切りそうなダージリン様。困っていると、真っ白い手がルクリリの前に差し出された。その腕の先に、とても美しい笑みのバニラお姉さま。微笑みが怖い、これは聖グロに受け継がれる“角を持つ天使の笑み”と言うやつだろうか。

「ごきげんよう、ダージリン。あなたのファーストキスが何年何月何日で、相手が誰で場所がどこなのか、今から、この子とお茶をしながら、楽しくお話しをしてもいいかしら?」

 ダージリン様、相当弱みを握られてしまっているらしい。と言うか、そんなことって、どうすれば知られてしまうのだろう。アッサム様がお話しされたのだろうか。いやでも、ファーストキスの相手なんて、絶対にアッサム様のはずだろうし、バニラお姉さまがおられた頃と言うことは、お2人が1年生の頃と言うことは確かだろう。
公然の秘密と言うことで、今の1年生の中では、お2人がカップルらしいと言うことは有名な話。だけど誰もきちんとした確認を取っていない。3年生たちも、今更過ぎて、1年生たちが聞き回ってみても「どうかしらね」でかわされてしまうのだ。目の前のバニラお姉さまはきっと、とてもよくご存じでいらっしゃるに違いない。あれやこれや、全部。


 ダージリン様は電話口で何か喚いておられるのか、それとも素直に従うことにされたのか。バニラお姉さまが通話を切って、満面の笑みを浮かべて携帯電話をルクリリに返してくださったから、こちらに戻ってくるのは間違いないだろう。
「ダージリン、こっちに来るそうよ」
「それは、その、よかったです。えっと、バニラを…妹さんを呼び戻しましょうか?」
「いえ、いいわ。別に用事なんてないもの」
「そうですか」

 ここに居座るつもりでいらっしゃるようだ。コートを脱いでソファーにお座りになると言うことは、お茶を飲むというアピール。マグカップにカフェオレを淹れて楽しんでいたけれど、仕方がない。ルクリリはダージリン様の分のお湯も計算して、電気コンロのスイッチを入れた。


Never say love you

形があるものはいつか壊れてしまう
いつか、消えてなくなってしまう

握りしめている
あたたかいと感じているはずのものも
ひとたび、その指の力を抜いた瞬間
風も雨もない空間だと言うのに

消えてなくなってしまう



あなたは、愛をそういうものだと言う



「ねぇ、マーズ」
「………何」
言葉もなく誘い、笑顔もなく受け入れられて、汗に張り付いた黒髪をそっと撫でる。言葉を受け取るつもりもないと背を向けて眠るのは、何度同じような夜を迎えようとも、変わることのないスタイル。
「気持ち良かった?」
「………疲れたわ」
指に絡めた黒髪をきつく握りしめて引っ張ったところで、ヴィーナスを見つめてくれることはない。
「もう一回する?」
「嫌」
「気持ちいいって思ってもらいたいんだけど」
「……どうしてヴィナの心を満たすために、私が抱かれるわけ?」


それは
愛しいと想う心が永遠に続くと信じたいから


重苦しいため息交じりの拒絶
掴み損ねた黒髪が左の手のひらから逃げて行く

追いかけて欲しいと、名残惜しいように逃げて
捕まえていて欲しいと、希うような呼吸を繰り返す


「明日、死んでも悔いを残したくないからよ」
「ヴィナは、別に明日は死なないわよ」
「………じゃぁ、いつ死ぬの?」
「いつかしらね」


知っているくせに


「じゃぁ、いつ死んでもいいように、マーズの身体に私を刻んでおかないと」

形のあるものはいつか壊れてしまう
いつか消えてなくなってしまう

この身体に縋り付いた、マーズの爪痕も
その華奢な身体に刻まれた、多くの傷跡も
その傷跡の上から降らせた、口づけの跡も

いつか、消えてしまうもの

「………私と言う存在は、いつか消えてしまうわ」
「消えても、私のマーズへの想いは残るわ」
「残らないわ」
「どうして?」

それでも、ひんやりした鎖骨に頬を寄せ、そっと背に身体を押し当てた。
重なり合わない心臓は、重なり合わない音となって、かすかに瞼を震わせる。
かなぐり捨てたいともがく想いが、彼女を苦しめることくらい、知っている。
「形のないものだからよ」
「………だから、身体に刻んで残しておくわ。マーズの魂にヴィーナスから愛されていたという証拠を刻んであげる」
「………いらないんだけど」



形があるものはいつか壊れてしまう
いつか、消えてなくなってしまう
マーズは愛をそういうものだと信じることで
終焉を突き進む運命を背負う決意をした

目に見える偽りの世界の美しい者たちが
避けられない終焉に嘆かぬように
愛でる想いを殺した
愛しいものが心を支配せぬように


「………愛してるわ、マーズ」
「いらないって、何度も言わせないで」
「愛してるのよ、マーズ」
「その想いはあなた自身を苦しめるわ、ヴィナ」


堪えられずに零れた一粒の涙は
愛と言う形になって
マーズの爪で傷ついたこの素肌に溶け込んでゆく

愛しい
愛しい
愛しい

「……マーズが苦しいのなら、マーズの身体の中から愛する想いを消してもいいわ。私は何もなくても、ちゃんとわかるから」

言葉がなくても
愛を囁かれなくても
形として存在しなくても

愛さないようにと背を向ける
それだけで
愛されていることはわかる


あなたは言葉と言う形にして愛を囁いたりしない
そう強く決めた弱い人

愛しい
愛しい
愛しい


この想いが永遠にその心の中に形として残ればいいと
一体どれくらい希えばいいのだろう











去年、某絵師にプレゼントしたと思われるものです。
データ壊したって言っていたので、UPします。たぶん、これを差し上げた気がする。

「好きよ」

「あなたの匂いがないと眠れないの」
「えぇ、承知しています」
「本当よ」
「えぇ」

 そのセーター、預けておきます。
 アッサムは呟いて、吐息で前髪を優しく撫でた。




 好き。
 



 その言葉に、彼女の感情のすべてが込められている。







 夏の戦いが始まる。恒例となった情報処理部GI6と共に行われる相手校の情報収集のため、アッサムは3日間、聖グロの学生艦を離れることになっていた。アッサムがいない間、ダージリンは訓練を中断することもなく、当然、朝から夕方まで暑さに耐えて戦車の中から、部隊の指導に励む。副隊長であるアッサムが学生艦を離れることは、それだけダージリンの負担が増えると言うこと。他の3年生やペコたちにある程度の仕事は振り分けているものの、それでも、アッサムがいない間、ダージリンの緊張感はきっと休まることはない。ダージリンのことを敬愛する生徒は多いが、ダージリンが心をさらけ出して、我儘を押し付けることができる人物など、聖グロには1人しかいないのだ。
 毎度毎度、アッサムが情報収取で船を離れるたびに、眉間にしわを寄せて嫌そうな顔をしてくる。そのくせ彼女は、アッサム以外の誰かが持ってきたデータなど、信じられないと平気で言うのだ。更に、自分は嫌そうな顔をしておきながら、気分で勝手に他校の試合を観に行くからと、アッサムを置いて数日いなくなってしまうことなんて、数えきれないほど。

 面倒な人に好かれてしまい、面倒な人を好きになってしまったものだ。


「あら、ダージリン。どこに行っていらしたの?」
「OG会からの電話が次から次へと」
「まだ、2回戦にもなっていませんのに?」

 訓練が終わった後、情報処理部と夕食をしながらの打ち合わせがあった。明日からヘリとコンビニ船を使って移動して、走り回らなければならない。ダージリンも打ち合わせに参加をするはずだったが、結局、顔を見せずに夜遅くに解散になった。
 部屋に戻って、明日の準備とさっきの打ち合わせの記録をパソコンで眺めて、眠気覚ましのコーヒーを飲んでいた頃、鍵を開けておいた部屋をノックなしにダージリンが入ってきた。

「あちらはお暇なのよ。アッサムたちの打ち合わせも、中途半端に話を聞くのも嫌だから、後輩たちを食べに連れて行ったわ」
「そうですか」
「疲れが倍増よ」

 紅茶を淹れましょうか?そう尋ねるより早く、ダージリンはベッドに倒れ込んだ。アッサムが脱いでベッドの上に畳んで置いていたセーターを掴んで、顔を押し当てている。

 拗ねているし、疲れているし、アッサムと夕食を取ることができなかったことに、腹を立ててもいる。


 背中が“構って”と呼びよせていた。


「ダージリン」
「…………明日、何時に出るの?」
 さっきまで着ていたセーター。顔に押し当てたままの篭った声は、出来るだけいろんな感情を爆発させないようにと、ダージリンなりにアッサムを気遣ってくださっているのだ。


 言いたいことはわかるし、同じ気持ちだけれど、どうしようもない。
 お互いに知ってしまっている感情は、ときにそれを表現する言葉を奪う。けれど身体からは、簡単に逃がせないということも知っている。


「朝、6時です」
「5時には起きないと」
「そうですわね」

 パソコンを閉じずベッドの上に上がり、頭を撫でた。ダージリンは顔をアッサムのセーターに隠したまま、声の場所を頼りにしがみ付いてきた。


 篭った寂しげなため息の塊を、アッサムは肺に吸い込んだ。


「3日目の何時頃に戻るのかしら?」
「予定では、15時半ですわ」
「訓練中ね」
「えぇ。ですので、報告会は17時半からですわ」
「………そう」

 ちらりと青いセーターから見せた、子犬のような瞳。膝の上に頭を置いて、真っ直ぐに見つめてくる。


「ねぇ、アッサム」
「はい」
「………少し、このままでいたいわ」
「構いませんよ」

 静かな空気の中、控えめに響くパソコンのモーター音を気にしながら、ダージリンの手がアッサムの左手を握りしめた。
 こんなことは、我儘にすら入らないけれど、明日の準備をしていることを気遣ってくださっているのはわかっている。

 互いの存在が、互いのなすべきことの道を塞がぬように。
 互いの大事なものを、同じくらい大事にして、同じように守る。
 好きになって、好きだと告げられた時から、ずっと守り続けてきた。
 それぞれの好きだという想いを信じ、傍にいる。


「ねぇ、アッサム」
「はい」
「いない間、私はこの部屋で生活をするわ」
「構いませんわ」
「アッサムが使っているシャンプーも使うわよ」
「えぇ、どうぞ」
「アッサムのタオルも」
「はい」
「アッサムの使っているブラシで髪を梳くわ」
「ご自由に」


 全て、お好きなように。そう応えると、満足そうに瞼を閉じた。


「アッサム」
「はい」

 握りしめた指先。冷たい温度。離さないでと泣くその左手。


「あなたの匂いがないと眠れないの」
「えぇ、承知しています」
「本当よ」
「えぇ」


 そのセーター、預けておきます。
 アッサムは呟いて、吐息で前髪を優しく撫でた。


「好きよ、アッサム」

 当たり前のように与えてくださる感情。
 その中にある色とりどりの想いがすべて、アッサムだけのもの。

「私も好きです」
 

「あなたの匂いのせいで、眠いわ」
「もう少し、こうしています。休んでいてください」

 目を閉じて、浅く寝息を繰り返す人。
 アッサムの半神のような存在。
 離れたくないと絡めた指先。



「………朝、私を抱いてから出て行って」
「わかりました」



 膝に頬をこすりつけて、子供のような寝顔。
 アッサムだけが知っている、この寝顔。


 ダージリンの弱さが好き。
 アッサムだけにさらけ出す弱さが好き。


Actress

炎天下、蒸し暑さに耐えて夕闇が訪れるまで続いた訓練。黒森峰との試合を間近に控え、隊員たちはへとへとになって寮へと戻っていく。いつもは元気が有り余っている1年生たちも、今日は無言でダージリンから逃げるように姿を消した。
 ここ数日、ダージリンは明らかに疲れが溜まっている。決してそれを態度にして見せつける人ではない。しかし、完璧であろうと背筋を伸ばして、微笑んでいる瞳に映える演技が、ダージリンをよく知る人には痛々しく見えてしまうのだ。


 『ダージリン様がお疲れなのは、私たちのせいかもしれない』


 ルクリリたち1年生は、ダージリンの笑みを見ては怯え、どうしようもなくて逃げてばかり。誰かの何かが悪いということではないと伝えても、それなら、何とかして欲しいと言われる始末。


 重荷を1人に背負わせたいわけではない。ダージリンという聖グロの隊長は、自ら進んですべての責任を背負い、孤高であろうとする。そのことが美しいと言わんばかり。

 そして、その美しさを誰もが望んでいることを、ちゃんと自覚しておられる。




「ダージリン」




 寮に入る直前まで凛々しく、無理やりな笑みを振りまいていたその人。手を取り、アッサムの部屋に引っ張り込んだ。流れに逆らえずによろけるような足。重たい、伝統と言う足かせを引きずってズリズリ響く音が聞こえてきそうだ。


「………なぁに、アッサム」


「あの、抱きしめてもいいですか?」


 ここ最近、ゆっくりと2人だけの穏やかな時間はなかった。夜中まで地図を広げて話し合った後、別々にお風呂に入り、気を失うように眠りにつく。当たり前の様にベッドの隣に眠っても、アッサムはダージリンの疲れが気になるし、ダージリンもまた、いつもアッサムの身体を心配した声を掛けてくださる。

 口づけもない。どうして、彼女がアッサムの唇に触れてくれないのか、理由は知っている。
 とても疲れていると、唇から伝わることを怯えているから。
 触れないことで隠そうとして、いつの間にか、互いの身体に触れることもしなくなっている。肩に手を置くことすら、気を使うほどに。



 お互いに、今、一番何が大事なのかということを分かっている、“フリ”をしている。


「どうしたの?何か辛いことでもあって?」


 浅く繰り返される呼吸は、疲れを見せまいとする瞳の揺らぎを、誤魔化すための演技。


 直視できずに視線を逸らした。
 辛いことを背負っているのは、ダージリンだと言うのに。
 その台詞を先に言わせてしまう、自分の愚かさにため息すら出ない。


「…………辛いことは何もありません。私の傍には、いつもあなたがいてくださいますもの」


「そう。ありがとう、私もよ」

 わずかな躊躇いの後、力なく、だらりと落とされていた腕を無理やりあげて、冷えた指先が頬に触れてくる。



「もしかして、抱きしめて欲しいの、アッサム?」


 違う。
 アッサムがダージリンを抱きしめたいと願ったのだ。


 慰めてあげたいと、そう強く願ったのはアッサムなのに。


「………ズルいです、ダージリン」
「ズルいの?」
「……たまには、私に甘えてください」


 乱暴に腕を回して、強引にでも抱きしめることができればいいのに。
 言葉を紡ぐことで精いっぱいで、情けなさが雫になってその指先に落とされていく。


「アッサム、あなた、疲れが相当溜まっているのよ」
「違います、私は……私は……」


 いつも、ダージリンのためにと願っても、何の役にも立てていない。


 背中に触れてくれた温もり。
 瞳の疲れている温度。
 抱きしめたいと願ったこの腕を、どうすればいいのだろう。


「ダージリン………」
「なぁに?」


 嫌いだと思った。
 その言葉だけでも、伝えたかった。


「そうやって、自分を誤魔化すあなたが嫌いです」


 騙し合いではなく、互いに続ける演技をもう少しまだ、続けなければならない。
 そうさせているダージリンのことが嫌い。
 それを許してしまう自分のことも嫌い。


「………夏の戦いが終わるまで、あなたに甘えることはしないわ。終わってから、命いっぱい甘えるの。それを楽しみにして、今を乗り越えたいのよ」

 縋りたいとあげた腕。致し方なくその鎖骨に顔を埋め、涙を押し付ける。

「………だったら、もっとうまく“ダージリン様”を演じてください。私には、見るに耐えられない酷い演技ですわ。ほころびが気になって、仕方ありませんの」
「そのようね。申し訳ないわ」

 このままじっとしていても、冷え始めた汗がただ、不快なだけで。
 アッサムがダージリンを抱きしめてあげることなど、出来るはずもなくて。

「…………必ず優勝してください、“ダージリン様”」
「えぇ、そうね。終わったら、私を抱きしめて」
「肋骨を折って差し上げますわ」
「まぁ、楽しみだわ」


 偽りの女優に抱きしめられた身体。
 ほんの少しだけでも、重荷を分けてくださればいいのに。


 それすらも、してくださらない彼女が嫌い。




 あぁ、好きで仕方がない。

 














大切な儀式

「ダージリン」


 ドアの鍵穴に外から鍵がさしこまれる音。視線を注いでいると、つまみがゆっくりと横から縦になった。部屋の主以外でそんなことができるのは、スペアキーを持つ人だけ。
 机には図書室で借りていた分厚いイギリス戦史の本と、開かれたままの辞書。ダージリンは名前を呼ばれて、指で差していた単語から視線をその人に向けた。

「何かしら、アッサム」
「お勉強中ですか」
「思わず手に取ってしまったのに、開かずに返すのがもったいなくてね」
「そうですか」
 
 食堂で夕食を共に取った後、少し机に向かうと告げてダージリンは部屋に籠った。ある程度読み進めて、キリの良いところでしおりを挟むつもりでいたが、それまであと10ページ程残っている。

「どうしたの?」
「………いえ。暇を持て余してしまって」
「お茶、淹れましょうか?」

 本が好きと言う点においては、アッサムもかなりのものだ。もっとも、文学を好むダージリンと、論文なんかを電子書籍で読み漁るのが好きなアッサムとでは好みの種類は違う。どちらかと言うと、こういう歴史本なら、アッサムの方が好きだろう。ただ、原文なので、彼女は読んだりしない。一度しおりを挟んで、珍しく部屋に来たアッサムのためにお茶を、と立ち上がろうとしたら、腕で制された。
「いえ、お茶は結構です」
「そう?」
「………あの」
 少し困っていると眉をひそめた様子を見せられて、その手を条件反射的に取った。
「何かお悩み?」
「いえ」
 アッサムは一度俯いて、それからダージリンが座る椅子のひじ掛けにそっと触れる。タイツの摩擦音。靴を脱ぎ、何をしようとしているのだろうか。様子を伺っていると、ふわふわとした髪を後ろに払って、ゆっくりとダージリンの膝の上に対面するようにまたいできた。
「アッサム?」
「……あの、こうしていてもいいですか?」
「えぇ、構わないわ」

 食事は必ずアッサムと一緒に取るし、プライベートの時間はほとんどアッサムの部屋に籠っている。天気がいい日は2人でどこかに出掛けることもある。壁を壊すことができれば、2人の部屋の間にもう一つドアを作りたいところだけれど、ダージリンが自室に篭ると言うことなんて、今はもう、ほとんどない。そう言えば、辞書などがいらない本ならば、アッサムの膝を枕にして読みふけってしまうほど。勉強をしなければならない時は、アッサムと一緒に図書室に籠っている。それくらい、彼女の傍にいる時間は多い。篭ったことで、寂しい気持ちにさせてしまったのだろうか。

「ダージリン」
「なぁに?」
「…………朝、ご自分でおっしゃったセリフを忘れましたの?」
「朝?」

 朝、どんな会話をしただろうか。少し朝が冷えるようになったから、裸で寝ていたら風邪を引くかも、と言う会話をした気がする。お風呂に浸かって身体を温めながら、ずっとキスをしていたから、その時は会話をしなかった。朝食の時は何を話しただろう。1年生がすぐ傍にいて、中間試験の結果で、ついにルクリリが1位を取ったと言う報告を受けながら、悔しそうなペコを慰めていた。
「お忘れのようですね」
「朝の何時ごろのお話?」
 とても素直に甘えてきているのかしらと思ったけれど、どうやら少々機嫌がよろしくなさそうな、ひそめた眉に膨らませている頬。ダージリンは右の人差し指で頬を突いた。
「お目覚め、開口一番のことですわ」
「…………裸で寝てしまったわね、っていう開口一番?」
「その後のセリフをどうぞ」
 誘導されて、アッサムとの朝のひと時を思い出してみる。その唇の感触を確かめて、冷たいと言った。そして、何か小言を言われた。

「“セックスしたいって誘っておきながら、先に寝るなんてひどいですわ”」
「それは、私のセリフですね」
「………そうだったわね」

 そう言えば、髪を乾かしているアッサムをよそに、寝間着を部屋から持ってくることをうっかり忘れていたダージリンは、バスローブを脱いでベッドに潜っていた。その後、目が覚めたら辺りはすっかり朝の景色だったのだ。疲れていたと言うわけではなかったが、つい、気が緩んでそのまま寝入ったのだ。
「思い出したわ。夕食が終わったら、すぐにお風呂に入ってセックスしましょうって、言ったわね、私」
「そうですわね。悪びれる様子もありませんでしたわね」
 朝も、こんな風に小さく頬を膨らませていたのを、たった今思い出した。機嫌を取るようにキスをして、それほど、今すぐにしたいのならしてもいいって言ったら、髪を引っ張られて拒否されたのだ。朝から体力を奪われたくはない、と。
「アッサム、お怒りのようね」
「呆れているんですわ」
「拗ねているのでしょう?」
「………あなたと言う人は……」


 拗ねた頬。噛むように口づけると、前髪を引っ張られて拒絶されてしまう。欲しいと言う心と、許していないという心。どちらも等しいというアピールをしてくるアッサムの身体は、それでもダージリンの膝の上にいるという時点で、すでに振り子は傾いているのだ。


「本なんていいわ。今すぐしましょう」
「………まず、ごめんなさいと言ってください」

 これは儀式。
 まずは拗ねた幼い心を慰めて、沈めてあげなければ、呆れたため息の赦しをもらえないのだ。彼女もまた、簡単に許してしまいたくない演技をして、ダージリンがどれだけアッサムを想っているのかを確かめたいのだ。お互いに腹を探り合わずとも、考えていることくらいわかる。


「ごめんなさい、アッサム」
「………それで?どうされますか?」
 少しとがらせた唇のまま、ダージリンの黒いネクタイをセーターから抜いて、シュッと布を擦らせながら外していく指先。胸元のボタンが1つ外された。
「アッサムの言う通りにしますわ」

 自分が宣言したことは、達成できないことがあるけれど、アッサムの命令に従わないなんてことは不可能だ。初めから、言ってくれたらよかったのだ。夕食後、セックスがしたいと。もしそうだったら、絶対に忘れなかった。


 なんて、言い訳をすれば、ビンタされるのはわかっている。


「…………まずは、キスしてください」
「喜んで」



 これも儀式。
 怒ったアッサムがダージリンを許す時は、ちゃんと想いが伝わっているのかを確認してくる。
 偽りのない唇と、偽りのない指先で、互いの心の中に互いがいることを確認する。



「アッサム、ここでする?」
「嫌です。お風呂に入ってからにしてください」
「では、降りてくださらない?」
「………それも嫌です」


 一体、どうしろと言うのかしら。しがみついてくる両腕に圧迫されて、鎖骨に押し付けられた顔。鼻を擦るアッサムの匂いがするセーター。息苦しさを我慢して、そのセーターの中に腕を差し入れて、冷えた手を温めてみた。

 肺に流し込んだ空気が、盛大なため息となってアッサムの身体から逃げて行く。

 その中に混じる想いは、全部が清らかなものではないことは、まとめた三つ編みに圧し掛かる重みでわかる


「もう少し、こうしていたいの?」
「昨日、ベッドに入ったら寝息が聞こえてきて、本当に呆れましたわ」
「……そうね、ごめんなさい」
「幸せそうな顔で寝てしまって」
「アッサムのベッドで眠ることは、幸せなのだから、そう言う顔をするのは当然よ」

 耳たぶを引っ張られて、そう言う所が反省していない風に見えると怒られても、ダージリンの肺に流れ込むアッサムの感情は、すでに怒りも呆れも薄れて、甘い想いが満たそうとしてくるのだから。

「ダージリン、あなたと言う人は」
「アッサムが好きよ」

 …
……
………

「………私も好きです」

 好きと告げれば、好きと返ってくる。
 どんなに喧嘩をしているときでも、必ず好きと返ってくる。

「お風呂に入りましょう?」
「まだ、ダメですわ。もう少し、お預けです」

 足がしびれるほど、膝の上に乗ったアッサムにきつく抱きしめられたまま。
 寂しい夜を過ごさせた罰を、もうしばらく受けることになりそうだ。



「酷い罰だわ」
「当然です」




 
 アッサムの甘い香り。



 胸が苦しい。








あなたに希うものは、私への恋 END

「………………夢?」

 息苦しさを覚えて、ベッドから飛び起きる。充電の終えた携帯電話の青い小さな光。
 腕を伸ばして充電器から抜き取って、画面を付けた。午前3時。


「いたっ……」

 急に襲った痛みは、人差し指の爪が剥がれていたことを思い出させた。電気を付けて確認してみると、わずかに血が滲んでいる。妙な夢を見たせいで、何かを掴んだり、何かにぶつけたりしたのだろうか。ダージリンに、きちんと病院に行けと言われたけれど、結局その時間が取れずに、応急処置を施したまま。

 痛みに湧き出た汗をぬぐいながら、もう一度ガーゼを巻きなおして、歯を使いながら包帯を巻きなおした。


「アッサム?どうしたの?」
 

 硝子の壁に囲まれた閉塞感の中、うずくまり、ダージリンの名を叫び続けたのは、本当に夢なのだろうか。喉に違和感を覚えて水を飲んでいると、控えめなノックが聞こえてきた。


「………ダージリン?」

「アッサム、大丈夫?」


 午前3時を回っていたはずの時間。廊下から聞こえてくるダージリンの声。


 あの叫びで、ダージリンは助けに来てくださったのだろうか。


 助けてと叫んだ。
 彼女の名前を呼んだ。
 何度も。恋しいと想いを乗せて叫んだ。


 ………でも、助けてはくださらなかった。


「アッサム、開けて」

 心配そうな、それでも静かに呼ぶ声。呼吸を整えて、木でできた扉の鍵を開け。
 歪むことのない暗い廊下が広がり、心配そうなダージリンの姿がとてもはっきりと見えた。



「…………ダージリン」
「大丈夫?」
「………何が、です?」

 追い出すより早く、身体を滑り込ませてきたダージリンは、当たり前の様に抱きしめてきて、当たり前の様に髪を撫でてくる。ぶらりと垂れさがったアッサムの両手は動かすことができない。その背を抱きしめてしまえば、彼女を硝子の中に閉じ込めてしまうだろう。


 誰も、触れないように、と。
 誰の物にもならないように、と。


「何度も助けてと聞こえたわ」
「………そうですか?」
「私の名前を何度も呼んでいたわ」
「………夢を見ていました」


 右の人差し指にズキズキと痛みを感じる。ずっと、早くこの痛みから逃れたくて、ベッドにもぐりこんだはずだ。
 それよりも、押し付けられる唇の温もりを忘れたくて、明かりを消してうずくまったはずなのに。



「……夢の中の私は、あなたを助けた?」





『本当は、知っているのでしょう?硝子なんて、簡単に割れるはずよ』



 ダージリンが硝子の向こう側で、アッサムに向かって告げていたはずだ。
本当は、自分から硝子の中に閉じこもっていたのだ。



「…………いいえ」
「そう」
「…………離れてください。ダージリンに抱きしめられたり、キスをされたりすると、また悪夢を見てしまいますわ」
「私が助けるエンディングを迎えれば、悪夢じゃないでしょう?」

 どれ程拒絶しようとも、それを乗り越えて心に侵入しようとしてくる人だから。
 アッサムは夢の中で、硝子の部屋の中に逃げたのだ。

 冷えた唇に押し当てられる想いは、アッサムの身体を侵す感情と同じであって、同じではないのだと思い知らされていくだけ。


「これ以上………私の中に入らないでください」
「そうやって、自分の周りにどれだけ壁を作ろうとも、私はあなたが好きよ。必ずあなたを助けて差し上げるわ」


 逃げればいいだけなのに。
 この唇から。
 この温もりから。
 この声から。


「……………無理ですわ。ダージリンが、ダージリンでいる限り」

 逃げもしないのに、助けを乞う程に好きだという想いを、彼女はわかってはくださらないだろう。



 どれほどに好きでも、アッサムの想いは、ダージリの望む程度の好きではない。


「アッサムはとてもズルいのね」
「…………そう、ですわね」

 包帯を巻いている人差し指で、そっと、罪深い、その唇をなぞった。

 染みた消毒液の匂い。
 真っ直ぐに見つめたまま、逸らしてはくださらない瞳。
 甘く噛まれた指先に感じる、ジンジンとした痛み。


「気を付けなさい、アッサム。次に魘されて私の名前を呼んだら、私はあなたの身体を無理やりにでも抱くわよ」




『本当は、知っているのでしょう?硝子なんて、簡単に割れるはずよ』



 歪んで映る硝子の向こう側で、ダージリンは笑っていたのだろうか。
 怒っていたのだろうか。
 悲しんでいたのだろうか。


「それくらいなら………どうぞ、ご自由になさって」


 唾液をにじませた包帯。痛みがあるのかないのか、もうわからない。頬を撫でられて、逃げるように出て行ったダージリンは、きっと泣いていた。


 ガタンと閉ざされた木の扉。
 歪んだ景色すら見えない。



 もう一度、明かりを消してベッドにうずくまった。


 あの夢の続きはない。


 夢ではない、現実なのだから。

あなたに希うものは、私への恋 ①

 目が覚めると、世界がゆがんでいた。
 瞳がおかしくなってしまったのか。
 瞼を擦ってみても、目の前に広がる何かが、やはり奇妙に感じる。
 何か、得体のしれない空間の中に閉ざされている。
 ベッドのシーツの白はいつも通りだけれど、それ以外のすべてが見慣れないものだ。

 円形のRを描く世界。自分の姿が滲んで見えた。

 

「………硝子?」


 手を伸ばし、そっと触れた何か。
 質感はとても冷たく、指紋を薄っすらと残す。


「硝子……だわ」


 指先で触れたまま、ゆっくりと歩いた。Rを描き一周してみる。自分のよく知るベッドを囲む丸い硝子の壁。天井を見上げると、だんだんと尖って行っているようで、先が見えない。


「ダージリン……。ダージリン?」

 状況を把握するためにベッドの上に座り、硝子の向こう側を見つめた。
 透明な壁の向こう側は真っ白で、何もないのだろうか。
 誰かが外の世界にいてくれないだろうか。
 ダージリンの部屋はどうなってしまっているのだろうか。
 
 そもそも、これは一体何事なのだろうか。 
 
 

 壁の向こう側。何かが近づいてきている。その近づく音すら聞こえない、分厚い硝子の壁。

「………ダージリン……」

 そうであってほしいと、希った。アッサムを助けてくれるのは、アッサムを想ってくれているのは、この世界で1人しか存在しないのだ。ここがアッサムの居るべき“世界”であれば。


「ダージリン?」


 歪んだ世界の向こうにいるのは、その縁取りは、心から恋しいと想う人。


「ダージリン!!」


 なぜ、自分がこんな巨大な硝子の中に閉じ込められているのかは、わからない。
 入り口はどこにあるのか。どうすれば出て行くことができるのか。
 誰が、こんなことをしたのか。


「ダージリン!助けてください!」


 硝子を叩いた。鈍い音だけが身体を震わせた。

「ダージリン!」

 壁の向こう側にどんな音となって、叫びが届いたのだろう。

 本当はとても好きですと、そう、伝わってしまっただろうか。

 




『 “            ” 』






 屈折したダージリンの顔は、笑っているのか怒っているのか、あるいは泣いているのか。それすらも何も見えなくて。

「待ってください、ダージリン!助けてください!ここから出してください!」


 歪んだ透明な世界に閉ざされた、どれだけ叩いても、割ることができない硝子の壁。



 ダージリン!
 ダージリン!
 ダージリン!

 硝子の壁に向かって叫ぶ声は、反射してアッサムの耳に突き刺すように返ってくる。
 自分の慟哭に耐え切れずに耳を塞いだ。
 蹴っても、殴っても、鈍い音ばかり。


 ダージリン
 ダージリン、行かないでください
 行かないでください
 助けてください

 金の髪、青いセーター。その背中が少しずつ硝子に反射せずに遠ざかって行く。


 ダージリン

 この声がその名を叫べば、その音でこの身体が殺される気がして、頭を抱えてうずくまった。

Tea with Milk

アッサムティーが苦手だった。
 舌の奥に少し残る苦味が好みじゃない。

 茶葉だけの色や味わいを楽しみたいと思うと、アッサムティーを避けるしかなく、ずっと飲まずにいた。ミルクを淹れると、何となく子供っぽいと思ってしまう気がして、いつも、ストレートでも美味しく感じるものばかりを選んでいた。

 たぶん、背伸びをしたい子供だったのだ。


「それは、ダージリンティーですか?」


「………え?……えぇ」

 入学式の数日前。すでに学生艦に住民票を移し、寮の準備も終えていた。学校の中を私服姿で散策することは流石にできない。持て余した暇を潰すために、地図を持って街に出てみた。 
いくつかのブロックに分かれている街。船の上だと言うのに、海が見えない程広い。赤い二階建てのバスが、時速30キロ以下でゆっくりと隣を追い越していく。その真っ直ぐに大きな道をひたすら歩いていると、4つ角の信号の向こうに、レトロな喫茶店が見えた。何やら、お菓子と紅茶が店内で楽しめる、と書いてある。


「あ、ごめんなさい…いきなりでしたわね」
「いえ」
 
 それほど広くはない店の2階。控えめなクラシックのBGM。窓のすぐ傍に腰を下ろして、ダージリンティーと、スコーンを注文した。街を眺めて、やっぱり船の上だなんて、全く感じないものなのね、と思っても、その考えると言うことにすぐ飽きてしまう。学生生活は、まだ何も始まってなどいないから、あれやこれやと想像することさえできないのだ。

「嵩森さんはお1人?」
「……えぇ」

 目の前に立っているのは、真っ白いスカートに、薄手の桜色のカーディガン姿の少女。名前を知られていることに、違和感はない。中学時代はクラブチームで隊長をしていたし学校の代表を経験していた。いろんな人に、声を掛けられることには慣れている。

「よろしいかしら?」
「どうぞ、嵩山さん」

 そして、彼女の名前も知っている。砲手としては中学時代に名前を聞いたことがあった。県では最優秀砲手に何度も選ばれていた人。東日本チームの時に一緒のチームになったことだってある。

 その時は、一度も声を掛けなかった。
 何も会話をしなかった。
 互いの自己紹介をその他大勢と聞いていた。でも、顔も名前も覚えている。


 とても可愛い子だと、記憶にとどめておいたのだ。


「名前、覚えていてくださったんですか?」
「顔と名前は覚えるわ」
 とても自分と似ているから、すぐに覚えたのだ。印象深かった。顔も名前も。
「一度、同じチームでしたものね」
「同じ名前でしたわね」
「えぇ、漢字違いの同じ名前ですわ」

 アッサムティーとベリータルトが彼女の前に運ばれてきた。たっぷりのミルクが先に注がれたあと、苦味のありそうなアッサムティーがティーカップの中に円を描いて落とされていく。

 ずっと、避けていた飲み方だ。目の前の彼女はそれが当たり前と言わんばかりに、ミルクの味を足したアッサムティーを美味しそうに飲み始めた。


「あなたは、アッサムティーが好きなの?」
「え?」
「いえ、とても美味しそうに飲むものだから」
「小さい頃から、ミルクティーが好きだったので。癖がありますけれど、ミルクを淹れると、マイルドになって飲みやすいですわ」

 この子と仲良くなりたいのなら、アッサムの茶葉から淹れるミルクティーを美味しく飲めるようにならなければいけないらしい。とはいっても、もう何年も避けているものだ。美味しいと思えるようになるだろうか。

 いえ、アッサムティーを美味しく飲めれば仲良くなれる、という保証など何もないし、そうならなければいけないということもない。でも、とても美味しそうに飲んでいる、その対に座りながら、それを苦そうに見つめる訳にはいかない。


「アッサムティーは苦手ですの?」
「……え?どうして?」
「いえ、苦そうだわって、言いたそうなお顔ですので」
「………そういうつもりではないわ」

 どういうつもり、と突っ込まれないようにティーカップで顔を隠しながら、数秒だけ窓の外に視線を逃がしてみた。まばらな人の流れ。車もほとんど通らない。風もなく、5分咲きの桜が入学式に合わせようと必死に花を咲かせている。

 彼女の視線は、ミルクを混ぜたティーカップに注がれたまま。時々視線を感じて、そのたびに意図的に視線を逸らして。そんなことをしても、すぐに空っぽになってしまうティーカップ。


「三大茶葉の名前、もう何年もティーネームとして使われていませんわね」
「そのようね」
 空っぽになったのを察してくれたようで、彼女がミルクポッドを手にして、視線を重ねようとしてきた。左右に逃げた瞳は、自らのティーカップを差し出すことで彼女へと定まった。

 ミルクを注ぎ、自分の手元にあるアッサムティーをその上から乗せてくる。ダージリンティーはそれじゃないのに。言おうとしても、もう遅い。初めから、そのつもりだったに違いない。


「今年、8年ぶりにダージリンを受け継ぐ人物が、現れるかもしれませんわ」
「そうなの?」
「えぇ。アールグレイお姉さまたちは、すでに目を付けていると聞いています」
「あら、あなたのこと?」
「まさか。私は砲手ですもの。そんな偉大なティーネーム、私の身体には似合いませんわ」


 あなたには、アッサムというティーネームが似合っている。そう言おうとした。


 …
 ……
 ………


 一口飲んだミルクティーは、やっぱりちょっと苦味が残っていたので、イメージじゃないかもしれないと思って言わなかった。

 色白で、小柄で、フランス人形のような彼女。甘ったるいフレーバーティーの名前の方が似合っている気がする。あるいは、キャンディやルクリリという、響きが愛らしい名前。

「苦い、って思いました?」
 何を読み取られたのだろうか。わずかにひそめた眉だろうか。閉じた口の中で遊ぶ舌の動きだろうか。
「……ダージリンティーよりはね。でも、そうね、ミルクを淹れてマイルドになるし、甘いお菓子には合う気がするわ」
「そうですか。よかったですわ」

 彼女のティーポッドの残りをもらったので、代わりにその空いたティーカップにダージリンティーを注いだ。踊る色濃いダージリンティー。

「………聖グロに入って、あなたとお友達になるには、ストレートティーに慣れた方がいいですわよね?」

 香りを確かめながら、ちょっとだけ眉をひそめた彼女は、意を決したと言う頬。一口飲んで、味を確かめる様子は、子供が嫌いな野菜を飲み込むのを見守っている母親のような気分になった。

「ごめんなさい、苦手だったのね」
「いえ。私もあなたの苦手を飲ませたんですもの」
「………まだ、入学してもいないのに、早々、お互いの秘密をばらしてしまったわね」
「そうですわね」

 甘いタルトで誤魔化しながら、彼女は小さく微笑む。


 瞳を逸らそうと思っていたのに、惹きこまれて、見つめていたいと願ってしまうのは、アッサムティーにそんな麻薬作用があるのだろうか。


 まさか、あるはずない。


「アッサムティーをストレートで飲むよりは、ずっと飲みやすいですわ」
「そうね、ダージリンはアッサム程、苦味がずっと残ると言うほどではないわね」
 もう、アッサムティーのそれが苦手で嫌なのだと言っているようなもの。言っておきながら、誤魔化すように飲むのは、そのアッサムティー。また、舌に残る苦味。思わずスコーンを手に取りたくなった。
「もし、苦いと思っておられるのなら、ダージリンとブレンドをしたものを飲んでみるといいですわ」
「ブレンド?」
「えぇ。ブレンドしたものにミルクを注いで飲めば、より柔らかい味になりますし、甘いお茶菓子とも相性がいいですわ」
「………そう。では、学校でお茶をご一緒するときは、ブレンドティーにしましょう」
 
 彼女が淹れてくれたアッサムティー。

 たっぷりのミルク。

 もっと飲む習慣を持っていれば、克服できない味ではなかった。やっぱり、子供だったのだ。ミルクも砂糖も、茶葉の香りや味わいを邪魔することはない。嗜み方にはきっと、正解はない。そのことを知ると言うことが、大人になると言うことなのだろう。

「これで痛み分け、ですわね」
「好きになる訓練ですわ」
「アッサムを?」
「えぇ。あなたも、ダージリンを好きになるはずですわ」

 はにかんで、手に持っていたティーカップを傾けた彼女。
 さっきとは違い、堂々と苦そうな表情が返ってくる。




「えぇ、そうですわね。きっと好きになりますわ、ダージリンを」

 

 
 “アッサム”はすでに知っていたのだ。



 誰が、“ダージリン”というティーネームを受け継ぐのかを。



Always

「………ダージリン?」

 課題に追われている放課後。同じように課題に追われているクラスメイトたち。図書館の中央にずらりとある机には見知った顔が並んでいて、みんな、一心不乱に薄紙を捲る音と、ペンを走らせる音をたてて、まるで合奏をしているようだった。 
 アッサムも電子辞書と古い本を積み上げて、胸を張って得意だとは言えない英語で書かなければならないレポートに向かい合い、その合奏に参加していた。ノートパソコンでのタイピングに馴れきっていても、必ず授業の提出物はレポート用紙に手書き。机に90度の角度で開かれたノートパソコンではなく、真っ白い紙。消しゴムが紙を擦る音。時々、誰かがヒソヒソと隣にいる人に声を掛けては「わからないわ」「どうだったかしら?」などと言ったコメントが耳に届いて、それが少し気になって、すぐに手が止まる。


 ペンのお尻を顎に押し当てて、うーんと悩んでいると、いきなり腕を掴まれた。隣に座っていることはわかっていたが、声を掛けずに放っておいたダージリンが得意げに笑って、びっしり英文が書かれたレポートを見せてくる。

「私はもう終わったわ、アッサム」
「………そのようですわね」
「あなたは、まだみたいね」
「えぇ」

 戦車道の隊長であろうとも学生である以上、やらなければならない課題はきちんと提出をするし、また、成績は常に1位を保ち続けなければならない。本当はここに籠っても、みんなほど頭を抱えることもなく、すらすらと書き上げる才能は持っているはず。アッサムが図書館に来た時すでに席についていたのは、ちょっと予想外の出来事。まぁ、きっと、みんながここに来ると分かっていて、1人になるのが嫌だったのだろう。


 腕を放してくれないと、文字が書けない。アッサムはペンを左手に持ち替えて、その手の甲をぷすりと刺した。
「っ?!……何をするの?」
 驚きながらも、出来る限り声を潜めて抗議をしてくるダージリン。眉も顰めて小さく穴の形が付いた手の甲をかばうように撫でる姿。アッサムはしてやったりの顔を見せて、すぐにノートへと視線を戻した。今、ダージリンに構っていられないのだ。

「アッサム」
「……ダージリン、私の邪魔をしないでください」
「邪魔はしないわ」

 集中力を乱そうとするダージリンの声。耳元で息を吹きかけて、完全に暇を持て余した子供のようだ。そう言うのを邪魔と言う。帰ればいいのにって言えば、きっとすごく拗ねた顔をしてくるに違いない。相手にしなければ、これは次に別の行動をして、更にアッサムの気を引こうとするだろう。


 例えば、髪を引っ張ってくるとか。


「アッサム」
「髪を引っ張らないでください」


 頬を指先でつついてくるとか。


「アッサム」
「頬を突かないでください」


 脇をくすぐってくるとか。


「アッサムさん、私はもう終わったわ」
「……っ?!もぅ、邪魔しないでください。じっとしていられないなら、どこかで後輩たちとお茶をしていたらいかがです?」


 わかっていたと言うのに、それでも逃げられないのは、彼女がダージリンだからだ。ひそめた声で抗議をして睨み付けても、それもすべてわかりきっていると言うような笑み。


「アッサムが相手をしてくださらないと、つまらないわ」
「私を落第させるおつもりですか?」

 周りのクラスメイトは、みんな一心不乱。助ける気なんてさらさらないことは、長い付き合いだからわかっている。もっとも、ダージリンの相手など誰にもできないのだ。この人の相手は、1年生の頃からずっとアッサムの仕事。静かにして欲しいアピールはあちこちから感じているが、アッサムが悪いのではない。でも、みんなの目線は“アッサムが何とかしろ”なのだ。


 もう、こういうことには慣れている。アッサムは足元に置いていた学生鞄からタブレットを取り出して、数独のアプリを開いた。最難関と書かれたところをタップして、彼女の前に差し出して見せて、微笑みをひとつ。


「ではまず、私からの挑戦状ですわ。これをクリアしたら、お相手いたします」



 視線は、タブレットとアッサムを3往復。



「……………おとなしくしておくわ」
「そうですわね」


 タブレットを使いこなせない上に、流石に難易度が最高レベルの数独だと、解くのに必要な時間は10分なんてものでは済まない。黙っておとなしくしているようにと、こうやって命じなければ、ダージリンはダメなのだ。ダメと言うか、ダージリは、この一連の流れのすべてをただ、楽しみたいだけ。ある程度相手をして差し上げて、押し付けられたタブレットを、ふて腐れた顔で拒否したら、アッサムは勝利して、解放される運びとなる。


 クラスメイト達はきっと、“また相変わらず、コントをやってる”と心で大合唱しているはずだろう。それでもみんな、誰も手を止めずにレポートを書き続けていた。


 椅子を近づけてアッサムの手元を観察するんだろうと思うよりも早く、いそいそと、音を立てずに椅子を近づけてきたダージリン。


「………声を掛けないでくださいね」
「当然よ。おとなしく言うことを聞くわ」


 言うことを聞くのなら、図書館から出て、どこかでお茶をしていればいいのに。想いながらも、触れてくることもせず、ただ、じっとアッサムの手元を見つめるだけ。
 次のちょっかいが出てこないことは、十分にわかっているから、文句だって言えない。




 お互いに、先の行動が見えているのは、時々腹立たしいと思うことがある。




 すべて見透かされているから、結局、赦してしまうことは、最初から知られている。


 …
 ……
 ………


 何だか悔しい。


 筆箱の中から油性ペンを取り出した。
 傍にある綺麗な手首を掴んで、その甲に「バカ」と書いて差し上げた。




「……あら、好きと書くと思ったのに」



 慌てる様子もなく、微笑みを見せるダージリン。



「ご冗談を」



 アッサムは、ふて腐れるのが精いっぱいだと言うのに。




 その余裕の笑みが、やっぱり何だか悔しかった。



秋桜色の瞳

 つい先日まで10月なのに暑いわねと、お茶会をするたびに語り、涼しさがいつになったら来るのかしらと、ジャケットの出番を待ち遠しくしていたはずだった。
 
 秋晴れのような空。
 吸い込む空気はカラカラとしていて、ゆっくりと進む船の上だと言うのに、見上げる景色に一つの変化もわからない程、雲の姿はなかった。これからの航路には、夕方を過ぎたあたりから、雨が待ち受けていると言っていたが、その言葉を疑いたくなるような青。
 せっかくの休日でも、住民たちと学院長を含む、関係者との会合ですべて予定を埋めてしまっていた。のんびりと、この少し暑いくらいの秋の匂いを楽しむ余裕は取れそうにはない。


 休みの日にまで付き合う必要もないからと、ペコたちを連れて行かずに、1人で赤バスに乗って街へと出た。ランドローバーを自分で運転するよりも、何となく、少しでも集中力を休めたいと思ったのだ。バス停が止まるたびに、見知らぬ住民たちから手を振られて、そして手を振り返す。声を掛けられたら、微笑んで挨拶を交わし、そんなことを繰り返しながら、目的地にたどり着いた。作った笑みはまだまだ、余裕さえ感じる。


 住民たちとの会合が終わり、引きつった頬をマッサージしてぼんやりしていると、学院長がこのメンバーで食事を、と提案してこられた。今からまた、赤バス鈍行でゆっくりと遠回りをして学校に帰っても、ランチタイムは終了している。どこかのお店に入り、1人で食べたとしても、学生艦の中心部の街。比較的人が多い場所でそう言うことをすると、目立って仕方がないだろう。もう少し付き合いなさいと耳元で囁かれて、片方の頬を上げ了解をした。学院長も、それなりに長い付き合い。1人だけ10代の女の子が、大人のおじさまやおばさま方に挟まれて、優雅“風”を装うことの煩わしさを知っていてくださる。


 腕に巻かれた時計は、13時前を指していた。空は相変わらず、船が動いているかどうかもわからない青。潮風を受けて育つ木々は、少しだけ彩を変えて行こうとしている。

 コスモスが見ごろだと、彼女が言っていたのはいつのことだったかしら。それは、一緒に観に行こうという誘いであることはわかっていた。「そうね」という答えを返して、後はお互いの時間を何とかすればいいだけのこと、と思っていた。
 雨雲へと向かう学生艦。彼女はふて腐れた顔を見せることはしない。それでもきっと心の中では、寂しそうに眉をひそめたもう一人の彼女を慰めているはず。あるいは、この空を眺めて、今のうちにと後輩たちの手を取って、コスモス畑に車を走らせているかもしれない。 
 それで気が紛れているのなら、そうしてくれて構わない。
 構わない、と言う言葉は良くない感情のような気もする。

 致し方がない、と言わんばかり。
 否、まさしくそう。

 否、そうだとするならば、やはり、腹立たしい。


 高級茶葉、高級食材を使ったサンドイッチを口にしても、やはり、味の決め手は誰と食べるかが大事なこと。美味しいと言えば、美味しいですね、と応えてくれる人が傍にいて初めて、すべての五感が働くのだ。スタンドのお皿を見ても、彩(いろどり)の良さに何かコメントをする気が起きてこない。一体、美味しいという言葉を、どのタイミングでどの人に伝えればいいのか。わからないまま、取りあえず頬の筋肉を緩めて表情のない瞬間を見せぬように。アフタヌーンティーの時間は、とてつもなくゆっくりと進んでいった。


 時間は流れ、かろうじてカーテンの狭間から見える空も、景色が流れたようだ。朝から見ることのなかった白い雲が見える。

 腕に巻かれた時計は、16時前を指していた。


 大人たちを見送り、学院長のアストンマーチンの助手席をお断りして、学校へと戻る赤バスの停留所へと向かった。20分に1本のバスは、あと10分ほど待たなければならない。

 空を見上げた。薄雲が空を擦ったように広がっている。向かう方向に待ち受けるだろう雲の色。明日の放課後、コスモスを観に行くにしても、天気が回復していないかもしれない。もう、すでに彼女の中には2人でコスモスを観に行くと言う選択肢は、消されてしまっているかもしれない。

 天気ばかりは、どうすることもできないのだ。

 致し方がない。
 腹を立てたりなどしない。
 

 流れる雲を呼びよせるように、強く風が吹いた。朝、セーターが暑いくらいだわと感じていたはずなのに。秋らしさよりも早く、両腕を擦りながら身震いしてしまうほどの体感温度。秋を忘れて、冬を呼び寄せる雨になってしまうのかしら。


 雨が降り始めるのは、もう少し後。セーターの網目を通る風はよけられることもなく、かといってピンと張った背筋を丸くする場所ではないことは知っている。あからさまに感じる視線。一番大きな街の中心部に立っているのだ。寒いと感じていることすら、誰にも見せたくはない。



「ダージリン」



 赤バスが近づく気配より早く耳に届いたのは、よく知っているランドローバーのエンジン音。腕を伸ばせば、丁度いい場所にある助手席のドア。下ろされている窓の向こうに、いつもの澄ました笑みがある。


「遅いわ、アッサム」

 作り続けた笑みを消して、寒さから逃げるようにドアを開けた。

「すみません、ちょっと出るのが遅くなってしまいましたわ」

 乗り込んでシートベルトを締めると、それを確認してからゆっくりとクラッチが離れて、ウインカーがカチカチと音を鳴らす。その膝に置かれていたブランケットが投げよこされた。彼女の温もりが残っている。思わず頬を摺り寄せた。

「ジャケットは後ろです」
「ありがとう」
「明日も雨の予報ですわ」
「えぇ、そうね。暗くなるまで、まだ少しあるわ」

 学校へと続く真っ直ぐな道。
 その途中で右に曲がった車は、小さな植物園へと向かって行く。
 
 シフトレバーを握る手の甲。冷えている両手で包み込んでみる。
 真っ直ぐ前を見て運転している彼女の眉が、ちょっと怒った角度になった。


「アッサムは、私のことが好きなのね」

「……………今更ですの?」
 
 呆れた声に感じる『好き』の温もり。
 

 その横顔をじっと見ていた。

彼女がメガネをかけたなら

「ブルーライトから、目を守る?」
「そうです。アッサム様も使われてはどうですか?」
 最近、グリーンがメガネを新しく買ったことは知っていた。記憶では5つ持っているはずだ。雰囲気が変わることもあって、見ていて飽きないものだけれど、持っているものすべてが伊達メガネらしい。本人曰く、キャラ作りのためだそうだ。グリーンはグリーンと言うだけで十分、聖グロの中でもキャラが濃い方だと思う。
 情報処理部の部屋に遊びに行くと、赤い縁メガネのグリーンが迎えてくれた。いつものように淹れてもらったコーヒーは、この部屋でしか飲むことができない、挽きたての豆から淹れられるもの。掛けているメガネ以外に、テーブルに置かれているのは、いつもよく掛けている黒い縁のメガネ。ふと、用途を分けているのかと聞いてみたのだ。
「それって、パソコンとか電子書籍を見る時に掛けるの?」
「えぇ、そうです。夜寝る前に、スマホをいじったりするときなんかも、目に優しいですよ」
 聖グロの学生艦の中にあるメガネ専門店にネットから注文すれば、すぐにでも届けてくれるのだそう。とはいっても、アッサム自身、それほど目が辛いなどの自覚症状もないし、ブルーライトを浴びて視力が下がっている、と感じたことはない。
「そうなの。グリーンは、伊達から伊達にわざわざ掛けなおして楽しんでいるというわけね」
「やっぱり、情報処理部の部長たるもの、メガネは必須ですよ」
 誰もそんな格言を作った記憶はない。と言うか、間違えた固定観念ではないだろうか。前のオレンジペコ様は、時々メガネをかけていらした。でも、あのお方は必要に駆られていたからだ。何か、情報処理部の子たちは、前のオレンジペコ様がメガネをかけた瞬間、悲鳴のようなものをあげて、妙なファンがいた。その筆頭がグリーンだ。
「………伊達なのに?」
「アッサム様、ダメですね~。今はおしゃれで伊達メガネを掛けるんですよ。でも、本当にアッサム様はパソコンを睨んでいることが多いんですから、気休め程度に使ってみたらいかがですか?何だったら、私が買っておきますよ?」
 要らないと言うよりも、もうネットの購入ページを開いて、勝手に選び始めている。思ったよりもずっと安いから、似合わなかったとしても、グリーンに引き取ってもらえばいいだけだ。無難な黒を選んで、グリーンに受け取ってもらうようにしておいた。アッサムには初めてのメガネデビューが、伊達なんて。





「アッサム様」
 次の日、商品はすぐにアッサムの手元に届けられた。副隊長が購入と聞いて、メガネ屋さんには安いものを頼んだはずなのに、勝手にグレードを上げたものをいくつも持ってきてくださったそうだ。
「………グリーン。私の目は2つしかなくて、メガネを掛ける耳も2つなの」
「その理屈で言えば、2つのメガネが必要ということで?」
「1つの目に1つのメガネがいるの?」
 メガネケースが5つほど並べられて、すべての蓋が開けられて、宝石を選ぶ人みたいだわ、と思った。アッサムは知らないけれど、メガネってこんな風に選ぶものなのだろうか。
「お好きなものをお選びください、だそうです」
 スクエア型のメガネを取って、取りあえず掛けてみた。まるで店員のように鏡が開かれて、グリーンが満面の笑みを浮かべている。
「どれでもいいわ。これでいいんじゃない?」
「せっかくなので、全部掛けてみては?」
 たった今、どれでもいいと言ったのに。グリーンはただ、見たいだけなのだろう。こういう人のことを、メガネフェチと言うのだろうか。それとも、何か魂胆でもあるのだろうか。

「………こう?」
「よっ!アッサム様、可愛らしい!」

 時々、グリーンのことがわからなくなる。とはいえ、聖グロの生徒の最高峰がダージリンなのだ。どうしてもあの人と比較すると、マシに思えてしまうのが悲しくなる。

 もう、何がいいのかわからないから、とグリーンに一番似合っていると思ったものを選んでもらい、しばらく使ってみることにした。


「見た?」
「見たわ。愛らしかった」
「そうよね。流石だわ。何をされても、アッサム様って素敵よね」


 放課後、どこかの学部の子たちが、黄色い声を上げているすぐ傍を通った。ルクリリは良く知る人物の名前が聞こえたので足を止めて、振り返ってみたけれど、何事かって聞くわけにもいかない。戦車道の生徒が、戦車道の副隊長のことについて聞くなんて、恥をかくようなものだ。
「……図書館の本を持ってたなぁ」
 通り過ぎて行った子たちは、手に何冊も本を抱えていた。聖グロの学校内には大きな図書館があり、一般住民にも曜日と時間が決められてはいるが、解放されていて、かなり昔の本や資料を読むことができる。情報集めのために、アッサム様が時々図書館に行かれるのは知っている。その背中を追いかけて、生徒たちがストーカーしているのは、有名な話だ。アッサム様は無自覚でいらっしゃるが、ダージリン様に劣らない程ファンがいる。ダージリン様は聖グロ以外の学生に人気が高いのだが、アッサム様は積極的に表立って活動されない分、聖グロの生徒の中ではかなり人気がおありだ。ダージリン様には偉大すぎて近づけない、と思っている他学部の生徒でも、アッサム様は親しみやすい雰囲気なので、それが人気の理由。といっても、親しみやすいというか、単に出来の悪い生徒の教育係をしているから、周りが勝手に親しみを持っているだけなのだろうけれど。

 出来の悪い生徒の中には、ルクリリもいるわけで、一応。

 一人ノリ突っ込みをしながら、足は図書館へと向かっていた。特に用事があるわけではないけれど、可愛らしいアッサム様とやらを見に行かないと。午後の訓練の時も相変わらず可愛らしかったし、相変わらず、ダージリン様のお傍にいらしたし、相変わらずローズヒップのお尻を叩いていらした。



「………ん?」
 図書館に入ると、明らかに本を借りに来たわけでも、読みに来たわけでもないような生徒たちが、柱から何かを眺めている姿がチラホラ見えた。彼女たちの背後から、“わ!”って驚かせたいけれど、アッサム様にばれたら、お尻を叩かれるだけじゃ済まない。視線の遠く手をかざして、並んでいるテーブルにはアッサム様のお姿。パソコンを開いて、何かの資料をまとめておられる様子だ。
 他学部のファンとは違って、ルクリリは堂々と話しかけることができる。どや顔をしながら、アッサム様のお傍に近づいていった。

「アッサム様」
 パソコンに真剣に向かい合っているその後ろに回り、肩に手を置く。なんだったら、ルクリリは何の抵抗もなく、身体に抱き付くことだってできる。ダージリン様の前でやれば、視線で半殺しになる時もある。
「あぁ、ルクリリ」
「…………あっ、メガネ」

 今日は、一段とアッサム様に注がれる視線が多いのは、これが理由らしかった。

「えぇ、ブルーライト対策にね。まだ、効果があるかないか、わからないけれど」
「あぁ、PCメガネっていうやつですね」
「グリーンが薦めてくれたのよ」

 周りの熱視線もついでに、カットしてくれる機能がついているのだろうか。ルクリリは隣に座って、マジマジとのぞき込んでみた。


 いつも可愛らしいけれど、これはまたこれで、とても可愛らしい。


「アッサム様、可愛いです。似合っていますよ」
「そう?何だか、あんまり馴れないわ。視力が悪いわけじゃないのにね」
「でも、オシャレにもなりますし」
「グリーンも言っていたわ」
 柱の陰に隠れて何人も、ファンが覗き見していることなんて露知らず、隣に座ったルクリリに資料を押し付けて、調べものを手伝ってと頼んでくる。あの子たちにはとても羨ましいだろう。もう一度、どや顔して見渡しておいた。


 ルクリリから、アッサム様が伊達メガネをかけて、図書館でファンを喜ばせていると言う情報が入った。そのメールを受け取ったのが、ローズヒップと一緒に隊長室に向かう途中だったものだから、今更、ダージリン様を放って図書室に駆けて行くわけにもいかない。
「なぜ、伊達メガネなんかを?」
「きっと、オシャレですわ」
「うーん、グリーン様も伊達メガネですけれど。そう言えば、最近、パソコンとか使う時は別のメガネを使うっておっしゃっていたような」
「そうですの?目が悪くならないためですの?」
「さぁ?」
 隊長室に入ると、ダージリン様がどっしりと席に座っておられた。
「ダージリン様、ごきげんようですわ~~!」
「ローズヒップ、ごきげんよう。ペコ、紅茶を淹れて」
「はい」
 立ち上がったダージリン様は、抱き付いてくるローズヒップを受け止めて、軽く頭を撫でていらっしゃる。ローズヒップは誰にでも抱き付く人だけど、よくダージリン様に抱き付けるものだ。本当に感心する。

「ダージリン様は見られました?」
「何を?」
「アッサム様のメガネ姿ですわ。さっき、ルクリリが、アッサム様が可愛いってメールが入りましたわ」



「………メガネ姿?何、それ?」



 キョトンとされているダージリン様は、アッサム様のメガネ姿をまだ見ておられないご様子だ。ティーカップをテーブルに置いて、これはちょっとまずいのではないか、と心の中で思った。

「図書館で、アッサム様がメガネをかけていらしたって。ルクリリからの情報ですわ」


「………ルクリリ?」


 別に、ルクリリが悪いのではないのに、何かとても憎しみが篭ったような呟きが聞こえてくる。どや顔のルクリリを勝手に想像していらっしゃるのだろう。



「失礼します」
 まぁまぁ、と慰めようとしたら、丁度アッサム様が入って来られた。すぐ後ろにルクリリがいる。
「アッサム様~~!あら?おメガネ姿じゃございませんの?」
「メガネ?別にいらないわよ。どうして?」
 手にノートパソコンといくつかの資料を手にしているアッサム様は、ダージリン様の向かいに腰を下ろして、すぐ隣にルクリリも腰を下ろした。手に持っておられる物のなかに、メガネケースがあるようだ。

「………アッサム」
「何ですか?」
「メガネをかけ始めたの?」
「………どこで情報を?」

 ルクリリが、真顔を崩さず笑いを堪えているけれど、スカートを握りしめている手が震えているのは隠せていない。明らかに情報源はルクリリ→ローズヒップ→ダージリン様って気が付いているのだろう。わざとかも知れない。
「別に情報はどこからでもいいのよ。それ、メガネなの?」
「えぇ、パソコンとか携帯電話などを見るときに掛けたらいいと、グリーンが言うので。度は入っていませんが」

 ダージリン様のお顔には、ハッキリと「掛けて見せて」と書かれているが、そこは1年生たちがいる手前、我慢されておられるようだ。

「アッサム様のおメガネ姿、見たいですわ~~!!」

 せっかくの我慢だと言うのに、ローズヒップはそんなことをまったく考えもせずに能天気というか、無邪気というか。いや、とても素直なのだ。
素直に、見たいと言えばいい事なのだろうけれど。


「ローズヒップ、聞こえていたの?パソコンを開いてもいないのに掛けても仕方がないわ」

 もしや、ダージリン様。誰にも見せたくない。という独占欲を発揮されているのだろうか。

 ……手遅れですけど。
ルクリリが手の甲をつねりながら、笑いを堪えている。

「え~~!でも、掛けるくらいは問題ございませんわ。ねぇ、ペコ。ペコも見たいですわね?」
「えぇ……まぁ」

 見たいかと言われたら見たい。
 可愛いお姿ならば、かなり見たい。
 何だったら、ダージリン様のリアクションも見たい。



「ダメですわよ。アッサムのメガネ姿を世に晒すなんて」



 ダージリン様は落ち着いた表情でありながら、盛大に本音を漏らした。
 アッサム様の盛大なため息も漏れてくる。
 メンドクサイことになりそうだって、言う合図のよう。

「私はもう見ました。可愛かったですよ」

 なぜ、煽るのだろうかルクリリは。

 殺意に近い感情が、ルクリリに向かって放物線を描いているのを、アッサム様の背中に隠れて、上手くよけている。
 きっと、こうしたいから煽っているのだ。

「ダージリン、後輩を睨まないでください」
 たしなめられて、本音は頬を膨らませて抗議したいけれど、出来ませんと顔に描かれてあるダージリン様は、冷めた紅茶を飲み干して誤魔化した様子だ。


 本当に、アッサム様のことをお好きでいらっしゃるのがよくわかる。

 グリーン様が、ダージリン様はアッサム様がお傍にいないと、何もできない人で、下手したらポンコツと笑い飛ばしておられたのを思い出した。本当にそうなのだろう。3年生の先輩方は皆、ダージリン様とアッサム様は全てにおいて2個1というスタンスでいらっしゃるし、アッサム様はダージリン様の携帯電話を見放題で、プライバシーもプライベートもないと言った様子。


 でもそれは、お互いに好きだから。


 結局、アッサム様は見世物じゃないんだからってメガネをかけてくださらなかったし、ダージリン様はルクリリを恨めしく睨んでばかりだった。隊長室でお茶をすると、何か毎回、変なことになってしまうのだ。
アッサム様が図書室に籠るか、情報処理部の部屋に行くタイミングを見計らった方が良いと、ローズヒップとこそこそ話し合って、頷き合った。


夕食後、部屋でお茶をしていると、勝手にメガネを取り出したダージリンが、手招いてきた。夕食も食堂じゃなくて、外に連れていかれた理由は何となく察していた。だから、それについては何も文句を言わなかった。
「素直に見せて欲しいって、言えばよろしいんじゃないですか?」
「私が誰にも見せたくはないと考えていることくらい、アッサムはわかっているはずでしょう?」
「………それはまぁ、そうですが」
「よりにもよって、ルクリリに見せるなんて」
 見せたと言うか、たまたま傍にいたのだ。暇だと言うので仕事を手伝わせたが、ルクリリは暇を潰すために本を読むタイプではないから、きっとアッサムを見に来たのだろう。たまたま、であの場にいるなんていうのは、ペコくらいだ。でも、それはそれで可愛げがあったし、仕事はきちんとこなしてくれた。何かを責める理由はない。
「他の生徒も見ていますわよ。そもそもグリーンが選んだものですし」
「………グリーン?アッサムの初めてを奪うなんて、とんでもないわね」
 言葉にとても違和感のある呟きだわと思いながら、ダージリンの両手に握られたメガネがゆっくりと掛けられていく。おとなしくされるがままにして、まじまじと見つめて、嬉しそうに口角を上げる様を観察していた。

 お互いにお互いの様子を観察している。
 いつものことだけど。
 
「お似合いよ」
「そうですか?」
「たまにはいいと思うわよ」
「用途がハッキリとしているものですから、たまにしか掛けませんわ」

 ブルーライトから瞳を守ることができても、ダージリンという鮮烈な眩しさから身を守ることなんて、このメガネに出来るはずもない。近づいてくる唇を受けて、きっとこれもやってみたかったのだろうと思う。まったく子供なのだから、と言いそうになるのを飲み込んだ。

「紅茶が冷めますわ、ダージリン」
「そうね。アッサム、まだ外さないでちょうだい」
「……はい」
「私がいいと言うまで、人前でメガネを掛けないでちょうだい」
「………それじゃぁ、せっかく買ったのに掛けるなと言うことですか?」
 ソファーに隣同士に座り、お互いの視線をお茶受けにしながら飲む紅茶。この時間に飲む紅茶はいつもぬるくなってしまう。
「いいえ、1週間ほどは私の前だけで掛けるといいわ」
「………左様ですか」
「と言うよりも、そういうものを買う時は、まず私に一言相談をして欲しいものだわ。グリーンに選ばせるなんて、そんな権利をあの子に与えた覚えはないわよ」
「………はいはい、わかりましたわ」

 これはしばらく、部屋にいるとき以外はこのメガネを使うことは出来なさそうだ。そこまで必要性を感じていなかったから、そのうち使うこともなくなりそう。とはいえ、今は満足そうにアッサムを見つめてくる瞳に抗えることもなくて、されるがままに抱き付かれて、されるがままに頭を撫でられて、呆れるくらいキスを受けた。

「ダージリン、紅茶が冷めましたわ」
「仕方がないでしょう、アッサムが悪いのよ」 
「………ダージリンにしばらく預けますから、もうお好きになさって」
 冷えた紅茶に手を付けず、掛けていたメガネをダージリンに掛けた。キョトンとした瞳。少し雰囲気が違って見えて、それはそれで可愛らしいって思える。でも、どんな姿でもダージリンに変わりはない。
「私の初めてを奪ったわね」
「変な表現を使わないでください」
「私の初めてはアッサムなのに、アッサムの初めてはグリーンだなんて」

 使っている表現方法が、ちょっとおかしいと分かっておられないようだ。妖艶な笑みで見つめられると、呆れてため息を吐くことすらできなくなってしまう。

「………ダージリン、メガネは預けますけれど、それで人前に出ないでくださいね」
「あら、嫉妬?」

 メガネ姿を誰かに見られるのが嫌なのではない。ダージリンに多くの視線が集まったとしても、ダージリンの瞳はアッサムだけのものなのだ。周りの悲鳴がアッサムへの批難に聞こえてしまいそうで。そんな自惚れを抱きそうな自分が嫌になりそうで。

「えぇ、そうかもしれませんわね」
「アッサムも私の気持ちがおわかりの様ね」
「…………さぁ、どうでしょうか?」

 メガネ姿のダージリンは、満足そうに微笑む。冷えた紅茶の存在を忘れたまま、毎晩こうして、ソファーで寄り添って、お互いの体温を分け合って、互いのすべてを瞳に映し出している。


 アッサムはダージリンに掛けたメガネをそっと両手で外した。

「あら、似合わなかったかしら?」

 眩しいくらいの想いを、この身体に浴びていたい。

「似合いませんわ」
「………そう?」

 そんな我儘を言葉にしてあげたりしない。

JUST FIT LOVE

「アッサム様~~」

 訓練が終わり、舗装された道をゆっくりと歩いていた。

 秋の空。
 清々しく、遠く感じる。

 15時を回った頃は気温も割と気持ち良くて好きだ。
 夏の大会も終わり、様々なプレッシャーから解放されて、とても穏やかな日々。
 今からシャワーを浴びた後、ゆっくり紅茶の園でお茶をして、その後はいつもの時間に食堂で夕食。
 予定調和に日々を過ごすことができる、その穏やかさが心を落ち着かせてくれる。


 背後から聞こえてきた声に思わず立ち止まり、振り返った。叫んだのはペコで、近づいてくる足音は、走っているものだってわかる。それも複数。顔が浮かぶのは、ペコ以外に、あの子とあの子。

「アッサム様~~」
「………な、なぁに?」

 笑顔で両手を広げたペコが、アッサムに抱き付いてきた。身長の低いペコだから、すっぽりとアッサムの胸の中に納まってしまう。普段、抱き付いてくるのはローズヒップばかりだから、ペコがこんなことをするなんて珍しい。2人にいじめられて助けを求めているのだろうか。

「本当だ、ペコはジャストフィットだ」
「見事にすっぽりとはまっていますわ」

 ………よくわからないけれど、何かの話の流れから、実験道具に利用されているのだろう。アッサムを見上げてニッコリ笑っているペコに対して、嫌な気持ちが起こるはずもなく、反射的に頭を撫でていた。

「一体、なぁに?」
「さっき、3人でお話をしていたんです。アッサム様に抱き付いて丁度いい身長って、ペコじゃないかって」
「………あぁ、ジャストフィットってこれのことね」
 ルクリリが抱き付いてくるときは、アッサムの方が身長は低いので、覆いかぶさってくるような感じだ。彼女の肩におでこを預けると丁度いいだろう。そんなことはしないけれど。 
ローズヒップはそれほど身長差がない。その代りと言うか、タックルされて、足が浮くくらい抱きしめられることがある。2人とも、どちらかと言えば、抱きしめられているようなもの。ペコなら抱きしめてあげられる、丁度いい身長差だ。

「アッサム様~~」
「はいはい」

 背中に腕を回して、ちゃんと抱きしめ返してみる。本当に丁度いい高さだ。優等生で真面目でまっすぐでとてもいい子なのに、両サイド2人のせいで、連帯責任ばかり取らされているペコ。いきなり抱き付いたくらいで、怒る程のものでもない。笑顔で抱き付いてきてくれるのだ、とても愛らしい。

「ズルいぞ、ペコ。堪能しすぎ」
「そうですわよ、そろそろ交代ですわ!」
「え~!早すぎます!」
 ペコの両サイドから腕を取って引きずり剥がす悪友たち。本当に、この3人は毎日毎日にぎやかだ。見ていて飽きないが、呆れかえることは多々ある。ダージリンが何も言わないものだから、いつもアッサムばかりがガミガミ言ってばかり。


「アッサム様は、ペコに甘すぎます」
「そうですわっ!甘々ですわ。いつも私ばかり、怒られてばかりですわ」
「それはお前が悪いだろう、ローズヒップ」
「何ですって~!ルクリリだって、昨日反省文書かされていましたわ」
「あれは、仕方がないんだ!うっかり誤射しただけだ」
「うっかりチャーチルに向かって、誤射するから怒られるんですわ」


 ペコの両腕を掴んだまま言い合いを始めてしまって。真ん中で、腕が千切れるんじゃないだろうかと心配になってくるけれど、アッサムへの注目が薄れている今がチャンスかもしれない。眉をハの字にして助けを求めるペコには申し訳ないと思いながら、そっとその場を離れた。きっと、夕食時にでも改めて抱き付いてくるに違いないのだから、その時に相手をすればいい。


「ダージリン」
「………どうしたの、アッサム?」

 先にシャワールームに向かって歩いていた、ダージリンの背中を見つけた。少しだけ急ぎ足で近づいて、名前を呼んでみる。さっき、アッサムがペコにされたように、今度はアッサムがダージリンの身体に抱き付いてみた。

「いえ。その、ちょっとだけ……甘えてみたくなったもので」
「あら、たまには素直ね」
 アッサムの髪を撫でるように腰に回された腕。あの子たちと違うのは、確かに感じる安らぎと好きだと言う想い。おでこを肩に乗せて、猫になったように鎖骨に鼻をこすりつけてみる。

「くすぐったいわ」

 それでも、ダージリンの両手は優しさを携えて、アッサムを抱きしめてくださる。
 離れることを許さないかのように。

「………ダージリンの腕の中は、私が一番いいフィット感でしょうか?」

 見上げてみた表情は、少し頬を染めて、照れを隠している。
 この角度から見上げるダージリンは、アッサムだけのものだ。
 誰にも見られたくはないし、見せて欲しくない。


「あなたが心地いいと思っているのなら、それでいいのよ」
「………はい」
「何かあったの?」
「さっき、ちょっと1年生たちと色々と。ペコが私に抱き付くと、ジャストフィットするって言う話になって」
「あらあら……身長差から言えば、確かにそうね」

 アッサムの髪を指に絡めて、梳くようにして薄くしみこませる恋。
 呼吸のリズムに合わせて、胸のふくらみが上下する音。
 耳元で囁かれる、柔らかい声の揺らぎ。


 全てがアッサムの身体に吸い付いて、感情の何もかもを奪われてしまう。


「……あくまでも、身長差だけの話ですわ」
「そうね。1年生たちにアッサム接近禁止令を出す羽目になるから、身長差の話だけにして頂戴」

 前髪を掻き分けて、おでこに触れた唇。温かい熱が触れて身をよじった。
 それでも、満たされた感情はまた、夜になると補う必要が出てくる。
 満たされても、溢れ、零れるものがない。
 だから、彼女に触れたいと心は願う。


「わかりましたわ」


 後ろから3人が近づいてきている音がして、そっと離れた。


5人でシャワールームに行く途中、1歩後ろを歩いていたダージリンが、セーターを掴んだ。
 あと階段を5段ほど昇れば、廊下の奥にあるシャワールームが見えてくる。


「アッサム」
「どうしました?」
「見つけたわ、私のジャストフィット」


「……は?」


 1段下にいたダージリンが見上げてきて、両腕でアッサムの腰を捉えた。胸の近くにうずまる三つ編みをまとめた後頭部。


「あ~~!!ダージリン様ズルいですわ!!私もアッサム様にジャストフィットしたいですわ!」
「そっか、そうすれば私にもジャストフィットだ」

 
 ダージリンよりも後ろを歩いていたローズヒップとルクリリが、羨ましいと悲鳴を上げた。彼女たちが見ているから、わざとやったのだろう。知らない間にペコが抱き付いてきたと知って、ちょっとした仕返しをされているのだろうか。

「お戯れがすぎますわよ」
「あら、私だってたまには素直になっただけよ」
「………後ろ、確認されました?」

 両サイドから、ダージリンに場所を譲れと抗議している3人組。昨日、始末書を書かせても全然懲りる気配がない、次期隊長も含まれている。

「ダージリン様、ズルいですわ!!」
「そうですよ、アッサム様のジャストフィットはダージリン様じゃないですよ」
「っていうか、私だけがジャストフィットですけれど……」


 アッサムは、三つ編をまとめている亜麻色の髪を撫でながら、困った笑みを見せるだけだ。


「3人がダージリン様に抱き付いて差し上げないから、拗ねてしまったみたいだわ」


「マジですの?!」
「えっ、そっちですか?」
「………いや、違うと思います」


 アッサムに抱き付いているダージリンの背中にむかって、両手を広げる可愛い後輩たち。

「仕方がないですわね~、ダージリン様」
「本当ですよ。私たちが可愛いって思っているのなら、素直に言えばいいと思いますよ」
「………そうじゃない気もしますが」

 ノリなのか本気なのか、一気に重みが加わって、アッサムの方が先によろけそうになった。
 たぶん、かなり重い愛のはず。

「重いわ。アッサム、助けなさい」
「愛情の重さでしょう。と言うより、私も重いですわ。離れてください、ダージリン様」
「そうはいっても、背中が重くて動けないわ」

 腕の中でサンドイッチされて苦しそうなダージリンは、ちょっとうれしそう。アッサムだけでは見ることができない、後輩の前で見せるその笑顔。悔しいような、1年生がズルいような。

「あと10秒だけよ。お茶を飲む時間がなくなってしまうわ」

 腕の中に納まっているダージリンの手が、アッサムの髪を握り締めてくる。こういうことは2人きりの時だけでいい。

 丁度いい身長差だけじゃなくて、丁度いい時と場所と、気持ちが整っているのは、きっと2人きりでいられる夜なのだ。


じゃれ合いを楽しむみんなの顔を眺めながら、アッサムは心の中で10秒数えた。



約束。 END

綺麗な花に包まれたマリアは、本当に眠っているみたいに穏やかだ。初めて会ったときから被っていた帽子ではなく、綺麗なヴィックを付けていた。何か、最期に声を掛けてあげなければって思っても、何も言葉が思い浮かばなくて、冷たいと感じる頬を撫でてあげることが精いっぱいだった。
「ローズヒップのハンカチですね」
「………マリアにあげたものですわ」
 組まれた両手のすぐ傍に、ローズヒップがあげたハンカチが置かれていた。神様の傍にいっしょに持って行ってくれるらしい。
「じゃぁ、これも一緒に持って行ってもらいましょう」
 ペコはジャケットの中から聖グロの校章の入ったハンカチを取り出した。そこには真っ白な糸で『MARIA』と縫われている。
「ダージリン様には、特別に許可をもらっています。長い間、ずっと応援をしてくださったマリアへの感謝の気持ちとして、聖グロからのプレゼントです」

 ハンカチを手首に巻いてあげた。3人でマリアの手を取って、ちゃんと笑ってみせた。

 聖グロも負けたし、マリアも病気には勝てなかったのだ。
 小指の約束は、お互いに守ることができなかった。

「マリア……私たちは一生懸命戦いましたわ。マリアも、一生懸命戦いました。お互い、頑張りましたわ」

 ごめんなさいって言う言葉は使わなかった。負けは、謝ることじゃない。


「また、いつかどこかで会いましょう。今度こそ、約束ですわ」

 小指を掬って絡める。
 いつか、また、どこかで。
 例えば夢の中で。
 あるいは、お互いの来世で。
 それなら、きっと守れる約束だろう。



「ルクリリ」
 横浜に着いた朝、ルクリリは走って購買部に行って、大至急、校章の入ったハンカチに『MARIA』と刺繍をしてもらう依頼をかけた。それがどこの学部の誰なのか、イチイチしつこく聞かれたので、学生艦責任者の命令に従えって言ったら、窓口のおばちゃんは「学生以外の誰かに売るつもりでしょう」と逆切れしてきたのだ。マニアの間では聖グロの校章の入ったものは、高価格でやり取りされることがあり、購買部で売られているものは、IDと使用者などのチェックが厳しく行われている。そして、名前の刺繍は、ティーネームを持つ人たちだけが行っていて、それが昔から当たり前になっている。
「ダージリン様」
「どうしたの?大声を出して」
「あ、いや、はは。えっと、ちょっと、えぇ、まぁ」
 時間がないから、早く作ってくださいと駄々をこねていたら、背後から嫌な声がした。本当にどこにでも現れるんだから。
「何かあったの?」
「あの、ちょっと、知り合いの名前をハンカチに刺繍して欲しくて、お願いをしていたんです」
 致し方がない。ルクリリはマリアが亡くなったことを報告して、今の自分ができることをして、見送ってあげたいのだと伝えた。そして、まだローズヒップには何も告げていないことも。
「そうなの。ローズヒップがお見舞いに行っていたという少女のことね」
「はい。聖グロにとても憧れていて。だからせめて、棺桶に入れてあげたいと思って」
 こういうことって、らしくないなと思う。ローズヒップが毎日、電話で容態を聞いていたことを、決して快く思っていなかったはずなのに。亡くなったあとにこういうことをするのは、矛盾しているような気もする。

 でも、最後までローズヒップ1人にすべてを押し付けるのは、嫌なのだ。ローズヒップを騙していたことを、どこかで正当化したい自分がいる。嘘吐きは嫌いだと言っておきながら、本当のことを黙っていたことの後ろめたさなのだろう。

「そう。1人の少女の夢を背負うことが苦ではないのなら、どうぞお好きになさい」
「はい」
 ダージリン様は、購買部のおばちゃんに、ルクリリの我儘を許してあげて欲しいと伝えてくださった。今も後光眩しく、権力バリバリのお方だから、へっぽこのルクリリがお願いした時とは打って変わって、ウインク一つで引き受けてくださり、午前中に仕上げてくださることになった。
「ありがとうございます、ダージリン様」
「ローズヒップたちと、マリアの告別式に行くの?」
「はい、そのつもりです。ローズヒップはまだ、入院していると思っているので、お見舞いに行くと言いだしたときに、その、連れて行こうかな、と」
 ダージリン様はアッサム様と違って、頭を撫でたり抱きしめてくださったり、そういうスキンシップをあんまりされない。だから、頭を撫でてくださって、思わず硬直してしまった。
「誰かから憧れられる地位に立ったからと言って、自分を偽ってはダメよ、ルクリリ」
「………はい」
「あなたは、あなたの信念を貫けばいいわ。これからも、がむしゃらになって大事な仲間を守りなさい」
「はい」
「誰にでも優しくしていれば、いずれ、背負いきれなくなるわ」
「はい」
 小さく微笑まれたダージリン様は、マリアの告別式に興味を抱くこともなく、姿を消した。本当は、告別式に参列することを良く思われていないのかも知れない。だけど、これはけじめなのだ。

 ローズヒップを騙していたことを詫びて、マリアの遺影に負けたことを報告しに行かなければならない。

 聖グロの戦車道を背負うルクリリの、隊長として、ローズヒップの親友としての、大事な仕事なのだ。


「試合をしている間、マリアのことをまったく考えていませんでしたわ」
「そうなんですか」
「頬を叩かれて、馬鹿野郎って言われて、あの時は腹立たしかったです。でも、ルクリリが正しかったんですわ。本当は、最初から私には背負いきれないものだったのに、勝手に約束をして、勝手に1人でマリアのためにって突っ走ってしまったのは、間違いでした。私たちのことを応援してくださる人や憧れている人はたくさんいてくださるし、私たちのために手を貸してくれる仲間もたくさんいてくださる。もっと、そう言うことを考えて、上手に立ち振る舞いを考えないとダメなんですわ」

 マリアを神様の元へ見送った後、3人で寒さに身体を震わせながら学生艦に戻った。バニラやクランベリー、怪我をした隊員たちは、全治するまで休みでも部屋にいると言っていた。軽傷とはいえ、そんな隊員たちを置いて遊びに行くなんて、出来るはずもない。3人でお金を出し合って、陸地で美味しいものをたくさん買って、彼女たちの元に届けた。優雅なんてほど遠いくらい、怪我をしていると言うのに、みんなで笑い合って過ごすことにした。

「ルクリリはずっと、ローズヒップの心配をしていましたよ。ローズヒップがマリアを想う以上に、私たちは、ローズヒップのことを想っていました。でも、ちゃんと心をひとつにして戦ったんです。もし、ローズヒップがそれでもずっと、マリアのためにって戦うことがあれば、ルクリリはきっと、チーム編成から外したと思います」

 ペコはマリアが亡くなったことを、試合が終わった後で知らされた。ルクリリは試合前に知ったらしかった。もう、ずっと危険な状態だったことを、ローズヒップに隠していたんだと。看護師への電話内容も、すべて操作していたのだと教えてくれた。ペコにさえ教えてくれなかったことは、ルクリリの責任感がそれだけ強いことを表していた。全然、ダージリン様とは違うタイプだけど、ルクリリもまた、頼もしい人だ。聖グロを背負う人物として、ルクリリ以外、最適な人はいないだろう。ペコができることは、足りない部分を補ってあげるだけだ。

「……ルクリリには、きっと何をしても勝てませんわ」
「そうですか?ティーカップの破壊率は、ずっとローズヒップの方が勝っていますよ?始末書の枚数も、反省文の枚数もずっとずっと上です」
「それは、勝ってはいけないことですわ!」
 2年生の先輩たちに身体をくすぐられながら、ベッドで転げ回っているルクリリ。みんなから頼られて、それでも怖がられることもなく、優しくて、頼もしい。ローズヒップはちゃんとこれから、ルクリリを支える側にならなければダメなのだ。守られていてはいけないのだ。
「2人とも~~助けて~~!隊長が虐められているんだから~!」
 ローズヒップの頬を叩いて、床を転げ回ったことなんてとっくに忘れてしまっているように、ルクリリは笑って、先輩たちとじゃれ合っている。

 日々はドンドン流れて行く。
 誰かが死んだとしても、その悲しみは、いつまでも抱きしめていられるものではない。


「キャンディ様、もっとルクリリを虐めてくださいませ!」
「ローズヒップ、何てことを言うんですか!」
 じゃれ合いの輪の中にダイブしたローズヒップ。2年生たちの魔の手が、それを待っていたかのようにルクリリから標的を変えた。ダージリン様やアッサム様たちのような、偉大な存在になる必要なんてない。本当にダージリン様たちがそれを望むのなら、ルクリリを隊長に指名しなかった。誰のために、何のために戦うのか、そのことを一番わかっているのはルクリリだ。

 試合に負けたことも、マリアのことも、ダージリン様とアッサム様は何もおっしゃってこなかった。きっとそんなことよりも、これからの未来のことを考えるだけで、お忙しいに違いない。


「ダージリン様、アッサム様!おはようございますですわ!」
「おはようございます!」
「おはようございます!」
 朝、少し早めに食堂へ向かうと、幹部席ではローズヒップたちが楽しそうに朝食を取っていた。昨日、マリアという少女の告別式があったとダージリンから聞いていたけれど、3人はとても清々しい表情。自分たちで何もかもを受け止めて、乗り越えたのだろう。少し心配していたけれど、ローズヒップが一晩、泣き腫らしたという様子もない。
「おはよう」
「アッサム様~~」
「なぁに?」
 アッサムの座る後ろから抱き付いてくるローズヒップは、相変わらずだ。おとなしくなってほしい反面、こういう時にじゃれてくるかわいらしさは、やっぱりそのままでいて欲しいと思ってしまう。
「アッサム様~~」
「もぅ、ローズヒップ、朝から元気ね」
「ルクリリに“ほっぺにちゅ”ってしたの、ズルいですわ。私だって、叩かれたんだから、“ほっぺにちゅ”ってしてくださいませ」
 じゃれてきた理由は、そう言うことらしい。きっとルクリリが自慢をしたのだろう。
「はいはい。後でしてあげる」
「え~!ズルいですよ。間に入って止めた私にもしてください、アッサム様」
「わかったわ」
 紅茶を淹れてくれたペコが、頬を膨らませて抗議してくる。最後にまとめて面倒を見てあげるからと、頭を撫でてあげると、睨み付けてくる目力を感じた。
「………アッサム。サービス精神が旺盛すぎるようね」
「あなたが代わりにして差し上げたらどうですか、ダージリン?」
「あら、私の唇が他の誰かに触れても、問題はないと言うことなのかしら?」
「後輩になら、何の問題もありませんわ」
「まぁまぁ、ダージリン様」
 ふて腐れて睨んでくるダージリンの肩を、機嫌取りの様に揉むペコ。最後まで後輩に気を使わせてばかりだ。
「では、ダージリン様のほっぺに、私がちゅーして差し上げますわ!」
「それもいいわね」
「……いいんですか?」
 ルクリリが怪訝そうに呟きながら、アッサムに確認してくるけれど、ダージリンがいいと言っているのを、ダメだと言う権利はない。ローズヒップがダージリンの頬にキスをしたところで、何も思わない。
「いいわよ、どっちがどっちにしても」
「じゃぁ、私がアッサム様の頬にチューしてもいいで……」
「ダメでございますわよ」
 ルクリリが言葉を最後まで言うよりも早く、アッサムがどうぞ、と言おうとするよりも早く、ダージリンが満面の笑みをルクリリに向けてくる。その手に持ったティーカップの紅茶を掛けるのではないか、と思いたくなるほどの気持ち悪い微笑みだ。
「………ダージリン様、お顔が怖いです」
「あら、私はいたって普通よ」
 ソーサーで顔を隠しながら、ルクリリはアッサムにしがみついているローズヒップに目配せをする。何とか、この状況を打破するのが、ローズヒップの役割と言うことだろう。
「ダージリン様、機嫌を治してくださいませ!」
 慌ててダージリンの肩に抱き付いて、頬を摺り寄せ始めるものだから、アッサムはここぞとばかりに携帯電話を取り出して、写真に収めておいた。
「ダージリン、嬉しそうですわよ」
「………ローズヒップ、離れて頂戴」
「嫌ですわ。“ほっぺにちゅー”をしてからじゃないと、離れませんわ」
 唇を突き出す横顔と、それを嬉しいような、困ったような表情でにらんでいるダージリン。
「どうして止めないの、アッサム」
 キスと言うよりも、吸い付いて離れない唇に耐え切れなくなって顔面を押して逃げたその頬は、わかりやすくキスマークが残っていた。

 ルクリリとペコが笑うのを堪えて、お腹を必死に抱えて俯いている。アッサムにはハンカチで頬を拭きながら睨んでくるその瞳が、嬉しそうに見えて仕方がない。

 マリアと言う少女の死のあとだから、3人がどんな表情で食堂に姿を見せるのだろうと心配していたはずなのに。そんな心配なんて要らなかったようだ。

 聖グロは変わったのだ。ダージリンの代でも、きっとかなり変わったのだと思う。ダージリンがルクリリやペコ、ローズヒップの才能を引き出さなければ、こんな風に聖グロが変わることはなかっただろう。

「では、アッサム様のほっぺたには、私がちゅーをし…」
「ルクリリ、海に沈めるわよ」
 満面の笑みで獲物を捕らえたようなダージリンは、それでも頬に付けたキスマークのせいでアッサムには威厳の欠片も見えない。
「こわ!ペコ、ダージリン様を宥めて」
「………手に負えませんよ」
「ダージリン様、プンプンしてはいけませんわ」 
 優雅とはちょっとちがう新しい隊長の元、これから彼女たちがどんな道を作り上げていくのか、本当に楽しみで仕方がない。


 にぎやかな朝食を取ったあと、授業もないので余暇を持て余して、2人でのんびりと歩いて教会へと向かった。1,2年生はみんな、授業を受けている。どれくらい久しぶりか思い出せないくらい、ダージリンの手を取って、学生艦の中を歩いた。

 冷たい潮風に肩を震わせて、暖房器具のない静かな教会の中に入って、習慣の様に手を合わせる。

「もうすぐ、この学生艦を降りてしまうのね」
「そうですわね」
「思い残すことはある?」
「ありませんわ。お姉さまたちと過ごして、グリーンに、キャンディたち、ルクリリたち、素晴らしい仲間に恵まれて、1日1日、幸せでしたわ」
 ダージリンの肩に頭を乗せて、綺麗なステンドグラスを見上げた。柔らかい光を受けて輝く硝子たち。いつまででも眺めていられる。
「そうね。とても楽しかったわ」
「はい」
 髪に指を絡めながら、いつもの穏やかな笑み。その横顔はいつだって何もかもを受け止めて、あるがままでいることを貫いている。
「ダージリンは約束をしてくださった通り、ずっと傍にいてくれました。3年間、ずっと。私はそれだけで、きっと何もかもが満たされていたんです。あなたがいたから、後輩たちがこの学校に集い、強いチームを作ることができましたわ」

 ダージリンがいる。そのことがすべてのような3年間だった。何もかもの出来事は、必ずダージリンという存在に左右されて、そのことで誰もが一喜一憂する。退屈で、つまらない日など1日もなかった。

「私は、出来ない約束なんてしないわ」

 髪の間をすり抜けた指。
 アッサムの右の指に触れ、互いの小指を絡ませる。
 神様の御前で交わす約束は、いつまでも清らかであってほしい。


「………では、これからも私の傍にいてください」
「えぇ、当然よ。ずっといるわ」
「私のことを好きでいてください」
「任せなさい。アッサムも私だけを好きでいなさい」
「えぇ、当然ですわ」
「軽々しく、他人の頬にキスしてはダメよ」
 ローズヒップからの愛の篭ったキスマークを頬に残したまま、大真面目な顔でそんなことを言うものだから、笑ってはいけないと思っても、こらえきれなかった。

「……ダージリンこそ、他人からの愛を簡単に受け入れないでください」

 ローズヒップの溢れんばかりの愛が触れた場所に、アッサムは唇を寄せてみる。

「これは仕方がないわ。ローズヒップですもの」
「そうですわね」
「ペコの頬にキスしてあげたの?」
「さぁ、どうでしょうか?平等にしてあげないと」
「……仕方がないわね。知らない振りをするわ」

 そもそも、ルクリリの頬にキスをしてあげたのは、あの子がローズヒップに叩かれた頬を慰めるためだ。

 結局、あの時の騒動の原因を詳しく聞かないまま、日が過ぎた。あの時は知りたいと強く思っていたと言うのに、今更、もう知りたいと言う気持ちはわかなかった。すべて、ルクリリに任せておけばいい。あの子なら大丈夫だと、あの試合で証明をしてくれたのだ。


「ダージリン」

 小指を絡めながら重ねた唇。触れている場所に感じる熱は呼吸の隙間を縫って、恋情として身体に流れ込んでくる。


「好きです、ダージリン」
 この3年間で、どれだけ声に出しただろう。
「私も好きよ、アッサム」
 そして、どれだけこの言葉で満たされていただろう。




『やっぱり、ラブラブですわねぇ~。チューしましたわっ!』
『馬鹿、静かにしろ!』
『ダメですよ、2人とも。覗きすぎると、ばれますよ』





 …
 ……
 ………
 …………




「……アッサムのデータでは、1年生戦車道の、この時間の授業は何?」
「データでは、ボランティア活動です。街の清掃活動、ですわ」


 2人の背後、薄く開かれている扉から聞こえてくる3人の声。
 放したくはない小指と小指。


「気づいていないふりをして、外に出ましょう」
「………はい」

 繋がれた小指と小指。
 アッサムは手を繋ぎなおした。
 指と指の隙間を埋めるように絡まった手と手。



 3人の足音が逃げるように遠ざかっていった。
 




約束。 ⑥

無線から声が聞こえなくなり、砲撃が静かになった。ローズヒップがクルセイダーから降りて、炎を上げている事故車両に走って近づこうとしているのが見える。危険地帯に飛び出したから、黒森峰側が砲撃を止めてくれたのだろう。


 誰のために戦うのか。何のために戦うのか。
 ローズヒップに偉そうに言っていたくせに。
 いつだって、ルクリリが守らなければならないのは、勝利ではない。



「……………ペコ、救護要請を」
「わかりました、隊長」 

 ペコの肩に手を置いた。笑顔で頷いたペコは、無線を大会本部に繋いでくれた。
 土砂降りの雨。
 冷たい雨。


 自らの手で白旗を出した。


 ローズヒップやほかの隊員たちが消火しようとしている場所に、チャーチルを走らせる。マチルダⅡのキャンディ様たちも、リゼ様のクルセイダー隊員たちも助けようと近づいてくる。

「みんな!今、助けますわ!」
「ロープを繋げ、ローズヒップ。ルフナ、合図をしたら引っ張って。まずは2両を引き離そう」

 練習中に高速スピンをして炎上したクルセイダーの消火やら、隊員の救出は何度も手伝って来た。真っ黒な煙に身体をいぶされながら、濡れた身体に熱さを感じて、激突した2両を引き離し、特殊カーボンに覆われているハッチをルクリリ、ペコ、ローズヒップの3人で力一杯引っ張った。
「バニラ、みんな、無事?」
 車内は焦げ臭いにおいと、狭い中で動けずに横たわっている仲間たちの姿。
「バニラ」
 身体を中に入れて、手を引っ張ると握り返してきた。1人1人引きずり出して、リゼ様、キャンディ様へと預けて行く。
「ありがとう、ルクリリ。私たちは、何とか大丈夫。だから……クランベリーたちを」
「うん、危ないから、なるべく離れて待機してて」
 よろけているバニラをペコに任せて、スピンして逆さまになって炎上しているクルセイダーへと立ち向かった。聖グロの皆が集まって鎮火しつつあるけれど、ハッチに近づけそうにない。
「クランベリー!!!」
 焦げ臭いクルセイダーはひっくり返ってしまっているから、何とか横に倒さなければ。
「クランベリー!!今、助けるからね。みんな、待ってて!」
 オイルと真っ黒な煙。防火仕様ではない革の手袋で触ったらとても熱く感じた。みんなで背中を使って押しあげてみようとしたけれど、雨とオイルで力がかかりにくい。
「誰か、反対側の履帯にぶら下がって!」
「せーの!」
「うぉりゃ~~~!」
 力が足りない。非力な女の子が一斉に押しても、ひっくり返った履帯が重い。
「クランベリー!」
 何とか斜めまで倒れたが、それでもまだ、ハッチを開けられそうにない。やっぱり、救護部隊が到着するのを待った方が良いのだろうか。今日は大雨でヘリを飛ばせないから時間がかかっているのだろう。でも1秒でもじっとしていられない。
「くっそ~~!」



「あんたたち、結構、頭悪いのね」


 ひっくり返っている車体の傍に、いつの間にかティーガーⅠが近づいてきていた。
「引っ張ってあげるから、あんたたちは穴でも掘りなさいよ」
「………エリカ様」
「そのあたりの地面をスコップで掘って、段を作ればいいでしょ?そこに引っかかれば、草の上を滑らずに、砲塔部分は横になるはずよ。本当、馬鹿だらけ」
 とても怒った表情でいらっしゃるエリカ様にスコップを押し付けられた。段差を作って横転させろと言うことだ。ルクリリは勢いよく芝生にスコップを突き刺した。他の黒森峰の隊員たちもスコップで穴を掘ってくれる。
「ロープを車輪に括りつけて、合図で引っ張るわよ」
「……せーの!!!」
30センチほど草の上を滑った砲塔は、スコップで掘ったくぼみに落ちて、そのタイミングで勢いを付けたティーガーⅠに引っ張られ、大きく機体を揺らして横転になった。
「やった!!!」
 すぐにハッチを力いっぱい引っ張った。むわりとオイルの匂いが顔に降りかかり、火を噴いていた時に籠っていた熱が逃げて行く。
「クランベリー!!!!」
 見えた身体を掴み、引き摺り下ろした。薄く目を開けて、無理やりに笑っている顔が見える。
「お姉さま!」
 ローズヒップの背中にクランベリーを預けて、砲手の先輩、装填手の先輩、操縦手席の先輩を全員クルセイダーから助け出した。救援車両が近づいてくる。
「ローズヒップ、リゼ様と一緒にクランベリーたちの付き添いをお願い」
「わかりましたわ。ここはお願いします」
 大雨は止まない。身体が冷えないように、羽織っていたレインコートを先輩に着せて、救護車に全員が自力で歩いて乗る姿を見届けて、車を見送った。


「エリカ様」
「………何よ?」
 土砂降りの雨の中、エリカ様が黒森峰の隊員と共に、手を貸してくださらなかったら、おろおろしていただけかもしれない。ずぶ濡れた黒森峰の隊員に深々と頭を下げた。
「ありがとうございます」
「………別に。こんなことで1勝上げたって思われたら、私たちが悪役みたいで嫌なだけ」
 こちらから白旗を上げたのだ。そんな勝ち方は誰でも嫌だろう。ましてや目の前で爆発炎上して、わらわらとみんなで助け出すみたいなのを見せつけられたら、いい気分ではないのはわかる。
「みっともない姿をお見せしました」
「もう、あんたたちが殴り合うのを見たし、そっちの方がよっぽどみっともないわよ」
「………本当に、無様で申し訳ないです」
「聖グロは毛色が変わったわね。まぁ、あなたみたいな人、嫌いじゃないけど」
 
 黒森峰を見送り、白旗を上げたチャーチルに乗りこんだ。整備科の新しい科長が牽引車に乗ってやってきてくれる。その場に残っている隊員たちを乗せた車の後をついて、各校集合場所へと向かった。
 マチルダⅡ部隊の隊員たちに心配そうな顔で迎えられて、バニラたちの救出を優先させるため、自ら白旗を上げて負けたことを自分の声で告げた。
「バニラたちは自分で歩けていたから、大丈夫。事故だったとはいえ、負けたことに変わりはない。本当に申し訳ない。これは私の責任」
 みんなに頭を下げると、キャンディ様が下げた頭を撫でてくださった。なぜだか、じわりと涙が瞼の淵に広がった気がして、すぐに頭を上げられなかった。
「ルクリリ隊長の判断は正しかったわ。また、試合を申し込めばいいだけだわ。みんなの無事が確認できなかったんだし、あの場であれだけの炎上をしているのを、放置して戦うと言う選択肢なんて取れるはずがないもの。これが私たちの戦車道よ」
「……はい」

 ゆっくりと顔を上げて、1人1人の隊員を見渡した。早朝から練習を続けて、この大雨を予測した訓練もしてきた。スピンをする恐れがあることもわかって、彼女たちの日ごろの訓練をしっかりローズヒップが指導してきた。それでも、事故は起こるものなのだ。こういう負け方もある。

 
 でも、これでよかったのだ。


 あとでローズヒップに怒られるかもしれない。自ら白旗を上げて負けたことを、マリアがテレビで見ていてどう思うのか、と。



「………良く思いとどまったわね、アッサム」
 爆発炎上をした瞬間、立ち上がったアッサム。すぐにでも部屋を飛び出すんじゃないかと思ったが、歯を食いしばって持ちこたえ、椅子に腰を下ろした。聖那さまは妹が乗っているクルセイダーなのに、声も上げずにモニターをじっと見つめておられるだけだ。
「走って行ったところで……今は、何もできませんわ」
「そのとおりよ。ルクリリの行動を良く見ていなさい」
 ダージリンは冷めた紅茶のカップをテーブルに置いて、ゆっくりと背を預けた。数分後にチャーチルが自ら白旗を上げて、棄権したというアナウンスがスピーカーから流れてくる。
「あんな衝突炎上、別に死ぬほどじゃないのに。ここで棄権なのね」
「聖那、自分の妹が乗っているのでしょう?よく言えたものね」
 隣の聖那さまは、ため息とともに腕を組まれた。愛菜さまは棄権について批難されてこない。ルクリリはきっと、何かしらバニラやクランベリーから救援要請を受けたのだろう。あるいは、無線が繋がらないなどの状況に陥って、やむなく棄権したのかもしれない。相手への最低限のマナーとして、自ら白旗を上げるという選択をしたのだ。あの場にいる人間にしか、その良し悪しは判断出来ない。
「うちの妹の判断が鈍いから、こういうことになるのよ」
「聖那も1年生のころに爆発炎上したものね。超高速スピンで目が回って気絶していた。愛奈がマチルダⅡから飛び出して、助けに行ったものね」
「麗奈、余計な事は言わないで」
 お姉さま方の言い合いを聞き流しながら、ルクリリ達が自分たちの手で消火活動を行い、仲間たちを救出している様子を見守っていた。雨のせいで映像の映りは悪いが、ローズヒップやペコも揃って、隊員たちを助け出している。黒森峰の隊員たちまで、救援に手を貸してくれる姿。倒そうしていたティーガーⅠに助けられている後輩たちの姿。全員の無事をアナウンスで確認して、試合は黒森峰勝利とし、モニター画面には黒い校章と勝利の文字が大きく映し出された。
「聖那、救護室に行って妹の様子を見て来てあげたら?」
「あの子のせいで、また私が寄付金を弾まなきゃいけないわ。ちょっと、胸倉を掴んで振り回さないと」
 聖那さまは、お怒りというよりは、妹の無事を知ってホッとしているのだろう。アッサムは立ち上がって、ダージリンを見つめてきた。もう我慢ならない、と目が訴えてきている。
「聖那さま、アッサムがバニラたちの無事をどうしても確かめに行きたいそうなので、ご一緒してあげてくださいませんこと?」
「聖那さま、行きますわよ」
 アッサムは聖那さまの腕を掴んで引っ張った。渋々のポーズを見せながらも、部屋を出て行く時には、アッサムよりも足取り早く出て行く後姿。
「ダージリンはいいの?」
「私は、西住まほさんに謝りに行きますわ」
「あぁ、黒森峰の。そう、じゃぁ、私たちは3年生たちにでも顔を見せに行ってくるわ」
 愛菜さまは、麗奈さまと共に、別のモニタールームで試合を見ていた他学部を含む3年生たちに顔を見せに行った。ルクリリたちとは会うことなく、きっとお帰りになられるだろう。

 とても価値のある負けだった。ルクリリを隊長にしてよかったと、心から誇りに思う。


怪我や打撲はあったものの、幸い重傷ということもなく、みんな元気な様子だった。ローズヒップは全員の治療が終わるのを見届けて、バニラ、クランベリー両車の隊員を連れて救護室を出た。
「ローズヒップ」
「………アッサム様」
 外に出ると、アッサム様が雨の中、傘を差して待っていてくださった。隣にはバニラのお姉さまもいる。きっと、妹の無事を確かめに来られたのだろう。
「全員無事ね」
「はい」
「そう。それならいいわ」
 本当は抱き付いて、頭を撫でてもらいたかったけれど、今はそんな甘ったれたことなんてしてはいけない。責任があるのに、まるで責任を放棄したみたいになってしまう。
「ご迷惑をおかけしました。ごめんなさい」
「迷惑は掛かっていないわよ。心配しただけ」
「はい」
「ルクリリたちとすぐに合流しなさい。整備科への指示と最終確認はあなたの仕事よ。みんな、待っているわ」
「わかりました、ですわ」
 レインコートを被って、怪我をした隊員たちを気遣いながら、すぐにルクリリ達が待っている大会本部に走ることにした。
「お姉さま、ごめんなさい」
「同じティーネームを受け継いでいるのだから、私に恥をかかせないで」
「はい」
 バニラは実のお姉さまにでこピンされていたけれど、それでもアッサム様は笑っているから、きっと本気で怒ってなどいないはずだ。みんなの無事をわざわざ確認に来てくださったアッサム様たちは、ローズヒップ達に付き合わずに、もう帰るとバニラに告げられた。とにかく、一杯やらなければいけないことがある。副隊長になって、クルセイダーの部隊長になって、整備科責任者になって、やることはたくさんある。でも、ローズヒップはただ、一生懸命走るだけなのだ。

 誰のために。

 目的を見誤らないで、とルクリリが言っていた。
 聖グロの戦車道は、自分と仲間たちのためにあるのだと。

 そう言えば、試合開始から、一度もマリアのことを考えなかった。練習中はずっと、勝ってマリアを喜ばせたいって思っていたはずなのに。
 昨日、ルクリリとあれだけやりあったはずなのに。

 最初から、出来ない約束をしたことが間違いだったのだ。本当はわかっていた。わかっていたけれど、嘘を吐いたと認めたくなかっただけだ。


 この負けを、マリアはどう思うのだろう。でも、みんな必死に頑張ったのだ。自分たちの戦車道を貫いた。その結果、負けた。事故を言い訳にしてはいけない。マリアに負けたことを責められても、嘘を吐いたことを謝る以外に、出来ることはきっともう何もない。
必死になっても負けてしまうことがあると、そう思われることは悲しい。病気は負けてしまえば、もう次はないのだ。どうすればいいのだろうか。うまく言葉が見つかりそうにない。


 嘘を吐いてごめん。そう言うしかない。負けてごめん、なんて言えない。それはルクリリを傷つけてしまう言葉だ。






 大雨の中、全員の無事の確認と、整備科が戦車をすべて学生艦に引き上げたのを見届けて、真っ暗になった頃に隊員を乗せたバスは学生艦に戻ってきた。


 雨は止んでいた。
 星は見えなかった。

 寮生活の隊員たちと遅めの夕食を済ませた後、3人でスパに行って雨に打たれた身体をしっかりと温めて、泥のように眠った。

 

 ペコのダブルベッドに、3人で当たり前のように腕を取り合って。
 夢の欠片もみなかった。



朝からあちこちへの報告や打ち合わせに、3人で走り回り、お昼過ぎにゆっくりと船は横浜へ向けて出港した。ある程度の仕事が片付けば、横浜に降りられるから、病院へ行って、マリアに試合の報告をしに行かなければならない。電話で容態を確認してからにしようかと思ったが、会えても会えなくても、遠くからでも姿を見たかったし、負けたことは出来ればちゃんと顔を見て伝えるべきだと思った。出し切れる力をすべて出したと伝えても、がっかりさせたことには変わりない。負けたことが悪いのではなく、約束を破ったローズヒップだけが悪いのだ。出来ない約束をしたことが悪いのだ。


「横浜に出るの?」
「マリアのお見舞いに行かないといけませんわ。ずっと、顔をみていませんもの」
 仕事を終えて隊長室に戻った後、3人でお茶でも飲もうと言ってくれたルクリリに、横浜に降りたいから、要らないと告げて、脱いでいたジャケットを羽織った。外はまだまだ寒い。
「そっか。私とペコも一緒に行っていい?」
「もっちろんですわ!ルクリリとペコが来たら、マリアは喜びますわ」
「………じゃぁ、3人で行こう」
 ハンガーにかけていたジャケットを取ったルクリリは、ペコの分も取って投げるように渡す。3人で横浜に降りて、マリアに会っても、約束を果たせなかったのはローズヒップだけが悪いのだ。でも、ルクリリとペコが会ってくれたら、少しなら許してくれるかもしれない。隊長が来てくれたと、喜んでくれるかもしれない。
「行こうか。そろそろ、いい時間だわ」
「いい時間ですの?」
「……うん、丁度いい時間」
 ルクリリは制服のネクタイをキチンと閉め直して、一番上のボタンを留めた。ペコが運転する車は横浜の街を抜けて、途中で反対方向へと曲がる。
「ペコ、道が違いますわ」
「いえ、こっちで合っています」
「近道なんて、ありませんわ。まったく違いますわ」
 ペコが走らせる車はドンドン病院から離れて行って、どこかに寄って何かを買うのかと思ったけれど、周りに何もお店のない駐車場に止められた車の目の前には、大きな教会があるだけだった。

「………ペコ、ここはどこですの?」
「教会です」
「それは見たらわかりますわ」
 ペコを見つめ返すと、その目はとても困ったようにルクリリを見上げていた。ルクリリがここへ向かえと指示をしていたのだろう。

「あのね、今…………マリアの告別式が行われているの」
「こくべつしき?」
 それは、どういう意味なのだろう。意味は分かっているけれど、身体が付いていかなかった。理解すると言うことを拒否しようとしている。ルクリリはローズヒップのネクタイをきちんと締め直して、ジャケットの襟をきちんと引っ張り髪を撫でてくる。

「うん。亡くなったんだ、マリア」


「………嘘。だって、良くなっているって、看護師さんは言っていましたわ。試合をとても楽しみにして、いる…って」


 嘘だよ、なんて言ってくれない瞳だって知っている。
 ルクリリは馬鹿だから、嘘を吐かない。
 本当のことを黙っていることはあっても、嘘は吐かないのだ。
 ローズヒップと大違いなのだ。


「…………うん。でも、亡くなってしまったの。試合前に泣かれて、部隊が機能しなくなると思って、今まで言わなかった。マリアは……試合を見る前に亡くなってしまった。だから“負けてごめん”じゃなくて、お互い頑張ったねって言って、お別れしようよ」

 ルクリリの目はじっとローズヒップを見つめてくれて、だから嘘なんて一つも言っていないと言うことはよくわかる。

勝手に流れてくる涙は、ルクリリの両手が何度も何度も、拭ってくれた。

「マリア、本当は良くなってなかったんですの?」
「…………そうよ」
「ルクリリは、看護師さんに嘘を吐かせたんですの?」
「私が病院にお願いしていたの。でも、マリアは頑張っていた。試合を見たいって、ずっと最期まで言っていたんだって。でも……神様は、私たちの無様を見せたくないって、そう思われたのよ」


 勝手に溢れてくる涙と、勝手に出てくる嗚咽はどうすることもできない。ルクリリを憎いなんて、少しも思わなかった。誰かを責めるなんてしない。マリアは一生懸命戦ったけれど、負けてしまったのだ。ローズヒップたちが試合に負けてしまうことがどうしようもないのと同じように、マリアだって、ずっとずっと頑張っていたのだ。神様がその時を選んでマリアを天に連れていかれたのならば、そのことにはきっと意味があるのだろう。


 抱き付いたルクリリのジャケットはしわくちゃになったけれど、ちゃんと受け止めてくれたから、教会に入る前に声を上げて泣いた。ペコに頭を撫でられて、ひとしきり大泣きした。


 悲しくて。
 どうすることもできなくて。
 泣くことしかできなくて。
 涙は2人にサンドイッチして抱きしめられていたから、しばらくしたら落ち着いた。
 悲しみは、いつか枯れてしまうものなのだと知った。


 涙を拭って、3人で表情をちゃんと確認し合って、それから背筋を伸ばして教会に向かう。聖グロの戦車道の副隊長として、きちんとお別れの挨拶をしないといけない。



約束。 ⑤

早朝の目覚ましが鳴った。飛び起きたペコは一番にシャワーを浴びて、着替え終わり髪を結った。ルクリリもローズヒップも同じベルで目を覚まし、それぞれが無言でタンクジャケットに身を包む。普段は食堂がまだ開かない時間だけど、栄養学部の2年生たちの協力の元、集合時間に1,2年の戦車道全員を始め、整備科、情報処理部、その他自由参加で他学部の生徒たちも集まってくれた。外は情報処理部から1週間前に貰った予報通り、土砂降りの雨。
「おはようございます。予報通りの大雨です。どんな環境であろうとも、私たちはフラッグ車に向かって突き進むだけです。私たちの目の前には、苦難などありません。己の心の中にある恐れ、苦しみ、不安、そんなものはずべて取り払い、ひたすら、がむしゃらに戦うことだけに集中しましょう」
 ルクリリをじっと見つめ、引き締まった表情の隊員たちと、その隊員をサポートしてくれる全員の想いがとても力強く光っていた。ペコはマリアのためではないのだと、やはり思い知らされる。今、目の前でルクリリを信じ、支えてくれて、付いてきてくれる仲間たちがこんなにも沢山いるのだ。ルクリリには彼女たちの想いだけを背負うことが精いっぱいのはずだ。ペコだって、ルクリリたちを支えるだけがすべて。
「昨日は、皆さんの前で床を転げまわりました。申し訳ございませんでした」
 ルクリリの隣に立っていたローズヒップは、静かなフロアに向かって頭を下げた。こらえきれずに笑ったのは、バニラだ。それが呼び水になって、みんながクスクス笑いだすものだから。
「ローズヒップ、せっかく私が引き締めたのに、何でそう言うこというの?」
「だって、謝ろうって言ったのはルクリリですわ!」
「転げ回ったことを謝るって何?」
「先に叩いたのはそっちですわ」
 言い合いが始まったので、ペコは割って入って、温かい紅茶をゆっくりと味わってくださいと全員に告げた。早目の朝食を取り、最終ミーティングを済ませると、すぐに戦車整備の最終点検が始まる。いつものルクリリにローズヒップ。これが聖グロの隊長と副隊長だ。こうやって言い合っている姿を見るとみんなが落ち着くのだから、不思議なものだ。



「ローズヒップ、今日の試合は誰のためにあると思う?」
「…………聖グロの戦車道のみなさんと、整備科や情報処理部、栄養学部や家政科や、応援してくださっている人、全員ですわ」
 土砂降りの雨の中、指定位置に戦車を並べ、車長が整列をした。暦が春でもまだまだ寒いこの季節の雨は、足の小指の感覚を奪おうとする。
「みんなの真剣な顔を毎日見ていたでしょう?」
「………はい、ですわ」
「それでも、誰かひとりのために戦うつもり?」
「…………聖グロのみなさんと…声援をくださる人たちと…マリアのためにも、最善を尽くしますわ」
 ローズヒップが悩んで出した答えだ。朝から、病院に電話をする暇が全くなかったのだから、今、この時間、マリアがどんな状態なのかはわからないはず。でも、良くなっていると信じているローズヒップができることは、黒森峰を倒すことだけしかないのだ。
「なら、ローズヒップがフラッグ車を倒してね」
「もちろんですわ」
「私たち、全員の想いがローズヒップにかかっているんだ。もう一度最後に言うけれど、目的を見誤らないで」
「………わかりましたでございますわ、ルクリリ隊長!」
 土砂降りの雨だから、きっと室内モニター会場で、ダージリン様とアッサム様は、OG会のお姉さま方と優雅にお茶を飲みながら、試合をご覧になられるだろう。ひと暴れして、先輩方を驚かせたい。
「よし、勝とう。大切な仲間と……未来の仲間のために」

 車長全員で円陣を組み、その周りを他の隊員が囲む。腰で手を握り合った。ペコとローズヒップとがっちりと握りしめた手。土砂降りの雨は試合終了まで降り続けるだろう。


 早朝にルクリリに届いた訃報は、横浜港へ戻る日にローズヒップに伝えようと思う。


OGである、アールグレイ前隊長のお姉さま、前バニラお姉さまこと聖那さま、前オレンジペコお姉さまの愛菜さまと共に、会場傍に設置されている室内モニターでの観戦。アッサムはお姉さまと聖那さまの間に腰を下ろして、隊員たちのことを聞かれたら何でも答えられるようにしていた。ダージリンは愛奈さまと聖那さまの間に座っている。
「アッサムのデータでは、聖グロは勝てるの?」
 お姉さまはアッサムが淹れたお茶を飲みながら、それほど真剣なお声ではない。アッサムの髪を撫で、毛先で遊んでいらっしゃる。
「今回、あの子たちがどういう作戦を立てているのか、何も知りませんの。火力の差で言えば勝つことは出来ませんが、そこはルクリリの知恵次第、ですね」
「ここまで私たちを呼びつけておいて、やっぱり負けました。とは言わせないわよ」
 呼びつけたのはアッサムじゃないのに。それでも、東京から陸路で2時間程離れた場所まで来てくださったのだ。卒業試合もわざわざ足を運んでくださった。アッサムが後輩を可愛がっているように、お姉さまたちも、わりと後輩には甘いところがある。
「お姉さま方、この時期はお暇でしょう?私たちと遊んでくださってもよろしいじゃないですか」
 髪を撫でられながらふて腐れてみせると、右隣りの聖那さまが髪を引っ張ってきた。
「アッサム、あの本の感想を聞かせて」
「……あの本というのは?」
「私がお誕生日にプレゼントしてあげたでしょう?ダウンロードしなさいって」
 聖那さまはきっと、反応を楽しむために贈りつけたに違いない。アッサムが呆れたため息を吐いている向こうで、ダージリンが空咳をしている。
「聖那、アッサムに本を贈ったの?本なんて読まない癖に」
 モニターの向こうでは試合が始まっていて、大雨の中、後輩たちが必死に戦っているのに、この緊張感のなさ。きっとアッサムたちの卒業試合を観戦されているときも、本当に喫茶店でお茶をしているような感じでいらしたに違いない。でも、見ている側はどうすることもできないのだ。

 頑張ってと声を出さなくても、ルクリリたちは頑張っている。勝っても負けても、お疲れ様と労ってあげることしかできないのだ。

「読むわよ、“教科書”くらいは」
 愛菜さまが怪訝そうに尋ねられるのに、胸を張って答えていらして。贈りつけられたものを読み、硬直して頭を抱え込んだ日々は、しばらく忘れられそうにない。もっとも、ダージリンには効果てきめんだったから、結果的にはいい方向には向かったのだけれど。
「聖那は何を贈りつけたの?」
 アッサムは鞄から電子書籍を取り出して、パスコードを入れた。かなり刺激的なタイトルと表紙がずらりと並べられている。
「お姉さま、読まれます?こういうのを後輩に贈りつけるって言うのは、虐めだと思いますわ」
「待って、麗奈にはマズいわ」
 お姉さまに秘密で贈ってきたに違いない電子書籍。タブレットの画面を見て、表紙のいかがわしさで察したお姉さまは、慌てる聖那さまを睨み付けた。
「聖那、私の可愛いアッサムにとんでもないものを贈ったのね」
「あらやだ、大人の階段をいつまでも昇らないんだもの、ほんのアシストのつもりよ。それに贈ったけれど、読むかどうかなんて自由だわ」
 ダージリンが音を立ててティーカップをサイドテーブルに置いた。どんな表情をしているのか気になって仕方がない。
「ダージリン、聖那に遊ばれているだけなのだから、反応するのはやめなさい」
 呆れた愛菜さまの声。お姉さまはずっとタブレットを嫌そうな顔しながら操作されている。きっとあとで、聖那さまはお2人からきつく怒られてしまうに違いない。
「………愛菜さま、グーで殴ってくださいませんこと?後輩が必死に戦っている時にする話題じゃございませんわ」
 アッサムとダージリンの間にいる聖那さまは、今は安全地帯だ。本当にバニラの姉とは思えないお人。在学中に物静かでいらしたのが嘘のよう。
「私、2人から感謝されることはあっても、文句を言われることはないと思うわよ」



 アッサムは咄嗟に何を言い返せばいいのかわからなくて、思わず口を閉じてしまったけれど、ダージリンまで黙り込んでしまうものだから。

「ほらね?やっと大人の階段を昇ったわね」
「…………ダージリン、後で殴ってあげるから今は耐えなさい」
得意げな横顔の向こう側で、ダージリンは完全に硬直したまま動かない。愛菜さまがヨシヨシとダージリンの頭を撫でている手だけが見える。

 試合開始から20分。
 ルクリリたちチャーチルは、真っ直ぐにティーガーⅠに向かって進んでいるようだ。


車体を刺すように降る雨の音。試合開始から2時間が経過して、予想通り、クルセイダー4両とマチルダ1両、そしてチャーチルの合計6両が生き残った。相手側は2両しか撃破出来ていなかった。 
それでも、幾度となく履帯破損を狙い続けては、ティーガーⅠと他の車両との距離を開けさせ、そう簡単には一丸とさせない狙いの通り。黒森峰の偵察車であったⅢ号を撃破したおかげで、相手は少しチームワークを乱しているようにも思えた。
 撃墜されないようにクルセイダー部隊は動き回り、黒森峰に突き進んでいく。ティーガーⅠの側面に1両だけでもいい、ぴったりと張り付いて離れずにいられたら。たとえ撃破出来なくても、嫌がられるくらい付きまとい、足を止めることができたなら。2対1、あるいは3対1くらいに持ち込みたいものだ。望遠鏡にはティーガーⅠがパンターに守られている姿が写っている。
『ティーガーⅠ、真っ直ぐ来ましたわ。両サイドにパンター2両』
「パンターが邪魔だ。履帯を狙え。チャーチル、マチルダ1号車、バニラ、9時方向のパンターに砲撃を開始」
 チャーチルがまさか、パンターを狙うはずがないだろうという油断を誘い、履帯めがけた同時攻撃の後、一旦チャーチルは、砲撃を受けながら後退をした。チャーチルに気を取られている隙を狙い、ローズヒップのクルセイダーがティーガーⅠの後ろから走ってきている。さらにその後ろからはエレファント。マチルダⅡ部隊が履帯を潰していた車両が戻ってきたのだ。走り回るクルセイダーではなく、鈍足のチャーチルをめがけてくるだろう。
「ローズヒップの後ろからエレファント2両だ。先に残りのパンターを狙え」
『了解!!バニラ、クランベリー、お任せですわ!』
 土砂降りの雨、生い茂る草木はスピンしやすく、バニラもクランベリーの車両も何度も煙と飛沫を上げながら走り回っていた。2時間経過したら、リミッターを外せと指示をしていた。全力で走り回って履帯を狙っているが、砲撃を交わすことは出来ても、砲撃をあてることは、やはり難しそうだ。迫ってくるティーガーⅠから逃げながら、チャーチルは前後に動き、ローズヒップがティーガーⅠにドンドンと近づいてくる時間を稼ぐ。

『砲撃が来るわ!』
「後退!」

 キャンディ様の声に反応して、チャーチルを後退させた。大きく車体が揺れるが、着弾はしていない。
『残りのパンター、履帯破損!クルセイダー全車、ティーガーⅠへ砲撃を開始!なるべく近づいて、べったり離れませんわよ!』
 走り回りながら、ティーガーⅠへの一斉攻撃はクルセイダー4両によって行われた。エレファントの砲撃はクルセイダーにはなかなか当たらないが、チャーチルの背後を狙っているラングやティーガーⅡの脅威は間違いなくすぐ傍まで来ている。
「全速前進、ティーガーⅠへの砲撃を開始」
 まだまだ、確実に撃破するには距離が開きすぎている。17ポンド砲ならいいのにって、こういう時に思わずにいられないけれど、仕方がないのだ。ローズヒップたちクルセイダー4両が走り回りながら、攻撃をかいくぐり、ティーガーⅠとの距離を詰める。先を走るマチルダⅡにティーガーⅠから放たれた砲撃が着弾し、目の前で白旗が上がった。後ろから、ラング2両とヤークトが迫ってきている。前後を挟まれているが、ティーガーⅠを5両で追いかけまわしている聖グロに、まだ、可能性はある。

『バニラ、ティーガーⅠを止めますわよ!』
『了解!』
 全速力で真っ直ぐに向かうバニラのクルセイダーを当然、ティーガーⅠは射程に収めようとする。
『クランベリー!』
『はい!』 
 ティーガーⅠが砲塔をバニラへと向けたところで、クランベリーのクルセイダーも同じように、ティーガーⅠの逆側面を狙ってスピードを上げ、砲撃を開始した。

「………危ない!!!」

 猛スピードでティーガーⅠを狙うクランベリーの車両に、エレファントの砲撃が襲った。衝撃を受けてスピンした車体。スピードを上げていたせいで、そのまま止まることができない。
『バニラ、ブレーキ!!!!!!』
 ティーガーⅠが急ブレーキでカーブを描いてクランベリーの車体をよけても、最速のスピードを出していたバニラのクルセイダーは味方の車両をよけきれず、爆音と共に激しくぶつかり、2両は黒い煙と白旗を上げた。

 その間の出来事は、どれくらいの時間だっただろうか。数秒、あるいは10秒くらいだったか。双眼鏡の中の出来事は、映画を見ているようなクラッシュだった。

「バニラ!クランベリー!無事?!」
 敵フラッグ車のすぐ傍で起こった爆発炎上。ルクリリは無線で呼びかけたが応答がない。

『バニラ!!クランベリー!!!』
『バニラ!』
『クランベリー!!』
『返事をして!!』

 
 ローズヒップが何度も声を張り上げている。後ろからの砲撃がチャーチルを襲って、激しく車体が揺れた。前進を続けているチャーチルの中に広がるのは、ローズヒップやリゼ様が無線から叫ぶ声だけだ。




 隊員たちの無事がわからない。
 こんな時どうすればいい。
 ダージリン様ならどうする。
 アッサム様ならどうする。





約束。 ④

「そんなに、具合が悪くなってしまったんですね」
「でも、薬の効果があれば、ちゃんと良くなっていくって言っていましたわ」
「そうですか。頑張って病気と闘っているんですね」
 マリアの話を誰にも言うなって、ルクリリがきつくローズヒップに伝えていたから、アッサム様やダージリン様と遊んでいる時は、何も報告を聞かなかった。遊び倒して、美味しいものを食べて、お2人に沢山可愛がってもらって、へらへら笑っているローズヒップ。何というか、成長したなって親心みたいなものを抱いてしまう。毎日のようにアッサム様から周りを見ろ、自分の立場を考えろって言われ続けて、そして卒業されて突き放されてしまうのだ。ローズヒップも彼女なりに一生懸命考えている。
「元気になったら、戦車に乗せてあげたいですわ」
「そうなれば、うちの学校にいずれ入学するのだから、焦ることはありませんよ」
 誰かのための戦車道と言うものが、まったく存在してはいけないとは思っていない。誰かのための勝利はある。夏にあった大洗女学園を廃校から救うために、捨て身の戦いをしたこともあった。でも、戦車道は人の命を救うことは出来ない。勝っても負けても、きっと、遅かれ早かれ、マリアは神様のお導きになる場所へ向かうのだろう。
「そうですわね。でも、それまで一度もどんな試合にも負けないって言うのは、難しいことですわ」
「負けはみっともないことじゃないですよ。全国大会で黒森峰に負けて、ローズヒップは恥ずかしかったんですか?」
「ダージリン様はとてもかっこよかったですわ!必死に戦って、最後まであきらめずに前進しましたもの。運が悪かっただけですわ」
 敵戦車のデータを何度も何度も読んでいるローズヒップ。リビングテーブルに広げられた資料の山。いつもはここまで試合にのめり込む性格じゃない。頭の中はずっとずっと、試合に勝つことしかないのだろう。何のために、誰のために戦うのか。ルクリリはしっかりとくぎを刺した。でも、それでも小指の約束を守ることを重視している。守れない約束など、してはいけないと思っているはずだ。
「今の私たちができることは、全部の力を出し切ることです。無様でもがむしゃらに戦いましょう」
「もっちろんですわ!でも、今回の戦いは勝たないといけませんわ。約束を破ったことになりますもの」
 資料に視線を落としていたルクリリが顔を上げて、ローズヒップを睨み付けた。でも、その瞳はとても心配している。ルクリリの中にある腹立たしさと、親友の優しい心が傷つくことを心配している気持を、ローズヒップはどこまでわかっているのだろう。
「明日、早朝練習の後、すぐに陸地に降ります。みっちり時間が許す限り練習しなきゃいけないし、ダレてしまわないように、隊員のモチベーションを維持しないといけません。ローズヒップは副隊長として、やらなきゃいけない仕事がたくさんありますから、とにかく残りの日数は試合だけに集中しましょう」
「……そうですわね」
 頭の中を支配する、マリアと言う少女。優しさは自分を傷つけるのだ。でも、ローズヒップには、そんなローズヒップを心配してくれる仲間がいる。




「………あれ、どこに電話してるの?」
「注意しましたけれど、休み時間なんだから5分だけって」
「………マリア?」
「みたいです」
 陸地練習が始まってから、お昼休みはそれぞれの部隊で別れて食事を取るようにしていた。みんな、話すことは黒森峰のことばかり。いかに一騎打ちに持って行くまでに多くの車両を残せるかをずっとずっと、話している。自分たちが倒せなくても、相手を近づけさせない。ダージリン様たちが取った作戦を受け継いで、フラッグ車との一騎打ちに、更にクルセイダーを生き残らせて、出来れば3両対1両に持ち込みたい。そう簡単には出来ない作戦を遂行させるために、みんな必死だ。無様でも走り回ろうって言い合っている。自分たちがこれから聖グロの戦車道を担う隊員として、しっかりと自覚を持てるように、頑張っている。
「………直接話をしているの?」
「いえ、仲良くなった看護師さんに、毎日、具合を聞いているみたいです。あんまりよくないから、励ましを伝えてもらっているんだそうです」
 こういう場合、ダージリン様なら、きっと見てみぬふりをされるだろう。あるいは強引に交流の手段を断たれるだろうか。いや、やっぱりわかっていても、見守ることを選ばれる気がする。アッサム様はどうだろう。あの方はローズヒップのことをまた違った方法で大事にされているから、言い聞かせるはずだ。世の中には沢山の病気の人がいて、すべての人の命は救われない。聖グロのボランティアは、命を救うためのものではない、と。その時だけ励まして、そして憧れを抱かれることに感謝だけを持って、前を見なさい、と。
「………悪化しているの?」
「そうみたいですね。日に日に」
「そっか。でも、どうすることもできないからね」
「いいんですか?ルクリリ」
 放置しているわけじゃない。見守っているだけだ。
「あれもローズヒップなんだ。自分で傷ついて、自分で学んでもらうしかない。私たちは仲間だから、ダージリン様たちのようにローズヒップを導いてあげるような立場じゃないし」
「ますます、絶対勝たなきゃいけなくなりましたね、ルクリリ」
 ペコは笑っているけれど、ペコだってずっとローズヒップを心配している。ローズヒップはわかってくれたりしないだろう。ペコもルクリリも、心配なのはマリアではないのだと言うことを。
「そうなんだよね、本当。まぁ、作戦がどれくらい上手く行くかっていうのを、ちゃんと見極めるいいチャンスには変わらないよ」
「ダージリン様たちは、OG会の先輩たちを試合観戦に誘っておられるそうですよ。無様に勝ちましょうよ」
「……ダージリン様って最後の最後までえげつないことをされる」
 ダージリン様がこっそりそんなことをされても、ちゃんと情報処理部責任者のペコには知られてしまう。情報源はバニラからなんだとか。きっと前のバニラお姉さまも見に来られるのだろう。
「険しい顔ですね、ローズヒップ」
「そうだね。ヘラヘラしているくらいしか、良いところがないのに」
「それは流石に言いすぎですよ」
 マリアが試合前に死んだら、ローズヒップはどうなってしまうのだろう。あと、試合まで3日。ローズヒップが使い物にならなくなったら、聖グロは戦う前から負けが確定してしまうのだ。
「ペコ、あとであの電話の相手と連絡を取りたいんだけど」
「…………はい。調べておきます」
 同じチャーチルの仲間と、キャンディ様たちのマチルダⅡの仲間。輪になって食べるサンドイッチの味はわからない。2年生のお姉さま方がおられるから、隊長と言う責任は重たくても、まだまだ助けられてばかり。ルクリリにできることは何だろう。なんだかんだ、聖グロのためにって言いながら、結局は馬鹿な仲間のためになってしまっている気がするのだ。



「お久しぶりですわね」
「あぁ。12月の試合ぶりだな」
 練習試合前日。いつも通り、相手校とのお茶会が開催された。引退したもの同士だが、試合を申し込んだ本人であるまほさんも、聖グロの学生艦に足を運んでくださったので、ダージリンもアッサムたち3年生全員を引き連れて、お茶会に参加をした。ルクリリたちがすべて仕切ってくれて、会場の端でのんびりと美味しいお茶を味わっている。
「そちらの新しい隊長はどうかしら?」
「エリカはまぁ、頭に血が上ると冷静さを失うが……色々と経験を積ませるしかないな。そっちはどうだ?」
「ルクリリは優秀ですわ。聖グロの概念を覆す逸材ですの」
「そうか、それは脅威だな」
 アッサムが淹れてくれた紅茶を飲みながら、12月の試合で勝てた時のことを思い出していた。あの日はアッサムの誕生日だった。隊員の士気は最高潮に高まり、アッサムの誕生日パーティを負けた残念会にさせたら、絶対に許さないと告げた時の隊員たちの顔と言ったらなかった。整備科も情報処理部も、夏の大会と同じような目だった。もっともその後、余計な冗談を言うんじゃないと、アッサムにこっぴどく怒られてしまったが。面白いスパイスを振りかけるにはちょうど良かった。決して、アッサムのために戦ったと言うわけじゃないけれど、誰もが、卒業試合で負けるわけにはいかないと、がむしゃらに戦っていた。あの戦いが、最後の試合でよかったと思う。たとえあの時に負けたとしても、必死に訓練をした日々のすばらしさは勝利と同じくらいの価値があった。
「脅威ですわよ。黒森峰を追い詰めるのは、大洗女子学園だけじゃございませんわ」
「そうか。明日が楽しみだ」
 思い残すことも、何の心配もなく、聖グロの学生艦から降りることができる。アッサムと共にこれから向かう大学生活では、また新しい戦車道が待っていて、きっと後輩たちのことを常に心配することもしなくなるだろう。でも、それでいいのだ。アッサムと共に歩む道がそこにあって、ただ、前を見つめているだけしかない。たっぷりの寄付金をルクリリに渡して、思う存分暴れてくれるのを、風の便りに聞くだけになるだろう。





「この馬鹿野郎~~!!!!」





 すぐ近くで、黒森峰の生徒に写真撮影を頼まれているアッサムが、ピースサインを作って笑っているのを眺めていると、どこからか随分と下品な言葉が飛んできた。みんな、驚いて一瞬の時が止まった冷たい空気。

「…………あらあら、まほさんの学校の生徒も元気ですわね」
「いや、君のところの学校の生徒じゃないか?」
「ご冗談を。うちの学校にはあんな言葉遣いをするものは、少ししかおりませんわ」
「……少しはいるんだな」

 静寂の後、ドタバタと床に何かが当たる音がする。キャーと悲鳴が上がるが、それはうちの学校の生徒に違いないだろう。

「聖グロの名前に泥を塗るような真似をするな、馬鹿野郎!」
「名前なんて、実体のないものですわ!そんなのが大事なんですの?!馬鹿はそっちですわ!」
「馬鹿野郎はお前だ!!!この恥さらし!!」

 ガチャガチャと騒がしい音と、女の子2人が下品な言葉を叫んでいる。残念ながら、とてもよく知る声。思わずため息を漏らして、ティーカップをテーブルに置いた。過保護なアッサムが騒動の間に割って近づこうとしている。

「アッサム、放っておきなさい」
「………この恥を、放っておくんですの?」
「私たちには関係ないことよ」
「黒森峰のみなさんに、失礼極まり有りませんわ」
「ペコが止めるわよ。放っておきなさい」
 ダージリンを睨み付けてきたアッサムは、渋々、と言った表情で足を止めて、ふてぶてしい態度でダージリンの隣の椅子に腰を下ろした。相変わらず、少し離れたところで、ルクリリとローズヒップが罵倒しあっている。しかも、床に転げ回って殴り合っているようだ。

「威勢のいい生徒が多いようだな」
「でしょう?概念を覆す、と申した通り」
「なるほど………その通りだ」

 リゼやキャンディ、ペコが2人を引きずり離して、それぞれが別の出入り口へと連れていかれて、ようやく会場に静けさが戻った。何か、お互いに気に食わないことがあって、あのルクリリがローズヒップを許せなくなったのだろう。どちらが手を先に出したのかわからないが、周りが見えないと言うタイプではないルクリリが、この場でローズヒップと殴り合いの喧嘩をしたのだ。あとで自らの失態をどうやってリカバリーするのか、楽しみだ。
「ダージリン様、アッサム様。まほ様もご迷惑をおかけしました」
 少しして、ペコがキャンディと共に頭を下げに来た。逸見エリカも近づいてくる。どうやらすぐ目の前で殴り合いが始まったそうだ。
「エリカ、うちの生徒が何か迷惑をかけたのか?」
「………いいえ。あちらの2人が勝手に言い合いを始めただけです」
「そうか。ならいい」
 何か、事情を知っている様子のエリカは目を左右にした後、少しバツが悪そうにして、後ろ手に組んだ腕を揺らしている。
「ペコ、あとはあなたが仕切りなさい。もうそろそろ、お開きにしましょう」
「わかりました」
「詳細の報告は不要よ。あなたたちの起こした騒動、自分たちで何とかしなさい」
「はい」
 ペコは改めて、まほさんとエリカに深く頭を下げて詫びた後、中央に立って謝罪とお茶会のお開きの時間であると告げた。小さな体でテキパキと。出入り口に立って、黒森峰の生徒に頭を下げて、明日の試合を楽しみにしていると精一杯笑っている姿。本当によくできた子だ。ペコがいてくれなければ、ルクリリもローズヒップも“らしく”はいられない。

「うちの生徒が賑やかにしてごめんなさいね、まほさん」
「いや、気にするな。明日の試合がますます楽しみになったよ」
「えぇ、本当に」
 ふて腐れた様子のエリカは、ルクリリとローズヒップが喧嘩を始めた理由に、何か絡んでいるのだろう。ダージリンは2人を見送って、エリカよりも不機嫌な表情のアッサムの髪を撫でた。
「試合が終わってから、すべて聞けばいいわ」
「………そうですわね」
「ご不満?」
「………いいえ」
「そう。私たちも戻りましょう」
 片づけに取り掛かる生徒たちの合間を縫って、アッサムの背中を押した。気になって気になって仕方がないのはよくわかる。1年生の心配よりも、子離れ出来ない親であるアッサムの方が心配になるくらいだ。



「えっ、少し良くなりましたの?!」
 パーティから抜け出したローズヒップは、こっそりと携帯電話で病院のナースセンターに電話を掛けた。なるべく迷惑にならないように、決まった時間に電話をしてマリアの様子を教えてもらっている。本当は直接電話を繋いでほしいのだけれど、最後にお見舞いに行って以降、親族以外は許可が下りていないのだ。看護師さんは、マリアはローズヒップに会いたがっているし、一生懸命病気と闘っていると伝えてくれる。毎日、状況は好転していなかったが、やっと、明るい話題が聞こえた。
「マリアに、絶対勝つからと伝えてくださいませ。聖グロは黒森峰に必ず勝ってみせますわ。だから、早く元気になってと伝えてくださいませ」
 看護師さんの明るい返事を聞いて、携帯電話の電源を切った。急いでルクリリたちに知らせてあげたい。マリアの病状が良くなってきたのだと。だから、絶対にここで負けるわけにはいかないのだ。一生懸命戦って、病気に勝とうとしているのに、聖グロが負けるわけにはいかないのだ。


「あ、えっと………エリカ様」
 立食で行われているパーティ会場。ルクリリを探し回っている途中、黒森峰の新しい隊長を見つけた。パーティの冒頭で挨拶を交わしたから、ちゃんとお互いに認識をしている。
「何でしょうか、副隊長さん」
「ローズヒップです」
「あぁ。そう言う名前でしたわね。ごめんなさい、変な名前が多すぎて」
 一つも笑みを見せないエリカ様。フラッグ車の車長をされる方だ。ティーガーⅠという強敵を倒すためには、どこまでチャーチルが近づけるか。どこまで、クルセイダーがティーガーⅠに通用するか。
「ローズヒップはクルセイダー部隊の名誉あるティーネームですわ」
「ふーん。まぁ、どうでもいいけれど。おたくの隊長のなんたらと言う人が、あなたを探してウロウロしていたわよ」
 たぶん、エリカ様は最初から誰の名前も覚える気がないのだろう。聖グロそのものに興味がないのか、わざとなのか。こういう笑いもしない人がローズヒップの周りにはいないので、正直分からない。
「うちの隊長の名前はルクリリですわ。エリカ様、明日の試合、私たちは絶対に勝たなければならないので、覚悟をしてくださいませね」
「………はぁ。何?勝たないと丸坊主とかにさせられるの?ダージリンさんってえげつない人ね」
 ダージリン様は負けても、きっと怒ったりされないだろう。頑張ったことを労ってくださるだろう。でも、今のローズヒップには、負けを想定なんてすることができないのだ。そんなことは許されない。
「いえ。お友達に10歳の女の子がいて、マリアと言うのですが。重たい病気で何年も入院しています。聖グロの戦車道に憧れています。今、ずっと病状が良くなくて、無菌室にいますの。私たちが明日、試合で必ず勝つから、マリアも必ず病気に勝って、元気になって、そして聖グロの戦車道に入ってねと、約束をしましたの。だから、負けることなんて私には許されませんの。きっと、テレビで応援してくれますわ。負ける姿を見せられませんわ。頑張れば病気に勝てると、私たちが証明してあげるんですわ」

 拳を作って、ローズヒップはエリカ様に語った。語っている途中でエリカ様の目つきが険しくなり、だんだんと睨み付けてくるほどになっていくのはわかった。本当に笑わない人らしい。


「………あぁ、そう」
「絶対に勝たなければなりませんの」
「ふーん」
「聞いてますの?!」
「全然」

 黒森峰の新しい隊長さんは、とても耳が遠い様子だ。大丈夫だろうか、こんな人が隊長で。

「ローズヒップ、どこに行ってたの。探したんだから」
「あ、ルクリリ!」

 意気込みをエリカ様に伝えようと思っても、まったく伝わりそうにない。これは話す相手を大いに間違えたかもしれないと感じていると、ルクリリがやってきた。

「あぁ、聖グロのルクリリさん」
「はい、何でしょうか、エリカ様」
 険しくローズヒップを睨み付けていた瞳は、同じ視線をルクリリに投げかけて、鼻で何か馬鹿にするように笑っている。



「明日の試合、悪いけれど負けてくれないかしら?」

 …
 ……
 ………

「………はぁ?」

 いきなり何を言い出すのだろうか、このエリカ様という隊長は。ルクリリが喧嘩を買ったような気がした。こんなパーティ会場で相手の学校の隊長と喧嘩は、とてもマズい。

「うちの隊員の妹がとても重たい病気なんだけど、黒森峰に憧れて、頑張ってうちの学校に入って戦車道を続けたいって言っているの。でも、もう明日にでも死んじゃう命なの。せめて死ぬ前くらい、勝つところを見せてあげたいって言われていて。だから、明日は悪いんだけど、協力してもらえると嬉しいわ。練習試合とはいえ、聖グロに勝てば、いい冥土の土産になると思うのよ」


 …
……
…………



 エリカ様も負けられない事情がおありのようだ。とはいえ、何かどこかで聞いたことのあるような気がする。ニヤリとローズヒップを見て笑っているけれど、本当の話なのだろうか。

「………ローズヒップ、エリカ様に何か余計なことを言ったの?」
「え?」
「エリカ様に、まさかマリアのことを話したの?」

 ルクリリって時々エスパーになることがある。たいてい、ローズヒップが悪いことをしたときに限って、それを暴いてしまうのだ。

「………明日、絶対勝つっていうことを」
「このっ………この、馬鹿野郎~~!!!!!」


 ルクリリの怒りとはり手が、ローズヒップの左頬にバチンと音を立てて降ってきた。


「何するんですの?!」
「この馬鹿野郎!エリカ様に謝れ!」
「なぜですの?!なぜルクリリが切れるのか、わかりませんわ!」
 なおも叩こうとするルクリリの腕を掴んで抑え込もうとすると、勢い余って身体を押し倒してしまった。叩かれるのを阻止しながら、だんだんとなぜ怒られなければならないのかと、腹が立ってきて、ルクリリを叩き返した。

「聖グロの名前に泥を塗るような真似をするな、馬鹿野郎!」
「名前なんて、実体のないものですわ!そんなのが大事なんですの?!馬鹿はそっち!」
「馬鹿野郎はお前だ!!!この恥さらし!!」
「ルクリリだって下品で恥さらしまくりですわ!」
「お前がやったことは、戦車道の道に反するんだ!」
 罵倒されながら、床を転げまわり、叩かれて叩き返して。

 周りから悲鳴が上がって、ペコがルクリリの腕を引っ張って止めに掛かった。キャンディ様とリゼ様に両腕を掴まれたローズヒップは、まだグーで殴っていないのに、引きずられて会場から放り出されてしまった。


「ローズヒップは退学になりたいの?」
「先に手を出したのはルクリリですわ!」
「ルクリリがあなたに手を上げるということは、あなたが何かをしたと言うことよ。頭を冷やしなさい、ローズヒップ」
 キャンディ様もリゼ様も、何も状況をご存じないのに、隊長と言う名前がついている方の味方をされる。手を出したのはルクリリからだ。罵声を浴びせたのもルクリリだ。寒空のもと、リゼ様に腕を取られて、外に放り出された。パーティが終わり、すべての片づけが終わるまで、動くなと言われた。涙は出なかったが、腹立たしかった。きっと、周りが言うのだから、ローズヒップが悪いのだろう。だけど、ローズヒップには、何が悪いのかがわからないのだ。そのことが、腹立たしい。
「………もう、アッサム様は守ってくださらないし、怒ってもくださらないですわ」
 自分が副隊長という立場で本当にいいのだろうか。2年生の方がずっとしっかりしていると言うのに。副隊長が怒られるって、聖グロにとって良いことなのだろうか。



「先ほどは、申し訳ございませんでした」
「…………いえ、別に」
 顔を洗って、気持ちを落ち着かせた後、お開きになったパーティ会場から出てきたエリカ様を見つけて呼び止めると、ルクリリは正座をして手を付いて頭を下げた。
「ローズヒップが、何か余計な事をエリカ様にお伝えしたのなら、どうかお忘れくださいませ」
「………もう忘れたわ。私、お涙ちょうだいっていうのは大嫌いなの。そう言うのを聞かされると、むしろ、どんな手を使ってでも負けさせてやりたいって思うわ」
 エリカ様のそれは本心だろう。誰だって、相手側に勝たなければならない事情があると知れば、心理的なブレーキがかかってしまうのだ。ローズヒップは、決してそんなことを意図したわけではないだろうが、受け取り手は必ず、そう思う。人の命のことを言われてしまえば、なおのこと。 

「マリアの件は、ローズヒップの個人的な感情です。聖グロの戦車道は、いつでも正々堂々と、真っ向からの勝負をしています。一切の駆け引きなどございません。私情をお伝えして、エリカ様を不快にさせてしまったこと、心よりお詫び申し上げます」

 聖グロの戦車道は、例え練習試合であろうとも、死にゆく少女のためにあるものではない。相手に失礼極まりないことをしてはならない。もしそんなことをするくらいなら、試合をしない方がずっといい。

「………明日、ボロボロにしてあげるわ。その、マリアとやらを黒森峰のファンにさせてあげる。そうすれば、気が楽になるでしょ」
「こちらも、全力で挑みます。マリアは未来の聖グロの生徒です。簡単に心変わりさせません」

 差し出された手を取り、ゆっくりと立ち上がった。笑ってはくださらなかったが、無表情のまま会場を後にされるエリカ様を見送り、ペコの元に走った。ローズヒップのことはもういい。明日の試合が終われば、すべて終わる。とにかく、キャンディ様にも謝って、ダージリン様とアッサム様にも謝りに行かなければ。



「きちんと黒森峰の方に謝罪をしたのならそれでいいわ。気持ちを切り替えて、試合に励みなさい」
 ダージリン様とアッサム様は先に戻られたと報告を受けて、急いで寮へと向かう道を走った。薄暗い中、とても仲良く寄り添っておられる後姿。声を掛けて振り返ったお2人に、騒動を起こしたことを謝罪した。
「はい」
「あなたは隊長よ。すべての責任はあなたにあるの。ルクリリの意志は聖グロの生徒全員の意志よ」
「はい」
「よく考えて、適切に行動しなさい」
 ダージリン様は、騒動の内容なんて聞く気がないのだろう。淡々としたままだ。隣のアッサム様はそれを不満そうに見上げておられる。
「ローズヒップは?」
 アッサム様は赤く腫らしたルクリリの頬を、冷たい手で撫でてくださった。今度はダージリン様がふて腐れた表情に変わる。このお2人は良い意味でバランスを取っておられるのだ。2人揃って激怒されたことなどない。
「たぶん、リゼ様とキャンディ様がどこかへ連れて行ったままです」
「そう。明日、画面にふてぶてしい顔が映らないように、ちゃんと話し合いなさい」
「はい」

 つま先立ちをされて、ルクリリの頬にキスをしてくださるものだから。

「………ちょっと、アッサム」

 ほら、きた。

 ダージリン様は、パーティでルクリリとローズヒップが床を転げ回ったことを、どれくらい心配されていたのか、わかったものじゃない。そんなことよりも、アッサム様がルクリリを慰めるためにほっぺにちゅ、ってしたことの方が大問題でいらっしゃるようだ。

「何ですか、ダージリン」
「そんなサービスを施していいなどと、私は許可していませんわよ」
「ダージリンの許可なんていりませんでしょう」
 頭を撫でてくださったアッサム様のこれはたぶん、ダージリン様とは考えが違うことのアピールでいらっしゃるのだろうけれど、そこでルクリリを使うなんて、これはこれで迷惑この上ない。
 騒動を起こしたことよりも、ずっとずっと腹立たしいと言わんばかりのダージリン様の睨み。アッサム様は平然と受け流して、ルクリリの肩を叩いて、“じゃぁね”と先に歩みをすすめられた。

「覚えておきなさい、ルクリリ」
「…………嫌です」

 きっと、もうルクリリとローズヒップが床を転げ回って喧嘩したことなんて、ダージリン様はきれいさっぱり忘れてしまい、ルクリリのほっぺにちゅ、が上書きされてしまわれている。

 アッサム様って、怖い。





「ローズヒップ」
 キャンディ様たちに居場所を教えてもらい、会場の裏に立ちつくしているローズヒップを迎えに行った。身体を冷やしてしまっているかもしれない。
「………ルクリリ」
「冷えるし、部屋に戻ろう。黒森峰を倒すために、最後のミーティングをペコとしないと」
 ルクリリを思いっきり叩いた手は冷たくなっている。握りしめて引っ張った。ローズヒップはどこまで自分が悪いことをしたのか、1人で立たされている間に理解してくれただろうか。
「……マリアのこと、誰にも言うなって言う約束を破ったから、ルクリリは怒ったんですの?」
「そうよ。約束を破る人間なんて、私は嫌い」
「じゃぁ、ルクリリは私が嫌いですの?」
「嫌いなら、叩いたりしないわよ」

 ローズヒップが嫌いなら、エリカ様に土下座なんてしない。
 ローズヒップが嫌いなら、マリアがもう、どうしようもない状態で、おそらくテレビを見ることすら無理な容態であることを隠したりしない。
 ローズヒップが嫌いなら、ローズヒップにティーガーⅠを撃破させたいなんて思わない。
「………約束は、守らないといけませんわ」
「ズルをすることは、守ったことにならない」
「負けてくれって言ったわけじゃありませんわ」
「わかってるわよ、そんなことくらい」
 手を引いて歩きながら、寒さに体を震わせた。アッサム様が優しくキスをしてくださった頬は、冷たい風で冷やされて、すっかり熱もなくなっている。寮に戻ると、ペコが外で待っていてくれた。
「ルクリリ。ダージリン様たちは?」
「さっき、頭を下げに行った。お2人は何もおっしゃってなかったよ」
「そうですか。キャンディ様とリゼ様たちには謝っておきました。お2人とも、ルクリリに任せるそうです」
「そう。明日、試合前にみんなには謝るよ。今から、ポテトチップスでも食べながら、地図を広げようか。情報処理部が現地の撮影をしてきているし、最終確認をしよう」
「はい」
 ペコはローズヒップの空いている右手を握りしめて、3人で部屋へと戻った。ローズヒップからごめんなさいと言われなかったし、最初に手を上げたルクリリもそのことを謝ったりしなかった。






約束。 ③

早朝訓練は夏の大会と同様に6時からスタートさせた。試合に出場しないメンバーとの実践訓練を何度も何度も重ねる毎日。陽が早く暮れてしまう季節のため、17時には何もできなくなってしまう。夕方になればGI6が集めた黒森峰の、出場予定の戦車の情報と、2年生全員のデータ、それぞれの車長が最近の試合でどんな役割を担って動いていたのか。資料を眺めながら、訓練を振り返り、徹底的に全員で話し合いを持った。毎日毎日、作戦案を何度も修正し、必死に訓練を続けている。


「おい、ローズヒップ。どこに行くの?」
「マリアのお見舞いですわ!」
「今日は、アッサム様とダージリン様が息抜きに遊びに連れて行ってくれるんだから、止めておきなよ」
「そうですよ。お2人が揃って遊んでくださるのは、残り少ないんですから」
 土日になれば、船は横浜に戻る季節。だけど、横浜には陸地訓練をする場所がないから、この休みが終われば、ルクリリは少し南に降りて、公式練習場傍の港に長期滞在をすることにしていた。
 進路変更のために、OG会にお伺いの電話をすると、ダージリン様から色々と聞いている、と言われて、あっさり許可は下りた。一切関知しないからっておっしゃっていたのに、何だかんだ根回しをしてくださっていて、ありがたかった。本当に、今回の練習試合については、アッサム様もダージリン様もまるで興味がないと言う態度を貫いておられる。
 ルクリリたちは早朝練習をしているから、朝の食事も、ランチも、夕食も時間がずれてしまっていて、顔を合わせる時間がほとんどないけれど、ちゃんと、心の中で応援してくださっているって知っている。本当はもうすぐ卒業されてしまう3年生の先輩たちとちょっとでも長く、お傍にいたい。でも、それは甘えなのだ。ずっとずっと半年以上も3年生の加護の元、大切に育ててもらった。ここで、その恩を返さなければ、ただの甘ったれだ。
 ローズヒップとマリアとの約束があってもなくても、最初から訓練内容はずべて考えていた通りだし、特に約束を守らなければならないからと言って、ウルトラ級の技を用いるということはない。そんなものは最初から持ってなどいない。多少のモチベーションは確かに変わった。『簡単には負けられない』から『無様でも勝つ』になった。ローズヒップという大事な友達の約束は、ルクリリが背負っているのだ。でもきっと、ルクリリが守りたいのは、マリアの憧れだとか夢なんかじゃなくて、ローズヒップのどうしようもない無垢な気持ちなのだろう。
「じゃぁ、お2人も一緒に病院にお見舞いに行けばいいですわ!きっとマリアは喜びますわ」
「いや、だからさぁ。そう言う問題じゃなくって」
「ダメですよ、ローズヒップ。お2人は、私たちのために時間を空けてくださったんですから。みんなで遊びに行きますよ」
 寮を出て、ちょっと先に車を出すなんて言うものだから、慌てて腕を引っ張った。今日は5人で行動をするのだ。わざわざなぜ、お見舞いに時間を取られないとならないのだ。あれから、その次の土曜日もローズヒップは情報処理部との会合をさぼってマリアに会いに行った。誘われたけれど、隊長がさぼるわけにもいかないだろうって、1人で行かせた。すっかり仲良くなって、楽しくおしゃべりして帰ってきたそうだ。何も、毎週行くことはない。それに来週は試合なのだ。燃料を満タンにしたら明日の昼には船を出して、月曜日の早朝から、じっくりと陸地訓練をする。今日は、試合前の最後の息抜きの時間。思いっきりダージリン様とアッサム様に甘えまくる最後のチャンスなのだ。
「1時間だけですわ!すぐ合流しますわ~」
「………って、行くな、この馬鹿!」
 3年生の寮からは、仲睦まじくダージリン様たちが近づいてこられる。ルクリリは凄まじい勢いで消えたローズヒップの車の後姿を追いかけながら、やれやれとため息を漏らした。
「おはよう、ルクリリ」
「おはようございます、ダージリン様」
「ローズヒップ、どうしたの?」
 ダージリン様たちの視界の中には、ローズヒップが一足お先に勝手に車を走らせた姿は、ちゃんと入っていたようだ。
「いや、えっと、ねぇ、ペコ?」
「え?あ、えっと、お知り合いが入院しているので、ちょっと顔を出してから合流する、らしいです」
 目を左右に泳がせながら、それでも嘘は吐かないペコ。ダージリン様はじっとその様子を見つめて観察されておられる。
「あら、そうなの。恋人さんに会いに行った、とかではないの?」
「まさか、ローズヒップが?!」
 どう考えてもダージリン様の冗談なのに、冗談じゃない!と言わんばかりにアッサム様に肩を掴まれた。目が本気でいらっしゃる。
「怖いです、アッサム様。ローズヒップに限ってそれはありませんよ」
「でも、あの子は可愛いし、それに、すぐ騙されるタイプだし」
「…………」
「アッサム、落ち着きなさい」
 どちらかと言うと、アッサム様の過保護も心配のような気がする。ペコが言ったことは本当です、とルクリリは諭すように説明をした。アッサム様もダージリン様もマリアと写真を撮っておられたのだから、知っておられるはずだ。
「マリア?誰なの?アッサムはご存じ?」
「いえ。もう、何人もいろんな人と写真を撮っているので、流石に名前も顔もちょっと……」
 そう言うものなのだろう。1年生の頃からお2人の名前は有名だったし、本当にいろんな人たちと写真を撮ってきたのだと思う。イチイチ、名前を覚えていられないだろうし、名前を積極的に聞くこともなかったのかも知れない。それは仕方がないのだ。
「ローズヒップのお友達なの?」
「ボランティアに行ったときに知り合ったそうで、先週もお見舞いに行っていました」
「…………そう。まぁ、いいわ。放っておいて、私たちは遊びに行きましょう」
 ダージリン様は少しだけ腕を組んで悩んだけれど、それも5秒ほどだった。ローズヒップを放置して、自分たちは別のランドローバーで横浜に降りて寒空の下の遊園地。5人で遊ぶって言っているけれど、本当は戦車道の生徒皆が、示し合わせて遊園地に集合することになっている。毎日毎日、訓練し続けているから少しだけ息抜きをするのだ。緊張感を少しほぐすのにはちょうどいい。


「来ましたですわ~」
 受話器越しに声を掛けて、精一杯手を振って見せた。小さく手を振り返してくるけれど、笑顔じゃない。
「今日は横浜に降りて、また明日から訓練ですわ!もう黒森峰を倒す作戦はバッチリですわ!クルセイダー部隊が主軸になって、走りまくりですわ!」
『……ローズヒップ様が、フラッグ車を倒すの?』
「えーっと、そう、そうですわ!ぎったんぎったんのバッタンバッタンですわ!」
 小さい声が受話器の向こう側から聞こえてきて、ローズヒップは大声でそれに応える。先週から病室が変わって、直接手を取って励ましてあげることは出来なくなった。薬の影響らしい。弱弱しく見えて、でも、ローズヒップは何もしてあげられないのだ。世の中にはどうしようもないことがたくさんある。ローズヒップがダージリン様のように上品で艶やかで、人望の厚い人間になれないように、神様はマリアの病気を治してはくださらないのだ。
『来週まで、がんばれるかな』
「頑張らないとダメですわ!!聖グロの戦車道のみんなは、マリアのために戦うって言っているんですから、ちゃんと元気になって声援を送らないとダメですわ!」
 とても息苦しそうな表情、無理にでも笑おうとするマリア。アッサム様がローズヒップにしてくれるように、抱きしめて頭を撫でてあげたいけれど、今はそんなことは出来ない。ローズヒップはただの聖グロの生徒だ。マリアは決して、ローズヒップと言う存在に憧れているわけではない。ローズヒップ1人では、今のマリアを救うことは出来ないのだ。
『……来週、頑張って。ローズヒップ様の活躍、見られるようにするから』
「お任せあれ、ですわ!!!!このクルセイダー部隊長、副隊長のローズヒップが絶対に黒森峰をぶった押しますわ!約束ですわ!」
 小指を窓に向けて見せると、マリアの小さな小指がそれに応えた。

 空気に作った鍵同士。触れることも出来ないまま。



 自分は大きな声で嘘を吐いているのかも知れない。
 ローズヒップは、心の片隅で少しだけそう思ったけれど、すぐにそんな気持ちを身体から払い落とした。試合は来週で、未来のことなのだ。だから、嘘などついていないのだ。これから、声にしたことを実現するために、何とかすればいいのだ。



 きっと、ルクリリが何とかしてくれる。


「アッサム様~~。おまちどうですわ!って……何事でございますか?」
「………ちょっとね」
 強引に乗せられたコーヒーカップがグルグルと回る乗り物のせいで、しばらく動けなかったアッサムは、戦線を離脱してバニラの膝を借りて横になっていた。ダージリンは絶好調に次の乗り物に、ルクリリ達に腕を引っ張られていった。元気にも程がある。
「バニラ、ありがとう。もういいわ。あなたもジェットコースターで遊んでいらっしゃい」
「はい。ローズヒップ、アッサム様のお傍についてあげて」
「わかりましたでございますわ」
 バニラはショールをアッサムの膝に掛けたまま、ローズヒップに席を譲った。ローズヒップの膝を借りずに起き上がり、頭を撫でてあげる。
「迷子にならずに来られたのね」
「もっちろんですわ」
「そう。私はもう少しここに座っているつもりだけど、どうする?」
「アッサム様の傍にいますわ」
 ニコニコ笑うローズヒップにお金を渡して、温かい飲み物を買いに行かせた。入院している子のお見舞いについて聞こうかと思ったけれど、聞くことも相談を受けることもするべきではないと思った。
ダージリンもアッサムも、歴代のお姉さま方もみんな、病院にボランティアに出掛けて、写真などに応じることはあっても、個人的な繋がりなどを持つことはしてこなかった。あちらの人たちは聖グロの戦車道の隊員として、良く知ってくださっている。憧れの視線を浴びることは普通のことだったが、気に留めることの無いようにしていた。ただ、会っている間に励ましの言葉を掛ける。それだけだ。その後、亡くなったのか、退院されたのか、そう言うことは何も耳に入らないようにしている。
「アッサム様~~」
「なぁに」
「ご卒業されたら、東京に行ってしまいますの?」
「えぇ。前の隊長たちがおられる大学に進むの。聖グロの卒業生も多いし、戦車道も強いし、良い環境だわ」
「ダージリン様と一緒の戦車に乗りますの?」
「うーん、どうかしらね。希望を出しても、人数が多いとそうならないかも」
 とはいえ、同じマンションで生活することは決まっているので、そのあたりは気にしていない。学部は違うから、常に一緒と言うわけじゃないが、そのあたりも特に気にしていない。
「アッサム様たちがいなくなってしまったら、聖グロは下品一直線ですわ~~」
「………それは、ローズヒップの問題でしょう?」
「ルクリリが隊長だと、仕方有りませんわ」
「あの子は人前では大丈夫よ。むしろ、あなたが心配。卒業した後も、OGに恥をかかせないでね」
 ゴロゴロと喉を鳴らすように、抱き付いて甘えてくる。成長しているのかしていないのか。素直で優しくて元気があって、聖グロらしくない。そこが良いところだけど、入院している子に優しくして仲良くなって、そのことで自分自身を傷つけているのだとしたら、何か助言をするべきなのだろうか。そう言うことをしない方が良い、と言っても、その理由に納得をするほど、自分を守る術を持たない子だと思う。純粋と言うものは諸刃の剣。ローズヒップは幸いに、自分を傷つけることすら理解できずにここまで来たが、学校の名前を背負う立場に立たされたら、そうはいかなくなってくるはずだ。
「アッサム様~~~」
「はいはい、まったく」
「一緒にジェットコースター乗りましょう」
「嫌」
「アッサム様~」
「嫌よ。散歩にして頂戴」
「ここに何しに来たでございますの?!」
「……じゃぁ、お化け屋敷に入りましょう」
 過去に何度か入ったことがあるから、どこでどんな仕掛けがあるのかはわかっている。悲鳴を上げるローズヒップに抱き付かれながら、もう最後はほとんどローズヒップを背負って引きずって歩いた。




約束。 ②

「黒森峰と試合する?」
「はいですわ。すっごい強い学校ですわ」
「何度も優勝している、西住流の学校でしょう?」
「マリア、物知りですわね」
 
 10両で隊を作る場合、クルセイダーの出番はほとんどないことが多かった。装甲の厚さを重視して、相手が重戦車ばかりの場合は出場しないこともあった。だけど、今回の練習試合では、10両に対して、クルセイダー部隊は4両の投入をルクリリは決めた。守りではなく、攻めを選んだのだ。

「小さい頃から、いつも大会はテレビで見ていたわ」
「そうなんですの?私より詳しいかもしれませんね」
「アールグレイ様が3年生の時に、聖グロが決勝で黒森峰と戦った試合は、本当にすごかった。あと一歩だったもの。クロムウェルがパンターに激突に行ったの。あんなことする人いるんだって、病院の中でみんな叫んでいたから」
 たぶん、その突っ込んだ人って言うのは、バニラのお姉さま。バニラはいつもおとなしいし、戦車に乗っても人が変わるみたいなことはないけれど、お姉さまはとんでもない人だったって、アッサム様から聞いたことがある。でも、ローズヒップはそれを上回る、って。褒めていない、と、くぎを刺されたけれど。
「今回、クロムウェルは出ませんわ。でも、バッタバッタと敵をなぎ倒して、ティーガーⅠを撃破してみせますわ」
 
 横浜港に戻ってきた日の朝、ローズヒップはペコとルクリリと一緒に病院を訪れた。本当は朝から3人で横浜に降りたりせずに、12月の試合のDVDを見て復習をして、作戦修正をしようと言う話になっていたけれど、どうしても、気になってしまって、一緒についてきてもらったのだ。
 マリアは病室にいた。教会ではない場所だ。私服の3人が誰なのか、気づいている人もいたけれど、気にせずにマリアに会った。あの時、写真を撮ってあげなかったのだ。3人でマリアと写真を撮ってあげたかった。

「出来るの?」
「12月に、聖グロは黒森峰に勝ったんですのよ」
「知ってるけど、ダージリン様が天才だからでしょう?」
「それはまぁ、そうですわ」
 腕を組んでうーんとうなると、ルクリリが頭上に手刀を振り下ろしてくる。
「何しますの、ルクリリ」
「あれ、あの作戦の3分の1を考えたのは私」
「そんなウエイトありました?」
「あったわよ、たぶん」

 ペコが何も言わずに笑っているだけだから、あんまりない気がする。でもここはルクリリの名誉のためにそれ以上は言わないであげることにした。マリアが聖グロに抱いた憧れを失ってしまっては困るのだ。

 自分たちは、キラキラした存在でいたい。キラキラした憧れの存在として、元気になる源になっていたい。

「試合はいつ?」
「3週間後の土曜日ですわ」
「………そうなんだ」
「それまでに、しっかり栄養を付けて、たくさん声援ができるようにしていてくださいね」
「来週からまた薬の治療だから、テレビ見られないかも」
 マリアは笑っているけれど、毎日我慢をたくさんしているようだった。ローズヒップがハンカチをあげても、写真を一緒に撮ってあげても、こうやって会いに来ても、病気は治らない。個室の壁にはたくさんの写真が飾られていて、ダージリン様やアッサム様と撮影したものとか、その前の隊長さんと写されたものもある。それだけずっと長い間、ここにいる、と言うことなのだ。
「マリア、私たちが聖グロの戦車道を担って、初めてダージリン様たちの力を借りずに戦う試合、絶対に勝ってみせる。だから、マリアも頑張って病気に勝とうよ
 ルクリリは拳を作って、まったく優雅じゃない笑いを見せている。ダージリン様がみたら、お下品って言われてしまう。
「………私の身体、抗がん剤はあんまり効かない。連敗ばっかりだよ」
「私たちだって黒森峰に連敗だらけ。でも、ダージリン様が1勝したんだ。だから、私たちが2勝目をあげてみせるからね」
 試合が決まってから、毎日『みっともない負け方だけはしない』をスローガンみたいに言っていたルクリリだというのに、10歳の女の子には『絶対に勝つ』なんて言って見せるなんて。最初から、絶対に勝つってクラスメイト達に言えばいいのに。出来ない約束をするのが嫌な性格なんだろう。それがたぶん、ルクリリの正義。
「マリアに約束しますわ。私たち3人は、絶対に黒森峰に勝って見せますわ。夏の大会も絶対優勝して、聖グロで初めての優勝旗を手にしてやりますわ!」
「……ローズヒップ、それは気が早すぎます」
 冷静に突っ込んでくるペコよりも小さいマリア。ローズヒップは笑いながら小指を差し出した。
「でも、絶対勝ちますわ。黒森峰をなぎ倒しますわ。だから、マリアも病気に勝って聖グロに入学できるように、頑張りましょう」


 希望の約束は、マリアが生きる糧と言うほど大きなものではないかもしれない。ローズヒップたちよりもダージリン様やアッサム様、もしかしたらその前のアールグレイお姉さまたちと何か約束を交わす方が、ずっとずっとマリアにとっては嬉しいことなのかもしれない。でも、もうダージリン様たちは卒業していなくなってしまうのだ。来年、再来年、憧れられる存在でいるためにも、今、ローズヒップたちが勝たなければ意味がないのだ。


 この約束は、自分たちへの誓いになるのだ。憧れられる存在として、聖グロを背負うと言うことへの誓いだ。


「小指の約束、ローズヒップ様は絶対守る?」
「絶対ですわ」
「病院で仲良くなる子たちは、みんな約束しても死んでしまうわ」
「大丈夫ですわ!聖グロの戦車道に二言はありませんわ」
 絡んだ小指は白くて小さくて。
 ルクリリとペコは笑っているだけだった。



「あんまり、感心しません」
「………わかってる」
 ニコニコと笑顔を振りまいて約束を交わしたローズヒップ。その後、横浜でのんびり遊ぶなんてこともせず、真っ直ぐに学生艦に戻った。もっともっと3人で話し合いをしなければならない。
「約束を反故にされたら、きっと落ち込みます」
「だから、私は約束って言う言葉を避けたんだ。でも、ローズヒップが出したんだから、仕方ないでしょ」
「……まぁ、成り行きではそうなってしまいますけれど」
「それに、勝つしかないっていう状況の方が、持っている以上の力が出せるかもしれないし」
 それはどうだろうか。ローズヒップは空回りして、自滅してしまう可能性だってあるのだ。ペコはこの件は隊員たちには一切告げないでいるべきだと、ルクリリに伝えた。ルクリリもそれは当然だと言いきり、ローズヒップにも、マリアのことは誰にも口外するな、と告げた。
「なぜですの?みんな、それを聞けば必死になりますわ」
「いや、違う。目的が変わってしまう。私たちが戦うのは己の力を知るため。決して病気の女の子のためではない。聖グロの戦車道は、誰かのためにあるものではないんだから。誰かのためならば、それは、自分と仲間のためであるべきだよ」
「マリアは未来の仲間ですわ」
「………そうかもしれませんが、私たちは半人前です。まず、自分たちの未来を見据えましょう」
 ローズヒップは頬に空気を貯め込んで、ふて腐れているアピールをしてくる。こんなところで仲間割れをしても仕方がないのだ。マリアと約束を交わしてしまった以上、守らなければならないのだ。どんな約束でも、守らなければならない。そのことがマリアの生死を左右するほどではないが、それでも、新しい隊長はウソツキと言うレッテルをルクリリの背中に張り付けたくはない。誰の心の中であっても。

 ダージリン様の傍でずっと見てきた、聖グロの隊長としての優雅さなんてまるでないけれど、ルクリリにはルクリリの良さがある。アッサム様がどんな時もダージリン様を支え、盾になり、見守ってきたように、ペコもルクリリという隊長をしっかり支えてあげなければ。

「とにかく、方針は決まった。みっともない負け方はしない。みっともない姿になっても、どんな手を使ってでも、勝つ。これしかない」
「……最初から、それしかありませんわよ。ルクリリが消極的なだけですわ」

 聖グロの戦車道はあくまで優雅って言うのは、ダージリン様の代で途絶えることだけは間違いないと思う。


「あら、何を見ていたの?」
 車で横浜に降りて、のんびりドライブをして、春から私服で大学に通うのだからと、色々買い物をして回った。とはいえ、卒業までもう少し時間はある。お手伝いを雇った一軒家とか高級住宅地のマンションで暮らすことも考えたけれど、大学の傍にあるそれほど広くないマンションを借りることになっている。
「いえ、ちょっと」
 買い物をしながら、ランチを取りながら、これからの生活のことばかりを2人で話す。それがとても楽しくて。何も心残りなどなく、楽しい気持ちを抱いたまま聖グロから飛び出す日を迎えるだけだ。
「なぁに?また電子書籍?」
「えぇ、まぁそうですわね」
「……それはタブレットで、本を読むものではないとアッサムが教えてくれたはずだわ」
 ホテルの中のレストランで夕食を取り、スイートルームに入ってから10分ほど。お湯を沸かしている間にアッサムは、何やらずっとタブレットを見つめていた。
「本も読めますわよ、一応」
「で?何の報告書を盗み読んでいるのかしら、アッサム」
「…………グリーンが、勝手に送りつけてきた、情報処理部2年生からの報告書ですわ」
 慌てて画面を消したその態度が怪しいというのではなく、わざわざ2人きりでホテルにいるというのに、少しだけソファーからダージリンが立ち上がった瞬間にタブレットを取り出す行為がもう、すべてを物語っているのだ。


 1年生が心配で心配で仕方がない、と。


「アッサム」
「口を出すつもりはありませんわ。私はグリーンにこんなことをして欲しい、と言っていません。グリーンは自分の後輩がこれだけ頑張っていると、私に伝えたいそうです」
 タブレットをすぐにかばんに戻したアッサムは、ダージリンの機嫌を取るように笑っている。心配することは仕方がない。情報を持っていたいと言うのは、アッサムの性分なのだ。
「そんなことはどうでもいいのよ。私といるときは私のことだけを考えなさいと、何度言えばいいのかしら」
「………あなたが大好きな子たちですわよ」
「ほら、そう言う言い訳で逃げて」
 大きなバスタブにお湯を貯める音。もうそろそろ自動的にお湯は止まる。手を取って立たせて、おでこにキスをひとつ落とした。
「…………ダージリンだって、本当は気になるのでしょう?」
「ならないわ」
 負けも勝ちも、等しく価値がある。卒業直前に後輩が負けても勝っても、何もできることはない。彼女たちの自由なのだ。あの子たちは今、自分たちのために必死になろうとしている。3年生のため、なんかじゃない。これからの自分たちのためだ。だから、情報なんていらないのだ。試合を見るだけでいい。終わったら、お疲れ様と声を掛けてあげればいい。
「そうですか」
「それで?あなたは私のことを考える気になった?」
「えぇ。一緒にお風呂に入ります」
「大変結構ね」
「………はい」
「一緒に寝る?」
「はい」
 手を引いてバスルームに向かう。まだ面と向かって堂々と素肌をさらけ出すことは、何となく抵抗があって。温泉地などで裸になることは抵抗がないのに、2人きりになると、なぜだか背中を向けて服を脱いでしまう。アッサムが逃げるようにシャワールームに籠城するので、ダージリンも別のシャワーで身体を洗った。まったく、これからいつまでこれを続けるつもりなのかしら、と思っても、1mmずつくらいはちゃんと前進しているはず。

「そう言えば、この前ね、聖那さまからお電話を頂いたのよ」
「聖那さま?ダージリンに?」
「えぇ。アッサムに本を贈ったけれど、読んだのかって」
「…………なぜ、ダージリンに」

 相変わらず、前オレンジペコ様の愛菜さま、前バニラ様である聖那さまは、学生艦には遊びに来られないが、電話をくださることがある。横浜に降りる時などは、時間が合えば会ってくださる。12月の卒業試合の後、OG会として、盛大にお祝いをしていただいた。同じ大学に入学するから、また後輩として一緒にいられる。

「さぁ?私も思ったのだけど、何の本を贈られたの?」
「本っていうか、電子書籍ですわね」
 広いバスタブに腰を下ろして、モコモコとジャグジーが身体にモザイクをかけ続けている。決して触れさせてはくれないし、堂々と触れる勇気もない。すぐ傍にいるというのに。
「一体、何なの?」
「…………さ、さぁ」
 お湯の温かさではない頬の赤み、視線を逸らしてしまうものだから。あのバニラ様が送ってきたということで、何となくというか、嫌な予感がしてしまう。
「………何か、また余計なお世話みたいなもの?」
「まぁ……そういうものですわね。あなたも18歳になったのだから、って」
 聖那さま、ご自分が年齢関係なく、麗奈さまとお戯れだったことをすっかりお忘れでいらっしゃる。放っておいてほしいものだ。あちらと違って、ダージリンとアッサムはとても清らかで気高く、尊い恋情なのだから。


「………それ、あなたは読んだの?」
「えぇ。何冊も贈りつけられていましたわ」
「どうだったの?」
「………眩暈がしました」



……
………


 モコモコとずっと泡を胸元に押し付けてくるジャグジー。その音だけが耳に響く。

「のぼせるから、上がる?」
「そ、そうですね」
 うつむいたまま立ち上がり、自分の足元だけを見つめて身体を拭いて、バスローブを羽織る。アッサムの髪にドライヤーをあてて乾かしてやり、ダージリンの髪も丁寧に乾かした後、キングサイズのベッドに寝転がった。

 唇をついばむようにキスをして、抱き合っていれば、バスローブははだけてくる。
ナイトブラの中に差し込んだ手のひらに柔らかい感触。
「………ダージリン」
「なぁに?」
「…………あの、ずっと聞こうと思っていたのですが」
「何を?」
「………セックスって、どうやるか知っていますの?」




………
…………


「ちょっと、タブレットをここに持ってきて」
「…………はい」


聖那さまが贈りつけてきたと言う、『色々な本』を読みふけっている間、隣のアッサムは布団を頭から被ったまま。
 一緒に読んだら、赤面して気まずさが増すだけだろう。

 聖那さまは、アッサムにこれを送り付けて、アッサムに何をさせるつもりだったのか。からかって遊ぶにしては、ずいぶん度が越えている気がする。

「アッサム、全部読んだのでしょう?」
「…………読みましたわ」
「か、覚悟はあるの?」
「…………その、えぇ、まぁ」

 戦車道で黒森峰と戦うよりも、ずっと困難なことに挑戦しているような気分。とはいえ、付き合いの長さで言えば、アッサムと初めてデートをした日から、軽く2年以上は過ぎているのだ。服の上から胸に触れたのは2年生の時、素肌に触れるようになったのは3年生になってから。これは清くて素晴らしいこと……と言うことにしている。アッサムのガードは固いのだ。とても固い。それに、愛情表現のつもりなのに、何か怒られてしまってばかり。

「………目が怖いです、ダージリン」
 タブレットを放り投げて、バスタブを脱がせて身体を抱きしめた。残念ながらそれなりに記憶力はあるから、ついさっきまで読んだものの情報は全て把握できてしまっている。聖那さまは、絵の多いものばかりをチョイスされていたので、何と言うか、とてもわかりやすかった。
「頬を叩かないでね、アッサム」
「…………明かりを消してください」
 本の中では、明かりを消すなんて、何もそんなことは書いていなかったのに。いきなり履帯破損させられた気分に落とされた。でも、いいも悪いも言う前にアッサムが勝手に消してしまうものだから。
「………暗いわ」
「だ、だって、直視されて恥ずかしいじゃないですか」
「さっき、覚悟できていると言ったわ」
「それとこれはまた、別ですわ」


 …
 ……
 ………

「本当に何も見えないわよ、アッサム」
「ですから、どうぞ、ご自由に触ればいいじゃないですか」


 …
 ……
 ………


 小さな体に抱き付いて、唇を探し出して、腕にまとわりついた髪や素肌を撫でながら、そこが身体のどの部分なのかを想像して、ナイトブラをずらして指先に乳房を確かめる。腕を回して脱がせて、今まで触れないように気を付けていた乳房を愛でるように手のひらを押し付けて、乳首を探り当てた。
「あっ……」
「い、痛いの?」
「いえ……」
「大丈夫?ご自由にって、アッサム、見栄を張ってないわよね?」
「だ、大丈夫ですので、その……ダージリンも脱いでください」

 夜はもうすっかり更けてしまっていて、日付も変わっていて、身体は少し冷えているけれど、バスローブを脱いで、身に纏っているものは全て脱ぎ捨ててアッサムの身体にしがみつくように抱き付いた。
「好きよ」
「………はい」
「本当に、するわよ」
「はい」
「最後までするわよ」
「はい」

 身体中に唇を押し当てて、そっとそっと舌を這わせながら、変わらず、それが身体のどのあたりなのかを確かめながら。時々アッサムが漏らすため息を浴び、真っ黒な世界の中で、お互いの素肌を感じて。

 

約束。 ①

横浜にある小さな教会で、出会った。
 彼女は天使そのものだった。

 その教会は大きな病院の中にあって、本当のところを言うと、課外活動のボランティアで来ていた途中、ふらりと立ち寄ったのだ。あそこの教会のステンドグラスはとても綺麗だって、誰かが話をしているのを聞いた。だから、見てみたいと思ったのだ。決して迷子ではない。ちょっとだけおさぼり。

「………あっ」
「あ、ごめんなさいです。お邪魔してしまいましたわ」

 マリア様の石像。キリストの十字架。綺麗な花が大きな花瓶に飾られて、結婚式が行われるような鮮やかさだと思った。長椅子を頼りないぼんやりとした光が照らす。

 青に赤に黄色。緑にオレンジ。

 硝子の色ではなくて、硝子に色を着せているんだって、誰かから聞いたことがある。それでも、綺麗なものは綺麗だ。


「あ、あの、聖グロの人?」
「はい、そうですわ。聖グロの1年生で、戦車道をやっていますわ」

 真っ白な服を着た、真っ白な肌をした、真っ白な帽子をかぶっている少女。椅子に座り、お祈りをしていたのだろう。コツコツと靴を鳴らしてぶしつけに、神様との会話の邪魔をしてしまった。とてもいけないことだ。

「わぁ、凄い。マリアも聖グロに入って、戦車道をするのが夢だったの」
「そうなんですの?!!じゃぁ、一生懸命お勉強頑張らないとですわね」
 声が神様に聞こえやすくするためなのか、とてもよく響きわたる。ローズヒップはにこりと笑って、女の子の傍に膝をついて、そして手を差し出した。
「ローズヒップですわ」
「それはティーネームって言うもの?」
「はい。ローズヒップはクルセイダー部隊の名誉あるティーネーム。聖グロ一の俊足ですわ」
 真っ白な服は寝間着で、真っ白な肌は病弱で、真っ白な帽子からは髪の毛は見えなかった。いくら馬鹿なローズヒップでも、それがどういうことなのかくらいはわかる。この場所は教会でも、教会があるのは病院の敷地の中なのだ。
「マリアです。10歳です」
「10歳では、私が卒業してからになってしまいますわね」
 きっと平均的な10歳よりも小さくて、細くて。もっと年下だと思っていたローズヒップは、そっとそっと体温を分けるように握手を交わした。
「………聖グロの戦車道は、楽しい?」
「もっちろんですわ。ダージリン様とアッサム様、このお2人が凄い人ですの」
「知ってる!凄く綺麗な人たち。前にも病院に遊びに来たわ」
「はい。綺麗で、強くて、カッコイイですわ」
「いいな~聖グロ。羨ましい。入りたかった」

 ステンドグラスの輝きよりも、マリアのキラキラした眼差しの方がずっと綺麗だと思った。きっと、マリアの瞳に吸い寄せられてこの教会に来たのだ。かつて自分が聖グロに憧れて、クルセイダーに乗りたい一心で、必死に勉強していたことを思い出しながら、今、その夢が叶ったことがどれだけ嬉しいことか、膝をついて手を握りしめたまま、ペラペラとしゃべり続けた。毎日がとても充実している。とても楽しい。だから、絶対聖グロに入学してね、と。

「マリアは、あと5年も生きられるかな」
「聖グロの戦車道を目指すなら、弱音を吐いてはダメですわ」
「そう、かな」
「ダージリン様もアッサム様も、弱音を吐く子よりも、いっぱい笑って、いっぱい頑張る子が好きですわ」
「………うん」
「このローズヒップが、一緒に病気をやっつけますわ」
 弱弱しく笑うマリアに向けて、いっぱいの笑みを送るしかできることはない。せっかくだからと、聖グロの何かを差し上げようと、鞄を漁った。聖グロの名前の入ったものは、ほとんど、なくなると困る物ばかり。だから、ローズヒップの名前の刺繍を入れているハンカチを手に握らせた。
「これは、アッサム様が私のティーネーム授受の時に、プレゼントしてくださったものですわ。マリアにあげますわ」
「え?でも、そんな凄いものを」
「大丈夫ですわ!5枚もらいました!マリア、大切に使ってください」
「……うん」
 また、会いに来るからと指きりをした。約束をした。とてもキラキラした子だった。


「ローズヒップ、どこに行っていたの。これ、授業なんだからさ」
「教会、とても綺麗でしたわ」
「………あぁ、あそこの」
 学生艦で栽培した薔薇の受け渡しや、部活動で盛んな、吹奏楽部や合唱部の演奏会の手伝い。今日はサポートとして戦車道の1年生がこの病院に来ていた。
 陸地との交流は学生艦の生徒の義務。聖グロの生徒たちは、定期的に陸地にある様々な施設でボランティアとして、清掃作業や老人ホームへの慰問をする。演奏会を開いたり、お茶会を開いたり、スポーツ大会に参加することもある。戦車道生徒は散り散りになり、あちこちに出向く。戦車道には多くの寄付金が必要とされていて、陸地に住む卒業生や募金してくださる企業も多く、その日頃の感謝を伝えるためだ。出先では特に、品行方正であること。聖グロの生徒は常に、礼儀正しくお嬢様でなければならない。寄付金を返せ、などと言われないためにだ。

「天使がいましたわ」
「ローズヒップは見えない、何かと会話ができるんだな」
「見えましたわ。マリアっていう10歳の女の子」
「………創作臭い話はいいから、パイプ椅子を片付けるのを手伝って」
 一生懸命歌を歌っている友達のサポートをさぼって、ウロウロしていたのを怒ったって仕方がないのだ。近くで爆睡されるよりはよっぽどいい。入学して間もない頃、横浜では、何度かアッサム様に胸倉を掴まれて怒られたことがあるローズヒップ。もう春の訪れ。ようやく自分の立場と言うものがわかるようになった。

「2人とも、ロビーで写真撮影会があるので来てくださいって」

 ペコが病院の事務の人を伴って、片づけをしている2人を迎えに来た。今回、一応は隊長となったルクリリと、副隊長のローズヒップ、ペコと患者さんが写真を撮るという小さなイベントがある。まぁ、希望する人がいれば、の話だけど。
 入院患者の中には大人も子供も、おばあちゃんもいて、戦車道が好きだと言う人もいる。聖グロの生徒が訪問することを、待ちわびてくれる人もいる。ダージリン様とアッサム様が訪問すると、もう、アイドルのライブみたいになってしまうんだそう。

 今日、ずっと裏方として働いたルクリリは2時間ここにいるけれど、誰もキャーなんて言ってこない。結果を残していないせいだ。




「さっき、マリアと写真を撮っておけばよかったんですわ」

 今、チャーチルに乗っている隊長が来ていると院内放送がかかると、それなりに人が集まった。入院していない人も含めて、写真撮影に応えて、それでもダージリン様たちの半分だとペコは苦笑している。むしろ、何の成績も残していないのに、半分集まったことが凄いと、自画自賛したい気持ちだ。ダージリン様の後光のおかげなんかじゃない、と思う。


「ん?マリア?天使のマリア」
「きっと、もういませんわ」

 帰り道、ローズヒップは教会で会ったという女の子の話を聞かせてくれた。病弱な女の子で、聖グロの戦車道にとても憧れているらしい、と。

「憧れか~。憧れがローズヒップじゃねぇ」
「どういう意味ですの、ルクリリ」
 遅刻もしないし、欠席もしない。なぜか成績が学年3位で、ティーカップ割りまくり。廊下も走りまくりで、紅茶を淹れるのもへたくそ。それなのに、ダージリン様とアッサム様が相当溺愛なさっている。副隊長とクルセイダー部隊長、整備科の責任者にもなっている。

 不思議な親友だ。散々尻拭いをしても、それでも嫌にならない。

「まぁまぁ。でも、いつになっても聖グロの戦車道は憧れの存在なんですね。私たちはいつも、誰かから憧れを抱かれている。身の引き締まる思いです」
 ペコは、ルクリリよりも写真を撮られていた。いつでもダージリン様にくっついてあちこち行っていたから、知名度は高い。きっとそのせい。そのせいにしておこう。
「何だかさ、隊長っていう実感が全くなくて困るわ」
「他校との練習試合で指揮を執るようになれば、きっと出てきますよ」
 演奏していた生徒たちと同じバスに乗り込んで、今日の労いを伝え、みんなで学生艦に戻る。今週はずっと午後は課外授業だ。外泊の許可はなく、遊ぶこともせずに、授業のための停泊をしているのだ。今から、隊長室で各部から上がってくる今日の報告書を読み、明日の午前中の訓練の内容の確認と、午後の課外授業の確認をしなければならない。
3人で、全力で仕事をこなす。足りなければ、キャンディ様達の力を借りる。それでもだめなら、ひっそりアッサム様に知恵をお借りする。とにかく、お2人が卒業されるまでの残り少ない時間、ルクリリは3人で1人前から、脱出しなければ。



「また、負け戦をさせるんですか?」
「相手からのお願いを断ることは出来ないわ」
「………プラウダとはわけが違いますのよ」
「お断り、だなんて。口が裂けても言うつもりはないわ」
「口が裂けたら言えませんでしょ」
 黒森峰から練習試合の申し込みの電話が、ダージリンに直接入った。西住まほさんからのお願いを断ることなどできるわけもない。元より、どんな学校からでも、タイミングが合えば必ず受けるようにしているのだ。これがきっと、ダージリンとして、元隊長としての最後の御膳立てとなるのだろう。アッサムは、やれやれとため息を吐くしかない。
「10両フラッグ戦。あちらは2年生だけで選抜チームを作るそうよ」
「……ということは、逸見エリカが指揮を執ると」
「そうね。西住流の門下生とはいえ、どういう戦術を立ててくるのかは未知数よ」
 1,2年はずっと隊列訓練と模擬試合をこなしながら、午後はボランティア授業に忙しくしている。この寒い時期、卒業を控えている3年生は何もすることがなく、のんびりお茶を飲んで、勝手に報告書を盗み読み、時間を潰すくらいだ。だから、西住まほさんからの話を受けて、最後にルクリリの力を見届けたいと思ったのだろう。次に繋がる負け方をすればいい。ダージリンが卒業試合で起こした奇跡の勝利に浮かれ、天狗にならないように。ボロボロになればいい。そう思っているのだろう。
「情報処理部も世代交代しましたし。今、自分たちがどれくらいの能力を持っているのかを知るには、いい経験になりますね」
「えぇ。今回は本当に、一切の口を出さないわ。よろしく頼むわよ、アッサム。あなた、1年生に甘いから」
「はい」
 ご自分だって十分に甘いのに。と言い返すことをせずに笑って見せた。ルクリリには隊長室の机の上に、練習試合決定のメモを残しているらしい。たぶん、びっくりして走ってくるだろう。がんばって、の一言で終わりだ。逸見エリカも西住まほさんの後を受け継ぐのだ。聖グロに本気で向かってくるに違いない。あの西住まほさんの卒業試合で負けたのだ。彼女にだってプライドがある。どこまでルクリリたちは食らいつくのだろうか。





「がんばって、って言われてもさ」
「………仕方ないですよ。オファーされたら断らないって言うのがうちの学校ですからね」
 停泊期間を終えて、学生艦は横浜から離れた。とはいえ、またすぐに横浜に戻る。この寒い季節、土日は必ず横浜に停泊しなければ、船に積んでいる暖房関係の燃料がすぐに底をついてしまうのだ。寒い海上をうろつくよりも、停泊している方が省エネということ。
 隊長室の机に置かれた1枚の手書きのメモにルクリリが悲鳴を上げて、紅茶の園に走ったのは昨日。お2人のニッコリした微笑みと、一切関知しない、好きにしなさいと。どんな作戦で戦おうとも、自由。相談に乗ることもしないなんて、とても薄情なことも言われてしまった。何というか、もうすべてを託したということなのだろうと、ペコは感じた。本当に、何もされるおつもりはないようだ。日々の訓練の報告さえ聞くおつもりもない。
 ベッドにゴロンと寝転がり、今日の車長ミーティングでの、全員の険しい顔を思い出した。顔に描いてあった。勝つわけがない、と。12月の卒業試合とはわけが違うのだ。あの時の戦いと同じことを、ルクリリができるはずもない。
「………いきなり、ダメなレッテルが張られるのは嫌だな」
「きっと、勝つことなんてダージリン様は望んでいらっしゃらないと思いますが」
「わかってる。だから、嫌なんだよ。だって、上手く負けろって言うことでしょ。抗って抗って、必死になって負けろって。正しい負け方って、何だろう」
 ベッドで寝頃がる、その天井に答えは書いていないけれど、オレンジペコも隣に並んで寝転んでみた。とても古い寮。それなりに天井は高いし、3人部屋だから、まぁまぁ広い。天井の年季の入ったシミ。暖房を入れても全然温かくならない部屋。
「勝てばいいんですわ。どうして負け方なんて考えますの?」
「………まぁ、そりゃそうだけどね」
「聖グロの戦車道に憧れている子もいるんですのよ。いつだって勝利しか道はありませんわ」
「じゃぁ、どうやって黒森峰に勝つの?」



 …
 ……
 ………


 暖房が温かい風を送ろうとも、3人の間まで届く頃にはすっかり温くなってしまっている。

 どうやって黒森峰を倒すのか。
 それとも。
 どうやって上手く負けるのか。

「とにかく、明日は、朝早くに車長ミーティングで出場車両を決めよう。ペコは情報処理部に黒森峰の最新情報を集めてもらって」
「わかりました」

 いい負け方をしなければ、ダージリン様もアッサム様もルクリリでよかったと、安心してくださらないだろう。食らいついてしがみついて、ティーガーⅠを追い詰めることができれば。開始早々にボロボロになって、ダージリン様がいないとダメなんだから、なんていう評価を受けたくはない。

「勝てばいいんですわ!!」
「………わかったわかった」
「勝たないと、横浜でのルクリリ人気がゼロになりますわ」
「………あ~。ダージリン様の後ってやだな~~!!!!!」
 ジタバタと足をばたつかせてあがいても、何にも出来やしないのだ。だから、ペコとローズヒップが左右にいる。一度勝ってしまったのだ。あちらは全国大会並みに本気で向かってくるに違いない。



最高のプレゼント END

2年生たちが一生懸命作ってくれたケーキが登場して、みんなで食後のデザートとしていただいた後、ダージリンはマイクを使って、今日のお礼と、お返しに用意しておいた最高級茶葉の缶を、1人1人に手渡して、パーティは終わりを迎えた。ダージリンと写真を撮りたがる後輩たちや、アッサムにも写真を撮りたいとお願いをしてくる後輩たち。ダージリンはペコからもらった青い薔薇を手に、1人1人写真撮影に応え、アッサムは、主役は自分じゃないからと、全員のカメラから逃げ回っていた。

「ペコ、何も知らなかったようね」
「朝から2人でヒソヒソしていたのを見ていただけで、本当に何も」
「そう。加担しなくてよかったんじゃないかしら?アッサムは忘れた頃に仕返しをするはずだから」
「………でも、ダージリン様、本当は嬉しいんでしょう?」
「あら、誰のものも等しく嬉しいわ。この薔薇、文字が書かれているのね。とても気に入ったわ」
「本当ですか?」
「えぇ」

 小さなペコの頭を撫でて、すっかりこのパーティを成功させて機嫌よくしているルクリリとローズヒップのことを、やれやれと見つめた。発想と言う意味では、ある意味天才かも知れない。その力を来年、どこまで発揮してくれるのだろうか。




「まだ、外してはダメですの?」
「ダメよ」
「夕食にこれではいけませんわ」
「私が今から、ゆっくり外すのだから」
 プレゼント、として部屋にお持ち帰りしたアッサムの手を取ってベッドに座らせる。髪を束ねている赤いリボンをゆっくりと引っ張り、おでこにキスをした。
「本当、可愛いお人形だわ」
「………」
 ふわりと髪が揺れる。ネクタイの代わりの赤いリボンを引っ張り、指に巻かれているリボンも外し、身体に巻き付けているピンクの布を外した。
「リボンがなくても、それはそれで可愛らしいと思うわ」
「………夕食前ですけれど」
 当たり前の様にシャツのボタンを外し、当たり前のように露わになった肩に唇が吸い付いた。回した両手で許可なく下着のホックを外して、手のひらで背中を這って温もりを確かめる。

 呼吸を繰り返す背中。
 大好きな匂い。


「お人形さんは、私の所有物でしょう?」
「…………はい」
「ずっと、大切にするわ」
「飾っているだけにしないおつもりですね」
「当然よ。拒否権などないわ」

 数センチの距離にある、恋しい瞳。
 唇を覆っても、お互いに瞼を閉じられなかった。

「…………この状況で、拒否すると思います?」
「そうね」
「12時までは、ダージリンのお好きになさってください」
「あら、嬉しい。では、セックスした後、夕食を食べに行って、また帰って12時までセックスしましょう」
「わかりましたわ」

 本当のところ、アッサムを所有物にしたいなどと言う気持ちはない。アッサムはアッサムの意志でダージリンの傍にいるのであり、ダージリンがアッサムの身も心も縛りつける理由もなく、ただ、恋しいと思う存在である、それだけだ。

 だからこれは、ほんの少しのお遊び。

「本当にいいプレゼントだったわ」
「私の誕生日の時も、あの子たちにリクエストしないと」
「裸にエプロンで現れましょうか?」
「………見たくありませんわ」

 身体中に恋しい想いを刻み付けながら、山積みにされたプレゼント達が少し掠れてしまう気がして申し訳ない思いを抱く。花瓶に飾られた青い薔薇。食堂のテーブルを彩っていた沢山の花たち。


 幸せはいつも身体中に溢れている。物など何もいらない。アッサムがいて、隊長として慕ってくれる生徒がいて、おめでとうと言葉をくれる生徒たちがいて、それだけでどれほど幸せか。いつか壊れて消えてなくなる物よりも、美味しいものを食べ、笑ってくれて、楽しいと思えるひとときを生徒たちと過ごせたことが、何よりも喜ばしい。

 そう言う意味では、笑わせてくれたルクリリとローズヒップのアイディアは悪くはなかった。あとできっと、あの子たちは痛い目に合わされるはずだろうけれど。


「どうしました、ダージリン」
「いえ、幸せであることがとてもうれしいと思っていたの」
「そうですか」
「アッサムが私の腕の中にいるんだもの」
「……そう、ですね」

 ダージリンの前髪を掻き分けて、やれやれとため息を漏らす恋しい人。
 後輩に甘い自分自身に嘆いているその瞳。

「12時を過ぎたら、どうするの?」
「……あなたの隣で寝ますわ、ダージリン」
「そう」

 解いて落とした沢山のリボン。捨てずに丁寧に持っておこう。


「………終わりませんわぁ~~」


 早朝5時前。ツナギに着替えたルクリリはローズヒップと共に、各戦車への燃料を次々に入れていった。
通常、整備科は10班程に分かれて、日替わりでその作業を行っている。1班5人だ。車両数を考えれば、2人で出来る作業量ではない。5人でやれば比較的すぐに終わるから6時くらいから始めるそうだが、それを2人で8時半までにすべて終わらせなければならないのだ。


「アッサム様も、2週間ほど機嫌がよかったのに。油断していたなぁ」
「お尻ぺんぺんの方が、ずっとよかったですわ」

 重たい燃料を運びながら、各車庫を回ってはタンクに入れて行く作業。毎日毎日、もういいって言うまでやれと命じられてから、2週間が経過している。つまり、ダージリン様の誕生日からもう1か月が経過したのだ。なんともまぁ、根に持つタイプでいらっしゃる。


 副隊長を拉致して、みんなの前で笑われることをしたのだ、仕方がない。
 流石に今回は連帯責任をペコに取らせずに、毎日、ベッドでスヤスヤと眠って、ダージリン様のお隣で美味しそうに朝食を取っている。ルクリリとローズヒップは遅刻ギリギリまで作業をしているから、朝食を取る暇もなく、昼までひもじい思いをさせられている。


「あ~ぁ。来年、私の誕生日会とか、しなくていいから」
「絶対しませんわ」
「何だと?」
「ルクリリが隊長になったら、ダージリン様みたいに盛大なことなんてしませんわ。せいぜいクラッカー1つ鳴るくらいに違いありませんわ」
「……私はダージリン様みたいにはなれない。1つあればいいわよ」
 あんな偉大な隊長は、後にも先にも現れない。どうしてあの人の後を受け継ぐのが自分なのだろうって、毎日思う。あんな風にみんなから愛されて、沢山のプレゼントに囲まれる自分なんて全く想像もできない。
「ルクリリはダージリン様になんてなれませんわ。私もアッサム様にはなれませんもの」
「それもそうだね」
「でも、ダージリン様はルクリリなら、黒森峰に勝てるって言っていましたわ」
 重たい燃料を台車に乗せて、マチルダⅡの最後の1両に取り掛かる。こんな鈍足で火力のない戦車ばかりの集団で、どうやって黒森峰と戦えばいい。過去、どれだけ負けを重ねてきたのだろう。夏の戦いが終わった夜、どれだけ泣き腫らしたか。
「………きっと、優雅にしていたら勝てないって言うことだよ」
「そう言うことですわね。これだけ油まみれで、今更、優雅なんて無理ですわ」
「こんなにも罰を与えられている幹部も珍しいってこと」

 すべての戦車に燃料を入れて、チェックリストで問題ないかを確認してサインを書き込み、整備科の部屋に届けて作業終了。お腹が盛大に鳴り響く。



「ルクリリ」
「ん~」
「これ、差し入れですわ」

 整備科長の机の上に、見覚えのある赤いリボンで包まれているバスケットが置かれてあった。リボンを解いて中を覗き込むと、タンブラーが2つとサンドイッチ。


『今日で任務を解く』

 一言だけ書かれてある。その文字の美しさはアッサム様だ。


「………ダージリン様がアッサム様にメロメロなのは、仕方ないんじゃないかな」
「ルクリリ、人のものを欲しがってはいけませんわ」
「いや、そう言う意味じゃないんだけど」


 相変わらずキツイ罰だったが、何だか爽やかな想いさえ抱いてしまうのだから。

 何というか、ダージリン様にアッサム様をプレゼントしてよかったと思ってしまう自分が、ちょっと情けなかった。


最高のプレゼント ②

5分経って食堂に向かうと、戦車道を筆頭に多くの学生たちから拍手で迎えられた。隊長となって2度目の誕生日。生徒たちの作る歓声と拍手のアーチを潜り抜けて、用意された誕生日席へと向かうと、黄色い悲鳴に包み込まれた。隣の席は空白のままだ。アッサムの姿が見当たらない。何か、準備でもしているのだろうか。

「ダージリン様、おめでとうございます」
「ありがとう、ペコ」

 青い薔薇の花束を持ってきてくれたペコ。後輩たちの誰よりも一番に受け取ったプレゼント。頭を撫でてお礼を伝えると、次々に用意されているテーブルにプレゼントの包みが置かれていく。出来る限り皆さんに直接お礼を伝えて行く。顔も名前もよく覚えていない別の学部の子たちでも、1人1人、丁寧に。ドンドン山が形成されていくのだ。これはとても幸せなこと。

「ねぇ、グリーン。アッサムはどこ?」
 プレゼントの列がようやく片付いた頃、特別メニューらしいランチが次々運ばれてきた。毎年、戦車道の隊長の誕生日パーティは結婚式のようなのだが、回を増す事にエスカレートしていっている気がする。腕によりをかけたという栄養学部が、ダージリンのためにコース料理を作ってくれた。そしてもちろん、集まっている生徒たちにも振舞われる。
「どうしたんですかね。そう言えば、全然お姿が見えないですね」
 穏やかな食事が始まった。オレンジペコとグリーンがダージリンの両サイドに座っているが、席が1つ空いている。アッサムがいまだに姿を見せない。
「ルクリリとローズヒップは?」
「……うーん、何か準備って言っていました」
 3人でいるのだろうか。プレゼントに何か準備がある、ということなのだろうか。あまり突っ込んで聞くと、ダージリンのために走っているとしたら悪い気もする。今日は午後の授業はない。2時間くらいこのパーティは続くだろう。だけど、コース料理が運ばれ出したと言うのに、まだ来ないなんて。
「グリーン、アッサムに電話をして」
「はい」
 電話は鳴っているが取る気配はないそうだ。美味しいタイミングで出てきたものに手を付けないのは、集まっている全員の注目を浴びている以上、マナー違反。ペコが隣で、ちょっと嫌な予感です、と呟いた。
「………まぁいいわ。いただきましょう」
 まったく、アッサムは。どんな時も許可なく離れるんじゃないと、イチイチ言わなければわからない間柄でもないでしょうに。



「ダージリン様~~~!!お待たせいたしましたっ!!」


 メイン料理が運ばれる頃、大きな音を立てて開かれた扉と共に、ローズヒップの大声が食堂に響いた。

「………ローズヒップ……と、ルクリリ」

 次の世代のリーダーたちが、食事に遅れてきたと言うのに満面の笑み。これは演出なのだろうか。お祝いされている側なのでわからないが、ペコが隣で頭を抱えてしまっている。

「私たち、誰よりもダージリン様に喜んでいただける、プレゼントをご用意いたしました」
「ですわ!!」

 騒めく生徒たちの間を縫って、何やら大きなプレゼントが荷台に乗せられて近づいてきた。2人の爛爛と輝いている瞳。食事も取らず、今までその準備をしていた、だなんて。


「あら、本当なの?それはとてもうれしいわ。では、早速見せてくださる?」


 フォークとナイフを置いて、ダージリンはしてやったりのまるで小学生みたいな笑みの2人を出迎え、そして、その大きなプレゼントへと向きを変えた。


「もう、これ以上に最高のプレゼントはありませんわ!!」
「そうね、ローズヒップ。大変だったもんね」


 プレゼントに上も下も最高も最低もないのだけれど、高みを目指す志があるのはいいことだ。一生懸命選んでくれたのならば、こうやってみんなの注目を浴びる価値があると2人が思っているからだろう。

「そう、とても楽しみね。では、あなたたちの手で開けてくださる?」

「「はい!!」」

 2人は、大きな大きな青い布をくるんでいるリボンの端をそれぞれ手にして、せーのと言って引っ張り出した。



 …
 ……
 …………






「…………あら?………お人形?」


 シーンと静まり返ってから20秒ほど、ダージリン様は小首をかしげて、マジマジと座ったまま手を後ろで縛っているアッサム様を眺めていらした。

「そ、そ、そうですそうです。えっと、そう、ダージリン様が世界で一番欲しいだろうと思って」
「アッサム様人形ですわ!!」

 殺意の込められた視線を感じた。振り返っているアッサム様がきつくにらみつけてこられる。ルクリリは、その頭をそっと両手で、ダージリン様へと戻した。

「あら。動いたわ」

「えっと、えぇ、もうそりゃ、再現性を何よりも重視しましたから!!」
「ダージリン様のお好きになさってくださいませですわ~!!」

 シャツの中で、汗がダラダラと背中を這っていく。明日、命はないかもしれない。

「………素晴らしいわね、2人とも。間違いなく“最高”と言う言葉がふさわしいプレゼントだわ」

 ダージリン様はリボンを巻かれたアッサム様を見つめた後、満面の笑みをルクリリ達に見せてくれた。


「ダージリン様、あの、間違いなく本物、にしか見えませんが」
 ペコは頭を抱えながら、ダージリン様に余計なことを吹聴している。
 いや、まぁ事実だけど。

「あら、アッサム人形なのでしょう?2人とも、当然それは、私の所有物になるということよね?私がどのように扱っても、私の自由、と言うことよね?」


 …
 ………
 …………


「YES、ダージリン様!!!」


 こんなにも美しい笑みを見せるのか、って言いたくなるほど微笑むダージリン様に、思わずローズヒップはよくわからない返答をしているようだ。

「大変結構。まったく、なんて愛らしいのかしら。是非、毎日連れて歩きたいものね」
「どうぞどうぞ」
 ルクリリはアッサム様を拘束している手首のリボンを解き、手を取ってゆっくりと立たせた。


「どこに消えたかと思えば、アッサム。私のためにプレゼントにされていたようね」
「………お喜びいただけました、この余興」
「今日から私の所有物よ。まぁ、身体に沢山リボンを付けて。なんて可愛いのかしら」
 
 いつものダージリン様の隣の席におつきになったアッサム様。

 食堂はクスクス笑う声と、よくわからない拍手が巻き起こった。


「なぜ、拍手されなければいけないのかしら」
「それはまぁ、アッサム人形がとても可愛いからね」
 周りから、流石ルクリリとローズヒップは、やることが違うなんて声が聞こえてくる。笑っている3年生たちはお腹を抱えて、本当に他人事なんだから。
「お人形さん、この計画はいつからスタートしていたの?」
「知りませんわ。いきなり捕まりましたもの」
「そうでしょうね。どうせなら、メイド服を着せてもっと、本格的なものが見たかったわ」
「………左様ですか」
 食堂に笑いが巻き起こり、何だかとてもいいムードができてしまった以上、ふて腐れることも、あの2人にひどい目にあわされた文句も言えず、アッサムはリボンを身体に巻かれたまま、出された食事をようやく食べ始めることにした。

「お人形さん、あーんってしてあげましょうか?」
「なぜですの?結構ですわ」
「でも、私のお人形なのでしょう。ねぇ、ローズヒップ」
 
 あぁ、もう。

 人形、なんて適当な設定を口走るからこうなってしまうのだ。普通に笑いが起きて、それで終わりにしていればいいものを。
「も、もっちろんですわ」
「遠慮します。私は最新式のAIですの。もう、全然、人の手などなくても、自ら考え自ら行動できる最新のテクノロジー搭載ですから」
 自分でナプキンを膝に乗せて、出されたスープをスプーンで掬う。お腹が空いていたから、とても美味しく感じた。
「………ちょっと、ルクリリ。このお人形の性能が良過ぎるわ」
「ダージリン様のために、高性能にしておいたのですが。お気に召しませんか?」
「まぁ、いいわ。これはもう私のものだから。とてもいいプレゼントだわ。後生大事にさせていただくわね」

 人目もはばからず、頭を撫でてきて幸せそうな笑顔。
 こういう笑顔をされると、後で本気でルクリリとローズヒップを叱り飛ばすことができなくなってしまう。

「やったね、ローズヒップ」
「やったーですわ、ルクリリ」
 がっちりと握手を交わすその隣で、ペコが悔しそうに拳を握りしめていた。きっと、あの子はちゃんとプレゼントを事前に用意して、ダージリンに渡したのだろう。可愛そうに。


 いつから聖グロは、ダージリンを喜ばせたもの勝ち、みたいな風潮になってしまったのだろう。ちらりとプレゼントの山が視界に入る。あの沢山の物だってみんな、真剣に選んだものばかりだって嫌になるくらい知っている。

 よりによって、先輩を拉致してリボンを巻いて差し出したものが、こんなにもダージリンを喜ばせてしまうなんて。


 思えば思うほど、自分に非があるように感じるのは、気のせいだろうか。
 アッサムは、ニコニコしながら頭を撫でるダージリンの腕を掴んで、満面の笑みを返して、その手の甲を優しくきつく、つねっておいた。



最高のプレゼント ①

「あ~、忘れてた!!!!」



 突然、思い出したようにルクリリが叫んた。頭を抱えてうずくまっている。オレンジペコはお花屋さんから受け取った、青い薔薇の花束をローズヒップにダメにされてしまわないように、勉強机の上に置いて、そっとバースデーカードをテープで付けた。

「どうしたんですか、ルクリリ」
「プレゼント!プレゼントを買うのを忘れてた」
「…………何を今更」
 今日は、ダージリン様のお誕生日だ。もう1か月も前から、キャンディ様たちと何をするかって盛り上がっていて、ケーキは手作りにして、食堂のランチメニューは今日だけスペシャルメニューにしてもらって、みんなでサプライズにしようって、あれだけ何度も打ち合わせをしていたというのに。
「仕方がないでしょう!栄養学部と家政科の打ち合わせとかで、頭一杯だった。あぁ、忘れてた。どうすればいいんだろ……」
 仕方がないって言うのは、無理があるような気がする。とはいえ、絶望を顔に張り付けたままのルクリリが青い薔薇を見て思い立ったように、花屋さんに電話をし始めたから、相当焦っていることはわかる。

「入荷がない?!」
 聖グロの生徒を名乗る前に、薔薇をくださいと縋り付いているけれど、そもそも時期が違うのだ。横浜に停泊した時に蕾の状態で取り寄せて、オレンジペコが用意した薔薇の花束は特注だったのだ。正直、それなりの金額だった。
「何で~なんで~~!」
 学生艦の花屋さんは、停泊したときにある程度の品を取りそろえるようにしているそうだけど、それでも予約注文が基本だ。行って花束を適当に、くらいなら何とかなるかもしれないが、期待できるものは無理だろう。そもそも今日はダージリン様の誕生日で、すでにもう予約品の準備だけで人手が一杯らしい。
「どうしよう。どうしたらいい?ねぇ、横浜に戻ってくれないかな?」
「……ダージリン様の許可があれば、船は横浜に向かいますけれど」
「そんなの無理じゃん!!」
 逆切れされても困る。とはいえ、ないものはないのだから。街のお店に何かを買いに行く暇もないわけで。
「ルクリリと一緒に買ったことにしてあげてもいいですけれど」
「いや、それは駄目よ。それじゃぁ、ペコへの感謝も2分の1になっちゃう」
 バースデーカードにルクリリの名前を足してあげても、それは別に構わない。だけどそれはルクリリが嫌だと言いきった。正義感みたいなのは割とある人だから、まぁ断るだろうなっていうのは分かって聞いたこと。

「ペコ~~!おまちどうですわ~~」

朝の洗面所も順番で使っている。ようやく出てきたローズヒップは、ペコの机の上に置かれている薔薇を見つけて、わ~~~!と目をキラキラさせた。
「青い薔薇、綺麗ですわ」
「はい。ダージリン様にも喜んでいただけるか、と」
「そうですわねっ!」
 ローズヒップはニコニコしながら薔薇の花束に触ろうとするので、その身体を引っ張った。HAPPY BIRTHDAYと薔薇の花びらにプリントをしてもらった、凄く凄く高かったものなのだ。ひとひらもダメにしたくない。




「………だぁぁ~~!!!!!!!!」




 腰に抱き付いて薔薇を死守していると、突然ローズヒップが頭を抱えて奇声を上げた。
「ま…まさか、その叫びは」
 ついさっき、ルクリリがやったポーズと同じ。声はこっちの方がうるさい。
「ダージリン様へのプレゼントを買うの、すっかりこってり忘れていましたわ!!」
「………やっぱり」
「うわ、ローズヒップもか……」
 頭を抱えている2人には申し訳ないけれど、もう諦めて、取りあえず、お手紙でも書くしかない気がする。


「ルクリリもですの?」
「………ローズヒップと肩を並べたくはないが、忘れていたのは事実」
「まずいですわ。まずいですわ!ダージリン様にぶっ殺されてしまいますわ」
「いや、それはないが、3日くらいふて腐れて口を聞いてくださらないかもしれない」
「アッサム様にお尻ぺんぺんされてしまいますわ」
「それは、仕方ない」 
 別にダージリン様はプレゼントが欲しいなどと、一言も言っておられないのに。むしろ、かなりの物量が届いて、とても大変そうな気がするから、2人から何もなくても、おめでとうございますって言うだけでも十分喜んでくださるような気がする。今日まで、パーティの準備部隊をまとめていたのはルクリリたちなわけだし。アッサム様からお尻を叩かれる理由もない。

「やばいですわ。もう授業も始まってしまいますわ」
「うーん。速攻で紅茶の葉っぱでも買いに行く?」
「今更、紅茶の葉っぱで誤魔化しなんて、かえって怒られますわ」
「だよね、どこで買ったかバレバレだし。すぐ手に入れられて、それでいてダージリン様がお喜びになるものって何だろう……」


 そんなものがこの学生艦で、さらに学区内のすぐ傍で売っているわけがない。だから戦車道のみんなは、プレゼントのことを1か月以上前から悩んでいたのだ。きっとどんなものをプレゼントしても、ダージリン様はお喜びくださる。でも、飛び切りの笑顔がみたい。いつも以上に驚いて欲しい。そう思うと、どうしても、簡単には手に入らないものへと目が向いてしまうのだ。


「はっ!……ひらめきましたわ!!!」
「え?本当?」
「ルクリリ、これはもう、とんでもないプレゼントを閃きましたわ」
「ズルいぞ!教えろ~」
「ダージリン様が間違いなく喜ばれるものは、たった1つですわ!!」

 2人が漫才を始めたので、ローズヒップの後の洗面所に逃げ込むことにした。肩を抱き合ってヒソヒソ語り合う姿。何だかとんでもない悪知恵とかだったりして。庭のお花を摘んだら、アッサム様に殺されるってわかっているはずだから、流石にそんなことはしないだろう。たぶん、だけど。


 ………アッサム様。

 まさか、アッサム様に何か助けてもらうつもりなのだろうか。
 そんなまさか。




2年生は午前中、家庭科の授業だそう。この時に、ケーキやお菓子、栄養部に家政科を総動員して、食堂では急ピッチでパーティの準備が進んでいる様子。3年生はもう、毎年恒例なので、いつものことだと、知らない振り。当然、ダージリンもまた、知らない振りだ。 
今回のパーティの概要はグリーンからは聞いているが、1,2年共に、一生懸命走り回っているらしい。本当に楽しみだ。授業中のダージリンの背中も、楽しみで仕方がないと言わんばかり。
 3年生の教室は、いつも通りの授業が進められて、12時にチャイムが鳴った。今から、パーティだ。

「それで、今年も知らない振りをして食堂に行けばよろしい?」
「少し待って差し上げて。きっと、今頃1年生たちが慌てて食堂に走っているはずだから」
「そう」

 目をキラキラ輝かせて、ダージリンがソワソワしている。知らない振りができるのかどうか、ちょっと心配だ。朝、3年生たちからプレゼントが寮室に届き、すでに絶好調に機嫌はいい。1人一つは多すぎると、クラス全員からダージリンの名前を入れた結構な値段の腕時計。それを嵌めている右手。ソワソワと何度も時計の長針を見つめている。

「そろそろ、いいかしら?」
「そうですね」
 他の3年生たちが先に立ち上がり、お祝いする側の準備のために食堂に向かった。アッサムもまた、今からのパーティはお祝いする立場だ。ダージリンにあと5分は教室に留まるようにと告げて、またあとでと手を振って席を立った。




「アッサム様、ごめんあそばせ!!」



 クラスメイトたちの後を追いかけて食堂に向かう途中、ローズヒップの声が後ろから聞こえてきたかと思えば、腕をぐっと掴まれて、引っ張られた。

「えっ?!」
「………ごめんなさい、もう、これしかないんです!」
「ル、…ルクリリ?!」
「こっち、こっちですから!こっち!」

 抵抗する力を入れるより早く、ルクリリが腕を引っ張って、訳も分からず食堂からどんどん離れて行く。何が何だかわからないけれど、連れていかれる先には、ランドローバーが待機している。
「アッサム様~!」
「ローズヒップ、一体どうしたの?」
 運転席にはローズヒップが乗っていた。こんなところから大声でアッサムを呼んで。後部座席に押し込まれ、ルクリリが助手席に乗り込むと、アッサムへの理由説明なんていうことなく、車は急発進された。
「こら!ちょっと、説明しなさい」
「アッサム様、ダージリン様の喜ぶ顔を見たいですか?」
「………一体、何?」
 ルクリリが助手席から振り返り大真面目な顔で尋ねてくる。一体、本当に何があったと言うのだろう。どうにもこうにもならない事態でも、起こっているのだろうか。ペコはなぜ、ここにいないのだろう。車でどこへ連れていかれるのだろう。




 車を走らせたのは、学校の敷地内の被服教室だった。歩けない距離ではないはずなのに、1分でも惜しいと思っている何かがあるというのか。部屋には何やら長細い布やリボンが用意されている。
「ちょっと、車でどうしてここなの?」
「こっちです、こっち」
「2人とも、早く説明しなさい」
「している暇はございませんですわ!!」
 両サイドから腕を持って、もう持ち上げているくらいの勢いで教室に入り、椅子に座らされると、勝手に黒いリボンを解かれてしまった。強引にセーターに手を掛けられて脱がされてしまう。何をしようとしているのだろうか、本当に。

「ちょっと、何なの、ルクリリ」
「ですから、ダージリン様のお誕生日パーティに欠かせないことです」
「どうして、私がここに座っているの」
「どうしてもです。うーん、赤だな」
 テキパキと、当然と言わんばかりに赤いリボンで髪を縛られて、ネクタイを解かれて赤い布が襟前で蝶々結びされてしまう。何か、嫌な予感。


「………待って。冗談でも私をプレゼント、なんて言ってダージリン様の前に差し出すつもりじゃないでしょうね?」




……
………


「ははははははは」
「おほほほほほほ」




 気持ち悪い笑いがアッサムの頭上に落ちてきた。図星を突かれて簡単にボロを出し過ぎだ。首元に飾られた赤いリボンを解いてしまおうと思ったら、両手を後ろ手に括られてしまった。

「こら、ローズヒップ!」
「ごめんなさいです、これしかないんです」
「これは誰の悪い知恵なの?!」
「だって、ダージリン様が喜んでくださる、最高のプレゼントはもう、これしかありませんですわ」
「そうですよ。アッサム様のこと、すっごく大好きなダージリン様ですから。私たちのプレゼントがどこの誰よりも、一番じゃないと嫌なんです」



 …
 ………
 …………



 相談なしに勝手にやろうとするなんて、前もって言えば怒られると分かっていたからに決まっている。逃げる時間もないギリギリを狙うなんて、そう言う考えだけは働くんだからまったく。

「終わったら、覚悟してなさい」

「しています」
「もう、覚悟ばっちりですわ」

 大暴れして、頬をひっぱたいてしまえば、色々とこれからのパーティを台無しにしてしまいそうだ。ダージリンの前に張り手の痕を頬に付けた2人を差し出すわけにもいかない。大きな長いリボンを身体に巻かれて綺麗にプレゼント包装されたアッサムは、布で包まれ、更にそれをリボンで結ばれて、完璧な商品に仕上げられた。


『っていうか、ランチはいつ食べられるのよ!』

「私だって食べてません」
「お腹ペコペコですわ!」

 なぜ、逆切れの声が返ってくるのかわからない。日ごろ、甘やかせ過ぎたからこんな、舐められたことをされてしまうのだ。もう、どうでもいいけれど。
 ダージリンは、アッサムがいなくなって心配しているような気もするが、大丈夫だろうか。


 1mmくらい、どんな顔で驚くのか見てしまいたいって思ったから、その油断のせいで両手を縛られてしまったのだ。

 これはアッサムのミス。
 

だーじりんじゃらし END

「……グリーン様、何ですかこれは」
「ダージリン様からのプレゼントです。はい、これもつけて」
「………いや、ちょっと」

 ルクリリはふさふさした犬耳を付けさせられたあと、高そうなブランドの首輪を渡された。大型犬用と書いてある、
「休みの間に、一体何があったんですか?」
「ダージリン様は犬がとても好きだそうです」
「………それで?」
「喜ばせて差し上げなさい」


 また、ローズヒップが何かしでかしたペナルティとでもいうのだろうか。これは一体なんだ。ローズヒップは茶色い犬耳を付けさせられて、髪をひとつに括っている。あれは尻尾か何かのつもりだろうか。

「どうして私たちが、ダージリン様の前で仮装しないといけないんですか?」
 文句を言っているペコは腕に犬の手を装着して、帽子タイプの犬耳を被っていて、すっかり子犬仕様が出来上がっている。案外乗り気なんじゃないだろうか。
「ダージリン様、また変な趣味に目覚めたに違いありませんですわ」
「いや、あんたも楽しそうに言ってる場合?」

 どうしてこう、ペコもローズヒップも諦めが早いのだろう。3人をこの姿にさせるのはダージリン様だけのご趣味なのだろうか。アッサム様はご存じなのだろうか。助けに来てくださらないと言うことは、つまりはそう言うことなのだろうか。いや、ダージリン様のことだ、何でもアッサム様が関知していると思ったら大間違い。予想を上回るから、あのお方は偉大なのだ。

  ……変な意味での偉大。


「はい、首輪つけたわね。じゃぁ、行きましょう」
 まさか、リードまで付けられるのではないかと身構えたが、流石にそんなことはされなかった。隊長室に向かう間、すれ違ったキャンディ様が絶句しておられる。もう本当、勘弁して欲しい。
「お嫁に行けなくなる」
「行くつもりだったんですの、ルクリリ」
「ローズヒップはずっとそれ付けて、四つん這いになってろ」
「なんですって~!」
「やるのか、こら!」

 目障りな犬耳を掴んでやろうとしたら、グリーン様にお尻を叩かれた。本当に3年生はみんな、暴力的でいらっしゃる。まぁ精神にダメージを与えると言う意味では、ダージリン様がぶっちぎりだけど。

「こらこら犬たち、暴れるんじゃない」
 グリーン様は情報処理部なのに。もうすっかり、ダージリン様とアッサム様に毒されておられる。3年間を共に過ごすって、これくらい何とも思わなければ無理なのだろう。

「………もう、諦めましょう、お2人とも。きっと私たち、ただの玩具にされているだけですよ」
「ペコがあっちの手綱を引いておかないからだろう?」
「それはアッサム様のお仕事です」


 静かにしろとグリーン様に怒られて、ふて腐れながらも口を閉じた。隊長室をノックすると、機嫌よさそうなダージリン様の声が返ってくる。


「代わりの犬をお連れしました」

 代わりと言って、グリーン様は一礼をして、嫌がる3人を隊長机の前に並ばせる。何だろう、この幸せそうな顔のダージリン様。お休みの間に、一体何があったのだ。

「あらあら。とても可愛いわね」

 相変わらず、麗しい微笑みでいらっしゃる。ダージリン様の傍で立っていたアッサム様は、クスクスと笑いを堪え切れずに、口元をタブレットで隠しておられた。これは、事情を知っておられる顔。唯一助けてくださるはずのアッサム様も、共犯のようだ。

「一体どういうことですか、ダージリン様」
 グリーン様はカメラマンになり、許可なく撮影を始めてしまう。顔を隠すと怒られる気がしたが、笑ってなんて差し上げなかった。

「アッサム、この犬は日本語をしゃべれるの?」
「おかしいですわね」
「それに反抗的な目つきだわ」
「本当に。隣の小型犬の方が可愛いですわね」
「そうね。尻尾を振っている子も可愛いわ」


 何なのだ、これは。


「……と言うことで、あなたたち。隊長室に置いてあった、アールグレイお姉さまからお譲り頂いたティーカップが見当たらないのだけれど、御存じないかしら?」



 ……あ。
 まずい。

 とてもまずい。




「それは、ルクリリが割りましたわ!」
「「ローズヒップ!!」」


 2週間ほど前、ルクリリがそのティーカップで紅茶を飲んでいた時に、ノックもせずに勢いよく入ってきたローズヒップに驚いて、うっかり落として割ってしまった。3人で協議の結果、そっと隠して、そっと同じものを買いに行こうという結論を出し、この3日間、あちこちのお店を探しまくって、みんなのお小遣いを集めて買ったのだ。今日の夜、こっそり棚に戻すはずだったのに。


 やっぱりバレていたか。


「流石だわ、アッサム。情報処理部をまとめるだけあるわね」
「まぁ、この3人は叩かなくても埃が出ますから」

 アッサム様も携帯電話のカメラで写真を撮りだした。連射しまくっておられる。



「だから、素直に謝ろうって言ったのに」
 ペコは今更なことを言った。その場にいなかった彼女には不運だけど、常に連帯責任。痛みは3で割って1余るから、1はルクリリが多めに貰うことにしている。

「どこでばれました?」
 ダージリン様たちに気づかれないように、棚には別のティーセットを取りやすい位置に並べて、割れたティーカップはそこにありますと言わんばかりに、瞬間接着剤でくっつけてわざと後ろの方に置いた。木を隠すなら森の中作戦だった。

「少し前にね、アッサムが棚の中に違和感を覚えたのよ。ティーカップを割っていたと言うのは、少々物足りないくらいだったわね」
「本当ですね。でも、何も言わなくてもグリーンの指示に従ってコスプレすると言うのは、想定外です。文句を言いに走ってくると思っていましたわ」

 今回のお仕置きは、誰の提案でいらっしゃるのだろう。鼻を黒く塗られて四つん這いにさせられないだけマシ、と思った方が良いのだろうか。


「それで、大事なティーカップを割るような犬の躾はどうすればいいのかしら、アッサム」
「リードを付けて、学内を散歩させますか?」
「写真を拡大して、掲示板に貼ると言うのもいいわね」
「シール台紙にプリントアウトして、住民に配るというのもいいと思いますわ。次期隊長たちの名刺代わりに」



 ……
 ………
 ……………



「申し訳ございませんでした!!!」
「でした!」
「ごめんなさい、ダージリン様、アッサム様」


「あらあら、またしゃべった」
「日本語を話す犬なんて珍しいですね」
「教育がなってないわね。お座り」


 草むしりにトイレ掃除、倉庫掃除、トラック走、遠いごみ処理施設まで徒歩でのゴミ捨て、いろんな罰は受けてきたけれど、隊長職を受け継いでからの失態だからか、与えられる罰がえげつない。
 ルクリリたちは、正座をして手を付いた。


「わ、わんわん」
「ワンワン!!!」
「…………わぉーん」

 1人、反省せずにむしろ乗り気の声が横から聞こえてくる。本性だ、きっと。

「ほらね?アッサム。私には忠犬がいるからこれで十分楽しめるわ」
「そのようですね」



 ほらね?って、何?何がどうなって……いやまぁ、ティーカップを割ったルクリリが悪いから罰を与えられているわけだけど。


「アールグレイお姉さまに、この写真を添付して、お姉さまが愛用されていらしたティーカップをこの子たちが割りました、反省しています。と送っておきます」
「お願いするわ、アッサム」



「「「待ってください!」」」


「あらあら、またしゃべったわ」


 こらえきれずに噴き出して笑うアッサム様とグリーン様。ダージリン様の目はこの状況を心底楽しんでおられるようだ。怒りのピークが振り切って、こんな罰を与えたと言うわけではないのかも知れない。


 本当によくわからない。

 もう、分かろうとするのは無意味なことなのだ。


「ワンワンワンワン!!」
「わんわんわん!!!」
「……わぉーん」
 しゃべるなと言うものだから、ローズヒップと一緒になって吠えまくった。目じりに涙をためて笑っておられるお2人が、ずいぶん楽しそうだから。


 仕方がないから、戯れて差し上げることにしたのだ。


 まったく、お2人の相手は楽じゃない。







2016/09/17 Happy Birthday

だーじりんじゃらし ③

 猫が学生艦に来てから3日目。今日もアッサムの体調はあまりよくない感じだ。朝は調子がいいようだが、ランチ時や猫カフェの様子を覗きに来ているときは、とても具合が悪そうに見えた。笑ってはいるが、何度も目を擦り、ハンカチで鼻を押さえている仕草。すぐに姿を消してしまう。目の端で捉えていたが、大丈夫、の一点張り。夕方から会合をして明日の昼の出港までに、猫カフェのプレオープンに向けての打ち合わせは、全員が許可に挙手をした。このまま2週間、海上での生活をさせてみて、最終的な判断はダージリンが行う。


「どうしましたか、ダージリン様」
「いえ、別に。アッサムは?」
「アッサムちゃんは、キャットタワーの最上階でお休みされています」
「………私のアッサムは?」
 ティータイムの時、とても辛そうな顔をしていた。本当は猫が好きじゃないのかも知れない。嫌いなのか、と聞いて“嫌い”と言われてしまえば、ダージリンは猫カフェのオープンを卒業後まで延期せざるを得なくなるだろう。アッサムはそのあたりを理解して、我慢している可能性がある。


 嫌いかどうかも聞けないし、嫌いだとも言ってくれないし。

 一体、どうしたものかしら。




「あ、そちらのアッサム様は、寮に戻ったようです」
「あら。少し買い物って言っていなかったかしら?」
「メールが来ていました」
「そう。具合が悪い様子だったのよ」
「そのようですね」
 猫カフェのレイアウトや、猫に対する注意事項、マニュアルについての打ち合わせは、猫カフェ内で行われていた。目じりが下がった大人たちと輪になり、あれやこれやとマニュアルを作成していく。ここまで進むと言うのは、もちろん本格稼働をさせるつもりがあるからだ。
 マニュアル作成の会合中、珍しくグリーンが手を上げた。書記を任せているので、隣でずっとパソコンのキーボードを鳴らしていることが多い彼女。ダージリンに向けて、パソコンの画面を見せつけてきた。
「えーっと、愛猫派のみなさまは、猫にとても慣れていらっしゃいますので大丈夫かと思いますが。猫アレルギーを持っておられる方も住民の中にはおられるでしょう。とりわけ、この学生艦で長く生活されている方の場合、ご自身がアレルギーを持っていると言うことを知らずに猫と触れ合い、くしゃみ、目のかゆみ、喉の痛み、皮膚の腫れなどの症状を引き起こす可能性があります。ですので、アレルギーに対する注意喚起のポップと、病院の各科にも猫アレルギーの患者様への対応を依頼した方が良いと思います」
 

 アレルギー症状一覧と、赤く腫れた手の写真。


「………アレルギー症状?」
「はい。猫カフェのデメリットです。ひっかき傷なんかは、自業自得な部分もありますが、アレルギーは……そうですね、ダージリン様が猫を抱っこしたセーターに残っている物質に反応することもあります。ですので、ご家族に猫アレルギーを持っておられる方はご利用を控えていただいた方が無難です」
「待って、そんなことわからない住民も多いわ」
「だと思います。希望者に検査を実施するというのは、費用の負担のことがあるので積極的に薦められません。それに、自己責任の領域でもあります」


 アッサムは、見事にアレルギー症状に一致していたようだ。好きも嫌いもない。あの子は近づいてはいけない体質なのだ。そして、猫を可愛がっているダージリンは、アッサムに近づいてはならない。



「………明日の出港までに、猫はお引き取りいただきましょう。猫カフェは聖グロの学生艦にはいらないわ。グリーン、横浜のペットショップの方に連絡を」



 目の前の愛らしい猫たちに夢中で、アレルギーなんてことを1mmも気になどしていなかった。アッサムはSOSを送っていたのだ。昨日、部屋に行くといつもよりうるさい音で空気洗浄機は回っていて、真っ直ぐにバスルームに連れていかれて、制服を脱いでくれと言われた。てっきり、そう言うつもりなのかと思ったが、体調が回復していないと拒否されて、よくわからないわねと、小さく嫌味を言ったのだ。

 言ってくれたらいいのに、なんて言えない。
言うことをためらわせるダージリンが悪いのだ。


「大至急、手配します」


やはり、グリーンはアッサムのアレルギーを知っていたようだ。黙っているように釘を刺されたのだろう。学院長も船長も、ふて腐れた顔でダージリンを睨み付けてくる。

「文句おあり?」

 ここまで来て、今更。あれだけ楽しく遊んでおいて、と。喚く大人たちの騒音を聞きながら、残っていた紅茶を飲み干した。グリーンが淹れた紅茶は、さほど美味しくはない。

「ひとときの楽しい時間を過ごせましたし、それでよろしいんじゃないかしら?寄港するたびに、どこかの猫カフェに戯れに行くのがよろしいですわ。まぁ、私は結構ですけれど。ずっと喉に痛みを感じていた理由がわかって、すっきりしましたわ」


 睨み付けてくる学院長に、満面の笑みを送りつけて、ダージリンは立ちあがった。まず、自分の部屋で服を着替えて、それからちゃんとシャワーを浴びて、アッサムの様子を見に行かなければ。



「アッサム」
「………ダージリン」


 自分の着ていた服を洗濯して、お風呂に入り、空気洗浄機を強にして、症状も落ち着いた。ベッドに寝転がって電子書籍を読んでいると、鍵が開けられる。もう夕食の時間らしい。

「大丈夫?」
「えぇ、まぁ」
 私服に着替えて、ふんわりとシャンプーの香り、猫に汚されたのだろうか。
「猫カフェ、計画は全て白紙にしたわ」
「………え?」
「うちには忠犬からシャム猫まで、いろんな種類の動物がいるから。動物の猫を狭いカフェに閉じ込めておく理由もないわ」

 今日のお昼まで、とても乗り気で猫カフェオープンのために尽力していたのに、何があったのだろう。ふて腐れた様子もないので、誰かが反対したとか、何かの圧力がかかったと言う様子も見えてこない。猫の体調でも悪くなったのだろうか。
「そうなんですの?せっかくのチャンスでしたのに」
「いいの。ルクリリの代になっても、その次も、聖グロでの猫の飼育はしないわ」
「何かありましたの?」
「ないわ」
「ひっかかれたとか、汚されたとか」
「まったくないわ」
 紅茶を淹れて差し上げようとキッチンに向かう腕を掴まれて、背中を抱きしめられた。洗い立ての髪。薔薇のボディーソープの香り。



 あぁ、きっと。


 気づかれてしまったのだろう。




「せっかくの寄港休暇だったのに、付き合わせて悪かったわね、アッサム」
「………いいえ、構いませんことよ」
「体調はどう?」

「問題ないですわ。きっと、季節の変わり目のせいです」
 シャツの中に侵入してきた両の手は、当然のようにナイトブラを外しにかかってくる。昨日も体調を理由に拒否していたから、今日は肌に触れあいたい。夕食はずっと後回しだ。

「そう。それはよかったわ」
「お茶はよろしいの?」
「えぇ。先にしたいわ」
「私もしたいです」

 猫カフェがダメになった理由はもう、聞かずにいることにした。 裏を取ることは簡単だけれど、知らない方が良いのだろう。ダージリンが導き出した答えだ。こうやって優しく抱き付いてくる。それがダージリンの想いなのだ。各お偉い人たちを敵に回してでも、撤回してくださったのだろう。



 アッサムのために。



「アッサム」
「はい」
「あなたが好きよ。私は、あなたが傍にいる方が良いわ」
「猫のアッサムちゃんよりも、ですか?」
「当たり前よ。比べる次元が違うわ」


 ダージリンが身体に想いを沁み込ませてくれるから。

「そうですか」
「もういいわ。猫よりもアッサムがいいし、猫よりも忠犬たちの方が扱いやすくて面白いわ」
「……あの子たちは犬ですの?」
「犬よ。私は犬派よ」

 もうすっかり、猫への想いを断ち切ったと、唇が優しく瞼に押し当てられた。

だーじりんじゃらし ②

「それがいいわ」
「………はい」
 ベッドにうつ伏せになってタブレットをいじっていると、ダージリンが背中の上に乗ってきた。今日は随分と機嫌がよろしい。散々、猫と戯れて、と言うか、猫に遊んでいただいて、さぞ、日ごろのストレスも解消されただろう。

 ダージリンにストレスなんてあったかしら。

「明日、午後には届きます」
「あら、インターネット通販ってとても便利ね」
「………そうですわね」

 夜も更けて、買い物に出かけたいなどと言いだしたダージリンは、寄付金で買った猫様のお遊び道具では足りないらしく、自腹で追加購入をご所望された。学生艦の中のペットショップは犬のものしか売っていないし、今から横浜に降りても、お店は閉まっている。そう答えると、インターネットで買えばいい、と命令してきたのだ。身体から降りてくださる気配もなく、ずっとダージリンを背負ったまま、言われるままに翌日配送が売りのサイトから、次々にいろんなものを買い物かごに入れて行った。紐が付いたネズミが先っぽについているのと、ただの柔らかいボールが付いているのと、何が違うのか……って言うとメンドウなことになりそうだ。


「ダージリン」
「なぁに?」
「猫の匂いがしますわ」
「そう?」
「セーターに毛がかなりついています」
「あら、そう?」
 ダージリンがここまで猫が大好きだなんて、本当に知らなかった。猫がいない環境が当たり前の学生艦なのだ。新鮮さを感じているのだろう。


「アッサム、どうしたの?」
「……いえ、ちょっと」
 目をこすりタブレットを消した。一度身体から降りてもらい、鼻のムズズムしたものと、喉に何か引っかかりを覚えたものが取れなくて、うがいをしてみた。
「風邪なの?」
「どうでしょうか」
 もしかしたら、猫に反応しているのだろうか。そうだとしたら、言うのはちょっとためらってしまう。
「早く寝ましょう。お薬は持っているの?」
「え?あ、大丈夫ですわ」
「明日もひどくなりそうなら、医者にかかりなさい」
「大丈夫です………っくしゅん!」

 セーターに毛が引っ付いたままのダージリンが抱き付いていたから、だろうか。思ったが、愛想笑いをして見せて誤魔化した。あんまり近づかなければいいだけだ。制服を脱いでもらって、身体を洗ってもらえば大丈夫だろう。

 

 っくしゅん!!



次の日も、ダージリンはいそいそと猫に会いに行った。学院長と仲良く微笑み合っているなんて。日ごろは、作り笑顔のにらみ合いばかりだと言うのに。アッサムも誘われたが、荷物の受け取りのためにと理由を付けて同行を断り、グリーンに付き添いをお願いした。生徒がほとんどいなくなった学内は静まり返っている。たまにはのんびりと本を読んだり、ジョギングしたりと、指定時間に荷物が届くまで1人で過ごした。本当のことを言えば、ダージリンが空いていれば2人で横浜から離れたところにデートに行きたかったが致し方がない。今更、横浜に降り立っているクラスメイトや1年生たちと合流するにしても、ダージリンが名目上のことではあるが、休日返上で仕事をしているのだ、やっぱり遊びに出る訳にもいかない。

 12時にダージリンがアッサムのカード名義で大量に買った猫様グッズが届いた。グリーンに連絡を取ると、昨日よりも激しく猫に振り回されている写真が送られてきて、面白いことになっていると電話の向こうで笑っている。猫様グッズを車に積んで、ダージリンの元に届けることにした。お腹が空いたから、グリーンと3人でランチを取りたい。


「……っくしゅん」
「あら、アッサム。朝は大丈夫って言っていたのに。無理しているの?」
「平気です。ダージリンが昨日、大量に購入された玩具です」
「ありがとう」

 猫に遊ばれている大人たちの間に、ダージリン様と、じっと観察していて羨ましくなったのか、グリーンも猫を抱いて笑顔を振りまいていた。

「ねぇ、このシャム猫に“アッサム”って言う名前を付けようと思うのだけれど。それとも、こっちのペルシャ猫の方が“らしい”、かしら?」
「……らしい、って何ですか?」

 抱いている猫2匹をアッサムの胸の前に突き出してくる。可愛いとは思うけれど、喉の痛みと鼻のむずむずしたものが襲って、思わず身をのけぞった。目が痒い。

「アッサム?」
「……なぜ、その名前ですの?」
「愛らしいじゃない?」
「……そうですか?」

 数年後に、同じティーネームを授かる子が現れるだろうに。嫌な気分はしないが、何となくいい気分でもない。

「このマンチカンは“オレンジペコ”。この、じっとしてくれない日本猫は“ローズヒップ”こっちのアメショーには“ルクリリ”。どう思う?」
「………お好きにどうぞ」
 命名権は全て、ダージリンが持っているのだろうか。とはいえ、周りの大人たちからの反対の声が降って来ないということは、実はもう、決められているのかも知れない。
「私は、シャムの方がアッサムだと思っているわ」
「そうですか」
「可愛いでしょう?やっぱり、この子をアッサムにしましょう」


 可愛い、可愛いと、おとなしいシャムネコの頭を撫でるダージリン。くしゃみが何度も出てくる。ハンカチで鼻を押さえて口で呼吸すると、今度は喉の違和感がちょっと辛い。


「可愛いわ~。いい子ね、アッサム。ほら、このおもちゃで遊びましょう。あらあら、ローズヒップ、ちょっとおとなしくしていてちょうだい。まったくあなたはいつもそうね」


………
…………
……………こっちは身体が大変な目にあっているのに、猫に媚を売って。


何だろうか、この腹立たしさは。“ローズヒップ”とやらが足によじ登ろうとしてくるのを振り飛ばしたいが、何とか耐えて逃げた。


「……アッサム様、もしやアレルギーでは?」
 “ルクリリ”と戯れていたグリーンが、ハンカチで鼻と口を押さえて部屋を出たアッサムを追いかけてきた。
「いえ、わからない、けど。っくしゅん……ごめん、近づかないで」
「あ、すみません。私も触りまくっていたから」
「いえ、いいわ。ダージリンをお願い。楽しそうにしているのに、水を差したくないのよ」
 何か聞かれても、適当にごまかしておいてと伝えて、猫フロアから逃げ出して、取りあえずそのまま病院内の学生外来に向かった。休日のために受け付けは誰も人がいない。横浜に降りて検査を受けるしかないが、猫に近づかなければ楽でいられるのだ。とにかく近寄らない方が良い。



「………ふぅ」
 病院内にあるカフェで飲み物を注文して一息入れていると、ダージリンから電話がかかってきた。
『アッサムが膝の上で寝ているの。とても可愛いわ』
「………そうですか」
『お昼ご飯を食べに行きたいけれど、動けないわ』
「そうですか、もうそこにベッドを持ち込んでお住みになればよろしいんじゃない?」
『あらどうしたの?焼き餅を焼いているの?』
「お餅は好きではありません。ランチ、どうされますの?」
『そうね、もう少しだけアッサムを眺めてから、合流するわ』

 あちらのアッサムは、ダージリンのお膝の上でお休み中。かたやこちらのアッサムは猫アレルギーで疲弊中。


「…………膝の上で寝るなんて、私はしたことないのに」


 もう少しと言うセリフから30分ほどして、症状が落ち着きだした頃にグリーンから連絡が入り、3人で街のサラダ専門店に向かうことにした。ずっとずっと、猫への想いを語り続けているダージリン。10匹全部にティーネームを与えたそうだ。ダージリンという猫はいないらしい。
「ダージリン様の一番のお気に入りは、“アッサム”でした」
「……そう」
「おとなしくて、それでいて立ち振る舞いも優雅よ。ペルシャの子は真っ白だからバニラにしたわ」
「そうですか」
 目をこすりたい衝動を抑えながら、時々喉の引っ掛かりを誤魔化すように水を飲み、猫の愛に相槌を打ちながら、これから毎日これが続くのかと思うと、どこかで一言文句を言わなければと考えてしまう。


 人間のローズヒップ達の話なら、いくらでも聞くことができる。聞いていて楽しいと思えるが、アッサムには、猫の可愛らしさを語られたところで、苛立ちと不快感しかないのだ。

 青いセーターに残っている猫の毛。一応、コロコロと粘着テープで綺麗に落としてきたそうだが、すべてが取り除けているわけじゃない。それが不快とは思わない。たぶん、満面の笑みで自分じゃない他の“アッサム”を可愛がっていることに、少なからず腹立たしいと感じている、これは嫉妬なのだ。


「膝の上でね、小さくあくびをして。安心しきったように眠るの。愛らしい寝顔だったわ。やっぱりアッサムが一番懐いてくれるのよ」
「そうですか」
「あら、興味ない?あなたのティーネームを授けたのよ?」
「興味がどうということもないですわ」
「グリーンが取った写真を、携帯電話の待ち受けにしたいわ」
「ご自分でなさってくださいね」


 午後からも、会合と言う名前で猫と戯れるんだそう。テラスにいるから、これ以上は酷い症状が出ないはず。猫様は人をダメにするんじゃないだろうか。1匹1匹名前を付けた猫の特徴を楽しそうに話すダージリン。その名前の付いた1年生たちは、アッサムみたいにくしゃみをしている頃だろうか。




だーじりんじゃらし ①

そう言えば、最近、昔、アールグレイお姉さまがよく使っておられたティーカップを目にしない。隊長室にはいくつもティーセットが置かれてあるから、その時の気分や味などで使い分けをしている。カモミールをリクエストされたので、久しぶりにと思ったが、どうやら奥の方に置かれてしまっているようだ。他のティーセットを一度どける煩わしさを感じて、手前のティーセットを取った。最近、ルクリリがよく使っているものだ。

「ありがとう、アッサム」
「いえ。それ、何の書類ですの?」
「読む?」
 受け取ったものの表紙には、愛らしい子猫がプリントされていた。紙の素材は学校のプリンターではないように思う。
「………猫?」
「前々から、ずっと話し合いが行われていた件ね」
「住民からの要望ですか?」
「そう。衛生面と管理面のことで、船舶関係者と折り合いがついたそうよ」
 学生艦では、申請しなければペットを飼うことができない。さらに言えば家の敷地から脱走ができないようにしている犬。陸地で十分に訓練されて、おとなしく出来て、船の上での生活に支障がないと認定された場合に限られていた。
「大丈夫ですの?」
「試験的にね。中央病院敷地内にある建物の2フロアを使うそうよ」
「アールグレイお姉さまの代の時も、結局、断念しましたものね」
 ここ最近、頻繁に住民代表と会合を開いていたダージリンは、機嫌よく学校に戻って来て、分厚い冊子をアッサムに渡した。住民代表や学院長、船長を含む会合。情報処理部のグリーンが書記として付き添っているので、アッサムはその会合には参加しない。こうやって戻ってきたときに、意見を聞かれたら答えることはあるが、そのあたりはダージリンの仕事なので、お任せしている。
「とりあえず、しばらくの間は限られた人間のみ利用、というところからね」
「そうですか」
 反対派と賛成派に分かれていて、何年もペットの種類拡大は揉めていた。犬がいいのだから、猫もいいだろう。犬だって逃げ出さないと保証は出来ないんだから、と。犬が許可されたのは10年ほど前らしいが、その時から、猫派はずっと戦っていたそうだ。他の学生艦では野良猫がいるところもあるそうだが、聖グロの学生艦は徹底して動植物の管理に努めている。
「明日、横浜港に着いたら猫ちゃんが運ばれてくるわ」
「……あぁ。おかしいって思っていたんですよね。物品搬入のところに、猫用のエサやらキャットタワー、“猫10匹”って書いてあったので」
 グリーンが目を通したはずの書類に書かれてあったので、会合から帰ったら捕まえて話を聞かなければと思っていたのだ。これで納得がいく。
「ところで、アッサム。猫は好き?」
「普通、ですかね。うちの実家は犬を飼っているので、接したことがあんまりないです」
「そう」
 カモミールを飲まれながら、ダージリンは小さく微笑んでいる。顔に“楽しみ”と描かれてあった。ダージリンの今回の決断、多分に本人の希望が含まれていないだろうか。忘れた頃に持ちあがるこの話題、2年前まで却下されていたのは、前オレンジペコ様が小さい頃に猫に噛まれて以来の大の猫嫌いだったから、という話を聞いたことがある。
「立ち合いされますの?」
「えぇ。今回の寄港、私は船を降りられないわ。猫ちゃんのご機嫌伺いをしないと」
「そうなんですか」
 特に、2人でどこかにデートに行こうだなんていう話をしていたわけじゃない。そう言うことをしてもしなくても、どちらでも構わないが、一応はダージリンの予定を聞いてから行動計画を立てようと思っていた。
「猫にとって、船の上がストレスにならなければ、船尾区画にも施設を作るそうよ」
「そうですか」
 見せられた冊子の中には、猫の写真もあって、名前は番号が振っているだけだ。ダージリンが猫好きなんて聞いたことはない。とりわけ、猫のグッズを集めていると言うこともない。
「楽しみですか?」
「えぇ」
「そうですか」
 本格的に猫カフェが聖グロの学生艦でオープンになったら、功績としてダージリンの名は代々に残るはず。



横浜に船が到着すると、学生のほとんどが船から降りた。ペコたちにぎやか組が艦内からいなくなった頃、ダージリンと一緒に猫を乗せた車を迎えに行き、関係者がずらりと10匹の猫を手厚く歓迎した。小さなゲージに入れられてやってきた猫たちは、吹き抜け2フロア分を使い、ソファーやキャットタワー、テーブルなどが整えられた場所にいきなり放り投げられた怖さなのか、あんまり動こうとしない。
「可愛いわね」
「……そうですね」
「可愛いわ」
「怯えているように見えませんか?」
 ダージリン以外、学院長も教会の神父様も船長も住民代表も、目じりが下がり切って“可愛い”を連呼している。今年になって住民代表が代わったから、今、こういう光景が広がっているのだろう。何というか、一気に形勢逆転になったようだ。
「あぁ……可愛いわね」
 みんな、四つん這いになってじっと猫を見つめている。アッサムはグリーンとその様子を眺めながら、ダージリンの四つん這いの姿を何枚も写メに収めておいた。血統書付き、生後6か月以上で避妊、虚勢したものしかいないが、比較的小柄な猫もいて、ダージリンが近づこうとすると、威嚇している。
「アッサム様、あの人は誰ですか?」
「うちの学生艦の最高責任者を自称している人、よ」
「あぁ、なるほど」
「……隣で玩具の猫じゃらしを振り回しているのが、うちの学院長」
「左様ですか」
「その隣で猫を抱きしめているのが、うちの船長」
「ほうほう」
 グリーンはタブレットのカメラ機能を使って、アッサムの隣で撮影を始めた。このメンバーは意地でも猫カフェを失敗させないつもりだ。

「みて、アッサム。なんて可愛いの」
「………はいはい」

 締まりのない笑顔。心から嬉しくて楽しくて、嫌がる様子なのに捕まえているその子が可愛くて仕方がないと訴えられても、どういう反応を見せればいいのだろう。


 こんな笑顔、見たことがない。


 あと、なんだろうか。目がかゆいような気がする。鼻もむずむずする。まぁ、多分、目に見えない毛が舞っているのだろう。長毛の猫もいるから。喉も乾燥しているのだろうか、何となく痛い。


 寄港している間、ダージリンたち“猫推進派”の会員ではないアッサムにはそれほど多くの仕事はない。とはいえ、ダージリンが転げ回って猫を可愛がる様子を見るのは、それなりに楽しかった。これだけ堂々と携帯で撮影しても、まったく気が付く様子がないのだ。猫を嫌いだと思わない。周りの人たちのように目じりを下げて、どこから出ているのかわからない声を出して追いかけまわす程ではないが、すり寄ってきたら頭を撫でたい、と思うくらいには好き。



「可愛いわ~。可愛い~」


 …
 ……
 ………


 どこから出ている声なのだろうか。

「………お茶でも飲みますか、アッサム様」
「そうね」
 病院敷地中に猫カフェを作ったのは、建物の強度面と、あちこちに施錠ができる作りであり、脱走しにくいであろうこと、また衛生管理が徹底されていると言う条件が揃っているためだ。そして、患者やその家族へのメンタルケアにも役立たせることも期待されているそうだ。ここのカフェでは飲み物を紙コップで、蓋を付けて提供される。サンプルとして受け取ったコーヒーを飲みながら、アッサムはソファーに座って、学院長と一緒になって猫を撫でているダージリンをしばし、眺めていた。

何というか、充実したようなしていないような、分からない日だ。


「……っくしゅん!」

便利な機能 END

「そんな真っ赤で本当にいいんですか?」
「いいのよ」
「でも、ダージリン様に希望を聞いた方がいい気がしますけれど」
「希望?何もないと思うわよ」

 ペコとローズヒップをお供にして、スマホのカバーに液晶フィルムをお買い求めになったアッサム様は、ダージリン様のスマホだと言うのに、何も相談せずに勝手に選ばれたようだ。失くさないことを第一優先にし、そして落としてもすぐに画面が割れないように、最高級のフィルムを迷いなく手に取っておられたのだ。何というか、過保護と言うか。とはいえ、ダージリン様はきっと、アッサム様に全てお任せなのだろう。と言うか、思い切ったことをされたものだ。あのダージリン様にスマホを与えるなんて。勝手に作った書類にサインを書かせていらしたけれど、あれは、きっと内容なんて見ておられないはずだ。容量が何ギガのもので、コースの価格がどれくらいで、とか、もう全然、ダージリン様にはご興味ないはずだから。


「ただいま帰りました」
「ダージリン様~~!ただいまですわ!!」
 隊長室に戻ると、なぜかバニラやクランベリー、キャンディ様、カモミール様たちがいて、スマホを手にしたダージリン様が引きつった笑みを浮かべているグリーン様の撮影をされておられた。


「…………何、これ」
 見渡して数秒の沈黙の後、アッサム様が嫌そうなお声で呟かれる。
 
「わぁ、撮影会ですわ!」

 ローズヒップは瞬時に事態を把握して、グリーン様の隣に座り、ピースサインをしてスマホを構えているダージリン様の被写体になった。
「グリーン、もういいわ。ローズヒップ、あなたお好きなポーズとりなさい」
「マジですの?!!服は脱いだ方がよろしいですか?!!」
「残念だけど、遠慮させていただくわ」
 10枚くらい撮影をして、ハッキリ言って相当楽しそうなダージリン様の様子。カメラ機能がそんなにうれしいものだとは。前のものだって、カメラは付いていたはずだけど、大きな画面で綺麗に映るから、きっとはまってしまわれたのだ。まぁ、前の携帯電話では使い方を知らなかったのかも知れない。

「アッサム様、あの……私たちもう、あの、そろそろ失礼したいのですが」
「………悪かったわね。後で殴っておくわ」
「お願いします」
 キャンディ様が眉をハの字にしてアッサム様に縋ってきた。ローズヒップの撮影に夢中になっている間に、人質を逃がしてしまわないと。

「ルクリリが余計な機能の説明をしたみたいです」
「私はあなたに託したわよ、グリーン」
 アッサム様の許可なくルクリリに押し付けたのはグリーン様らしい。グリーン様には責任がある。罪は重い。
「………あの人にスマホは無理だと申しました」
「だから、大学に入るまでには教えておかないとマズいと言うことで、意見は一致したでしょう?」
「カメラより、ネットの使い方を教えた方が」
「………それは、おいおい、心の準備が整ってからにするわ」
「とにかく、スマホをお気に召したことは確かなようです」
「そうみたいね」
 お2人の大真面目な横顔を見つめていると、ペコの肩に暖かな、それでいてとても嫌な気配のする手がぽん、と置かれた。

「ペコ」
「………嫌です、本当に嫌です」
「何が嫌なの?」
「撮影されて、何をするおつもりです?」
「ルクリリが、写した写真を電話帳に登録すると、電話するときに画面に映し出されるって言うから。それはとても便利で素晴らしく、画期的なことだと思わない?」

 余計な事を。そう呟かれたのはアッサム様だった。だからペコは、一緒に映ってくださるならいいですよって、自撮り機能を教えて差し上げて、一緒に笑顔でカメラに向けて笑っておいた。アッサム様がさらに頭を抱えて、余計な事を教えるんじゃないと後で文句を言いに来られた。きっとご自分に迫って来られることがわかっておられるからだ。


被害者が出て行ったのを確認して、アッサムは1年生3人と自撮りをし始めたダージリンの頭上に手刀を落とした。
「ダージリン様」
「あら、アッサム」
「………お戯れが過ぎます」
「あなたの写真も撮らないと」
「結構です」
「とっても便利ね、この携帯電話」
「そうですわね。ちょっと、それをお貸し願いますか?」
 満面の笑みで手を伸ばすと、ふて腐れた顔で投げよこされた。抵抗したら、充電器を奪うつもりだった。
「………ダージリン様」
「なぁに」
「パスワードを設定されましたの?」
「だって、ルクリリがしろって言うんだもの」
 名前を出されたルクリリが、さっとローズヒップの背中に顔を埋めて逃げた。パスワードを設定するのは基本中の基本だが、本人がうかつに自分の誕生日を入れてしまう恐れがあるからと、少し慣れるまでは様子を見るつもりだった。
「それで?パスワードにご自分の誕生日を入れたんですか?」
「そんなことしないわよ、当然でしょう?」
 偉そうに胸を張って見せているけれど、ルクリリから言われたのだろう。ローズヒップの背中に隠れたままのルクリリは、まだそのままだ。
「1234とか、そんなものにしていませんわよね?」
「しないわよ。さぁ、何かしら?当ててごらんなさい」




……
………
…………




 何だかものすごく偉そうなのが腹立たしい。


 1210と入れたらあっさりとロックが解除された。カメラ画像を確認すると、ものすごく困った顔のバニラたちがずらずらと出てくる出てくる。一体何時間撮影をしたのだろうか。


「あら、もうわかったの?流石ね、アッサム」



 アッサムはニコリともせずに、ドンドン出てくる被害者たちの写真を確認しながら、最後はルクリリを360度盗撮しているところに行きあたり、画面を閉じた。


「ペコ、買って来たものを」
「は、はい」
 ダージリンのために買ってきたカバーの袋を開いて、画面を不織布で拭いて丁寧にフィルムを張り、真っ赤なカバーを付けた。
「あら、カッコイイじゃない」
「これなら、目立ちますでしょう?」
「そうね」

 返せと言わんばかりに手を出してくるダージリン。面白い遊び方を知られてしまったのだ。返す前に言い聞かせておかなければ。

「盗撮は犯罪です」
「許可があればいいのでしょう?」
「そうですが」
「撮らせなさい」
「嫌です」
「じゃぁ、一緒に撮りましょう」
「もっと嫌です」

 ペコにお茶を淹れさせて、アッサムはおもちゃをすぐにダージリンの手元には返さずにソファーに座った。ルクリリが顔を上げて、無実をアピールしてくる。
「ルクリリ」
「し、仕方がないじゃないですか!カメラの使い方を教えただけです!」
「………いいわ、ルクリリ。グリーンが悪いのよ」
「最初から、アッサム様がグリーン様にお願いするのが悪いんですよ。私は、渡して欲しいってお願いされただけなんです」
「それで、ダージリンに説明しろって言われて、説明しただけ、ね」
「そうです、無実です。言われたことに答えただけです」
 ルクリリに罪はないかもしれないが、そろそろ、ダージリンの扱い方を学んだ方が良いのだ。アッサムはパスワードを入れた後、最初の画面にルクリリの怪訝な顔の写真を設定しておいた。2人が替えてくださいと土下座して謝ってきても、しばらくこのままにしておくつもり。

「アッサム様、い、今、何をしました?」
「何も」
「ルクリリのドアップが、ロック画面設定にされていましたわ」
 ローズヒップはアッサムに抱き付いていたから、何をしたのかがわかったようだ。元は、この子がダージリンの携帯電話を再起不能にしたから、買い替えになった。お尻を叩いたところで、悪気は1時間くらいしか持っていなかった。
「勘弁してください、アッサム様」
「ルクリリ、ダージリン様が携帯電話を使うたびに、あなたの可愛い顔が映し出されるのよ。光栄に思いなさい」
「嫌です!真剣に嫌です!」
「ちょっとアッサム、そんな素晴らしいことができるのなら、ルクリリじゃない写真がいいわ」
「知りません。ご自分で設定し直してください」

 何人たりとも、画像の替え方を教えるな。ジロリとルクリリ、ローズヒップ、ペコを睨み付けると、勢いよく首を縦に振った。

「携帯電話を使うたびに、ルクリリの顔を見るのは嫌よ」
「あら、あなたの可愛がっている後輩ですわ」
「それはそうだけど、それとこれとは違うわ」
「何が違いますの?」
「一般的にそう言うものは、好きな人の写真とか、ペットとか、お気に入りの風景とかでしょう?聞いたことがあるわ」
「あら、ルクリリのこと、お好きでしょう?」
「それはまぁそうよ。でも何か、真剣に違うと思うわよ」

 グダグダ言いながら、奪い返したスマホの画面を嫌そうにのぞき込んでいるダージリンの目の前で、頭を抱えているルクリリ。

「褒められているのか、けなされているのか、わからない」
「けなされていますわよ、ルクリリ」
「身から出た錆ってやつですね」

 憐れむ2人も、自分じゃなくてよかったと心から思っているに違いない。もうしばらく、痛い目に合わせておかないと、ルクリルも次期隊長として強くなれないだろう。




カシャ、カシャ





「盗撮は犯罪だと言いました」
「そうね、ハッキリと聞こえていたわ」
「何を写しました?」
「………ちょっとティーカップを」
「そうですか、確認します。貸してください」
「嫌よ」
「買い替えましょうか、そのスマホ」
「結構よ、これは私のものよ」

 夕食を外に食べに行き、アッサムの部屋でお茶をしている最中、携帯電話を取り出したダージリンは、向かいに座っているアッサムを撮影してみた。ものすごく機嫌の悪そうな顔で睨み付けているものが保存されてしまう。


「アッサム」
「何でしょうか?」
「もっと、笑いなさい」
「ティーカップを撮影されているダージリンを見て笑えと?」
「そうよ」
「面白くもありませんわ」
 もう一度、アッサムを写そうとしていると、頭上に手刀が落とされて携帯電話を奪われてしまった。勝手に操作されてしまう。きっとあれは保存したものを削除したに違いない。
「恋人の写真を持っておくのはダメだと言うの?」
「私はそういうの、結構ですわ」
「あら、アッサムは当然、私の写真を持ち歩いているでしょう?」
「………さぁ、どうでしょうか?」
 そっぽ向いて白を切る。絶対に持っているはずだ。分かりやすい態度。持っていないはずがない。でも、携帯電話をあからさまに向けられた記憶が全くないことが少し気がかりだ。
「アッサムも私のことを盗撮していたでしょう?」
「していません」
「嘘」
「していませんわ」
「嘘を吐くとき、あなた、親指を隠す癖があるのよ」
「………か、隠してません!」
 自分の親指がまったくもって隠れていないのを思わず確認したアッサムは、真っ赤な顔で声を張り上げる。
「いいのよ、私は盗撮されようとも気にしないわ」
「ですから、していませんって」
「じゃぁ、あなたの携帯電話を見せて」
「嫌ですわ」
「見られたら困るものがたくさん入っているの?」
「適当に触られて、壊されたくないだけです」
 確実に削除された様子の携帯電話が放り投げられて返ってくる。今、その赤い頬のアッサムを写真に撮っておきたいけれど、それは心に留めておいた。買ったばかりの携帯電話を壊されてしまいかねない。




「まったく。理不尽なものね」




 ボタンを押すとルクリリが眉をひそめて睨んでくる。これも何とかして欲しいものだ。夢に出て来たらどうしてくれるのだろう。携帯電話を誰かがみてしまったら、何か誤解されてしまうような気もしないでもない。

「はぁ……一体どうしたものかしらね」
 ルクリリの顔は飽き飽きした。携帯電話の電源を落としてテーブルに置くと、それを待っていたのか、アッサムが立ち上がってダージリンの膝の上に乗ってきた。

 これこそ、撮影のチャンスだと言うのに。なんだったら、自撮りというものにはとてもいい気がするのに。

「アッサム、どんな私の写真を盗撮しているの?」
「さぁ?」
「変な写真?」
「いいえ」
「寝顔?」
「そんな気の抜けたダージリンなんて写しませんわ」
 長い髪に指を通して、首筋をくすぐると嫌がるようにしがみついてくる。一体、どんな盗撮をしていたのだろうか。
「じゃぁ、どういう姿を盗撮したの?」
「秘密です」
 誤魔化すための口づけを受けて、有耶無耶にしようとするなんて本当にズルいと思うけれど、こういうことをされたら、これ以上の詮索ができなくなってしまう。


「アッサムは私の扱いが日々上達しているわね」
「長い付き合いですもの」
「ところで、明日、ルクリリのロック画面とやらを何とかしていただけるかしら?」
「考えておきますわ」
「せめて、もっとホッとするようなものにして頂戴」
「クルセイダーの修繕費一覧でも写しておきましょうか?」
「自分の携帯電話を壊したい衝動に駆られるわ」

 抱き付いてくるアッサムの両手が、ダージリンの背中をなぞり、シャツを引っ張ってくる。記憶にとどめておいても、毎日更新されていく、毎日新しいアッサムがダージリンに触れてくる。


「アッサム、好きよ」
 首筋を這う唇。その揺れる黒いリボンをそっとなぞり呟いた。
「私も好きです」
「………その携帯電話って録音もできるの?」
「何をお考えですの?」
「いえ、別に」


 例えば、ちょっと1日離れなければならないなんて日があった時に、今のアッサムの囁きを録音しておけば。そんなことをチラリと思ってもみたが、アッサムが傍にいないのにアッサムの声で好きなんて聞いたら、居てもたってもいられなくなる自信がある。同様に、愛らしい写真を保存していれば、携帯電話を観ながらニヤニヤしてしまうのは間違いない。

「まったく………一体どうしたものかしらね」
「毎日、ダージリンの携帯電話はチェックしますから」
「………理不尽だわ。私にもアッサムの携帯電話を見る権利はあるのに」
「操作できますの?」



 本当に、一体どんな写真を撮られたと言うのかしら。


 

便利な機能 ②

『ダージリン?』

 そう言えば、後輩がいない時にアッサム様はダージリン様のことをダージリンって呼ぶんだった。普段、あんまり聞かないから、そう言うのを聞いているとやっぱり想い想われているんだなってわかる。

「アッサム、あなた一体どこにいるの?」
『ちょっと、外に。グリーンから電話を受け取りましたの?』
「えぇ。試しに電話をしてみたの。とてもよく聞こえるわ」
『そうですか。使い方は教わりました?』
「ルクリリが教えてくれているわ」
『……ルクリリ?』
 なぜ、その名前が出るんだって言わんばかりのアッサム様のお声を聞いて、どうやらアッサム様はグリーン様に重要な役目を押し付けたんだとわかった。そしてそれを更にルクリリに押しつけてきたんだ。


 酷い先輩たちだ。


「えぇ。でも、通話は出来たわ」
『そうですね。通話とメールくらいは使えるようになってください』
「わかっているわよ」
 アッサム様も、それくらいでいいと思っているのなら、パカパカするやつを取り寄せてお渡しすればいいのに。何というか、宝の持ち腐れってやつだ。
『もう少ししたら、帰りますから』
「待っているわ。ペコたちも一緒なの?」
『はい』
「気を付けて帰って来てね」
『はい。いい子にしていてください、ダージリン』
 
 残念ながら、好きも愛しているも聞くことは出来なかった。でも、取りあえずお2人とも楽しそうなのはわかる。通話が終わって画面が真っ暗になったので、ダージリン様に真ん中のボタンを押して、ちゃんと通話の履歴に残っているかどうかも確認をしてもらった。

「通話の仕方、わかりましたね?」
「大体は」
 履歴からたどる方法もお伝えしたし、アッサム様にさえつながれば、ダージリン様の命に別状はない。アッサム様と通話できなければ、命にかかわるだろう。

「メールは、アドレスが変わってしまうので、そのあたりはグリーン様とアッサム様に聞いておきますね」
「あら、どうして?」
「どうしてという質問にお答えしても、きっとダージリン様にはスマホの仕組みがわからないと思いますが、聞かれます?」
「………結構よ」
 頬を膨らませて、ぷいっとそっぽ向かれても、聞いてもわからない癖にって言い返したい気分だ。やれやれってため息をついていると、ルクリリの携帯にメールが届いた。

 情報処理部から、幹部関係者にダージリン様の携帯電話のメールアドレスが変わったと一斉メールだ。流石。抜かりない。これもアッサム様が事前に指示をされたに違いない。ダージリン様がご自分で、登録している人全員に一斉に告げるよりずっと効率がいいのだ。戦車道関係者以外の人へは、きっとアッサム様から通達が行っているはずだろう。

 っていうか、ダージリン様の携帯電話は一応、私物のはずなのに、アッサム様にも情報処理部にも、情報が筒抜けって大丈夫だろうか。その気になれば、メールだってチェックし放題なんて、プライバシーもないし、浮気もできないんじゃないだろうか。
「ダージリン様、前の携帯電話ってパスワードを設定していました?」
「していないわ。したら、アッサムが触れないもの」
「………左様ですか」
 浮気なんてする気が、露ほどにもないと言うのは、悪いことじゃない。と言うか、アッサム様が弄ることを想定されている携帯電話って、何だろうか。色々突っ込みたいけれど、まぁ惚気として受け取っておこう。

「パスワード、設定してみます?」
「したらどうなるの?」
「他の人が操作できません」
「困った時に、アッサムが触れないの?」
「まぁ、パスワードを教えておけばいいことですが。でも、全然知らない他校の生徒が拾ったり盗んだりしたら、勝手に使われてしまう可能性もあります。それはとても危険です。ダージリン様は良くても、ダージリン様のフリをしてその人が嘘の情報をこのスマホから送ったりすることもできてしまいます」
「それは困るわね」
 うーん、と腕を組んで悩むダージリン様は10秒ほどそのポーズを維持した後、渋々とパスワード設定を承諾された。とりあえず簡単な数字4つで、絶対に忘れないものを決めてもらう。
「ご自分の誕生日はダメですよ。人か想像できそうなものはダメです」
 早速と、09とボタンを押したところで、ルクリリはストップをかけた。バックボタンを押してもらい、推測されるのは避けてくださいと頭を下げる。
「じゃぁ、もうこれにするわ」
 1210と数字を押して、決定ボタンを押したダージリン様の頬は心なしか赤いような気もするが、その数字は何の数字だろうか。誰かの誕生日かなって思ったところで、あぁ、はいはいアッサム様ね、って思い当たった。後で、アッサム様は当然パスロックをされたことを知って、番号を教えろと迫って来られるはずだ。この数字を知って何を思われるだろう。


 今までとは違って、文字の入力がとてもメンドウなものになってしまったのだけれど、それには慣れていただくしかないし、たぶん、ダージリン様はほとんど文字入力なんて必要とされないはずだ。メールは読むだけで、返信もあんまりされない。必要なことがあれば電話をされるお方なのだ。メールしてくる人だって分かっていて、必要なことだけしかメールをしてこない。ダージリン様のパソコンのメールアドレスはアッサム様が管理されておられるから、戦車道連盟や学院長、学生艦関係者から来るメールは全てアッサム様のメールアドレスに転送されて、アッサム様がお読みになり、必要なものはプリントアウトされて、ダージリン様の元に届けられるシステム。

 何というか、羨ましい身分だ。

「ルクリリ、これは何?」
「これ?」
「この、カメラのマーク」
「いや、まぁ、普通にカメラですよ」
「使い方を教えなさい」
「タップして、白い丸を押すと、シャッターが押されます」

 昔から、分からないのなら触ろうとするなと、鬼の形相でアッサム様に怒られ続けたダージリン様だから、まず触ってみる、と言うことをしないのは、身体に沁みついておられるようだ。ルクリリに言われた通り、ダージリン様はカメラアプリを立ち上げて、なぜか勝手にルクリリを盗撮した。

「……なぜ、私を撮るんですか?」
「シャッターを押せと言ったわ」
「ティーカップでも撮ればいいじゃないですか?」
「それで、撮影したものを確認するのはどれ?」


 そこから、想像以上に綺麗な画質ではっきりと写っていることに気を良くされてしまったダージリン様は、スマホを手に、隊長室をウロウロし始めてしまった。



 子供におもちゃを与えてしまったような気分だ。

 ため息をついたルクリリの姿の360度すべてを被写体にされた。カシャカシャ鳴りまくりだ。


便利な機能 ①

「失礼します」

 情報処理部のグリーン様から、渡しておいてほしいとお願いをされて、ルクリリは有名なメーカーの紙袋に入れられたそれを手に隊長室に向かった。在室の札を確認して中に入ると、1人で隊長椅子に座っておられるダージリン様と目が合う。


「どうしたの、ルクリリ」
「グリーン様から、ダージリン様にお渡しするようにと」
「………あぁ、それね」

 昨日、ダージリン様が昔から使っていた携帯電話をローズヒップが破壊して、ついに最新式の携帯電話に変えざるを得ない状況になってしまった。ダージリン様は最高責任者なのだから、知りたい情報があれば、隣にいる聡明なデータ主義のアッサム様に“調べろ”の一言で、何もかも知識が頭の中に入ってくる。だから、インターネットにいつでも繋いで何でもできる、なんてものは必要とされなかった。通話さえできればいい。簡単なメールさえできればいい。周りがダージリン様のために走ればいい。かろうじてGPS機能の備わっていた携帯電話だったから、アッサム様は何かあれば、それを元にダージリン様を追いかけまわしていらした。

「どうぞ」
「………アッサムはどうしたの?」
「さぁ?ペコとローズヒップを連れて、どこかに行ったんじゃないですか?」

 机の上に置かれた紙袋から、取りあえず箱を取り出したダージリン様は、じっと両手を膝に置いたまま。開こうとされる気配がない。

「あぁ、そう。じゃぁ、待っているしかないわね」
「この電話で呼び出してみたら、どこにいるかわかりますよ」

 ジロっと見上げてくる瞳は、それができるはずないだろうと言わんばかりだ。中学の頃からずっと同じ携帯電話を丁寧に使って、何だったらバッテリーを交換してまでも使っていらしたのだ。目の前にスマホを差し出されたところで、鼻歌歌いながら画面をタッチして、初期設定を簡単にできるほど、機械に強いなんて全く思っていない。アッサム様がタブレットでお読みになっている資料を、隣で紙をペラペラめくっておられる姿は、この部屋では当たり前の風景。取りあえず、紙がお好き、と言うことにしておこう。

「勝手にいじって、後でアッサムに怒られるのは嫌よ」
「嫌って、それはダージリン様の携帯電話ですよ?」
「そうよ、私のもの。でも、私が選んだわけじゃないわ。勝手に選ばれてしまったんだもの。拒否権すらなかったわ」

 何か、とても不満と言いたげな様子。手元のティーカップが空になっているのが見えたので、ルクリリは取りあえず、ご機嫌取りのために、お茶を淹れなおすことにした。ずっと箱を睨み付けたまま、動く気配はない様子。とはいえ、多分、前の携帯電話の番号はそのまま移行されているはずだし、一度封を開けられた痕があるから、グリーン様がそのあたりのデータの移行なんかもちゃんと済ませておられるはず。たぶん、触ってみても大丈夫なんだけれど。


「ありがとう、ルクリリ」
「いえ」
「で?」
「………で?」
「いえ、睨み付けたままでいても仕方がないでしょう?」
「そりゃそうですが」
「で?」
「………で?」

 それは、アッサム様のお仕事じゃないだろうか。ルクリリが余計な事をして、後でアッサム様に怒られたくはない。ダージリン様に怒られるより、アッサム様に怒られる方が嫌だ。  
 昨日、携帯電話を壊されたダージリン様よりも、それを目撃して、そそっかしいことばかりするローズヒップのお尻を叩いていたアッサム様の方が怖かった。目がマジだった。

「この電話は使えるの?」
「グリーン様から渡されたので、たぶん、使えます」
「そう。ルクリリ、箱を開けて」
「………はい」
 
 ここで、嫌ですってキッパリお断りできればいいのだけれど、箱を開けることを嫌と言えば、ものすごい目つきで睨まれるのは想像がつく。仕方なく手を伸ばして、剥がれているテープの場所に親指を突っ込んで、パカッと開けてみた。

「あぁ、やっぱり。あれほど嫌だと言ったのに、アッサムはこれにしたのね」
「………これ、結構人気があって使いやすいものです」
 所謂、スマホと呼ばれるものの中ではかなり普及率が高く、初めての人でも使いやすいと言われているものだ。アッサム様は国内メーカーのものを使われていて、使い熟しておられるはず。でも、それとちょっと違う仕様だけど、基本的な使い方は同じ。インターネットもメールも電話も、あとは好きなアプリを入れて……まぁ、それはしなさそう。いや、出来ないっていうか。
「必要性を感じないと、あれほど言ったのに」
「でも、便利ですよ。音楽を取り入れて持ち歩けて、動画も写真もかなりの枚数保存できて、いつでも迷子になったら、地図アプリを開くこともできます」
 ルクリリはとても楽しいですと、ポケットに入れてある同じ機種のスマホを取り出して、画面を見せてみた。音符のアプリを開いて、お気に入りの曲のタイトルをスクロールしていく。200曲以上入っていても、まだまだ入る。

「音楽?部屋で聴くわよ。動画?目で見て記憶するわ。迷子?事前に調べないで歩くのは、とても愚かなことね。地図を頭の中に入れておかないなんて、そんな愚かな人間はいるの?」


 …………アッサム様、早く帰って来てください。


「まぁ、でも、実際に世の中の沢山の人が使っているわけですし」
「……そうね。通話はすぐにでも使えるようにしたいわ」
 そんなものは、通話ボタンを押せば済む。が、掛ける時にどうするか、それが問題。いや、そんな大げさに言う必要はないけれど、問題は問題なのだ、ダージリン様の場合。
「では、取りあえず、その、お手に取ってください」
 ダージリン様は立ちっぱなしのルクリリに気を使ってくださったのか、ソファーに移動しましょうと箱を手に、部屋の中央のソファーにお座りになられた。

あぁ、何この、逃げられない感じ。



「で?説明書はどこ?」
「ありません」
「なぜ?」
「な、なぜって。それは、その、そんなものがなくても簡単に操作できるからですかね?」
 隣に座れと言われ、ものすごく密着して迫って来られるが、本当に怖い。よく、違う学科の子から、ダージリン様の近くにいるなんてズルいだとか、羨ましいだとか言われるけれど、出来ることなら、それくらい離れたところからキャーキャーって言っている程度の方が、ずっといい。みんな、本質を知らないのだ。目力だけでこんなにも怖い思いを後輩にさせる人、なかなかいない。


「よろしいわ。では、最低限の作法を教えなさい」


 作法ってなんだ、作法って。

「えっと、では、電源を入れてください」
「どれ?」
「これです」
 右上にあるボタンを指さすと、おずおずと両手で持ちあげたダージリン様はボタンをピッと押された。
「長押しです」
「………わかっているわよ」
 いやいや、わかっておられない。だけど、突っ込んでいたら反論がうるさそうなので、取りあえず次なのだ。
「これでいいのね?」
「はい。では、えっと。グリーン様がデータを移動していると思いますので、まず、それがちゃんとされているかどうか、確認をしましょう」
 壁紙なんかも、初期設定のものだがそれを替えるなんて、相当高度な技になりそうだ。ダージリン様に通話のボタンから電話帳を見てください、と告げてタップすべきボタンを指示すると、長押しされた。
「な、何これ」
「えっと、はい。画面のアイコンは長押ししないでください」
 説明がメンドクサイので、取りあえず一度画面を落とし、直ぐに付け直した。何があったか説明をしろって言われても、それだけで陽が暮れそう。
「詳しいことは、アッサム様に聞いてください。今はとにかく、通話ができるようにしましょう」
「………仕方ないわね」
 何か困ったことを聞かれたら、アッサム様に聞けで、通じる気がする。とにかく、タップは長押しせず、強すぎず、弱すぎず。ルクリリはポンと指先で押して見せて、同じように、とお願いした。
「これでいいわね?」
「はい」
 言われた通りの操作をして、電話帳が出てきた。あ行に『アッサム 嵩山保奈美』と入っている。もうこの番号だけあれば、何の問題もないような気がしてきた。
「では、早速通話してみましょうか」
「誰に?」
「その、あ行の一番上の人ですよ」
「そう言えば、あの子まだ帰って来ないの?」
「だったら、電話で呼び出しましょう」
「………なるほどね」
 早速スマホを操作して呼び出したって知ったら、驚くわねって嬉しそうに笑っておられるけれど、ご自分が相当なメカ音痴ですと、清々しいほどに言い切ったって認識されていらっしゃらない。本当に、アッサム様がいないと何もできないんじゃないだろうか、この人。
「では、この通話ボタンを押してください」
「押せば繋がるの?」
「はい。えっと、スピーカーで話されます?」
「それはどういう意味?」
「私にも聞こえますが、耳に電話を当てなくても会話できるんです」
「ふーん。まぁ、いいわ。とりあえず、物は試しね」
 電話口で、愛しているだの好きだの言っても、私に聞こえますよ。なんて言ってあげない。言われるように通話ボタンを押すと、電子音が聞こえてきた。

待っていれば

突然の雨だった。学生艦の進む先に、灰色の雲があると言うことはわかっていた。海の上、雨を全て避けることは出来ないし、学生艦の上にも草木はたくさんあるのだから、それなりに雨は必要だ。だけど、想像よりも早く雨が来てしまった。

「ダージリン様、赤バスに乗って帰りますか?」
「バス停まで濡れてしまうわよ」
「ですが、しばらくは止まないかもしれません」
「大至急の用事もないわ。大丈夫。ゆっくり待てばいいのよ」
「………はぁ」

 ペコはダージリン様と2人で、学校の外にあるアクセサリーのお店に出掛けていた。帰りにお茶菓子でも買いましょうと、焼き菓子のお店に入る数秒前から、雨は地面に水玉模様を作りだした。
硝子に当たる雨音を聞きながら、徒歩で10分ほどを無理に走る必要も、バスに乗る必要もない。ダージリン様は2階にあるティールームで、ゆっくりと雨が止むことを待つと決めたそうだ。お茶菓子を待っているローズヒップ達から、文句が出るような気もするけれど、この雨の中、ダージリン様と走って帰って、買ったクッキーを粉々にするわけにもいかない。

 2階の窓の外から道路を見下ろしながら、温かい紅茶を飲んで雨音が止むのを待った。ちょうどお茶の時間。アッサム様も待っておられるに違いない。

「電話して、遅くなることを伝えておきますか?車で迎えに来てもらいますか?」
「誰に?」
「えっと、アッサム様とかルクリリ達に」
「いらないでしょう」
「そうですか?」
「そんなものに頼らなくてもいいわ」

 ダージリン様はいつも通り、ゆっくりと紅茶を味わっておられる。湿気を排除している空間とはいえ、硝子に当たる雨音や、木々に跳ねる雫は、気持ちいいとは思えない。それでも、ダージリン様を真似して、ペコは少しだけ冷えた紅茶を味わった。口の中に残るわずかな苦味。

 
 ミルクを入れたアッサムティー。
ダージリン様が1日に1度は必ず飲まれる紅茶だ。



「そろそろ来るわ」
「………え?来るって、何がですか?雨は止みそうにありませんよ」
 
 お代わりを注ぎ、雨音に負けそうな音量で流れるクラシックに耳を傾け、雨の風景に飽きてきた頃。ダージリン様が腕時計を確認して呟かれた。

「あら、雨はたぶん、まだ止まないわね」
「じゃぁ、来るって言うのは何を指しているんですか?」
「さぁ、何かしら?」

 

 一度も窓の外を眺めずに、じっと紅茶を味わっておられたダージリン様は、空のカップを静かに置いて、帰ると言う合図のように立ち上がった。

「ダージリン様?」
「行くわよ、ペコ」
「え?行くって、結局バスに乗るんですか?」
「乗らないわ。言ったでしょう?来るって」


 ティールームを降りて、お店の手動ドアを開いた。カウベルが高い音で耳を刺激したけれど、それよりも大きな雨音がすぐに身体に降り注いでくる。小さな赤い屋根に守られただけの2人。一体、どうされるおつもりなのだろう。



「ほらね、来たわ」



 ダージリン様は、とても満足そうな笑みで、横断歩道の向こう側を指さしておられる。
 そこには、レインコートと傘を手にしているアッサム様がおられた。



「お待たせいたしました、ダージリン」
「美味しい紅茶を飲んで待っていたわ、アッサム」
「そうですか。クッキーはちゃんと買ってくださいました?」
「もちろんよ」

 いつ、連絡をされたのだろう。いや、ダージリン様はお出かけになってから一度も携帯電話を手にされたりしなかった。のんびりと待っておられたのは、雨が止むことではなく、迎えに来てくれることを待っておられたのだ。




 アッサム様が来られると。

 
 ダージリン様にはわかっておられたのだ。
必ず、迎えに来ると言うことを。



「ペコ、帰りましょう」
「はい!」


 アッサム様はダージリン様のレインコートとペコのレインコートを持ってきてくださった。ペコはすぐにレインコートを着て、受け取った傘を差す。聖グロのマークの入った青い傘。


「雨もいいものね」


 ダージリン様は、何やら満足気に微笑んでいらっしゃる。アッサム様が来られることは、予測ではなく、確実なことだと考えておられるのは、それは互いに想いあっておられるからだ。


「そうですね。どうせ、迎えに来るまで動くおつもりもなかったでしょう、ダージリン」
「あら、美味しい紅茶を飲んでいただけよ」
「そうですか」

 アッサム様が開いた傘をダージリン様が受け取った。アッサム様は最初から傘は1本しか持ってこられなかった。当たり前の様にアッサム様が濡れないように、雫が肩に落ちぬようにと、ダージリン様は肩の半分を雨に濡らして、気を使われながら、お2人で傘の中に入っておられる。

 ペコは自分が代わるなんて、とても言えるような空気じゃないと思って、黙って2人の後を追いかけた。
そう言えば、ダージリン様はアクセサリーのお店で黒い髪用のリボンを買っておられた。明日の朝、きっとアッサム様の髪をまとめておられる黒いリボンはマイナーチェンジされることだろう。

「ペコ、水たまりに気を付けなさい」
「はい、ダージリン様」
 お2人で刻む1つになった足音。ピチャピチャとアスファルトを鳴らす。


 せめてその音の邪魔にならないように、ペコは少しだけ距離を開けて歩いた。





希うものは、あなたのすべて

「アッサム」
「はい」

 訓練中に感じたわずかな違和感。本当にわずかだった。射撃訓練を続けている最中、ダージリンの“発射”という指示にアッサムが応えるその1秒にも満たない瞬間、本当にわずかなタイミングがいつもと違う。それは瞬き程の時間。だけど、2年程ずっと同じチャーチルで鍛錬を積んできた同志なのだ。違うと言うことは確か。
お互いの呼吸のわずかな差でも、いつもと違えば気になって仕方がない。

「どうしたの、今日」
「はい?」
「何か、気に病むことでもあって?いつもの訓練とは違ったわ」
「……いいえ?」

 訓練終了後、車庫から出てきたアッサムに声を掛けると、キョトンとした表情が返ってきた。傍にいたペコも不思議そうに首をかしげている。

「そう?勘違いかしら」
「私はいつもと変わりませんでしたが、何か気になりました?」
「えぇ、少し。……いいわ。忘れて頂戴」

 気のせいだなんて、少しも思ったりしていないが、言えない事情があるのだろう。言いたくないことなのかもしれない。隊長職をこなし、アッサムに副隊長を任せるようになってから、2人とも多くの仕事を抱えて走り回っている。お互いの疲れが多少影響しているのだろうか。
アッサムは、気を使わせることをダージリンにさせたくはないのだろう。だけど、ダージリンからしてみれば、本当はそれが気に食わないのだ。
 整列をした隊員に、2,3つ注意事項を申し伝えた後、そのまま解散になった。シャワーを浴びて、隊長室でお茶を飲みながら、車長達から上がってくるレポートを待ち、明日の訓練内容を確認して1日が終わる。自然な流れで3年生が使用するシャワールームに向かい、クラスメイトと他愛ないことを話しながら、それぞれが次にするべきことのためにバラバラになっていく。いつもの通りだ。たいてい、アッサムは当たり前のようにダージリンの傍にいて、2人で揃って隊長室に向かうのが慣れた空気。

「あら?アッサムは?」
 シャワーを浴びて脱衣所には、姿がなかった。入っていく時はクラスメイト達と話しているアッサムの姿が見えていた。まだ、シャワーを浴びているのだろうか。
「先に出ましたわ。何か、忘れ物をしたとかって」
「………そう」
 シナモンは取り繕うように、無理やりの笑みをダージリンに見せてきた。何か適当にごまかして、とでも言われたのだろう。
「医務室?寮?病院?どこへ行ったの?怪我?それとも体調が悪いのかしら?」
 鎌をかけただけだ。アッサムの体調が悪いと言う風にも見えなかった。何か悩み事でもある、その程度のことだと思っていた。だから、とても気まずそうに作り笑顔を消すシナモンの表情は、アッサム自身に問題を抱えているのだと伝えてきて。

自分に腹が立った。

「えっと………大したことじゃないそうなのですが」
「何なの?言いなさい」
「爪が剥がれてしまって……さっき、グローブを外したら、出血がひどかったみたいです」
 大したことかどうかは、医者が決めることだ。隠せないと悟ったシナモンから医務室に行ったと告げられて、ダージリンは走ってシャワールームを飛び出した。





 医務室に入ると、アッサムが自分で右手の爪に消毒液を掛けて、処置をしている姿が飛び込んできた。
「………ダージリン」
「アッサム。さっき、どうして嘘を吐いたの?」
「特に気に掛けてもらうことでもありませんもの」
 丁寧に消毒をしている人差し指の爪の先。それを隠すように背中を向けようとしたから、ぐっと肩を掴んだ。
「アッサム」
「……どうしました、怖い顔して」
 怪訝な顔で見上げてくる様子は、心配していると言うことが、まるでわかっていない様子。いや、心配などいらないと言うのを、遠まわしに伝えてきているのかも知れない。
痛いとも辛いとも言わず。何事もなかったように。


腹立たしいのだ。何もかもが腹立たしい。
腹を立てている自分自身にイライラする。


「アッサムは、私が嫌いなのかしら?」
「…………ダージリン、またですか?」
「ずっといつも傍にいたわ。1年の頃から、ずっとよ。それでも、私に大事なことを言ってくれないのね。それはなぜなの?」
 肩を揺さぶり、腹立たしさが抑えきれなくて。苛立ちをすべてアッサムにぶつけるしか術がない。子供じみていると思う。でも、きっとこうやって、いつでもアッサムは、何もダージリンが知らない間にすべて抱え込んで、勝手になかったことにしているのかも知れない。その可能性を考えると、どうしようもなく腹立たしかった。


 心を開く相手ではないと、そう思わせていることが。


「…………あなたは私が嫌いなの?」
「ダージリン?」
「嫌いだから、相手をしたくないから、適当に嘘を吐いて距離を開けようとしているの?私たちはそんな関係だったかしら?」
 
見上げてくる瞳が、ゆっくりと逸らされる。
落とされた視線の先には、まだ血の色が見える指先。


壁に置かれている電波時計が秒針のリズムを刻む音。
肩を掴んだ手は勝手に震えて出した。


「…………私がダージリンを嫌うはずありません。何度も言っています」
「私のことは好き?」
「えぇ」
 離してくださいと告げられて、震える両手をどける。まだガーゼも巻いていない爪をかばうように、アッサムはまた、背中を向けてしまった。
「アッサム」
「………少し待ってください。処置をしたいので」
 チャーチルの中でもいつも、彼女の背中を見つめている。わずかな違いはすぐにわかる。それでも隠されてしまう。シナモンを脅さなければ、きっと何事もなくやり過ごそうとしていたに違いない。隠し通せるところまで、貫こうとしただろう。
 向けられた背中。髪を撫でて、出来る限り優しく、それでも力を入れて抱きしめた。カチャカチャと動作は続いて、片手で包帯を巻こうとするので、それすらこの距離にいるダージリンに助けを求めてくれないことが、腹立たしく、悲しくなってくる。
「貸して」
「………すみません」
「なぜ、謝るの?」
「………いえ」
「私たちは、互いに大切な存在ではないの?」
 きつくならないように包帯を巻くと、アッサムはその右手をかばうように左手で抱きしめて俯いた。何も話をしたくないと言う態度。目を逸らしたまま、何を考えているのかを伝えようとしてくれない。
「………ダージリンはこの学生艦の責任者であり、隊長です」
「それが何?」
「…………迷惑を掛けることも、心配させてしまうことも、私は望んでいません」
「一人の親友として、心配することすらさせてくれないと言うの?」

 包帯をなぞる指先。逸らした視線をダージリンに向けたくないと、強く願っているように見える瞳。なぜなのか、分からない。




「アッサム」

 横を向いて拒絶する、その頬を両手で包み、強引に唇を押し当てる。何度もこうして、唇を押し当てた。

好きだと。
何度も告げた。
無理にでも欲しいと、何度もこうして拒絶する唇を求めてきた。

微かなまつ毛の震える気配も、静寂の中に響く怒りも、絶望のような想いも、すべて身体に受け止めた。


 嫌いと、本当に嫌いだと。告げてくれるのならば。


「…………いつも、そうやって身勝手ですのね」
「好きだもの」
「………親友だと言うのなら、そういう接し方をしてください」
「親友でもあるけれど、私が好きな相手よ」


 痛む指をかばい、左の手の甲で濡れる唇を拭いながら。
アッサムはいつものように、本気で逃げず、本気でダージリンを押し返したりもしない。


唇に感じない拒絶


とても虚しい。



「もうよろしいでしょうか?今から少し、情報処理部と打ち合わせがありますの」
「…………あなたが好きよ」
「何度も聞いています」
「私のこと、好きなのでしょう?」
「嫌う理由はありませんわ」
 淡々と答えて、唇を何度も拭いながらアッサムは、誰にでも見せるような笑みを向けてくる。いつもそう。頬をひっぱたいて嫌だと喚けばいいのにって思う。

 最初に唇を押し付けた時もそうだった。
拒絶されて、諦めたかったから。

「…………何度も言うけれど、嫌いと言われてしまえば、諦めが付くわ」
「どうぞ、私のことなどお気になさらず。私が欲しいものは、ダージリンからの好意でも、心配でも、気遣いでもありません」
「じゃぁ、何が欲しいと言うの?」
 
 ダージリンから逃れて、立ち上がり、血を拭ったガーゼや消毒液をしまいながら、アッサムの背中は何も伝えてはくれない。

 何度こんなことを繰り返しても、2人の関係はずっとずっと一方的に感情をぶつけるだけだ。


「……何でしょうか。私にもわかりませんわ」
 血に染まるガーゼが足元のゴミ箱に捨てられて、柔らかな拒絶を抱きしめたまま傍から離れて行く。追いかけて、何度も好きだとわめいても、また、同じ言葉を繰り返される。



「…………わからないと言うことは、とても苦しいことね」


 決定的に振られたと、言い切れないアッサムの態度が、何を求めているのか。


 わからない限り、何度でも繰り返すしかない。

 その心の奥にある答えをどう、求めればいいのだろう。


月明かり

「外に行くわよ」
「………え、あ、はい」

 夕食後、部屋でいつもの様にお茶をと思って寮へと歩みを進めるより早く、ダージリンに腕を取られて学校の外に出た。


 どこへ向かおうとしているのかはわからない。
 足元を照らす街灯は同じ歩幅を数えるたびに現れて。
 そのたびにダージリンは、夜空を見上げて何かを確認している。


 そう言えば今日は、中秋の名月だ。月を観に行こうと誘わずに同じ歩幅で歩む彼女の隣。
 きっと、真っ暗な場所を求めているのだろう。
 アッサムは掴まれた腕を解いて、今度はその手を取り、暗闇の場所へと誘った。

 石畳が続き、学校裏にある公園。秋の始まりに吹く潮風と、定期的に耳に届く海水の跳ねる音。
 握りしめた手を引いて、眩しいほどの月明かりだけを頼りに、ベンチに腰を下ろした。


 桜が咲けば、夜桜を。
 薔薇が咲けば、夜の薔薇公園に。
 ひまわりが咲き乱れたら、後輩たちと。
 天の川を見上げては、ひそやかに指を絡め。
 モミの木を綺麗に飾る季節は、想いをプレゼントに込めて。
 チューリップが芽を見せる頃、彼女のポケットで手を温める。


 春も夏も秋も冬も、廻る季節をすべて、この船の上で彼女と過ごす。
 そうやって季節を感じることを、彼女はとても大事にしている。
 そしてその大事にしていることの傍に、アッサムを置いてくれる。その時を共に生きている。


「今年も月がとても綺麗ね、アッサム」
「眩しいくらいですわ」
「あなたも、とても月が綺麗だと思うでしょう?」
「はい」

 ゆっくりとこの船が月の輝きを求め進む、先に待っている季節、その場所にダージリンがいる。
 繰り返される日々は、二度と同じ日など訪れない。

 ただ、待ちわびるだけだ。


 そのことがどれほど、幸せなことかだなんて、伝わらなくてもいい。


「来年も、月が綺麗だといいですね、ダージリン」
「あら、とても綺麗なはずよ」
「この学生艦ではない場所でも、月は綺麗ですか?」
「当たり前よ。あなたと見上げる月は、どんな場所でも、たとえ満月じゃなくても、とても綺麗に見えてしまうのだから」
「そうですね」


 背中をなぞるように、指に髪を絡めて抱き寄せられた。
 彼女の肩によりかかり、同じ月を見上げる。


 星の光も敵わない程の月の光。
 柔く白い光が身体を包み、じっとアッサムを見つめてくる。
 


 あぁ、とても月が綺麗。


右手と左頬 END

誰も、声を出さなかった。電車を降りて止めていた車に乗り込んで、オレンジペコの運転で制限速度を守って学生艦のブリッジへ向かった。ダージリンとアッサムの間に挟まれて座っているローズヒップは、頬を腫らしたまま。それでも泣き止んでいる。
 5人揃って船長に頭を下げ出港させた後、1年生を隊長室に待機させて、アッサムと2人で学院長のところに謝罪に行き、更に住民代表の方にも謝罪に出向いた。出港が遅れたために、沖合で待機していた輸入船の代表にも電話で謝罪をし、陽が完全に暮れるまで、出来る範囲の謝罪をし続けた。

「ペコ、紅茶を淹れて」
「はい、アッサム様」
「ルクリリ、もういいわ。ソファーに座りなさい」
「はい」
「………ローズヒップ」

 ダージリンたちが隊長室で、あちこち電話を掛けている間、1年生3人は板張りの床に正座をしてじっとしていた。ダージリンもアッサムもやめなさいと言わずに、電話が落ち着くまで、放っておいた。彼女たちなりの反省の態度だ。のんきに紅茶を飲んでいるような子なら、ダージリンたちの見る目がないと、諦めもつく。

「はい、アッサム様」
「………ほら、いらっしゃい」
 外が完全に暗くなった頃、電話も落ち着いてやっとひと段落ついた。アッサムはソファーから立ち上がり、両手を広げている。


「アッサム様~~~!!!」


 痺れた足を絡ませるように立ち上がったローズヒップは、アッサムに縋り付くように抱き付いた。

あの広げられた両手の温もりをダージリンは味わうのは、もう少し後になりそうだ。

「本当に馬鹿なんだから」
「ごめんなさいですわ」
「あなたはしばらく船から降ろさないわ」
「はいですわ」
「陸地練習も、あなたは整備科と船で待機よ」
「はいですわ」
「………本当、馬鹿なんだから」
「アッサム様~~」
「本気で叩いて悪かったわ」

 数時間が経過して、腫れも引いた頬。真っ赤に腫れあがっていたのだ。どれだけ本気だったのかはわかる。後輩たちを溺愛しているアッサムだから、心配で仕方がなかったのだろう。

「どうぞ、ダージリン様」
「ありがとう、ペコ」
「今日、お会いしたお姉さま方は、2つ上のOGですか?」
「そうよ。今度、改めて謝りに行きましょう」
「はい」

 ルクリリとローズヒップに挟まれて座るアッサムから、やっと楽しそうな笑みがこぼれた。

謝り続けて疲れ切った喉に、温かいダージリンの味が広がる。
 たぶんダージリンが守りたいと思ったのは、アッサムの笑顔なのだ。後輩に何かあれば、アッサムを苦しませてしまう。そんな状況に追い詰めたくはない。


「………ローズヒップ」


「は、はい!何でございましょうか、ダージリン様」

 アッサムにしがみつくように甘えていたローズヒップは、即座に反応して隊長机にぶつかる勢いで近づいてきた。

「次にアッサムを怒らせるようなことがあれば、私がぶん殴るから」
「………は、はい!も、も、もう迷子になりませんわ!!!」
「紅茶を飲んだら、夕食に行きなさい。3人揃って食堂に行って、その場にいる生徒に頭を下げておくように」
「はいっ!」
 ルクリリもペコも勢いよく紅茶を飲み干すと、7時を回った時計を見て、慌てて隊長室を出て行った。





 夕食を食べる気力もわかず、寮へ戻った。ダージリンの手を取って部屋に入り、胃の痛みを吐き出すような溜息を吐く。とにかく横になりたくて、制服のままベッドに身体を預けた。ダージリンもすぐ隣に寄り添うように寝転がり、アッサムの身体を抱きしめてくれる。

「さっきね、生徒に病院まで付き添ってもらったという、お年を召した女性の方から電話があったわ」
「………そうですか」
「杖をついていて心配だからって、目的地まで付き添ってくれたそうよ。とてもありがたかった、と」
「………そうですか」
「優しい子だった、と」
「……そうですか」
「感想は?」
「疲れましたわ」
「そうね」
「まだ、動きたくありません」
「えぇ、そうね」

 縋るようにダージリンの胸に顔を埋める。
ホッとするダージリンの体温。
このまま気を失ってしまいたい。



「大丈夫、アッサム?」
「………大丈夫じゃありませんわ」
「あの子を叩いた右手が痛い?」
「……そうですわね」


顔を上げてキスをねだった。
あちこちに謝罪をし続けた唇は温かい。
頭を撫でてくれている手の温もり。
キリキリと痛んだ胃の痛みが消えて行く。


「せっかくお姉さまたちと楽しくランチしていたのに」
「そうね。できればもっといいタイミングで、ペコたちを会わせたかったわね」
「………仕方ありませんわ。私たちの失態ですもの」

 お腹は空いているが、とても立ち上がれそうにない。ダージリンで満たされるものだけで身体を癒すにはこと足りそうな気もする。いつも、朝から晩までほとんど傍にいるけれど、こうやって身体が触れる時間は部屋にいるときくらいだ。外で手を繋ぐこともしなくなった。今はローズヒップ達の手を握りしめていることの方がずっと多い。だから、この瞬間だけがアッサムの癒しなのだ。愛らしい1年生たちの笑顔は見ていて幸せだとは思う。だけど、ダージリンじゃなければ、ダメなのだ。

「アッサム」
「ん……」
 疲れた身体にダージリンの温もりがのしかかってくる。その身体を受け止めて、首筋を這う唇にため息を飲み込んだ。
「そう言えば、聖那さまがダージリンはまだヘタレなのかって、聞いてこられたわ」
 思い切りローズヒップの頬を叩いた右の手のひらに重なる、ダージリンの左手。指を絡めてきつく握りしめてくる。
「触らせてくれないのは、アッサムでしょう?」
「……それはそうですけれど」
「私の左頬は、何度ローズヒップと同じ目に遭ったかしら?」
 言いながら、セーターの上から胸に触れる右手。アッサムは押し返すことも、その甲をつねることもせずに、されるがままだ。何となく、今日は嫌と言う気持ちが持てない。
「………ちゃんと手加減していますわ」
「そう?もう少しだけ、触れていてもいい?」
「………はい」
 隊長として、あちこち謝罪に走ったのだ。かなり疲れ切っているだろう。それでも、いや、だからこそアッサムに触れて気持ちいいと思ってくれるのならば、嫌だと思うはずもない。「どさくさに紛れて、何をしていますの?」
「愛情を表現しているのよ」
「叩かれたいんですの?」
セーターをまくり、シャツの中に右手を入れて、フロントホックに手を掛けたダージリンは、アッサムの右手を握りしめて、張り手を封じたままだ。
「次に聖那さまにお会いした時は、ヘタレと言われたくないのよ」
「………うちは問題児が多すぎですわ」
 乳房に触れてくる温かい手のひら。今まで、触らせることを許してこなかったのは、どっちが悪いのだろう。キスを交わして、縋るように乳房に触れる背中を抱きしめた。セーターを脱がされ、シャツのボタンもすべて外されて抱き付いてくる。もう、嫌だとか恥ずかしいだとか、文句を言う元気が残っていない。

人の頬を叩くのは1日1度、1人限り。

明日の朝まで、ダージリンの頬を叩くのはお預けだ。


 


右手と左頬 ⑤

「……何があったの?」


 アッサムからの電話は、早速、振込みの日を指定してくるのかと思ったが、いきなり、『助けてお姉さま』、だった。
『1年生が迷子ですの。もうそろそろ、出港の時間ですが、電車に乗ったままどこにいるのかわからなくて』
「……携帯電話は?」
『充電切れですわ』
「それで?」
『東京方面へ向かう電車におそらく乗ったのだと思います。GPSが線路上で途切れていますわ』
 聖那と愛奈と3人で東京へと帰る途中、渋滞に捕まって車は前に進みそうにない。何事なのかと聖那が携帯電話を奪い、スピーカー設定にした。
「探すのを手伝えというの?」
『はい。私たちは二手に分かれます。こちらの駅と最寄りの本来の待ち合わせ場所では、駅員さんや店員さんたちにお願いをして、聖グロの青い制服が通ったら、捕まえて連絡をして欲しいと伝えています。今、グリーンとシナモンに指示を出して、1つ1つの駅に電話をして、聖グロの生徒を見かけたら、捕まえて、学校に電話して欲しいとお願いしてもらっています』
 アッサムの焦っている声を聞きながら、愛奈が腕時計を見つめている。聖グロは気候の影響以外で学生艦の出港を遅らせたことは一度もない。ましてや、副隊長が出港時間に外にいるなんて。OG会に知れ渡れば、とんでもない騒ぎになるに違いない。とはいっても、麗奈もすでにOG会のメンバーだけど。
「アッサム、もう時間よ。あなたは陸にとどまっていいから、とりあえず船を出港させなさい。この後は輸送船の入港なのよ。妨げになると、違約金を払わなければならなくなるわ」
『分かっています。ですが、出港は出来ません』
「どういうこと?」
『ダージリンも陸に降りて探しています』
「何ですって?あの馬鹿はまったく……」
 愛奈は渋滞を離れて車を停車させるように運転手に命じた。グリーンに電話をして、目撃情報の確認を急がしているようだ。情報処理部全員で、人手が足りないなら、戦車道の3年生をこき使ってもいいから、駅での目撃情報を集めるように命令している。横浜から東京方面の駅以外、反対方向の駅もすべて網羅させて、別の鉄道会社まで念のために連絡を取るように指示を出している。アッサムが頼っているのは、きっと麗奈ではない。
「私たちが闇雲に探しても仕方がないわ。どこかのタイミングで、その子から連絡が来るのを待っていた方が賢明よ」
『それはわかっています。でも、じっとしているわけにはいきません。ローズヒップを1人にしておけませんし』
 どうやら、ティーネームを授けている1年生のようだ。聖那がクルセイダーのティーネームだって呟いている。
「ティーネームはく奪ね」
 言いながら、愛奈は車を降りて、携帯電話を手にして歩き始めた。聖那も後を追いかける。一番近くの駅へと、小走りで向かっているようだ。
「アッサム。私じゃなくて、オレンジペコ様の方が頼りになるみたいよ」
『愛奈さま?ちょっと怖いですわ』
「アッサムは電車に乗ったの?」
『はい。ダージリンは横浜の駅周辺をずっと探しています。戻ってくる可能性もありますし』
 電車が動くからと、一度電話が切られた。麗奈たちの方が、迷子の充電が途切れた時にいたと言う駅には近いようだ。





『ダージリン』
「………愛菜さま」
『あなたを隊長に推したのは麗奈だから、悪いのは麗奈だと思う』
 声はとても穏やかだった、その落ち着いた声を聞いただけで、ローズヒップの居場所がわかったのだと思った。
「悪いのは私です」
『ローズヒップと言う子のGPSが復活したわ。アッサムの傍にいる子に電話が入って、取りあえず、絶対にその場所を一歩たりとも動くな、と。動いたら学校から追放させるとアッサムが怒鳴り散らして、迎えに行っているわ。距離的には、私たちの方が先に付くと思うけれど』
 愛奈さまは横浜から特急が止まる東京の駅の名前を告げられた。その場所の改札を出た近くのコンビニで、駅員さんが聖グロの制服の少女を見かけて、声を掛けてくださったそうだ。携帯電話用のバッテリーを買ったらしい。
「ありがとうございます。首根っこを捕まえて、グーで殴っておいてください」
 ダージリンはペコの手を取ってすぐに特急に乗った。電車は苦手だ。船の中とは違って、人も多く、出口を間違えると自分の居場所がわからなくなってしまう。ローズヒップの肩を持つ気はさらさらないが、陸地にいる時は、それだけ、注意深くしなければならないのだ。
「OGの方が見つけてくださったんですか?」
「探すのを手伝ってもらっていたの。愛菜さまからの命令で情報処理部とうちのクラスメイト総出で、1駅1駅、電話を掛けて目撃情報をあらっていたそうよ」
「……うわぁ。迷惑な学校って思われていそうですね」
 手を繋いでいるオレンジペコと電車に揺られながら、目まぐるしく動く景色で気持ち悪くならないように、ダージリンは目を閉じた。ローズヒップと無事に会えたら、どんな言葉を掛けようか。いや、まずはお姉さま方に土下座をしなければならない。そして、迷惑をかけた鉄道会社の人たちにも頭を下げに行かなければならない。船長、学院長、グリーンや3年生のクラスメイト、学生艦の住民代表、とにかくあちこちに頭を下げに行かなければ。
「大丈夫ですか、ダージリン様?」
「えぇ」
 考えながら思わずため息を漏らすと、ぎゅっと握りしめている手に圧力が加わった。
「ローズヒップの迷子は、私たちのせいです。私はどんな罰も受けます」
「………そうね。連帯責任ね」
 真っ直ぐ見上げてくるペコの赤くなった瞳。頭の中に並ぶ沢山の鬼の形相の中で、ホッとできる天使のようだ。もう2度と、ローズヒップを迷子にさせることもないだろう。ルクリリも合わせて3人、苦い思いを経験して、成長してもらうしかない。






「あなたがローズヒップ?」
 いつになく落ち着いて低い声で、聖那が赤毛の聖グロの制服の少女に声をかけた。駅長室前に泣きながら立ちつくしている少女は名前を呼ばれて、眉をハの字にして聖那たちをゆっくりと確認した。
「ど、どなたですか?」
「あなたのクラスメイトの、バニラの姉よ」
「バニラのお姉さんですか?」
「そう。2年前に副隊長をしていた、あなたの先輩です」
「げっ………マジですの?」
 狼狽えながらぽろぽろと涙をこぼして、落ち着きがない。絶対に動くなというアッサムからの命令を守ろうとしているのだろう。涙をぬぐうことなく、困り果てた様子をみて、麗奈はただただ呆れるだけだった。
「グリーンが言っていたやんちゃな子って、この子のことね」
「あわわわわっ!!!」
 愛菜が黒いネクタイを掴んでぐっと持ち上げる。慌てふためいているけれど、人目の付くところで殴るのは、勘弁してあげて欲しい。今度は麗奈がさらに上のOGから何か言われてしまう。
「……でしょうね」
「あなた、もうティーネームをはく奪されると思うわよ」
 カツアゲしているようだわ。腕を組みながら、麗奈は愛菜が後輩の胸倉を掴んで揺らしているのを眺めていた。
「って言うか、私がアッサムにティーネームはく奪を命令する。こんな迷惑な子にローズヒップお姉さまと同じティーネームを付けるなんて、信じられない」
「………クロムウェルを大破させた聖那が言うの?」
「麗奈、うるさい」

 “ごめんなさいです”をひたすら言い続けながら、泣く1年生。
小さい子を虐めている大人3人。
…………悪いのは1年生なのだけど。

「学生艦の出港を遅らせたのよ。ダージリンとアッサムがどれだけの責任を負わされるか、あなたは分かっているの?始末書1枚で済むようなことじゃないのよ?」
「そうよ。クルセイダー部隊のティーネームを授かる子の失態なんて、恥さらしもいいところだわ」
 
 麗奈の携帯電話が鳴った。アッサムだ。電車を降りて改札に上がってきている様子。人混みの中、青い制服が2人見えてきて、電話をしながら手を振って見せた。


「ローズヒップ!!!」
「アッサム様~~~!!ルクリリ~!!」


 改札から出てきたアッサムは、麗奈ではなくて脅されているローズヒップしか見えていない。
「アッサム様~~!!!」

 愛菜の手から逃れたローズヒップは、奇跡の再会のごとく嬉しそうにアッサムに手を広げながら走り出した。まるで映画のワンシーンのよう。



「馬鹿!!!!!」



抱きしめ合う先輩と後輩を見せつけられるのかと思ったが、アッサムの右手が勢いよくローズヒップの左頬を打った。渾身の力を込められて、高い音がパチンと響き渡る。


「あなたって子はいつもいつも!!!落ち着いて周りを見て行動しろと、何度言えば分かるの?!!」


 愛菜とは比べ物にならない程、アッサムは両手で胸倉を掴んで激しく揺らした。
「アッサム様、少し落ち着いてください」
 傍にいた生徒が慌てて間に入って止めに掛かる。周りの人の目がすべてこちらに向けられている。頬を真っ赤に腫らして泣いて謝る1年生に、怒鳴り散らしているアッサム。
止めたのは、さっきホテルの前にいた1年生だ。ルクリリと言うらしい。と言うことは、将来的に隊長はこの子だろう。

「どれだけ心配したと思っているの、この馬鹿!!」
「ごめんなさいです、アッサム様~~!ごめんなさいです……」

愛菜も聖那もアッサムの本気の怒りを初めて見たせいで、少々面食らっているようだ。もちろん、麗奈もここまでアッサムが声を張り上げる姿なんて見たことがなかった。ちょっと面白いとさえ思ってしまう程。

「申し訳ございませんでした、お姉さま方」
「申し訳ございませんでした」
「………ご、ごめんなさいでした」

 短い髪を掴んで、押し付けるように麗奈たちに向けて頭を下げさせたアッサムは、自らも床に擦り付けるほど頭を下げた。おさげの1年生も深く頭を下げている。

「アッサム」
「ローズヒップ!!」

 ダージリンの声が近づいてきた。振り返った愛菜が小さく手を上げると、すぐに状況を確認したようだ。

「ご迷惑をおかけしました、お姉さま方」
「申し訳ございませんでした!!」

 深く一礼をしたダージリン。傍にいる1年生は、おさげの1年生とホテル前にいた子だ。
きっと仲良し1年生3人組、と言ったところなのだろう。

「ペコ、グリーンに連絡をして、出港の準備をすすめるように指示を。ブリッジで待機をさせて。直接向かうわ」
「はい」
 オレンジペコのティーネームに、愛菜が反応を示した。まじまじと姿を確認している。テキパキと電話をして、自分たちの居場所や、帰るまでの予想時間などを報告している姿。ダージリンがこの小さい子のティーネームをオレンジペコにしたのは、間違いなく愛菜の影響だ。
「愛菜さま、ありがとうございました」
「いいえ。とにかくすぐに戻りなさい。OG会は麗奈に対応させるわ。鉄道会社への謝罪とお礼も、私たちがしておくから」
「ありがとうございます」
 ダージリンは愛菜に一礼をして、聖那と麗奈にも一礼をすると、泣きじゃくっているローズヒップの肩を叩いた。OG会はクルセイダー部隊の生徒なのだから、聖那に対応させなければならない。麗奈は嫌だ。ルクリリお姉さまが今年のOG会の幹事だから、多分、まぁ、何とかなるだろう。

「ローズヒップ。アッサムに叱られた?」
 泣き腫らしている瞳よりも赤い、左の頬。叩いたアッサムは口を真一文字にしたままだ。
「………はいですわ」
「そう。私たちは、あなたを見捨てたりしないわ。学生艦に戻るわよ」
「ごめんなさいです、ダージリン様」
 ダージリンから安堵の溜息が漏れて、アッサムもその様子を見守り、苛立ちを沈めたようだ。
「アッサム」
「はい、お姉さま」
「しっかり副隊長としてなすべきことをしなさい」
「はい」
「あなたがその子のティーネームを授けたのでしょう?あなたが責任を負いなさい」
 アッサムもダージリンも、きっとこの子のティーネームをはく奪するようなことはしないだろう。誰に何を言われても、きっと必ず守る。そんな気がする。不服そうな聖那も、必死に探していた二人を見てしまえば、声高にはく奪だと言えない空気だと読んでいる。
「はい。では、ダージリンと私のティーネームを授けたアールグレイお姉さま、陸地での面倒事はお願いいたします」
 ダージリンを見て頷いたアッサムは、ローズヒップの背中を押して、改めて頭を下げさせた。
「あらやだ、アッサムったら生意気!」
「……まったく、誰がしつけたのかしら」
 愛菜は麗奈を睨んでくるが、躾は愛菜がしていたのだ。麗奈はアッサムを可愛がっていただけだ。特に何もしていない。
「落ち着いたら、電話しますわ」
「えぇ。とにかく迷惑をかけた方にはきちんと謝罪しなさい」
「はい」


 ダージリンは小さいペコと手を繋ぎ、アッサムはローズヒップの腕を掴み、ルクリリと寄り添うように、改札を抜けて階段を下りて行った。



「…………さっきから、ずっと携帯電話が鳴りっぱなしなのよ」
 愛菜の携帯電話を鳴らすなんて、ルクリリお姉さまに決まっている。麗奈に掛けても無駄ってわかっておられるからだ。
「あらやだ、ルクリリお姉さまじゃない?」
「………聖那、あなた電話に出て」
「嫌」
「クルセイダーの子でしょう?」
 耳を塞ぎながら、聖那はイヤイヤと逃げて行く。麗奈は鳴りっぱなしの携帯電話を押し付けられても、絶対に手のひらを見せたりしなかった。



右手と左頬 ④

「だーかーらーーー!!1階のサービスカウンターだってば!」
『ですから!私は今、サービスカウンターっていう所にいますわ!!』
 さっきから、どうにもローズヒップと話がかみ合わない。待ち合わせ時間からもう40分が過ぎたと言うのに、まったくもって、姿が見えない。電話をしても、ちゃんといるって言っているけれど、この大きな建物の1階にはサービスカウンターがいくつあるんだか。
「まさかと思いますが、全然違う建物にいるなんてことは?」
「ショッピングモールのサービスカウンターなんて、この辺りに1つしかないでしょ」
「うーん、そうですよね」
 ペコは円柱のサービスカウンターを5周くらいしているが、全然ローズヒップの気配がない。
「ローズヒップ、一番近いお店の名前を読み上げてみろ!お店の名前だからね!」
『お店?えーーっとドトールですわ』
ペコはモール内の案内図を開いて、ドトールを探し始める。指先は1階には止まらなかった。当たり前だ。ルクリリたちのみている景色の中にコーヒーの香りなんて存在していない。
「あれ?ドトールは3階にあります」
「馬鹿め。ローズヒップ、そこから一歩も動くな」
『了解ですわ~』
 のんきなやつ。入学したばかりの頃も、学生艦の中で何度か迷子になっていた。地図を読めないのか、読まないのか。なんで成績がいいのか分からない。
 いくつもあるエスカレーターの一番近いもので3階に向かい、割と距離の離れたドトールに辿り着いた。青い制服の姿はどこにもない。
「動くなって言ったじゃん!」
「変ですね、ローズヒップはサービスカウンターの前にいると言っていたのに、この辺りにはそんなものはありませんよ」
 もう一度案内図を広げて、今いる位置を指さしたペコ。ローズヒップは確かに、サービスカウンターと言うものが見えていると言っていた。
「何、この巨大な施設にはドトールって言う名前のお店が2つあるとでも?」
「コーヒーのお店、とは言っていませんでしたしね」
 携帯電話の履歴からローズヒップを呼び出した。2コールで繋がった、
『ルクリリ、どこですの?』
「ローズヒップこそ、どこにいる?」
『一歩も動いていませんわ』
「あんた、コーヒーのドトールの前にいるの?」
『もっちろんですわよ』
 なんでそんな、偉そうないい方をされなければならない。自分が迷子だってわかっていないのだろうか。ペコが携帯電話でお店の支店がこのあたりにいくつあるのかを調べ始めた。もはや、このショッピングモールにいない可能性がある、と判断したらしい。
「………まさか、駅を挟んで向こう側にいるんじゃ」
「ローズヒップ、サービスカウンターにお姉さんは座ってる?」
『座ってますわ』
「ローズヒップがいる建物の名前を教えてもらって」
『了解ですわ』
2分ほど待っていると、ペコが想像した通り、それは駅と隣接されているビルの名前だ。歩いて10分以上かかるが、一応は一直線に繋がっている。モールから出たとは気が付かずに歩いて、1階のサービスカウンターと言うものを見つけたのだろう。何というか、ローズヒップは周囲を確認しようとしないところがあるから、納得してしまう。
「………迎えに行こう、ペコ。こっちに帰ってこいって言っている間に、また迷子になられたら困る」
「そうですね。お腹空きましたし、学生艦に戻る時間も迫ってきています」
 電話で、15分くらいで行けるから、動かないようにと伝えて、直ぐにエスカレーターで1階に降りた。一度外に出て駅を突き進み、別の建物へと向かう。普通この道を歩けば、ショッピングモールから出たってわかるはずなのに。周りを観ないから、いつも訓練中に衝突事故ばかり起こすのだ。
「あーぁ、ダージリン様たちは美味しいものを優雅に食べているんだろうな」
「そうですね。でも、アールグレイお姉さまがおられると言うことは、結構緊張の時間だったりするかも」
「うーん。準優勝した人だからね」
「多額の寄付を頂いているんですよ」
 しゃべりながら歩いて、大きくサービスカウンターと言う文字が書かれてある机と、すぐ傍にあるコーヒーショップを見つけた。ローズヒップはいない。
「お腹空いたからって、どこかで買い食いしてんじゃないの?」
 到着したことを伝えようと、携帯電話を手にすると、メールが届いていた。


“迷子らしいおばあさまを、ちょっと駅まで送ってきます”



迷子が迷子の手を引いて、あの馬鹿はどこへ消えたのだろう。




「どう考えても、あの場所から駅への道は1本しかないですよ」
 20分待っても帰って来ないローズヒップにしびれを切らして、ペコは一度、駅まで小走りで姿を探しに行ってみた。周りに聖グロの制服姿はどこにもない。駅って何だろう。この駅じゃないとしたら、一体どこのなんの駅なのだろう。
「ローズヒップの電話、繋がらない」
「電波の届かない地下なんて、今時ありませんよ」
「電池がないんだ。私も残りが少ない」
 ルクリリは鞄に入れてあるバッテリー式の充電器を差し込んだ。ずっとペコやローズヒップと電話をし続けていたから、残りが少ないのだろう。腕時計は生徒の帰艦時刻まであと1時間に迫っていた。ここからタクシーを捕まえて、大急ぎで戻らなければならない。
「駅と言うのは、電車以外だとバス?」
「可能性はあります」
 ルクリリはサービスカウンターで。近くのバス停がどこにあるのか教えてもらっていた。往復で10分もかからないのだから、やっぱり、ローズヒップの言う“駅”はすぐ目の前のことではないのかも知れない。
「ペコ。今、ここにローズヒップが戻って来ても、私たちはきっと帰艦時刻を過ぎてしまう。アッサム様とダージリン様は、この時間なら、ホテルを出て船に戻られているはずだ」
「伝えますか?」
「私が言う。指示を仰ぐよ。ペコは取りあえず、ここでローズヒップを待っていて」
 ルクリリはしっかりしている。責任を背負えるタイプだと思う。成績が1位のオレンジペコよりもずっと、しっかりしているところがあって、でも、馬鹿なところもあって。
「ダージリン様。お忙しいところ申し訳ありません。今、どちらに?実は、ローズヒップが迷子になって、連絡が付かないんです」
 自分たちの居場所を伝え、順を追ってローズヒップを追いかけたルートを説明する。ペコもルクリリも、学生艦の出港を遅らせると言うことが校則違反だと言うことは十分認識しているが、中学の頃と違い、高校の方がずっと学生側、つまりダージリン様に責任の重きがあるということを、この時はまだ、理解していなかった。






「アッサム、ちょっといい?」
「どうしました、ダージリン」
 お姉さまたちとは、ホテルの入り口で手を振って別れた。振込みを待っていますと、大きく手を振り、学生艦に早めに戻った。出港の準備に取り掛かるために服を着替えている途中、アッサムの部屋に狼狽えた様子でダージリンが入ってくる。ルクリリからの電話で、ローズヒップが迷子と報告が入ったようだ。
「見失った場所は?」
「駅ビルの中だそうよ」
「この時間に、まだあんな場所に?間に合いませんわよ?」
 グリーンが出港手続き書類を準備して、ブリッジで待っている。サインをして、問題なく定刻通りに出港させなければ、この後やってくる輸入船の停泊を邪魔してしまい、多大な迷惑をあちこちに掛けることになる。
「二手に分かれて探しましょう。車で降りるわ」
「待って、ダージリン。あなたが船の外に出ると誰が責任を負うの?私が行きますから、あなたは留まって」
 すぐに部屋を出ようとするダージリンの腕を引っ張った。最悪、アッサムが3人と横浜に留まり、自家用ヘリで学生艦を追いかければ済む。もちろん、かなりの校則違反行為に当たるのだから、処分が下されて、1か月戦車に乗れないかもしれない。大学推薦への影響も出てくるだろう。なにより、聖グロの学生艦関係者に多大な迷惑を掛けてしまう。だが、ダージリンへの影響を最小限にしなければ。
「じっと待ってなどいられないわ。船にはグリーンとシナモンを置いておけばいい。私が外にいれば出港できないのだから、その方が良いわ」
「私が陸地に留まりますから、ダージリンは時間通りに船を出港させて」
「それはダメよ。あの3人を放っておけないわ」
 絶対に船に留まることなどない背中を追いかけながら、アッサムは急いでグリーンとシナモンに電話をして、生徒が陸地で迷子のため、出港を遅らせると告げた。グリーンにローズヒップの携帯電話のGPSが消えた場所を探すように命じて、ダージリンが乗ったランドローバーの助手席に乗り込む。携帯をルクリリに繋いだ。
「ルクリリ」
『アッサム様』
「ローズヒップは?」
『まだです』
「ダージリン様と車でそちらに向かうわ。あなたは私と、ペコはダージリン様と一緒になって、ローズヒップを探しましょう。今、グリーンに携帯電話の解析をさせているわ」
 ローズヒップはおそらく、その迷子のご婦人の行きたい場所の駅まで、電車で送ったのだろうと想像した。あの子のことだ。連れて行ってとお願いでもされてしまえば、ニコニコと電車に乗り込んだ可能性は大いにある。真っ直ぐ1本道を往復して、すぐ傍の駅まで見送るだけなら、流石に迷子になどならないはずだ。
 駅ビルのすぐ傍に車を止めて、ルクリリ達の居る場所へと向かうと、ペコがごめんなさいと抱き付いてきた。
「あの子が横浜から一度出たところで携帯電話のGPSは切れたみたい。東京方面へ移動をした可能性があるわ」
「え?電車に乗っちゃったんですか?」
「かも知れないわね」
 中学から学生艦で生活をしているのだから、電車に乗り馴れていない。特に元々迷子になりやすいのだ。当然、電車を乗り換えなければ戻って来られないし、降りる駅次第では、目の前の電車に乗ればいいと言うわけでもない。ローズヒップは今頃、べそをかいているかもしれない。
「ダージリン様、駅の中を探しますか?」
「だとすると、あまりにも広すぎる。仕方がないわ………協力を仰ぎましょう。アッサム、麗奈さまに事情を伝えて。3人とも、今、東京に戻られている最中だわ。知恵を借りましょう」
 さっきまで楽しく食事をしていたのだが、事が知れ渡れば、愛菜さまは怒り爆発に違いない。とはいっても、ローズヒップを探し出さなければ、怒り爆発どころでは済まないのだ。聖グロの名前に傷をつけたと言われるのは、もう覚悟している。形のないものに傷がつくくらいならいい。ローズヒップが無事に戻ってきてくれるのなら。


右手と左頬 ③

「アッサム様たちが移動した」
『こちらもです』
 遠くから、楽しそうにお話ししているアッサム様と聖那さまとか言う人物を眺めていると、立ち上がってお店から出てきた。そのまま、別の建物へと向かって行く。ルクリリはペコに電話を掛けながら、当然その後を追いかけた。
「そっちはラブラブっぽい?」
『うーん、なんだかいつものダージリン様とは違います』
「何がどう違うの?」
『すごく、楽しそう』
「なんだと~?ダブル不倫?」
『あっ!』
「何?」
『………ホテルに入って行きましたよ』

ホテル?それは、どういうホテル?

聞きたいけれど、そこまで詳しくは聞けなかった。何というか、怖い。


「あ~~!!」
『な、何ですか?!!』
「こっちもホテルだ!でも、何と言うか、高そうなホテル」
『そっちもですか?!……って、ルクリリ、姿が見えてます』
「…………はい?」

興奮しながら、ルクリリはあたりを見渡した。後ろを振り向くと、20メートルくらい離れた場所で聖グロの制服が見える。


「うーん、別々なのに同じホテルに入っていくとは。鉢合わせたら喧嘩になるんじゃない?」
 アッサム様とダージリン様の喧嘩ってどういうものだろう。たまに、アッサム様に言い負かされてふて腐れているダージリン様の姿を見るが、あんなものじゃなさそうだ。でも、2人とも愛人を連れているとなれば、どっちが悪いもない。どっちも悪い。
「………ルクリリ、これは普通に考えて、ここにあるカフェとかレストランとかで、みんなで食事、って言うのが正解じゃないですか?」
「え、それじゃぁ面白くない!」
「いや……面白さなんて求めないでくださいよ」
 ペコに言われるまで、そんな可能性を1mmさえ持っていなかった。言われてみれば、まったくその通り。と言うか、愛人に会うならもっと人目が付かないところを選ぶに決まっている。


「あなたたち、戦車道の生徒?」


 入口の自動ドアが反応しないギリギリで、ダージリン様たちの姿が消えて行くのを眺めていると、背後から声がした。

 ルクリリは聞いたことのない声に反応して、何だか嫌な予感を持ってゆっくり振り返った。
「………はい、えっと。戦車道1年です」
「何?ダージリンたちに用事?」
「え?あ、いえ」
「周りの迷惑よ。制服姿でホテルの前をウロウロするのはおやめなさい。ダージリンたちに用事があるのなら、呼び出すといいわ」
 スーツ姿の美人さん。口ぶりからして、聖グロのOGだと言うことはわかる。それにしても、どこかで見たことのあるお顔。気のせいだろうか。
「アールグレイお姉さま、申し訳ございません。失礼します」
 ペコが深々と頭を下げて、先代の隊長の名前を口にする。そういえばそう。どこかで見たことがあると思っていたのは、そのせいだ。テレビで見たのだ。インタビューを受けている姿を見たことがある。
「ごきげんよう、お姉さま」
 ルクリリも頭を下げて、ペコの手を取ると逃げるように走った。きっと、あとでダージリン様とアッサム様に怒られる。それは恐ろしい。とても恐ろしい。

「アールグレイお姉さまが現れたということは、きっとダージリン様たちとお食事なんですよ」
「まぁ、普通に考えたらそうだろうな。っていうことは、あのラブラブそうにしていた人も、戦車道のOGなのかな~。愛人じゃないのかぁ」
 面白くない。まったく面白くない。それじゃぁ、とても普通のこと。OGと会うなんて、珍しいことじゃない。
「ルクリリ、こだわりますね」
「面白くないな。結局、ダージリン様とアッサム様の関係もハッキリしなかった」
「それはまぁ、どうしても知りたいのなら別の機会に。ところで、お腹空きましたね」
 知ったところで、お2人を尊敬する想いは変わらないけれど、やっぱりそうなんだって。そう言う確認をしたいだけなのだ。お2人とも後輩や他校からも凄く人気が高いので、余計な虫が付かないように、守って差し上げたい想いも無きにしも非ず。
「そうね。ご飯食べようか。えっと………ローズヒップは?」
「忘れていました。サービスカウンターで、きっと待っていますよ。あっ、本を買わなきゃ」
「じゃぁ、遅れるってメールしておくわ」
 腕時計は、待ち合わせと言っていた時間をわずかにオーバーしている。自分がどこにいるのかわからないと言っていたローズヒップも、流石に1階に降りてサービスカウンターに行くことくらいは出来るだろう。


たぶん。

たぶん、だけど。





「クロムウェルの修繕費?」
「そうです。どなたかが思い切り大破させてから、ずっと動かしていないんですの」
 久しぶりに会う麗奈さまは、相変わらずアッサムにしか微笑みを見せない。姉妹のように仲がいい割に、全然聖グロの学生艦に遊びに来る気配のない前隊長。定期的に寄付金は振り込まれてくるが、前ルクリリお姉さまのように、突撃してこられない。東京の大学に進まれたお3人がとても忙しいのは十分承知している。それでも、たまにはこうして会って、甘えたいのだ。隊長と呼ばれるようになって1年以上は経ったが、それでも、誰かを頼りたい気持ちになることだってある。主に資金面について。
「あらやだ、どこの誰?」
「……………今のバニラの実の姉よ」
 静かなレストラン。聖那さまはとても楽しそうな笑み。久しぶりに会うけれど、こちらはあの頃と違って、ずいぶんにこやか。
「ちょっと愛菜、私は大破させていないわ。黒森峰と必死に戦っただけよ」
「聖那さまが超高速でパンターに激突なさったおかげで、本当に動かせませんのよ」
 5人の女の子が、高級フレンチを食べながら話すことが戦車について、なんて。ダージリンは想いながらも、黙っていれば聖那さまがアッサムとのことを色々聞いてくることは分かっている。色恋についてなど、話したくない。
「嘘。イングランドから部品を購入すればいいことよ?」
「もう、ほとんどの部品を取り替えなければなりませんの。輸送コストも含めて、1台のためだけにかかる費用が相当なものだと、ご卒業される前から伝えておりましたわ」
 1年掛けて少しずつ、修繕のために寄付金を貯めていたが、ローズヒップというクルセイダー部隊に配属になった生徒が、練習のたびに戦車を破損させてくれるおかげで、まったくクロムウェル修繕にお金を掛けられそうにないのだ。

というか、ない。

「アッサム、積み立てをしていないの?」
「………それはその、していましたが、色々と故障の多い時期でして」
「いくらお金がいるからって言っても、1年貯めていれば、何とかなるものでしょう?」
 いつもは口数が少ない麗奈さまは、眉をひそめてアッサムを見つめている。気まずそうな目が、助けてくれと言わんばかりにダージリンを捉えた。
「いえ、まぁ、古い戦車ですから。それなりにメンテナンスにお金がかかりますのよ」
 ローズヒップが立て続けに5台のクルセイダーを爆発炎上させて、更に巻き添えを食らったマチルダⅡも2両、それなりに酷いダメージを受けてしまった。夏の大会になると、1勝するたびに寄付金はかなり集まりやすくなるが、まだ5月になったばかり。夏の大会が始まる前に、白旗を振る羽目になる。
「歯切れが悪いわね、何を隠しているの?」
「いえ、なにも」
「収支報告書を見せてくれたら、寄付金の額を上げてもいいわ」
 本当は爆発炎上なのだが、エンジントラブルだの履帯の交換だの、金額が明らかに合致しない名目を並べている報告書を見せれば、麗奈さまは何を想われるのだろう。麗奈さまより、愛菜さまの方が怖い。
「2人とも、何を隠しているの?」
 愛菜さまはダージリンをじっと見つめてこられる。思わず、水の入ったグラスを手に取った。何とかしてもらいたい。


「あらやだ、愛菜。2人がまったく進歩していないのは秘密にしなくても、顔に描いてあるわよ?この2人、全然、大人の階段を上らないの」



 レストランに、ゴン!という鈍い音が響いた。




「お姉さま、夏の大会で今度こそ黒森峰に勝ちたいんです。私とダージリンには最後の戦いなんです」
普通にお願いしても無理だと悟ったアッサムは、麗奈さまの腕に縋って甘える声を出した。はっきり嫌だと言えないと分かっているのだろう。ダージリンと麗奈さまの性格は全然違うが、アッサムのお願いに弱いと言う部分は残念ながら似てしまっている。あれをされたら嫌だなんて口にできるはずもないのだ。
「まったくもぅ…………クロムウェルの修繕費用は何とかしてあげるわ。聖那が大破させたのだから、仕方がないわね」
「あらやだ。私は去年も今年も、結構な金額をクルセイダー会に寄付したわよ?」
 殴られた頭を撫でながら、唇を尖らせている聖那さま。頂いた寄付は湯水のように使わせていただいた。ありがたく、じゃぶじゃぶとすべて、ローズヒップが大破させたクルセイダーの修繕に消えた。チャーチル会に集まっている寄付金も、ひっそりと回して使っている。
「クルセイダーはそもそも、故障が多いのはご存じでしょう?2年前にいたバニラとかいうお姉さまが、当たり前の様にリミッターを外して走り回っておられたせいで、ここ最近、特に故障が多いんですの」
「毎日、丁寧に整備すればいいことよ」
「致し方ありませんわ。故障はどうしようもありませんもの」
 3方向から、隠していることを言えと言わんばかりの無言の圧力。ダージリンは背筋を伸ばして、口を閉じたまま。アッサムが押し切ってくれるのを聞いているだけ。
「お金は何とかしてあげるから。今月中に送金してあげる」
「ありがとうございます、お姉さま」
 子供っぽい声で妹キャラをうまく使っているアッサムを、ふくれっ面が睨んでいる。
「甘いんじゃない、麗奈」
「甘いわよ、それが何?」
 愛菜さまはずっとダージリンを睨んでいるけれど、絶対に目を合わせないように、あくまでもアッサムが麗奈さまにお願いしたことだとアピールしながら、グラスの水を飲み干した。




右手と左頬 ②

「もしもし、ねぇ聞いてよ。アッサム様が綺麗な年上っぽい人とお茶して、何て言うかラブラブしているように見えるんだけど。これって浮気なの?それとも、アッサム様とダージリン様のカップルって言うのは都市伝説なの?」

 ルクリリはアッサム様と聖那さまと言う人がカフェのテラスに座ったのを確認して、ペコに電話した。コーヒーを飲んでおられる。とてもにこやかで楽しそうだ。後輩に見せるやれやれと言った様子の笑みとは違い、何と言うか、無邪気で可愛らしいと言うか。ダージリン様の前でもあんな風に笑っている姿を見たことがない。
『ルクリリもですか?』
「も?何が?……も?ってどういうこと?」
『今、ダージリン様をお見かけして、見知らぬ女性と楽しそうにお茶をしているんですよ』
「はぁ?そっちもなの?お2人ってカップルじゃないの?」
『うーん、周りはみんなそうだって言っているけれど、私たちはご本人たちに確認したわけじゃないですし』
 でも、いくら何でもそんな噂が広がっていることを、当人たちが知らないわけもないだろう。知っていて否定しないと言うことは、ほとんど事実と言ってもいい。でも、あのダージリン様と言う隊長はよくわからない部分もある。面白いから放っておく、なんてこともあったりするかもしれないし。
「アッサム様、凄く楽しそうだよ。相手の人もかなりの美人」
『こちらも楽しそうですよ。頭のよさそうなキリッとしている美人さんです』
 ただの知り合いで、こんなに幸せそうな顔をされたりするだろうか。とても近しい人であることには間違いない。見たことないような笑みで、甘えているようにさえ見える。
「………ダージリン様が本妻で、こっちは浮気相手とか」

船と陸地、それぞれに恋人がいる……なんて。

『そんなまさか』
「そっちはどんな感じなの?」
『とても楽しそうです。なんだかダージリン様が幼くなったような感じですね』
「うーん。私、気になるから見張っている。あと、グリーン様に連絡して、どこの誰なのか調べてもらおうかな」
 3年生なら、アッサム様たちの愛人……いや、交友関係を把握されている可能性もある。教えてくれるかどうかはわからないけれど。
『でも、例えば本当に浮気相手だったとしたら、一大事じゃないですか?』
「………それもそうか」
 ペコも取りあえず、見張っておこうかなって言いだすので、とりあえず30分後にまた連絡をすると言って、電話を切った。







「それで、どうなの?ダージリンは3年生になって、絶好調?」
「変わりませんわよ。可愛い1年生が入って来て、機嫌よく職務をこなしていますわ」
「そうなんだ。1年生に優秀な子はいるの?うちの妹、ちょっとおとなしいし、馬鹿だから」
 ふわふわの銀色の髪を耳に掛けなおして、聖那さまは機嫌よくアイスコーヒーを飲まれている。
今日、聖那さまたちと会いたいとお願いしたのはこちらからだ。OG会にもあんまり顔を出してくださらないお姉さまたち3人。余計な口出しをするつもりはないからと、卒業される時に言われたが、それにしても放置しすぎで寂しいのが本音。
「聖那さまの妹、4月末にティーネームを授けましたわ。バニラにしました」
「あらやだ。本人は嫌がってない?」
「いえ、喜んでいましたよ」
「そう?妹をお願いね。おとなしくって本当、お姉さまは心配よ」
 バニラの場合、おとなしいと言うよりも、周りが通常よりうるさいような気がする。ローズヒップやルクリリと肩を並べてしまえば、本当におしとやかで静かに見えてしまう。問題児は少ない方がいい。バニラはいい子だ。
「いい子ですわ。ちゃんとダージリン様の指示通りに動ける、聞き分けのある子です」
「あらやだ、どういう意味?」
「スピード狂でもなく、速度を守る良い子です」
 頬を膨らませる聖那さま。拗ねておられるけれど、お姉さまの指示を無視して、勝手に走り回りクロムウェルを大破させたことを、忘れておられるのではないだろうか。そのクロムウェルの修繕費用の寄付金を、何が何でも徴収しなければならないのだ。アッサムは、いくらシスコンの兄とはいえ、そこまで寄付をお願いすることはなんとなくできずにいたのだ。すでに、レストアに相当な金額の寄付をしてもらったのだ。大破させた人間から、まずは徴収したいもの。
「成功は大胆不敵の子供よ」
 結局、大破させたあげく、1年以上も動かすことができずにいるのだから、成功とは言えない。カラカラと氷をストローでかき混ぜながら、ニコニコされておられるこの反省のなさ。今のバニラがこうならないことを願ってやまない。
「聖那さまはおいくつなんですの?まぁ……放置していたお姉さまにも問題はありますが」
「でしょう?全部、麗奈のせい」
 お姉さまと聖那さまからの寄付金を募らなければ。資金繰り関係は全てアッサムが管理しているが、ローズヒップという問題児のおかげで、わずか1か月の内にクルセイダー会からの寄付金が湯水のごとく流れて行き、どうにもこうにもならない。
「お姉さまと、毎日楽しくお過ごしですか?」
「まぁまぁね。相変わらず、かしら」
「そうですか」
「そっちはどう?ダージリンとラブラブ?」
「変わらず、ですわ」
 卒業されるまでの間、何かと聖那さまは、ダージリンとアッサムにちょっかいを出してくることが多かった。ファーストキスを目撃されるし、手を繋いで歩いていたら手刀で邪魔をしてくるし、ダージリンと電話をしていれば、近づいてきて勝手に聞き耳を立てるし。よく愛菜さまがグーで聖那さまの頭を殴っていらした。とても人気のあるお方だったが、アッサムの知っている聖那さまと、他の生徒たちがい抱いているイメージの聖那さまは、まったく違うお方だった。お姉さまは相変わらず、ダージリンとアッサムのことには無関心を貫いたまま卒業された。今でも、電話で話をしてもダージリンのことは聞かれない。
「変わらないの?まだチューより先はないの?」
「………」
 愛菜さまがおられないと、聖那さまは絶好調にそう言うことを聞きたがる。ダージリンは、いつも適当にあしらって笑っているだけだった。あのあしらい方が、そもそも、何もないですと態度に出しているようなものなのだ。
「ダージリン、ヘタレが治らないの?」
「………聖那さまに関係ありませんわ」
「何もないことを純愛とは言わないのよ?」
「ですから、聖那さまには関係ないですわ」
 空になったコーヒーカップを思わず手に取って、空気を飲み込みそうになる。そう言う姿を見ることが、聖那さまの目的だと言うことは重々承知している。それでも、アッサムは誤魔化しをしてしまうのだ。
「アッサム、可愛い」
「……お姉さまに言いつけますから」
「どうぞ」
「愛菜さまにも言いつけますわ」
「………久しぶりに愛菜に殴られてしまうわ」
 熱くなる頬を、水の入ったグラスで冷やしたい気分。早く待ち合わせ時間になればいいのに。





「オレンジペコのティーネームを?」
「えぇ。お電話で伝えようと思ったのですが、出来ればお会いして、直接お伝えしたいと思っていたので」
「そう。聖那の妹には、バニラを付けたとか?」
「えぇ。ペコ以外のティーネームは、すべてアッサムが名付けました。後輩の指導はアッサムに任せていますの」
 愛菜さまおすすめのお店。久しぶりに2人きりでのティータイムだ。愛菜さまの淹れてくださる紅茶が好きだった。アッサムも学年で1番美味しく紅茶を淹れられるが、愛菜さまの淹れてくださる紅茶もまた、違う温もりがあった。厳しい言葉をぶつけてくる時は、よく、紅茶を淹れてくださるお方だった。
「そう。アッサムからはたまにメールが来るわ。情報処理部の部室にエスプレッソマシーンを入れたとか言っていたわね」
「副隊長になって色々と任せていたら、勝手に自動販売機を設置して、みんなで炭酸ジュースを飲んでいるみたいですし、情報処理部もアッサムに何でも買ってもらおうとして」
「でも、あなたは知らない振りなんでしょう?」
「えぇ、まぁ。好きにさせていますわ」
 最初の頃は、アッサムから購入申請書類を見せられて、電子機器の利便性について話を聞いていたが、正直必要かどうかの判断ができなかった。要らないと思うと言えばムッとされるし、分からないと言えば、分かろうとする努力がないと言われるし。なので、もう説明はいらないから、アッサムの好きにしてと伝えたのだ。その代り、資金のやりくりもすべて、アッサムに任せた。
「私たちは3人いたけれど、あなたたちは2人で回しているから、ある程度放っておいてもいいんじゃない?そのオレンジペコちゃんは幹部としてはどうなの?」
「とても優秀ですわ、主席入学者ですもの。遊びにいらしてください。ペコに紅茶を淹れさせますわ」
「それは楽しみね。あの馬鹿2人を連れて遊びに行かないと」
 情報処理部の豊かな電子機器の山を見てしまえば、愛菜さまはアッサムにやり過ぎだと文句を言われるに違いない。ひそかに愛菜さま個人の寄付金を電子機器購入に回していることを知られてしまえば、余計に。
「是非。オレンジペコはとてもいい子ですわ。バニラも、聖那さまと大違いで、おとなしくてとてもいい子ですわ」
「そう?他に目ぼしいのは?」
「………まぁ、少々やんちゃな子はいます」
 ローズヒップとルクリリ。ダージリンにとっては面白い逸材で、将来的には部隊長をさせてみたいと思っているが、愛菜さまには免疫のないタイプだろう。学校に来られるのならば、あの2人を隠しておかなければならない。
「グリーンから、とんでもないのが入ってきたと聞いているわ」
「あら、情報処理部ってば口の軽いこと」
「グリーンは私が育てたのよ」
「そうでしたわね。アッサムがあれほどかん口令を敷いても、愛菜さまには勝てないと言うことですわね」
 情報処理部のグリーンは、アッサムとかなり親しい。タッグを組んで家電マニア。GI6として、2人でいつも走り回っている。よくわからない横文字を並べて会話して、ダージリンはおおよそ蚊帳の外。
「とんでもないのは、聖グロの生徒としては大丈夫なの?」
「どうでしょうか。後輩の面倒はアッサムがみておりますわ」
「何でもアッサム任せなのね。どこかの誰かみたい」
「麗奈さまのようになってしまいましたわ」
「なるな、とあれほど言ったのに」
「副隊長が優秀なんですもの」
 アッサムは今日、聖那さまとお茶をすると言っていた。惚気を聞かされるついでに、色々と聞かれそうなので、ダージリンはそちらには行かずに愛菜さまとお茶をする約束を取り付けたのだ。麗奈さまは用事を済ませたらこちらに来てくださる。久しぶりにランチをする。本当に5人だけでゆっくり食事をするのは久しぶりだ。
「相変わらず、仲睦まじいのね」
「今も、ずっと変わりませんわ」
 正式に学生艦の責任者になるまでは、自然に手を繋いで学内を歩いていた。でも、ダージリン様と周りから呼ばれるようになってから、人目の付くところではアッサムに近づかないようにしている。彼女を守るためだ。
 まるで、1年生に戻った気分だ。ダージリは本当に愛菜さまに可愛がってもらっていた。仕事のすべてを愛菜さまに教えてもらった。だから、オレンジペコのティーネームは、ダージリンにとって、一番身近な存在になるだろう人物に授けたかった。愛菜さまとペコは、性格は違うが、ダージリンにとって大事な存在という共通点がある。
「さて、アッサムたちと合流するわよ」
「はい」
「麗奈もきっと、楽しみにしているわ」
 お茶をごちそうになったダージリンは、アッサムたちと待ち合わせをしているホテルに向かうことにした。高層階にあるレストランに、すでに麗奈さまは向かわれているそうだ。



右手と左頬 ①

横浜に寄港して3日目。2日間は実家で過ごした後、ルクリリはペコとローズヒップと3人で、ショッピングモールに向かった。生活用品の買い足しは学生艦の中にあるお店でもできるけれど、新入荷の服やサンダル、最新の雑誌なんかは陸地でないと手に入らない。学生艦の中にある食事ができるお店もあちこち通っている。まだ1か月。味に飽きたとまでは言わないが、それでも、陸地で食べるものの方が、ずっとおいしいのだ。潮の香りのない地に足の付いた感じ。大げさだけど、陸地に帰るとホッとする。
「おーい、ローズヒップ。迷子なの?」
 自分がどこにいるのか、さっぱりわからないと言うローズヒップからの電話。ペコが見張っていたはずだが、いつの間にかはぐれたらしい。ルクリリはもう高校生なんだから、取りあえず、1階のサービスカウンターにいるようにって告げて時間を指定した。ルクリリはまだ、沢山買い物をしたいのだ。イチイチ迷子を迎えに行く時間がもったいない。ペコにも時間はまだあるし、後で落ち合おうと言って電話を切った。


「………あれ、アッサム様?」


 学生艦を出る前に、ショッピングモールに一緒に行きたいとお誘いをしたが、アッサム様には丁寧に断られた。いくつか用事が入っていて、今回の寄港中はずっと、ルクリリたちとは遊んでくれないのだ。3人揃ってふくれっ面を見せたけれど、まったく効果なく断られた。そのアッサム様が私服姿で歩いておられる。傍にダージリン様はおられない。
戦車道関係の先輩たちによると、お2人は恋人同士なんだとか。誰一人確認を取ったこともなければ、本人たちから直接聞いたと言う人もいないらしいが、戦車道関係では1年生の頃からそういう噂があるそうだ。ルクリリはまだ、入学して1か月ちょっとだから、特に2人がラブラブしているところを目撃したこともないし、1年生の中でも目撃談は聞いていない。オレンジペコもチャーチルの中では、特に付き合っている風にも見えないとかなんとか。
「ダージリン様と逢瀬かなぁ」
 だとしたら、ルクリリが初めての目撃者になるのかも知れない。ただ歩いているだけでは意味がない。手を繋いでいるとか、肩を抱き寄せるとか。そう言う姿を見てみたいものだ。

 アッサム様が腕時計を確認して、周囲をキョロキョロしておられる。ルクリリもダージリン様を探すように辺りを見渡していると、全然違う綺麗なお姉さまに向かって手を振って近づいていく。


「お待たせしました」
「アッサム」
「お久しぶりです、聖那さま」
「本当よ。全然、連絡をしてくれないんだもの。拗ねちゃうわよ?」

そして、当たり前の様にハグし合うから。
二股?!!って声に出しそうになるのを慌てて飲み込んだ。

「バタバタしていましたの。聖那さまだって、連絡をくださいませんわ」
「あらやだ、じゃぁ、毎日電話しちゃおうかしら?」
「どうぞ。留守電設定にしておきますわ」
「アッサム、久しぶりなのに生意気ね」
 アッサム様の腕を取って銀の髪をふわふわなびかせている美人は、ニコニコ微笑みながら恋人のように手を繋いでおられる。
「どこに行きます?」
「うーん、もう少し時間があるから、お茶でもしましょう」
「そうですわね」
 柔らかい笑みのアッサム様が、遠くからでも楽しそうなのはひと目でわかった。周知の仲であるはずのダージリン様はどこにもおられない。ショッピングモールから出て行ってしまうお2人の後を、少し離れてルクリリは追いかけた。




これは一大事だ。


聖那さまって誰だ!!!







 ペコは、いつの間にか姿を消したローズヒップを探して、小走りにあちこちのお店を覗いていた。電話をして、何か目印を言ってくださいとお願いしても、綺麗なお洋服を着たマネキンがいるとか、柱がいっぱいあるとか、場所の特定のしようがないことばかりを告げてくる。まだ、本人もさほど困り果てている様子がないので、ペコはルクリリと時間と場所を確認し合い、ローズヒップもサービスカウンターっていうのはきっと大丈夫だと言うので、少し自分の買い物をすることにした。時間はたっぷりある。ショッピングモールの中にはないお店で、どうしても買いたい専門書が置いてある本屋に向かう途中、どこかで見たことがある人がいた。


ダージリン様。


「ダージリン、時間はまだあるのでしょう?ちょっとお茶でもする?」
「そうですわね」
「いいお店があるの。連れて行ってあげる」
「はい」

 全然知らない、綺麗なお姉さんと言った様子の人と、ダージリン様は寄り添うように歩いて行かれた。何だかとても嬉しそうな顔をしていらっしゃる。
「………ダージリン様って、陸地に恋人がいらっしゃる?でも、ルクリリはアッサム様とカップルだって言っていたような」
 戦車道の隊長。入学式早々、腕を掴まれて紅茶の園に連れていかれた。オレンジペコと言う名前はその日に授かった。よくわからないけれど、その時に入れて差し上げた紅茶がとても美味しかったそうで、同じように紅茶を淹れるのが上手だった先代のオレンジペコ様のお名前と同じにしたい、というダージリン様の希望だったはず。その先代の方がどんな人だったのかは、ペコにはわからない。紅茶の淹れ方なんてルールは同じなのだから、きっと、ペコの名前は何となく、で決めたのだと思う。ルクリリもローズヒップも、アッサム様が「雰囲気で決めた」とおっしゃっていた。最近になって、バニラとクランベリー、ニルギリ、ルフナもティーネームを授かった。バニラはお姉さんが聖グロのOGで、同じティーネームだったそうだ。たぶん、それを考慮されたのだ。
 ペコは成績上位3人の中に入っていて、チャーチル装填手を務めている。将来の幹部候補として、ダージリン様にくっついていろんなお仕事のお手伝いをしている。ルクリリとローズヒップも共に幹部候補。アッサム様は、いつも、問題児なのにどうして成績がいいんだろうって、ローズヒップとルクリリのことをぼやいている。学校が休みの日は、アッサム様は1年生の誰かをどこかに連れて行ってくれたりして、面倒をよく看てくださっている。今回船を降りるときも、てっきり一緒に遊んでくださるのかと思ったが、丁寧にお断りされた。ひっそりとダージリン様とデートでもされるのだろうかと思っていたけれど、ダージリン様は楽しそうに全然知らない女の人と、寄り添って歩いているのは想定外。
「………うーん」
 本を買いたいけれど、ダージリン様が一緒にいる人がどこの誰なのかとても気になる。少し距離を離して追いかけると、高そうなティールームへと入って行かれた。




Because I love you END

 鼻歌交じりにバニラは紅茶を淹れている。絶望した表情で見つめているオレンジペコと、俯くだけのアールグレイ。いつもはダージリンとアッサムが先に来ていて、手際よく紅茶を淹れてくれるのだが、珍しく、2人はまだ来ていなかった。
「きっと朝から、イチャイチャしているのね」
「………バニラ、朝からやめてくれる?」
「あらやだ、アールグレイ、嫉妬?」
 何がそんなに楽しいのか、バニラはいつになく機嫌がいい。明日の休みにクリスマスのプレゼントを買う約束をさせられたから、そのせいなのかもしれない。
「バニラ、いつまで蒸らしているの。さっさとティーカップに淹れて」
「え~?濃いのがいいのに」
「時間を計りなさい」
 苛立つオレンジペコの声。ティーカップを隠してしまいたいが、機嫌を損ねられても嫌なのでされるがままだ。じっと食べずに待っていると、小走りで2人がやってきた。何やら、アッサムがご機嫌斜めなのは遠くからでもわかる。
「おはようございます、お姉さま方」
「おはよう。遅かったわね」
「ごめんなさい。ちょっとバタバタと」
 バニラに淹れられた紅茶を見て、アッサムは一瞬眉をひそめてアールグレイを見つめる。悪いのは遅刻した方だ。
「ごきげんよう、お姉さま方」
「…………何を悪いことしたの、ダージリン」
「何のことでしょう?」
くっきり、はっきりと手型の跡が残る、ダージリンの左頬。それでも隠すことなく余裕の素振りのダージリンは、落ち着いて腰を下ろして、バニラからティーカップを受け取った。
「隊長なのに、情けないわね」
 叩かれた頬の左側に腰を下ろしているオレンジペコは、やれやれとため息をついてマズそうな紅茶を一口。本当にマズいのだろう。見ていればわかる。
「手を上げる方に問題があるのですわ」
「ダージリンが悪いのでしょう?」
すかさず、アッサムが食いついた。兄妹喧嘩を何度となく見てきたが、彼女が口喧嘩で負けたことはないのは良く知っている。
「不慮の事故だと詫びたわ」
「意図されたとしか思えないですわね」
「そもそも、そうだとしても、一体、何が悪いのかわからないわね」
「あら、そうですか。では、この場でどちらが悪いかはっきりさせてもよろしいんですのよ?」
 ダージリンが黙り込んだ。アッサムもそっぽ向いている。おかげでバニラのマズい紅茶を飲む羽目になったこっちのことなんて、どうでもいいと言った様子。
「………あらやだ、またアッサムが勝った」
「勝ち負けなんてございませんわ」
「アッサム、私が詳しく話を聞いてあげるわ」
「本当ですの?」
「メンドウな人を相手にすると言う意味では、私の方が先輩よ?何でも聞いて」

 それは誰を指すのだろうか。

それでも、楽しそうなバニラの声を聞いていることは嫌ではない。ダージリンに睨まれているような気もするが、砂糖を足して紅茶を飲み、そっちには顔を向けなかった。


バニラの柔らかい髪がふわふわ揺れるのと、アッサムが笑う横顔を眺めてため息をついた。




nick
緋彩の瞳
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